2427.エネルギー問題は、取り組むべき基礎の基礎



エネルギー問題は、取り組むべき基礎の基礎じゃ。 虚風老

 人の争いを、
生物学的見地まで、枠を広げて、基礎的条項から立ち上がっている
問題としてみるならば、
生物というのは、エネルギー(食糧を含む)の利用と、そのための
テリトリー(領域)の拡大という傾向を持つんじゃな。(もう一つ
は生命の基礎としての水の問題もあるが)

その後の生物のふるまいや、まあ人間世界での成り立ちや争いなど
、社会化には複雑に見える部分も、実はこれを達成するための行為
が、装いを変えている場合が多いいのじゃな。

人間はその能力の大部分を外部化(道具を使う)することによって
拡大しておるために、外部装置を動かすためのエネルギーもまた必
要とするわけじゃ。

また、社会化するということは、集団でテリトリーを利用する方が
効率や支配率が高くなるためともいえるじゃろう。
ほとんどの力が、人力であった場合は、食料がエネルギーの基礎で
あり、その基盤は、
「農地」、「家畜用地」、「採集地」になり直接的に領地(テリト
リー)の争奪になるわけじゃ。
で、ほとんどのエネルギーは、食料か薪(火を起こせるモノ)等の
植物原料であった。

ところが化石燃料や電気等の利用がはじまって、エネルギー利用の
形態が変化し、高エネルギー利用時代に入り、エネルギーの利用の
仕方(高度技術化時代)がうまいところが、支配力を持つようにな
った。もちろん、今でも「食料」というエネルギーが基礎ではある
のはいうまでもないがの。
で、その為の資源争奪に目的が変化して戦争になることも多いいの
。(石炭、石油を巡る戦争)
また、産業余剰物を財(通貨)に変換するために市場の獲得や交易
力の支配が問題となりはじめる。テリトリーが、土地から、もそっ
と抽象的なものに変換されとるわけじゃね。
また、「変換力」そのものを支配するという高度なテリトリー争い
があるが、これは、金融・情報などにあたるじゃろう。(商業も変
換力であるといえるが、実物を扱うために交換力とでもしておこう
かの)

このエネルギーとテリトリーを巡る争いが、多くの戦争、争いの(
経済戦争も含む)基礎にあるともいえるわけじゃ。

まあ、何でこのような論を立てるかといえば、自分持ちの再生可能
エネルギーの拡大と、エナルギーの高度利用がますます重要になる
っちゅうことじゃな。
環境問題から注目されておるが、風力や、太陽力や、水素、その他
の環境のやさしいというエネルギーの重要な点は、「自分もち」で
あることを強調したいわけじゃ。

エネルギーのコストとか、出力の不安定性とかいう場合があるけれ
ど、不安定性は、広範囲、たくさんに均してネットワーク化してい
けば、相対的に小さくできるし、コストは大量生産大量利用(販)
が一番下げる方法でもあるの。
であるから、せめて15%以上になるまでは、それらのエネルギー
の生産・利用を国策として推進してやってほしいもんじゃ。
当面、原子力と自然エネルギーで、65%まかなえ、自動車の動力
にも変化がでてくれば、ぐっとエネルギー争奪による混乱でも、対
応はできるじゃろう。
そして、そのシステムは輸出もできるシステムであるし、国内産業
として軸にすることも、生産設置、保守点検、再利用等は新たな国
内産業としての雇用も期待できるであろうしの。

まあ、現代世界を行き抜くためには、もう一つは「変換」に注目し
て、それらがよりスムーズにいく方法を考えることも大切じゃろう
がね。
「流れ」というのは、常に変換されていくものの総体をいうんじゃ
からね。

                      虚風老
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江戸の豊かな暮らしぶり     石川英輔
http://www.ecobeing.net/people/pages/peopl06_01.html
―――ご著書『大江戸リサイクル事情』の中で、江戸は「植物国家
」だとおっしゃっていますが、まず、この「植物国家」についてお
話しいただけますか?

