2318.日本の安全保障



日本政府の対応に不安を感じている。この検討。  Fより

やっと、日本の景気も上がり始めて、明るさが増している。日本は
世界的な経済大国であるし、日本が世界に送り出す圧倒的な性能を
有した素材や部品がないと、世界の精密機械・電子・化学産業の工
場は止まることになる。

その日本の圧倒的な経済支配力を世界の企業人は知っている。この
ため、高性能な部品が生まれる日本文化に非常に興味を持つ世界の
政治家や企業人が多い。日本はクールであると彼らは認める。

日産のゴーン社長もルノーの改革のために移ったが、日本と同じよ
うなは改革ができないと嘆いている。日本人は大きな目標を与える
と、それに邁進しその目標をクリアしようと皆が一致協力するとい
う。そのような民族は日本人しかいないと言う。ゴーンさんはあた
かも日本の国際的な宣伝マンになった雰囲気であり、日産の人たち
をルノーに送り込んでいる。ルノーとの共同車体の設計では日産が
中心になるそうである。日産の人がルノーの役員になる日が来るよ
うな気がする。それほど、日本人は優秀であるとゴーンさんは見て
いる。

この感覚は、この頃、いろいろな分野で世界的に活躍する日本人た
ちとお話しても、同じ感想をお持ちであることが分かった。日本国
内にいる人たちは、日本のすばらしさを気がついていないが、世界
的に活躍する方たちは知っている。

特に感銘を受けているのは、インフォイルモータの電気自動車で世
界的な権威でありながら、前面を慶応大の教授に譲って陰に隠れて
いる先生とお話して、日本人の可能性を私Fは強く感じた。日本人
の大きさは、富を人に譲り、美徳を積むことで、人生を大きくして
いるとこの先生に教えられた。私は仏教者で輪廻からの離脱には自
己の徳を積むことであると常々感じているが、しかし、この実践は
難しいが、それを実践している人に巡り合えた。

先生は120以上の特許を発明したが、そのほとんどを人にくれて
やっている。このため、いろいろな人から尊敬されている。私たち
も、ある大手の鉄道会社の元常務から先生を紹介された。先生に言
わせると、善徳を積むことが人生を豊かにするという。億万長者に
なっていたのに勿体無いと言うと、そのように思わないし、このよ
うなやり方をすると、人と仲良くできると言う。人相を見ると、黒
目の中の淵が青い。これは心が透明な人しかこのような目にならな
い。私もこのような目に出会ったのは、2人目でしかない。

この先生は、日本のすばらしさを子供たちに伝える義務があると言
う。勿論、私Fも同感で、子供たちに日本の歴史や精神を教えたい
と思っているし、先生へ機会を作りたいとも思っている。この機会
を作るために子供の安全を考えるNPOにも参加している。

このように産業界、特に研究者たち、企業家たちの質は高いし、そ
れで日本は高い評価を受けている。

しかし、その日本が外交面では大きく立ち遅れている。国益の定義
も優先順位もない。日本のメンツしか考えないような外交が目立っ
ている。まるで子供のけんかであるような様相を日中外交で繰り返
している。

上海領事館問題は日本のガードの甘さを指摘されていると見えるが
、このようなことは世界の外交現場では当たり前に起こっている。
それと、国家としてのまともな戦略もない。
海外での紛争が日本にどう影響して、その影響をどう緩和するかと
いう国家安全保障の総合的なオプション網の検討もされていない。

これでは、日本は政治大国にはなれない。イランの核問題は、日本
のエネルギー危機を引き起こすとこのコラムでは指摘している。こ
の対応としてロシアとの友好関係を築いて、ロシアの石油をパイプ
ラインで日本に引き込む提案を5年以上前からしている。

世界の動向を予測して、10年スパンで国家の安全を見ないのか日
本の国家を預かる日本の指導者たちの考え方が大きな不安と不思議
さを感じる。小泉内閣は国内改革内閣であるからしょうがないが、
次期内閣は日本の安全を目指して外交をして欲しいものである。
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http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/26/

