2187.顔の見える農業



 顔の見える農業
                平成17年(2005)11月26日(土)
                「地球に謙虚に」運動代俵 仲津英治
 
 私は、日本で今年初めて知合いからお米を購入しました。無農薬であり化学肥
料を使っていませんから、安心であり、おいしくいただけます。近在のコイン精
米機で300円投入して五分つきの白米に精米しました。発生した米糠は、堆肥作り
に活用しています。

 平成15年(2003)夏から2年間の台北在住中は、EM(Effective―Microorganisms
=有用微生物群、琉球大学の比嘉照夫教授が発見した五科80種の微生物群の総称。
生ゴミの堆肥化、汚水汚泥の浄化などに有効性が実証されてきている)を活用し
た、EMブランド米(台東の池上米の一つ)を現地で知り合った豊林公司の社長黄 
明秀氏から購入していました。割高でしたが、安心と味が大事なポイントです。

 日本での知合いは、以前からの既知である大津市堅田の伊佐 恒範氏です。伊佐
氏は「地球に謙虚に」運動の呼びかけ人の一人で、NPOびわこEMラブの事務局
長でもあります。

 彼はサラリーマンながら、化学肥料、農薬を使用する農林省指導型慣行農法に安
全性と将来性に疑問を感じ、自然の力を活用する不耕起栽培(千葉の岩沢氏提唱)
に併せ、前述のEMを活用する稲作を3年前から始めました。

 不耕起栽培とは、田んぼを耕さず、堅い土壌でも根を張る稲の本来の能力を生か
す農法です。また収穫期の1ヶ月前には田んぼから水を抜きますが、収穫後は再度
水を張ります。冠水された田んぼでは、残った稲わら、稲の切り株が微生物によっ
て分解されて天然の肥料となります。田んぼは耕しますと以前からの土中の野草の
種が掘起こされ、発芽して稲の成長を抑えてしまうとのことです。

 冬季間、水が張られた水田ではプランクトンやイトミミズが発生し、メダカ、ド
ジョウ、タニシ、水生昆虫、カエルなどが春にかけてやってきて、それらを餌にす
る野鳥が飛来するようになるそうです。また野鳥の糞が稲の栄養ともなります。実
際彼の田んぼではカルガモなどが越冬していたそうです。サギ類の他、シギ・チド
リなどの旅鳥も飛来するようになります。このことは同じく滋賀県志賀町に住みな
がら不耕起栽培(EMも活用)されている別の方からも伺いました。蛇も来るので
困るのですが言いつつ、自然豊かな田んぼは、人間にも安全なお米を提供してくれ
ると明るい笑顔です。

伊佐さん等の夢は、堅田の落雁とかつて呼ばれたガンに代俵される渡り鳥の飛来
する光景を復活させることです。伊佐氏の話では、昆虫類が増えると稲の葉や、
花芽を食べる昆虫にも食害されるが、自然には必ずバランスを取る生き物が現れ
るというのです。クモです。それも巣を張るクモではなく、地上を移動しつつ天
敵を食べてくれるクモだそうです。この話は、殺虫剤の散布を止めた茶農家の方
からも伺いました。殺虫剤を止めた年の収穫は対前年より半分位に落ちたそうで
すが、3年で回復したとのことです。

 伊佐氏は、稲の肥料にも化学肥料は一切使わず、前述のEMぼかしを米糠で大量
醗酵製造させ、水田に散布します(合計1000kg前後、1反当り200kg)。除草剤は
一切散布しませんので、かなりの野草が生えるようです。この除草作業などに手間
隙がかかり、不耕起栽培&EM米は割高となります。また除草をマメに実行しない
と減収に繋がるそうです。

 彼がくれたデータを見ますと、五反(1反は300坪=約1,000平米、大津市から滋
賀県志賀町にかけて)田んぼで、平成15年から変動はありますが、毎年1反あたり
大体6俵になりましょうか。今年はもう少し除草すれば良かったと彼の弁。普通慣
行農法では1反で10俵の収穫があるようです。この農法では稲を密植して、化学肥料
を大量に投入し、除草剤、殺虫剤などもかなり使用します。

