2308.真冬のトマト



真冬のトマト 
              平成18年(2006)4月1日(土)
           「地球に謙虚に」運動代表 仲津英治

 春半ばとなり、日本では桜便りが本格的に寄せられる侯となりました。
 先日、妻が琵琶湖岸近くのあぜ道などに沢山生えているツクシを採って来て、
和え物にして我が家の食卓を飾ってくれ、美味しく戴きました。何故美味しいの
か、旬のものだからでしょう。旬のときに草花は自ら生き、そしてその命を伝え
るために生命力をみなぎらせています。その野菜などではその生命力が美味しさ
の原点だと私は思います。

 しかし昨今はトマトに代表される夏野菜が真冬でもいただけるようになりまし
た。トマトの他にメロン、スイカ、キュウリ等々があります。でもこれは大きな問
題点をはらんでいます。

 私がかつて親しい方から伺ったのですが、植物も季節に応じた生命活動をして
いるとのことです。例として夏野菜であるトマトは、水分が多く、自ら体温調節
のために大量の水分を発散させており、その性質は真冬に栽培されても同様だそ
うです。真冬にトマトを頂けば、胃腸内でトマトは水分を蒸散し、お腹を冷やす
働きをします。下痢とか消化不良に繋がる事態でしょう。

 植物も動物もそれぞれの生命循環を持っています。我々はそれに合わせて摂取
することが自然の理にかなっており、健康維持増進に適って行くものと思います。
季節はずれの作物は余分な資源・エネルギーを浪費しており、体にも良くないので
す。しかも栄養価は低いとのことです。

 お百姓さんも商売のために付加価値の高い、季節外の作物を作りがちです。
本来イチゴは初夏の味覚ですが、クリスマス時のイチゴはその典型です。他に五
月頃からに手に入るマスカットブドウ(本来秋の味覚)なども挙げられましょう。

 何故真冬でも夏野菜がいただけるか。ビニールハウスなどのよる温室栽培のお
陰です。以前私は何度か冬場のビニールハウスの中で食事を頂いたことがあり
ます。燦々と注ぐ太陽光の下、ビニールハウスの中は上着を脱げるくらいに暖
かでした。これでも野菜栽培にとって十分な暖かさと思いましたが、さらに灯
油を燃やすヒーターが設置されているビニールハウスも見かけました。

 そこでトマトなどのハウス栽培や温室栽培が行われるのです。トマト100グラム
から得られる熱量は330キロカロリーです。ところが冬物トマトには3,470キロ
カロリもの光熱エネルギーが投入されている推計値があります。果実から我々
が得るエネルギーの実に11倍ものエネルギーが投入されていることになりま
す。同じく夏野菜であるキュウリのハウス物の場合には実に47倍という推計
値があります。これらは太陽光で育てる露地栽培の場合に比べ、実に5−7倍
ものエネルギー投入量になるのです。

 何故これほどのエネルギーを必要とするのか。トマトの場合、投入光熱動力エ
ネルギーが露地栽培に比べ、ハウス栽培では16倍、キュウリの場合、30倍
近く投入されていることが一番大きな理由です。ハウス内で灯油を燃やしてい
るのです。

 最近はさらに工場のようなところで光熱エネルギーとコンピューターを使って野
菜を栽培しているそうですね。自然栽培より大量のエネルギー(主に電気)を使
っていることは間違いないでしょう。

 真冬にトマト、キュウリなどを頂くことは、石油をガブ飲みしているよう
なものです。しかも栄誉価は低いのです。そして地球温暖化に拍車を掛けること
になります。

 やはり旬には旬のものを頂くのが一番です。ただ旬のものは値段が安いので、お
百姓さんが創意工夫して付加価値をつけたものが季節はずれの農作物なのでしょ
う。工夫し過ぎという方もおられます。しかし消費者が遠慮すれば、お百姓さん
も旬のものに生産を傾注されることでしょう。

 代表的な冬野菜は、大根、白菜、ねぎ、ほうれん草、小松菜、菊菜(春菊)、
ごぼうなどです。

 魚でも旬のものを戴く方が栄養価もあり、省エネ・省資源になります。季節感を
なくしつつある都会の子供達にもプラスになります。

 そして近場のものを戴く、地産地消がベストです。もっとも我が家でも妻によく
言っているのですが、各地の産品が売られており、理想通りには参らないことも
事実ですが、一歩づつ・・・と思っています。
 
