YS/20051112 Wの衝撃 ■北朝鮮の鉱物資源に群がる米中韓 今年7月、1年1カ月もの間中断していた北朝鮮の核問題をめぐ る第4回6カ国協議が再開され、現在は第5回6カ国協議の休会中 となっている。 拉致問題解決に向けた期待も高まるが、悲しくも国際政治の冷酷 な現実がある。ヨミウリ・ウィークリーの2005年7月31日号 の『「北」の鉱物資源狙う米・中・韓』と題する記事の中で、20 03年から北朝鮮問題の班長(アジア大洋州北東アジア課)を務め、 今年3月末に同省を退職したばかり原田武夫が、「北朝鮮がレアメ タル(希少金属)の国というのは米国ウォール・ストリートの常識 だ」とした上で、「米国が資源外交を展開しているのは確かであり、 この鉱物資源をめぐる米中韓と北朝鮮当局との“裏取引”が成立し たことが7月の協議再開に結び付いたのではないか」との見解を述 べている。 これを裏付けるように今年5月に韓国政府系機関の大韓鉱業振興 公社が北朝鮮最大の鉄鉱石鉱山の開発に中国と共同で乗り出すこと が明らかとなる。 さらに7月に第10回南北経済協力推進委員会が発表した12項 目からなる合意文には、韓国側のコメ50万トンを借款の形で支援 する見返りに、北朝鮮の地下資源の開発・投資を韓国側に保証し、 実質的な共同開発を進めることも含まれている。 米国の狙いを知るためには時間を遡ればいい。1999年2月に 行われた北朝鮮の地下核施設疑惑をめぐる米朝高官協議で、米側が 提示した制裁緩和措置である。この措置には在米資産の凍結解除、 経済制裁の一部緩和と並んで、亜鉛、金、タングステンなどの鉱山 開発や農業分野で投資を希望する企業へのライセンスの発行などが 柱となっていた。 特にタングステンにはドロドロとした日本をも巻き込む歴史的な 因縁がある。実は北朝鮮はこのタングステンの潜在的埋蔵国として 知られている。 ■1950年のタングステン危機と「W計画」 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発、そのわずか2,3ヶ月 で戦争に要する物資の国内備蓄量が危機的な状況になった。これが タングステン危機の始まりである。トルーマン政権は国家緊急事態 を宣言し、タングステンの入手に奔走することになる。 スウェーデン語で重い石の意味を指すタングステンは、貫通力を 高めるための弾芯として1940年代半ばから戦車砲や戦闘機の機 関砲などに使われてきた。1949年までの米国は、時には日本軍 の目をかすめながら、蒋介石の友人であるK・C・リー率いるワー チャン貿易を通じてタングステンを入手してきたが、中国共産党の 勝利によって中国の輸出先は米国からソ連へと変わる。米国は新た な供給国として韓国を選び、ソウル南東にある上東鉱山に触手を伸 ばすが、朝鮮戦争勃発直後にこの鉱山が北朝鮮軍の手に落ちたため にタングステン危機が起こったのである。 このタングステン危機の短期的な解決策として国防総省が目を付 けたのが日本であった。 「陸軍のダミー会社であった昭和通商に頼まれて、昭和15年、1 6年の2回にわたって、当時の金で70ー80万円に相当するヘロ インをヤミ価格で買い入れた。このヘロインは後に中国大陸に運ば れて南シナでタングステンと物々交換された。」 これは、1945年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘束 され、48年12月に岸信介、笹川良一らとともに巣鴨拘置所を出 所した児玉誉士夫の47年7月21日及び23日の調書内容である。 児玉は、陸軍主導で1939年に三井物産、三菱商事、大倉商事 の3社の出資によって設立された昭和通商や海軍管轄の児玉機関上 海事務所を通じて、戦時中にタングステンやダイヤモンド、プラチ ナなどを調達し、終戦直後には闇市で売りさばき、その売上の一部 が自由党の設立資金にまわされていた。 この児玉調書からタングステン・ルートの情報をつかんだ国防総 省と米中央情報局(CIA)によってタングステンの元素記号Wを 取った「W計画」が開始される。このW計画には戦前の米駐日大使 ジョゼフ・グルーの部下だったユージーン・ドーマンを中心とする ドーマン機関人脈やCIAの前身のOSS(米戦略局)のケイ・ス ガハラなどが関与した。そして、児玉と協力しながら中国本土に隠 されていた500トンのタングステンを市価の6割で国防総省に売 却した。この代金と利益について、米ニューヨーク・タイムズ紙は、 53年の選挙資金として日本の保守政治家に渡されたと伝えている。 彼らは、理想主義のニューディール派が取り仕切る日本の民主化 路線を激しく非難し、日本の再建には天皇制が精神的支柱として必 須であり、財閥解体を即刻やめるべきだとする「逆コース戦略」を 押し進めた。 