お米一俵は60kg、今の日本人の一人当たり年間摂取量です。コストは初年度に
はかなり掛かりましたが、いまや当初の3分の1あたりまで低下したそうです。
 彼から購入したお米は30kgで2万円(収穫を手伝うと1.5万円)と市販されてい
る一般米は8,000円程度ですからかなり割高と言えましょう。しかし無農薬で自然の
栄養を吸収したお米はとにかく安全です。そして豊かな自然が不耕起栽培とEM活
用により、戻ってくるのです。琵琶湖に流れ込む水田の水にも化学薬品は含まれま
せん。

 毎日の食生活で、無農薬で安心しきれるものは少ないと言われます。とりわけ毎
日飲食する食材は大事です。お米はほとんどの人が頂き、水は飲まない人はいない
でしょう。連日摂取する飲食物には安心できるものを頂き続ければ、健康増進にも
繋がるはずです。

 また近所で耕作している女性からも妻が野菜を買っています。妻が確認したとこ
ろでは、完全無農薬ではないが、通常よりかなりの減農薬栽培しているとのことで
す。

 スーパーでも昨今は栽培農家の写真が展示され、顔の見える農業が現実化して来
ました。滋賀県は琵琶湖を控えており、減農薬栽培が実行されていると伺いますが、
完全無農薬で化学肥料を使わない農業は現実にはまだまだ少ないようです。また農
薬もさることながら、化学肥料は長期間使用すれば、本来土の持っている地力を減
退させ、将来農産物を生まない痩せ地になってしまうのではないかと私は危惧の念
をもっています。

 身土不二という言葉があります。我々の身体は、その住んでいる土地とは分けら
れないというような意味だそうです。やはり近在で収穫できるものを頂くことが身
体にも良いし、地産地消が理想ですね。スーパーなどには遠来の農作物、魚介類、
家畜肉が販売されています。これらのために膨大な経費とエネルギー浪費されてお
り、環境破壊、地球温暖化も促進しています。皆様いかがでしょう。
                               以上 

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仲津英治
「地球に謙虚に」運動代表
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「眠りにまさる名医なし」「眠りは可能性の宝庫」   
  
  昨年に続き「睡眠博」が十一月二十日、都内で開催される。今年のテーマは「眠りの世
 界は本音色、遊びの心の玉手箱」。睡眠について講演、実演などを通してより具体的に
 知ることができる企画だ。主催はNPO法人睡眠プロデュース協会
(佐藤とみ子会長)。 世界日報掲載許可

「夜」テーマにした佐藤会長の童話
「帰ってきたかぐや姫」
アースデイ万博出版大賞受賞
 『帰ってきたかぐや姫』(さんが出版)  
 
 佐藤会長は「眠りにまさる名医なし」「眠りは可能性の宝庫」と語っているが、会長に
 とって特筆すべき出来事は、今夏出版した童話『帰ってきたかぐや姫』(さんが出版)
 が、愛知県で開催された「愛・地球博」で「アースデイ」万博出版大賞を受賞したこと。
 同書は、夜を取り戻すことをテーマにして書かれているが、この受賞によって、会長が
 唱える「眠りや夜の重要性」が世界的に認められたともいえよう。
 同書はこう始まる。「街は、24時間起きています。/人は、闇を忘れてしまい/夜を
 必要としなくなり/眠りを大切にしなくなりました」――。まるでサスペンス仕立ての
 ようである。

 続けて、「かぐや姫は自分の存在価値がなくなってしまったので/扉を閉め、ひきこも
 ってしまいました」と、主人公かぐや姫が登場する。さらに「その日から夜が来なくな
 りました。/一日中明るく、まぶしく/人々はストレスがたまり、イライラして/争い
 ごとが、たえなくなりました」と。

