2174.原生林よ、甦れ



 このところ明治神宮や橿原神宮、仁徳天皇陵の森のことが気になります。人
工林なのに、まるで原生林・自然林のように、元気で、優雅な姿に惹かれるの
です。
 地球環境問題に対して私たちができる数少ないことは、原生林の再生ではな
いでしょうか。昔の日本人の森林づくりのうまさに敬意を表して、雑文をした
ためましたので、お届け申し上げます。
 得丸久文


原生林よ、甦れ − 
「ある」ものではなく、「つくり出す」ものとしての地球環境

1 人口カーブの向こうには

・ 地球規模で考える(Think globally.)

 「地球環境問題」とはなんだろう。地球環境問題という言葉は知っている
が、それが何であるのか、どれくらい人類や他の生物に影響を及ぼすのか、ど
うすれば問題を回避できるのかを知っている人はほとんどいないのではない
か。

 ヒトの身長は2m足らず、寿命もせいぜい百年足らず。ちっぽけなヒトが、
直径1万km以上、生まれてから40億年以上になる地球のことを理解するの
は、むずかしい。Think globally, act locally.という環境保護派の美しいス
ローガンは、ほとんど実現不可能である。

 ひとつ、”Think globally”を実践して、時間的にも空間的にも超マクロ的
にものごとを考えてみよう。そうすれば、地球環境危機の時代に、私たちは何
をすべきかも見えてくるかもしれない。

・ 人類と文明の誕生

 人類の歴史は、約500万年前に遡る。アフリカのサバンナで直立二足歩行
を始めたサルの一群がいた。彼らは、ライオンやチータが食べ残した動物の骨
を拾って主食にしていた。その当時の主食が、今日の我々の歯や手の指の形を
規定している。(島泰三著「親指はなぜ太いのか」中公新書)

 骨拾い・骨食いの時代が何百万年か続いて、25万年ほど前に、一部のサルが
毛皮を失い、裸で生活するようになる。おそらく、水分や気温の調節がラクな
洞窟暮らしを続けているうちに、毛皮が退化したのだ。(島泰三著「はだかの
起原」木楽舎)

 洞窟の中で、裸のサルたちは、お化粧をおぼえ、壁画を書き、衣類を身にま
とうようになり、言葉を生み出した。

 洞窟暮らしが文明の端緒であり、言葉やお化粧は文化の発祥である。

 そして、約7万年前の氷河期の時代に、裸のサルたちは、アフリカから世界
各地へと散っていった。はじめは狩猟採集生活であったが、6000年ほど前
に、農耕牧畜を始めるようになると、4つの都市文明が栄えたのだった。
 
 文明とは、自然を人間の住みやすいように、人間の都合に合わせて改変する
ことである。都市文明、農耕文明、機械文明、石油・化学文明、自動車文明、
およそ文明という言葉で表わされるものが、人間と自然の関係を根本的に変
え、人間による自然侵略・自然搾取・自然破壊の規模を大きくした。
 
・ 人口増加は森林を犠牲にした

 人口増加も、文明領域の拡大によって実現した。

 農耕文明が始まった当時は数百万人だったと思われる世界人口は、今から2
000年前に1億人を超す。それは徐々に増えていくが、産業革命による機械
と化石燃料消費が始まると増加速度を上げ、10億人台になる。石油消費、化
学肥料、自動車が生まれた20世紀には、地球人口は15億人から60億人へ
と増加し、2005年の今、世界人口は約65億人といわれている。

 さて、幾何級数的に増加した人類だが、何もないところに増えたのではな
い。人口が増えた分に見合って、何かが減っているのだ。たとえば、1億人が
食べる穀物を生産するのに必要な土地の広さと、65億人が食べる穀物に必要
な土地の広さは、明らかに違う。64億人が食べるための食糧生産は、何かを
犠牲にしたのだ。

 人口カーブの急上昇するのと同じペースで減っているものがあるとすれば、
それは森林である。さらにいうと、森林を生息地にしていた動物や植物、苔類
や微生物が減ったのだ。
ヨーロッパ大陸、アメリカ大陸、オーストラリア、ニュージーランド、北海
道、フィリピン、インドネシア、マレーシア、、、、。世界の森林の多くは、
「開拓」時代や「経済成長」の時代に人間が無償の資源として切り尽くしてし
まった。そして、切り開かれた森林は農耕地や住宅地にされ、二度と森林に戻
ることはなかった。生息環境を失った野生動物は、死に絶えた。

