2180.フジモリ氏拘束の件



国際戦略コラム 御中

ご無沙汰しています。
今回のフジモリ氏拘束の件、本当に ここのところのほかの由々し
き事件どころの問題ではなく、同胞日本人として、最も心を痛める
出来事です。

しかしながら、単にフジモリ氏に始まったことではなく、最近の国
際的な政治家になる人物の人柄や実際に国政で行っていることを見
ても、悲しいかな、まともにやってトップの座を守っていられるよ
うな世界情勢ではないのは見てのとおりです。
先進国、民主主義といえども、たいていの国で汚濁にまみれてでも
金と物質欲の亡者のような人物が首相や大統領の座に居座り続ける
パターンは決して、発展途上国だけの問題ではないように思えてき
ます。(例:アメリカのブッシュ、イタリアのベルルスコーニ、
フランスのシラク、ロシアのプーチン他、枚挙に暇なし)

とはいえ、私が同じ日本人として、最も誇りに思ってきたフジモリ
氏に対する同胞のあまりにも冷たい態度、あるいは、驚くべきこと
に素晴らしい行いは褒めもしないくせに、分かったような顔をして
あることないこと罪人のように非難したり、途中で国を逃げ出した
だの好き勝手に言うだけ言って、まったく弁護に回る人の方が少な
いこと、それが、まことに情けないことに思えます。

日本人は、あまりに潔白を求めすぎではないかと思います。
たとえ、彼の反対派がどんな形で濡れ衣を着せて弾劾しようが、
フジモリ氏のように、ペルーという大変な国において、あそこまで
日系人として立派な行いをして、現地の生粋のインディオたちを救
おうとした志の高い、偉大な同胞を捕まえて、まるで罪人のように
扱う心理、この心の貧しさこそ、私にとっては何より残念で、悔し
くてならないことです。

どうしてそこで、暖かく包み込むように同じ日本の血の流れるフジ
モリ氏を思いやれないのか。
それは戦後日本人の一種の病気じゃないでしょうか?
誇るべきものを持たず、まやかしの情報や、自分たちの敵から流れ
てきたガセネタにそそのかされ、仲間として扱うべき人までを敵視
する。

じゃ、一体本当に同じ日本人として敬愛を受けるべき人はどんな人
だというのか?

戦後にA級戦犯として裁かれそうになりながらも、助かった大川周
明のように偉大な人のことも、今の日本の歴史は本当にまともに扱
わず、アメリカや西欧国に洗脳されたままでいいのか?

フジモリ氏のこの一件こそ、まさにその意味で、戦後の洗脳と去勢
から立ち直れない大部分の国民が共有すべき問題ではないでしょう
か?

本当に、Fさんの仰るとおり、これを見殺しにして、
偉大なフジモリ氏を無残に放置することを許しては、大和魂も糞も
ありません。なんとかして、彼を助けるために世論を起こさねばな
りません。
どんなことができるかわかりませんが、とにかく何かしなければと
危機感を募らせるばかりです。

CHOCO
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フジモリ大統領の功績は国内的には、テロを撲滅させたこと、ハイ
パーインフレを沈静化させたことです。また、国外的にはチリとエ
クアドルとの国境線を確定したことです。

 ペルーが、白人を頂点とした階層社会であることは、私も異論を
述べませんが、人口の数パーセントのヨーロッパ系(人によっては
東洋系も含める場合もあるが)が残りの先住民を支配するという単
純な構造で理解するのは危険です。現象を複雑にしているのが混血
の人の存在です。先住民系(先住民の人の中にもいろいろな種族が
ある)、ヨーロッパ系、アフリカ系、東洋系(中国系や日系)の人
が複雑に混血し、混血文化を形成しているのが現実です。

 中産階級の人から見れば、下層階級の人は働かないで、権利ばか
り要求する輩に思えますし、その逆も然りです。日本にデカセギに
来ているペルー人接していて考えることがありますが。日系人には
中産階級に属する人が多く、意識はヨーロッパ系やヨーロッパ色が
強いメスティソの人と同じだと感じております。(デカセギといっ
ても日本に定住化してきておりまして、新たな民族問題を日本が抱
えつつあると感じることもありますが)

 フジモリ政権だけでなく、下層階級に迎合した政治は歴代の政権
が行って来たことですが。しかし、行き着く先は財政の破綻以外な
いのではとも思います。

なお、二重国籍の問題については、本来国家の国民管理という観点
からは避けるべきことです。日本政府が奨励するのはいただけない
と思います。

 今回の件で日本政府は、ペルー政府だけでなくチリ政府との関係
も悪化しております。中国の影響力が中南米で拡大する中で、大局
的な判断をすることが望まれます。

name=一言居士
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報道機関の腐敗   
  
  NHK大津放送局の記者が放火で逮捕され、滋賀県警本部にある
記者クラブが家宅捜査を受けた。犯罪捜査の本家本元の県警本部
の犯罪を伝える記者クラブが捜査受けたことに感慨が深い。