 『帰ってきたかぐや姫』で「アースデイ」万博出版大賞を受賞した佐藤とみ子氏  
 
 現代人が抱える“生活のゆがみ”を的確に突いている。同書は、このかぐや姫を地球に
 再度迎えるにはどうしたらいいのかを模索しながら、その中で「昼重視」の現代人が忘
 れてしまった“かけがえのない物”を一つ一つ発見していく。そして、救世主のように
 大歓迎のうちに迎えられるかぐや姫。そこから、世界平和への扉が開かれる――。生き
 ることの原点を教えられるような感動がある。

 受賞名にあるアースデイとは、四月二十二日の「地球の日」を指す。「地球に感謝し美
 しい地球を守る意識を共有する日」(アースデイ東京2005HPから)と位置づけら
 れている。世界的には一九七〇年に米国でスタート。日本での初めての活動は一九九〇
 年になる。この年、全国で二百カ所、一千を超えるグループが参加。シンポジウム、コ
 ンサート、記念植樹、ゴミ拾い、フリーマーケット、手作りはがきの実演、廃食油のせ
 っけんづくりの実演などが行われた。

 来年開かれる「アースデイ東京2006」は四月二十二、二十三日で、東京・渋谷の代
 々木公園が中心となる。


◇   ◇
 「EXPO2005睡眠博」に関する問い合わせ:NPO法人睡眠プロデュース協会事
 務局 電話03−3515−3897 ホームページhttp://www.suimin.jp

 「アースデイ東京2006」に関する問い合わせ:ホームページhttp://www.earthday-
 tokyo.org/ (岩田 均)
 
     Kenzo Yamaoka
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旧街道に並ぶ名画の看板−東京・青梅市   
   
  都心から西へ約五十キロ。秩父多摩甲斐国立公園の玄関口に当たる東京・青梅市。毎年
 二月に行われる「青梅マラソン」や関東一の梅の里といわれる「吉野梅郷」で知られる。
 そしてもう一つ、注目を集めているスポットが「懐かしの映画看板」の集まる旧青梅街
 道の商店街周辺だ。かつて見た名画に思いをはせながら周辺を散策すれば、深まる秋を
 楽しめるに違いない。
(角川吉夫・世界日報掲載許可) 

古い家並みにマッチした久保板観氏の絵 
古い家並みにレトロ感覚いっぱい
空き店舗を利用したユニークな博物館も
 青梅駅のホーム中ほどにある木造のそば屋「青梅想い出そば」の壁には、いきなり三国
 連太郎主演の「大いなる旅路」の看板が掲げられており、目を見張る。地下連絡通路に
 も「鉄道員」(日本・イタリア)、喜劇「急行列車」、キャサリーン・ヘップバーンの
 「終着駅」など鉄道に関係ある名画の看板が並ぶ。だが、ここ青梅市に映画館がたくさ
 んあるわけではない。それどころか昭和四十八(一九七三)年に、一軒残っていた映画
 館が廃館になっている。
 この懐かしの映画看板は、青梅市が町おこしで始めたもの。旧街道沿いに並ぶ店先や駐
 車場、道路の角などにたくさん掲げられている。古い家並みにレトロなタッチの絵柄が
 似合っている。一枚の大きさは畳一枚分は優にありそうだ。いずれも絵の下に「板観画」
 とサインしてある。

◆   ◆
 これらの絵を描いたのは国内で「最後の看板師」として知られる久保板観さん(64)。
 青梅市生まれの青梅育ちだ。きっかけは十二年前に「青梅宿アートフェスティバル」の
 際、「昔の映画看板を再現してみないか」と話が来たことから。久保氏は中学を卒業後、
 見よう見まねで地元の映画館の看板を描くうち、十六歳の時に、夢だった映画の看板絵
 師になった。最盛期には多くの看板を手掛けたが、青梅に映画館がなくなってからは
 「普通の」看板職人に。スーパーや商店などの看板を作ってきた。現在描いている映画
 看板の方はボランティア。泥絵の具を用いるため絵は一年ほどしか持たない。そのため
 毎年新しく書き直しているそうだ。

