2229.科学技術の進歩と人間の意識変化



科学技術の進歩と人間の意識変化       S子

昨年末近くに大きく報道された耐震強度偽装マンション問題は、依
然としてその解決を見る様子もないが、似たような問題は過去にも
あった。建売り欠陥住宅がそのひとつだが、この被害者となるのは
一家族だけの問題であることから今日ほど大きな社会問題に発展す
ることはなく、自然にその報道も立ち消えていった。しかし、今回
の耐震強度偽装マンション問題はその被害者が一度に多数及ぶこと
から国会審議にまで発展し、国民の関心を大きく引きつけることと
なった。

昨年12月25日、山形県JR羽越線で強風のため死傷者37人を出
す列車脱線事故があり、19年前の旧国鉄山陰線余部鉄橋で強風の
ため転落した回送電車の事故を想起させた。過去に同じような事故
がありながらもその教訓が生かされることもなく事故がただ風化し
、人々の記憶から忘却されてゆくままなのは一体なぜか。

多発する幼児誘拐殺人事件は昨年末にも続発し、メディアが騒々し
く取り上げたのは記憶に新しい。それまでに不審者情報がありなが
らもその防衛対策は一切とられることなく、被害者が出るまでは誰
もその危機を認識することなどない。テレビ報道で大きく取り上げ
られるまでは誰も我が家に限っては常に危機からはまったく枠外に
いるとのんびりと構えているように見えるが、一体これはどうした
ことか。

このようにして現在起きている事件や事故を見ると、それが事件や
事故となって表面化し、メディアで大きく報道され、我々が視覚情
報として明確に認識できるまでは何の行動も起こすことができない
でいるという消極的、受動的姿勢が我々人間に蔓延しているように
思う。それだけ我々の生きる意識が希薄になっているという証左で
あり、生きるための情報の8割を視覚から得ているということを如
実に示す事実がここにある。

このような受動的で弛緩した我々の意識は一体どのようにして醸成
されたのだろうかと考える時、そこに科学技術の進歩に比例するよ
うにして我々人間の危機意識の希薄化、または弛緩と喪失が見られ
るように私は思う。

科学技術の進歩により我々は物質的に恵まれた、大変豊かな社会を
享受することができるようになった。快適便利な合理化された日常
生活を送り続けることで体感、実感できるその思いは年々強くなっ
ているのは確かなようだ。

また、科学技術の進歩は携帯電話やインターネットを登場させ、情
報化社会を到来させ、広い世界を縮小させた。グローバルな世界観
を我々人間に抱かせることで世界を民主化、都市化へと変容させ、
市場の形成と拡大化をもたらし、我々人間同士の経済的な繋がりを
より深化させてもいった。

こうして我々が行動の自由を拡大させることで精神はより一層の自
由を得、それに伴いモノやお金も自由に移動していった。現実にこ
のような世界を視覚で明確に認識し、体感、実感することで我々が
科学技術の進歩に寄せる期待はますます強まり、そこに科学技術へ
のひとつの信仰のようなものが生まれたとて当然であるかもしれな
い。

ここに科学技術進歩の結果生まれた物質信仰が誕生するわけだが、
モノに溢れる豊かな社会に暮らすことで物質への依存度もますます
高まり、結果そこに楽観主義が生まれるのは避けようがない。我々
が様々なものを見たり考えたりする上で、物質信仰からくる楽観的
見地に立ったり、楽観的予測しかできないようになるのも当然の結
果であるだろう。

しかし、科学技術の進歩はあっても科学は万能ではないということ
を我々はこの楽観的見地から忘れてしまいがちである。まず周辺状
況(気象条件、人間の心理的状況等)が随意変化するということで
ある。科学でいくらあらゆるものを合理化させようとしてもそこに
「抵抗するモノ」が存在する限り、科学は万能になることはできな
い。

米国がイラク戦争で泥沼に陥っているのもそこに「抵抗するモノ」
を計算に入れることができなかったためであり、科学技術進歩の結
果生まれたハイテク兵器という物質信仰に絶対の信頼を寄せすぎて
いたための楽観的見地とその予測からである。

科学技術の進歩は、そこに「抵抗するモノ」が存在する限り「人は
必ず失敗する」という前提条件を絶対に忘れてはならず、その見地
や予測に立ちながら常にあらゆる失敗を想定してゆくことではじめ
て科学技術の進歩がなされてゆく。楽観的見地や予測のみでは今日
の科学技術の進歩はなく、またこれからの未来にもそれはないだろ
う。

また、小泉首相の行う「民営化」という流れも我々人間の危機意識
の希薄化や弛緩、喪失に加担してもいるというのは実に皮肉という
しかない。「民営化」という流れは我々個々に競争の激化をもたら
し、そのための経費削減圧力による更なる業務形態の合理化、マニ
ュアル化を促す。

