2117.中国の分裂について



中国人から見た「中国の分裂について」   
   
 F さん
こんにちわ。中国人の王です。
「中国の分裂について」という文章について、中国人の私の目から
見ると、事実に反することが多いです。
今普通の中国人(庶民から幹部まで)の認めている考えは
1、経済発展は第一、安定な環境が不可欠
2、分裂を図る人は民族の犯罪者
ここ二点は上海人にせよ、北京人にせよ、みんなが賛成していると
思う。
もし、お時間がありましたら、ぜひ中国に来て、普通の中国人と話
し合ったり、社会を観察したりしたほうがいいと思います。
そうしないと、表面上の現象に騙され、偏った判断をしてしまうか
もしれません。

王
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(Fのコメント)
王さん、ご意見、ありがとうございます。
何度も中国に行っていますが、中国政府に反対意見を述べることが
出来ないと、中国の友人(ビジネスマン)たちは私に言います。

もう少し、驚くことに、バンクーバーでもカナダ国籍を持っていて
も、親戚が居るということで本土の中国人は政府への反対意見を言
わないことです。どちらかというと政治の話を拒否します。

それと、中国に居る駐在の日本人たちも街中では、政治的な話をし
ません。何が起こるかわからないというのです。それほど、中国は
統制されていると見ています。さすが、共産党独裁体制がしっかり
しているようです。

また、中国で少し政治的な話をすると公安の人が質問してくるよう
です。このため、中国本土に行っても反対意見は聞けませんし、話
すこともできないようです。

中国の事情を知っている日本人や米国人、欧州人から話を行くしか
ないのが現状です。勿論、街は活気があり、皆が快活に生活してい
るように感じるが、しかし、権力闘争は傍目には分かりません。

中国農村の民衆は今、開発と称して土地を追い立てられている。こ
れに抗議をすると警察官が出てきて、追い立てるという酷い状況で
ある。一国二国民制度という都市の住民と村の住民では、生活レベ
ルも賃金も違うという差別が存在している。この差別が限界に来て
いるように感じる。この差別と権力闘争が結びつくことで中国の分
裂が起こるように感じるが、近い将来、もう少し明確な形でその亀
裂が浮き彫りになると思う。

北朝鮮問題も6ケ国協議は成功しない。北朝鮮問題は行き着く所ま
でいくと見ている。この北朝鮮を支援しているのが中国で、このま
まの状態で放置すると、日米は北朝鮮の崩壊と中国の混乱を同時に
処理することになり、今、その体制を整えるのに待った無しの状態
であると見ている。特にミサイル攻撃に対して、有効な防御手段が
ないと危ない。

中国は、自国の民主化を早く実現して、一国二国民制度を止めて、
軍備拡張より国家建設に金を使うべきでしょうね。日本の戦後を真
似した方が良い。軍事大国になるより、経済大国になることの方が
重要であると思うがどうでしょうかね。日本の投資を呼び込むため
に反日的な教育も止めるべきでしょうね。中国のバブル崩壊は日本
の投資がなくなることで起こる。

この関連で、今、反米嫌米的なことはできない。北朝鮮攻撃や中国
混乱が近い将来に起きる。後、4年前後に迫っている。もう座禅時
にイメージまで見える状態になっている。緊迫した状況である。
この時、最大の味方が米国です。「将来の形について」で見た通り
、北朝鮮と中国の攻撃を受けて、日本は中国・北朝鮮と戦争になる
可能性があるが、それを日本に有利な形で止めるのは米国や豪州で
ある。

株式日記や反米国粋主義者は近い将来を見ないために、反米的な対
応をしているが、今、日本は東南アジアからも中韓からも嫌われて
いる。友達は米国、豪州しかない状態である。この原因も国粋主義
者が周辺諸国に対して強硬外交をしたことにある。農業問題で譲歩
しないために東南アジアでも日本の評判は悪い。

もし、ここで米国と紛争を起こすと完全に孤立してしまう。もし、
反米的な対応をするなら、中国がFTAで譲歩した農業産品を関税
なしで東南アジアから買うとか、ロシアと2島返還で我慢して平和
条約を結ぶとかの周辺諸国との戦略的な友好的な政策案を提案しな
いと、日本の安全保障は成り立たない。近い将来を見て、政治的な
駆け引きをしないと国家の基本である国民の生命を守れない。
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6か国協議、米が早期打ち切り検討も

 【北京=貞広貴志】北朝鮮による軽水炉建設要求でこう着状態に
陥っている6か国協議の先行きについて、当地の米政府筋は16日
朝、「今日は(議長国)中国などの話を聞いて、打開の可能性があ
るか様子を見るが、いつまでも継続するわけにはいかない」と述べ
、北朝鮮が軽水炉要求に固執した場合、協議の早期打ち切りも検討
することを示唆した。

 米国首席代表のクリストファー・ヒル国務次官補(東アジア・太
平洋担当)は同日朝、宿舎のホテルで記者団に、「中国は北朝鮮を
説得する責任を感じるべきである」と言明。こうした意向を踏まえ
て中国は同日午前、北朝鮮との2国間会談を行った。

 米国は同日、中国との2国間会談、日韓との3か国会談を連続して
開き、「完全な行き詰まり状態」(協議関係者)打開の対応策を検
討するが、中国による北朝鮮の説得工作が失敗した場合、協議は物
別れに終わる恐れが高まっている。

 日本首席代表の佐々江賢一郎・外務省アジア大洋州局長も16日
、記者団に「今日は試練の日になる。何ができるか、中国を中心に
努力が続けられる」と厳しい認識を示した。関係国の間では、再度
の休会をはさみ、北朝鮮の翻意に期待をかける案も浮上しているが
、ヒル次官補は1か月余にわたった前回の休会の末に北朝鮮が軽水
炉要求を持ち出した経緯に触れた上で、「われわれは問題に直面し
ている」と述べ、進展がないままの休会・協議再開には慎重な姿勢
を示した。

 北朝鮮代表団が15日、「他の参加国は(軽水炉提供の)問題に
理解を示したが、米国は何も考えず提供できないと言っている」と
米国を非難したことについて、ヒル次官補は「現状の認識、それに
何をすべきかで(5か国には)真の意見一致がある」と強調、「北
朝鮮は、自分自身を孤立した立場に追い込んでいる」と厳しく批判
した。
(読売新聞) - 9月16日14時38分更新
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成17年(2005年)9月15日(木曜日)
       通巻1233号 

