2330.失われた座標軸



失われた座標軸   S子   

▼ルネサンスがもたらした世界観
14世紀から16世紀にかけて全ヨーロッパに広まった文化革新運動の
ルネサンスは、暗黒の中世から脱却するための人間中心主義、合理
主義、現実主義という世界観を基調とした文化だった。が、そこに
権力からの解放を目指した人間賛歌が見られたとは言え、相変わら
ず王侯貴族のパトロンや教会の庇護をなくしてはルネサンスは開花
することはできず、真の意味での権力からの解放や自由ではありえ
なかった。

現在我々が目にしている芸術全般の世界観は、実はこのルネサンス
の延長線上にあるために、ルネサンス芸術は今現在でも何の違和感
や抵抗感もなく、否、むしろ親近感や共感をもって我々の視覚を満
足させてくれる。

だが、このルネサンス以前と以後とでは我々人間の世界観はまった
く一変しており、特にルネサンス芸術における遠近法は今日の科学
の萌芽となり、科学の自然支配を予見させるものであったようだ。

ルネサンス以前の絵画では、人間の内面的世界観が自然描写の中に
混在されて描かれており、そこには多くの空間階層としての本来あ
るべき世界が描かれていた。

ところが、ルネサンス芸術は人間の内面的世界観よりも、目に見え
る外的世界にのみ徹し、二次元、三次元空間という限定された部分
的世界を描写、創造していった。

ルネサンスがものごとに内在する本質を無視、否定することで、多
様な空間階層としての本来あるべき自然な世界観は姿を消し、人間
の視覚のみに依拠した切り取られた不自然な部分的世界観がヨーロ
ッパを中心にして世界に広まっていった。

▼不要な秩序
ルネサンスのこのような姿勢は、人間の視覚世界に依拠する外的世
界観の割合を徐々に拡大させ、相対的に人間の内面的世界観は徐々
に失われていくこととなった。それに伴い人間の思考形態も切り取
られた部分的な視覚世界に依拠したものや、区分、分類といった、
そこに優劣性や二項対立を生じさせたもの、数学的、抽象的概念や
合理性、理性といったものに変化し、それらに支配されるようにな
った。

歪んだ不自然な世界観による思考形態としての区分や分類は、本来
あるがままの多様な空間階層に人為的に仕切りを入れることにより
、不要な秩序というものを生じさせた。本質を失った世界観に加え
て、人為的に不要な秩序を導入したことで、我々人間と自然はます
ます乖離を深めていった。

そうして、我々人間と自然はまったく別世界の住人として分断され
、互いに相容れない存在となり、それゆえに科学の芽が自ずと息吹
いたと言えるだろう。

自然と交信できなくなった人間は、科学的判断で自然を理解、支配
するという一方通行のコミュニケーションをとることで、自らの歪
んだ不自然な世界観に折り合いをつけ、それを正当化させたのだ。

▼人為的秩序と科学の発達
ひとつの領域に仕切りを入れ、ものごとを区分、分類しながら新た
な秩序体系をそこに構築してゆくという思考形態は、科学をより細
分化させる方向へと導いた。細分化と秩序の構築を際限なく繰り返
してゆくことで、科学は超ミクロの世界へと向かい、今日のES細胞
研究やナノテクノロジー開発にまで至った。

情報戦争と言われている現代社会においては、ナノテクノロジーは
不可欠であり、我々はその恩恵を十分に実感として受け止めている
。そして、生活のあらゆる面において科学が我々にもたらした輝か
しい功績を実感すればするほど、我々の思考形態は科学万能主義に
支配されてゆく。

細分化と秩序の構築という「分断方程式」は科学の発達には不可欠
な思考形態であり、それなくしては今日の科学の発達を見ることは
なかっただろう。

しかし、「分断方程式」による人為的秩序の構築には科学の孤立性
という問題が含まれており、そこでは全体とのつながりは遮断され
てしまっている。秩序を構築すれば細分化された世界で孤立を強い
られる科学は、全体から切り離されてゆくことで、必然的に「分断
方程式」という選択を余儀なくされたと言うこともできるだろう。

しかし、物質界には必ず限界点というものが存在する。世界がカオ
ス状態にある今日、科学もまた同様の状態に直面しているようだ。
「分断方程式」による科学の孤立性は、ますます全体像を捉えきれ
なくなり、我々人間の世界観はより一層貧しいものとなってゆくよ
うだ。

▼カオスと秩序
ルネサンスがもたらした不自然な世界観とそこから発生した科学の
「分断方程式」による不自然な秩序の構築、それとともに我々の思
考を支配してゆく科学万能主義は、本来我々人間が備えていたもっ
と豊かで柔軟な思考や発想を奪ってしまったのは、もはや否定でき
ない事実である。つまり、現在の我々のあらゆる思考を牛耳ってい
るのは科学的思考形態だということである。

冷戦終結でイデオロギーの対立は終わり、世界秩序が喪失したと我
々は認識していたが、そもそも世界に秩序というものなど存在しな
かったのである。それは我々が人為的につくり出した秩序であって
、本来の世界はカオスだったのだ。

現在の安定したかに思える我々の生活も科学の孤立性の中から生じ
たもので、「分断方程式」による部分的な捉え方でしかない。しか
し、孤立した世界の住人である我々には全体像を把握することはで
きなくなっている。

多様な空間階層としての豊かな世界観を捨て去り、自然との交信も
途絶え、我々は不自然な仕切られた部分的世界の秩序の中だけで生
きている。仕切られて分類された秩序というものがなければ存在す
ることができないと我々は思い込んでいる。

