2107.フランスに神社建立計画中



フランスに神社建立計画中

        水屋神社 宮司 久保憲一

 かねてより私は日本の心を世界に発信する村の鎮守様を夢見、目
指して来ました。それもあながち夢でなさそうです。 
 昨年師走に親しい知人の紹介でフランスのお坊さん夫妻が神社に
来られました。パリから二百キロほど南下した、ワインで有名なブ
ルゴーニュ地方に自分の寺を持っておられる融快、融仙という真言
密教のお坊さん夫妻で、奥さんは日本人ですが、ご主人はフランス
人の医師でもあります。毎年一・二ヶ月、生駒山の寶山寺に修行に
来られているとのことで、修行の合間を縫っての参拝でした。寺社
めぐりが好きで、これまでも多くの神社を巡っておられるのです。 

 ところが、このご夫妻は水屋神社の杜がとくに気に入られた様で
した。大楠の前からなかなか離れようとされません。神道のことも
いろいろ私に尋ねられました。そうしてまた修行継続のため、生駒
山に戻られたのです。
 しかしまた、今年の正月明けにも神社に訪ねて来られ、フランス
の自分のお寺の境内(二町にもなる広大な元牧場)に自分の手で神
社を建てるから、なんとか分祀できないものだろうかと尋ねられる
のです。私は早速、普段ご交誼願っている鈴鹿の宮大工石井久二さ
んに来ていただいて、ご意見を聞き、あれこれ神社づくりについて
相談しました。 結局のところ、神社づくりは素人の到底手に負え
る物ではない。我々もお手伝いしようということになったのです。
 そこで、まず年内に「お祠」造りからはじめようと思います。
まずお祠と祭式道具だけは今年中にフランスに送り、地鎮祭をする
予定です。建立経過は水屋神社ホームページや社報で皆様にお知ら
せ致します。
 建立資金については進行状況を全国の皆様に説明し、多くの方々
の理解と寄付金を募りつつ、順次境内を着実に整えてゆきたいと考
えています。ヨーロッパのど真ん中に初めて日本の神社が日仏国民
の協力の下で生まれる。なんとすばらしい出来事ではありませんか
。どうか温かい目で見守り、ご支援ください。 
 平成十七年二月



フランス水屋神社 建立趣意書
 「神道」は日本民族の間に自然に生まれ育った伝統的な神祇信仰
である。もともとこうした固有名称は存在しなかったが、欽明天皇
の御時に伝来した仏法と比べて区別されたようである。『日本書紀
』の第三十一代用明天皇の条に、「天皇信仏法尊神道」(天皇は仏
法を信じ、神道を尊びたもう)とあり、これがわが国の文献に現れ
た「神道」の初出であると思われる。
 そもそも日本は古代から「豊葦原瑞穂の国」と称されてきた。気
候温和、四季の変化に富み、豊かな自然の中に生活した我々の祖先
は、やさしい恵みと、時に厳しい試練を与える大自然に、人間を超
越した霊力を感じ、森羅万象を司り、国土を創造し、国や人を加護
する神の存在を知り、これらの神々に我々の祖先たちは感謝と畏敬
の念を捧げてきた。
 要するに神道の根本精神たる「敬神崇祖」こそが人種・民族・宗
門宗派を越えた、まさに「人類普遍の平和原則」であると確信する。
 昔からとくに「縁結び、子授け、安産、水の商売」に霊験あらた
か、近頃では「地球平和」と「水への感謝」祈願が多い日本の水屋
神社が、フランス・ブルゴーニュ地方はもとより、ヨーロッパ大陸
、ひいては地球の平和を願って日仏両国民の協力の下に、フランス
真言密教寺院・光明院境内に分社を建立する所以である。
 平成十七年二月十一日