◆   ◆
 空き店舗を利用したユニークな博物館も見所いっぱい。赤塚漫画の原画や当時のアパー
 トを再現した部屋などがある「青梅赤塚不二夫会館」、昭和に作られたお菓子や文具な
 どが展示されている「昭和レトロ商品博物館」、古き良き昭和を体験できる「昭和幻燈
 館」の三館。街の通りには赤い丸ポスト、しゃれた電話ボックス、木造のバス停、さま
 ざまな動物の像など。青梅が丸ごと博物館のようになっており、路地や坂道をのんびり
 散策するだけでも面白い。民家の軒先に梅の実が干してあったり、「猫かいぐり公園」
 なんていうユニークな公園に出食わす。地元ならではの食材を利用した料理を出してく
 れる気の利いた老舗の料理屋もたくさんある。少し足を延ばせば、多摩川沿いの「釜の
 淵公園」周辺の紅葉が美しい。街の人たちの温(ぬく)もりが伝わり、どこか懐かしさ
 さえ感じる青梅周辺だ。
       Kenzo Yamaoka
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米国へ流入する日本食文化   
   
 寿司など生魚が人気に/優れた文化は自然に伝わる
在米外交評論家 那須 聖       世界日報掲載許可    
米国食が招いた肥満と心臓負担

 世界には、国際親善とか相互理解のためと称して、文化交流協定を締結したり、計画を
 企画したりする国が多い。ところがひときわ優れ、魅力的、かつ効率的な文化は、その
 ような努力をしなくても、自然に他の国に流入していくものである。しかも交通、通信
 網が世界的に整備され、グローバリゼーションが進行している現在、文化の自然交流も
 急テンポで進んでいる。

 日本は世界一の長寿国である。これに対して最も自由で優れた文化を持っていると自認
 しているアメリカ国民の寿命は、日本人に遥かに及ばない。アメリカ人の中には、この
 人は飛行機の座席に座れるだろうか、無理して座れても、再び立ち上がれないのではな
 いだろうかと心配されるほど肥満型の人が多いが、日本人の多くはすんなり型である。
 肥満は心臓その他の内臓に悪影響を及ぼして、アメリカ人の寿命を日本人より短くする
 主な原因の一つである。この違いは、どうやら食べるものから来ているらしい。

 アメリカ人の主な食事として、誰でも挙げるのが、ビフテキ、ハンバーガー、ホットド
 ッグ、チーズ、バターなど、牛肉、豚肉および牛乳製品である。これらには動物性脂肪
 が多く含まれている。つまり人間の体温よりも高い体温を持った動物製品である。それ
 にデザートといえば、砂糖をふんだんに使ったケーキ類を、コーヒー、紅茶など、カフ
 ェインを含んだ飲み物で流し込む。これでは肥るだけでなく、糖尿病にもなり、これが
 他の病気を併発するから、寿命が延びないのは当然である。

日本料理でも魚に注文集まる

 ところが日本人は魚と野菜を多く食べる。これらは人間の体温よりも低く、人間の体に
 とって消化し、摂取し易く、胃腸にやさしい食品である。ここに肥満型とすんなり型の
 違いが出てくる。

 元来アメリカ人は生の魚といえば、魚臭い、磯臭いといって身震いし、日本人が蛇肉を
 嫌うように、頭から受けつけなかった。ところがここ二十数年来、大都会に住むアメリ
 カ人の間で大流行しているのが、にぎり寿司である。二十年ほど前まで、アメリカ人に
 とって日本食といえば、すき焼きか天ぷらに限られていた。しかし最近では、ニューヨ
 ークおよびその近辺に三百店以上ある日本料理屋に入る客の八割以上はアメリカ人で、
 彼らはもうすき焼きや天ぷらには見向きもしない。まずにぎり寿司に手を出す。にぎり
 寿司に次いで刺し身をはじめ魚料理であり、昼は箱入りの弁当。これを事務所ヘ持って
 帰って食べるサラリーマンが実に多い。日本人の主食であるご飯は、彼らには味がなく、
 なかなか飲み込めないから、醤油をかけて食べる。