注目の劉亜州・空軍中将が連戦訪中のシナリオを書いた
 李先念の女婿。「太子党」だが、軍の人気が高く米国が瞠目

 空軍の戦略家であり、不思議なことにエッセイを書いて小説もも
のにするという風変わりな軍人論客が劉亜州・中国人民解放軍中将
だ。
かれは李先念の女婿で53歳。海外留学、外国体験が豊富であり、
かつ本音を語る強硬派としても知られる。
現在「空軍副司令」(つまり空軍のナンバー2)。

 劉が著した戦略論『忠節と志気』では、対米、対日、対台湾など
の問題を網羅していて、タブーを軽々と突き破り、党と軍の腐敗を
摘発し、大胆な内部改革を提唱し、過去の軍のデマゴギーを排斥し
ている。
 軍の戦略はふるくて、従来的な軍人のメンタリティが改革の足を
引っ張る、というのだ。

 49年の金門砲撃戦についても、劉亜州が昨年インターネット上
に配信した論文では、軍の指導の不手際を告発し、侵攻計画の杜撰
さを槍玉にあげて糾弾した。
 90年代の台湾政策も、この金門の体験をいかせず、台湾への強
硬な態度を維持したことは失敗である、と総括した。

 劉は「リアリストにして同時にナショナリストである」と自らを
定義し、台湾問題などより、中国の長期的目標は「強い中国、強い
軍」である、と臆面もなく言う。

 米軍が台湾防衛に出てくる現在の国際情勢という文脈では、むし
ろ台湾の複数政党制を梃子として、民進党にさえ食い込みを図れば
よいと提唱した。
これが胡錦濤の決断を促した。つまり、国民党の連戦主席や親民党
の宋楚諭らを北京へ招待した、戦後中国共産党の基本姿勢の変更を
もたらした。

 胡錦濤は、こうして軍の強硬派の意見をとりいれながらも、じつ
は政治的にもっと老獪な行動をとっている。
11月20日に予定されている胡耀邦生誕90年記念式典がそれだ。
胡耀邦の復権のみならず、国民的な人気の高い趙紫陽元総書記の名
誉回復も視野に入れており、過去半年のあいだに趙紫陽の側近だっ
たブレーン、軍人ら10余名を復権させている。
これは胡の権力基盤である共産主義青年団の団結強化をはかって、
上海閥の追い落としを本格化させる長期展望に立脚しており、党の
若手からの支持が拡大しているという
(ウィリー・ラム『チャイナブリーフ』、9月13日号)。

 ▲江沢民の追い落としに胡錦濤は劉亜州の強硬論を梃子に利用

江沢民の右腕で、胡の最大のライバル曾慶紅の影響力低下は甚だし
く、最近は新彊ウィグル自治区へ派遣されての儀礼式典出席やら、
香港のディズニーランド開園に共産党を代表して出席するなど、一
連の軍関係の決定からは完全にはずされている。

くわえて江沢民派の呉邦国、黄菊の出番もすくなく、上海派に連な
った企業家、銀行家らの「汚職」「不正」を名目としての逮捕も、
胡の権力基盤の基礎固めに利用されている。一方で共産主義青年団
からの抜擢があまりに露骨なため、たとえば河南省の暴動とAIDS
の広がりから逃げて、遼寧省書記に転じた李克強(前河南省書記)
に対して依怙贔屓人事との悪評さくさく。

 しかし国内政争におかまいなく、劉亜州は続ける。
 「ハンチントンの儒教とイスラムの同盟は、偉大な機会である。
西側とイスラムの対決こそ、中国にとって絶好のチャンスではない
か」。
「西側が懼れるのはイスラムの勃興であり、そのイスラムとの関係
改善こそ中国の外交的課題としなければなるまい」

 ならば露西亜とどうくむのか、詳しい提言はないのだが、このあ
とに続く言葉が面白い。
 「しかるに中国の外交政策も軍事戦略もインテリがつくっておら
ず、インテリでない人達が策定しているのは、中国の悲劇である」
として大胆に軍の再編を提唱しているのである。

 また劉亜州は熊光楷や朱成虎とならんで「対日強硬派」の頭目だ
が、「日本は日米安保条約から離れて独立した場合、中国にとって
扱いやすい隣人であり、中国の世界戦略の緩衝地帯として活用でき
る」などと侮蔑の態度を露わにしている。
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『亜空間通信』1095号(2005/09/11)
【911事件4周年記念として木村愛二編著『9・11事件の真相と背景』日本平和学会
報告の告知】
 
 本日(2005/09/11)は、911事件の4周年記念日である。日本の大手メディアの特集は
見掛けないので、その代わりに、木村愛二編著『9・11事件の真相と背景』(木村
書店、2002年10月)が、参考文献として掲げられている「13回日本平和学会九州」
への報告を紹介する。

 以下の論文は、第13回日本平和学会九州への木村朗・鹿児島大学教授の報告であ
る。この論文に、木村愛二編著『9・11事件の真相と背景』(木村書店、2002年10
月)が、参考文献として挙げられているのである。
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http://www.ops.dti.ne.jp/?heiwa/peace/shiryo/sekaiseifu.html
第13回日本平和学会九州
「新しい戦争」と二つの世界秩序の衝突−9・11事件から世界は何を学ぶべきか−

木村 朗(鹿児島大学法文学部、平和学・国際関係論専攻)

はじめに

 「9・11テロを境に、世界は変わった」といわれるが、果たしてそうであろうか。
確かに、9・11事件以後の世界は戦争モード一色に覆われつつある。米国のブッシュ
政権は新保守主義者(ネオ・コンサーバティブ)が主導権を握り、「新しい戦争(対
テロ戦争)」を掲げ、アフガニスタン(以下、アフガンと略す)に続いて、イラクに
対しても一方的攻撃を国連や国際世論を無視する形で強行した。米国内では、事件直
後から主にアラブ・中東系の人々に対する予防拘禁や盗聴・検閲の強化がテロ対策
(愛国者法の制定等)の名の下に実施されている。日本は、その米国の「正義」に追
随し対アフガン戦争に第二次大戦後初めての参戦をしたばかりでなく、イージス艦派
遣や燃料補給等を通じて対イラク戦争への側面支援を行った。また日本政府は、拉致・
不審船問題や核・ミサイル問題を通じての北朝鮮への国民感情の悪化を利用する形で、
ミサイル防衛(MD構想)への全面的参加と朝鮮有事への対応を前提とした有事法制
化を積極的に推し進めている。