フランス水屋神社建立実行委員会
http://www.ma.mctv.ne.jp/~mizuya-s/france/index.html

久保憲一 mizuya@jinja.or.jp
      mizuya-s@ma.mctv.ne.jp

水屋神社
http://www.ma.mctv.ne.jp/~mizuya-s/

久保憲一
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ベネズエラ大統領、原油高騰で支持拡大   
   
 ジャクソン牧師と接近 
 原油先物価格がついに一バレル=七〇ドルを突破し、八〇ドル台も目の前だといわれて
 いる。ただし、米キリスト教右派のテレビ伝道師、パット・ロバートソン師による暗殺
 発言で注目を浴びたベネズエラのチャベス大統領は、高騰する原油価格を武器に国内外
 で支持層を広げようとしているようだ。
(サンパウロ・綾村 悟・世界日報掲載許可) 
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 ここ数年、先物市場で史上最高値を更新し続けている原油価格。多くの国は高騰し続け
 る原油価格への対応に追われているが、主要産油国ベネズエラ(原油産出量世界第五位)
 の左派系チャベス大統領は、高騰する原油価格の恩恵を大きく受けている人物の一人だ。
 チャベス大統領の国内支持率は70%以上とも言われるが、支持層の多くは貧困層に集
 中している。貧困層の支持を多く集める理由の一つには、医療や教育など社会保障制度
 の充実があり、高騰する原油輸出による財政収入増加がこうした社会保障費の投入を助
 けている。

 例えば、医療分野では現在、二万人とも言われるキューバ人医師がベネズエラの貧困地
 域で治療行為にあたっており、その見返りは一日当たり九万バレ ルとも言われるキュ
 ーバ向け原油だ。

 そのチャベス大統領が、今度は高騰する原油を利用して米国の貧困層から支持を集めよ
 うとしている。

 同大統領をめぐっては、今月二十二日、米キリスト教右派のテレビ伝道師パット・ロバ
 ートソン師によるチャベス大統領暗殺発言が物議を醸した。

 反米姿勢を強く打ち出す同大統領は、二〇〇二年の反政府クーデターの背景に米政府の
 関与があったと主張、最近も「米政府機関による暗殺計画があった」などと米政府を批
 判してきた。それだけにブッシュ大統領再選を強く後押ししたことで知られるロバート
 ソン師の発言は、ベネズエラ側の強い反発を招いたといえる。

 ただし、米国は輸入原油の約15%をベネズエラに頼っており、米政府は、チャベス大
 統領への懸念を表明しながらも、必要以上の緊張関係を避けてきた。

 ロバートソン師の発言を受けて、黒人公民権運動家として知られるジェシー・ジャクソ
 ン牧師が動いた。二十八日にベネズエラでチャベス大統領と会見すると、ロバートソン
 牧師の発言を謝罪、米政府が積極的にチャベス大統領との関係改善を図るべきだとした。

 その後、チャベス大統領はジャクソン牧師に対して、以前から表明していた米国の貧困
 層に安価な暖房用石油を直接届ける案に関して、今週中にも協議の場を持ちたいと提案
 した。

 国営ベネズエラ石油は、米国の子会社を通じて一万件以上のガソリンスタンドを経営し
 ており、同大統領の提案には原油の価格高騰がとどまらないだけに注目が集まっている。

 市場価格より大幅に安く米貧困層に石油を提供しようというチャベス大統領の提案は、
 同大統領とジャクソン師双方にとって支持を広げるチャンスだ。

    Kenzo Yamaoka
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イスラムをまとうイラン   
   
 今昔紀行ペルシャの夏/革革命も空洞化する世俗の波
評論家 ★(「高」の「口」が「目」)橋 正 
「悪の枢軸」なれど治安は良好

 夏休み中の中学一年の孫息子を連れて、暑い最中のイランを八日ほど駆け足で回って来
 た。動機は、孫と同じ年頃の終戦直後、焼け残った学校の図書館で「世界美術全集」の
 頁をめくっていたら、イスファハンのモスク群の説明に「世界で一番美しい」とあった
 のが強く印象に残り、いつかはこの眼で見てやろうと心に誓った「少年の日の夢」を、
 生きているうちに果たすためである。

 出掛ける前、まわりの人達から「今時、何でまたイランなんかに?」と訝られたが、日
 本人にまで抱かれている「物騒なイラン」というイメージはアメリカ政府の政策とそれ
 を反映するアメリカ(とイスラエル)のマスコミのなせる業で、実際のイランはイスラ
 ム世界では(スリ・かっぱらいの類を除いて)、最も安全な国だと確信している。だか
 ら孫まで連れて行ったのだ。

