2243.我欲を捨てた祈りへ向かうために



我欲を捨てた祈りへ向かうために         S子 
 
▼西欧型文明の闇的側面
「国際戦略」というコラムでありながら、私がここで述べてきたほ
とんどのことは精神世界に帰結するものばかりだという奇妙さがあ
ります。が、国際戦略を考える上でも、また、どんなあらゆる問題
に対処する上でも、そこに生身の人間の意識が働き、それが不可欠
であるという必然性とそこに働く人間の意識の不確実性と偶有性が
、個々の人生や世界動向の変化に大きく投影されていることは否定
しようがありません。

また、明治維新以降の我が国における西欧型文明の跋扈とそれに伴
う科学技術の進歩によってもたらされた高度物質文明で、人間の意
識だけが時の経過の中でまったく放置されてきたことも否定できな
い事実です。

科学技術の進歩による高度情報化社会は、あらゆる局面で「変化」
の加速度的度合いをより一層深めています。それに比して、人間の
意識は、特に我が国においては明治維新以降からほとんど変化して
いないようですし、むしろ危機感や緊張感という意識面では更に鈍
化しているように思えるのです。

この加速度的「変化」に追いつくことのできない人間の意識は、ひ
きこもりやおたくという社会現象として現れているのは周知のとお
りです。凶悪犯罪の増加、少年犯罪の低年齢化、倫理観や道徳観の
欠如した事件や希薄な危機意識が生んだ事故の多発は、高度物質文
明の中で取り残され、置き去りにされてしまった人間の意識が、こ
の加速度的変化の中で抱く不安や恐怖から生じていることは言うま
でもありません。

これは、現在の自分という人間の位置確認すらできないほど人間の
意識は彷徨っているということであり、だから、この高度情報化社
会の中であらゆる関係性の中で依拠して生きていかなければならな
いほど、我々は「他人任せの人生」を生きているということでもあ
るのです。大半の人が実は受動的人生を送っており、自分の強い意
思で能動的人生を送っている人は非常に少ないということであり、
西欧型文明の所産のひとつがここにあります。

また、お膳立てされたストーリー性とそこに対比させ、優劣を生み
出す二者の存在を構成させないと自らは正義という光輝く存在とし
てありえないという非常に強い偽善性を西欧型文明は内包していま
す。更に西欧型文明はモノを持つ、得ることによってはじめて人は
自由になることができるという思想が根底にあるために、それらに
汚染された日本人の意識は、ITや株、マネー、六本木ヒルズ、セレ
ブと言う言葉に象徴されるように、そこに辿り着くことがこの時代
の寵児や幸せであるかのような幻想を抱いているようです。

▼情報化社会ゆえの空虚さ
受動的人生を余儀なくされている背景には、高度情報化社会により
与えられる適度な快楽情報で、我々人間の意識がその受動性を自ら
が甘受しているという家畜的心理に起因しています。そのような受
動的人生の行く末に待っているのは、介護を必要としなければなら
ない高齢化社会の到来です。

ほどよく満たされたエサとほどよい快楽の中で、自ら自立して生き
る能動的人生を放棄した結果が、支配層から食い物にされるだけの
生では、人の五感は真に覚醒されることもなく、だから物事に対す
る意欲も中途半端でそのことを飽きるまでやり尽くすことはないで
しょう。一見ありがたく思える高度情報化社会も実は、人間の意識
を弛緩させる空虚な時代を我々に提供しているということでもある
のです。

▼脳の整理
いらぬ情報すらも捨て去ることができずに溢れかえる情報を溜めこ
んだ結果が、「ごみ屋敷」と化してしまった収拾のつかない人の脳
みそであり、その脳みそが今悲鳴を上げています。それ故にこの世
に生を受けた意味も理解できず、今生でやり遂げなければならない
自分の使命すらも人はわからずにいるわけです。情報に翻弄される
だけの空虚な受動的人生と適度なエサと適度な快楽を送る今生では
、人の中にいつまでたっても「我欲を捨てた祈り」は生まれようが
ありません。

今生での自分の使命をまず、見つけ出し、それをまっとうしてゆく
というプロセスの中で人は我欲を捨てて生きてゆくことを知るのだ
と思います。与えられたひとつの使命をまっとうするとはどういう
ことなのか、そのことを極めるとはどういうことなのか、飽きるま
でそのことをやり尽くすとは一体どういうことなのか、本気で、死
ぬ気で一度やってみるといいのです。そうすることではじめて人の
中からいらぬ妄想や欲望がそがれ落ちてゆき、「我欲を捨てた祈り
」へと人は自然に向かうことができるのです。

西欧型文明に汚染された我々の意識は既に「持てる自由」、「得る
自由」というたし算ばかりを思考し、そのことがあたかも正しいこ
とのように思い込んでいますが、真に自分を解放し、自由になるに
は余計な思考をそぎ落とし排除した引き算をすることが望ましいの
です。たし算というプラス思考をやり続けた結果が、思考の限界を
生み、空虚で不安な時代を到来させたのなら、我々人間がこれから
やるべきことは、「ごみ屋敷」と化した脳みそからいらぬ情報を捨
て去り、脳みそをきちんと整理整頓することです。