 アメリカ人は食事の前にアペタイザーを食べる習慣があるが、日本食にはそれがない。
 この点を物足りなく思う人のために、枝豆を出す日本料理店が多いが、これがまた大流
 行である。枝豆は大豆であるが、醤油も大豆製品。最近アメリカで流行している豆腐も
 そうである。にぎり寿司だけでなく枝豆、豆腐などは、スーパーマーケットでも売れる
 ようになっている。

 大東亜戦争が終わって間もなく、アメリカの大リーグが日本へやって来て、日本の球団
 と試合をした。

 それまで多くの日本人はアメリカでコカコーラが人気を呼んでいることは知っていたが、
 口にした人はいなかった。そこでコカコーラ会社は日本人の間にも普及させようという
 わけで、大リーグとの試合の時に、観客に無料でコカコーラを配った。多くの日本人は
 こんな薬臭いもの、何処が良いのかと不思議がった。ところが現在日本人の間にも普及
 し、薬臭いと言って拒否する人は殆どいなくなった。かつて多くのアメリカ人は生魚を
 受けつけず、醤油は妙な匂いがすると言って嫌っていたが、今ではそんなことを言うア
 メリカ人はいなくなった。

 つまりアメリカ人の味覚、臭覚はともに日本食に、日本人のそれはコカコーラに順応し
 たわけである。

松井やイチローから鼻緒まで

 鈴木イチロー、松井秀喜両選手らが大リーグ入りしたために、日本のプロ野球は人気が
 落ちて困っていると言われるが、アメリカの大都会でも、寿司その他の日本食にアメリ
 カ人の人気が移り、中華料理店、韓国料理店などは客が減って、経営が苦しくなったの
 で、寿司を出す店が圧倒的に増えてきた。ところが彼らの寿司の多くは、米炊きにして
 も、にぎりにしても、年季が入っていない職人が作るためか、日本人には余り戴けない。

 最近の日本語には、やたらと外国語がカタカナになって入っているが、筆者のようにし
 ばらく日本を離れている者には、カタカナの外来語の意味が分からなくて困ることが多
 い。ところで最近では英語の中に、日本語が数多く取り入れられている。昨年末のイン
 ド洋での津波以来、どの新聞、テレビ、ラジオも、あれを「ツナミ」と呼ぶようになっ
 た。英語にはタイダル・ウェーブという言葉はあるが、これは高潮で、津波に相当する
 言葉がないからである。現在ではスシは勿論のこと、エダマメ、トーフなどと並んで、
 カラオケ、ポケモンなども英語(アメリカ語)の仲間入りをしている。

 そうかと思うと、鼻緒までがアメリカ文化の中に入り込んできている。アメリカ人はじ
 め西洋人には、鼻緒の履物を履く習慣はなく、足の親指とその次の指との間に挟む鼻緒
 はぎこちなかったが、最近では殊に夏、鼻緒のゴム草履を好んで履く女性が急増してき
 た。
       Kenzo Yamaoka
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ロス五輪銀メダリスト、モハメド・ラシュワン氏に聞く   
   
 柔道でマナー、忍耐学ぶ
山下選手との対戦後、柔道人口20倍に
 ロサンゼルス五輪(一九八四年)の柔道無差別銀メダリスト、モハメド・ラシュワン氏
 は決勝で、山下泰裕選手に敗れたが、その時、山下選手の負傷した右足攻めなかった。
 その潔い姿勢が多くの若者に感銘を与え、エジプトでは柔道人口が二十倍に増えたとい
 う。ラシュワン氏は、九月に世界柔道選手権カイロ大会が行われた際、山下泰裕・東海
 大教授(48)と再会、お互いの健闘をたたえ合った。ラシュワン氏に柔道に対する心
 構えを聞いた。
(聞き手=カイロ・鈴木眞吉、世界日報掲載許可) 
イスラム教の慈悲も根底
負傷した足を攻めずに堂々と戦う
 インタビューに応えるラシュワン氏=エジプト・アレキサンドリアの自宅の近くで  
 
