2176.仏移民政策の失敗



欧州各国は、単純労働に移民を入れたが、その2代目になって問題
を起こしている。この検討。Fより

主にイスラム教徒の2・3世代目のフランス生まれの若者が、パリ
郊外の貧民街で暴徒になっているのが現状である。失業率も高く、
将来に希望を見出さない状況にあることで、起こしたのでしょうね。
フランスは出生国主義ですので、フランスで生まれたこの移民の2
・3世代もフランス人である。子供は二重国籍でもない。

しかし、タカ派のサルコジ内相が「ごろつきは排除する。」という
言葉は厳しいですね。彼らには帰る国がない。フランスでは、宗教
的な平等主義から男性・女性のスカーフ・帽子・十字架の着用を公
共的な施設では厳禁となり、イスラムだけではなく、ユダヤ人も反
発していた。このため、この法律ができたことで、フランスのユダ
ヤ教原理主義者の多くがイスラエルに移住したようです。

フランスに移住したイスラム系住民は500万人でフランスの人口
の12%程度。繊維産業や工業の不振で失業率が高く、このため人
種差別や宗教的な服装の禁止などでイスラム・ユダヤ移民は不満が
ある。このフランスはカトリック系白人と16世紀から居る完全帰
化したユダヤ人がフランスの政権を維持しているし、その人たちに
有利な法律体系になっている。ユダヤ人はイスラエルが帰化政策を
しているために帰る場所があるが、イスラム系には帰る場所が無い。

このため、カトリック色が強いフランス的理想主義的な平等政策は
イスラム系移民には迫害と捕らえるのでしょうね。しかし、これが
イスラム組織でのテロ活動に直結するように感じる。特にサルコジ
内相の対決姿勢では、問題をより深刻化させかけないような気がす
る。トルビバン首相はシラク大統領と同じような理想主義者である
ので、ここはトルビバン首相に期待をしたですね。

英国と同様なイスラム系組織を仲介して、若者と対話することが重
要でしょうね。

しかし、失業してもフランスは社会福祉制度が充実しているためと
人口増加政策で、1人の子供当たり10万円の補助金がでている。
学費もただ。成績が優秀であれば、大学まで無料である。
このため、イスラム系の人口増加が著しい。それとイスラム系の失
業者でも生活が豊かである。困窮していない。

このように欧州の移民政策は英仏独ともに、大失敗であったという
ことができる。イスラム系移民が欧州全体にネットワークを作り、
テロの温床になっている。スペインも歴史上からイスラム系住民が
多い。そして、この地域、スペイン・英国でテロが発生している。

日本は今後、人口減少に向かい、移民を入れなければならないが、
単純な移民は絶対にしてはいけない。文化の似たモンゴルやベトナ
ム、タイなど親日的仏教国からの移民で、かつレベルの高い技術者
などを入れるべきである。

親日的な中国人・韓国人の移民もいいとは思うが、日本文化に理解
があることがもう1つの条件でしょうね。

215−2.移民政策の構築について
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak1/1206252.htm
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<仏暴動>緊急事態法は25県に適用 内相「顕著に減少」

 【パリ山科武司】フランス内務省は9日、発動された緊急事態法
が、本土96県のうち25県に適用されると発表した。同法に基づ
いてどの都市に夜間外出禁止令を発令するかは各県知事に委ねられ
ている。
 トゥールーズでは8日夜、数十人の若者が投石と火炎瓶で警官隊
と衝突し、16台の車が燃やされた。リヨンでも火炎瓶が駅に投げ
込まれ、市当局は公共輸送機関の運行を中止した。マルセイユでは
スーパーが約50人の若者に襲撃された。
 しかし、トゥールーズを訪れたサルコジ内相は「(暴動は)相当
顕著に減少している」と述べ、事態が沈静化の傾向にあるとの見方
を示した。
(毎日新聞) - 11月10日1時34分更新
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仏、12日間の非常事態法発動を決定・暴動対応が新局面に
(nikkei)

 【パリ=奥村茂三郎】仏政府は8日、国内で暴動が拡大しているこ
とを受け緊急閣議を開き、12日間の非常事態法の発動を決めた。こ
の結果、9日から県知事は暴動発生区域などを対象に夜間外出禁止令
を発動することが可能になった。非常事態宣言という強権発動で仏
暴動は新たな局面を迎えた。

