2067.日本外交のジレンマ



米国の政策が日本重視から中国・韓国をも見る政策に変更している。
                         Fより

米国でライス国務長官になってから、現実外交になってきている。
6ケ国協議も米国の柔軟な姿勢は今までになかった。北朝鮮の核の
平和まで認めたのは画期的である。この6ケ国協議をセットしたの
は、中国ではなく韓国であり、この協議と平行して北朝鮮と韓国は
2国間の経済援助や観光地域拡大開放などを話している。
一方、日本は拉致問題を持ち出して、6ケ国協議の蚊帳の外にいる
ような状態になっている。

日本は国連改革で、常任理事国入りするためにG4案をドイツ、イ
ンド、ブラジルなどと作った。ここで日本に期待されたのは東南ア
ジア諸国で多数の共同提案国を確保することであったが、ブータン
1ケ国しかアジアで共同提案国が確保できなった。それもインドの
保護国であり、インドのために提案国になったのである。この理由
は中国が東南アジアに日本案への共同提案国になることを止めた影
響であるが、日本と中国のどちらが東南アジアに影響力があるか、
明確に示してしまったようです。

また、日本などG4国はアフリカへのODAを増額して、アフリカ
の53ケ国提案のAU案とG4案を統合しようとしたが、ここでも
抵抗に合い、案の統合が出来ないでいる。米国は基本的にG4案に
反対しているし、中国も反対している。このため、2/3以上の賛
成が必要であるが、現状では可決は無理であるようだ。

近々の日本外交の問題は敵を作りすぎることである。中国、北朝鮮
、韓国、ロシアと周辺諸国のすべてと問題を起こし、かつ戦略的な
視点のないまま、強硬な対応をしている。これでは外交ができない。
その強硬な右翼サイドに寄った外交のツケが、出ている。現実的な
外交に米国はライスで戻っており、日本だけが米国のネオコンのよ
うな無分別な外交をしている。

親ネオコンの古森さんや田久保さんのような親米と親リアリストの
F、YSさんやコバケンさんの親米の戦いでもあったが、リアリス
トのライス氏が国務長官になり、年間20億ドルも使うイラク戦争
からの撤退が議論できる雰囲気の柔軟な外交になってきている。ネ
オコンも政権内にいなくなっている。その実例が北朝鮮との直接交
渉や核の平和利用の権利を認めるなど、現実外交が定着しつつある。
パウエル前国務長官がやろうとした外交にシフトしている。このパ
ウエルを強烈に批判していたのが、日本人では古森さんや日高さん
であるからライス氏も批判するべきであろうと思うが。

日本の外交が今でもネオコン的な強硬外交であるので、ライス国務
長官は強硬な日本と柔軟な中国の等距離外交にシフトし始めている。
現実的に中国の方が柔軟な分、東南アジアへの影響力が大きいとい
う事実があり、日本との対中国への安保体制やMDへの協力はその
ままとして、今の状況で中国と友好関係を一層充実する方向に向か
っているようだ。北朝鮮との交渉にも中国が役に立つことも事実で
ある。

その上で中国の元切り上げを実現させようとしてる。この切り上げ
幅が2%では影響はないが、20%程度になると、ベトナムに投資
が移動することも知っていて、米国はベトナムとの友好関係を樹立
している。

日本はロシアとの関係を正常化して、ロシアの石油を導入して中東
の石油からシフトする必要がある。中国から要請されている靖国参
拝も当分しない方がいいような気がする。
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ライス外交、滑り出し上々=Wポスト紙が評価−米

 【ワシントン31日時事】31日付の米紙ワシントン・ポストは、ラ
イス国務長官が今年1月に就任して以来、行き詰まっていた外交政策
が機能し始めたと評価する記事を掲載した。政権内に意見対立があ
る場面では同長官がほとんど勝利しており、第2期ブッシュ政権で外
交政策立案の大黒柱になっているという。 
(時事通信) - 7月31日15時1分更新
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安保理拡大案の採決、一段と不透明に(NIKKEI)

 日独など4カ国(G4)が目指す安保理拡大決議案の採決の見通し
が一段と不透明になってきた。アフリカ連合(AU)は8月4日に首
脳会合を開き、G4決議案との一本化を協議する予定だが、会合自
体が開かれない可能性がでてきた。国連も夏休み入りで、採決日程
のメドさえ立たなくなる恐れもある。