 日頃、政治そして、検察、警察、司法、マスコミには、本当にウンザ
リと謂うか、不信が募っている私にとって、“ああ遂にこうなったのか”
と謂った感がある。さすが、放火を放置する訳にはいくまい。

 政治、捜査機関、報道は、一体となって、国民を欺いている。情報
を隠蔽している。民主主義の基本は、情報の開示である。私は、か
ねてから、日本は、北朝鮮と50歩100歩だと常々思っている。50歩
と100歩では、大違いと主張されていたご仁があったように思うが、
しかし情報の開示は、北朝鮮と変わらないと思っている。日本にある
のは、ポピュリズム政治ばかりである。“杉村太蔵議員、カワイイー”
と嬌声が聞こえてくる。 

 将に、このポピュリズム政治は、マスコミと政治家によって、作り出
されたものである。このポピュリズムは、小泉内閣で最高潮に達した。
小泉劇場と言われるのも充分、頷ける。真実を追究される事もなく、
只、国民は踊らされるばかりだで、不正は、隠蔽されるばかりである。

 改革、改革と聞こえてくるが、一体何が変わったのだろうか、只、踊
らされているだけではないか。強者はより強く、弱者は、より弱くなって
いくばかりだ。強者が小泉政権を支持するのは、理解できるが、弱者
が現政権を支持しても自身の首を絞めるに等しい事である。アメリカを
見れば判る。そして最後は、戦争だ。
 民でできる事は、民で。市場経済に任せる。繰り返し聞こえる小泉の
声が止まない。そんなことを言うなら、大臣ポストを増やす事もないだろ
う、当然、国会議員も減らすべきである。

 郵政民営化によって、改革が実行されると、錯覚をさせ、踊らして、
民営の方が最善とのイメージを持たせるのも上手い。民営化は、只、
国民の財産を売り払って、借金を減らそうとする魂胆があると思われ
る。サラ金から、お金を借りた人は、財産を処分して、一寸、楽になり
たいと思うのと同じだ。

 最近、検察から、中学校の屋内運動場の談合告発を不起訴処分に
する旨の通知がきた。100%で落札した談合事件で、その後、600万
円と言う端数を伴わない工事請負契約の変更した事件である。
 もう1件、簡易水道工事の談合事件を告発しているが、これも100%
の落札である。当村の事業は、殆ど全てが官製談合であろうが、100%
落札したものだけを告発したのである。いずれ、そのうち、もう1っ件も
不起訴の通知をよこす事であろう。
 財政の健全化といっても、地方がこの様な状況を国の機関が許して
いては、何ら実現しないであろう。

 これらの事件について、記者会見を開いているが、いずれの報道機
関もニュースとして、取り上げなかった。記者会見では、殆どが若い記
者達であった。NHKの大津放送局と同年代記者達であった。しかし、そ
の怠慢な態度には、憤りと言うか情けなくなった。社会に真摯に取り組
む姿勢など殆ど感じられなかった。朝日新聞は、記者会見にも来なか
った。

 今、住民訴訟を提起しているが、記者らは、裁判所の事件簿を閲覧
しているので充分認識しているがどこも報道しない。

 かって、検察が県議の当村の後援会の公選法違反事件を不起訴処
分にしたので、検察審査会に審査の申立をし、不起訴処分不当の議決
を得た。しかし、検察は、再び、不起訴処分にした。この件についても
一切、報道されなかった。私は、時事通信社に電話をいれた。それ
が如何したんだ≠ニ怒鳴り返された。本当に恐ろしかった。まるでヤクザ
だ。
 腐敗した政治こそ、報道機関にとっては、旨味のあるものに他ならな
いのだ。

 かって安倍新三氏が自民党の幹事長に就任した時、海江田万里氏は、
「自身の父は、朝日新聞の記者で、お父上の安倍晋太郎氏の番記者だ
った。」とエールを送っていた。
 木枯らし紋次郎こと中村敦夫氏も本県での講演で、「自身の父は本県
出身で朝日新聞の記者だった。」とのたまっておられた。
 松山千春は、「自身の父が朝日新聞の記者を辞めたのは、自分達が
一生懸命取材した記事を販売拡張員が景品で新聞のセールスをしてい
ることを嘆いたからだ。」とのたまわれていた。

 海江田万里、中村敦夫、松山千春の各氏には、報道の実態と政治の
腐敗をご存じない訳がないと私は、思う。

 NHKが公平な負担をお願いします≠ニいった時には、本当に腹が立
った。直ちに、受信料の係りに不払いを申し伝えた。理由を聞かれた時
、咄嗟にドロボー≠ニ叫んでしまった。それは短絡的ではないです
か≠ニ。ジャ、詐欺師だ≠ニ叫んだ。ジャ、契約違反だ≠ニ言った。
 公平な報道もしないで、公平な負担とは、一体、何事だろう。許さ
れない!
 NHKの大津放送局の記者は、心が病んでしまったのだ。病んだ報道機
関があるからだ。偉そうに入社して間もない記者を人前も憚らないで
怒鳴り散らしていたそうだが、上司に当たる記者こそ、どれ程の者な
のだと言ってやりたい。病む者の方が普通ではないか...と言うと
あちこちからお叱りが来そうだが、まぁ、強靭な精神がこの世を生き
る上では必要だが、正義か不正義を貫くかどちらかである。しかし、
誇りある者は、正義をもって生きる。社会のために生きよう。それこ
そ、自身を生かす道でもあるのだ。
國井 明子 
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チリで拘束中のアルベルト・フジモリ元ペルー大統領   
  