 イランが世俗的な近代国家建設を急ぐレザ・シャー二世のパーレヴィ王朝を一九七九年
 の「イスラム革命」で打倒し、シーア派の教義に基づくイスラム国家を復活させたのは
 紛れもない事実である。いまも到る所でホメイニ、ハメネイ二代のアヤトラの肖像がこ
 ちらをにらんでいる。故ホメイニ師はアメリカを「大悪魔」呼ばわりし、血気の「革命
 青年」らは長期間、米大使館を占拠して館員を人質にした。

 これに対しアメリカはイランを「悪の枢軸」の一員と決めつけ、核兵器開発疑惑でイス
 ラエルや西欧と一緒になってイランを締め上げているのは、けだし「目には目を」と言
 うことか。

 とまれ、イスラム革命で軍事大国路線を放棄した革命政府は忽ち隣国イラクのフセイン
 の野望の犠牲となり、一九八〇年から八年間、凄惨なイラン・イラク戦争を余儀なくさ
 れ、イラクに三倍する百二十万の犠牲者を出した。イランでは戦争の原因をフセインの
 野望よりも米国とイスラエルの「陰謀」のせいにしているが、ホメイニ政権の平和・粛
 軍政策がイラクの侵略を招いた事実は否定すべくもない。イランは現在、パーレヴィ政
 権の「廷臣」に代わる聖職者グループと新たな軍部、官僚、政商の支配下にあり、イン
 フレが昂進して勤労者は二つ、三つ兼職しないと生活できない状態が続いている。一ド
 ルは九千リアルに近く、米ドルは我が物顔に流通し、全国津々浦々、自動車道路やビル
 の建設は引きも切らず、「近代化・世俗化」は押し止めようがない。革命で戻ったのは
 女性の髪を被うベールくらいのもの。しかし、そのベールの下で、女性は益々強くなっ
 ている。

アラブと一線引くアーリア魂

 イランはイスラム世界でも独特の国である。イランとは「アーリア人の国」の意で、イ
 ラン人自身しきりにそのことを強調するが、一九二五年、英国の「保護国」と化したガ
 ジャール王朝を倒してパーレヴィ王朝を興した軍人上がりのレザ・シャー一世は英国と
 ソ連(ロシア以来)の圧力に対抗するためドイツに接近、折からナチス・ドイツの「ア
 ーリア民族」鼓吹に呼応して三五年ペルシャからイランに改名したが、もともと、アー
 リア人とはインドやペルシャの民の呼称であった。ナチスの敗北で「アーリア人」とい
 う呼称が殆ど禁句となったにもかかわらず、イラン人が「イラン」を名乗り続けるのは
 欧米の「高慢と偏見」に対して自分たちこそ本物のアーリア人だとする誇りと、イスラ
 ム世界にあって我等はアラブ人ではなくペルシャ人であるとする秘かなる自負のなせる
 業である。

 実際、古代ギリシャと戦ったアケメネス朝の大建築(ペルセポリス他)、前漢後漢と交
 易したアルケサス朝(安息)の彫刻、ローマ皇帝を捕虜にしたこともあるササーン朝の
 ガラス(正倉院まで伝わる)と絨毯――と続く古代ペルシャの偉大な文化(「東洋的専
 制」の産物と片付けられるか)、イスラム支配の下でも連綿と続く古代メソポタミア以
 来のヤズドのゾロアスター教信仰の火、イスファハンの精緻なタイル張りのモスク群や
 細密画、シラーズの薔薇園に眠る大詩人ハーフェズらの文学などに代表されるサファヴ
 ィ朝、ガジャール朝二代の近世ペルシャ文化の足跡をたどると、ペルシャ人は真に一大
 文明の創設者であったと言わざるを得ない。イスラム世界は決して単一ではなく、信仰
 と文字はアラビアでも文化はペルシャの二重構造であり、ペルシャ(イラン)に至って
 は信仰ですら実態はイスラム教とゾロアスター教の「神仏習合」に近い。我々がイラン
 人に感じる親近感の源はどうやらその辺にありそうだ。