 非常事態法の発動はドビルパン首相が8日午後、国民議会(下院)
での演説で宣言した。仏大統領報道官によると、シラク大統領は同
日の臨時閣議で「(夜間外出禁止令が)平穏な状態への復帰を加速
させるために必要」と述べ、非常事態宣言への支持を表明した。

 非常事態法はアルジェリア独立戦争(1954―62年)の激化を機に
1955年に制定。同法の発動により、県知事が指定区域内での夜間外
出や人や自動車の移動を禁止・制限できるほか、暴徒が集結する場
所の閉鎖、警察に発砲する可能性のある人物に対する令状なしの家
宅捜索などが可能になる。12日間有効で、議会の決定により延長も
できる。 (00:01) 
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仏移民の暴動、初めてパリ中心部にも波及  
【パリ=島崎雅夫】パリ北東郊外を中心にフランスの主要地方都市
で起きている移民らの若者による暴動は5日夜から6日早朝にかけ
ても続き、小規模ながら初めて、パリ中心部に波及した。この日、
仏全国で放火された車両は1295台、逮捕者は312人に達し、
10月27日夜の暴動発生以来、最悪となった。

AFP通信によると、パリ市内では、移民も多く住むレピュブリッ
ク広場(3区)に近い場所で、火炎ビンが投げられ、4台の車両が
焼けた。また、北西部の17区でも6台の車両が放火された。放火
された車両が計28台に及んだとの報道もある。被害は車両放火に
とどまったが、事態悪化も懸念されている。

失業増や貧困に不満を抱く若者の暴動は、この夜もパリ郊外で続き
、全国での放火車両、逮捕者数の半分以上を占めた。商店街や公共
施設の破壊も続き、パリ南郊のエソンヌ県では2つの学校が放火さ
れた。
 地方都市での暴動も、前夜暴動が起きたマルセイユ、レンヌなど
7都市のほか、ナント(西部)やボルドー(南西部)、ポー(同)
、イブルー(北部)などで発生した。先月末の暴動発生以来、放火
された車両は約3300台、逮捕者は約620人に上った。

 仏内務省は5日、警備増強の方針を発表、パリ郊外だけで約2300
人の警察官を増強配備した。ヘリコプターも各地で投入、上空から
暴徒を追跡し、暴動防止を図る作戦も開始した。一方、暴動拡大と
ともに、治安維持の任を担うサルコジ内相への批判が噴出している
。内相は10月27日の暴動発生後、暴徒を徹底的に弾圧する方針
を表明。「暴徒は社会のクズ」「放水で一掃せよ」などと発言した。

 だが、暴動は過激化。移民に対する融和政策の切り捨ても加わっ
て、国民からは「クズというのなら、クズとして力で政府の移民同
化政策に反対する」(パリ郊外に住む16歳の少年)などの反発を
呼んでいる。(読売新聞) - 11月6日21時4分更新 
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仏暴動、理念と現実の衝突   
   
  パリ郊外に発した北アフリカ系など移民家庭の若者による暴動事件は、フランス共和国
 の「自由、平等、博愛」という「基本理念」と「現実」とが真っ向から衝突した事件と
 いえそうだ。あるいは、移民が多く集合している大都市周辺の貧困地帯イコール、犯罪
 多発地区という“郊外問題”は、フランス共和国の理念が生んだ鬼っ子ともいえる。そ
 の意味では、若者の現状異議申し立てだった一九六八年の「五月革命」よりずっと深刻
 な政治問題であり、社会問題だ。
 ところが、暴動事件そのものは、単なる治安問題の様相を示している。参加者に未成年
 者が多く、親の責任など個人的事情も問われている。暴動事件は全国に拡大はしたが、
 より幅広い国民の共感を得るどころか、同じ“郊外”の住民ら自身からも反発が出てい
 ることは、この地域に多い失業者の77%が暴動事件を否定していることからも明らか
 だ。