冷戦終結は人為的秩序の喪失を意味し、それはまた、区分や分類と
いう仕切りが取り除かれ、我々に本来のあるべき多様な空間階層と
しての自然な世界観という全体像が戻ってきたことを意味している
。

世界は人為的秩序ではなくカオスという自然な秩序を取り戻したの
であり、我々を支配している科学的思考形態から我々自身が解放さ
れることであり、人間本来が持つもっと豊かで柔軟な思考や発想に
転換し、生きていかなければならないということである。それはつ
まり端的に言えば、我々が家畜状態から野生本来の人間の本能に帰
ることでもあるだろう。

▼失われた座標軸
ルネサンスにより開花した新しい「科学的地図」を座標軸にして我
々はものごとを判断し、方向性を決定しながら今日まで生きてきた
。「科学的地図」の存在は我々にとって偉大であり、全てであり、
絶対的なものであり、我々の存在には不可欠であり、ゆえに我々は
「科学的地図」の支配下に置かれて生きることを望んだ。

しかし、それは部分を見ながら孤立して生きてゆくということであ
り、人間の本質を失うことであり、多様な空間階層としての自然な
世界観という全体像を失うことでもあった。

我々が今日まで見てきたもの、また、我々が好んで見ようとしたも
のは科学の素晴らしい功績による光の部分ばかりであり、科学の恩
恵にあずかることの利便性や快適さばかりという、科学を賛美する
ようなものばかりであって、決してそれによって失う闇の部分には
あえて触れてこなかった。

それはまるでルネサンスによって新しい不自然な世界観を得て、人
間中心主義だ、自由だとそれを謳歌しているようでも、実際は王侯
貴族や教会の庇護を必要としなければならず、真の意味での権力か
らの解放や自由ではなかった当時の状況と何ら変わらない。

科学の恩恵を受けて人間は宇宙に飛び出すことができる、日帰りの
海外旅行もできる、世界各地のおいしいものを居ながらにして食す
こともできる、人間の英知とは何と素晴らしく、我々は何て自由な
存在なんだと錯覚している現状は、まさしくルネサンスのそれだ。

「科学的地図」は我々に新しい世界観を提供しはしたが、それはま
た部分だけを観察し、孤立性を深めるものだった。古い地図の多様
な空間階層としての全体像を失った我々には自然とのあらゆるつな
がりはまったく見えない。

世界がカオス状態にある今、我々は「科学的地図」を座標軸に何と
か以前のような秩序を取り戻そうと、ものごとを「分断方程式」で
細分化しながら孤立した世界で一部分だけを分析し、現状打破を探
っている。

しかし、つながりの見えない「科学的地図」では自然な秩序である
カオスという全体像を捉えることはできない。科学的思考形態に支
配されている我々に今必要なのは、多様な空間階層としての全体像
である古くて新しい地図という失われた座標軸をもう一度取り戻す
ことである。

▼一が全てで全てが一だ
カオスとはギリシャ語であり、辞典では「混沌」と訳されているが
、科学の分野においては、非線形動力学の一部であり、「非常に高
度な複雑性をもった秩序」であるようだ。

我々の方向性を決定している「科学的地図」という座標軸では、「
分断方程式」という整然とした網構造であるために、カオスのこの
ような非線形思考を捉え、理解することはまずできない。

カオスには変化の中の安定性というものがあり、それは我々がシン
クロニシティ、偶然、同調という言葉を通して理解している結晶化
現象のことである。

カオスにおける結晶化現象を知ることは、我々の存在が個でありな
がら全体でもあり、意識の深いところで我々は一つにつながってい
るという古くて新しい地図をもう一度我々に想起させてくれるもの
だ。

アメーバの例をとりあげて、我々が失った座標軸である多様な空間
階層としての本来の世界観を思い出してみたい。

「アメーバは単純な分裂によって繁殖するので、時間が経つと、一
つの細胞から子孫が増えてある領域を覆うようになる。だが、そう
した増殖は無限には続かない。いずれまわりの食物が尽き、コロニ
ーは飢えに直面する。けれどもこの時点で驚くべきことが起こる。

一つ一つの細胞が内側に向かいはじめるのだ。はじめはただ集まる
だけだが、しだいにまとまって複雑な一つの生物体になる。生活状
況が変わると、たくさんのばらばらな細胞が一つにまとまり、個性
を殺してナメクジのような生物体をつくるのだ。そこでは個々の細
胞が、全体に奉仕すべき特別な役目を狙っている。

この集合的ナメクジは、次には食物を求めて新たな土地へと森の地
面を移動しはじめる。そして、また動くのをやめると、ふたたび形
を変える。今度は空中へ細い柄を立て、そのてっぺんに胞子のかさ
ができる。このかさが破けて、たくさんの胞子が森を漂い、新たな
草木へと身を落ち着ける。胞子は成長して一つ一つの新しいアメー
バとなり、分裂を起こして新しい粘菌のコロニーをつくる。

このようにアメーバは、状況に応じて単一の個体にもなれば、一つ
の生物体の中の一細胞になることもできるのだ。」
(「賢者の石」p95〜p96)

参考文献 「賢者の石」 F・デーヴィッド・ビート著 日本教文社
     「新しい自然学―非線形科学の可能性」
                   蔵本由起著  岩波書店
     「気の超力」 西野皓三著 実業之日本社
「ルネサンス」の概念
http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/rinascimento.html
          「ルネサンス研究発達史」
http://www.tabiken.com/history/doc/T/T155L100.HTM

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