 僕が言った「植物国家」というのは、なるべく成長の早い植物を
原料にしてそれだけで生活している社会のことです。植物製品以外
で使用するのはごくわずかな金属、陶磁器。ただ、これらは消耗品
とは言えないですから、消耗品に関して言えば、江戸時代は100
パーセント、かなり成長の早い植物だけを使っていた。植物という
のは、育てれば再生します。だから、生活に使った植物原料の大部
分が1年間でもとに戻るんですよ。そして、それを育てることによ
って生活している人が日本人の大部分を占めていたわけです。農業
、林業はもちろん、漁業に従事した人もそうです。現代の人々は、
これらの産業はお互いに関係のないものだと思っていますが、江戸
の人々はそれぞれがつながっていることを知っていました。
 漁業では、森林が豊かでなければいい魚を大量にとることはでき
ません。最近になってこのことを証明したのが貝類です。森林が少
なくなると海がやせ、牡蠣などが大きくならないことがわかった。
そこで今、牡蠣や真珠貝の養殖業の人たちは、山に入って植林をや
っていますよ。

今では、林業組合、漁業組合が全く別の組織として存在しているで
しょう。ところが昔は、一体のものなんですよ。農業だけやってい
る人はいたでしょうが、漁業だけを専業にしていた人はいなかった
と思います。遠洋に出ませんから。つまり半農半漁というのが多か
ったんですね。要するに、江戸時代の人には、海と山と川がいかに
つながっているかが見えていたんですね。狭いところに住んでいま
したから。例えば、かつて北海道では「ニシン御殿」ができたほど
、大漁のニシンが押し寄せて、多額の富みを得た人々がいました。
ところが、最近はそんなにニシンが来なくなった。

それは川をコンクリートで固めてしまった所為ではないかと言われ
ています。とにかく戦後は、川をコンクリートで固めることが国家
的行事になっていましたからね。三面張りってご存知でしょう? 
最近になって建設省では、その誤りに気がついて、木曽川でかなり
大規模な実験をしました。そして、その結果、川は曲がっていた方
がいいとか、川原はコンクリートより草の方がいいということが実
証されたんです。遅ればせとは言え、官庁が誤りをみとめるのはい
いことだと思っています。このように、江戸時代の生活では農業も
漁業も全部が一体のものだった。その生活の有り様を僕は「植物国
家」と書いたのです。

―――では、「植物国家」の「国家」というのは、政治的な用語と
は違う意味でお使いになったのですね。

 江戸時代の「国」っていうのは、中央政権がないんです。今は、
東京の中央集権で、それが地方の財政まで支配していますね。これ
に対して徳川幕府は、そんなに人手がありません。江戸時代の武家
支配では、支配している武士の人数が極端に少ない。だから、理屈
の上では確かに「武家支配」なんですが、結局、町でも村でも実際
の行政は民間人が手弁当でやっていました。西暦1700年くらいから
幕末まで、江戸の庶民人口はおおまかに言って55万人くらいでした
。これに町奉行所の役人が290人、そのうち司法・警察が66人。面積
は山手線の内側と隅田川の向こうの本所深川まで、ですね。一方、
私が暮らしている中野区は、人口が30万人。そして、一般行政の区
役所の職員が、アルバイトも含めて約4000人です。

つまり、江戸幕府の圧制が批判されるものの、55万人が山手線の内
側と本所深川に広がっているような状況で、290人の役人がそうそう
弾圧できるものじゃないですよ。何しろ人数が非常に少なくて、今
私たちが「国家」と呼ぶものとは全く異なった行政形態でした。
幕末には270ぐらいの藩がありました。それぞれの藩が半分独立国で
、それぞれに藩財政を持っている。連邦制のようなものですね。要
するに、江戸の行政形態は今とは全然違うものですし、「植物国家
」の「国家」という言葉には、政治的な意味合いはまったくありま
せん

■100パーセント、植物を原料にする生活

―――「植物国家」の日常生活について、詳しく伺えますか?

一年生植物の代表格がお米。そして、幕末期に取引された商品の
36〜38%を占めていたのが米です。中期以降では1年間に3000万石
取れました。だんだん取れ高は増えていくんですけれどね。人口は
停滞しているのに、米の生産が増えるので、時代が下るに従って生
活は豊かになっていったんですね。江戸の食糧事情というと「飢饉
」が取りざたされますが、日本の飢饉は小規模なものです。暖かい
国ですから。

 むしろ、明治以降の方が庶民の生活は大変だったでしょう。近代
工業ができると、貧富の差が生まれますから。ところが「植物国家
」の時代は、金持ちといっても財閥のようなものがない。三井とか
鴻池なんていう大商人はいますが、彼らとて工業を持っていません
から。
 江戸時代の貧乏人っていうのは、産業革命以後に言われた「階級
」というものではありません。例えば、同じ長屋に医者も住んでい
れば、大工も山伏も住んでいる。あらゆる階層の人間がおもちゃ箱
をひっくり返したように住んでいるわけです。だから、裏長屋とい
うのは、貧乏人が住んでいたのは間違いないけれど、工場労働者と
いう一つの階級がいた場所ではないんですよ。

貧乏なのは、むしろ武士です。下級武士の生活の方が苦しかったで
しょうね。
ところで、日本というのは東西南北に長い国ですが、現代では石油
エネルギーのために日本中同じような生活をしています。日本中が
均一になっている。化石燃料のおかげでどこにでも早く行けて、す
ぐに帰って来られる。従って人間の移動が激しい。