結果、「抵抗するモノ」がそこにあろうがなかろうが無理やり合理
化し、マニュアル化に押し込むことで想定外の事故が起こる。我々
はその合理化やマニュアル化に無理やり押し込められることで、危
機に対する思考も行動もできぬほど管理された受動的人間に陥って
しまうために、危機への対処が希薄となり、また危機への予測もで
きにくい状況に陥るという悪循環のスパイラルが醸成される。

耐震強度偽装マンション問題が起こる背景に、「民営化」の流れゆ
えんがあることは否定できないということである。

科学技術の進歩による物質文明の恩恵を受け豊かな社会を享受する
ことで、我々人間の意識は物質信仰という外界に向けられ、快適便
利な合理化された日常生活を送り、それを体感、実感することで楽
観主義が醸成された。そこから我々の意識は生命への危機に対する
認識の希薄さや弛緩、喪失へと徐々に変化して、今日のような事件
や事故を生み出す結果となった。

そして、我々人間の意識はこの情報過多社会の中で、個人の明白な
主観や意思で生きているのではなく、あらゆる情報に大きく左右さ
れ、翻弄されて生きているということをはっきりと認識することが
できた。

科学技術が日々進歩してゆき、物質に依存して生きることで我々は
我々人間自身の内面に向き合うことを忘れ、人間自らの力を信ずる
ことなどできないようになってしまった。しかし、その科学技術を
日々進歩させてきたのは他ならぬ我々人間自身の内面に潜む計り知
れない見えぬ力である。その見えぬ力が今日の文明を構築し我々は
その恩恵を受け日々暮らしていることを理解するなら、我々が真に
なすべきことは我欲を捨てた「祈り」あるのみであると私は思う。

参考文献  ル・モンド・ディプロマティーク
      「科学は信仰であってはならない」
      http://www.diplo.jp/articles05/0512-3.html

      「失敗知識活用研究会報告書」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/gijyutu/001/toushin/010801.htm
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難しい表現だが        みみっく 

>科学技術の進歩は、そこに「抵抗するモノ」が存在する限り「人
>は必ず失敗する」という前提条件を絶対に忘れてはならず、その
>見地や予測に立ちながら常にあらゆる失敗を想定してゆくことで
>はじめて科学技術の進歩がなされてゆく。楽観的見地や予測のみ
>では今日の科学技術の進歩はなく、またこれからの未来にもそれ
>はないだろう。

賛成する。
私なら、「想定外の出来事には計算されつくした手法も無力である
」と言いたいが。 
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失敗を生かす「失敗学」 
http://www.athome.co.jp/academy/engineering/eng07.html

工学院大学国際基礎工学科教授
畑村洋太郎
1941年、東京都生れ。東京大学工学部機械工学科修士課程修了後、
日立製作所でブルドーザーの開発設計に従事。その後、73年、東京
大学工学部助教授、83年、同大学大学院工学系研究科教授に就任。
01年より現職。また、同年より畑村創造工学研究所を主宰。東京大
学名誉教授。著書に『失敗学のすすめ』(2000年、講談社)、
『社長のための失敗学』(02年、日本実業出版社)、『決定版 失
敗学の法則』(02年、文芸春秋)、『成功にはわけがある』(02年
、朝日新聞社)、編著に『続々・実際の設計--失敗に学ぶ』(96年
、日刊工業新聞社)、『子どものための失敗学』(01年、講談社)
など多数。

失敗学とは、起きてしまった失敗を生かすためのポジティブな学問

―― 先生の失敗学に関するご著書は、軒並み大ヒットを記録して
いらっしゃいます。中でも2000年に発行された「失敗学のすすめ」
はベストセラーとなりましたね。

畑村 これまで失敗事例を分析した学問などなかったですから、皆
さんに与えた衝撃が大きかったのでしょう。

―― 私が最初に読ませていただいたのは、「失敗学」誕生のきっ
かけとなった「続々・実際の設計--失敗に学ぶ」でした。機械工学
の権威ある先生のご著書ということで、難しいのだろうなと怖々手
に取ったのですが、読み始めてみると魅きつけられてしまい、大変
面白く読ませていただきました。

畑村 失敗学というのは、失敗を誹(そし)ったり、自信をなくさ
せるのが目的ではなく、逆に失敗を生かしていこうというポジティ
ブな学問です。想像以上の反響に驚きの念も隠せませんが、これだ
け支持され、また「このような本にもっと早く出会いたかった」と
いう声を数多くいただいているところを見ると、随分必要とされて
いる学問なのだなとうれしく思っています(笑)。

―― それにしても、なぜ失敗を研究してみようなどと思われたの
ですか?

