2426.次世代産業は江戸時代から探せ



省エネの技術を探っている間に、江戸時代に行き着いた。 Fより

江戸時代は鎖国していたが、欧州の進んだ技術が少し進入して、そ
れを日本文化が独自な形態で発展させた。日本文化のあり方を探る
のに、非常に参考になる。

・エネルギー
とうとう、世界の石油は中国やインドの発展で、不足し始めている
し、それに輪を掛けて、中東地域がキナ臭くなってきて、石油価格
が高騰している。1バーレル100ドルになるのも近い。ブラジル
はエタノールをサトウキビから作り、自動車燃料に使い始めている。

日本でもガイアックスが天然ガスから自動車燃料を作り、売りだし
たが、先の見えない経済産業省の役人が潰してしまった。石油の代
替策を準備していないから、今頃になって慌てふためいている。

日本は川が急でそして、水量もある。この天然資源を利用しない手
はない。マイクロ発電機を川に設置するだけで、無尽蔵に発電がで
きる。しかし、山沿いの町や村でしか、この発電はできない。江戸
時代も水車の設置していた所は、都市ではなくて、田舎であった。

田舎に精米所や機織や研磨があったが、その理由が水力を使った工
場しかできなかったからでしょうね。

日本の江戸時代を見ると、風車を利用した工場施設がない。日本で
は風力は船にしか利用しなかった。この理由も分かってきた。日本
では雷が多く、高い建物には落雷が落ちる危険があるためで、風が
強い地域が落雷も多い地域になっている。

船では北廻船が日本を縦断していた。これが物資流通の背骨を作っ
ていた。日本海を航行していた。大量の物流は船しかない。風の利
用は船でしょうね。

・商業・工業
中国やイスラム地域を見ると、工業より商業が発達している。これ
はシルクロードという交易ルート上にあるために、工場より商業の
方が儲けが多いためなのでしょうね。この交易に欠かせないのが手
形ですが、この手形のためにイスラム教が必要だったのです。

イスラム教を信じる商人は、手形を神に誓って、イスラム教商人に
渡したので、イスラム教がシルクロード沿いやアラビア商人が船の
交易をした地域にイスラム教が発展した。手形のために信仰したの
ですね。現世利益のためです。

江戸時代は商業が日本的に発展したのですが、ここにも手形が登場
します。この手形は神に誓いません。日本は多神教で、相手の信仰
を限定できないし、もし限定すると、お客を逃してしまいます。
日本は相手を信頼して、手形やつけを認めていたのです。人と人が
信頼するという社会ができていたのです。この時期に世界的にもこ
のような仕組みがあったことは驚異的なことです。

日本は信頼社会ですから米相場で先物という制度もあり、現代を先
取りしています。この先物を明治時代に英国の商人が真似をして、
英国で始めるのですから、日本の先端性は大変なことでした。

そして、日本はシルクロードの末端ですから、どうしてもユニーク
な製品を作らないと、商売の相手にされません。このため、江戸時
代は各藩が競ってユニークな物を作りました。その中で伊万里焼き
が出てくるのです。大きな置物の伊万里の壷が、欧州で1億円もす
るのですから、伊万里と同等品として、マイセン陶器ができた時の
ザクセン国王は大変な喜びようだったそうですね。しかし、現在、
有田焼きよりマイセンの方が高価ですし、日本人はそれを大量に
買っている。どうなっているのでしょうね。

この伊万里の陶工たちを秀吉が朝鮮から連れてきたのですが、朝鮮
では工人を大切にしていないが、日本は工人国家ですので、この陶
工たちは恵まれた社会的な位置になりました。工人の東郷家は鍋島
家の武士になり、明治政府でも要職に就き、今でも外務省では重要
な位置を占めている。

これ工人が青と赤の伊万里焼きを生むのです。この陶工たちの元々
の出身地は朝鮮ではなくて、景徳鎮ですが、南宋が元に攻められた
ときに、朝鮮に逃げ出したのです。

日本はどちらかと言うと、最初から発見したものより、改良が得意
のようで、その仕入先が古くは中国で、現在は欧米、特に米国にな
っているのでしょうね。この事例は明治政府にも引き継がれる。

欧州から高給で先生を連れてきて、日本人に各技術を教えてもらっ
た。このような方法を取った途上国はなかったように思う。技術の
習得は人から人に手渡しで教えてもらうしかないことを工人文化の
伝統で知っていたのですね。世界に面白い物があれば、連れてきて
、教えてもらうことが重要なのでしょうね。

