2373.堕落の朝鮮史



韓国 堕落の2000年史―日本に大差をつけられた理由 (文庫)
韓国や北朝鮮を見ると、日本と同祖同根であるはずなのに全然違う
様相をしている。この真相は何かを知るために、朝鮮史を調べた。
                Fより
1.古代朝鮮
日本の建国神話の中心である「高天原」の故地は、宮崎県高千穂で
はなく、韓国東南部の高霊であるという学説が出されて、注目を浴
びている。大伽耶の首都があった土地である。ニニギノ尊が倭国に
渡り、政権を立てたことになる。任那日本府としていた地こそ、日
本の元であった国となる。日本と朝鮮は同祖同根の可能性が高い。

新羅に562年伽耶国は征服されることになる。朝鮮は新羅、百済
、高句麗の三国時代へと移行する。この伽耶滅亡の危機を悟り、天
孫族は伽耶から玄界灘を渡って、九州地方に着いた王族や官僚たち
のことになる。この天孫民族が九州から大和へ攻め上ったのでしょ
うね。このため、古墳からの副葬品が韓国の古墳と酷似しているこ
とになる。

そして、四世紀末の応神天皇の治世に百済から王仁が来日して、朝
廷の記録を編纂することで仕えている。三国時代は、日本より学問
で優れていたために、学者を日本に送っている。このように古代朝
鮮は紳士の国でもあったようです。

2.朝鮮統一
しかし、新羅の朝鮮統一で状況が一変する。新羅は同一民族を統一
する手段として、中国の唐の力を借りて、唐の属国化して朝鮮を統
一した。660年百済、668年高句麗が滅亡。このため、新羅は
唐の元号を用い、名前や服装を唐風に改めた。このように中国文化
に組み込まれて、それまで持っていた韓民族の独立自尊心や旺盛な
活力を失ってしまった。しかし、朝廷内部のごたごたで、衰退する。

滅んだ百済の貴族は大和朝廷の重要な地位を得るが、滅亡した高句
麗の王子と一族は日本に亡命して、今の埼玉県の高麗を中心とした
地に入植し、高句麗の復興を願ったはず。

その願いが300年後に叶い、936年に高麗朝になり、ナショナ
リズムを甦らせて、韓民族の誇りを取り戻した。しかし、1231
年モンゴルが高麗に侵攻して来た。1271年に元朝。講和。しか
し、抵抗運動を行う。元が衰退して明が中国で起こるときに、領土
回復運動に入る。しかし、ここで、不幸が起こる。高麗の将軍の
李成桂が裏切り、クーデターを起こす。

3.李朝朝鮮
1392年に李朝を創建する。明の属国に成り下がった。明から朝
鮮という名を貰い受ける。李朝は宦官、朱子学などの中国文化を導
入した。朱子学は理念だけで形而上の問題で、現実を見ない。この
ため、いくらでも論争できる。そして、仏教を否定したためにお寺
は山に逃げた。そのために明に臣従することに基づく事大主義にな
る。李朝の下、農民を中心とした国民は、人類史上で最悪の搾取を
蒙った。経済的な施策がまったくない。

また、王朝は党派抗争をたびたび起こしている。世継ぎでは、多く
の王子が殺されている。殺して次の王になる習慣があり、北朝鮮の
世継ぎを見ていると李朝朝鮮そのものである。このような朝廷では
、上位階級の両班も私欲でしか動かない。公共心などない。

1592年、1597年に豊臣秀吉が侵攻してくる。李朝には常備
軍がなく、訓練もしていない農民兵を相手に、当時最大級の銃を持
つ日本軍は安々と朝鮮を蹂躙した。しかし、李舜臣の亀甲船に壊滅
的な損害を日本水軍は受けて、かつ明の援軍で敗退する。しかし、
この李舜臣はその後、嫉妬心からの党派抗争に巻き込まれて、失脚
する。

1392年から1910年の518年間李朝は続いた。明が滅び清
になると、その清の属国になる。日本が力を持つと、その日本に擦
り寄り、かつ清にも近寄り、日清戦争の原因を作り、かつロシア大
使館に王が逃げ込むなど、李朝の国際的信用を無くしていた。

1910年日韓併合で、日本に併合された。国民はやっと、李朝の
過酷な搾取を免れ、国土の開発が日本の手で進むようになったので
す。満州開発のために鉄道も整備されたし、学校も整備した。日本
になって、やっと国民は正常な姿になるが、戦後独立して、徐々に
北朝鮮も、韓国も李朝朝鮮に似てきている。そこが韓国と北朝鮮の
問題なのでしょうね。

この朝鮮史を知らないと、韓国と北朝鮮の現代政治が見えない。ど
うも両国共に、李朝朝鮮の現実を見ない朱子学の理念や党派抗争に
明け暮れているように感じるが、どうであろうか??

(資料)
韓国 堕落の2000年史―日本に大差をつけられた理由 (文庫) 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396314078/kokusaisenrya-22
==============================
朱子学 
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/nanboku/shusigaku.htm
朱子は「性即理」、つまり人間の本姓は理だと言います。でも理気
二元論ですから「気」もあるわけで、本性が「理」なら、「気」は
何を指すのか。

朱子学の強みは自然哲学の基礎の上にまったく新しい人間論を打ち
たてたことにあったといいます。人間は宇宙万物で一番優秀な存在
であるから最も純粋な「理」を持っているともいいます。朱子学で
はこれを人間が生まれながらにそなえた「性」、正確には「本然の
性」とします。

その一方で人間の形体は「気」であるから感情や欲望から完全に自
由になることはできない。この状態の性を「気質の性」と呼びます。 

それを朱子は心が「気」だと言います。
この心が運動して人間を悪い方向に導く。だから常に人間は動かな
い物体を研究して、本性である「理」を確認しなければならない。
そのために儒学という学問を学び続けなければならない。物を究め
て知識を確実にして修養をつまなくてはならないと言うのです。 


コラム目次に戻る
トップページに戻る