畑村 ある時、大学の講義で失敗事例を話してみたら、想像以上に
学生の反応が良かったんですよ(笑)。

―― 学校で教えてくれるのは、うまくいく方法ばかりだと思って
いた学生達は、さぞやびっくりしたでしょうね。

畑村 そこが面白かったのでしょう。

「失敗は成功のもと」というくらいですから、創造、進歩に失敗は
付き物なのです。ゼロからものを創り出すのに、初めからうまくい
くわけありませんよ。失敗というと「避けたいもの」とついマイナ
スなイメージで捉えがちですが、意識してみると失敗から学ぶこと
はとても多い。これは科学に限らず、身近なことにもいえます。
それならば、徹底的にそのメカニズムを調べる必要があるなと思っ
たのです。

また、うまくいく方法ばかりでは、既存の技術の真似や過去に起き
た問題への対応は上手にできても、新たなものを創造する能力を身
に付けることにはつながりません。

日本のロケット開発技術も失敗がもたらした産物!?

―― 先生のご著書で多くの失敗事例を読ませていただき、いわゆ
る「ドジ」ともいうべきやや滑稽な失敗から、犯罪ともいえるよう
な失敗、また、その後の技術進歩につながるような「意義有る」失
敗まで、その範囲が随分広いことを改めて実感いたしました。

畑村 しかし、いずれの失敗も分析してみると、「未知」「無知」
「不注意」「手順の不遵守」「誤判断」「調査・検討の不足」「制
約条件の変化」「企画不良」「価値観の不良」「組織運営の不良」
の10種に原因を分類することができます。どんな失敗でも、これら
いくつかが重なったために起こるものなのです。

これだけ分っているのですから、失敗を生かさない手はないでしょ
う? ですから、単に失敗してしまったという結果を責めるだけでは
なく、次の事故防止、新たな進歩への大事な教材と捉え、生かして
いくべきなのです。

―― なるほど。失敗そのものを探求し、そこから学ぶことが大事
なわけですね。

畑村 その通りです。

例えば、1999年のH-2ロケット8号機が打上げ後に、最後の制御の
不具合で小笠原海域へ墜落してしまったニュースは記憶に新しいで
しょう。これなどは失敗を無駄にせず、後の技術進歩につなげた良
い例です。

―― もちろん覚えています。確か、メインエンジンを広い海域の
、それも3,000メートルの深さのところから引き上げたと聞いていま
す。奇跡に等しい出来事だったんですよね?

畑村 私もあの時は、よくぞ探し出した! と興奮したものです。

というのも、これを単に不調だったためと締めくくっていたら、先
日のH-2Aロケット打上げ成功も随分先のことになったといっても
過言ではありません。失敗の原因となったメインエンジンを必死で
探し出し、なぜ失敗を招いたのか徹底的に調査、分析したことでさ
まざまなことが解明できました。いうなれば、失敗を教材として生
かしたことが今日のH-2Aロケット成功を導いたのです。

―― まさしく「失敗は成功のもと」を実践、証明したわけですね。

しかし当時は、そんなマスコミ報道はありませんでしたね。むしろ
失敗してしまった事実だけを大々的に取り上げていたような…。

畑村 残念ながらそうでした。ロケット開発などまだまだ未知の分
野なのに、日本人はどうしても失敗をプラスに考えることが苦手な
ようで…。

―― その後に至っても、ちょっと不具合が公になったりすると、
「日本の技術もここまでか!」なんて叩かれてしまったり…。

一方でアメリカでは、チャレンジャーの打上げ失敗が、後の技術開
発につながる大変有意義なものだと認識されているそうですね。

畑村 失敗への認識が全然違うんです。

日本という国自体、古くは中国、近年は欧米の真似をすることで発
展してきたこともあって、自ら創意工夫する能力より、正解を探す
能力の高さを評価してきたところが多分にあります。失敗を恐れ、
マイナスに捉えがちなのも、そうした背景も影響しているのだと思
います。

―― これが文化の違いというものなんですね。また、日本は「恥
」という意識を重んじる傾向が強い、というあたりも影響している
のでしょうか?

日本の過去と未来を示す2つの「恥」意識

畑村 なるほど。恥とは新鮮な着眼点ですね。

では、せっかくですから、もう少し掘り下げて考えてみたいのです
が、私は「恥」にも2通りあるのではないかと思っています。そして
ここには、今の日本で正さねばならない姿と、今後進むべき姿、
この2つの対極ともいえる意識が隠されていると思うのです。

―― 随分、重要なキーワードに気付いてしまったようですね。早
速、お聞かせいただけますか?