しかし、こうした米国を中心とする世界の急速な軍事化・帝国化の動き、すなわち新
保守主義者による「新しい帝国秩序」の形成とは逆の潮流が、国連を中心とする民主
的かつ平和的な「多元的世界秩序」の構築を求める「世界(あるいは地球)市民主義」
の萌芽、世界的規模での反戦・平和運動の高揚や反グローバリズム運動の登場となっ
てあらわれている(1)。米国は、最終的にイラクへの武力行使を容認する国連決議
の採択に失敗し、史上最大規模の反戦・平和運動が行われ国際的に孤立する状況下で、
正当性を欠いたままイラクへの侵略戦争を敢えて強行した。イラクへの攻撃前に国民
の過半数がそれに賛成した国家は、世界の中で米国とイスラエルのみであったという
事実は、いかに米国が国際的に孤立していたかを示している。

このように、9・11事件後の世界は、新保守主義者が主導する米国中心の「新しい
帝国秩序」と、それに反対する市民・NGOによる国連を軸とする「多元的世界秩序」
という二つの世界秩序が衝突しせめぎ合っているといえよう。

本稿の目的は、9・11事件で国際社会に課せられた重要な課題、すなわち、安全保
障・軍事同盟の見直しを含めた世界秩序の変容を根本から問うとともに、21世紀に
おける世界秩序のあるべき姿・方向性を探ることにある。

1.9・11事件の意味と背景

 (1)米国の安全神話の崩壊と「イスラエル化」−教訓としての軍事力の無意味化

 2001年に米国で起きた9・11事件は、米国の安全(全能)神話が一挙に崩壊
したということで全世界に大きな衝撃をあたえた。世界最強国家であると自他ともに
認める米国の経済(世界貿易センタ−)と軍事(ペンタゴン)の中枢が、ハイジャッ
クされた民間旅客機による自爆攻撃という最も原始的な方法で破壊されたのである。
この事件直後に米国のメディアは、米国の本土が攻撃されたのは日本による真珠湾攻
撃(1941年12月7日)以来のことであり、それは米国にとって予測不可能な出
来事であったと伝えた。多くの米国のメディアや政府関係者が9・11事件を真珠湾
攻撃と対比させるのは、真珠湾攻撃が何らの正当性ももち得ない卑怯な奇襲であり、
それと9・11事件を重ねることで、完全な被害者である米国がどのような報復を行
おうとも一切の責任を問われることはないというレトリックを自己の利益と考えたか
らである。また、米国政府には事前にハイジャック攻撃を含む数多くのテロ情報が内
外から寄せられており9・11事件が「米国にとって予測不可能な出来事」では必ず
しもなかったことも次第に明らかになっている(2)。

この9・11事件を別の視点から眺めるならば、米国本土の戦場化、すなわち米国の
「イスラエル化」の本格的開始という見方もできるであろう。周知のように、中東地
域ではイスラエルにおける極右のシャロン首相の登場により、イスラエル・パレスチ
ナ双方による暴力と憎しみの新たな悪循環が9・11事件より1年以上前から続いて
おり、その結果、双方(とりわけパレスチナ側)に多くの犠牲者が出ている。このパ
レスチナをめぐる紛争では、イスラエルの圧倒的優位な軍事力をもってしてもパレス
チナ側の絶望的な自爆攻撃を含む抵抗闘争を完全に鎮圧することは不可能であるとい
うことが誰の目にも明らかになっている。このような状況は、米国がこれまですすめ
てきた「力による平和」、あるいは「国家(軍事力)中心の安全保障」がもはや意味
をなさない、すなわち「軍事力によって市民(国民)の安全は守れない」ということ
を端的に物語っている。しかし、9・11事件後のブッシュ政権は、こうした教訓を
学ぼうとする姿勢を一切見せなかった。ブッシュ政権の最初の対応は、「米国がなぜ
狙われたのか」・「なぜ米国がこれほど憎まれなければならないのか」という設問を
発すること自体がテロリスト側を利することになるという論理で、9・11事件の原
因・背景を追求することを断固拒否するというものであった。その中で、9・11事
件や炭疽菌事件の真相究明を求める多くの人々の声も完全に封殺されることになった。

(2)9・11事件の原因・背景と「テロとの戦い」の発動

9・11事件の原因・背景という問題では、これまでにノーム・チョムスキーやエド
ワード・サイードをはじめ多くの論者が、米国主導のグローバル化による貧富の極端
な格差という矛盾や米国が過去に行ってきた世界的規模での恣意的な対外的軍事行動
に対する怨嗟の蓄積、とりわけ中東・パレスチナ問題での二重基準の適用、すなわち
イスラエルへの一方的肩入れと湾岸戦争以後も続くイラクに対する執拗な攻撃等、様々
な直接的および間接的な原因を指摘している。特に注目されるのが、9・11事件は
それ自体が問題発生の原因・起点ではなく、それまでの米国の対外的行動がもたらし
た当然の結果・報復でもあるという見方である。例えば、チャルマーズ・ジョンソン
は「二十一世紀には、過去数十年間の帝国主義の無謀な行為が原因で、無辜の人びと
が予期せぬ報復を受けることになる。ほとんどのアメリカ人は、アメリカの名におい
て何が行われたか、何が行われつつあるかを、ほとんど知らないかもしれない。だが、
アメリカが世界支配を追求しつづけているために、すべてのアメリカ人は−個人とし
ても集団としても−法外な代償を支払うことになるだろう。」(3)と指摘している。
この指摘は9・11事件前のものであるだけにより説得力がある。

だが、ブッシュ政権は、こうした声を無視して、対外的には司法・警察・金融・情報
等各分野にわたる「国際反テロ同盟」の構築に取り組む一方で、国内においてはテロ
対策の強化に乗り出した。9・11事件直後に、事件に関係したとみられるアラブ・
中東系の人びと約1200人を逮捕令状なしに拘束・長期拘留し、当初はそれらの人
びとの氏名や容疑、人数すら明らかにしなかった。また、2001年以降に渡米した
アラブ・中東出身者に対する事情聴取や留学生への監視強化が多くの反対者を抑えて
実施された。さらにブッシュ政権は、10月6日に愛国者法(Patriot Act)を成立
させた。この法律は、テロ実行の協議やテロ活動への支援を取り締まりの対象とし、
テロ関与の疑いがあると当局が判断した移民・外国人の拘留期限を現行の2日間から
7日間に延長、通信の傍受や携帯電話・Eメール記録等の強制的な開示を可能とする
等を主な内容としていた。市民の反対や議会での審議で一定の歯止めがかけられが、
特に問題なのは、「テロ」・「テロリスト」の定義があいまいで当局に大幅な裁量権
を持たせることになったことである。その結果、テロ対策という名目で、合衆国憲法
で保障された市民の基本的人権が過度に制限され、愛国心の異常な高揚とテロへの恐
怖・不安が広がる中で、移民・外国人に対する差別と迫害等新たなヘイトクライム
(憎悪犯罪)を生むことになった(4)。