イスファハンの美しさに心酔

 イスファハンは「世界の半分」と賞されたが、近代世界にその美を紹介したのは米人考
 古学者アブラハム・トップで、トップ夫妻の眠る小さな廟は美しい橋の架かるザヤンデ
 川の辺りにある。アルハンブラ宮殿の美を世界に広めたのも米人外交官作家ワシントン
 ・アーヴィングだが、アメリカ人というのは破壊してみたり保護しろと言ってみたり真
 に可笑しな連中だ。トップはそのイスファハンでも一番美しいのはマスデジェ・ジャー
 メ(金曜モスク)、その中でも最も美しいのはセルジューク朝時代に建てられた未だタ
 イル張りでないモスクだと言ったのだが、美術全集の解説不足か少年の私の読み違いか
 長い間、私は眼もあやなブルーのタイル張りのドームを持つ巨大なマスジェデ・イマー
 ム(イマームのモスク、革命前は王のモスク)をてっきりそれだと思い込んでいた。

 しかし、六十年後、私がこの眼で見て一番美しいと思ったのは、金曜モスクでもイマー
 ム・モスクでもなく、同じイマーム広場に面した旧王家専用モスク、マスジェデ・シェ
 イフ・ロトゥフォッラーのタイル張りの大小の天井とメフラブ(メッカの方向を示す壁
 の窪み)であった。外国は台湾・中国しか行ったことがなく、イランのイの字も知らな
 かった孫息子が、イスファハンなら当分居てもいいと言った。世界日報掲載許可
       Kenzo Yamaoka
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【パリの屋根の下で】山口昌子 「移民都市」のパリ   
   
  「なぜ黒人の住居ばかり火事になるのか」
 パリ下町十三区で八月二十六日に発生したアパート火災で子供十四人を含む十七人が死
 亡、三十人が負傷。同三十日にもパリ三区の不法移民のアパートで火災が起き七人が死
 亡、十四人が負傷した。今春、パリ九区のオペラ座近くのホテルが炎上し十人の子供を
 含む二十四人が死亡したが、三回とも犠牲者はマリ、セネガル、コートジボワールから
 のアフリカ系移民だった。いずれも「人口過密、不衛生」などの劣悪な仮住居という共
 通点がある。

 十三区のアパートの場合、火災当時は十二所帯が入居しており、子供は百人いた。子供
 が多いのはアフリカ諸国の中には避妊などの習慣がないうえに、一夫多妻制を認めてい
 る国があるからだ。

 アパートは二十世紀初頭に建てられたもので、当初は郵便局員の官舎だった。区は一九
 八〇年代末に地区の副都心化を目指してアパートの住人を立ち退かせたが、九一年に付
 近のホームレスのアフリカ系移民の仮宿舎とした。

 国は三年後に正式な住居を探す約束をし、アパートの管理を人道団体にまかせてきた。
 しかし、その約束はほごになったままで壁ははげ落ち、ねずみが走り回るような状態だ
 ったという。建物の入り口は開け放しで、誰でも自由に出入りが可能だったので放火の
 可能性も指摘されていた。

 ただ、「人口過密」というと、ワンルームに五、六人同居していると想像しがちだが、
 アパートはかなり広い。百二十五平方メートルの部屋は、家賃五百ユーロ(約六万八千
 円)に管理費が二百五十ユーロ(約三万四千円)。六十五平方メートルの部屋なら三百
 ユーロ(約四万一千円)で管理費が百五十ユーロ(約二万五百円)だ。フランスでは最
 低賃金制度や子供への扶助金制度があるので、この家賃は決して高いとはいえない。

 フランスには国が低所得者やホームレス状態の住民に斡旋(あっせん)する住居が約四
 百万軒あるが、約百三十万人が入居待ち状態。ボルロー雇用・社会団結・住宅相は十三
 区の火災をきっかけに五年で五十万軒の低所得者用賃貸住宅の建設を約束した。

 オペラ座近くのホテルの被災者の場合は、国負担の仮住居に、負傷で入院中の二人を除
 く五十五人が引っ越した。十三区の被災者の方は近くの体育館で暮らしているが、国が
 目下、適当な居住先を探している。

 パリだけで約五万人が劣悪な環境で暮らしているといわれ、野党・社会党は政府を攻撃
 中だが、「自由、平等、博愛」をスローガンとするフランスとしては必死で対策を講じ
 ているようにみえる。

 十三区の火災発生直後にアフリカ系やアラブ系の不法移民が正規の移民への移行を要求
 してパリ市をデモした。アラブ系移民だけでフランスには約五百万人いる。パリの十八、
 十九、二十区などの下町に行くと、とてもパリとは思えない光景が展開する。町並みが
 一挙に貧しくなり、アフリカ系やアラブ系の移民が路傍で煮炊きをしたり食事をしてい
 る姿などが散見される。

