2468.不耕起農業の発展



福岡さんの自然農法を改良して、不耕起農業でかつ、自然の生態系
を壊さない農業にしたのが、岩澤さんです。この農法をみよう。
                    Fより

過去に、福岡さんの自然農法を見たが、福岡さんのやり方は亜熱帯
地域でしかできないようである。それをもう少し温度が低い地域で
できるように改良したのが、岩澤さんの不耕起農業なのでしょうね。

この岩澤さんのもう1つの特徴は、水田に水を冬季も入れておくこ
とで夏の雑草を抑えることができるという。全体の作業量は少なく
なるが、夏の雑草取りは数年、大変な作業のようですね。ただ、水
を田に張っているため、冬の渡り鳥の飛来地になり、かつホタルの
幼虫が住む自然豊かな田んぼになる。

それと、自然の厳しさを稲に与えるために、冷害や風に強い稲がで
きる。「こしひかり」を新潟や東北地方では作っているが、味も普
通の米に比べても遜色が無いという。しかし、不耕起農業に変えて
から3年程度は、肥料をやる必要がある。藁を撒いたり、米ぬかな
どのペレットを実が結ぶ時期に蒔いている。

福岡さんの自然農法に比べると、手間は多くなっているが、亜熱帯
地域と温帯地域の温度差による手間なのでしょうね。しかし、東北
や関東などおいしいお米が取れる地域での不耕起農業は期待ができ
る。実践数もだんだん多くなっているし、この農法専用の農機具も
売り出している。

石油の高騰で農薬や化学肥料などが高くなるため、今後、ますます
自然農法はコスト面からも期待されるし、団塊の世代が退職して、
田舎にUターンで農業をおこな時の農法としてはいいのでしょうね。

また、この不耕起農業は稲だけではなくて、いろいろな作物で可能
なようである。手間が掛からないので、Uターン農業にはいいし、
かつ費用がかからないことでもいいような気がする。

日本の食糧自給率は28%と低いが、農産物価格が低迷しているた
めに、低コストでできる農業が必要であるが、化学肥料なし、農薬
なしで費用がかからないことと、手間がかからないことで、耕作面
積も広くできるなど、今後の農業の主流になるような気がする。

そして、不耕起農業を完成させて世界に広げる努力が必要になるの
でしょうね。亜熱帯の砂漠を緑化する福岡流、地味の増強をする比
嘉さんのEM法、岩澤さんの温帯地域の不耕起農業とそれぞれの環
境に沿った自然農法が日本から世界に発信されることになる。

これが日本のアミニズム神道の成果でしょうね。石油を使わないで
も増収できる農業革命が完成した。自然農法で虫や植物などの生態
系を豊かにする。その生態系を利用した農業ができた。

1094.自然農法について
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k4/141130.htm
1123.自然の摂理への復帰
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k4/141229.htm
1124.自然の摂理への復帰2
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k4/141230.htm
1130.まとりさんと読者の声に
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k5/150105.htm
1565.私が「こころ」にこだわるわけ
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k6/160315.htm
==============================
現代農業 やがて不耕起栽培が主流になる 
http://www.bund.org/interview/20051115-1.htm
不耕起移植・無農薬・冬期湛水 
耕さない田んぼが生態系を蘇らせる 
日本不耕起栽培普及会会長 岩澤信夫さんに聞く
 
岩澤信夫(いわさわ・のぶお)
1932年千葉県成田市生まれ。旧制成田中学校卒業後、農業に従事。
1980年よりPOF研究会を組織し、低コスト増収稲作の研究、普及を始
める。1983年に不耕起移植栽培を提唱。1993年に日本不耕起栽培普
及会を設立、会長を務める。 


自然の山野は耕されていない 
――田んぼを耕さないなんて農業の常識に反するように思うのです
が、不耕起農法をはじめたきっかけは何だったのですか。 

★不耕起移植栽培を始めたきっかけは冷害対策でした。私は千葉県
成田市の農家に生まれたのですが、若い頃から農作業をするよりも
農業技術の研究に熱中していました。スイカの栽培技術を編み出し
、全国の農家に教え歩いていたのです。 

