2076.現代芸術としての原爆慰霊祭



現代という芸術 13  現代芸術としての原爆慰霊祭

 広島と長崎に原爆が落とされて60周年になる。
 60年というとちょうど二世代。原爆文学や写真展や平和授業などさまざま
な形で語り継がれてきた原爆体験も、時代の波の中で風化する一方だ。
 しかし、アメリカはいまだに原爆投下の罪を認めておらず、占領下の徹底し
た検閲や報道管制のために日本人は怒りや悲しみのもっていき場を知らない。
ぶつける相手のない怒りや悲しみは何年たっても新鮮なままだ。明らかな人災
であるにもかかわらず、加害者という概念が不在な慰霊祭が、60年にわたっ
て厳粛かつ不条理にとり行われ続けている。広島や長崎の慰霊祭は、不朽の現
代芸術作品だ。

 原爆の文学や写真はなぜか不思議な力をもつ。原爆投下後の広島を歩いた原
民喜に、「超現実派の画の世界」(「夏の花」新潮文庫)と表現させ、「アカク
ヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキミョウナリズム」と片仮名で描きなぐらせ
た力。核爆弾という、人類が創造した中でもっともおぞましい悪のもつ力だろ
う。
 筆舌に尽くしがたい新地獄である原爆被災地の風景を、「超現実派の画」の
世界ととらえる作家の感受性には脱帽する。被災地の現実を、作家は超現実と
してしか受けつけられない。この感性には学ぶところ大である。
 たとえば、浜辺に行くと打ち上げられている大量のプラスチックや発泡スチ
ロールのゴミ。これもじっと見つめ、手にとって触れ、ひとつひとつ拾い集め
て数を数えてみると、超現実に思えてくる。
 なぜ魚やクジラの住む海中からプラスチックが浜辺に打ち上げられるのか。
ひとつひとつのプラスチックがいったいいつどのように海中に入ったのか、い
くつのプラスチックゴミが海中を漂っているのか。

アリエナイ世界、
ソノ発泡すちろーるヲ食ベタ魚ヤ水鳥ノヒナハアワレニモ死ニ、
クジラハ浜辺ニウチアゲラレ
ソノ体カラハ高濃度ノぴーしーびーヤ水銀ガ検出サレル。

 海洋汚染は、核爆弾なみの超現実かもしれない。広島や長崎の記録は、人類
の悪行の比較基準にもなる。
(得丸久文、2005.8.3)
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皆さん

改革や革新を行うにあたって、利益や経済に惑わされないで、ひたすら市民を
愛して、市民のために行うということは可能なのでしょうか。そんな改革が
あったらいいなと思いましたので投稿いたします。

 「王、何ぞ必ずしも利を曰はん、亦だ仁義あるのみ」(「孟子」首章)

 孟子がはじめて梁の恵王にお目にかかったとき、王が言われた。「先生は千
里もある道をいとわずはるばるお越しくださったからには、きっとわが国に利
益をもたらしてくれるおつもりですね」孟子は答えて言われた。「王様、どう
してそう利益、利益と口にされるのです。国家にとって大切なものは、ただ仁
義だけです。もしも王様がどうしたら国の利益になるのかと考え、大臣たちが
自分の一族の利益ばかりを考え、役人や庶民もどうしたら自分たちの利益にな
るのかとばかりいって、上の者も下の者もだれもが利益をむさぼりとることだ
けしか考えなければ、国家は必ず滅亡してしまいます。(略) ですから王様、
これからはどうか、ただ仁義のことだけを口にしてください。利益のことは口
にしないでください」(「孟子」首章より)


 私は最近テレビをほとんど見ないし、新聞も清廉な毎日新聞しか読まないの
で、利益のことはあまり考えないで過ごしていた。たまたま、一昨日、ある民
主党衆議院議員の支持者の会合に出席したところ、過半数の人々が小泉・竹中
改革を支持すると聞き、ある種の驚きを感じた。

 彼らの多くは、公務員が楽して高給をもらっているのが許せないとか、NHK
には無駄が多いとか、道路公団が談合を続けているとか、経済的な理由ばかり
あげていた。その理由が利益一辺倒であったことに違和感を感じたのだ。そし
て、思い出したのが「孟子」首章の言葉「ただ仁義あるのみ」だった。

 この言葉を思い出す人はそれほど多くないだろう。なぜなら、そもそも「孟
子」を読んだ人が少ないから。

 アメリカは日本を占領してまっさきに、旧字・旧かなを禁止して、当用漢字
を押し付けた。その結果、漢文の素養が身に付かなくなったことは大きい。私
たちは、仁義という思想、仁義の思考軸を失ってしまったのだ。

 日本国を滅亡させないためには、私たちが利益によってものごとを考えるこ
とをやめて、仁義や情愛によってものを考える必要があるのではないか。それ
を思想と呼ぶならば、思想のないところに、安定や秩序は存在しえないと思
う。
(2005.8.4、得丸久文)
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「地球に優しく」に潜む人間の驕り   
   