2.「新しい戦争」の登場と「新しい帝国秩序」の形成をめぐって

(1)「新しい戦争」と人道的介入論-アフガン報復戦争とNATO空爆の教訓

ブッシュ大統領は、9・11事件で行われた自爆攻撃に対して「新しい戦争」・「2
1世紀型の戦争」を宣言し、その報復としてアフガンへの軍事行動を英国と一緒に直
ちに行った。しかし、この「テロとの戦争」を「新しい戦争」と規定し、また自衛権
の発動として正当化することができるのだろうか。

多くの論者が指摘するように、米国に対する「テロ行為」は凶悪な国際犯罪ではある
が、それ自体を「戦争行為」と見なすことはできない。無差別テロは「人道に対する
罪」として、犯行グル−プに国際社会による厳しい法の裁きを受けさせるのは当然で
ある。しかし、その実行は、あくまでも国際的な警察・司法機関の協力によるべきで
ある。米国はこうした手続きを一切無視して独自の判断・評価で終始一貫行動した。
すなわち、状況証拠だけの早い段階でビンラディン率いるアルカイダを犯行グル−プ
と断定し、その証拠を何ら提示せぬままアルカイダの壊滅ばかりでなく、それをかく
まうタリバン政権の打倒をも目的とした軍事行動を即座に実行に移したのである。

また、米英両国によるアフガン攻撃のやり方は、国際人道法に照らしてみても非常に
問題の多いものであった。すなわち、アフガン攻撃では、湾岸戦争やNATO空爆でも使
われたクラスター爆弾や劣化ウラン弾ばかりでなく、特殊大型爆弾デージーカッター
やサーモバリック爆弾等の新型兵器が大量に使用された。そうした中で、多くの「誤
爆」が繰り返され、9・11事件の犠牲者を上回る多くの犠牲者を出すことになった。
「テロ」という犯罪に「戦争」を宣言して報復を行う米国のやり方は、既存の国際法
秩序を乱暴に踏みにじるものであり、まさに「正義」を盾とした無法に他ならない。
米国のアフガン攻撃は報復=復仇行為であることは明瞭であり、米国も賛同・署名し
ている1970年の友好関係原則宣言(国連総会決議2625)にある「武力行使を
伴う復仇行為を慎む義務」は完全に無視された。国連憲章では、戦争の違法化を前提
に、国際紛争に対しては、個別国家による武力行使を禁止して(国連憲章2条4項)、
平和的解決を優先させることを義務づけている(同2条3項)。そして、それらの努
力を尽くしてもなお解決できない場合にのみ、例外的措置として国連による軍事的な
強制措置(同42・43条)と自衛権の発動による武力行使(同51条)を認めてい
る。しかし、今回のテロに対する米国の報復攻撃は、こうした要件を満たしていない
ばかりか、武力行使を容認する新たな安保理決議も欠いたまま実行されているだけに、
自衛権の濫用以外の何ものでもないといえよう(5)。

近年、コソボ紛争への対応として人道的介入を名目にして行われたNATO空爆のように、
米国を中心に、既成事実の積み重ねによって既存の国際法原理を否定し新たな国際社
会の規範作りを行おうとする傾向が顕著である。NATOによる対ユーゴ空爆は、国連安
保理の承認の欠如という法的な手続き上の瑕疵、目的と手段の不均衡(劣化ウラン弾
等の大量使用や民間施設への攻撃等の戦争遂行手段の非人道性)、目的と結果の乖離
(アルバニア系住民の救済・保護の失敗、ミロシェビッチ政権の政権基盤の強化)等
から、法的・形式的にはまさに主権国家に対する侵略行為であり、政治的・実質的に
も不必要かつ非人道的な行為であった(6)。

NATO空爆の正当性の否定が、一般的な意味での人道的武力介入の必要性・可能性を否
定することにはならない。また、武力行使をともなわない人道的(援助)活動や、そ
れを側面支援するために限定的な形で武器使用を認める人道的武力介入に意義がある
ことも事実であろう。しかし、これまでの人道的武力介入は「特定の国あるいは特定
の国家群」によって行われており、ほとんどがその名に値しないものであった。した
がって、人道的武力介入の将来的な意味での意義を否定するものではないが、歴史上
多くの場合に大国による介入の口実に使われてきたことを考えても未だにその条件・
環境は整っていないといえよう(7)。

 (2)「ブッシュ・ドクトリン(予防戦争・先制攻撃戦略)」とイラク戦争

ブッシュ政権の新しい世界戦略の最初の徴候は、2002年1月に米国防総省が議会
に提出した報告書「核戦略体制の見直し(NPR)」に見られる(8)。この報告書で
は、非核保有国を含む7カ国(イラク、イラン、北朝鮮、シリア、リビア、ロシア、
中国)に対する核攻撃計画の作成や地下貫通型の新しい小型核兵器の開発とそのため
の核実験再開の必要性等が強調されている。特に注目されるのは、核兵器を「使える
兵器」として考え、核兵器先制使用を「選択肢」の一つとして確保するという方針を
明確にしていることだ。これは、ブッシュ大統領が同じ1月に行った演説で、イラク、
イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」として名指しで非難し、これら「ならず者国家」・
「テロ(支援)国家」に対しては、従来の核抑止力は機能せず核兵器による先制攻撃
を行うのが最も効果的だ、と表明した事実とも合致している。

こうした米国の攻撃的な姿勢は、同じ年の9月20日に公表された「米国の国家安全
保障戦略」(9)の中でさらに明確になる。ブッシュ大統領は、「ブッシュ・ドクト
リン(予防戦争・先制攻撃戦略)」とも称されるこの新しい戦略で、冷戦期に抑止と
封じ込めを中心としてきた従来の政策を転換し、冷戦後における米国の圧倒的な軍事
力の優位を前提に、大量破壊兵器を持つ「テロリスト」や「ならず者国家」に対して
は必要ならば単独でも先制攻撃を行って政権を転覆させる「予防戦争」を打ち出した。
これは9・11事件後の米国の新しい安全保障政策の集大成ともいえるもので、国際
協調、すなわち国連や同盟国・友好国との国際的な協力よりも国益を優先的に考える、
米国の「新しい帝国主義」的な考え方を鮮明に反映したものといえる。

