2267.お天道様が見ているぞと、叫びたい。



お天道様が見ているぞと、叫びたい。浅山

小さい頃悪いと思われることや、悪戯をすると「罰が当たる」と叱られた思い出
があり、成人した後にも、何か悪さをした時は、後ろめたさを感じたものです、
「罰が当たる」のではないかと恐れもありました。

今回の耐震強度偽装事件が表に出て来て、その度に抗弁する設計士だとか、販売
者、建設会社の人たちの言い分、態度の厚かましさには怒りを通り越して、おぞ
ましさ、本来日本人の良さであった自己管理能力が衰弱化してきているようにも
思えます、彼らの中には「罰が当たる」の感覚はもう無いのでしょうか。

もう一つ、「そんなことすると、お天道様が見ているぞと」言うのがありまし
た。お天道様の祭祀役のアマテラス、その処女神の子孫が天皇家、もうこういう
神話も消えて、今は憲法で「象徴」などと飾られていますが、システムとしては
存在します。しかしこの言葉の力も今は無いに等しいし、「そんなことするとお
天道様が見ているぞ」という言葉も無力くなりました、復活する時は天皇崇拝の
復活の時でしょう。

これだけ民主主義が定着した現代、徹底して、人間は弱いもの、性悪説でお互い
の相互批判、監視しあうこと。組織にあっても監視機関、第3者機関を設置して
相互管理しない限り、止まるとこなく社会は乱れることだろうと思います。

特にお金で考える時代、お金が神様の市場価値に据えて考える時代。税金を払っ
てまわし、生命、身体、財産を守ってくれると委託している社会が信じられなく
なることの恐怖。主権在民の社会をより良く構築するためにも、腐敗しきる前
に、新たな社会システムを、混乱少ない今の時代に作らねばいけないと思われます。

直感鋭いコイズミさんも最近は鈍くなりました、末期症状でしょうか、皇室典範
も彼の治世では手が入れられなくなりそう、これは絶対やっておくべきでは無い
かと思いますが、先延ばしして混乱に乗じて変えられた時は王政復古に近いもの
になることでしょう。勿論、その前に為政者達は巧妙に準備することでしょう。
格差社会を作り、貧しい層から軍人を、軍隊の創設、「ジャー・ヘッド」に見ら
れるように、教育の格差、そして能力無いものは仕えるものに、能力、教育程度
高い者は、仕えさせる者、侍としての武家社会に近いシステムの中では、日本的
な私欲を捨てた行動が美意識の道徳教育がなされる必要が有りましょう。そして
「お天道様が見ているぞ」の為政者に都合の良い道徳教育の普及、教育勅語の復
活願望者の広報活動は今やとみに進んでいます。

オウムの例も参考になるのではないでしょうか。現代の社会に合わせた、まさに
国家構築はカルト、国と言う大きな嘘の上に立つ、フィクションの上に立つカル
ト集団ではないかと言っても過言でない気がしてきます。これを招くことを懸念
して、それを防止策として、諸国民が健全に日々を送れるために考え出す、シス
テム構築ができるのが今ではないでしょうか。政治学の空間は社会学のそれが皆
それであるようで、変幻自在なその時のものであります。真理だと信じて過ごし
ているにしか過ぎない、何パーセントかのアナキイズムも。

そしていくつかの、神が敷いたとしか思えない、生物皆に与えられた生殖の作業
の妙、それを体も心も未熟なうちに、早くから生殖作業の快感に刺激されること
による、スキゾ化する社会の問題、「18才未満は禁止」の知恵の有効性を再認
識し、両親はその作業の時に出される声など我が子のためには慎むなどが基本で
はないかと思います。

父が母が異なる家族の中で育つ義理の子に対してはより以上の配慮が必要ではな
いでしょうか、ここ数年、そんな家族の中で、子が殺されたとか親が殺されたと
かよく耳にします、昔から生物界では良くある話と思えばそれまでですが、知性
を旨とする人間ではこれをも解決の道を探して良いのではないでしょうか。ただ
法で括り罰則強化だけでやっているとその効果は失われて、反動だけが大きく出
ることでしょう。

最後の文章は最後まで読んでいただいた、ご褒美で笑いを取ろうとしましたが、
成功したどうか。ではまた。
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「行政責任と更なるもの −ライブドア事件の闇−」

◆首相の反省
一連のライブドア事件に関し、小泉首相は当初、昨年9月の衆院選で自民党がライブ
ドア前社長の堀江貴文容疑者を実質支援したことについて「事件と選挙応援は別問
題」と発言していた。
しかし、先月末になり、世論の非難に押されて「私も党本部で会って写真を撮った。
幹部も応援した。総裁・小泉の責任と批判されるなら甘んじて受ける」と責任を認め
た。
その上で「メディアが(衆院選の際に堀江前社長を)持ち上げ、他の候補者に比べて
はるかにテレビに出させた。逮捕されると、手のひらを返すのもどうか」とメディア
批判も改めて展開した。

この嫌々ながらの反省の弁は政治家以前に社会人としての常識も疑わせるが、首相に
道義的責任感を求めるのは、元々八百屋に行って魚を求めるようなもので無い物ねだ
りであった。
世間も、小泉首相のこの「憎めないキャラ」から発せられた反省の弁によって早くも
免罪したようで、事件によって50%を大きく割り込んでいた内閣支持率は再び回復
し、ホリエモンと新生ライブドアの運命はともかく政治的には事件は幕引きへ向かう
気配が濃厚になっている。

◆行政責任と更なるもの
さてしかし、ここで忘れてはならないのは、小泉政権はホリエモンを選挙に利用した
だけで無く、一連の事件および疑惑の持たれている期間についてライブドアを監督す
べき立場に立っていた事だ。
投資事業組合を使った偽計取引、マネーロンダリング、粉飾決算等々。
これらについて、見抜けなかった証券取引等監視委員会、金融庁、ライブドアの宮内
氏が取引に関しお墨付きを貰っていたとする国税当局等の行政責任は免れない。

これらについて、証券取引等監視委員会を始めとする行政機関はどのような情報収
拾、検討、意志決定を行ったのかそのプロセスを白日の下に晒すべきであろう。
それが、事件の再発を防ぐための法令、組織体制の見直しには不可欠である。

更に、時間外取引を使ったニッポン放送株取得では、村上ファンドの村上世章氏や外
資系証券会社が「たまたま売りに出していた」株を数十分の内にライブドアが取得
し、累計約35%を取得、同社筆頭株主になった。
これについて証券取引等監視委員会と金融庁はお咎め無しとしたが、筆者は当時「政
権に近いとはこういう事か」と素朴に思ったものである。
同じような感想を持った国民は多かったはずだ。

一説では、検察は既に官邸と手打ちが済み、事件をこれ以上拡大させない方針を決め
たとも聞く。
しかし、正すべきものがあるとするならば、国民の信頼と正義感を裏切らぬよう信念
に従って行動して頂きたい。

また、立法府においては、野党はたとえ行政責任の面からだけでも当時の担当大臣等
を喚問する必要がある。
ホリエモン一人が消えて丸く収まる子供騙しで済ませるなら、野党に存在意義は無く
直ちに解党すべきだろう。

                                   以上
佐藤 鴻全

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