・農業
各藩が競ったのは農作物の改革に繋がります。この基礎が生態系を
綿密に調査して各種の本になっている。二宮金次郎ではないが、農
学者、農経営学者、農生物学者などが江戸時代には多くいた。この
学者を各藩は召抱えている。このため、いろいろな品種改良や特殊
な農産物を争って、生み出しているが、この中でリサイクルシステ
ムが出来上がったのでしょうね。江戸時代の農業は、人間が必要と
している作物以外は畑に再度、返している。都市から出る生ゴミや
糞などと藁を堆肥にしていた。

蜂の幼虫なども農家では食していた。タンパクが豊富で栄養食にな
る。このような生態系を利用した仕組みを構築すると、省エネルギ
ーなリサイクル社会を構築できることになる。

もう少し、江戸時代の日本独自文化を研究する必要を痛感するこの
頃である。

・文化
江戸時代は、多色刷りの浮世絵など、遊びが発達していた。
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石川英輔先生:「植物国家」としての江戸
http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/dec00.html
バイオマスで生きた江戸時代
http://www.kanto.maff.go.jp/biomass/kyogikai/h15kouki/forum/ishikawakouen.html
江戸時代のバイオマス利用の一番わかりやすい例が稲作です。
1720年頃の人口は約3,000万〜3,100万人で、このう
ち半分近くの約1,400万人が稲作に従事していたらしいのです。
水田稲作ほど日本の国土に適した農業はありませんでした。同年代
のヨーロッパの小麦農業に比べると、江戸時代後期の水田稲作では
同じ面積でヨーロッパの10倍ぐらいの人口を養うことができまし
た。

 昔はなるべくわらの沢山取れる稲を作ったそうです。
 米は食べた後排せつ物となります。現在では膨大なエネルギーを
使って処理していますが、昔は下肥として販売しました。下肥は1
年以内に土に戻り、下水に流れることはいっさいありません。です
から江戸でも大阪でも川には飲める水が流れていました。井戸水は
雑用水、洗濯や掃除に使って、飲み水は川の水を使う。川に飲める
水が流れているというのは、世界中どこにもありません。

 農家にしてみれば、農作物を都市に入れると、肥料になって出て
くるということで、町というのは食べ物を肥料に変性する装置とい
う考え方もなり立つと思います。
 わらについては研究家の記録によると、半分は堆肥あるいは厩肥
として農地に戻しました。

 それから30%ぐらいを燃料、灰の材料に使う。灰は重要なカリ
肥料で、町を回って灰を買い集める「灰買い」という商売がありま
した。灰の文化は世界中にあるそうですが、灰を商品として商人に
売っていたのは、私の調べた限りでは日本以外どこにもない。灰も
一種のバイオマスとして、商品として通用している品物なのです。

 残りの20%ぐらいがわら製品になります。フォン・シーボルト
は、日記の中に「旅行しているとあちらこちらにわら靴の山がある
。旅人が決まったところで履き替えている。それを農家の人が持っ
ていって肥料にするのだ」と書いています。今の靴と違い、わら草
履は長持ちしないが要らなくなった途端に資源になる。燃やせば燃
料になり、その灰は灰買いが買っていきます。

 米もわらも1年経つときれいに消えてなくなる。これを循環させ
ているのは太陽エネルギーだけです。江戸時代の動力の99%以上
は人力ですが、人間は主に昨年度産の穀物で動いています。昨年度
産の穀物はだれがつくったかというと、昨年度の人間と太陽エネル
ギーがつくるのです。原料について考えれば、私たちは化石燃料製
、我々のご先祖はバイオマス製です。

 私は今まで「かつての日本は植物国家だ」という言い方をしまし
た。人間が植物を育てて、育てた植物に寄生して生きていたという
意味では植物国家です。これは格好よく「バイオマス国家」と言い
換えてもまったく同じ意味ですし、「いや、このほうが何となく聞
こえがよくて、格好がよさそうなので、これから『江戸時代の日本
はバイオマス国家だった』と言い換えようか」と思いました。
 バイオマスの利用としてはエネルギーがあります。最も直接的な
エネルギーは光と熱ですが、江戸時代の都市では行灯という照明器
具を使う場合が多かったです。

 行灯は非常に暗く60W電球の1/100〜1/50ぐらいです
。それから、煤が出て家の中が煤けてきます。昔は大掃除のことを
「煤掃き」といいました。ですから非常に欠点の多い照明器具です。
 しかしながら、行灯の油は菜種油や綿実油を使うことが多いので
す。この油は昨年度の太陽エネルギーの一部を油の形で凝縮したも
のです。燃やすと二酸化炭素と水になり、来年生えてくる植物の原
料になり油に戻ります。ですから、行灯の火を燃やすということは
、元に戻す循環の一部を人間が担っているわけです。人間が植物の
世話をしながら生きていたバイオマス社会です。
 それでは、バイオマス社会が快適かと言うと、今の方がはるかに
楽です。特に、私たちのように戦争中に子供のころを経てきた者か
らすると、あんなにつらいものはないです。