 移民問題はかつてのフランスの植民地政策と無関係ではないだけに根は深い。「なぜ黒
 人ばかりが火事の被災者になるのか」の問いは、テロに走るアラブ系移民の問題も含め
 てフランスを今後も悩ませそうだ。産経新聞
       Kenzo Yamaoka
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地下資源による富国民に還元されず   
   
 スーダン南部のNGOリーダー
ローゼリソク・パウリノ女史に聞く 
 スーダン南北間の和平協定の南部代表であったジョン・ガラン第一副大統領が七月三十
 日、ヘリコプター墜落事故で死去した後、スーダン各地で暴動が発生、和平協定の履行
 に不安を投げ掛けている。ウィーンで開催された「スーダン問題シンポジウム」に招か
 れた同国南部出身で非政府組織(NGO)「市民社会」のリーダー、ローゼリソク・パ
 ウリノ女史にガラン氏の死後のスーダンの政情、和平協定履行への見通しなどについて
 質問した。
(聞き手=ウィーン・小川 敏・世界日報掲載許可) 

ガラン氏の死で和平に暗雲
将来の国の体制は国民が選択 
  ローゼリソク・パウリノ女史 スーダン南部出身の熱心なキリスト教徒。生前のガラ
  ン氏をよく知る一人。ハルツームの「人道プラス計画」の計画マネージメント部に勤
  務するかたわら、NGO「市民社会」のリーダーを務める。  
 ――スーダン南部の反体制勢力「スーダン人民解放軍」(SPLA)出身のガラン第一
 副大統領がヘリコプター墜落事故で死去。それを受け、スーダン各地で暴動が発生、百
 数十人が死去したと聞く。
 実際は三百人以上が死亡、多数が負傷した。スーダン南部の多くの国民はガラン氏の死
 に衝撃を受け、突然襲ってきた英雄の悲劇をしばらく理解できないでいた。ガラン氏は
 すべての人生を南部国民のためにささげてきた。彼は南北間の包括的和平協定に調印し
 た一人だ。彼の死はスーダンだけではなく、地域の安全にも大きな影響を与える出来事
 だ。国民は今も、そのショックから立ち直っていないが、ガラン氏が残してくれた和平
 協定を継続履行していく覚悟でいる。同和平協定にはガラン氏のすべてが注ぎ込まれて
 いるからだ。
 ――ところで、ガラン氏が搭乗していたヘリコプターはスーダン政府軍の所属ではなく、
 ウガンダ大統領専属ヘリコプターと聞く。

 ガラン氏は友人であるウガンダのムセベニ大統領に招待されて同国を訪問し、そこでウ
 ガンダとスーダン両国関係強化などを話し合った後、ウガンダ大統領所有のヘリコプタ
 ーで帰国する途中だった。私は事故の詳細を語る立場ではない。事故調査委員会が調査
 中だ。しかし、事故を起こしたヘリコプターがスーダン政府のものでなかったことは事
 実だ。

 ――ガラン氏の後継者、サリバ・キール新第一副大統領について聞きたい。キール氏は
 ガラン氏を補佐してきた職業軍人で、政治手腕については未知数だ。

 キール氏は常にガラン氏を補佐してきた。北部政府との和平交渉も熟知している。ガラ
 ン氏はキール氏に信頼を寄せていた。だから、ガラン氏は生前、キール氏を副司令官に
 任命したのだ。キール氏はSPLAの完全な支持を取り付けている。問題は、内戦でゲ
 リラ戦に専心してきたため、国の指導者と会談するといった国際政治の経験が十分でな
 いことだ。

 ――職業軍人として北部と戦ってきたキール氏と北部指導者の関係はどうか。

 キール氏は数日前、ハルツームを訪問したばかりだ。北部指導者との交渉ではその才能
 を示した。問題は相互信頼醸成だ。特に、ガラン氏の死で南北国民は不安を感じている
 時だ。信頼関係を築くことは容易ではない。

 ――南北間の和平協定によれば、南部は六年後にスーダン連邦にとどまるか、分離する
 かを問う国民投票を実施するが、スーダンの統合を重視してきたガラン氏とは異なり、
 キール氏は分離主義者と聞く。

