2331.撃ち方やめて、心身を脱落せよ



現代という芸術 16:撃ち方やめて、心身を脱落せよ

― 2006年3月29日、自由学園・明日館講堂(東京・池袋)で開かれ
た藤枝守作品のコンサート「植物の形姿 其の3 鈴木理恵子が弾
く 植物文様 ヴァイオリン・コレクション2006」を聴いて ―

 
平均律の調律ではないピアノの音が、まるで自然の音のように心に
染み入ってくる。ぽつぽつとまるで雨だれのようなピアノのソロが
しばし続いて、ピアノに合わせるようにヴァイオリンがおそるおそ
ると音を出し始める。

われわれはもともと植物であったという生命記憶がよび覚まされた
のか。なぜだかわからないけど、涙が流れ出してとまらない。魂の
一番奥底にある、意識以前の部分に対して、音はやさしく包み込む
ように、かたりかけてくる。

力を抜きなさい

体と心の動きを止めなさい

まるで禅宗の老師の導きのよう。

撃ち方やめ、只管打坐。ただただ座れ、心身を脱落せよ。

対位法なんて、さかしらな人間が作り出したちっぽけな決まりごと
にすぎない。

自然を見よ、そこに宇宙の法則があるのに、お前たち人間は気づか
ない

永平寺で道元が語った「永平広録」を思い出す。道元は、宇宙の法
則を仏法と呼んだ。人間中心でものを考えるから、人類は過ちを犯
してきたのだ。そろそろ気づけ。

途中、ピアノに代わって笙とヴァイオリンの二重奏は、二つの楽器
が渾然一体となり、人間が植物と一体化した意識をもちうることを
高らかに歌い上げていた。

   自然に学べ。そこに法がある。絶対平和の心がある。

植物のように攻撃性をなくして、宇宙の法にしたがって生きなさい。

日本は、国としては60年前に滅びたのかもしれない。戦争に負け
て、国家元首が敵国の虜囚となったとき。だが、国家も主権も、所
詮は人間間でしか通用しない、人間だけの決まりにすぎない。国滅
びてもなお新たに文化が生まれつづけていることに、日本という国
の奥深さと希望を感じたコンサートだった。
(2006.4.2)

得丸
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各位

すぐに得丸様のお勧めの本買って読みました。いやこの時代コンク
リートの構造物は止むを得ないとしましても、原色のカラーを強い
て使う意味が、何パーセントかのカラー刺激になれたヒトには逆療
法で必要かもしれませんが、やはり緊張を招くか、更なるカラー刺
激を求めるか、麻痺する可能性も有るのでは無いでしょうか。

彼の言う、常識や先人観に縛られている、打ち破るため、という発
想もわからないでは無いのですが。地球を優しく慈しむためには、
自然の色が建築材が好ましいのではないでしょうか。彼のような異
端が出てこそ、学ばせられるのも真理ですが。やはり提案はプロボ
カティブで無ければいけませんが。

少なくとも、まだ自然に触れることの少ない赤ちゃんには最初に触
れて欲しくない建造物に思えます。

蛇足ですが、小生の団地のメールをコピーして載せます。庶民は現
時点では、これが問題、日本の問題、勿論延長線上に芥子粒ごとき
、荒川さんが見えます。以下コピー     浅山
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春野シニアメール倶楽部 各位

 耐震偽装問題はいよいよ当事者へ の取調べに発展して本格的な真
相究明に期待がもたれますが、責任の所在がある程度はっきりした
ところで被害者には何の希望も見えず、本当に気の毒なことだ とお
もいます。

幸い我々の住居については公団からのお墨付き(?)が出て安全に
ついては多少なりとも安心できそうです。ただ先日の自治会総会の
中で安全の 目安についての質問が出て坂口元会長も説明しておられ
ましたが、確かに理論上は震度7の地震に対しても対処できること
になっているようです。耐震法といわ れる宮城県沖地震後に改正さ
れたこの建築基準法のコンセプトは人命の安全ということとのこと
、たとえ建物が傾いたりねじれたりしても、倒壊して人を殺すの は
最小限度にということらしいので万が一そうした地震にあったら我
々には命は助かっても住むことの出来ない建物の残骸だけが残り、
あのヒューザーマンショ ンの犠牲者と同じ立場になることだけは覚
悟が必要ではないかとおもいます。