こうした非理性的で常軌を逸した「ブッシュ・ドクトリン」を先取りしたのがアフガ
ン戦争だとするならば、それを全面的に適用した最初の事例がイラク戦争であった。
 国連安保理で新決議を採択することに失敗した米英両国は、世界中の圧倒的多数の
反戦・平和の声を無視して3月20日ついにイラク攻撃に踏み切った。「イラクの自由」
あるいは「衝撃と畏怖」と命名された米軍の作戦によって、一方的な攻撃開始から3
週間余りでフセイン政権は事実上崩壊することになった。

ハこのイラク戦争に対しては、国連安保理での武力行使を容認する新決議の採択如何
にかかわらず、その正当性に当初から強い疑義が出されていた。湾岸戦争後のイラク
は、多国籍軍による徹底した攻撃・破壊とその後の一方的な経済封鎖や米英両国によっ
て勝手に設けられた飛行禁止空域での25万回以上にもなる空爆、さらに湾岸戦争で大
量に使われた劣化ウラン弾の後遺症等によって多くの人的あるいは物的損害を受けて
国力は大幅に弱体化していた。米英両国が主張したイラク攻撃の最大の理由である大
量破壊兵器の開発・保有とその隠匿、アルカイダ等のテロ組織とのつながりは、開戦
以前と同じく、ブッシュ政権が5月2日に「戦闘終結宣言」を行って2ヶ月以上たっ
た今も明らかになっていない。また、独裁的なフセイン政権の下での人権抑圧からの
「解放」を目的とした人道的介入も、緊急性という点だけを考えてもNATO空爆以上に
正当性を持ち得ない。米英両国が掲げた戦争目的がいかに欺瞞的なものであったかは、
NATO空爆やアフガン戦争でも使われた劣化ウラン弾やクラスター爆弾だけでなく、あ
らゆる新型爆弾をも使用して放送局・浄水場・発電所・石油関連施設等の民間施設を
躊躇なく破壊し、「誤爆」によって多数の民間人を殺傷しても気にもかけない、その汚
い戦い方が物語っていた。

フセイン政権打倒にあれほどまでに固執した米英の真の戦争目的はどこにあったのだ
ろうか。 9・11事件以後の経緯を仔細に検討すると、第一に、米国のコントロー
ルに服さないフセイン政権を打倒することで中東地域での米国の覇権を完全に確立し、
第二に、埋蔵量が世界第2位のイラクの石油利権を独占して世界の石油価格を米国政
府およびメジャーがコントロールできるようにし、第三に、中東地域での最大の同盟
国であるイスラエルの安全保障の強化をはかる、というブッシュ政権の隠された目的
が浮かび上がってくる 。また第四に、支持率の低下や経済状況の悪化という現状か
ら脱して大統領再選へつなげる、という内政上の理由もあげられる。これに、イラク
によるブッシュ・シニアへの暗殺計画に対するブッシュ・ジュニアの個人的恨みや、
新型兵器の実験や旧式兵器の一掃をもくろむ軍産複合体の意向等をつけ加えることも
可能であろう。

ブッシュ政権の背後には、巨大な軍産学共同体(軍需・石油産業や一部の情報・金融
産業等)の支援、キリスト教原理主義とユダヤ教強硬派の同盟の存在がある。その中
核を占めているのが、米国流の価値観を世界に力で強制してでも拡大させることを米
国の使命と考える新保守主義者である。また、ブッシュ政権は発足以来その正統性に
疑義が出て支持率も低迷していた(10)。そのブッシュ政権の政治基盤の弱さと苦
境を救ったのがあの9・11事件であった。

(3)「新しい帝国」の登場と「植民地戦争」・「正義の戦争」の復活

ブッシュ大統領は、「テロとの戦い」を「新しい戦争」(A War Like No Other)と
位置づけたが、それは何を意味しているのであろうか。米国にとっての「戦争」は、
冷戦終結を契機にその意味内容を大きく変えることになった。冷戦時代における戦争
は、国家間あるいは大国間における「大きな戦争(対称的紛争)」であり、それは正
規軍相互の戦闘を主としたものであった。しかし、ソ連という最大の脅威が消滅した
90年代以降、従来の国家対国家の戦いよりも、国家対非国家組織の戦いを中心とす
る「小さな戦争(非対称的紛争)」、すなわち正規(政府)軍に対するゲリラ戦やテ
ロ・グループによる攻撃を意味するものへと徐々に変化した。

これは米国の安全に対する新しい脅威を非対称的脅威、すなわちゲリラ・テロリスト
といった「見えない敵」とそれと結びつく可能性のある「ならず者国家」・「テロ
(支援)国家」へ移行させ、またそれを排除・殲滅することが最大の目的となったこ
とを意味している。冷戦終結によって唯一の超大国となった米国が、情報・通信技術
の飛躍的向上を中心とする軍事革命(RMA)によって生じた軍事力の圧倒的な格差
を利用して、従来の相互抑止・相対的優位から一方的抑止・絶対的優位へと戦略目標
を根本的に転換させる意思を鮮明にしたといえよう。

ブッシュ・ドクトリンは、新しい脅威に対する米国の新しい戦略であり、米国が「新
しい帝国」として登場したことを世界に告げるものであった。このブッシュ・ドクト
リンには、新しい帝国主義・植民地主義ともいえる性格が秘められていた。それは、
米国流の価値観、すなわち民主主義、人権、自由、資本主義・市場経済を世界に広め
ることこそが米国の「明白な使命」であり、必要な場合には軍事力を用いても米国に
とって最も望ましい世界新秩序、すなわち米国の一極支配を前提とする「新しい帝国
秩序」を確立しなければならないとする新保守主義者の考え方である(11)。この
考え方に基づくならば、現代世界は米欧日等の一部の民主国家とその他多くの独裁国
家・破綻国家から構成されており、その独裁国家の民主化(実際には親米化)、ある
いは破綻国家の委任統治(実際には植民地支配)を行うことは最大の民主国家で「自
由の帝国」である米国の「帝国的使命(責任)」であるということになる。米国が主
導する「新しい帝国秩序」の形成に真正面から抵抗・挑戦するものは力で叩きつぶす
という新しい帝国主義的な考え方は、アフガン戦争、イラク戦争という新しい戦争の
やり方にもそのまま反映されていた。これまでの国家対国家の通常の戦争では、交戦
権を保持する双方の正統政府が当事者となって戦争法規に従って戦闘を行い、何らか
の形での当事者間における合意文書の取り交わし等で戦争が終結するというのが普通
であった。しかし、非国家組織であるテロリストや民主国家ではない「ならず者国家
」・「テロ(支援)国家」を敵とする戦争の場合は、敵・相手国について、交戦権を
保持する正式の当事者として認めなくてもいいことになる。とりわけ、アフガン戦争
は、敵・相手国には一切の人権・主権を認めないという徹底した非人道的な性格が顕
著であり、まさに帝国主義時代に宗主国が独立を求める植民地に対して行った「植民
地戦争」の再現であったといえよう(12)。