 AUは次の首脳会合をエチオピアで開く方針を29日までに固める
はずだった。しかし、これまでにAU53カ国の多数の合意を得られ
ていない。G4とAUの外相は7月下旬にロンドンで双方の決議案の
一本化を協議し「数多くの国が合意した」(町村信孝外相)が、AU
内には意見対立が残る。G4は首脳会合でアフリカ勢の一本化方針
を確認し、採決に持ち込む戦略だった。首脳会合の開催が流動的に
なれば、戦略見直しを迫られる。 (07:00) 
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7/30)人民元、変動幅抑制は問題・米財務長官が不満表明(NIKKEI)

 【ワシントン=小竹洋之】スノー米財務長官は29日、米CNBC
テレビなどに出演し、中国の通貨・人民元について「市場実勢に合
わせて相場の変動幅を拡大しないなら問題だ」と述べた。中国が人
民元改革に踏み切った後も、市場介入によって相場の変動を小幅に
抑えていることに不満を表明した格好だ。 

 長官は「中国は投機資金の動きを警戒し、今後の対応を予告する
ことを慎重に避けている」と語り、一段の人民元切り上げを否定す
る中国当局の発言に一定の理解を示した。ただ「私は継続的な努力
を期待している。為替相場の柔軟性を増すことが重要だ」と述べ、
人民元の変動幅をさらに拡大するよう要請した。 

 米大統領経済諮問委員会(CEA)のバーナンキ委員長も「中国
の次の動きを注視している」と語った。 
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<米国務省>北朝鮮は「民生用の核能力を持つべきでない」

 マコーマック米国務省報道官は定例会見で「北朝鮮が民生用の核
能力を持つべきでないという我々の立場は非常に明確だ」と述べた
。6カ国協議の米首席代表は、北朝鮮が核の平和利用の権利を持つ
ことに一定の理解を示す発言をしていたが、あくまで権利であり行
使は認めないとの米国の公式の立場を強調する狙いとみられる。
(毎日新聞) - 7月30日22時3分更新
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極東外交における日米の差   
   
 日中は対等ではないのか/教科書、参拝は内政問題だ
在米外交評論家 那須 聖
内政干渉許すままの小泉政権  (世界日報掲載許可)

 小泉首相は、郵政の民営化に心を完全に奪われている間に、極東
における外交面で取り返しがつかないほど日本の国家的威信を失墜
させてしまった。それは中国や韓国が持ち出した靖国神社参拝、尖
閣諸島、竹島、教科書などに関する諸問題に対して、小泉内閣があ
まりにも外交の基本原則を弁えない対応をしたからである。

 これら諸問題のうち、尖閣諸島、竹島を除く諸問題は、いずれも純然たる内政問題であ
 って外国の干渉を一切許すべきでない。これは独立主権国家としての外交常識である。
 従って外国がこれらを持ち出した場合、完全に無視するか、内政不干渉の原則を楯に、
 断固として拒否すべきであった。ところが小泉内閣は、中国や韓国国民の国民感情をも
 考慮に入れてとか、“日中関係、日韓関係を悪化させない様に”という理由で、この内
 政干渉を外交問題にしてしまった。これは初歩的かつ非常識な間違いであり、このため
 に国際社会における日本の地位と威信とを大いに低下させる結果になった。

 日本政府は、第一に北京政府やソウル政府がこういう問題を持ち出した背景を根本的に
 適確に分析してみるべきであった。現在、両国には日本を脅威だと考える国民感情など
 ある筈がない。太平洋戦争も朝鮮の植民地化も遠い昔のことであって、両国民は単なる
 歴史的事実として受け取っているに過ぎない。そのうえ彼らは核兵器を持たない日本の
 軍事力に脅威を感じているはずがないと考えられる。