 江戸時代の人も、僕らが思っているよりずっと激しく移動しては
いるんですが、それでも歩いていくわけですからね。北海道からネ
ギを持ってくるなんてことはあり得ない。そこで、食べ物は地元の
ものだけになる。だから、各地、多様性に富んでいるわけですね。
大豆なんていうのは、緯度が一度違うだけで何種類もある、という
くらい。米なんて日本中で1000品種くらい作っていたでしょう。だ
からこそ「植物国家」が成り立つんです。それぞれが地元の植物で
生活するわけですから。

 僕は庭で畑をやっているのでわかるんですが、種を蒔くと同じ植
物の中でも必ず、より丈夫なものが出てくるんです。見ているとわ
かります。それを食べないで、翌年種を採って蒔く。するとその中
でも強いものが残っていく。うちの京菜なんて、そういうふうに繰
り返した結果、今では自生していますからね。昔の篤農家はそうや
って、自分の土地に向いた品種を残していったわけです。そして、
昔の職業は世襲でしたから、代々その品種が受け継がれていくわけ
ですね。さらに、種は採れすぎるほど採れるものですから、種の交
換をやった。こうして日本中にいろんな品種が生まれました。


今、「名産」と言われる食物は、大体1700年代の中ごろにできたも
のです。八代将軍吉宗という人がやった「適地適産主義」というん
ですけれどね。
例えば、私の地元では練馬大根。ここの土地が大根に適していたん
です。生のままだと運べないので、沢庵漬けもできた。それから、
長野の越後境の野沢菜。あれはもともと禅宗の坊さんが京都へ修行
に行って、何の菜っ葉なのか、「京都の菜っ葉はおいしい」という
ので持ち帰って植えた。もともとは蕪ができる菜だったのが、野沢
で植えたら蕪の部分が小さくなって葉が生い茂った。その突然変異
の品種が野沢菜。今、野沢に行くとお寺の入り口に「野沢発祥の地
」という記念碑が立っています。そいうものが日本中にあるんです
よ。

 現在、日本の国土面積の68%が山林です。なぜそんなに広いかと
いうと、江戸時代に山林を大事に大事に守りつづけてきたからです
。だからこそ、今、先進国の中でも有数の大森林国なわけです。森
林は水を含むでしょう。従って、大雨が降っても洪水にならず、徐
々に水を放出する。しかも森林から流れる水はミネラルなどの栄養
分が豊富だから、水田耕作に非常に向いている。そこで、日本の水
田耕作は「肥料をやらなくても七分作」と言います。それほど水に
栄養がある。しかも、大部分の植物は連作障害といって、何年も同
じ植物を作りつづけると病気になりやすくなるものなのに、稲は水
が入れ替わるために連作障害が起こらない。だから、ああやって何
百年も同じところで作りつづけることができます。鍵は、木の生え
た山なんです。

 江戸時代に、この森林を育てた。藩には殿様がいて、自分の国を
守らなければならない。そこで殿様が家臣に「お前に代々、山林奉
行を命じる」と言えば、その家では子も孫も必死に守りますよね。
今みたいに3年で転勤になるってことがないんですから。それを日本
中でやっていたわけですよ。

そして、その一部を薪にしてエネルギー利用していた。1年間に育つ
木の成長量と薪にする量を比べたら、おそらく何百分の一も切って
いないでしょう。今の日本で、木の枝が1年間に伸びた分を何かの方
法で集めて燃やせば、総エネルギーの4分の1はまかなえると言いま
す。1億2500万の人間がこれだけ派手にエネルギーを消費している現
代でも、ですよ。もちろん、集めてくることにエネルギーが要りま
すから実用にはならないですが、それくらい木が豊かな国なんです
よ。

 江戸時代の初期は開発ブームで、新田開発なんかで荒れるんです
が、1650年ごろになると、それがよくないということに気づいて、
開発停止令のようなものが出ます。それから、今の山や今の畑を守
ろうということになりました。そして、1720年ごろから先の吉宗将
軍の治世が始まり、享保の改革が行われた。そのときに適地適産が
行われ、各地でいろんなものが作られるようになりました。

 アメリカ式の競争では、強い者が勝って弱い者をやっつけちゃい
ますよね。ところが、当時の日本のように多様性に富み、しかも各
藩の殿様が適地適産を奨励すれば競争にならない。まさに、共存共
栄ですよね。よく言われるように江戸の農民が本当に悲惨で貧しけ
れば、250年もの長い間そんな暮らしが続くわけがないと思いません
か。「植物国家」というのは、そういう広い意味でみんなが植物に
依存していく、そういう社会なんです。「植物国家」では食べる物
、着る物、あらゆる物が1年単位で循環する植物原料でできているん
です。