  一九九〇年に「フジモリ旋風」を巻き起こして中南米初の日系出身大統領となったフジ
 モリ元大統領。
 スペインやポルトガルの植民地だった数百年前より、中南米では人口の数%にすぎない
 白人が政治・経済の要を握る社会構造は基本的に変わっていない。それだけに、当時の
 中南米で日系人がペルー大統領選挙に出馬したことはそれ自体が驚きだった。

 フジモリ氏はラ・モリナ国立大学の総長を務めた後に政治家に転身。トラクターに乗っ
 て選挙区を回る姿は注目を集めた。また「正直・勤勉・技術」をアピールすることで既
 存政治家との差別化に成功、新しいタイプの政治家を求めていた国民に広く受け入れら
 れた。
 フジモリ氏は、特に国民の大半を占める貧困層から絶大な支持を集めたが、社会保障に
 力を注いだことから、今でもペルーの貧困層には根強いフジモリ待望論が残るともいわ
 れる。

 当選後は政局運営に苦労するが、九二年に腐敗の温床だった同国議会と最高裁を軍事的
 に占拠・閉鎖したことで国際社会から非難を浴びた。ただし、その後は爆弾テロで国内
 を震撼(しんかん)させていた極左ゲリラを徹底的に鎮圧、国内治安を安定させると同
 時にインフレと経済停滞、高い失業率に苦しんでいた同国経済を立て直した。ペルーは
 現在、長引く経済低迷と高い失業率に苦しんでおり、ペルー国内のフジモリ支持者には、
 経済を劇的に立て直したフジモリ元大統領のイメージが強く残っている。

 来年四月のペルー大統領選挙出馬に向けて亡命先の日本からチリに向かったフジモリ元
 大統領。現在は元大統領を訴追しているペルー政府の要請でチリ当局に拘束される身で、
 政治活動もままならない状況だ。現状に関しては、「(チリでの長期拘束は)計算を読
 み違えた」「いやもっと先を読んでいる」などさまざまな意見が飛び交う。

 リマ生まれ、スサナ・ヒグチ元夫人(離婚)との間に二男二女。釣りと料理が趣味。六
 十七歳。  世界日報掲載許可
     Kenzo Yamaoka
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【アルベルト・フジモリ メッセージ】   
   
 2000年の11月の終わりに、この東京の地において、ペルー共和国の大統領でありながら、
この職務の政治的重要性を知りつつ辞任すると言う辛い決断をいたしました。その瞬間か
ら、私に敵対する人達からペルーの歴史にかつて前例の無いほどの迫害と追求という名の
機会が私に向けられたのです。

私の国外生活はまもなく終わろうとしています。私の先祖の土地である日本とその国民に
はその手厚いもてなしから大変大きな借りができました。それは、ペルーと私のこれまで
の仕事を知り、奉仕の心で軽しめることなく接し、彼らの国に滞在することをよしとして
くれた友人達であり、ペルー発展のモデルとして役立つであろう、日本の経済と科学技術
との接点でもありました。
 このとても充実した滞在は、私がペルーから遠い所にいながらも、私のことを馬鹿にす
 ることなく、その手をさしのべて頂いた友人たちのお陰です。彼らには私の終わる事の
 無い感謝の気持ちで一杯です。
 そして日本国民、公的機関、への私の特別なメッセージです。ペルーに向けて日本を発
 ちます。何万といる私の支持者達と交わした誇り高き約束をはたすため、そして歴史的
 真実が解き明かされるために。一つ一つ告訴を下げ、私の無実の名誉を取り戻します。
一日も早く、ペルーにおいて精一杯祖国と国民の為に邁進し、ペルー国民が一丸となって
世界でも注目される国にしていきたいと思います。

政治的な理由でしか説明することができないのですが、私はこの決断を実行に移すまでに
5年間待ちました。その間には、私がかつて参考にしようとした、他の追随を許さない、
並外れた社会と経済発展成し遂げた日本での生活経験と言うかけがえの無い宝を得ました。
 アミーゴスよ、ありがとう。共に仕事をした様々な事において日本からいただいた協力
 と皆様方の温かいご支援を胸に、私の運命を見つけにいきます。
 アミーゴスよ、ありがとう。別れは言いません。しばらくの間離れ離れになるだけです。
 私の日本滞在の間、一時もペルーのことが私の心からいなくなることはありませんでし
 た。今日からは、日本のことも片時も忘れることがなくなるでしょう。
. この 五年間 大変 お世話に なりまして どうも ありがとう ございました。
                         ALBERTO FUJIMORI
07 de Noviembre del 2005

(このメッセージは笹川陽平氏に託して離日前に書かれたものです)。
       Kenzo Yamaoka

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