2300.「美」の本質を探る思考



「美」の本質を探る思考     S子   

▼「美」の追究
これだけ加速度的変化の時代に生きていると、創造と破壊のサイク
ルの短さにも慣れ、あらゆるものの変化に対して多少なりとも鈍感
にならざるをえないということはあるだろう。それゆえの反動から
くる無意識からか、最近では特に不変の代名詞のように「美」への
追究は、いろいろな場面において見られるようになった。

移ろい変化してゆくものに無常を見、それを知れば、人は自ずと不
変のものへの執着心を起こすだろう。それほど「不変の美」という
絶対性は我々人間の心を虜にしてやまないということでもある。

では、一体なぜ我々人間は「美」をそれほどまでにして追い求め、
それを極めようと切磋琢磨し、自らの生へと繋げ昇華してゆくのだ
ろうか。

▼日本女性の「美」
日本女性の美しさの水準は高く評価され、以前から言われていたこ
とだが、最近ではプチ整形や髪を染めたりすることは当たり前にな
り、化粧技術の向上やエステ通い、高いファッション性で一昔前の
日本女性とはまったく人種の異なったような美的感覚を持った日本
女性が、街を闊歩する光景はそうめずらしいことではなくなった。

しかし、その時代を代表する美人が現れても、価値観の変化やその
時代を生きる人々の感性の変化、またその時代をとりまく環境の変
化、政治経済情勢等で美人の基準はいとも簡単に壊れ、また新たな
美人が現れるというのは、一体どういうことなのか。美男子とてこ
れと同様である。

一度は人々から美人だと賞賛され認められたのもつかの間、ある時
を境にその賞賛と容認は別人へとあっさり移ってゆく。いくら最先
端の科学技術を駆使して外見を美しく飾り、表面的に光輝きはすれ
ども持続せず、一時的には人々の心を「科学的人工美」で魅了する
ことはできても、人々の本質までも虜にすることはできないようだ
。

だから美人の基準は時代とともに変遷してゆくのであり、流行り廃
りがあると言われるゆえんだが、これでは「本質的な美」、「不変
の美」とは言えず、絶対性からは全く乖離した「美」であるだろう。

▼「書」における「美」
書道のような筆文字も同様な現象にあり、筆文字の美的基準も時代
によって変遷し、特に時代が大きく流動的に動いている時は、過去
のどの時代においても文字もまた大きく変化し、「書」における「
美」も時代という流れの中で常に揺れ動いているようだ。

そのような流動的現代であるからこそ、筆文字の持つ唯一性と個性
、シンプルさ、白黒、アナログ世界、ローテク技術等が古くて新し
い価値を生み、返ってそれらが生き生きとし、言霊を凍結させた「
書」というもので、人々に感動を与え人の人生を動かしたいと武田
双雲氏は述べている。

そして、筆文字を書くにあたって、手、目、心のバランスを磨き、
「書」の基本概念にあまりとらわれることなく、心の底から書くこ
とを楽しみ、それを持続させ、そこにひとつの「覚悟」を持つこと
で「書」は大きく上達してゆくだろうとも述べている。

「覚悟」とは少々大げさに思えるかもしれないが、その人が朝起き
てから夜寝るまでの日常生活のあり様が「書」に正直に表れるので
あれば、「気」の入らない怠惰な日常生活を送りながらの付け焼刃
のような「書」では、人に感動を与えたり、人の人生を動かすこと
はできないということである。またそれだけ「書」という唯一性は
個が出やすく、ごまかしが効かないということであり、書は人なり
と言われるゆえんでもある。

▼「集中」よりも「緩み」
文字には完全なるものはなく、これが唯一の文字における「絶対美
」というものは存在しない。だから時代によって「書」における「
美」が変遷し続けるわけだが、それでも美しい「書」を書く秘訣は
あるそうだ。

その秘訣とは「書」を書くにあたって「集中」することではなく、
書くことそのもの自体に「緩み」をもたせることである。書き手が
心身ともに最も緩んだ状態にあるときにこそ、人を感動させる「書
」を書くことができ、それが自然と美しい文字として人々に無条件
に受け入れられるのである。

このことは「書」に限らず日常生活、スポーツ、芸術全般や様々な
生きる場面において言えることであり、記憶に新しいところではト
リノオリンピックで唯一の金メダルを獲得した荒川静香選手の「緩
み」がある。彼女は前出の選手の失敗が大きく減点に繋がったのを
見て、大技を決めて得点を稼ぐことよりも、失敗せずに自分が確実
にできる演技を優先しようとひらめいたそうだ。

この「ひらめき」というのは頭脳知ではなく身体知から発せられる
本能であるらしく、そこから心身ともに彼女に「緩み」が生じ、緊
張が解け、彼女の見せどころであるイナバウアーが観客と審査員を
無条件で虜にしてしまった。