 現在、中国では中央および地方の共産党幹部および官僚の汚職は目に余るものがあり、
 一般国民はこのことに不快感を持っている。そのうえ急速な経済発展の裏で、環境(空
 気および水)の汚染がひどく、国民生活は様々な危険に曝されており、その対策を政府
 に訴えるデモは各地で起こっているが、政府はそれに十分対応していない。そこで北京
 政府としては国民の関心を国内問題から国際問題に移そうとして、日本の脅威を捏造し
 ていると言える。それが靖国神社問題や尖閣諸島問題となっているわけだ。そのうえ中
 華思想も手伝って、日本を中国の属国であるかのような態度をとって、国民の前に北京
 政府の威信を見せ付けようとしていると考えられる。韓国政府についても、ある程度同
 じことが言える。つまり両国政府は、ある目的を達成するために、故意に日本との関係
 を悪化させているのである。これは中、小国政府がよく使う手だ。従って小泉政権が両
 国と関係を悪化させないようにと配慮することは、ピントが外れている。

アメリカの態度を見習うべき

 それではどのような態度をとるべきであろうか。まず靖国神社参拝問題から検討してみ
 よう。アメリカの前国務副長官アーミテージ氏が、日本のある民放のテレビ局に出演し
 たとき、中国が総理大臣の靖国神社参拝に反対していることについて意見を求められた。
 その時、「他国から参拝するなと指図されるようなことがあれば、逆に参拝すべきだ」
 と答えたと伝えられている。この態度こそ、独立主権国家が、その国家的威信を維持す
 るうえで、当然取るべき態度である。

 北京政府は中曽根首相以前の総理が参拝しても、何も言わなかった。一般国民も全く無
 頓着であった。ところが中曽根首相の時にこれを持ち出したところ、同首相はこのため
 にその後参拝を取り止めた。北京政府としてみれば、日本の属国あつかいが見事に成功
 したわけである。中曽根首相は、国際常識からして、アーミテージ氏が言うように、そ
 れを無視して、逆に堂々と参拝を続けるべきであった。これが誤りの第一歩であった。

 教科書の内容も、日本の編纂者が独自で決めるべき問題であって、外国の干渉を許すべ
 きではない。去る五月、アメリカは北朝鮮に対して、核兵器開発中止に関する六カ国協
 議再開を強く要望していた。それと相前後してライス国務長官はアメリカの公の席で講
 演し、「世界には未だに弾圧政治を行っている国がある。キューバ然り、シリア然り、
 北朝鮮然り」と述べた。この発言に気を悪くした北朝鮮政府当局者は、ライス長官がこ
 の発言を取り消さなければ、六カ国協議再開に応じないと言って、撤回を迫った。とこ
 ろが米政府はこの要求を完全に無視して動じなかった。このために北朝鮮側は諦めて、
 これをうやむやに葬り、六カ国協議再開に合意した。アメリカにしてみれば、世界周知
 の事実を取り消すようでは、世界から笑い者にされるであろうから、決然たる態度を維
 持したのは当然のことである。ところが小泉政権は当然の態度をとらずに、学者による
 共同研究などを申し出たりして、教科書編纂に外国の意向を反映させるかのごとき態度
 を取った。

 もし日本政府が中国政府に対し、中国の学校で反日教育を止めてくれと申し出たら、中
 国政府は烈火のごとく怒るであろう。つまり小泉内閣の対応は、中国と日本を対等の独
 立主権国家の関係でなく、日本をあたかも中国の属国的立場に転落させたのである。中
 国の思うつぼに見事にはまったのだ。

威信喪失した日本の外交処置

 もう一つの例を挙げよう。今月上旬に北京のある陸軍少将が、北京を訪れていた香港駐
 在の記者団を前に、「アメリカが台湾との如何なる紛争にも軍事介入すれば、我々は核
 兵器を使う」と言って、アメリカの世論を牽制した。これに対してマッコウマック国務
 省報道官は「これは非常に無責任な発言である」と語気激しく反論し、「これが中国政
 府の公式見解でないことを希望する」と付け足した。これに対して中国外務省当局者は
 「あれは、あの将軍の個人的見解である」と述べた。これで強がりを言ったこの将軍の
 面子は丸潰れになった。その時ある記者がこの外務省当局者に「それでは何故中国は法
 外な費用を使って軍事力を増強しているのか」と質問したところ、「中国は台湾の独立
 およびテロによる脅威に直面しているから」と答えた。これに対して国務省スポークス
 マンは、「アメリカは中国の脅威にはなっていない。米中両国は広く深い関係を維持し
 ている」と付け加えた。
 このように日本とアメリカとの対応の仕方には雲泥の差がある。外交常識から見て、ア
 メリカの対応の仕方は正しく、日本のは間違っている。このため日本の国際的地位と威
 信とは修復困難なほど傷つけられたのである。
       Kenzo Yamaoka
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「東アジア共同体」への警告   
   