 東北の青森県の木造町に教えに行った時だったと思うのですが、
ちょうど秋の稲の刈り取りの時期で、飛行機から下を見たら目には
いるのは黄金色の田んぼばかり。畑なんて1万メートル上空からは
ぜんぜん見えない。やはり農業の真髄はお米だと感じた。 

 それで、米作りを習おうと東北の農家をたずね歩いたのですが、
そこで厳しい冷害の現実を目の当たりにしました。冷害というのは
本当に惨めなものです。ところがそうしたひどい冷害の中で、ポツ
ンポツンと稲が頭を下げている田んぼがいくつかあった。作ってい
る人を訪ねていったら、全部お年寄りだったのです。なんでだろう
と思ったら、息子が東京へ出ていったということで作付面積が小さ
い。それで機械化できないので、昔ながらの水苗代(水を引いた田
んぼで苗を育てること)でやっていた。水苗代で育った稲だけが冷
害に強かった。 

 それから稲作技術への試行錯誤を繰り返しているうちに、オース
トラリアに移住した日本人がやっている不耕起のドライファーミン
グの論文に出会った。さらに福岡正信さんの『わら一本の革命』を
読んで不耕起栽培という技術を知りました。ソレっと思って福岡さ
んに会いに行った。福岡さんの農法は、不耕起直播に加え、肥料も
農薬も機械も使わず、種をまいた後は人間は手をかけず自然の力に
委せるというものでした。暖地農業の福岡さんからヒントを得て、
私の教える東北では昔ながらの苗づくりの技術(水苗代)に不耕起
移植を取り入れ、冷害に強い稲作りを目指したわけです。 

――耕さなくて本当に稲が育つのですか。 
★今の農民はトラクターで3回も4回も5回も土を反転します。で
も、よく考えてみると、野原や山や道端の土は反転されているわけ
ではない。それでも植物は、きちんと根を伸ばし、芽を出し、立派
に育っています。それが植物の本能なのです。そうした遺伝子を持
った植物以外は今の地球上には存在しません。 

 稲もそうした植物の一種です。耕さない田んぼに植えると、コン
クリートのようになった固い土の抵抗を跳ね返して根を伸ばしてい
く。それが根先のストレスとなって、固い土に根を突き刺そうと、
細い根が太い根に変化していくのです。稲が野生化し、冷害の年で
も実を結ぶし、倒伏(稲が倒れること)することもない。病害虫に
も負けない強い稲ができることが分かったのです。 

 私は、不耕起移植の技術をたぶん1000件以上の農家に教えて
きました。千葉県佐原の藤崎芳秀さんは、20年以上耕さないで稲を
作っています。耕した田んぼと不耕起移植の田んぼの稲を比べると
、同じコシヒカリでも不耕起移植の田の稲の方が、根も茎も大きく
育ちます。冷害にも強く、多収穫と省力化を同時に実現できました。 

 私の経験では、初期の草取りは大変でも耕さない年数が長くなれ
ばなるほど雑草の種が掘り返えされなくなり、雑草が発芽しにくく
なります。微生物の働きで土壌も豊かになる。不耕起移植の田んぼ
は、年々変化を遂げています。ある時、田んぼ一面に緑の絨毯のよ
うなものが広がっているのに気づきました。サヤミドロという藻が
大量に発生していたのです。気を付けて観察してみると、タニシや
トンボなどの生きものも、これまで見たこともないほど大量に発生
していました。 

 不耕起移植の田の場合、稲刈りの後も耕さないために、田んぼに
稲株や切り藁が残ります。そこに水を張ると、藁や株が水中で分解
され、微生物や微小動物昆虫類や藻が大量に発生します。これが生
きものの餌になります。藻や植物性プランクトンは光合成をして酸
素を吐き出し、たくさんの生きものが住める環境を作り出します。
耕さない田んぼが、生きものの循環を生み、豊かな生態系を作り上
げていくのです。 

 農地は耕すと、種をまいたり、苗を植えたりするのは非常に楽で
す。耕すことで除草もできます。だけど、耕すことのマイナスもあ
るわけです。一番のマイナスは、作物を甘やかしてしまうことです。
人間と同じで、過保護に育てられた作物はたくましく育たない。
農薬をあてにせざるを得なくなる。作物を甘やかさず、厳しい条件
で生育させるというのが不耕起移植栽培の一番の骨子です。単に「
昔に戻ろう」ということではなくて、「本物のお米」を作るには
この農法が一番あっている。 