 ここ数年、BRICとして経済成長著しいブラジル、ロシア、インド、中国など
でも、ものすごい勢いで森林が伐採されていることであろう。合法的な伐採も
あるかもしれないが、違法伐採も行われているものと思われる。

 二酸化炭素が増えて地球温暖化が進んでいることの背景には、地球レベルの
森林量の減少も寄与しているのだ。

2 原生林は人工的に作られる

・ 人間の都合だけ考えた植林

 人口が65億人となり、世界の森林面積がまだまだ減少し続けている現実を
知ると、もう地球環境問題には解決の方策がないのだと、ため息をつくほかは
ない。愚かな人類は、禁止されようと、自分の生活が危うくなろうと、おかま
いなく、木を切り続けている。

 さまざまな植林事業が行われているではないかという人もいるだろう。だ
が、いわゆる植林事業は、多くの場合、樹種が一種だけの単相林であり、人間
の都合、人間が利用することしか考えていない。野生動物がその森を生息地と
し、その樹木の実や葉を食糧にすることまで配慮した植林事業は耳にしない。
日本各地にみられるスギ林のように、植林によって作られた森林は、生命の息
吹の感じられない森林である。

・ 原生林を甦らせることはできる

 だが、希望はまったくないわけではない。意外と身近なところにある。

 東京の代々木にある明治神宮の森は、今から70数年前は陸軍の代々木練兵
場だった。そこに全国から寄せられた木を植えて、100年後に美しい森とな
るように設計して作られたのだ。紀元2600年を記念してつくられた奈良県
の橿原神宮の森も同様に人工林である。

 もっと古い時代には、もっと印象的な森がつくられた。大阪にある仁徳天皇
陵の森は、誰が見ても原生林としか見えないほど、生き生きとした樹木に覆わ
れているのである。

 人間がきちんと設計して、手入れすれば、わずか100年足らずで、森林は
再生する。大事なことは、100年、200年後に、森林として成長するよう
設計することであり、人間が不必要に足を踏み入れないことである。

・ 植林して聖地に

 地球環境問題はこれからますます深刻な影響を地球上に及ぼすだろう。経済
はますます混乱するであろう。そのような時に、近視眼的に貨幣経済の指標だ
けを考えるのではなく、100年後、200年後の人類とその他生物たちの共
生のために、森林を創造すべきではないか。少しでも早く原生林に近づけるた
めに、人間が立ち入ることを許さない聖域にするのがよいだろう。
(2005.11.12)
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このウェブサイトの「将来の形」なんですが、
2ちゃんのオカルト番でこの1年来、評判になっている
予言者のJJさんが「自分がかつて見た夢」を記載して
いたノートを引用することで発表している未来予想内容
と全く同じのようです。
私には、「JJ」と「将来の形」の関連性はわかりません
が、一度ご覧あれ。
http://snow.kakiko.com/korea02/e_select/e0135.html
name=cat
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(Fのコメント)
その通りで、JJさんの夢がメインです。私Fの未来予測精度には
時間軸がないために、JJさんの時間軸をお借りしました。
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二極化批判への疑問
 
 
戦後復興により一億総中流化ーー実際には90%の国民が
中流意識ーーと言われるくらいの平等社会を実現して、
その時から比べれば、確かに今は二極化傾向が進んでい
るとはいえ、まだまだ中流意識を持つ層が圧倒的に多いはず。
 
街には安い衣料品や電化製品が満ち溢れ、フリーターをやっ
ていても、それらを買え、食うに困るということもなくなった。
 
ニートも多いけれど、それを養うだけの余力が家庭にもある
ということで、そのような甘えん坊も増えてきていると言え、
まずまずの社会と捉えられなくもない。
だから普段は選挙に行かないフリーターたちも、小泉さんに
票を入れたのではないですか。
 
失業率も世界標準から見れば序の口。金はそうないけれど、
日本で生きていることを楽しいと思っている若者も多いよう
に見える。
しんどいことはやりたくないと思うのも、ちゃんと食える社会
になったから。
 
PS 貧乏でも苦と思わない時代があったのは、みんなが
   貧乏だったから。
 
 
PSIU代表 白鳥 宙(富山県在住)

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