2323.フランスに水屋神社旋風巻き起こる



フランスより緊急報告 

〜助勤神職は目撃した! フランスに水屋神社旋風巻き起こる〜

パリ在住水屋神社助勤神職 武部磨美


 至る3月23日、久保宮司御一行がパリに到着され、5日間とい
う短いフランス滞在の間に、参加された方々それぞれが、実に様々
なご活躍をされた。

 ホテルに到着された御一行と助勤神職が合流したのは同日の夕方
。フランスに到着された最初の夕食(結団式を兼ねたもの)を取る
ために、ホテルを出る。レストランに予約はしておらず、歩きなが
ら適当なところを見つけようということだった。10分程歩いたと
き、「ここにしようか」と、あるレストランの前で久保宮司が足を
止められる。……え、ここ? でも、ここタイ料理レストランです
よ! フランスに来られた最初の記念すべき夕食が何故にタイ料理
!? と、戸惑う助勤神職を他所に、久保宮司を先頭に御一行は店
に入られていく。が、そのレストランは、飛び込みで何の情報もな
く入ったにも関わらず、メニューは豊富、味は抜群、日本語の話せ
る店主もいて、しかも店員全員が親切という、大当たりの店だった
のだ。こんなところにも、良いご縁をもたらされる水屋神社の御神
徳の一端を垣間見、背筋に戦慄の走った助勤神職であった……。

 翌24日、「アルベール・カーン庭園」を表敬訪問。ここはブロ
ーニュの森で有名なブローニュ・ビヤンクール市が所有する庭園で
、敷地の半分が、フランス国内でも珍しい本格的な日本庭園になっ
ている。園長さんと御歓談された御一同。とりわけ久保宮司は、そ
のユーモア溢れるオープンな御性格で、園長さんを魅了された。

 25日、ブルゴーニュの光明院にて、フランス全土の安泰と世界
平和、そして日仏友好にも願いを込めた、広い意味での地鎮祭が執
り行われる。見学者は50人余り。
勿論、大半は神事を初めて見るフランス人。彼らは、神事の始まり
から終わりまで、日本の伝統儀式の粋を息を詰めて見守っていた。
斎主をお勤めになる久保宮司のお姿を間近で拝見させて頂いていた
私、助勤神職の感想は、「か、かっこいい・・・!」の一言。こう
言っては失礼かもしれないが、普段は、お茶目で、周囲を笑いの渦
に巻く久保宮司が、一度神事に臨まれると、凛々しく厳かな面持ち
の別人に変わられるのだ。
 奏上された祝詞には、日本人関係者の名は元より、光明院さんを
始め、フランス人協力者全員の名も含まれていた。その中のひとり
、ジャーナリスト、ポーラン・ガリシーさんは、祝詞の中に自分の
名が奏上されるのを聞き取り、久保宮司の細やかなお心に感動し、
目をしばたたかせていた。一般の方はあまり御存知ないかもしれな
いが、 

祝詞というものは、神事の都度、その神事の性格や人々それぞれの
祈念事に応じて、神職によって作成されるものである。神事の「成
功」、つまり、参拝した人々に「ああ、いい神事だったな……」と
思ってもらえるかどうかは、これを行う神職が、人々の祈り願う気
持ちを汲み取る繊細で深い心と、これを神々にお伝えしようとする
誠実で真剣な意志を持っているかどうかによって決まると言っても
過言ではないのだが、久保宮司は、まさにそういう心と意志をお持
ちになっている方なのである。

 この地鎮祭のために仮説された御神前も、光明院さんの御協力の
お陰で、日本でするのと変わりない、いやそれ以上の大変立派なも
のとなっていた。日本酒に添えて、ブルゴーニュ特産のワインやケ
ーキ類がお供えされているのも、まさに日仏友好の神事に相応しい
御神饌であった。
 地鎮祭後は、フランス人杖道家リュック・ブレル氏・ロール・リ
ヴィエール女史による杖道演武奉納が行われた。「神事で、演武が
できるなんて光栄です!」と両氏は感激していた。

 その後、光明院さんの御自宅のサロンに場所を移して直会となる
。日仏の人々が入り交じり和気靄々とした雰囲気の、大変楽しい直
会となった。卓上には、日本酒とワイン、赤桶の清水、スモーク・
サーモン、キャビアなどを乗せたパン、トマトソースのマカロニに
、フランスの特産であるチーズが数種類、デザートには、ケーキ数
種類と、羊羹、加えて日本人の参拝者がお供えしてくれた手作りの
カステラが仲良く並び、 