お米は農家でなく稲が作る 

――植える苗は普通の苗でいいのですか。 
★普通の農家が田植えに使っている「稚苗」ではダメで、先ほども
いった昔ながらの「成苗」を不耕起田に植える必要があります。
不耕起移植栽培の最大のポイントは、この「苗づくり」です。一般
の農家は、種をまいて20日ほどたち、葉が2〜3枚に育った「稚苗
」を田植機で機械植えします。これに対して不耕起移植栽培では、
面積あたり通常の半分の量しか種をまかず、これを低い温度で40日
以上かけて葉が4〜5枚になるまで育てます。これが、昔ながらの
成苗です。昔と違って育苗箱の中で苗を育てます。 

 成苗の根は、固い土を突き破って生育していく生命力を持ってい
ます。しかし、成苗は、苗丈が伸びすぎないように注意が必要です。
伸びすぎてしまうと、養分が葉に集まりすぎて、根の力が弱まって
しまう。これでは大地に力強く根をはることはできません。成苗が
伸びすぎてしまった場合は、葉の先を切ることもあります。そうす
れば、根が固く丈夫になっていきます。 

 いよいよ田植えですが、耕さない田んぼには普通の田植機では田
植えができません。手植えをするか、専用の田植機が必要です。
この機械開発が大変だった。20年前メーカーに掛け合って、ようや
く不耕起専用の田植機が製品化されました。特別の切り溝を掘る歯
が取り付けられていて、これでコンクリートのように固い土に苗を
植えていくわけです。何しろ土が固いからね、開発を始めた頃は
3〜4馬力だったのが、できあがってみたら16馬力でした。 

 現在1台およそ300万円(普通の田植機の一割高)。この専用
の田植機がないと田植えが難しいことが、不耕起移植栽培の障害の
一つです。開発当時の不耕起移植栽培の農家は、共同でこの田植機
を購入して、話し合いで順番を決めて使ったりと工夫していました。
最近は、環境にやさしい稲作りということで、行政が補助金を出し
てくれるケースも増えています。 

 耕さない田んぼでは、稲刈りの後も耕さないわけですから、前の
年の切り株の間に新しい苗を植えていきます。苗を大きく育てるた
めに、普通の苗より少なく植えます。最初の一か月は普通の田んぼ
に比べて成長が遅く、何とも貧相な田んぼに見えます。稲がかたい
土に根を伸ばすまでの間は、農家は我慢を強いられます。毎日田ん
ぼに来て隣の田んぼと見比べて、「これで本当に米が取れるのか」
と不安になる。 

 そこで考えたのが「押し葉作戦」。稲株の押し葉を10日ごとに作
らせて、稲の生長を目に見えるようにしてみました。稲の生長の仕
方って、実は農家も知っているようで知らない。押し葉作戦の結果
、はじめの一か月を我慢しさえすれば、不耕起移植栽培の稲は日を
追うごとに、見る見るたくましく育っていくことを理解してもらえ
ました。 

 結局、稲作りは稲から教わるしかないのです。米は農家ではなく
稲が作るわけですから。ところが、普及センターや親父や近所の農
家のやり方から教わろうとするから旧来のやり方からなかなか脱却
できないのです。 


田んぼが生きものの楽園になる 
★さらに私たちは今、「田んぼの生きものトラスト」を実践してい
ます。 

――生きものトラスト? 生きものを守る運動ということですか。 
★そうです。耕やさない田んぼというのは、昆虫やカエルや沢ガニ
・ドジョウなどのその地域に住む生きものを大量に増やすのです。
ですから、不耕起移植栽培の米を10キロ食べると、イトミミズが一
万匹増えますよ、カエルが何匹増えますよ、メダカが何匹増えます
よ、水もこれだけ綺麗になりますよと、都会の消費者に訴えようと
いうわけです。 