 こうした住民は、自分の車や息子や娘が通う学校、自分が通う体育館を焼かれた被害者
 だ。若者たちの中には犯罪歴を持つ者も少なくなく、学校に通わず、マリフアナや盗品
 の携帯電話の売買などで小遣いを稼いでいる例も報告されている。ドビルパン内閣がア
 ルジェリア戦争当時の「非常事態法」適用という“強権発動”に出たことが、国民の三
 分二の支持を得ているのも、この事件を治安問題とみる国民が多いからだ。

 失業者もある意味での被害者だ。暴動に参加した未成年者の親たちの多くが失業者で、
 手厚い社会保障制度に加えて少子化対策の援助もあり、あくせく働く労働者の最低賃金
 より収入が多い場合があるからだ。その結果、労働意欲を失い、子供への権威も失って
 いるとの批判が出ており、社会保障制度の見直しや、失業保険期間の短縮などの論議が
 ますます活発になるのは必至だからだ。

 欧州では目下、仏独式の社会福祉重視の社会政策「社会モデル」か、米英式の自由競争
 社会を基盤とする「自由モデル」かの議論が盛んだ。ドビルパン首相はフランスの基本
 理念からも「社会モデル」の堅持を表明しているが、暴動事件はこの「社会モデル」の
 失敗との指摘もある。

 移民の多くがイスラム教徒という問題もある。米国の一部には、仏当局や仏メディアが
 「イスラム系」という部分をあえて伝えていないのは偽善という批判があるという。た
 だ、フランスでは「イスラム系」はもとより、「アラブ系」「ユダヤ系」「アジア系」
 などと公的に表現することは、人種差別につながるので、極めて慎重だし、法律で禁止
 されている場合もある。

 イスラム教徒といっても、すべての信徒がモスクの金曜礼拝に必ず出席するわけではな
 い。キリスト教徒全員が、必ずしも毎日曜日に教会に行くのではないのと同じだ。シラ
 ク大統領が、「いかなる出身であろうが、われわれは全員が共和国の子供である」と述
 べたように、彼らは生地主義のフランス生まれのフランス人である。

 フランスが一昨年、公共教育でのイスラム教徒のスカーフなど宗教的なシンボルを禁止
 した法律も、世界で「イスラム教排斥運動」のように誤解されたが、これほど共和国の
 理念に基づく「政教分離」や「非宗教」に極めて忠実な法律もない。

 イスラム教のスカーフをはじめ、ユダヤ教のキッパ(頭蓋帽(とうがいぼう))やキリ
 スト教の十字架などの宗教上の規律から解放されるがゆえに「自由」であり、公共の場
 で宗教的外見と無関係でいることができるゆえに「平等」であり、信仰とは関係ない市
 民的空間を構築できるがゆえに「博愛」の精神を共有できるからだ。

 フランスはまた、この基本理念から、学校教育の基本は公立で無料だ。その気になれば、
 エリート学校に進むことは可能だ。民間企業では確かに、「選ぶ権利がある」と拒否す
 る例があるが、外見や名前からアラブ系やアフリカ系、ベトナム系、東欧系などと察せ
 られる多数の人が公共施設で働いている。

 ただ、「理念」を掲げて移民の「同化」を図ろうとするフランスが、グローバル化の中
 で、時代錯誤とも傲慢(ごうまん)とも偽善ともみえるのは確かだ。この約三十年間、
 左右の政府が打ち出した移民政策が「小銭を出す」(社会学者のアマル・エニ氏)とい
 う場当たり的政策だったことも確かだ。ドビルパン首相はいまどき珍しい「理想主義者
 で真の革命家」(米政治学者スタンレー・ホフマン氏)と評されるが、「理念」と「現
 実」を調和させる妙手を編み出せるかどうか。【緯度経度】パリ・山口昌子・産経新聞
       Kenzo Yamaoka
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■産経新聞【主張】フランス暴動 学ぶべき教訓少なくない

 パリ郊外の移民街で起きた暴動がフランス全土に波及し、沈静化の兆しがみられない。
 発生から十日以上が経過したが、これまでに放火された車は数千台にのぼり、拘束者の
 数は増え続けている。学校や幼稚園も放火の標的になるなど事態は深刻だ。
 在フランス日本大使館は在留邦人に対し、暴動が発生した地域には近づかないよう注意
 を呼びかけた。政情不安が続く途上国ではない。「文明開化」後の日本人がある種の憧
 (あこが)れを抱き、近代化のモデルとした西欧文明の象徴の一つ、フランスで起きた
 暴動ゆえに、衝撃的である。

