2281.日本の生きる道について



中国や韓国のデジタル家電や自動車での追い上げ、日本はどのよう
な生きる道を探ればいいか、再度、検討しよう。   Fより

中国や韓国現代の自動車会社で、かつ韓国サムソン・台湾電子メー
カなどにデジタル家電で追いつかれようとしている。このような状
況で日本の今後を予測と対策を検討する必要があるようだ。

日本の強さは最終製品ではなくて、部品産業にあるようだ。このた
め、部品の輸出が増えている。しかし、日本のお家芸でもあった金
型は中国に移転して、或る程度の精度の金型は中国でも作れるよう
になっている。

部品も、中国への移転が進んでいる。部品の現地化率を高める必要
があるためで、今後、汎用的な部品は中国生産になるでしょうね。
韓国のメーカも日本製部品より中国製部品の方が安いとそちらから
買うことになるでしょうね。

日本の強さは、会社帰属意識が強く、個人が知識を持って、かつ集
団で改善する能力、しかも独立心より会社帰属意識の方が強い。
このため、社員育成が会社としても得なことになり、会社としての
知識の積み上げが可能になっている。

中国・台湾企業では個人の実力が重要で、3ケ月もすると多くの人
がいなくなる。競争が激しい社会である。育成をしている余裕がな
い。個人の独立心も強い。このため、個人としての実力を高めるこ
とが需要な社会であり、他人に技術を教えない。

日本企業のようなチームプレーはしない。自動車産業も部品の寄せ
集めで、自動車を作るのが中国流である。デジタル家電が誰でも作
れるようになったような自動車生産である。

このような規格品産業から、徐々に日本製品も高級品に追いやられ
ることになると厳しいことになる。12インチウエハーのような特
殊部品や村田のコンデンサーや周波数フィルターのようなppmレ
ベルでの成分特性の配合などのノウハウが必要なものをどれだけ持
つか、そして、その特殊部品を使った製品を生み出せるかが日本の
勝負でしょうね。

もう1つが、日本の文化であるそのデザインや感性による美を体現
したような物を作ることではないかと思う。漫画、動画がいい例で
あるが、日本の古神道、アミニズム的な情緒が魅力を出している。

この美から安藤、磯崎などの建築家を出しているし、宮崎駿のアニ
メが世界的な話題を呼ぶことになる。この美を体現する製品を生み
出す努力が必要なのでしょうね。

日本はもう1つ、環境問題では江戸時代に鎖国をしていたために、
循環型社会を日本は経験している。この復活を日本全体で考えると
大きな産業になり、かつ世界にそのモデルを持って行けることにな
る。

日本から発明した、実現した物、サービスがどれだけ出せるかであ
ろうと思う。日本は論理より感覚や美を大切にする文化があり、欧
米とは違う感性で物を見ることができる。この感覚、感性で世界を
リードして行くことが、今日本に求められていることように感じる
がどうであろうか??
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問題の根本を「感性」で考えるべき時代が来た
http://nikkeibp.jp/sj2005/column/p/20/

国民の気持ちは「理性」よりも「感性」に傾いている

 行政改革にも、少し手直しが必要になってきた。
国家は悪い、公務員は悪いといわれ続ければ、まともな人は公務員
にならなくなる。それでは困るわけだ。そういう兆しがあるから、
そこを手直しをする必要がある。

 立派な人に国家公務員になってもらうにはどういう方法があるか。
給料を上げるとか、天下り先を世話するとか、出世を早くするとか
、そういうことばかり要求するのは下品な人だ。
“国家のためにやりがいのある仕事をやりたい”というのが上等な
人なのだから。「待遇がいいぞ」といわれて来るような人は、あま
り上等な人じゃない。
 今や、日本国民がそう思っている。それは、藤原正彦さんが書い
た『国家の品格』(新潮新書)という本が爆発的に売れているとこ
ろに表れている。
 さらに、この本の前に同じような売れ方をしたのが養老孟司さん
の『バカの壁』(新潮新書)だった。
これらの本の共通点は「知性」だ。
『バカの壁』でいえば、国民が知識や知性についてノイローゼにな
っていて、「頭がよくなればいいことがある。おれは悪いからダメ
なんだ……」と、あの本を買ったのだろう。

 それから、料理教室を開いて大成功している人に、「どんな料理
を教えているんですか」と聞いたら、「頭がよくなる料理というの
を教えたら、わんさかお客が来るんですよ」という。
「じゃあ、頭がよくなる料理って何ですか」と聞くと「簡単なんで
すよ、クルミをバンバン入れておけばいいんです」と。
 たしかにクルミは脳みたいな外見をしているからね。それでクル
ミを入れて、これを子どもに食べさせなさいというと、料理教室は
満員になるらしい。
このように、日本中が知識や脳について、ちょっと神経過敏になっ
ている。 