 水田の生きものを増やすには、不耕起移植栽培と同時に冬期湛水
を実施すると非常に効果があります。普通の田んぼは、稲刈り後に
水を全部抜いてしまいますが、冬期湛水とは稲刈直後から冬の間ず
っと田んぼに水を張ることです。こうすると田んぼは、サギやカモ
、白鳥などの野鳥がいっぱいやってくる「生きものの楽園」になる。 

 そもそも冬期湛水のきっかけは、雁や白鳥の飛来地で有名な宮城
県の蕪栗沼でした。もともと沼の一部だった水田を湿地に戻したと
ころ、渡り鳥の数がグッと増えたのです。それで地元の市民グルー
プや研究者を中心に、冬の間田んぼに水を張り水鳥の生息地を広げ
てみようという運動が始まりました。その結果、渡り鳥がなんと4
万羽もやってきた。 

 冬期湛水は今、野生生物保護の立場から全国各地で注目されてい
ます。佐渡島では、中国から贈られたトキを繁殖させ、野に放つ計
画が進められていますが、トキが生きられるための環境整備の一環
として、かつて私が教えた田んぼを不耕起移植栽培・冬期湛水に転
換する運動が進められています。 

 ところでこの冬期湛水は、思わぬ効果を発揮しました。蕪栗沼の
ある田尻町では、私たちの会員の不耕起移植栽培の農家もこの運動
に参加し、冬期湛水を始めました。すると鳥が来ただけでなく、翌
年の春、雑草の発生が大きく減ったのです。 

 20年以上、不耕起移植栽培を続けてきた千葉県佐原の藤崎さんの
田んぼでも、冬期湛水をやってみたところ雑草の発生が大きく減り
ました。調べてみたところ、田んぼの土の表面がトロトロに変わっ
ていたんです。原因は、大量に発生したイトミミズやユスリカの幼
虫などでした。大量発生したこれらの微小生物が田んぼの有機物を
食べて糞にして土の表面に出し、その糞が田んぼの表土を覆い、雑
草の種まで覆っていたのです。その結果、雑草の種の発芽が抑えら
れたというわけです。 

 冬期湛水によって田んぼは、一年中生きものが住める環境となり
ます。微生物から始まる食物連鎖が、鳥を頂点とする田んぼの生態
系を蘇らせたのです。私は田んぼでメダカやカエルや昆虫を見たら
、みんな肥料だと思えといっています。全ての生きものがみな生命
循環するので、良質の肥料源です。肥料なしでも、水田にたくさん
の生物が生息していれば、それを循環させることで、肥料なしの生
物循環型農業が実現できることが分かったのです。 


水田は自然の浄水場 
★さらに不耕起移植栽培・冬期湛水は、水の浄化にも役立ちます。
近年、日本の河川や湖沼の水質汚染が大きな問題になっています。
その原因は、工業廃水・生活排水と並んで、実は農業排水なのです。
農業関連の汚染原因の一つは、春先田植えのために行う代掻きの水
です。農薬や化学肥料を含んだ大量の水が田んぼから排水され、河
川や湖沼の富栄養化を引き起こしています。例えば、琵琶湖の汚れ
の50%近くが農業廃水が原因だとされています。 

 不耕起移植栽培だと、代掻きなんてしませんから汚水も出ません。
耕さない田んぼは、土壌が吸着して非常に安定しているので汚水が出
ることはないのです。琵琶湖のある滋賀県では、数年前から農業廃水
対策の一つとして不耕起移植栽培を導入しようという運動が始まって
います。条例で不耕起専用の田植機にも助成金が出るようになりまし
た。 

 不耕起の田んぼは、汚水を出さないばかりか、「浄水場」の役割も
果たします。今の水道水は、塩素を使った急速ろ過が主流です。これ
に対して、ゆっくりした流れの中で生物を利用して水をろ過するシス
テムを「緩速ろ過」あるいは「生物ろ過」と言います。信州大学教授
の中本信忠さんはこの研究の第一人者ですが、不耕起の水田は、生物
ろ過とほとんど同じような水質浄化の役割を果たすと言っています。 

 用水から田んぼに入った水はゆっくりと流れ浸透します。その間、
水中の藻や微小生物は過剰栄養物質や細菌などを捉え、常に光合成し
て酸素を供給します。地表面にいるイトミミズなどの微小生物も働い
て水は浄化されます。田んぼの中にいる生きものを豊かにすれば、そ
の営みによって水がきれいになっていくのです。 