 中国に取り込まれる恐れ/経済優先論を排し国の尊厳を
外交評論家 太田 正利
教材の没収とEU憲法の拒否   世界日報掲載許可

 最近二つの「事件」が東と西に起こった。東の方は、ホリエモン流に言えば筆者の「想
 定内」のことだったが、西の方は、「想定外」の事態だった。

 先ず、「東」の方を簡単に書いてしまう。四月中旬に在大連の日本人学校が輸入した副
 教材百二十四冊が中国税関に差し押さえられた。その教材十五冊は、「大陸」と「台湾」
 とを色分けした地図を掲載しており、「出版管理条例」等に抵触しているのだそうだ。
 三十年前、筆者は外務省領事移住部の初代領事課長として在外の日本人学校をも担当し
 ていた。当時から日本人学校の多くは大使館附属ではあるが、現地の法令に準拠して設
 立されたものなので、現地の法令に従うのは当然と思われる。しかしながら、法令の定
 めるところは「合理的」な範囲に収まるべきものである。中国にはアメリカン・スクー
 ル、エコル・フランセーズ、ドイッチェ・シューレ等の外国人学校がある。これらの学
 校での教材で、中国側から見て日本の場合と同じケースがあるのか。ある国の教材では
 日本よりも遙かに明確な言葉で「台湾」問題を記述したものがある筈だ。もし日本のみ
 をピックアップしたのなら法令の適用において不平等の謗りを免れまい。また、本邦に
 おける中国人学校において如何なる教科書が使われているのか。既に知られていること
 だが、中国における歴史その他の教科書の記述には凄まじいものがある。しかも、本邦
 内ではこれらに対しては何らの規制はしていない!この問題については、遠からず再論
 する所存。言論の自由の問題として世界にアピールする価値がある問題だ。

 「西」の方…最近EU憲法案がフランス、オランダで相次いで否決された。さらに、追
 い打ちをかけるように、予算協議をめぐって合意に至らず、EU首脳会議が決裂した。
 筆者は、一九九八年の小論『地域的枠組みと新秩序』において、EUは多くの問題を含
 む点は認めつつ(英がヨーロッパなりやとの哲学すらあり)も、ロシア圏を除く(トル
 コは想定外)ほか、一応の共通地盤…キリスト教(新・旧を問わないが、ギリシャ正教
 系は除外)…チュートン系かラテン系の民族、少数の例外を除き、自由主義、資本主義、
 民主主義の伝統を持っているので、問題はあっても何とか統合にむかって切り抜けるの
 ではないかとの印象を記したが、恥ずかしながらはずれたか。他方、東では関係国が英、
 米、蘭、仏とそれぞれ旧宗主国を異にするうえ、歴史、民族、宗教の背景も異なってい
 る。リーディングパワーとしての日本は、いち早く西欧モデルにより近代化を達成して
 いたので、ある面では異質な存在でもあった。掛け声にもかかわらず、『アジアは一つ
 ならず』であり、結果において、筆者は統合の成果はヨーロッパでは曲がりなりにも成
 功するだろうが、アジアにおいては別だと論じたことになる。それでも、欧州では多く
 の曲折を経ながらも、最終的には然るべきところに落ち着くのではないか。