結果としてこの戦略が成功し、経済大国としての今日の日本につ ながるが、この背景にあったのは、冷戦時代の到来を象徴する朝鮮 戦争勃発そのものであり、ジョージ・ケナンのソ連封じ込め政策に よって日本がアジアの反共防波堤として位置付けられたためである。 なお、このW計画は氷山の一角に過ぎず、CIAによる対日秘密 資金工作は、冷戦が激化していく50年代初めから60年代まで広 範に行われ、数百万ドルが保守政党へ、55年の保守合同以後は自 民党に集中的に供与されていた。 かつての旧ソ連が主導する各国共産党の国際組織コミンテルンを 彷彿させるが、当時ソ連や中国のH2機関も日本共産党や社会党を 通じた対日工作を行っており、これに対抗する狙いもあったものと 思われる。 ■タングステンから劣化ウラン弾へ タングステンに話を戻そう。現在の米国は弾芯に何を使っている のだろう? 米国はタングステンから新たな弾芯へと切り替えるために、19 50年代から軍事利用を目的とした実験を開始する。そして、その 特性から戦車や装甲車に撃ち込むと、分厚い装甲を突き破り、車中 を焼き尽くす威力を見出す。1978年頃にはこの新弾芯の生産・ 配備に入るが、これは戦車を主力とする北朝鮮の機甲旅団の韓国侵 略のシナリオに対応するのが主な理由だったと言われている。 この新弾芯が大量に実戦使用されたのは1991年の湾岸戦争で ある。以後、95年のボスニア紛争、99年のコソボ紛争、200 1年のアフガニスタン攻撃、そして03年のイラク戦争でも使われ る。 これが劣化ウラン弾誕生の裏側である。劣化ウランは、タングス テンと比べて「核のごみ」という性質上、極めて低コストである。 そして、何よりもタングステンの資源埋蔵量の約4割が中国に偏在 していることから、米国の潜在敵国である中国への依存を避けたい との戦略的理由がある(W鉱石の埋蔵量参照)。 劣化ウランには放射能、金属的毒性から人体、環境への深刻な影 響があることは、「湾岸戦争症候群」のデータから、米国こそが熟 知している。従って、米軍産複合体も劣化ウランから再びタングス テンへという世界的な潮流に逆らいながら、使用し続けるリスクも 当然計算に入れていることだろう。 中国は最新のイラクデータなどを活用しながら、世界の左派勢力 を巻き込んだ劣化ウラン弾使用禁止の一大キャンペーンを行いつつ、 北朝鮮を丸飲みすることでタングステンを手中に収め、米国を牽制 しながら石油・天然ガス交渉に乗り出すのであろう。 これに対して米国は劣化ウラン弾への非難の声を黙殺し、朝鮮半 島の再民主化を大義名分にレジーム・チェンジ(体制変更)に向け た対北朝鮮工作を行いながら、新たなW計画を発動するのである。 ■「新たなW計画」の実行部隊 先月10月25日から2日間の日程でアメリカン・エンタープラ イズ公共政策研究所(AEI)主催の「日米同盟の変遷 防衛協力 と統合の深化に向けて」と題するシンポジウムがキャピトル東急ホ テルで行われた。 ここに前原誠司やプロテスタントの石破茂らとともに登場したの がニコラス・エバースタットと安倍晋三である。ここに更なる因縁 も見出せる。 以前にも紹介したように、米軍産複合体の権化とも言うべきフェ ルディナンド・エバースタットという人物がいた。フェルディナン ドは終戦直後の1945年9月にエバースタット・レポートを作成、 戦争動員の迅速化と兵器開発の中枢としての国防総省、国家安全保 障会議(NSC)、CIAの創設を提案した。つまり、この3機関 の生みの親でもある。 W計画をきっかけにフェルディナンドが生み出したCIAを中心 に、ドーマン機関人脈に児玉、岸、笹川などの巣鴨組が加わり、日 本の裏と表を陰に陽に支配していくシステムが完成する。同時にこ の人脈はブッシュ家をも巻き込みながら、勝共を合言葉に文鮮明率 いる統一教会などとともに世界反共連盟(WACL)に結集、グロ ーバルな反共ネットワークが出来上がる。今やこの反共ネットワー クが原理主義的な宗教組織に匹敵する存在になっていることが、日 本の保守系オピニオン誌の一部から読みとれる。 このフェルディナンドの孫こそが、『北朝鮮最期の日』の筆者で あり、AEIの客員研究員を勤めるニコラス・エバースタットであ る。 そして、官房長官に就任した安倍晋三は、巣鴨組の岸信介の孫で ある。この二人が、冷戦終結の今も日米のネオコンやキリスト教右 派を器用に操りながら、世代を越えて対北・対中強硬派人脈の中核 として海洋勢力強硬派を構成する。 彼らが目指す民主化とは、米中衝突に備えてタングステンを米国 に送り届ける北朝鮮の豪腕フィクサーを育て上げることかもしれな い。しかし、後にロッキード事件でバッサリ切り捨てられた児玉誉 士夫の生涯から、彼らの恐ろしさが見えてくる。 