 戦後の日本では、作業の効率化や機械の大型化を目指して、農地の
基盤整備が進められてきました。それに伴い、小川はコンクリートの
排水路に変わり、メダカやドジョウは姿を消してしまいました。機械
化や減反など、米作りの状況が変化するにつれ、冬の田んぼは畑とし
て使われるようになりました。畑ではメダカやイトミミズは生きてい
けないし、カエルは産卵場所を失ってしまいます。 

 田んぼを乾かしてしまったのが「落とし穴」だったのです。昔の田
んぼは湿田が多かったから、冬でもあちこちに水たまりができていま
した。田んぼを乾かしてしまった結果、豊かな生態系は根底からたち
切られてしまい、生きものによる水の浄水機能も失われてしまったの
です。不耕起移植栽培・冬期湛水によって田んぼに豊かな生態系が戻
ってくれば、田んぼは再び浄水場の役割を果たします。昔のようなき
れいな水が河川湖沼そして海へと戻ってくるのです。 


生物資源型農業をめざして 

――不耕起移植農法は、どうしてもっと広がらないのでしょうか。 
★「農とは耕すこと」と強く信じている農民の意識も確かに障害に
なっているのですが、それ以上に大きな障害として立ちふさがって
いるのがアグリビジネスです。不耕起移植栽培は、化学肥料は全然
使わなくてもできる。農薬も一切使わなくてよい。トラクターも使
わない。しかも米は全部「産直」で販売する。これではアグリビジ
ネスや農協は困るわけです。だから私は、不耕起移植栽培の田んぼ
が日本の水田の0・1%を超えたら暗闇は歩けなくなると言ってい
る(笑)。 

 レイチェル・カーソンが30年以上も前に『沈黙の春』で化学農業
の弊害を警告したわけですが、アグリビジネスの圧力によって封じ
込められてしまいました。当時、『沈黙の春』がちゃんと読まれて
いれば、今のような無生物農業は回避できたはずなのです。ところ
がアグリビジネスの圧力によって自然農法への転換は30年以上も遅
れてしまった。 

 今年は石油の値段が倍になり、資源枯渇が顕在化し始めました。
今後、大量の石油を必要とする日本の農業は、確実に立ちゆかなく
なっていきます。これからの資源枯渇の時代、無から有を生み出す
ためには、地球の循環システムを利用するしかありません。メダカ
もドジョウもカエルも野鳥も、みんな宇宙船地球号の乗務員なので
すから、彼らと一緒になって共生の関係に入らないと、私たち人類
が絶滅してしまう。もはや、何も使わない不耕起農業技術に頼る以
外ない時代が確実に近づいているのです。 

 日本の穀物自給率はたったの28%ですよ。朝飯一食食べたら、昼
飯と夕飯は外国のものを食べているということです。農産物の輸入
が途絶えたら、日本は一発で終わりです。ところが、そうした危機
意識が日本にはありません。こんな不可思議な国はないと思います
ね。私は最終的には、「国民皆農」しか方法がないと見ています。
自分が食べる米は自分で作る。そこまでいかないと、資源枯渇とグ
ローバル化に対抗する道はないと思っている。それで、不耕起移植
栽培の塾を開いたり、都会の子どもたちに田んぼの魅力を教えたり
しているわけです。彼らは10年後には大人になるのです。 

 当初は、冷害対策と多収穫技術として始めた農薬・化学肥料も使
っていた不耕起移植栽培ですが、約30年の経験を通じて、ついに「
何も使わない」ところまで来ました。最終的に、耕さない田んぼで
生まれた米糠を田んぼに返すだけです。不耕起移植技術は、だいた
い80%、ほぼ完成の域に達しています。私たちが作ってきたマニュ
アル通りに栽培すれば、素人でも一年目からちゃんとお米ができま
すよ。ただし、本当に美味しい米ができるのには、田んぼの土が熟
成するまで、3年ほど待たなければなりませんが。みなさんも耕さ
ない田んぼに挑戦してみてはどうですか。 
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(2005年11月15日発行 『SENKI』)


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