 そうした中で、『国家の品格』が登場した。
これは、国際的数学者が、論理の力はダメだといっている本だ。
理屈はダメ、論理でいい数学は生まれてこない、数学は論理ではな
い、アイデアだ、ひらめきだ、愛情だ、信念だ……なんて書いてあ
る。
 いいかげんな本かどうかは僕にはわからないけれど、ただ一流数
学者がいうから、数学のできない人は大喜びして買う。
こうしたことからわかるのは、国民の気持ちが、理性よりも感性と
か、特に「意」のほうに傾いてきているということだ。


インターネット社会はホルモン系の秩序だ

 では「意」はどこから湧いてくるのかと養老さんに聞けば、たぶ
ん「脳だ」というだろう。
でも、最近の医学の本を読むと、それは肺から来るという記述もあ
る。「やるぞー!」というのは肺の命令で、肺から湧いてくるとい
うのだ。だから、朝起きたら深呼吸しろ、ラジオ体操をしろという。
そうすると体が「よし、今日も負けないぞ」となって、頭が動き出
す。だから、肺のほうが先だというわけだ。
 たしかに、古い日本語に「おまえ、鼻息が荒いぞ」とかいう言葉
もあるし、「元気」とか「気合」とか、みんな「気」という漢字が
入っている。
「気」とは肺を指しているわけで、日本人は経験的に昔からそうい
うことがわかっていたのだろう。
そんなふうに、日本語をちゃんと勉強していると「意」が衰えるこ
とはない。日本語にはそういう言葉があるということだ。

 それから「情緒」。
情緒はどこから生まれるかというと、内臓から生まれる。内臓はホ
ルモンによって全身に対して発信しているのだから、人間の体の中
の統制は神経系とホルモン系の2つによって成り立っている。
西洋医学は神経系のほうしか見てこなかった。ホルモン系というの
は「何だかわからん」といっていた。
そのホルモン系を重視したのは漢方であり、日本の医者なのだ。
 今、インターネットが発達してネットワーク社会になった。
みんながお互いに発信するわけだから、これはホルモン秩序なのだ。
例えば肝臓が勝手に「ちょっと苦しい」と発信すると、その信号を
他の臓器が受けて動き出す。頭もそれを受けて動き出す。全部これ
はホルモンという物質のなせる業なのだ。
 社会においてホルモンを出す主体はたくさんあるが、その代表は
僕は放送だと思う。
放送がバーッとホルモンを出して、受けた人が「あっ、僕に対する
命令だ」と感じて処理する。神経はここから肝臓へ向かって通信す
るわけだから、通信がホルモンを出しているわけではないのだ。
「放送と通信の融合」などとホリエモンは簡単にいったが、そう考
えるとなかなか含蓄が深い言葉である。
 こうした観点からホルモン系を見直すと、日本という社会は実に
よくできている。いわず語らずのうちに調和をとって、みんなが着
地点を察する力がある。だから弁護士なんかいらないし、警察もい
らない。警官の人数は欧米の半分なのだから。


災害出動は自衛隊の本来の仕事ではない

 これからは国家公務員のあり方、国家の根本について考えること
が必要だと思う。あるいは、道徳を根本から考えるということも必
要だ。
例えば、以前に医者を機械的に理屈で攻撃したら、攻撃された医者
たちはもう小児科医にならなくなった。
 小児科と産婦人科の医者が北海道などはほとんどいなくなってし
まった。きっと理屈をいう女性がたくさんいたのだろう。
その理屈に「はい、はい」といって、医者たちは小児科はもうやり
ませんとなってしまった。
これは困ったことだから、国民はもう少し節度ある対応をしないと
いけない。そういう方向への切り替えがこれから必要になってきて
いる。

 小泉首相には、外交と防衛をやってもらいたいと思う。
例えば、自衛隊が災害に出動するのはよいことだと日本国民は思っ
ている。だが、それでいいのだろうか。自衛隊がみんな新潟の山古
志村に入って雪かきをしているときに敵が攻めてきたらどうするの
だろう。
 だから、「軍隊は災害に出動してはいけない」と憲法に書いてあ
る国もある。そのときを狙って攻め込まれるではないか、というわ
けだ。
こんなことをいわれるとハッと気づく。「便利だと思って使ってい
たけれど、それではいけないんだ」と思うはずだ。

 自衛隊の隊長と僕の家で話をしたとき、こういっていた。
「我々は訓練を受けて、日本人の命と財産を守るためには命を捨て
て戦う。部下もそう思っている。だから北朝鮮へ行けといわれたら
行きます。なぜ出動命令が下らないのか。北朝鮮へ行って日本人を
助けるためなら、戦死者が出ても覚悟の上です。それなのに命令は
、サマーワへ行って水道整備をやれというものだった」
 こんなことでは、自衛隊員は死んでも浮かばれない。部下にも命
令しづらいだろう。
サマーワのような仕事は民間がやることで、その民間人を守るのが
自衛隊なのだ。
こういう根本から考えることが、これからは必要だと思う。

日下公人氏(くさか・きみんど)


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