第26回

「コンプライアンス」をありがたがる風潮はもう終わり


世界の中で日本は「関数」から「変数」に変わった

 日本の景気がよくなってきたのは底力があるからなのだが、では
その底力とはどんなもので、底力を発揮するとどうなっていくのか。
まず第1段階として、日本は自信を持つようになった。はじめは経済
的自信からで、それがやがて他の分野に広がっていく。

 そして第2段階では、外交・防衛でも日本の国益を中心として底力
が発揮されるようになった。
そうすると意外なことに、アメリカが変わる。中国も変わる。
つまり“日本には影響力がある”ということが分かって、第2の自信
が付く。

 さらに第3段階として、今度は世界の方が日本の意見を求めるよう
になる。
ただ意見を求めるだけではなくて、日本の決意を聞いて、その決意
を行動にどう移すかということまで求められる。世界の方が対応す
るのだ。つまり日本は世界の中で「関数」でなくて「変数」になる。
そうなるのはいつごろかというと、僕は意外に早いと思っている。

 それでも、国民の認識はいつも5年くらい遅れている。新聞やテレ
ビや学者が遅れているからだ。それは彼らが臆病だからで、分かっ
ていてもそこまで踏み込まないのだ。
踏み込もうとしていても、記事や番組などは少し前の段階で制作さ
れるから、国民はたとえ最新ニュースを見ていても遅れてしまうわ
けだ。

 日本の景気回復は、もう2年前から始まっている。実感しない人は
、何もしないから感じないのだ。「いや、ここまではできません」
と理屈を言っているからであって、どんどん実行している人は景気
回復の手応えを感じているし、儲けている。

 ただし儲けていることは人には言わないだけ。それでも、見てい
れば分かることで、設備投資は始まったし、雇用も正規雇用を増や
している。それらは今既に統計に出ている。
そういう人も口では「まだ不景気です」と言っているけれど、設備
投資という行動を起こすということは、彼らが「あと4〜5年は大丈
夫、この機械は元が取れる」と思っている証拠なのだ。


日本式出世は「功労に報いる」システム

 人材採用でも、パートではなく正規採用するわけだから、20〜30
年を見越しているわけだ。
時間をかけて自分の会社で教え込む自信がなければ、パートにして
、時給を払って「仕事は買う」が「人間は買わない」とやればいい
わけだから。

 それがアメリカ式だが、そうではなくて未来に期待するようにな
ると、人間ごと買うのだ。
“君は全力投球でやってくれ。会社側が命令できないようなところ
まで自分で行ってくれ”と。
それはかつての日本型雇用関係のよいところだといえる。

 アメリカ式経営には、あまりそうした考え方がない。上役には命
令する能力があって、仕事を評価する能力もある。だから成果主義
を導入する。年功序列賃金は形式的でよくないという。
そういうアメリカ式をやった会社はほとんど赤字になってしまった。
場当たり的だったのだ。

 そのころ僕は銀行員だったので、内部で言ったこともあるし、そ
の後に本に書いたこともあるのだが、ニュートンに向かって「引力
を発見せよ」と命じた課長はいない。
「上役万能論」というのは、アメリカのような移民の寄せ集めの国
で、部下の能力はあまり期待できないという前提の下にやっている
経営形態であって、日本はだいたい部下のほうが上役より賢いのだ。

 日本では上役は功労者なのだ。日本における出世は“功労に報い
る”というシステムで、そうすると部下はそれを見て仕事に励むわ
けだ。「おれも偉くなったら料亭に行って、ゴルフをしてもいいら
しい。それを楽しみに頑張ろう」ということだ。


役人にもご褒美が必要な時代が来る

 これは官庁においては天下りシステムに当たる。
今、官庁の悪口をいえば何でも通るから、学者も誰もみんな寄って
たかってボロクソに言っている。「官庁は非能率的である」「非倫
理的である」「国民を無視している」……。官庁にどんな批判をし
ても、今はどこからも反対されない。
だが、10年前は多くの学者が役所のことを崇め奉っていたのだ。