「緩み」から生じた彼女の「身体美」は光彩を放っており、女性特
有の優雅さと日本女性の肌のきめ細かさ、美しさ、また彼女のスケ
ート人生から見える生き様の集大成としてのフィギュアスケートの
完成度等、様々な要因が複合的に織り合わさり、身体知としての「
緩み」が放った彼女の「美」は、観客や審査員の身体知の本能へと
バイブレーションしていった。頭脳知という作り出された「美」で
はなかったから無条件ですんなりと人々に受け入れられ、荒川静香
選手は金メダルを獲得することができたのである。

▼「集中」=頭脳知と「緩み」=身体知
我々は何かを成すにあたってすぐに「集中」することを自らに強い
る習慣が身についているようだが、「集中」するということは人の
頭脳が作り出したひとつの達成手法であり頭脳知の世界である。ひ
とつのことに対応することには秀でていても、想定外の事態には対
応できないという弱点が「集中」には潜んでいるようだ。

トリノオリンピックスピードスケートで、加藤条治選手は前の組の
選手の激しい転倒による氷の補修にスタートを10分近くも待たさ
れた。思いもよらぬハプニングに動揺し、まだ若いゆえの経験不足
ということも加わってか、メダルを期待されていたにも関わらず加
藤条治選手は自らの力を出し切ることはできずに終わった。この一
件は「集中」に潜む脆弱さがもろに現れた出来事だと言えるだろう
。

それに比して「緩み」は身体知という生命史40億年のDNAに記憶
された本能であるということだ。つまり、人知を超えた自然体の中
に「緩み」があり、それはあらゆるものの調和した世界の最高傑作
を生み出すものである。スポーツ選手の偉業や絵画・音楽での素晴
らしい作品は全てこの「緩み」が全開状態の時に創造、発揮されて
おり、それが「美」として人々に賞賛され受け入れられている。

▼黄金比率と「美」
エジプトのピラミッド、古代ギリシャのパルテノン神殿、ミロのヴ
ィーナス等の造形美は時の流れにまったく風化せず、我々はむしろ
その計り知れない神秘的な「美」の虜となり、我々を魅了し続けて
止まないものだが、これらは皆黄金比率という「数的美」の具現化
である。

また、自然界、特に生物界にはこの黄金比率がみられ、例えば、植
物の葉のつき方、巻貝の螺旋形態や人間の形態においてもこの黄金
比率が存在しているようだ。黄金比率とは1:1.618の比率が
この世界で最も調和のとれた「最上の美」であるとされているもの
だ。

西野皓三氏によればこの黄金比率は我々人間のDNAに既にプログラ
ムされており、それゆえに頭脳知の理解を超え、身体知としての本
能で無条件に受け入れられる「絶対美」だと述べている。こうして
みると我々が頭脳知で理解する範疇での「美」というものはこの世
界において幻想でしかなく、砂上の楼閣のごとく脆く壊れやすいと
いうことになるだろう。

武田双雲氏も著書で「書」は頭で理解するものではなく身体で覚え
るものだと同様のことを述べているが、そういう「ひらめき」が湧
くということも身体知が「書」を体感してゆく中において初めて得
られるものだろう。

余談だが、その何かを成し遂げるにあたって身体知が体感、実感と
して受け入れ、それを習得するには半年という期間を要するという
ことがこの世界ではある。つまり身体知がものごとをまず先に習得
し、その後頭脳知がそれを理解、納得してゆくということだ。

頭脳知優位社会に浸っている現代人にはまったく忘れ去られている
事実であり、何事もまずは身体知という体得があるということであ
る。だから最低半年はものごとを実行、継続してみることであり、
その後は1年、1年半と半年ごとの目安をもって修行を積めばいい
。

▼「調和美」と循環
「美」を追究する深層心理には、我々人間のDNAにプログラムされ
た黄金比率が存在するからであり、その黄金比率という最上の「調
和美」をこの世界で生命の限りにおいて我々一人一人が具現化する
ことであり、それがどうやら我々に与えられた使命であり本質であ
るようだ。

そして、黄金比率という「調和美」を具現化するということは、こ
の世界のあらゆるものに無条件に受容されるということであり、完
全なる受容とともに自らもその世界に溶け込み一体化し、そこで「
調和美」を体感、実感するということであるようだ。その具現化方
法はその人の持って生まれた身体知によってそれぞれ異なりはして
も。

そこでこの黄金比率という「調和美」とは一体どういうことなのか
と私なりに思考してみた。調和とはつりあいのとれた様を指すが、
この世界での調和とは様々なエネルギーの循環が滞りなくスムーズ
におこなわれていることを意味しているのではないか。つまり調和
とは循環であるということだ。

そのエネルギーの循環は四つあり、この世界を構成している四つの
要素を指していると思われる。ひとつは風(座)の循環であり、静
かに黙して座ることで現実界と意識界のエネルギーの交流をおこな
い、そのバランスを図るというものである。現代社会は騒音と情報
汚染にあって黙して座ることの意味すら見出せない人があまりにも
多い。