▼気づきという主体的指針
きちんと整理整頓された脳みそには必ず「空き」が出てきます。そ
の「空き」にいつでも心の声という「気づき」を取り込めるように
準備をしておくだけで、人生は大きく変わってくるように思います。
現代人は心がせわしなく動き続け、脳みそもごちゃごちゃと余計な
ものばかりが溢れかえっていますから、この「気づき」をまったく
取り込めない状態に置かれています。「気づき」を得ると自分の人
生の歩むべき道が自然に開かれてきますから、空虚で不安な時代を
生きるにはこれが重要な指針として生きてきます。

たとえ、その「気づき」としての行動結果が今すぐ良い結果として
現れなくとも、長期的見地からはそれで良かったということもあり
ますし、たとえ、良い結果とならなくとも心の声に正直に生きたと
後悔することはないでしょう。もし、そこで後悔があったとしても
後悔を受容できる「空き」があれば、そこに新たな「気づき」とい
う想像力を取り込むことでまた世界が開きますから、まったく心配
する必要はありません。それだけ「気づき」は我々の意識を能動的
に活性化させてくれます。

このようにして我々は「生活知」の中で短期的見地と長期的見地の
間を揺れ動き、また、空間の異なった公共的な「世界知」と私秘的
な「生活知」の間を揺れ動く緊張を伴った知性を養う努力を続けて
生きてみることです。プラス思考で「限界の思考」状態になれば、
そこで引き算をして、脳のバランスを取るという振り子のような柔
軟でかつ緊張を伴った知性があるからこそ、どのような状況も受容
しつつ、想像力たくましい能動的人生を送ることができるのです。

▼我欲の向う側
私は精神世界に入ってたかだか4年半という短さですので、いろんな
局面において修行もまだまだこれからだと思っています。自分なり
の探究心で地道に進んで行くしかないのですが、人生とはそういう
ものでしょう。そんな私が「我欲を捨てた祈り」を言うのは大変お
こがましく、実は個人の具体的な「我欲を捨てた祈り」を述べたと
ころでおそらく何の役にも立たないというのが正直な感想です。

そのような依存すべき姿勢こそが問題なのであって、それだけ我々
の意識は弛緩的、受動的になっているということでもあるし、それ
すら気づかないという鈍重さはまさに家畜的心理ゆえんでしょう。
高度情報化社会が結局は空虚な時代を生んでしまったのです。今後
、我々が心してしなければならない課題は脳の整理整頓であり、そ
の結果生じた脳の「空き」に「気づき」という主体的指針を取り入
れて、自らが能動的に生きることにあります。

そして、能動的に生きる姿勢を身につけ、与えられた使命をやり尽
くすことでしょう。そこまでしないと我欲はそがれ落ちないという
ことであり、祈りとはその我欲を離れた向こう側に存在してはじめ
て、祈りが純粋な祈りとして通じるように思います。

★ 「偶有性」・・半ば偶然に、半ば必然に起こるという性質。

★ 「生活知」・・私たちがこの世界の中に個として投げ出され、
         生き延びていく際に獲得する一人称の知。

★ 「世界知」・・私たちが一人称の生を生きるということからと
         りあえず切り離された知。公共的概念としての
         知。例えば科学を中心とする世界知。

参考文献  「脳」整理法 茂木健一郎著 ちくま新書
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(Fのコメント)
S子さんが言うとおり、国際戦略になぜ、人間の意識の問題が絡む
かというと、その潜在意識が人を動かし、かつ人の動きで事件が起
こり、国と国の争いになるため、この根本を見つめないとおかしく
なっている世界を変革できないためにです。

子供の時から座禅していると、いつも世界の苦難とハルマゲドンと
いう言葉が浮かんできていた。その状況も見えたような気がしてい
る。このため、この防止が自分の使命であろうと思っている。この
ため、その使命を実現するために、いろいろなことをした。自民党
や首相に近づいたこともあった。

しかし、どうも日本人の全体が、自分の根本思想に気がついて、世
界にその思想を伝播させることで世界は変わると思うようになった。
そして、そのためにはHPを活用する方がいい。これは現代のグー
テンベルグである。多くの人に宣伝でき、かつ皆様は無料で見るこ
とができる。

そして、このようなコラムを作ることも書くことも、S子さんみた
いな人が来ることも、全てのことが大きな存在からやらされている
感覚を持っている。応援していただいているような気がする。無償
の行為であるし、売名もしていない。匿名で記事を書いている。我
欲を捨てている。

この国際戦略コラムの記事を書くときも、どこからともなくアイデ
アが浮かぶ。普段の仕事や生活は非常に忙しくて、記事の話題を考
える状態ではない。本当に土日しかこのコラム記事を書けない。し
かし、一度、記事を書こうとすると、大きな存在が助けてくれてい
るように思う。

そして、日本が世界の世直しの中心にいるように感じる。ノーベル
平和賞を貰ったマータイさんが「もったいない」と日本語を紹介し
てくれたが、日本の古神道の考え方が日本の言葉に定着している。
このため、普段、日本人が感じることが非常に重要なことであるよ
うだ。全てに神がいる。霊魂がいる。そのため、全てを粗末に扱っ
てはいけないという生活の知恵。

これが戦後の日本ではなくなってきている。西洋文明は我欲が重要
という考え方であり、その考え方に日本が犯されて、ホリエホンや
姉歯氏のような金儲け絶対主義者が出てきているように感じる。
これを乗り越えるには、我欲を捨てて、自分潜在意識や日本の使命
に目覚める必要があるように感じる。

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