畑村 1つは、社会規範に対しての「恥」です。日本は、組織や協調
性というものを大事にする文化が強い国。悲しいことに、いまだ従
来型の「村文化」が横行しているのが現状です。このため、何か失
敗をしてしまった時に、まず会社などの組織の損得を考え、隠そう
隠そうとしてしまうケースが多いのです。今、問題視されている大
企業の不祥事などはその最たる例ですね。明らかに間違っているこ
となのに、組織の中でそれを指摘できずに良しとしてしまう。

―― 確かに、昔はそれでも通用したのでしょうが、時代とともに
価値判断も大きく変化しています。

畑村 その通り。昔に比べ、人、ものの移動の範囲が広がっていま
すし、今や文化さえも流通する時代です。失敗を恥という意識で捉
えるなどという小さな器の人間の集まりでは、組織の膿はますます
大きくなってしまいます。ですから、組織のためにと失敗を隠そう
とせず、むしろ今後の教材として公にするべきなんです。

最近よく耳にする内部告発なんていうのも、この文化に我慢ならな
い、また良心に正直な人々が起こす行動だともいえます。ですが、
思い切って公にしても裏切った、リークしたなどと責められてしま
ったりする…。こんなおかしな話はないと思うのですが、そういっ
た強制力のようなものが、まだこの国の文化に色濃く残っているわ
けです。

―― 分ります。如何ともしがたい現実ですよね。先生は、失敗学
を世に広めることで、このような風潮、意識を取り除いていきたい
と思っているのですね。

畑村 ええ。そこで逆に広めていきたいのが、2つめの恥の意識なん
です。

同じ恥の意識といっても、こちらは己の良心に対する恥の意識。自
分はこうしたいと思っているのに、その意志に反した行動をとって
しまった、とらざるを得ない状況に陥った場合などに感じるもので
す。いってみれば自身の志に対する失敗の恥の意識で、これは人の
生き方に関わる大事なことです。

―― 個人の価値基準が問われるわけですね?

畑村 その通り。現代は、精神的にも経済的にも肉体的にも個人の
自立が求められる時代です。自身できちんと考えて行動する、決し
て人の基準で動かない強さが必要なのです。ですから逆に、志に対
する恥の意識を持っていない人は流されてしまうでしょうね。前者
の「恥」とは大違いです。

―― おっしゃる通りですね。自身で基準をつくり行動するのは、
怖さ、辛さを伴いますが、これが「志」ですよね?

畑村 そうなんです。ですからその志に従って、失敗を恐れずに突
き進んで行くべきなんです。そして、もし失敗してしまった時には
、隠すことなくその事実を直視し、そこから学び今後の糧とする、
この姿勢こそが生きていく上でとても大事なのだと思います。

―― そういう人間が集まれば、自ずと組織も文化も変っていくで
しょうね。

畑村 そう思います。

とはいえ、生死に及ぶような致命的な失敗は絶対にしてはなりませ
んよ。しかし、多少の痛みは必要でしょう。というのも、人間は、
痛みを感じた時点で初めて次への対策を考えるものですから。それ
から、失敗学は決して「失敗しろ!」と勧める学問ではありません
からね(笑)。

―― はい、よく分りました(笑)。

過去の失敗事例共有へ、データベース作成中

―― ところで現在は、過去の失敗事例のデータベースづくりに取
り組まれていらっしゃるとか。

畑村 ええ。各々が失敗を後の糧にするだけでなく、その失敗を知
識として残していくことも失敗学の目的の1つなのです。より多くの
失敗事例を広く共有できるようになれば、さまざまな分野で役立ち
ますから。

―― 早期の実現を心待ちにしております。

また、最近発行された「社長のための失敗学」というご著書が随分
評判を呼んでいるそうですね。

畑村 おかげさまで、日本はもちろんのこと、すでに東アジア各国
でも翻訳、出版されております。

―― 先生のご著書は、東アジア各国で経営の教科書とされている
とか。

私も、興味深く読ませていただきましたが、中でも巻末の「失敗し
た社長の頭に浮かぶ事柄」をまとめられた図は、実によく分析して
いらっしゃると感心いたしました。まるで私の頭の中を覗かれてし
まったような…(笑)。

畑村 「社長業もしたことがないのにどうして分るの?」と、友人
などにもよくいわれるんですよ(笑)。もともと私は機械工学の失
敗事例の研究から始めましたが、実は経営も機械工学も失敗のメカ
ニズムはそう変らないものです。ですから今後も、さまざまな分野
に応用して、多くの人に自信を与えることができるような本を発行
していきたいと思っています。

―― 前人未踏の分野ですから、いろいろとご苦労もおありでしょ
うが、失敗を恐れず(笑)、今後もますますご研究、ご執筆に励ん
でいただきたいと思います。

本日はありがとうございました。


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