彼らと足並みを合わせるかのように、石原慎太郎・東京都知事は 今月3日にワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)で講演し、 米中間で紛争が起こった場合に「中国にとって一番目障りな日米安 保をたたくために、もし核を落とすなら沖縄、あるいは東京を狙う だろう」と指摘した上で、「市民社会を持つ米国は戦争で生命の価 値観に無神経な中国には勝てない。中国に対抗する手段は経済によ る封じ込めだ」と主張し、インドやロシアと連携を強化するよう提 言している。 一方でプロテスタントを中心とする海洋勢力強硬派の反共ネット ワークとは距離を置きながらも、その動向を注視する集団が大陸勢 力の中心に存在する。反共の本家本元として、神なき共産主義に宗 教の自由を迫るカトリックの総本山、ヴァチカンである。吉田茂の 孫として英米の海洋勢力本流人脈を受け継ぎながらも、カトリック として大陸勢力につながる麻生太郎外務大臣誕生は、海洋勢力と大 陸勢力とがぶつかる地の波乱の幕開けを暗示しているかのようだ。 かつて、この二つの勢力に翻弄され、挫折したのが靖国神社にA 級戦犯として祀られている松岡洋右である。日独伊三国同盟にソ連 を加えた四国協商で米英に対抗するという野望から、スターリンに 対して「政治的、社会的」ならぬ「道徳的共産主義」にまで踏み込 んで、「日本には、道徳的共産主義がある。日ソでアングロサクソ ンの影響力をアジアから排除しよう」と懸命に訴えたことがある。 この神なき共産主義への接近がヴァチカンをも刺激し、二つの勢力 に加えユダヤ勢力をも結集させ、日本は太平洋戦争へと追い込まれ ていくのである。 この歴史の教訓から、「敵」と「敵の敵」を冷静に見極めながら、 「敵」への安易な接近や小泉首相や石原都知事のように表立って 「敵」を刺激する行為は当面控えるべきであろう。むしろ、水面下 で「敵の敵」を奮い立たせる工作に知恵を絞ればいい。さもなくば、 石原都知事の語る核の惨劇が現実になる。あるいは、中国全土に劣 化ウラン弾の雨が降り注ぐことになるのだろうか。 (本稿は、増田俊男氏が編集主幹を務める月刊『力の意志』200 5年10月号掲載の「北のタングステンをめぐるWの衝撃」に加筆 修正を加えたものである。なお松岡洋右の物語は、まもなく再開す る予定のビッグ・リンカー・シリーズにて取り上げてみたい。) ●参考グラフ W鉱石の埋蔵量(出典:ITIA、タングステン・モリブデン工業会HPより) http://www.jtmia.com/J/J_statistic1.htm ●主要参考文献 「ジャパニーズ・コネクション 海運王K・スガハラ外伝」 ハワード・B・ションバーガー/著 (文芸春秋) 「阿片と大砲 陸軍昭和通商の七年」 山本常雄/著(PMC出版) 「インサイド・ザ・リーグ 世界をおおうテロ・ネットワーク」 ジョン・リー・アンダーソン、スコット・アンダーソン/共著(社会思想社) CIA Spent Millions to Support Japanese Right in 50's and 60's New York Times, October 9, 1994 Shintaro Ishihara, governor of Tokyo spoke at CSIS on "Japan's Future Potential." http://www.csis.org/index.php?option=com_csis_press&task=view&id=1462 ============================== タングステンが戦争に重要な資源である。 ------------------------------------------------------------ 愛 http://www.ch-sakura.jp/bbs_thread.php?ID=56927&GENRE=sougou 何故、放射性を持つウランが微量とは云え、劣化ウランに付着するのだろう か? 其れは、天然のウラン鉱石を放射性ウランと劣化ウランとに分離する際、完 全に100%の分離は現在の技術では不可能で、どうしても微量の放射性ウラ ンが劣化ウランに付着して残るからである。 平時はごく微量だから、問題は無かった。しかし、熱が加わると極めて有毒 となる上、米退役軍人協会等が補償を求めて来る事を恐れての事だった。 劣化ウラン弾は湾岸戦争で大量に使った上、各地で廃棄されている。日本で も、沖縄の米軍で大量に海中に捨てられたと伝えられる。 以上のように、米ペンタゴンは劣化ウラン弾を使う訳に行かなくなった。其 処で、劣化ウランの代りに、再びタングステンを使わざるを得なくなった。 何しろ、米軍の弾薬備蓄量は膨大である。良質のタングステンが大量に埋蔵 している国は極少ない。其処で、良質のタングステン鉱山を多く持つ北朝鮮が 浮かび上って来たのである。もいs、北から大量のタングステンを購入すると なると、戦争なぞやっておられない。北は、米国の国策遂行上、無くてはなら ない国となる。 