 今、一日に我々はおよそ11万5千キロカロリーくらいのエネルギー
を使っています。そのうちの10万キロカロリーが化石燃料です。石
炭、石油、天然ガス。これは燃やせばおしまいです。絶対に循環し
ない。二酸化炭素が増えるだけ。それがいろんな問題を起こしてい
ますね。ところが、江戸時代式の循環っていうのは、太陽エネルギ
ーだけなんです。動力は人間でしょう。せいぜいが水車。水車だっ
て太陽が汲み上げた水で動く。牛や馬だって、太陽が育てた草を食
べる。人間だって、去年の穀物、豆、芋で動く。去年の穀物類は太
陽エネルギーでできています。つまり、江戸時代の日本は、過去2、3
年の太陽エネルギーだけで動いていたわけです。

 ただし、少し例外はあります。越後では微量の天然ガスが使われ
ていました。また、九州の筑豊炭田に相当するところで、石炭が露
頭しているのを燃料に使ったり、瀬戸内の塩を煮詰めるのに使った
りした。そういう微々たる化石燃料は使われていましたが、それは
計算に入れなくてすむくらいのものです。

 今、太陽エネルギーっていうと、太陽電池だとかって言いますが
、その太陽電池を作るのにも膨大なエネルギーが要る。化石燃料が
要るわけです。風力発電の風車だってそうです。あの風車を作るの
にも大きなエネルギーが要る。使ったエネルギーを、できた風車が
動いている間に取り戻せるのかどうかも疑問です。

 江戸時代は、そういう間接的な太陽エネルギーの利用ではなく、
直接使っていたわけです。むしろ人間が植物に寄生しているんです
よ。利用していると言うよりも森林に寄生している、と言ったほう
がいいかもしれませんね。

■これから私たちがなすべきこと

―――「植物国家」は理想郷のように思えますが、欠点はなかった
のでしょうか。

 僕は今、いい面を言いましたが、「植物国家」的生活を実際にや
っていた人間は辛いですよ。だって全部自分がやるんだから。権力
者やお金持ちは人にやらせられますが、人にやらせるといっても、
その人たちにごはんを食べさせなくてはならない。馬を使っても世
話をしなくてはならない。こういった世話は現代の自動車には必要
ないことでしょう。

 江戸の暮らしは、自分のご先祖様だとは思えないくらい質素でし
た。今の私たちの生活はそういう辛さがなくて便利だけれども、で
も、その分だけ失っている。便利な分だけ、地球の表面に張られた
空気と水の薄い皮の部分をぶち壊しているわけですよ。

 進歩が好きな人っていうのは、進歩のいい面しかみない。でも、
不便さの長所っていうのも見なくてはいけません。「植物国家」は
たしかに不便だった。しかし、その代わりにいつまでも続く社会を
作り上げることができたわけですよ。つまり、『大江戸リサイクル
事情』の最初に書いたように、短期的に合理的なことは長期的に不
合理なことが多いのです。

僕の結論はただ一つ。特効薬はありません。ただ、今この瞬間から
誰でもできることがあります。それは、化石燃料を大量に使用する
生活は間違っているんだ、と皆が本当に思う、ということです。思
わなくてはどうしようもない。思うことは十分条件じゃないけれど
、必要条件なんです。だって、その必要条件を大部分の人は満たし
ていないでしょう。化石燃料をたくさん使うことは間違っているん
だと国民の大多数が認めれば、日本は徐々に変わっていきます。

 右肩上がりの社会が、ずっと続けばそれも必要ないでしょう。だ
けど、もう一度高度成長をやり遂げるような余裕は、おそらく日本
にはもう無いと思いますね。昭和35年ごろの段階で所得倍増計画に
乗らずに、それまでのペースで生活を続けていれば、日本は今ごろ
きっと、世界有数の環境大国になっていたんじゃないか、と僕は思
うんですけれどね。

 エネルギーがたっぷり使える豊かな暮らしというのは、人類の心
にとっても、体にとっても決して親切ではないんじゃないかと僕は
思っています。残酷でさえあるのではないか、と。人間が直立歩行
を始めて500万年。それに比べて、日本人がエネルギー多消費型の生
活を始めてわずか50年です。人類の生活が始まってから、わずか
10万分の1か20万分の1だけが、化石燃料による生活なわけです。

今の我々は間違っていると知るべきだ、ということです。進んでい
ることが必ずしもいいのではなく、進んでも間違っている部分が多
いことを知らなくてはいけません。


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