 基本的には一国家、二体制だが、六年後、南部の国民は将来の国の体制を選択する。和
 平協定は統合国家を支持しているが、統合国家を維持するか南北で分離するかは最終的
 には南部国民が決定する。キール氏が一人で決定するわけではない。同氏はメディアで
 は分離主義者だとされている面があるが、彼自身は、スーダン国営テレビとの会見の中
 で「将来の国の在り方は国民が選ぶ」と言明している。

 ――スーダンは今日、原油産業が活発化、輸出も拡大している。国家経済の発展を受け、
 一般国民の生活も改善されてきたか。

 残念ながら、通常の労働者国民の生活には大きな変化はない。和平協定調印後、物価が
 高騰、国民の生活をさらに困窮に追い込んでいる。原油の輸出は拡大しているが、その
 富が一般国民に還元されていない。欧米メディアが報じたかどうか知らないが、原油生
 産地で暮らしていた国民が強制的に大移動させられている。また、原油産業の拡大は環
 境の悪化ももたらしている。スーダンは原油以外にも、多くの地下資源に恵まれている
 が、インフラの未整備などもあって国民はその恩恵をまだ享受していない。
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イランでクルド人への弾圧拡大   
   
 「イラン・クルド民主党」欧州代表
ミロ・アリヤル氏に聞く 
 アハマディネジャド大統領の就任後、千人以上のクルド人が拘束されるなど、イランで
 少数民族クルド人に対する弾圧が広がっている。本紙は反体制派政治組織「イラン・ク
 ルド民主党」の欧州代表、ミロ・アリヤル氏と会見、クルド人を取り巻く諸事情を聞い
 た。
(聞き手=ウィーン・小川 敏・世界日報掲載許可) 

軍は化学兵器を使用、「われわれにも政治参加を」 

 イラン・クルド民主党 1945年結党。元ソルボンヌ大学教授のカセルムー党書記長
 は1989年7月、ウィーンでイラン情報機関員によって暗殺され、92年9月には後
 継者のシャラフカンディ書記長も同様にベルリンで暗殺されている。現書記長はムスタ
 ファ・ハサンザデ書記長。イランの主要な反体制派グループ。  
 ――クルド人はイラン最大の少数民族と聞く。
 人口調査がないため、正確な数字は不明だが、一千万人以上であることは間違いない。
 イランでは、自宅でクルド語を話してもいいが、クルド語の授業は禁止され、クルド系
 学校も大学もない。隣国イラクにあるようなクルド系自治州もイランにはなく、クルド
 系による政治活動も禁止されている。例えば、わが政党(政治組織)「クルド民主党」
 は、ホメイニ師のイラン革命後は地下活動を余儀なくされている。過去にクルド系政党
 は、議会の十七議席を獲得、クルド語の許可を得るために努力したこともあったが、拒
 否された。その後は同議員たちの立候補が許されなくなった。

 ――イラン当局がここにきてクルド系住民への弾圧を強化した理由は何か。

 三つのクルド系政党が今回の大統領選のボイコットを呼び掛けたことへの報復が考えら
 れる。われわれが有権者に選挙ボイコットを呼び掛けた理由は、どの候補者もクルド人
 問題を無視、クルド人の権利を認めていなかったからだ。

 今回大統領選に当選したアハマディネジャド氏は、クルド人地域ではわずかな票しか獲
 得できなかった。クルド人にとって、彼はイラン・クルド民主党書記長であったアブド
 ラ・ラーマン・カセルムー氏暗殺事件(一九八九年七月)と密接にかかわってくるから
 だ。新しい証言によれば、ウィーンで起きた暗殺現場にアハマディネジャド氏がいたこ
 とが分かっている。彼の当時の使命はカセルムー氏を殺害した者の逃亡を支援すること
 だった。私にとって、新大統領はわが党書記長暗殺者だ。

 ――テヘランがクルド人問題の国際化を懸念していると聞く。

 その通りだ。特に、隣国イラクのクルド人の動向に神経をとがらしている。イラクのク
 ルド人の影響がイラン国内のクルド人に及ぶことを危惧(きぐ)しているからだ。イラ
 ンは多民族国家だ。ペルシャ人のほか、アゼルバイジャン系、アラブ系、クルド人など
 が居住している。少数民族の中でもクルド人は長い伝統を誇る民族だ。