といっても、ペンダゴンは一枚岩ではない。北との宥和に反対するDIAの ような強行派も依然として存在しているが……(日本は、ここと仲良くするべ きだ)。 尚、ペンタゴン内の宥和派も、北を簡単に占領出来るとみれば、開戦に賛成 したであろう。朝鮮人民軍強しと見ての、宥和路線である事を忘れてはならな い。 ------------------------------------------------------------ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 タングステン (Tungsten)は、金属元素の一つで、元素記号は W で ある。 原子番号は74であり、原子量は183.9である。灰白色の非常に硬く重 い金属で、クロム族元素に属する。化学的に安定で、その結晶は体 心立方構造(BCC)を持つ。 融点は摂氏3400度ほどで、沸点は摂氏5000度を越える。比重は、19.3 。希少金属の一つである。融点が高く、金属としては比較的大きな 電気抵抗を持つので、電球のフィラメントとして利用される。また 、比重が大きいため、危険性の指摘される劣化ウランのかわりに砲 弾に用いられることもある。狩猟用の散弾銃の鉛弾に代わる代替品 としても注目されている。 Tungsten とは、スウェーデン語で「重い石」という意味であり、元 素記号の W はドイツ語の Wolfram にちなむ。 ------------------------------------------------------------ http://www.nittan.co.jp/ ヘビーアロイ: タングステンを主成分とし、バインダー相をニッケル・銅・鉄等で 構成したタングステン基焼結合金です。タングステンを主成分とす るため高比重であり、純タングステンと比較して切削加工が容易な ことから種々のウエイト(おもり)として広く使用されています。 高比重特性を生かし放射線の遮蔽能力にも優れており、放射線遮蔽 材料としても使用されています。近年は、環境問題等から、これら の用途で従来使用されてきた鉛の代替材として注目されています。 その他の用途としては、この材料の持つ低熱膨張、高熱伝導、優れ た機械特性等を生かしてダイカスト金型部品、半導体部品、機械部 品、各種電極、重り、しゃへい材等にも使用されています。 MIM(金属射出成形)法、PIM(粉末射出成形)法による製造 も行っております。 電極材料: 電極材料として一般的に下記性質が要求されます。 1) 高温下で変形しにくいこと 2) 熱、電気伝導度が良い事 3) 被溶接材及びメッキ材と合金化しにくいこと 4) 大気中で酸化しにくいこと 5) 安価である事 抵抗溶接は、非常に微妙なもので、どの電極が適しているとは一概 には言えません。銅、銅合金以外であれば、銅電極、クロム銅、ア ルミナ分散銅などで試していただき、寿命、性能などがよくない場 合、下記のタングステン系電極で検討される事をおすすめします。 ヒュージング等も含め、銅線や銅板等の抵抗溶接には、タングステ ン系電極をお勧め致します。 なお、タングステン系電極はISOではBグループで設定されてお りますが、JISでは設定されておりません。 高比重タングステンシート(比重=12): 長年培ってきた粉末冶金の技術を応用しており、特殊な調整方法で 混合したタングステン粉末と樹脂を合成し、シートに成形したもの 。鉛の代替用をターゲットとしている。 ------------------------------------------------------------ 中国のタングステン産業の3つの「世界一」 http://www.ncnc.china.com/news/intrjp/whatsnew2005011201.html 伝えられるところによると、中国のタングステンの生産量、輸出入 量と消費量はいずれも世界の前列に位置し、タングステン産業の3つ の「世界一」を作り出すことになった。 中国のタングステン業協会は、今年の全面的な調査研究の結果では 、2003年における中国国内のタングステン消費量は1.69万トンを上 回り、世界一の座を占めたと発表した。これまで、中国のタングス テンの生産量と輸出入量は長年続けて世界一であった。 中国のタングステン鉱資源はかなり豊富である。国土資源部のデー タによると、中国にはタングステン鉱山が269もあり、確認済みのタ ングステン鉱埋蔵量は124.4万トンに達し、世界のタングステン埋蔵 量の45%を占め、世界一となっている。20世紀80年代の中頃から、中 国のタングステン生産高もずっと高い水準を保っている。1998年以 後、国内のタングステン生産量は6年連続6万トンを上回り、今年8万 トンを突破すると予想されている。 