 人間至上主義の変革こそが必要  《企業活動と「環境」の両立》
 「21世紀の社会における企業の役割…環境問題を中心に」と題して、日本経団連・W
 BCSDセミナーが愛・地球博会場にて、皇太子殿下のご臨席のもとで開催された。

 WBCSDは『持続可能な発展のための世界経済人会議』の略称で、二十二の日本企業
 を含む百七十五の国際企業の連合体である。メンバーは三十五以上の国家、および二十
 以上の主要な産業分野を代表して参加している。さらに、途上国を含む一千社がかかわ
 る国際団体である。

 二十世紀の人間や企業の活動は、環境の劣化を引き起こした。しかし、企業の発展と環
 境保全が対立せず、お互いに補完すれば持続的な開発が可能となる。このセミナーの基
 調講演者の一人A・H・ザクリ教授は国連大学高等研究所所長で、世界の生態系の実体
 を科学的に評価するプロジェクト「ミレニアム生態系評価計画」(MA)の共同議長を
 務めている。

 このMAは、四年間で九十五カ国、千三百六十人の専門家が参加、二〇〇五年三月に終
 了した大プロジェクトで、世界の資源や環境を地球規模で調査した。これは世界初の試
 みである。ザクリ教授は多くのデータを示した後、次のように話した。

 (1)環境の劣化をくい止め、資源の有効利用をするための技術を開発することは、企
 業にとって絶対に必要である。

 (2)それには、企業に厳しい変革が必要であるが、その中から新しいビジネスチャン
 スも生まれる。

 (3)事態は絶体絶命でも、希望が全くないわけではない。しかし、今すぐ行動を起こ
 すべきである。

 そして教授は、エルビス・プレスリーの「It’s Now or Never(今で
 なければ永遠にめぐってこない)」という言葉で講演を締めくくった。

 もう一人の基調講演者に選ばれた私は、「大自然の見えざる偉大な力」と題して以下の
 ような話をした。

《目に見えぬ大自然の働き》

 私たちは環境問題を考えるとき、宇宙、地球、水などの目に見える自然だけを問題にし
 ているが、実は目に見えない自然の働きがある。すべての生物の遺伝暗号を極微の空間
 に書き込み、生物を生かし続けているサムシング・グレートとしか表現できない偉大な
 働きである−と。

 多くの遺伝子は眠っていて、スイッチが入ったり切れたりのオン・オフを繰り返してい
 る。常に働いているヒトの遺伝子は、全DNAのわずか3%くらいで、良い遺伝子をオ
 ンにできれば人間の可能性は大きく広がる。遺伝子のオン・オフは、遺伝子を取り巻く
 環境因子やストレスにコントロールされているが、楽しみ、喜び、感動、祈りなどでも
 良い遺伝子がオンになる可能性がある−と。その一例として、「笑い」によって遺伝子
 がオンになる最新の研究結果についても話した。

 人類の持続的な発展のためには、その資源を地球や宇宙にだけ求めるのではなく、生物、
 特に人間自身の中に無限ともいえる可能性が開発されずに残っていることを知る必要が
 ある。

 この二つの基調講演の後で、世界と日本の代表的企業の代表者によるパネルディスカッ
 ションが行われた。

 その中で、それぞれの企業が企業活動と環境や食糧保全を、いかに両立させているかに
 ついての報告がなされた。特に経団連が持続的発展のために自ら行動計画を策定し、そ
 の実行に努力している姿勢が高く評価された。

《生かされ生きている意味》

 このセミナーの最後に、私は求められて以下のような大胆な発言をした。「このセミナ
 ーでは、持続的成長や発展が善であるとの暗黙の前提があるが、この前提は本当に正し
 いのであろうか」

 日本を含めて特に先進国といわれる国々が、さらに経済的に成長し、いま以上に経済的
 に豊かになることが、その国々の人や発展途上国の人々の本当の幸せに役立つのかとい
 う根本問題に立ち返る必要があると思っている。

 地球に優しい技術開発というが、それは人間の傲慢(ごうまん)を表しているのではな
 いか。むしろ地球が優しいからこそ、われわれはいま生存できているのではないか。だ
 が、それも今や限界に近づいている。自分一人の力で生きている人など誰もいない。世
 界中の科学者が総結集しても、細胞一つ元から創れないのだから。

 私たちは、サムシング・グレートを含む自然や他の動植物のおかげで生かされて生きて
 いる。その真実を再認識し、人間至上主義を変革することが必要なのではないか。私は
 そう考えている。(【正論】筑波大学名誉教授・村上和雄・産経新聞)
       Kenzo Yamaoka
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縄文・交易が底流に   
   
