2476.環境NPOの根付きと宗教



 環境NPOの根付きと宗教
                 平成18年(2006)9月27日(月)                  
「地球に謙虚に」運動代表 仲津 英治

 私自身各種環境NPOに属しつつ、今やNPOが徐々に世の中を変え、動か
す力を持つようになって来たなと思います。しかし同時に、それぞれが小
勢力に留まっていると痛感しているのは私一人だけではないでしょう。
NPOのリーダー各の人は一家言を持っておられます。そして自らの信ずる
ところを実践するためにNPO活動をされています。しかしその自らの一家
言か、各NPOの信条に忠実なためかあまり小異を認めないようですね。そ
して少しでも考え、実践方法が異なると「袂を分かつ」事例が多いようで
す。まるで兄弟喧嘩のような事例もあるようです。

 日本でドイツなどに存在する環境政党「緑の党」ができないのはこの辺り
に遠因がありそうだと私は思うようになりました。その意味でもう少し、
各NPOの方々は、小異大同(小異を活かし、大同に付く。あるいは大同団
結する。私の造語)の姿勢にスタンスを変えることを望みたいところです。
さもなくば、NPOを団結させるのは政治家の役割となりましょうか。

 好例としてこの夏滋賀県知事選において、絶対不利と言われていた全く新人
の嘉田由紀子候補が、自公民の推薦を受けて磐石の支持基盤を誇る現職の国
松善次前知事を破ったのは記憶に新らしいところです。彼女の当選の推進役
になったのは多くの環境NPOでした。新しい政治リーダーがNPOを一つの
目標に向って団結させたとも言えましょう。しか各環境NPOの持つ主張、
運動に共通性を生み出した訳ではありません。

 もう一つ私がNPO活動に参加しつつ、かつ多くの運動事例を見聞きしてお
りまして思う点は、長続きしない、継続性に欠けるところがあると言うこと
です。資金的な裏づけが弱い点もありますが、多くは有力なリーダーがリタ
イヤーするとそれで終りというケースが多いようです。

 そんな認識を持ち始めたときに、昨年、伝統的な地歌舞伎(これは新しい呼
称で、本来は地芝居と呼ぶそうです)に惚れこんで取材、撮影を続けている
学生時代からの親友に再会しました。彼が言うには「NPOは長続きしないだ
ろう。それは宗教的とも言うべき精神的支えになるものが無いからだ。その
点、地歌舞伎は江戸時代から連綿と続いてきており、これからも途絶えるこ
とはあまり無いだろう。それは地の氏神様(神社)へ奉納する行事となって
いるからだ。一種の宗教行事と言え、毎年その時期が来れば参加者は練習し、
芝居の時には村を挙げて楽しむ。神様への精神的義務感が実行の原点になっ
ている」と、地歌舞伎が歴史的に続いている理由を説明してくれました。

 私は「ハタッ」と思い当たりました。そうだ環境NPOも何らかの形で宗
教行事的に扱われるか、あるいは地域の伝統的宗教活動と結びつくことがで
きれば、もっと継続性のある、地域に根ざした活動になるのではないかと。

 折から大阪交野市の星田地区で、若いIT技術者である佐々木久裕さんが
出身地でもないその地区へ来て、地元の氏神である星田神社の宮司となり、
地元の歴史を背景も含め、徹底的に調べ、体系化し、行事を復活させるなど
して、すっかり地元の氏子の皆さんに尊敬信頼されるようになっているとの
話を伺いました。多くの地元の人が忘れかけていた神話的伝説も甦らせたの
でした。そして彼は鎮守の森に代表される自然環境の大切さを熱心に地元の
方たちに説いて、自然環境の維持改善の先頭に立っておられるのです。寄進
も急増したと言います。
(星田神社のホームページ )

 また以前、福岡で新幹線の高速化試験を担っていたころ、安全祈願は交通
安全の守り神様である宗像大社で行なっていました。そのとき、大社の眼前
に広がる玄界灘の沖合いに沖ノ島(多数の国宝が発見されています)には沖
津宮があり、宮司が単身で2―3週間交代で島に滞在し、神事を行っていると
伺いました。玄海の寒風吹き荒ぶ冬場で誰も見ていない時でも、禊(みそぎ、
水で体を清めること)を行っているとのことです。神様が見ているとの意識
により、辛い禊も続けることができるとは、識者の弁でありました。

 環境問題に取組む基本的目的は、持続可能な社会の再構築です。前述の地
歌舞伎は数百年の歴史を持っています。その原点に神事奉納という行事があ
ることを知りました。長く続いて来たものには雨露風雪に耐えてきた意味・
意義があると思います。誰か見ていなくても環境を破壊しない、汚さない、
物を大切にする、生き物を慈しむ等の意識を持って行動することは、目に見
えぬ神様に背かない神道の精神につながるように思います。

 最近の日本人は宗教と言うと避ける傾向が一般的で、中でも神道となれば、
戦前の国家神道を思い起こし、毛嫌いする方がおられますが、僅か50年程度
の一時期の事象を持って、長い歴史的価値を否定することは誤りかと、私は
思います。神道は森羅万象に神が宿ると考え、対立を生みやすい教義や経典
が無く、また戒律、布教の精神も無い、本来平和的宗教であると私は認識し
ています。日本の神社は昔からの鎮守の森に囲まれています。私の見聞して
いる限りではキリスト教、回教の教会の周りには緑が少ないのが普通です。

 何とか環境NPO活動と日本の伝統的宗教を具現している地元の神社などと
の繋がりができて、自然を大事にし、長く持続する社会を再現していく方向
ができないかなと思いを巡らしている日々です。もちろん精神的支えの具現
として、お寺、教会であっても良いと思います。
 皆様方のお知恵をお借りしたいところです。
                              以上
仲津英治
「地球に謙虚に」運動代表 


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