ブッシュ政権が発足以来行ってきた対外政策は、ミサイル防衛(MD)を含む宇宙軍事
化計画の推進、CTBT(包括的核実験停止)条約の死文化とNPT(核不拡散)体制の形
骸化、ABM(大陸間弾道弾ミサイル)制限条約の撤廃、京都議定書の批准拒否、世界人
種差別会議への不参加、小型武器の規制強化への反対、生物・化学兵器禁止条約の批
准拒否、国連PKO(平和維持活動)からの撤退、貿易における保護主義的措置の導入、
極端な親イスラエル政策への傾斜、北朝鮮・中国敵視政策への転換等、「単独行動主
義(ユニラテラリズム)」と呼ばれるものであった。ここに共通しているのは、国際
条約や国際機構を全般的に軽視し、場合によっては敵視さえするという強硬姿勢であ
り、自国の国益を最優先する米国至上主義、あるいは自国のみが無制限の行動が許さ
れるという米国例外主義であった。これらは、正確には従来の孤立主義と介入主義が
結合した新しい孤立主義(あるいは新しい単独武力介入主義)ともいえる性格を有し
ている。

9・11事件は、こうした米国の傾向に拍車をかける大きな契機となった。ブッシュ
政権は、9・11事件以後、「テロとの戦い」を宣言して、米国の安全・覇権のため
には国際機構・国際法の権威や他国の主権も躊躇なく無視して行動し、自国や同盟国
も含む世界の人々の人権を一方的に制限することも構わないという形で「帝国化」し
た。これは、冷戦終結後に米国が喪失しつつあった国際社会への支配的影響力・コン
トロールを再び取り戻そうとする試みであった(13)。そして、ブッシュ政権の巧
みな情報操作によってテロへの恐怖やイスラムへの偏見を一方的に煽られた米国民も、
日常生活への不安から国際法秩序や憲法秩序を破壊して暴走する自国政府を支持する
ことになったのである。9・11事件直後にブッシュ大統領は、「世界は米国の側に
立つのか、テロリストの側に立つのか」という二者択一を国際社会に強要した。こう
した善と悪、文明と野蛮、正義と邪悪を対立させる単純な二分法的思考は、ブッシュ
政権が9・11事件以後に行う内外政策の本質的特徴となっていく。

米国は、9・11事件以前にも自国が中心となって行った湾岸戦争やNATO空爆等を
「正義の戦争」として正当化してきた。そして、9・11事件を理由に、「対テロ戦
争」の一環として強行したアフガン戦争・イラク戦争では、その傾向を一層強めて
「正義の戦争」を絶対化する論理を前面に打ち出していく。ブッシュ政権は、9・1
1事件を「テロリスト」による米国の自由と民主主義への挑戦とし、それを絶対悪と
位置づけ、それと戦う米国を絶対善として国際社会に一方的にアピールした。「正戦
論」で著名な政治学者マイケル・ウォルツァーや「文明の衝突論」のサミュエル・ハ
ンチントンら米国内外の多くの知識人も「われわれは何のために戦うか」という文書
を発表して米国の対アフガン戦争を全面的に擁護した(14)。

米国の真の狙いは、既存の国際法では正当性をもたない人道的介入権や先制的自衛権
を事実上の新しい国際法の基本原則として国際社会に受け入れさせることにあると考
えられる。むろん、このような権利を米国だけに認めることは、米国に世界の統治権・
決定権を委ね、「法の支配」を放棄して「力の支配」に屈することを意味しており、
国際社会がそれを容認することがあっては決してならない。しかし、この問題は、国
連の枠の外で米国が一方的に行ったアフガン戦争およびイラク戦争の大局が決した後
で、それらを既成事実として、一部の国々ばかりでなく国連までもが容認するかのよ
うな状況がすでに生じているだけに、きわめて重大であるといわねばならない。

3.二つの世界秩序の衝突と日本の選択

それでは、このような米国の暴走を止め、「新しい帝国秩序」に代わる、もう一つの
世界秩序を選択する可能性はあるのだろうか。1999年3月のNATO空爆、2001
年10月のアフガン戦争の場合、米国は国連を通さずに、前者ではNATOを後者では同
盟国イギリスを率いて一方的な武力行使を行った。こうした米国の国際法を無視した
一方的な軍事行動に対して国際社会、とりわけ国連はなす術をもたずに完全な沈黙と
消極的支持を強いられた。ところが米国は、今回のイラク戦争では、国際協調を重視
する国内世論や多くの反対派を国内に抱える同盟国の英国・日本等の要請に応える形
で、イラクの大量破壊兵器問題を国連安保理で審議する選択を行った。そして、一旦
はイラクに対して国家主権を大幅に制限する厳しい条件付の査察を求める決議(安保
理決議1441)を満場一致で採択することに成功した。しかし、イラクは予想に反
してこの決議を受け入れ、また国連査察団にもおおむね協力的であった。米英両国が
兵力を湾岸地域に集結させイラクに対する武力攻撃が急迫する中で、国連査察団は米
国の圧力に屈せずに中立・公平な活動を貫いた。結局、国連安保理で米国に同調する
国はわずかに3ヵ国(英国、スペイン、ブルガリア)で、イラクへの武力行使を容認
する新たな国連決議の採択に米国は失敗した。それにもかかわらず、米国は英国・豪
州等とともに、有力な同盟国である独仏の反対や圧倒的多数の国際世論を無視する形
でイラクに対する一方的攻撃を強行したのである。また、イラク「戦後」においても
一向に大量破壊兵器の存在が「発見」されていないばかりか、米英両国内部でイラク
の大量破壊兵器保有に関する情報操作疑惑が浮上したことは、いかにこの戦争が正当
性を欠くものであったかを改めて示しているといえよう。