 きっかけは、アフリカ系の少年二人が変電所に入り込み、感電死した事件だった。仲間
 と警官隊との衝突に発展し、放火と破壊が連鎖している。暴動の中心はアルジェリア、
 チュニジア、モロッコなど北アフリカの旧仏植民地からのアラブ系、アフリカ系移民の
 二世、三世らとみられ、人種、雇用差別への反発や貧困が背景にあるとの指摘が多い。

 フランスでは一九六〇年代から高度成長期の労働力として移民を積極的に受け入れた。
 仏政府は主要都市の郊外に低家賃の住宅を用意するなど福祉面で手厚い政策をとったが、
 一方で言語や文化・生活面での「同化」を求める政策を通した。イスラム教徒女子生徒
 へのスカーフ禁止が引き起こした騒動は記憶に新しい。

 同じ移民政策でも、英国社会には異文化を尊重、ないしは干渉しない姿勢がある。しか
 し、「移民の国」との建国精神を掲げる米国も含め、途上国からの比較的新しい移民層
 に共通するのは、経済的な不遇だろう。そうした鬱積(うっせき)した不満が爆発した
 のが、今回のフランスの暴動だった。

 シラク仏大統領は「治安と公共秩序の回復を最優先する」との声明を出し、暴力には断
 固とした対応をとる決意を示した。移民であれ、誰であれ、法を破った者を国内法で厳
 しく罰するのは当然である。そして、何より警戒すべきは、暴徒化した若者たちをテロ
 に誘い込む過激組織の動向だ。

 島国・日本でも、人口減時代の到来と相まって、移民問題を真剣に考える時が来た。フ
 ランスの暴動から学ぶべき教訓は少なくない。
       Kenzo Yamaoka
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衝撃・フランス暴動   
  
 移民の若者/就職できない無力感広がる  年末年始は放火が恒例化
 フランスにはHLMと呼ばれる低家賃住宅がある。パリ南部エッソンヌ県のグリニーも
 HLMが多い町だ。「警察に逮捕されたやつらはほとんど学校になんか行っていないよ」
 と語るのは、逮捕された十五歳の少年の小さい時からの友人で、親たちは北アフリカ・
 アルジェリアからの移民だ。
 今回、暴動が起きた多くの町は、アラブ系、アフリカ系移民が多く住む貧困地区で、暴
 行、窃盗、麻薬の密売など、犯罪の多発地帯として知られ、グリニーもそんな町だった。
 町の公立の小学校や中学校は、国の問題校に指定され、教師が赴任を嫌う地区だ。今回
 の暴動で、学校二校が放火され、車八十台以上が燃やされた。

 「ナイフを持って学校に行くなというけど、ナイフを持たずに、どうやって自分を守る
 の」と、十四歳の少年が学校の日誌に書いたという。グリニーでは、暴徒の鎮圧に当た
 っていた警察部隊が、暴徒からのピストルやライフルの乱射を受け、三十人が負傷し、
 うち二人が重体になっている。

 町は、まるで内戦があったかのように荒れ果て、消火された車の焦げ臭いにおいが立ち
 込め、破壊された商店は無残な姿をさらす。ドビルパン仏首相が夜間外出禁止令を検討
 したことについて「大体、小学生や中学生が深夜、町を歩き回ること自体が異常だ。親
 が何も言わないのも問題だ」と、パン屋の店主は憤りを隠さない。

 前出の少年が訴える。「この町から大学に行ったアラブ系の子が、大学を出ても就職口
 がないといううわさが広まったんだ。だから、ますます、皆、勉強するのは、ばかばか
 しいと思うんだ」と。「皆将来のことなんか、何も考えていないよ」。この少年は、親
 が熱心なイスラム教徒なので、暴動には加わらなかったという。