1999年以来、中国のタングステン輸出入量は5年連続世界一となり、 毎年の輸出量はつねに2万トン以上で推移しており、世界のタングス テン年間需要量の約半分を占めている。2003年における中国のタン グステン輸出量は2.9万トンに達し、今年の輸出量は昨年と同じ水準 を維持すると予想され、なお少量の輸入もあり、輸出入量は引き続 き世界一になると見られている。 近年、中国のタングステンの精錬、加工企業は産業チェーンの延長 、製品の付加価値の向上を重視するようになり、タングステンの輸 出入における製品構造を改革し、初級産品が大量輸出される状況を 一変させた。 タングステンは携帯電話、集積回路とミニ電子計算機などの分野で 幅広く使われている。1997年から2003年にかけて、中国のタングス テン消費量は年間8000トンから1.69万トンに増え、消費総量は倍増 した。今年のタングステン消費量は1.8万トンに達すると予想されて いる。 「チャイナネット」 2005年01月12日 ------------------------------------------------------------ 金剛山と鉱業 http://www.norihuto.com/kumgang-old-kouzan.htm あまり知られていない話ですが、金剛山は豊かな鉱物資源に恵まれ ています。日本植民地時代、金剛山中には金、モリブデン、タング ステン等の鉱山がありました。特にモリブデン・タングステンにつ いては、朝鮮半島有数の鉱山として知られていました。 鉱業は資料が少なく、調査が困難な分野ですが、のりまきが手に入 れた範囲の資料で、日本植民地時代の金剛山と鉱業について紹介し たいと思います。 金剛山に鉱山があることは、日本植民地時代に作られた金剛山の 五万分の一地図を見るとすぐにわかります。特に『重石』と書かれ た鉱山マークがあちこちに見られ、重石(タングステン)の鉱山が 山中に点在していたことがわかります。 もともと金剛山では、形状の変わった黒い石が採れることが知ら れており、『金剛石』と呼ばれていたようですが、その形状の変わ った黒い石は、実はタングステンの鉱石だったのでした。 1912年、小笠原健という人物が朝鮮総督府よりタングステン 採掘の許可を受けます。小笠原健氏は、温井里最初、つまり金剛山 でも最初の日本式旅館『温井旅館』を開いた小笠原氏と同一人物と 思われます。小笠原健氏は、金剛山中のタングステンが露出してい るところを探し、そこから露天掘り形式でタングステンを採掘して いました。 タングステン鉱脈で最も大きかったのは、万物相近くで内外金剛 を繋いでいる峠である温井嶺を、内金剛側に少し下った新豊里とい うところにありました。その他にも万物相の北側の仙蒼渓谷や千仏 渓谷、さらには万物相の南側にもタングステン鉱脈が発見されてい きます。やがて1915年には小笠原健氏から経営権を譲り受ける 形で三井が経営に乗り出してきました。三井は露天掘りではなくタ ングステンの鉱脈に沿って坑道を掘り、本格的にタングステン採掘 に取り組みだします。まもなく金剛山のタングステン鉱山は鉱夫約 80名を擁し、盛んに採掘をするようになります。当時、金剛山各 地のタングステン鉱山は、『金剛鉱山』と総称されていました。 三井が金剛山のタングステン鉱山経営を引き継いだ頃は、採れた 鉱石を山元で全て人力で選鉱しており、まず鉱石を人力で砕き、タ ングステン鉱石を含む部分を選鉱所に送り、そこで更に選鉱作業を 行なっていたといいます。選鉱作業が終わった鉱石は、人力で温井 里まで運搬され、そこから牛車で長箭港へ運ばれました。 1917年に金剛山を訪れた作家、菊池幽芳氏はこのタングステ ン鉱山の鉱山事務所に宿泊しました。菊池幽芳氏の著書『朝鮮金剛 山探勝記』によれば三井の鉱山の出張所は温井里にもあって、 1917年には温井里に東京三井物産が温泉の浴槽を設けたとの記 録も残っており、三井の鉱山出張所が温泉の浴槽を作った可能性が 高いと思われます。 また1918年に金剛山を旅した大町桂月氏も、著書『満鮮遊記 』によれば金剛山中の3ヵ所のタングステン鉱山の事務所に泊って います。氏の記述によれば、当時金剛山中のタングステンの鉱山事 務所は4ヵ所《新豊里・千仏洞・仙蒼渓・三聖庵》あって、全て三 井が経営をしていたようです。また、温井里以外に長箭にも三井の 鉱山出張所があったようで、当時、三井は金剛山の各地で盛んにタ ングステンを採掘していた様子が伺えます。また、新豊里と千仏洞 の鉱山に、1918年には水力を動力とした近代的な選鉱施設まで 作られました。三井は金剛山のタングステン採掘は1917〜8年 頃最盛期を迎え、約330人の人が金剛山の鉱山で働き、関係者を 含めると500名を越える人々が金剛山の奥地で生活していたとい います。 