「日仏友好」を象徴するかのようであった。
 この日仏親善メニューを一番喜んでいらしていたのは、何と、
久保宮司のお母様である御歳74歳の貴美子さん。普段は日本の家
庭料理しか召し上がらないそうで、御家族の方々は、貴美子さんが
フランスの食事に慣れず体調を崩されてしまうのではないかと御心
配されていたそうだが、蓋を開けてみれば、「フランスの味」を一
番喜ばれたのは、貴美子さんだったとのこと。異国文化に適応でき
るかどうかは、「食」という日常的な要素が最も重要であるが、お
歳を感じさせない貴美子さんの優れた順応性には本当に驚かされた。

 一方、宮大工の嶋田さんは、建築に興味のあるフランス人からの
質問攻めにあっていた。嶋田さんにとっては、これが初めての地鎮
祭参列だったそうだが、フランスでの地鎮祭が初めての参列となる
という希有な経験をなさる宮大工さんは、他に先ずいらっしゃらな
いだろう。運送会社社長である南さんは空手家でもあり、杖道演武
をされたリュック氏と意気投合。「次回は、日本から武道家を連れ
てきます。武道も神に通じる道であり、日本が育んで来た重要な文
化。武道奉納の面もこれからどんどん充実させていきましょう」と
決意を新たにされていた。

 久保宮司の妹さんである和子さんは、「神事を御覧になった感想
を、是非この場にいらっしゃるフランスの人達にお聴きしたい」と
提案され、フランス人に些かショックを与えた。というのも、フラ
ンス人の間で、日本人は「大人しく、控えめで、自分からはあまり
意見を言わないもの」と思われているからだ。和子さんの積極性は
、フランス人の日本人に関するこの「通説」を見事に覆したことだ
ろう。この提案に応え、 

フランス人から寄せられた感想は、「神道というものを、肌で感じ
ることができたような気がします」、「ひとうひとつの動作に、自
然を崇拝する象徴的な意味が込められていたのが良く分かりました
」、「儀式そのものがとても美しく洗練されていて、非常に感動し
ました」というもの。和子さんのおかげで、フランス人に神道の心
がちゃ んと伝わっていることを確認でき、私達こそ、感無量だった。

「日本人は、大人しく控えめである」という通説を覆したのは、和
子さんだけではない。直会がクライマックスを迎えたのは、ピアニ
ストでもある杖道家のロール女史が、 

「私の知っている日本の歌を一曲披露したい」と申し出てきたとき
だった。その歌は「黒田節」。ロール女史はこの歌が好きで、CD
を入手し、日本語で歌えるように練習を重ねていたのだ。その彼女
が、「日本の皆さんも一緒に歌ってくれませんか?」と求めたとき
、思わずたじろぐ日本人の中で、「歌いましょう!」と一番に名乗
りをあげて下さったのは、何と、「フランス水屋神社建立実行委員
会」会長の吉住先生!
 普段は、控えめで、物腰穏やかに私達を見守って下さっている吉
住先生。しかもお酒を一滴も飲まれない方なのだ。その先生が、「
酒は飲め飲め、飲むならば〜」の黒田節を、こぶしを効かせつつ高
らかに歌いあげられるのだ。しかも、プロの音楽家顔負けの素晴ら
しい美声と声量! 

 もうひとつ絶対に忘れることができないのは、久保宮司のもう
ひとりの妹さんである礼子さんが、この「黒田節」の歌声に乗せ、
見事な踊りを披露して下さったことだ。 

日本舞踊にアクロバティックな動きを取り入れ、伝統的であると同
時に前衛的、且つ斬新な踊りに、日仏双方の見学者が度肝を抜かれ
、そして場内は拍手喝采の嵐に包まれた。

 御一行は、この後、ブルゴーニュの一都市であるオセールを廻ら
れた後、パリに戻られ、フランスの友人達との再会を期し、27日
にフランスを後にされた。

 フランスに「水屋神社旋風」を巻き起こした久保宮司御一行。
それぞれが意外な素顔を披露され、フランスの人々を驚かせ、感動
させ、日仏交流の輪を広げる御活躍をされた。でも、一番驚かされ
たのは、今これを書いている助勤神職かもしれない……。 

            水廼舎學人/久保憲一
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ランス分社地鎮祭報告 水屋神報147号より 
http://www.mizuya.org/01_shimpo/heisei18/shimpo_174.htm 
宮 司


 宮司の一行七名は水屋神社フランス分社建立のために渡仏、三月
二十五日、光明院において地鎮祭を無事斎行して来ました。お祭り
での宮司挨拶は次頁の通りです。パリ大学六年生の武部磨美さんが
この祭りの助務神職をつとめてくれました。またフランス人武道家
リュック・ブレル氏のたっての希望で、杖道のすばらしい演武が披
露されました。
 この地鎮祭の様子が現地の新聞に掲載されましたのでご紹介いた
します(本紙三頁参照)。ご笑覧ください。あくまでフランス人の目
から見た神道観で面白い見方と表現ですが、この記者に相当正確な
神道の知識があることに驚かされます。
 農業や自然との関わりにおいて真砂(忌鎌、忌鍬などを使用した
鎮め物の儀)が、また武道との関連において破魔弓(四方祓いの儀
)が、彼の目には特に印象深く映ったようです。どうやら周知のご
とく、この国が先進工業国であるとともに、世界一、二位を争うよ
うな農業国で、日本武道のきわめて盛んな国という事にその理由の
一端がありそうです。
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ブルゴーニュ分社建立地鎮祭における宮司挨拶

