2188.財政論議の視点 「量」と「質」



財政論議の視点 「量」と「質」

 最近の財政論議の視点が「量」を中心とした論議のように見える
。財政収入のうち借金(国債&地方債)が多すぎ、もうすぐ破綻す
ることが高い確率で予見される。ゆえに、支出削減と収入増をはか
らなければならない。小さな政府に国家制度を変更させ、支出削減
を先行して実施する。それでも破綻を免れないことを国民が納得し
、その後に収入増をはかるべきだというのが、小泉首相の方針であ
る。つまり、現在のままでは支出増加が激しすぎるので、支出抑制
策(例えば、公務員削減・公共投資抑制等)を行う。その上で足り
ない社会福祉費用は増税(消費税率のアップ)して賄う。

 非常に判りやすい。しかし、この論点の土台は「量」だけだ。支
出削減の限度はこれぐらいの「量」しかできない。この「量」は現
在の収入をオーバーするので不足分を増税して補う。数字だけを求
めると、必ず「量」だけの論議になる。論議の出発点が違うと思う
。財政とは「量」と「質」の組み合わせである。

 そもそも、今回の衆議院選挙で国民が選択した小さな政府とは、
国民が自助努力を今以上にしなければならない反面、規制が少なく
、より自由な発想・行動ができ、結果として社会の活力が増大する
社会を意味する。この視点から財政を論議しなくてはならないはず
だ。

 また、小さな政府になると社会的弱者の救済がなされないと一方
的な主張は資本主義を理解していない人々だ。資本主義には「他人
資本による事業運営」がある。これに関する制度・仕組みや運用等
とその理解の普及が現在の日本では遅れていると感じる。この部分
から救済制度(公的・私的含めて)を組み立てられないだろうか。

 「質」の視点からの論議とは支出する個々の内容の質ではなく、
国家全体の方向性とその実現を図る制度・仕組みをどのようするか
の論議である。そして、国民は小さな政府を目指す方向性を選択し
た。国会や行政はその方向性に従った制度をどのように実現するか
が、中心テーマとなる。現在の社会・国家の制度・仕組みの大部分
は大きな政府を実現する方向性で組み立てられている。その制度・
仕組み改革する上で財政はどのような働きをしなけらばならないか
という論点が「質」の意味するところと思う。現状の制度の中での
論議では済むはずがない。

 当分の間、選挙を考慮せずとも済む今がチャンスであり、国民の
不安解消(福祉・年金など)や国家財政の為に、あえて増税を訴え
るというのは浅はかな考えだ。

佐藤 俊二

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