しかし金剛山の険しさもあって、近代的な選鉱施設が出来上がっ た後も、鉱石の搬出や鉱夫たちの生活必需品などは、人力で温井峠 を越えて運搬されていたといいます。ところで菊池幽芳氏と大町桂 月氏が金剛山探勝中に鉱山事務所に宿泊していたことは前述しまし たが、1918年頃、三井の鉱山事務所は一般の金剛山探勝客も宿 所として使うことができたようです。 この頃、金剛山山中の各所でタングステン盗掘団が徘徊していた といいます。前述の朝鮮金剛山探勝記には、温井里の憲兵隊がタン グステン盗掘団を追いかけて九竜の滝の絶壁を登攀したけれども、 盗掘団を取り逃がしてしまった話が書かれています。どうやら当時 は山菜取りのように金剛山中でタングステン鉱石を探し、採掘して 、背負子のようなもので鉱石を持ってくるといった形式で採算が取 れたようです。前述した大町桂月氏の著書『満鮮遊記』には、金剛 山について「重石の多きことも、世界無比なり」。と書かれていて 、当時の金剛山がゴールドラッシュならぬタングステンラッシュに 沸いていたことが想像できます。 このように金剛山各地でタングステン採掘が行なわれた背景とし ては、第一次世界大戦の影響でタングステンの価格が高騰したこと が挙げられます。果たして第一次大戦終了後、タングステン価格は 暴落し、零細な鉱山はたちまち採算が合わなくなってしまったよう です。早くも1919年には奥地の鉱山を放棄し、1921年には 完全に採掘が中止されました。小笠原氏の採掘開始からわずか9年 目のことでした。三井は金剛鉱山の経営から手を引く形となり、別 の経営者が鉱業権を引き継いだようですが、鉱山が復活することは なく、やがて鉱区としての登録も抹消されたようです。 実は金剛鉱山と呼ばれた鉱山はもうひとつありました。もうひと つの金剛鉱山は外金剛の上八潭の近くにあり(注1)、こちらは主 にモリブデン(水鉛)の鉱山でした。この金剛鉱山は1914〜18 年の第一次世界大戦中に発見されました。発見当初、まず焚火採鉱 法(注2)と言われる方法で採掘が行なわれました。採鉱の際に焚 かれる焚き火がなんと二十キロ以上離れた通川からも見ることが出 来たとの記録も残っているようです。焚き火採鉱法による採掘の結 果、山腹に大穴が空いたとの話も伝わっています。しかし戦争終結 に伴うモリブデンの市場価格下落のために採掘は一時中断となり、 1925年より再び採掘が行なわれるようになりました。 こちらの金剛鉱山も三井の金剛鉱山と同じく、アクセスが大変に 貧弱でした。九竜淵の入り口にある神渓寺から先は車の運行が出来 ず、鉱山から神渓寺までの5キロあまりの山道は、全て人力で鉱石 の運搬を行なわざるを得ない状況でした。特に九龍淵の渓谷沿いか ら道が離れた後は『道路険悪で(1.5キロの距離を)約1時間か かる』ありさまであったといいます。なんとそれでもこの金剛鉱山 は1935年ごろには朝鮮半島の重要鉱山のひとつに数えられてい ました。ちなみに金剛鉱山の鉱石は他鉱山の追随を許さぬほど高品 質であったといいます。金剛鉱山は深い山中にあるという鉱山経営 上のハンディを高品質の鉱石で補っていたようです。 鉱脈は巨晶花崗岩(ぺグマタイト…注3)の岩脈の中にモリブデ ンの鉱石である輝水鉛鉱が散らばっている形のものであり、平均 15センチの太さで約360メートルにわたって地面に露出してい る鉱脈だったそうです。その鉱脈を谷底から坑道を堀り(この坑道 は横穴だと思われる)、その坑道から階段状に掘りあげるように鉱 石を採掘していたそうです。1935年当時、坑道は全部で5本掘 られ、最も深くまで採掘をしていた第一坑道は、奥行き250メー トルまで掘り進めていたといいます。 坑口近くに設けた選鉱場で手作業で鉱石のみを選び出した後、か ます(藁のムシロで作られた袋)に鉱石を詰めて、人が担いで神渓 寺まで運ばれました。神渓寺から先、長箭港までは牛馬によって運 搬され、長箭港から汽船で日本国内や中国方面に輸送されていたと いいます。 1932年当時、金剛鉱山の従業員は37名、一年で24625 円の利益を挙げていたといいます。当初は個人経営の鉱山でしたが 、やがて日本鉱業が経営をするようになりました。 その他にも金剛山やその周辺には鉱山があったようで、外金剛に は金山が、叢石亭がある通川には炭鉱があったようです。通川の炭 鉱はかなり大規模なものであったようですが、灰分が多くて質が良 くない石炭であったため、比較的短期間で採掘されなくなったよう です。外金剛の温井里周辺には小さな金山がかなりあったようです が、詳細は不明です 1930年代半ばから後半にかけて、日本が戦争への道をひた走 り出した頃、再び金剛山一帯に鉱山ブームが訪れました。金剛山に は戦略物資として重要なタングステン・モリブデン、そして金が埋 蔵されていたので、ブームの再来はある意味当然でした。 