 でも、私は本当はそうではないと思うのです。猿人の時代から今
まで、私たちのゲノム、DNAの設計図はほぼ同じだと思います。
ですから、食べ物の足りない状態、寒さに耐える状態に合わせて私
たちの体ができていることは間違いありません。
 それをわずか50年かそこらの間に、こういう生活をして、私た
ちは楽なのですが、本当は非常な無理をさせられているのではない
かと思っているのです。
 なぜこんなに豊かになったのに社会問題が減るどころか次から次
へ増えるのか、皆さん方も思い当たられることがずいぶん多いと思
います。

 ですから、100%バイオマスの生活に戻れるわけなどありませ
んが、本当はそのほうが私たちにとっては、本当の意味では楽なの
かもしれません。
 では、これからバイオマスを利用するためにどういう考え方をす
ればよいのかということについて、江戸時代のエネルギー問題の研
究者としての私の考えを申しあげます。
 バイオマスの使用量を無理に増やす必要はないと思います。今の
世の中で化石燃料を1割でもバイオマスに代替することも難しいと
思います。

 では、何をやっても無駄なのかというと、むきにならずにできる
だけのことをやっていればよいと思います。皆さんがいろいろなや
り方を実験して、できる範囲で経験を積んでおかれることが、私は
非常に大事だと思うのです。
 なぜかと言うと、いつまでも化石燃料を使いたいだけ使える世の
中が続くとは限りません。第1の理由は、日本はこのまま経済大国
でいられるかどうかわからないこと、もう1つは環境の悪化で、化
石燃料が怖くて使えない時代が来るかも知れません。

 できるだけ広い範囲で、バイオマス使用を練習だと思ってやるの
が一番敗北感なしにやれる。それも、なるべく楽しくやればよいと
思います。
 1つ例をあげるとすると、日本の食料自給率はカロリーベースで
40%です。一方、京都市内の台所のごみを調べた研究家によると
40%が食べ残しです。ちょうど国産の農水産物をそっくり捨てて
いることになります。
 それから、1999年当時の科学技術庁によると、国内の農業総
生産額が12兆4,000億円、残飯に食品価格をかけると11兆
1,000億円とその約90%なり、国産の食べ物を全部捨ててし
まっているのと同じになります。
 ということは、我々は100%のうちの60%で生きており、
それでも太りすぎて困っている、まだ供給過剰となります。ですか
ら、食料の輸入ができなくなれば、捨てるのさえやめれば実質60
%の中の40%は国産となります。60%のうちの40%というの
は66.666%ですから、私は日本の食料自給率は現時点におい
て70%近いと思います。それで、残りの分はダイエット分で減ら
し、10%ぐらい輸入すればやっていけると思います。

 エネルギーも同じです。江戸時代のエネルギーの使用量は今の基
準によれば0kcalです。今は化石燃料だけで10万kcalも
使っています。これが5万kcalだったのは1970年ですが、
私はそのころの生活レベルとほとんど変わっていません。
 今の半分あれば、我々は十分やっていけるのです。ですからエネ
ルギーの供給が減れば、自動的にいやでもバイオマスは増えてしま
うのです。
 ですから、皆さまのようにバイオマスを一生懸命やっておられる
方がいらっしゃるのは本当に心強いことで、もう我々の身体にはバ
イオマスの利用は染みついています。まだ炭焼きの名人もたくさん
生き残っておられますし、新しいことをやっておられる方がたくさ
んいます。無理に増やそうなどとしなくても、バイオマスの出番は
いやでも出てきます。ですからそのつもりで、はりきらないで、な
るべくいろいろなことを続けてやっていただければよいと思ってい
ます。

 江戸時代はバイオマス以外の生活必需品というのはほとんどあり
ませんし、しかも成長の早い植物ばかりです。薪は成長が遅いと思
うでしょうが、森林国にたった3,000万人の人間がいて、1日
にせいぜい1,000kcal分くらいの薪しか燃やしませんから
、木の成長分の数百分の1しか燃やしていません。木が枯渇する心
配どころか、林業のうまくいった時代です。
 ですから昔の生活というのは非常に大変は大変なのですけれども
、一概に「昔の人はばかで我々が偉い」というほど、昔の人もばか
なことをしていたのではないということをわかっていただければよ
いと思います。


エネルギー消費量はほぼゼロ
http://www.iae.or.jp/publish/kihou/28-3/02.html


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