 ――柔道を通じて何を学んだか?
 私が柔道を始めたのは偶然だった。友人が柔道クラブに誘ってくれたのだ。今から約三
 十五年前、柔道はエジプトでは有名でもポピュラーなスポーツでもなかった。われわれ
 は、柔道とは日本のスポーツだという考えで練習を始めた。私が柔道を面白いと感じた
 のは、一九七一年冬のアレキサンドリア大会で優勝してからだった。私はキャプテンで
 あり、べストを尽くした。

 一方、柔道を通して私は多くのマナーを学んだ。初めは忍耐や我慢を学んだほか、謹厳
 さや正直さも次第に学ぶことができた。また、柔道を通じて、世界中に友人ができた。
 殊に日本で。柔道は、私を有名にさせ、私の人生を根本的に変えた。

 ――オリンピックの決勝戦で、当時のエジプト柔道連盟会長から「山下選手の負傷した
 足を攻めろ」と言われたが、攻めずに金メダルを逃した。なぜか。

 答えは簡単だ。そのような(卑怯な)行為は私がよしとするものではなく、私の中に育
 (はぐく)まれた価値観に合わないからだ。もし私が彼のけがした足を攻めれば勝利者
 になっていただろう。しかしそんな安っぽい勝利を得ることなど好まない。

 さらに、私はイスラム教徒である。イスラム教はわれわれに「優しくあれ」と教えてい
 る。山下選手の負傷した足を攻めずに堂々と戦った姿勢こそ、私がイスラム教で学んだ
 優しさを示す方法だった。

 エジプトで柔道を習う少年たちによる乱取り風景=エジプト・カイロで9月に行われた
 柔道世界選手権大会会場で  
 
 ――日本の武士道を知っているか?

 詳しくは知らないが、多くの人々が、私は武士道と同じような精神を持っていると言っ
 てくれる。

 ――柔道を学ぶ若者や子供たちに、特にどのようなことを指導しているのか。

 まず、高い精神と道徳、マナーの必要性を教えている。若者はまず、柔道とはレスリン
 グのようにただ勝利を求めるものではないということを学ぶべきだ。指導者は、強い力
 や精神力と共に、キャプテンの指示に従うよう教えてほしい。最近、勝利を得るために
 薬物を飲んでいる選手やチャンピオンがいると聞いた。これは手本にすべきではない。
 スポーツはより高い見識が必要だ。

 ――銀メダルを獲得後、山下選手との戦いの話が多くの若者や子供たちを感動させ、柔
 道愛好家が増えたと聞いているが。

 その通りだ。私が日本の多くの高校を訪問し、オリンピックでの体験を語った。すると、
 多くの日本人が柔道を始めたのである。私が日本の学校を訪ねて話した後、「もしあな
 たがたが、山下選手に立ち向かう私の立場だったらどうするか」を簡単な文章として書
 いてもらった。

 エジプトでもオリンピック後、多くの柔道クラブが誕生した。多くのレスラーなどがこ
 のクラブに合流した。私が柔道を始めた当時は千人前後しかいなかったが、山下選手と
 の戦いの話が広まり、約二万人の柔道人口になっている。

 私は大阪出身の女性と結婚して、三人の子供がいる(長男アリ君=14歳、二男アムル
 君=11歳、長女アリアちゃん=9歳)。二男が今柔道を習っている。長男も柔道をや
 っていたが致命的なけがをしてやめた。長女はテニスだ。二男は今、オレンジ色のベル
 トだが、将来チャンピオンになることを願っている。

 ――今後の人生計画は。

 私の家族に関して言えば、二男がゴールド・メダリストになり、私のように強くなるこ
 とを望んでいる。一方、柔道がエジプトでさらに発展し、強い選手を輩出して、よりポ
 ピュラーなスポーツになることを希望している。
       Kenzo Yamaoka

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