当時、鉱山以外にも実に多くの鉱区が金剛山中やその周辺には設 けられていて、金・銀・タングステン・モリブデンなどの鉱山を開 こうとする人や、鉱業権を投機目的にしようとした人が金剛山に鉱 区を申請していった状況が見えてきます。このような金剛山の鉱業 開発について、環境が破壊されると苦々しく思っていた人も多く、 実際、総督府に設けられていた『金剛山保存調査委員会』などは鉱 山開発に抵抗をしたようですが、結局、戦争の遂行のために金剛山 中に11ヵ所の鉱山開発が認められたそうです。 特に無計画な盗掘は環境に与える影響が大きく、金剛山協会の発 行した金剛山ガイドブックには、『…渓に沿う一帯は無残に破壊さ れ、土砂が河床を埋めて興ざめる光景がしばらく続く。問題の重石 盗掘の跡である…』といった記述も見られ、1939年末には盗掘 者たちが起こした山火事が広がり、大山火事となってしまう事件も 発生し、当時すでに鉱業による環境破壊の問題も発生していました。 日本植民地時代、金剛山中にあった鉱山は今現在どうなっている のかまったく不明です。1945年以降、鉱山がいったいどうなっ ていったのか今のところまったく手がかりはありません。少なくと も外金剛上八潭近くの金剛鉱山は現在採掘されていないことはわか るのですが……ひょっとして今なお採掘がなされている鉱山もある かも知れません。 (2003・8・16 作成) (2004・12・22 最終加筆) ------------------------------------------------------------ 北朝鮮とロックフェラーの関係 http://hackjaponaise.cosm.co.jp/NorthKorea/bbslogs/nkoreabbs1733.html 北への宥和派増える ●北のタングステンを必要とするペンタゴン ペンタゴンは、北の産出するタングステンに目を付けている。と云うのは、タン グステンがなければ、戦争が出来ないからだ。 戦争において、砲弾や爆弾は戦車や軍艦等の装甲、ベトン製コンクリートで固め られたトーチカや要塞を貫通する必要がある。そうでないと、破壊出来ないからだ。 貫通ないし打撃は、より質量の大きな物質をより質量の少ない物質に衝突させる事 で、初めて可能となる。例えば、銅を幾ら鉄に打付けても、決して貫通はおろか、 凹みさえ生じない。 其処で、軍用装甲や軍事要塞に貫通ないし打撃を与えるには、鋼鉄より質量の大 きな物質を砲弾や爆弾の先端の弾芯として用いなければならない 往来から、タングステンが其の為に用いられてきた。だが、ペンタゴンはタング ステンより質量の大きいウランに注目していた。ウランの方がタングステンより破 壊効果が大きいからだ。 しかも、ずっと安く買える。と云うのは、天然のウラン鉱石には、核兵器や核燃 料の原料となる放射性ウランの他に、劣化ウラン等が含まれている。鉱石を精製す る際、放射能を出さない劣化ウランは捨てられていた。 其処で、ペンタゴンは70年代に、弾芯にタングステンに代えて、劣化ウランを 採用したのである。 この劣化ウラン弾が実際に戦場で使われたのは、湾岸戦争が初めてであった。同 戦争の終結直後、所謂「湾岸戦争症候群」が云われ始めた。参戦した米軍人や戦場 近くにいた民間人の間に、奇病や体調不全を訴える者が続出した。当初は、イラク の化学兵器の所為ではないかと云われた。 やがて、原因が判明した。米軍の使用した劣化ウラン弾の所為だったのである。 と云うのは、大砲で劣化ウラン弾を射ち捲くれば、当然、砲身が熱せられて、熱く なる。其の熱が劣化ウラン弾の弾芯に極微量に付着している放射性ウランを熱変化 させて、有毒な放射能となって、砲口から散布されていたのである。繰り返し、大 砲を射ち巻くれば、其の散布量は増えて、益々人体に有毒となる。 何故、放射性を持つウランが微量とは云え、劣化ウランに付着するのだろうか? 其れは、天然のウラン鉱石を放射性ウランと劣化ウランとに分離する際、完全に 100%の分離は現在の技術では不可能で、どうしても微量の放射性ウランが劣化 ウランに付着して残るからである。 平時は極微量だから、問題は無かった。しかし、熱が加えると極めて有毒となる 上、大砲の連続発射によって、蓄積され、増大して行く。 だが、ペンタゴンはこの結果を決して公表しない。そうすると、大変な問題とな る上、米退役軍人協会等が補償を求めてくる事を恐れての事だった。 劣化ウラン弾は湾岸戦争で大量に使った上、各地で廃棄されている。日本でも、 沖縄の米軍で大量に海中に捨てられたと伝えられる。 以上の様に、米ペンタゴンは劣化ウラン弾を使う訳にはいかなくなった。其処で 劣化ウランの代りに、再びタングステンを使わざるを得なくなった。 何しろ、米軍の弾薬備蓄量は厖大である。良質のタングステンが大量に埋蔵して いる国は極少ない。そこで、良質のタングステン鉱山を多く持つ北朝鮮が浮かび上 って来たのである。