 「それでも、僕は警察から疑われている。とにかく、アラブ人と見ると、彼らは犯罪者
 のように扱うんだ」と少年は嘆く。フランスではテロの発生を恐れ、警察の取り締まり
 が厳しくなり、路上で身分証明証の提示を求めたり、持ち物検査を行ったりしている。

 暴動が起きたのは今回に限ったことではない。南仏で三年前、不良少年が盗んだ車で逃
 走中、警察の追跡をかわそうとして運転を誤り、壁に激突して死亡する事件が起きた。
 その時も、付近に住むアラブ系移民の少年たちによる暴動が起き、警察署に火炎瓶やレ
 ンガが投げ込まれている。

 「やられれば、やり返すのが僕らの掟(おきて)だ」と、グリニーの町を徘徊(はいか
 い)する少年たちは口をそろえて言う。今回のように全国的規模で暴動が起きたのは久
 しぶりだが、大晦日(みそか)から正月にかけて、不良少年たちが車に放火するのは恒
 例化し、毎年、全国で三百台以上が燃やされている。

 三年前、シラク大統領は問題地区の市長を集め、意見収集を行った結果、問題地区の治
 安悪化には、移民家庭の子供の養育放棄の問題が大きいとの結論に達した。政府は、養
 育義務を果たさない親に、家族手当を支給しないとの強硬方針で臨んでいる。

左派政権で悪化した治安  反動で警察が過剰な取締りも
 約四年前、パリ南郊外のヴィルジュイフにある友人のアパートを訪ねたことがある。友
 人の住むアパートは、HLMと呼ばれる低家賃住宅で、付近には何十棟ものアパート群
 が広がっていた。その友人のアパートの窓越しで起きた出来事は、信じ難い光景で、今
 でも記者の記憶に深く残っている。

 午後三時ごろ、サイレンの音と共にパトカーが近づき、その前をスクーターに乗った若
 者が走ってきた。その若者は袋小路に追い込まれ、警官二人が、その若者をスクーター
 から引きずり下ろし、パトカーに押し入れようとした。若者は警官を殴る蹴(け)るの
 乱暴で強く抵抗、そこに数人の仲間らしいアラブ系の若者が十人ほど集まり、警官に襲
 いかかった。

 一人の警官は、パトカーから無線で応援を求め、その間に、今度は近くに住む白人の老
 人が集まってきて、アラブ系の若者たちを杖や傘で殴り始めた。結局、応援の警察が来
 る前に、若者たちは全員逃げ去った。スクーターは盗難車だったことが後で分かった。

 フランスでは、二〇〇二年の大統領選挙で、対移民強硬路線の右派・国民戦線(FN)
 のルペン党首が、第一回投票で現職のジョスパン首相を破って、決選投票に進んだ。こ
 の大統領選挙の最大の争点は、貧困地区に広がる治安悪化問題だった。犯罪発生率は急
 上昇し、国民に大きな不安が広がっていた。

 結果はシラク氏が大統領に再選されたが、国民の期待は治安回復にあった。そこで治安
 総責任者の内相に起用されたのが、若く、雄弁で、迅速な政策立案能力と実行力で知ら
 れるニコラ・サルコジ氏だった。ルペン氏に期待した国民の要求に応えるべく、ジョス
 パン時代に弱体化した警察権力の強化を行った。

 四年前に記者が友人のアパートから見た光景は、人権を重んじるジョスパン政権が、警
 察機能を最小限に縮小し、権限を弱めたことから起きた現場だった。サルコジ内相は、
 強力な取り締まりと罰則を設け、警察官が路上で職務質問したり、強制捜査を行える権
 限を与えるなど、権限強化を迅速に実施、増員も行われた。

 米国の9・11テロも追い風となり、警察権限の強化や増員に異議を唱える者はいなか
 った。その結果、犯罪発生率は下がり、移民地区は静けさを取り戻したように見えた。
 対テロ対策もあって、貧困地区での警察の警戒は厳しさを増した。

 今回、最も暴動が激しかったパリ北部セーヌサンドニ県のオルネースーボアに住む少年
 は、テレビに向かって「この数年、われわれは警察からごみクズのように扱われてきた」
 と叫んだ。人権を重んじた左派のジョスパン政権時代は、警察官と住民の対話の場をつ
 くるなどの努力もあったが、それも姿を消した。