 不思議な魅力秘める青森市
 七月下旬、本州の北端、青森市を訪ねた。ねぶた、北前船、棟方志功、三内丸山遺跡―
 ―いずれも脈絡がないようで、しかしどこかでつながっているような不思議な郷愁を誘
 う街だった。後から考えると「縄文」と「交易」がキーワードに浮かび上がってきた。
 本州の北端に位置するからこそ、さまざまな意味で日本の集結点となっている、そんな
 思いがわいてきた。
(伊藤志郎・世界日報掲載許可) 

青森ねぶたを毎日体験できる「ねぶたの里」 
 青森ねぶたは八月二日から七日まで行われる。市内では制作中の現場もあったし、六日
 までは青森駅近くのアスパム(青森県観光物産館)裏手でボランティアガイドがねぶた
 二十二台を案内・解説してくれる。
 いつでもねぶたを目にできるのは郊外の「ねぶたの里」。青森駅から八甲田・十和田へ
 向かう国道103号線を車で三十分ほど行くと着く。

 館内には実際に使われていた八台の大型ねぶたと弘前ねぷた一台があり、囃子(はやし)
 の音も軽快だ。連日「ねぶた体験運行ショー」が行われる。周りには広さ約十三万坪と
 いう大自然が広がり、フィールドアスレチックや野外バーベキュー場、レストランもあ
 って、一日楽しめそうだ。

 次に向かったのは棟方志功記念館。街中の静かなたたずまいの中にあった。池のほとり
 を歩き校倉(あぜくら)造りを模した建物に入ると学芸員の若井秀美さんが案内してく
 れた。独特の色使い、釈迦十大弟子、絵と文字が融合した板画などで有名だが、見てい
 るうちに力がわき出てくる不思議な魅力がある。

棟方志功最大の作品「大世界の柵 乾」(昭和44年) 
 館内は棟方の遺言でそれほど広くはないが、この日は棟方の作品の中で最大(長さ十二
 メートル)の「大世界の柵 乾」(昭和四十四年)が壁面いっぱいにあった。

 同館では七月二十六日から九月十一日まで、開館三十周年記念として「行った!見た!
 彫った!ムナカタの旅」と題する特別展を開催中。

 棟方は還暦を迎えるころから、時を惜しむかのように東海道を皮切りに四国、九州、東
 北など風景画制作のために日本各地を訪れ、板画や油絵など膨大な作品を遺(のこ)し
 た。今回は端緒となった東海道、芭蕉の足跡をたどった奥海道や羽海道の全シリーズを
 展示。歌川広重の「東海道五拾三次」も特別展示し、画家による視点の違いが鑑賞でき
 る。

みちのく北方漁船博物館内 
 油絵、肉筆画、板画など生涯にわたり一万点にも及ぶ作品を遺した棟方志功。この特別
 展では「大胆でダイナミックな構図の中に、おちゃめでかわいらしい点もある。心を自
 由にして楽しんでいただければ」と若井さんは言っていた。

 北前船の模型があるというので向かったのが、海岸沿いに建つ、みちのく北方漁船博物
 館。館内に入ると北前船の四分の一の模型が目に付く。実物大の船が市内で建造中で、
 行けば外観を見ることができるという。秋ごろの完成予定。

 煌々(こうこう)と集魚灯を輝かせるイカ釣り漁船を中央に、国の重要有形民俗文化財
 六十七隻を含む約二百隻の木造船を収蔵する日本最大の漁船の博物館。ロシア、タイ、
 ベトナム、韓国などの実物の船や帆船の模型、船外機などもある。

 屋外の入り江には、陶磁器や布などを運んだジャンク船が係留され、乗り込み可能。こ
 の日はなかったが、カヌーや手こぎボートの体験もできる。ただし陸奥湾を二十分にわ
 たり遊覧できる小型船は訪問時は修理中だった。

三内丸山遺跡の大型掘立柱建物(想定復元) 
 さて、日本最大級の縄文遺跡、三内丸山遺跡は国道7号線沿い。大きな「縄文時遊館」
 には、巨大壁画映像や体験工房、レストランなどがある。

 トンネルをくぐると、いよいよ遺跡だ。国特別史跡指定を受けたのは約二十四ヘクター
 ルと広い。右手に復元したさまざまな竪穴住居や高床倉庫が見え、さらに進むと大型竪
 穴住居(長さ三十二メートル)と大型掘立柱建物(高さ十五メートル)が目に飛び込ん
 でくる。

 近づくにつれ、その巨大さが分かる。千五百年にわたって定住し、五百軒以上の建物群
 を立てた縄文人とは何者か、統治能力は?など、さまざまな疑問をかきたてる。

 展示室では遠方と交易があったことを示すヒスイやコハク、黒曜石、それに土器、石器、
 土偶、装飾品、発掘した地層などを展示。総合受付ではボランティアガイドの案内によ
 るツアーが一時間おきに出発する。
    Kenzo Yamaoka


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