 アハマディネジャド大統領はクルド人を弾圧することで他の少数派民族を威喝できると
 考えている。イランと核問題を協議している英仏独など欧州側が、経済的利益を優先し、
 イランの人権問題や非民主主義政治を無視しているのをいいことに、イラン当局は少数
 民族の弾圧に乗り出しているのだ。

 ――イラン当局はフセイン・イラク前政権と同様、クルド人に対し化学兵器を使用、大
 量虐殺した、という情報を聞く。

 その情報は間違いない。イラン・イラク戦争時、フセイン政権がハラブジャで使用した
 ような大規模ではないが、イラン軍も国内のクルド人に化学兵器を使用した。病院で治
 療に当たった外国医者がその事実を認めたが、国際社会は何の反応も示さなかった。

 ――ところで、あなたの政党はイラクのクルド系政党と連携はあるのか。

 姉妹政党であるイラクの「クルド民主党(KDP)」、「クルド愛国同盟(PUK)」
 とは良き関係にある。クルド人問題の国際化のため共に連携を取っている。ただし、経
 済的な支援は受けていない。

 ――イラクで連邦制導入を明記した憲法草案が起草されたが、イラク国内ではスン二派
 が連邦制に反対している。イランのクルド人から見てイラクの連邦制導入をどう評価す
 るか。

 連邦制導入は理想的だ。イラクではアラブ系シーア派、アラブ系スンニ派、そしてクル
 ド人から主に構成されているが、歴史の中で特に、シーア派とクルド人は中央政権から
 弾圧されてきた。民族間で相互信頼が欠如している状況下では、連邦制がベストだ。イ
 ラクのクルド自治州では過去、十三年間、行政機関の運営がスムーズに行われてきた。
 他の中東地域と比較して民主主義が定着している。私も数回、イラクのクルド地域を訪
 問したが、多くの新聞が発行され、言論の自由もあり、政党の結社も自由だ。経済状況
 も他の地域に比べ良好だ。機能している自治州を破壊する必要はないだろう。

 ――イランでもイラクのようなクルド自治州の設置は考えられるか。

 ウィーンでイラン当局の手で暗殺されたカセルムー書記長は当時、イランでの連邦制導
 入を提案していたが、残念ながら、当時はまだ政治情勢がそこまで至っていなかった。
 しかし、過去五年余りで情勢は変化してきた。アゼルバイジャン系、アラブ系、トルク
 メニスタン系なども政治グループを結社し、連邦制導入の声が高まっている。クルド人
 も他の少数民族と連携を取りながら、連邦制導入を要求していく。

 ――中東地域には約四千万人のクルド人が住んでいると推定されているが、全クルド人
 の独立運動は見られない。

 その理由の一つは、クルド人はイラン、イラク、シリア、トルコなどさまざまな地域に
 分散して居住しているため、その取り巻く社会、政治情勢はそれぞれ異なっているから
 だ。もう一つの理由は、国際社会がクルド人の独立国家創設を容認していないからだ。
 クルド人国家の創設は他民族に大きな影響を及ぼすことは必至だ。もちろん、クルド人
 も他の民族と同様、民族独立国家を建設する権利を有している。しかし、その権利は現
 時点では履行可能なものではない。

 ――トルコのクルド人民会議の前身、クルド労働者党(PKK)が、ここにきて再び武
 装闘争に乗り出す気配を示してきた。

 クルド人を取り巻く情勢は厳しい。政権側が武力をもってわれわれを弾圧するならば、
 われわれも武力をもって抵抗しなければならない。政権側がクルド人に政治活動を許す
 ならば、われわれも政治活動を通じて諸問題の解決に努力する。PKKグループは一カ
 月の停戦を表明した。トルコ側はその期間、どのように対応するかでPKKの今後の活
 動も決定されるだろう。

 ――イラン・クルド民主党は武装闘争を考えていないのか。

 武装闘争で、テヘラン当局からテロ・グループとして糾弾されるより、クルド人問題を
 国際化するほうが得策だ。特に、イラン当局は今日、経済、社会など多方面でイスラム
 革命後最大の困難に直面している時だ。われわれも冷静に対応する必要がある。


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