注目すべき点は、今回のイラク問題をめぐる国連の対応についての評価である。国連
が米国のイラク攻撃を阻止できなかったという事実だけを指摘して、国連の機能不全
と権威失墜を強調し、否定的に評価する見方が米英の軍事行動を支持する論者の中に
みられる。しかし、これは果たして妥当であろうか。むしろ、国連の多国間主義が今
回ほど見事に機能したことはなく、イラク問題への対応を通じて、国連が世界的民主
主義の中心であり国際的正統性を付与することのできる唯一の普遍的存在であること
を実証・確認したといえるのではないだろうか。また、一部の論者によって国連の多
国間主義が機能することを妨げたのは独仏露であるとの批判が出されたが、これは本
末転倒の議論といわねばならない。なぜなら、事実は逆であって、米英両国こそが国
連の多国間主義を否定して一方的に離脱したからである。独仏露をはじめ安保理メン
バーの多くはそれを最後まで守ろうと努力したのであった。イラク戦争阻止を掲げて
世界各地で繰り広げられた反戦・平和運動で「フランスへの連帯」が表明されたとい
う事実は何が真実かを如実に物語っているといえよう(15)。

 21世紀初頭の国際社会は、新保守主義者が主導する米国を中心とする「新しい帝
国秩序」と市民・NGOによる国連を軸とする「多元的世界秩序」という二つの世界秩
序の選択を迫られている。現代世界において二つの世界秩序は国際・国内を問わずあ
らゆるテーマ・場面・場所で衝突し、日々せめぎ合っているといえよう。

この二つの世界秩序の衝突を具体的に考える上で見逃すことができないのが、国際刑
事裁判所(ICC)創設問題であろう。国際刑事裁判所は、その規程を決めるローマ会
議が148カ国の政府代表やNGO・専門家等の参加で1998年に開かれて以来、大
方の予想を上回るスピードで2002年4月11日に批准60ヵ国に達して同年7月
1日にローマ規程が発効した。第二次大戦後に制定されたジェノサイド条約(194
8年)やジュネーブ四条約(1949年)等を柱とする国際人道法が、半世紀の紆余
曲折を経て、対人地雷全面禁止条約(1999年3月発効)と並ぶ最も大きな成果を
生み出したものといえよう。国際刑事裁判所の設立にいたるまでの経緯で注目される
のは、国連総会が構想の作成・具体化でイニシアティブを発揮し、小国・NGO等が重
要な役割を果たしたという点であろう。英独仏伊等多くの大国を含む139カ国がロー
マ規程に署名したが、米国と日本は中国・インド等とともに署名手続きをまだ行って
いない。その中でも米国は、ブッシュ大統領が批准しないことを明言し、国際刑事裁
判所への一切の協力を拒んでローマ規程に明確に反対する唯一の国になっている(1
6)。

米国はなぜこのような強硬な姿勢を国際刑事裁判所に対してとっているのであろうか。
その理由は、ある意味で明確である。米国は、自国を中心とする「新しい帝国秩序」
を形成しようとしており、将来の世界政府へ発展する可能性を秘めた唯一の国際機構
である国連から生まれ、世界市民主義と同じ流れ・性格をもつ国際刑事裁判所との共
存を不可能と考えているからである。米国にとっては、世界の統治権を持つ新しい帝
国の市民である米兵が万が一にも国際刑事裁判所で罪を問われることがあっては決し
てならないのである。このように考えるからこそ米国は、国連に対して自国の滞納金
支払い拒否や国連部隊からの米軍部隊の撤収等の圧力をかける一方で、同盟国・友好
国に対しても軍事的威嚇や権益供与等あらゆる手段を使って同調させ、国際刑事裁判
所設置条約への批准を本気で阻もうとしたのである(17)。さらに、アフガンやイ
ラクの「戦後」において、米英等の戦争犯罪を追求するNGO・市民たちの活動が世
界中で活発化するなかで、それを米国が露骨に嫌って干渉する動きが出ていることも
指摘しなければならない。

ブッシュ政権は、9・11事件直後にフセイン大統領等外国の要人暗殺を再び解禁し、
ビンラディンらテロ容疑者が逮捕された場合には自国の特別軍事法廷で一方的に裁く
ことを打ち出した。このことは、米国が世界の検事と裁判官ばかりでなく死刑執行官
をも兼ねるようになったことを意味している。キューバのグアンタナモ基地にアフガ
ニスタンから連行された「捕虜」に対する人権無視の対応をみればその重大性が理解
できるであろう(18)。ここにはまさに、二つの世界秩序が衝突する本質的な問題
があらわれているといえよう。

 9・11事件後の国際社会の動きを冷静に観察するならば、米国はすでに帝国化し
て「世界最大のならず者国家」(ノーム・チョムスキー)になっているという現実が
見えてくる。また、その最大の同盟国は、中東におけるイスラエル、ヨーロッパにお
ける英国、そしてアジアの日本であるという構図が自然に浮かび上がってくる。これ
は現在、先進大国中心で貧富・経済格差の拡大等歪んだ形で急速に進んでいる経済の
グローバル化という問題において、米国が牛耳る三つの国際機構、すなわちIMF(国
際通貨基金)、IBRD(世界銀行)、WTO(世界貿易機構)が人類的解決をはかるため
の最大の障害となっているという点とも重なる。そのことを、アルンダティ・ロイは
「今日の世界は、世界でもっとも秘密主義の三団体によって動かされているム国際通
貨基金、世界銀行、世界貿易機構。そしてこの三つのどれをも支配しているのが、実
はアメリカ合州国なのだ。」と明確に指摘している(19)。

イラク戦争に「勝利」したブッシュ政権は、最大限の国益を確保するために、これま
での同盟関係や国際機構との関係を全面的に見直し、必要であればテーマ別の「アラ
カルト有志連合」や「第二の国連」を作って問題に対処するという、「新しい帝国秩
序」にあくまでも執着する姿勢を変えていない。しかし、その一方で、イラク戦争で
生じた米欧間の亀裂の修復はいまもほとんど進んでおらず、経済的にもドルの価値が
下落しユーロが国際決済通貨となる兆しも見られる。米国は国際社会からの信頼と国
際的な正当性を急速に失いつつある。米国の最大の敵は、他ならぬ米国自身であるこ
とがますます明らかになっている。国連、国際世論、同盟国・友好国との関係、そし
て国内世論の動向等を深く観察すれば、実際にはアメリカ帝国の崩壊はすでに始まっ
ているともいえよう(20)。