 移民貧困地区の沈静化は、国の強権によるもので、彼らの問題の根本的解決にはつなが
 っていなかったことが、今回の暴動で明らかになった。むしろ、警察権力は乱用された
 と指摘する専門家もいる。ジョスパン時代に惨めな思いをした警官たちの反動で、移民
 の少年たちへの過剰な取り締まりが行われたのではとの疑問が浮上している。

ポピュリズムのツケ  裏目に出た内相の強硬発言  手付かずの移民政策見直し

 サルコジ内相は今年六月、ラファラン政権が欧州連合(EU)憲法の批准に失敗したこ
 とから、内閣の一新で、内相にカムバックした。国民に人気の高いサルコジ氏は、最大
 与党・国民運動連合(UMP)の総裁でもあり、ドビルパン首相にとっては、二〇〇七
 年の大統領選挙のライバルでもある。

 今回の暴動には、サルコジ内相の暴言が、強く影響したといわれている。暴動のきっか
 けとなった十月二十七日の二人の若者の変電所での感電死の二日前には、国会で不良化
 した移民の若者を「社会のクズ」と呼び、治安悪化地区を訪問した時も「ゴロツキは一
 掃する」との過激な表現が口を突いて出た。

 サルコジ氏は計算高いポピュリスト政治家として知られる。このような過激な発言にも、
 国民的支持を得られるとの計算があったとみられている。だが、結果は予想に反し、逆
 の方向に動いた。三日間続いた暴動に、警察組合は全国への波及を警告した。そして、
 その通りになってしまった。

 二〇〇二年六月に内相になった時には、国民が移民の若者による治安悪化を憎悪してい
 る感情をうまくとらえた。サルコジ氏は雄弁で、とにかく政策立案が早く、その実行力
 にも定評があった。国民に分かりやすい単純化されたキャッチフレーズと、目に見える
 結果で強い支持を得て、人気はシラク大統領を上回る勢いだ。

 サルコジ氏支持の裏には、政治イデオロギーばかりを語りながら、実行力に乏しかった
 従来の古いタイプの政治家への反動もある。ジョスパン左派政権は、その典型だった。
 サルコジ内相は、イスラム系移民がテロの温床となっていることから、この夏、イスラ
 ム導師イマムを監視する方針を打ち出したりした。フランスでは昨年九月、女子学生が
 イスラムのスカーフを公立学校で着用することが禁止された。イスラム教徒が標的であ
 るのは明白なこの新法の成立は、フランス国民のイスラム教への態度を物語っている。
 在仏イスラム教団体は、暴動とイスラム教を結び付けられることを警戒している。

 今回の暴動は、治安悪化にだけ目を奪われた政府が、移民問題を根本的に解決すること
 を軽視した結果とも指摘されている。だが、ポピュリスト政治家の多くは、国民の、そ
 の時々の感情を追い風に、政策を実施するだけで、手間の掛かる対策に興味を示さない。

 ドビルパン首相も矛盾した発言が目立つ。イラク戦争に反対したフランスは、当時外相
 だったドビルパン氏が国連で活躍した。ドビルパン氏はEU外相会議で当時、「イラク
 攻撃で、アラブ世界は屈辱を味わった。彼らの傷ついた気持ちを理解すべきだ」と語っ
 た。だが、自国のアラブ移民が惨めさの中に暮らしている現実には口を閉ざしている。

 サルコジ内相は、今回の暴動で何度も「暴動の背後に計画的、組織的な存在がある」と
 指摘し、犯罪グループの煽動(せんどう)を強調している。だが、十二歳や十三歳の少
 年たちまでも暴動に参加する背景には、移民社会に蓄積された怒りの存在を認めざるを
 得まい。

 人口の一割に達する六百万人のアラブ移民を抱えるフランスでの暴動は、EU各国にと
 っても人ごとではない。この混乱を突いたテロの可能性もある。また極右の若者とアラ
 ブ移民の若者の衝突も懸念されている。移民政策の根本的見直しが迫られている。
(パリ・安倍雅信・世界日報掲載許可)
       Kenzo Yamaoka


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