 そもそも日本は往古(おうこ)より「豊(とよ)葦原(あしはら)瑞穂
(みずほ)の国(くに)」と言われてきました。気候が穏やかで、四季
の変化に富み、豊かな自然の中に生活した我々の祖先は、やさしい
恵みと、時には厳しい試練を与える大自然に、人間を越えた霊力を
感じとりました。そして我々の祖先たちは森羅万象(しんらばんしょ
う)を司(つかさど)って、国土を創り、国や人を護る神の存在を知り
、これらの神々に「感謝と畏敬」の念を捧げてきました。これが日
本の「神道」と呼ばれるものです。
 神道には、教祖、教典はありません。したがっていわゆる一般的
な宗教の範疇(はんちゅう)には入りません。事実、神社には仏教徒
はもとよりキリスト教、イスラム教、その他さまざまな宗教の信者
が多く参拝されます。要するに神道の根本精神は「敬神崇祖」であ
り、この精神は人種・民族・宗門宗派を越えて世界共通・人類普遍
の「平和原則」であると思われるからです。
 ところで水屋神社は昔からとくに「縁結び、子授け、安産、水に
関わる商売」に霊験(れいげん)あらたかで、近頃では「地球平和」
と「水への感謝」の祈願者が大変多くなっています。そしてご縁あ
ってフランス真言密教寺院・光明院境内においてフランス分社建立
地鎮祭を行なわせていただく理由は、この地に、ブルゴーニュ地方
はもとより、フランス国、ヨーロッパ大陸、ひいては地球の平和を
願って「鎮守の杜」をつくり、日本人の文化と心の底流にあるもの
皆様に感じ取っていただきたいと思うからです。 日仏両国民の協
力の下に「地球平和」と「水への感謝」を祈る神社とその鎮守の森
が建立されることに我々は歴史的な意義を感じる次第です。
 本日、多くの皆様のご参列のもと、フランス真言密教寺院・光明
院境内において滞りなく「地鎮祭」が執り行われましたことを心よ
り御礼・感謝申しあげます
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ヨンヌ、レピュブリキャン紙記事の邦訳  フランス光明院住職 融仙訳

 ヴィルノウブレ、ジュネの日本佛教寺院で非常にまれな神道儀式 
土曜日の朝、融快という僧名を持つ、ダニエル、ビヨーとその妻融
仙は大神職久保氏とまみ氏を迎えた。光明院にて土地を清め鎮める
ための神道儀式を行うためである。
 この地でこの種の儀式が公に行われることはまったく例外的な出
来事である。喜びと感動をかくしきれない融快氏は、始めてフラン
スで行われた神道儀式であるとは一〇〇パーセント言い切れないが
、初めての地鎮祭であることは確か。と言う。
 真言宗の寺になぜ神道の大宮司が訪れたのか多くの人々にとって
信じられないことかもしれないが、昔から神道と佛教は平和に共存
してきた。例えば、寺院の隣に神社があったり、その逆の場合もあ
る、とも言う。
 調べたところによると、神道は日本の宗教のひとつである、ある
いは日本宗教と言ったほうが良いのかもしれない。 紀元前、三、四
世紀または七世紀にさかのぼる、一一〇〇〇年前の古い伝統から生
まれたものであるとも言う。確かな事は、一億の日本人が神道の信
者であり、八万以上の神社があると言われている。五九三年から
一九四六年までは、神道は日の出の国の国教であった。神道は汎神
教、神とこの世とが一体化し、自然が神とみなされる。その上、神
々、女神たち、先祖の霊や自然の中に生きずく生命を含む多神教で
もある。
 ラ、モンターニュの土地が清められたので、まもなく、小さな社
殿が祭られることであろう。日本を除いて、アメリカに一つ神社が
あるだけであるから、たとえ小さな祠でも希少価値はあるといえよ
う。 

(写真) 願主、融快氏が、平和と日仏友好のために行われた地鎮祭
で聖なる砂の山の前にひざまずく。
(写真) 神道は平和、寛容、広い視野の宗教で他の宗教と和を持っ
て共存する。ここでは、ヴィルノウブにて土曜日の朝行われた儀式
(写真) 式後。ロール、リヴィエールとリュックブーレル、が非常
に珍しい,むおそ流杖道のデモンストレーションをした。


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