上記の数値は、下記の資料を参考にしました。
内山洋司 私たちのエネルギー (培風館 1998)
       宮田和孝 野菜と投入エネルギー(2002.2論文)
       仲津 英治 「地球に謙虚に」 近代文藝社(2002)(p109&p151)

 ご参考までに 
生命維持のために最低限必要なエネルギー量を基礎代謝量といい、成人男子で1300
―1400キロカロリーだそうです。一日に必要なカロリーはこれを0.6で割った数値、
2200―2300キロカロリーとなるようです。 
                                以上
仲津英治
「地球に謙虚に」運動代表
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さくら・さくら・さくら        山森 国造  

 桜の思い出
まず第一は故郷の兼六園の桜の木である。瓢箪池の島にある枝垂桜
であるのですが、残念な事にだいぶ前の台風で頭頂部の先端の枝が
折れて、その容姿が変わって仕舞いました。
その以前はとても可憐な桜木で御座いました。 可憐な少女が初め
てカンザシを着けた様な木で金沢市民の全ての人達が愛した枝垂桜
で御座いました。
第二は箱根の湯宿の枝垂桜です。
2階の大広間の大きなガラス戸越しに咲く枝垂桜です、丁度絵画をみ
る様な感じでございます。
私は一生忘れる事のない印象の桜の木々でありました。 その翌年
でしたか、再び訪れた時は時期が遅れて散った後で、雨の日でした。
カラオケの歌を聞きながら窓辺の手摺に腰をかけて軒を見上げると
、雨の滴が宝石の様に見えたのを覚えております。
そこで生まれた短歌は下記です。

  白玉の 軒の雫は 美味しかれ oh桜庵の春 清しき今宵    香山

そして、小田原城の桜も素晴らしかったですね! しかし、もう私
には再び遠路から観に行く贅沢は残念ですが許されなくなりました!
第三は 某所の桜の並木道です、歩くと25分以上かかります。 
其処でも短歌を創りました。

  散り行くは わが身も同じ 山桜 生命ぞ愛しめ 天地の御世   香山 
                      (いのちぞおしめ)

私は上記の短歌を「昭和平成万葉集」、即ち、「春夏秋冬」の冒頭
の歌にしたいと思っておりますが、
今も、今上両陛下に会えぬ身の私で御座います。

  人様よ 笑わば笑え 二重橋 虹を求めて 十年の余り     香山
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       「美」            山森 国造

 私が「美」を重要だと気付いたのは、図書館でも美術館でもありま
せん。
1羽の手のひらに入るほどの鳥からである。  その出会いは金沢駅
の近くの私の職場である下水処理場の中央監視操作室で御座います。

 当時はリレー盤操作でしたので室内には冷房がありませんでした。
ある夏の暑い夜の日に蛍光灯を消して窓を全開にしておりました
ところ、明け方に窓辺で「どん〜」と言う物音がしたので調べると
、1羽の小鳥が床に落ちていました。 多分、ガラス窓に小鳥が衝突
した物音であると気付き安堵する。
私は恐る恐る小鳥を手で救い上げてお日さまの光にかざしてみる。
 鳥はノウシントウをおこしているらしく目が中央に寄っている、
 とてもユーモラスであった。
そこで、両手のひらを開いて、小鳥の翼や羽を観察する、 そして
、その瞬間、私は言葉を失う、声を出そうと思うが余りの美しさに
声が出せない。 鳥の宝石と言われる「かわせみ」だったのである。
 そして、声を出せぬままその美を堪能したのである。
その時間がどれほどの長さだったのか、未だに思い出せぬ私で御座
います。
(吾を忘れ、時間を忘れ、声を出す事も忘れた一刻でありました)
やがて小鳥は羽ばたき始めたので窓の外へ逃がしてやりました。
人生で初めて、「言葉を超える美」を発見した瞬間で有ったのであ
る、そしてまた、「美」とは「神の御心」に通ずる言葉であると知
る出来事でも御座いました。

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