 今日はその話ではありません。実は先日昔高校の同期で,ある準大
手の建設会社にいた男 と偶然会いしばらく雑談を交わしました。
その中でその日新聞に出たクボタが被害を与えた住民に対しての
4000万円を超える保障を決定したアスベストの話 が出ました。
彼が入社したてのペーペーの頃は建物の鉄骨の梁や柱に毎日によう
にアスベストを吹付をする現場に監督として立ち会っていたとの事
です。耐火被 覆と言いまして、火災の場合の熱によって鉄の強度が
低下するのを防止する手段として基準法でも定められた手法であり
、昭和50年の法改正までは公共の建築物をはじめ商業ビルなど鉄
骨鉄筋の建築物には当然のごとく使用されていました。彼の話によ
ると当時吹付けに従事した職人のうち数名が例の中皮腫で治療を続
けていたとの事でその後死んだかもしれないとの事でした。「俺も
死ぬときは悪性中皮腫かもしれない」と言いながら1時間足らずの
間に4本も5本ものタバコを吸う彼を見て「そっちのほうがもっと
危ないよ」と言いたくなりましたが。

 それともうひとつ、私の棟の1階のアルコープやエレベーターホ
ールの天井に張られているのはロックウール吸音板というやはり石
綿が含まれている内装材です。他にも 耐火性を重視した建築材料と
して一時期石綿が相当使われていたようです。瓦一辺倒だった木造
建築に石綿を使ったセメント系の軽量な屋根材(クボタや松下電工
製)が一時期ブームになったこともあります。そのほかにもたとえ
ば自動車のブレーキに使われるデスクの素材は石綿であるとか昔は
普通に使われていた芯上下式の石油ストーブの芯はやはり石綿だっ
たようです。

 無論そのまま屋根材や内装材として使っていればどれも安全性に
問題は無いのですが、例えば古いビルの解体時に石綿が飛散したり
、セメント系の屋根材や石綿を含んだ内装材が家屋の解体によって
無造作に産業廃棄物として運搬や堆積されている事をそれほど危険
にはおもっていないのが現状です。

 今更、我々年寄りがビクビクする必要は無いことですが、少なく
とも未来のある若者たちへは警告しておく必要があるようにおもい
ます。
長くなってしまいました。アスベストの危険性は充分承知していて
もあまり身近なものには感じていない日常に不安を覚えて書いてみ
ました。
高橋 光一
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浅山 正治 さん、

荒川を弁護するというよりも、あの建築について正当な理解をして
いただきたいので、一言コメントします。

まず、あそこで使われている色は、原色ではありません。微妙に合
成されている、居心地、見心地のよい色なのです。

それと、自然をみてください。灰色一色とか、黒一色というものは
ありません。平面も、直線すら一本もありません。
たとえば、うちの会社の近くにある小石川後楽園の庭は、若葉の緑
、深い緑、新芽の緑、つつじの赤、八重桜のピンク、などなど、す
べてはっきりとした色です。それがまとめて目に入ってくると、と
ても心地よいのです。

ですから、普通のマンションや住宅こそが不自然で、荒川の住宅の
ほうが、より自然に近いのだと思います。

得丸久文
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家屋。浅山

言葉で自然を論じることの難しさ、貴方も自然の豊かな地方で育た
れた方、原点に原郷の自然を心に意識、無意識に関わらず持ってお
られるはずですから。無碍に貴方の言葉を否定は出来ませんが。
先ずは原郷に照らせば、コンクリートや化学染料よりは、自然の花
や木々の提供してくれる色、自然の提供してくれる感触、この感じ
を大切にしたいと考えるわけです。確かに現代文明がここまで科学
利用による新建材を得て、さらに自然の創造物を超える「堅牢さ」
という経済性の人工物により生活しなければ生きられないという、
現実は認めます。

近い未来の住環境を先取りして、その日のために学習する、予習す
る価値は否定しません。荒川の作品の存在意義を現代から未来への
延長線上に、芥子粒的見えるものがあると思いますし、それを紹介
頂いたことは嬉しく。その内、一度訪ねて行くつもりです。


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