ふたつ目は火(食)の循環であり、我々人間が生きてゆくうえで食
事と呼吸は欠かせないものである。が、現代は食生活も豊かな反面
、大変お粗末でもあり、呼吸も口呼吸優位で身体の免疫力も随分と
低下し、生命エネルギーを取り込む力が弱まり、細胞の活性化が随
分と損なわれている。

三つ目は水(性)の循環であり、男女のセックスを指し、互いにな
いもののエネルギーを補完し合い、更なる精神への高みに上ること
が本質にあるようだが、現代ではそれには一切触れられず、単なる
快楽や歪んだ性教育で男女関係はかなりいびつで醜いものになりつ
つあるように感じている。

四つ目は地(住、衣)の循環であり、これは現実界における実生活
でのエネルギーの循環を指すが、頭脳知に価値を置きすぎたために
目的化されたお金に振り回され、経済エネルギーは循環せずに大変
バランスの悪い社会が形成されている。こうしてみると、人間社会
はエネルギーの循環がスムーズに周流せず、むしろ悪化する方向に
向かい、「調和美」との乖離は深まっていると見ていいだろう。

▼身体知と「調和美」
「植物は自由を放棄した代わりに、天と地を循環する生命の調和と
平和を沈黙のうちに手に入れた。」(「冬の情景から」の引用)よ
うだが、人間は二足歩行を始めた時から、足の文化という身体知か
ら視覚文化という頭脳知へ至る歴史を歩んできた。

それはつまり「調和美」から「人工美」へと向かう歴史であり、身
体知の「緩み」から頭脳知の「集中」へ向かう歴史でもあり、多神
教から一神教へ向かう歴史であるかもしれないということである。
エネルギーの循環がうまく周流しなければ、そこには必然と、緊張
や集中が生じる。緊張や集中は調和に欠ける世界であり争いを生む
。現実、世界はハルマゲドンの様相を呈してきたようだし。

このような突出した頭脳知優位世界を徐々にでも緩和し、調和させ
てゆくには、我々一人一人が身体知という本能に帰り、その与えら
れた使命を各々が全うしてゆくしかないように思われる。

それには足芯呼吸で頭脳知優位でガチガチに緊張、硬直した我々の
身体に「緩み」を与え、細胞のひとつひとつを隅々まで活性化させ
、生命エネルギーを吹き込むことにある。身体の細胞が活性化され
身体が「緩み」をもってくると、その「緩み」は周囲の人間の身体
知の本能へとバイブレーションし、受容され、ものごとがスムーズ
に循環してゆくようになる。

今日の閉塞的社会出現も、実は頭脳知優位による硬直、緊張した身
体に原因があったと西野皓三氏は述べている。活性化されない細胞
では人間の身体は生命力に溢れることはできず、身体から生命エネ
ルギーの光彩を放つことはできない。「緩み」を持ち、身体細胞が
全開状態にある時にこそ人は光輝くことができ、その「調和美」を
実感できる。

これは頭脳知ではまったく理解できない世界であるが、身体知なら
ではの体得が人知を超えて納得させるものである。そして、それこ
そが「調和美」という黄金比率の具現化世界であるだろう。

▼自己変革と「美」
この世界において生物本来のあり方としては、生そのものを謳歌す
る楽しさにあるようだが、今日まで人間が生き延びて行く過程にお
いて、攻撃的な感情や行動を身につけることを我々は覚えた。そう
して現代の科学技術の発達は、我々の身体から「緩み」を奪い、頭
脳知依拠のもと身体はますます緊張と硬直を強いられている。

様々な変化に適応しながら生き延びてきたはずの我々の身体は、も
はや変化に適応できないほど硬直してしまっている。つまり変化を
恐れているわけだ。

しかし、世界は確実に変化している。その変化に対応しながら生き
延びてゆくにはもはや頭脳知のみでは限界にきており、身体知の「
緩み」を体得して言葉の理解を超えた世界を体感するしかない。

身体が緩めば各々に与えられた使命に気づき、そこから自己充足へ
向かうための自己変革が始まる。その自己変革とは「調和美」の黄
金比率を生命の限りにおいて、この世界で具現化するためにこそあ
る。変化を受け入れ、心の障壁を乗り越え、「調和美」へ向かうそ
の無心の姿にこそ「美」は宿るのではないか。


参考文献
「気の発見」  西野皓三著  祥伝社黄金文庫
「生命エネルギーを高める西野流呼吸法」  西野皓三著  三笠書房
「細胞で考える」  西野皓三著  クレスト社
「自己エネルギー昂揚」  西野皓三著  (株)学習研究社
「書を書く愉しみ」  武田双雲著  光文社新書
「数学と自然と芸術」 新井朝雄
http://www.hokudai.ac.jp/science/science/H12_05/math/sci_top_math_00_2html

「冬の情景から」 佐藤公俊
http://members.aol.com/satoky/nostalgia.html


コラム目次に戻る
トップページに戻る