 真実は中間にある。
日本の役人くらいよく働く人たちはいないのだ。だから国会議員は
すべてを役人に頼ってきた。つまり、役人を一番尊敬しているのは
国会議員なのだ。
国会議員は、役人がいなくなったら自分は職務を全うできないと、
自分で分かっているのだ。
それなのに彼らは選挙区へ帰ると役所の攻撃ばかりやっている。

 僕は公平に見て、日本の役人は世界一で、立派だと思う。なかに
は変な人もいるけれど、おしなべてあんなによく働く人はいない。
それを変な方向へ向かせている国会議員が悪い。それから、変にた
たく新聞が悪い、と思っている。

 その役人たちに「なぜそんなに働くのか」と問うと、「天下りが
楽しみだから」という。
となると、天下りをなくすとすべてがガタガタに崩れるのだ。
今、実際にそうなりつつある。だから僕は「適切な天下りのシステ
ムを考えろ」と言いたい。

 こんなことを言ってもどの新聞も載せてくれない。そうしている
間に3年くらい経てば、役所は骨抜きになっていく。役人にも、何
か楽しみがなければダメなのだ。“ご褒美”が必要な時代が来るだ
ろうと思っている。


対等な相手に「コンプライアンス」とは言わない

 日本は前述したような3段階で自信を回復し、やがて世界をリード
する国になるであろう。
日本には、まだ発揮できていない底力があって、今までは金儲けくら
いだが、これからは世界を仕切るようになる。思想で世界をリード
する日本が登場してくる。

 そんな話は聞いたことがないはずだ。それは、ほとんどの学者が
欧米かぶれしているからだ。
欧米かぶれしていない学者は、明治時代の古本を読めばいい。そん
なことはいっぱい書いてある。
一刀両断で「それはダメ」というのが戦後の教育、特にアメリカの
教育だった。
日本人はもともと謙虚が好きだから、自分で自分を褒める議論はた
ちまちなくなってしまった。

 最近、やたら変な英語を使う人が多くて困る。
例えば「コンプライアンス」という英語をみんなが使うけれど、辞
書を引いた人が何人いるだろう。
辞書では「コンプライアンス」は「法令順守」と訳されている。
でも今、日本で使われている「コンプライアンス」という言葉は、
本当にそういう意味だろうか。

 「コンプライアンス」には、「従順」という訳語がある。
周りからの声に対して従順なこと。その次に「卑屈」と書いてある
。そこまでの意味があるのだ。
だから、アメリカ人同士で「コンプライアンス」なんて言葉は普通
は使わない。
対等な相手には言わない。言うときは、エンロンのような出来の悪
い会社に向かって言うのだ。
つまり、目の前の人や友達には使わない、大変失礼な言葉なのでは
ないかと思う。

 さらに辞書を読むと、物理学用語として、「外部からの圧力で内
部に歪みが出来ること」とある。「歪み」を示す言葉なのだ。
会社で社長が「コンプライアンスだ、法令順守だ、みんなやれ」と
いったら、会社の中に歪みが出来てしまうわけだ。外ばかり気にし
て、会社自体の方向性がどこかへ行ってしまう。

 そうすると部下たちも「役所の検査を通りました、これでいいん
です」となってしまうのだ。
だから「コンプライアンス」などという言葉は、賢明な人は使って
はいけないと思う。

 主体性がなくなる。独自性がなくなる。自信がなくなる。周りに
流されるようになる。
これらはアメリカでは一番恥ずかしいことなのだが、日本ではそう
でもなくて、「従順で謙虚なのがよい」という思想がある。

 その「思想」の面だが、アメリカは日本に対して「コンプライア
ンス」というのだろう。
これは「日本は生意気だ」という意味なのだ。「アメリカの言うこ
とを聞け」というのを上品に言っているだけなのだ。

 もし僕に向かって「コンプライアンス」といったら、僕は「ふざ
けるな、どう言い返してやろうか」と考えるけれど、たいていの人
は「お、コンプライアンスという英語をおれは知ってるぞ。おれは
ちゃんと勉強したからな。日本へ帰ったら使ってやろう」となって
しまう。
ここ10年、そういう現象が日本中を吹き荒れていた。だがそれも、
そろそろ終わりだろう。

日下公人氏(くさか・きみんど)

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