このような状況の中で注目されるのが、日本の動向である。これまで通りの米国追随
一辺倒を変えずに「新しい帝国秩序」の中で「第二のイギリス(あるいは小さな米国)
」を目指していくのか、あるいは明確な理念・構想に基づいた主体的な外交政策を展
開して民主的かつ平和的な「多元的世界秩序」に貢献するのか、が今日ほど重要な意
味をもっていることはない。しかし、日本政府は、これまでアフガンに続いてイラク
に対して行われた明らかな国際法違反の「侵略戦争」を終始一貫して支持し、米国主
導の不当な「占領行政」にも自衛隊を派遣して積極的に加担しようとしている。また、
ブッシュ政権内の新保守主義者がイラクの次の標的を北朝鮮に定めようとする動きが
出ている中で、日本はそれに呼応するかのように北朝鮮敵視政策へと急速に転回し、
朝鮮有事を前提とした有事法制を本格的に整備して朝鮮半島を舞台とした近未来の戦
争への道に次第に踏み込もうとしている。

日本国内では、2001年12月の武装不審船事件(21)や、昨年9月17日の日
朝首脳会談で拉致問題が全面的に浮上したのを契機に、一挙に排外主義的風潮が強ま
り、在日コリアンへの嫌がらせの急増等で顕在化するにいたった。この北朝鮮脅威論
の高まりを背景に、対北朝鮮強硬派が台頭し、対基地(先制)攻撃論や核武装論等の
軍事的な強硬意見が、有事法制必要論と結びつく形で相次いで出ている。今年の5月
に行われた日米首脳会談でも北朝鮮問題が主要議題にのぼり、日米両国政府は朝鮮半
島問題の平和的解決を表面上は唱えながらも、その一方で、経済制裁・海上封鎖の発
動や最後の手段としての軍事力行使も排除しない姿勢も見せている。しかし、こうし
た日米両国による強硬路線は、朝鮮半島問題を真の解決に導くどころか、イラクに続
いて朝鮮半島に戦火を招来することになりかねない危険な賭けであると言わざるを得
ない。

いま日本に求められているのは、米国の危険な核・軍事戦略に積極的に荷担して「新
しい帝国秩序」の主要構成員になることではない。戦争国家・警察国家への道を選択
するのではなく、平和憲法と非核三原則の原点にもどって日本の非核・不戦の意思を
明確にし、核廃絶と軍備完全撤廃を目指して、世界的な民主主義・平和主義を強化す
る立場にもどることである。朝鮮半島問題では、あくまでも平和的解決を目指して、
軍事的強硬路線を採るブッシュ政権を韓国とともにねばり強く説得して、朝鮮半島全
体の非核化を含む北東アジア非核地帯化構想の実現に向けて努力を傾注すべきである。
有事法制を放棄する必要があることはいうまでもない。

今日の国際社会で最も緊急の課題は、「新しい帝国秩序」の構築を目指して暴走を続
ける米国に歯止めをかけて理性と法の支配に基づく世界的な民主主義・平和主義の方
向に導くことである。NGO・市民を中心とした世界的な草の根ネットワーク(自治
体や中小国、一部の国際機関等も参加可能)に基づいて、イラク開戦前に世界的規模
で繰り広げられ米英等の戦争犯罪を告発する運動へと継承されている反戦・平和運動
や、経済のグローバル化を推進するダボス会議に対抗して開催されるようになった世
界社会フォーラムに結集する反グローバリズム運動の中に、世界市民主義の萌芽、将
来的な民主的かつ平和的な世界政府の構築につなげていく可能性をみることができる
。

21世紀初頭に生じた9・11事件で明らかになったのは、世界最強の軍事力でも国
民の安全を守ることはできないという事実であり、これまでの安全保障概念は根本的
見直しを求められることになった。しかし、その後のブッシュ政権の対応は、あくま
でも従来型の国家(あるいは軍事力)中心の安全保障や集団的自衛権に基づく軍事同
盟を強化・拡大することによって危機を乗り切ろうとする、まったく見当違いのもの
であった。いま本当に必要なのは、こうした旧来型の国家の論理に基づく力による平
和ではなく、人間の安全保障の実現と国連を中心とする集団的安全保障の再編・強化
をはかるという選択である。それは、紛争の根本原因である飢餓・貧困・差別などの
構造的暴力の克服をめざし、市民・NGO・自治体などが積極的平和を創造する主体と
なり、その世界的・地域的ネットワークの構築と国境を越えた市民社会の形成を追究
する世界市民主義を意味している。

より具体的には、ある特定の国家の中の周辺にある(あるいは複数の国家にまたがる)
一つの地域から、平和を創造する主体としての市民の側が、安全保障問題を地球的規
模で考え、国家の側とは異なるもう一つの平和戦略を考え行動することが鍵になって
くる。この点で、これまでの労組・政党や特定の平和活動家が中心となった従来型の
平和運動(「守る平和」)ではなく、9・11事件以後に、普通の市民、特に女性や
若者が気楽に参加して音楽や絵画など多様な手段で自己表現をし、在日外国人との連
帯やインターネットを通じた国際的ネットワークをも創り出そうとする新しい反戦・
平和運動(「創る平和」)が登場しているのが注目される。「自分たちの安全は自分
たちの手によって守る」という「市民(あるいは民衆)による安全保障」、自治体・
地域住民を主体とする「地域から問う安全保障」という新しい考え方だ。

9・11事件以後、日米軍事同盟をさらに強化・拡大する動きがある一方で、国家の
側から有事法制の整備が執拗に提起されている。戦争国家・警察国家への道が加速化
される状況下で、全国各地でそれに反対する地域の平和運動の側も大きな正念場を迎
えているといえよう。国家中心の「軍事的安全保障」か、あるいは脱軍事・脱国家の
「民衆による安全保障」を選択するのか、という問題は、世界レベルでの米国中心の
「新しい帝国秩序」に組み込まれるのか、それを拒否して民主的かつ平和的な「多元
的世界秩序」を目指すのか、という国際社会にとって決定的な問題と直接重なり合っ
ていることは間違いない。そして、この21世紀の重い課題に、日本が、あるいはわ
たしたち市民一人ひとりがいかに応えていくのかが、いまこそ問われているのではな
いだろうか。

 以上。
木村愛二:国際電網空間総合雑誌『憎まれ愚痴』編集長


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