若し、北からの大量のタングステンを購入するとなると、戦争 なぞやっておられない。北は、米国の国策遂行上、無くてはならない国となる。 と云っても、ペンタゴンは一枚岩ではない。北との宥和に反対するDIAのよう な強硬派も依然として存在しているが……(日本人は、この強硬派と大切にしなけ ればならない。そうならないと、日本は悪の支配欲がある残虐な支配者である金正 日に支配されてしまう!愛)。 ************************************* ●ロックフェラー、北と鉱物資源開発契約結ぶ こうしたペンタゴンの北のタングステン着目を上手く利用しようと動き出してい る財閥がある。共和党の有力スポンサーである。世界最大のロックフェラー財閥で ある。 同時に、ロックフェラーはタングステンのみならず、北の豊富な鉱物資源にも目 を付けている。北は元々、金、鉄、銅を豊富に産出する他、知られてないが、現代 産業に欠かせないレア・メタルの宝庫である。コバルト、ニッケル、マンガン、チ タンと大体揃っている。ウラン鉱石も埋蔵している。 ペンタゴンは往来から、これらレア・メタルを戦略物資として、大量に備蓄して 来た。レア・メタルの供給は、これまで主として、コンゴ(旧ザイール)、ザンビ ア等アフリカ諸国に頼って来たが、産出国や途中の輸送経路で政情不安が続き、価 格の変動が著しく、安定供給の点で難があった。北と和解すれば、安定供給を確保 出来る。 このビック・ビジネスを成功させる為、ロックフェラーは既に動き出している。 1994年、95年、ロックフェラーの意を受けたとみられる共和党議員団が何回 も北を訪問し、議員外交を始めている。 又、ロックフェラー財団に、南クンと云う名の韓国生まれの両班(貴族)の家系 出身者等を研究員として迎えている。そして、弁護士出身のジェローム・コーエン を団長とするロックフェラー財団代表団を、直接北へ派遣している。 筆者の手許にあるレポートがある。「MANAGING CHANGE ON KOREAN PENINSULA」(朝鮮半島に於ける変化の管理)と題して、 1998年5月31日に出されたもの。作成者はモートン・アブラモウィツ、ジェ ームズ・T・ラーネイ、コー・チャイルズ、ミハイル・J・グリーンで、何れも米 国で有名な朝鮮研究者。 其の内容は、「北朝鮮とは宥和が可能であり、米国との経済関係を強化すべきだ」 というものである。 表紙に「外交評議会(CFR)がスポンサーになった」と記されている。外交評 議会と云えば、ロックフェラー系である。即ち、このレポートは、ロックフェラー が世論工作の為に作成、配布したと見て間違いあるまい。 98年6月、ロックフェラー財団は全米鉱山協会と共に、北朝鮮政府との間に、 北の鉱山の試堀契約を5億ドルで行っている。但し、米国政府の北への経済制裁が 行われている限り、この契約は実行出来ないが。 兎も角、噂され始めている北への経済制裁の解除と共に、ロックフェラーは北の 鉱物資源へ強力にアクセス出来る基盤を既に築いている。 ロックフェラーと共産主義の関係 http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7073/kyousanntouennjyo.htm ------------------------------------------------------------ 2CHより ダイヤモンドで約5万2000カラットはあったといいます。当時 の金額で約200億円、現在の額で7兆円ほどだといわれています。 もちろん、それが真実かどうかは証拠がないためわかりません。 ダイヤモンドで200億円ですからほかの貴金属もあわせれば、もっと 膨大だと思います。GHQの調査では450億円はあったとされてい ます。とにかく、膨大な額なのです。 児玉先生は終戦後、東久迩内閣の参与となりますが、内閣総辞職で 解任されます。そして、昭和二十一年一月、戦争協力容疑で巣鴨プ リズンに収容されてしまいます。 しかし、GHQの犬になることと、隠匿物資(タングステン)を提 供することを約束し、昭和23年に釈放されます。 このときに、あの笹川良一と岸信介元首相と深い関係になったとい いますね。3人ともA級戦犯でぶちこまれていました。 児玉機関の隠匿物資の一部は鳩山一郎が自民党の前進である自由党 を作るときにも使われたそうです。ダイヤやプラチナで7000万円相 当らしいです。ここから、児玉誉士夫大先生の快進撃がロッキード で捕まってしまうまで続くわけです。 それはやはり、膨大な資金力があってこそです。その資金源は大陸 の人々を軍靴で踏みにじることによって作られたものです。 米軍が一番欲しかったのが児玉が押さえたタングステンだったよう ですね。このため、戦後米国はタングステンを多量に備蓄できたが 、それも使い果たして劣化ウラン弾にならざるを得ないことになっ ている。