チャイナ・ファクターに注目

 アジアについては、特に最近の情勢にも鑑み、日本としてはチャイナ・ファクターをも
 っと真剣に考慮すべき時が来たと考えるべきである。最近「東アジア共同体」なるもの
 が議論されている。経済産業省も今年の通商白書で東アジア経済統合を主導し、国内事
 業が伸び悩む日本が活力を得るため、規模の経済を実現すべき地域市場を構築すること
 が重要だとしている。他方中国はアセアン諸国連合と日中韓を中心とした「東アジア共
 同体」構想を進めており、その中で経済のみならず、政治・安保面でも日本を取り込み、
 米、豪州、NZを排除すべく画策しているやに見える。つまりこの地域で中国が主導権
 を握ろうということだろう。他方、シンガポール、インドネシアにおいても中国への警
 戒感が見られる。筆者の英国在勤後の最初の勤務はスカルノ時代のインドネシアだった。
 彼の政治手法は、軍、共産党およびイスラムの上に然るべきバランスを保つということ
 だった。六五年九・三〇のいわゆるウントン事件は共産党主導のクーデタ計画で、仮に
 これが成功すればインドネシア、ひいては広大な東南アジアが共産化される恐れがあっ
 た。しかしながら、この動きはナスチオン/スハルト両将軍の反撃により鎮圧され、東
 南ア地域全体が共産化される危機を回避した。その後、ASEANは基本的にはヴェト
 ナム戦争下自身を守るために結成された「反共連合」だった。単なるアジア版「経団連!
 」ではない。中華思想たる東夷、北狄、西戎、南蛮中、東夷たる日本が現在直面してい
 る中国関連問題は…靖国、尖閣、領海侵犯、教科書、海洋油田開発、台湾問題等々多岐
 にわたる。

パンのみにて生くるにあらず

 「日本がシンパセティックな態度を取れば先方もこれに応ずる態度を執る筈だ」が如何
 に間違っているか、我々日本人はもっと「眼光紙背に徹し」て歴史認識を深めるべきだ。
 それに東南アジアでは華僑の勢力も侮り難い。基本的に海洋諸国である地域が大陸勢力
 に取り込まれてしまう危険すらある。他の海洋国である米、豪、NZをも巻き込むべし。
 特に「経済優先論」を排し、「国としての尊厳」を守るべきだ。「人はパンのみにて生
 くるものにあらず」とは単にイエス・キリストのみの言葉ではない。
    Kenzo Yamaoka
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ASEAN会議/中国の合従連衡策を懸念する   
   
  東南アジア諸国連合(ASEAN)拡大外相会議が、ラオスの首都ビエンチャンで開催
 される。
 同会議では東アジア共同体構想実現に向けた次のステップに踏み出すため、域外国と幅
 広い分野での関係強化を打ち出すとともに、国際テロ対策で域外国との連携強化を盛り
 込んだ共同宣言を採択する見込みだ。(世界日報掲載許可)

実利優先に転じる中国

 注目されるのはASEAN取り込みに動いている中国の積極的な外交姿勢だ。フィリピ
 ンやベトナムなどASEAN加盟国と中国が領有権を争っている南沙(スプラトリー)、
 西沙(パラセル)諸島など南シナ海問題では、平和と安定の枠組みを構築するためのワ
 ーキンググループを設置する見込みである。

 中国、フィリピン、ベトナムの国営石油会社は三月、南沙諸島を含む南シナ海の共同海
 洋調査で合意。さらに七月、中国の雲南省昆明市で開催されたメコン川流域首脳会議で、
 温家宝首相は、ベトナムのファン・バン・カイ首相と会談し、フィリピンを含めた三カ
 国で、南シナ海の油田を共同探査することに合意した。

 南沙諸島をめぐっては、中国、台湾、ベトナムが全領有権を、マレーシア、ブルネイ、
 フィリピンが一部領有権を主張し長年緊張関係が続いてきた。

 しかし、各国とも原油や天然ガスなど豊富な埋蔵量が期待される地下資源を共同開発す
 ることで、経済成長を押し上げるテコにしたいというのが本音だ。こうした趨勢(すう
 せい)を中国がリードし、実利優先型の協調姿勢に転じつつある。

 ただ一方で、中国は海軍力強化も同時並行的に推進しており、力をバックにした海洋権
 益拡大に大きく動く可能性は十分にある。このためASEANは中国に対する警戒心を
 全面解除しているわけではない。今後、資源開発など共同事業の進展につれ、その配分
 や開発の主導権、棚上げしたはずの領有権などをめぐって対立の芽が吹き出てくる可能
 性もあるからだ。

 こうしたASEANの懸念を払拭(ふっしょく)するかのように、中国はASEANと
 の自由貿易協定(FTA)締結をはじめ、関係強化に熱心に動いている。

 中国は、九七年に発効した東南アジア非核兵器地帯条約参加も視野に入れつつあるとも
 される。中国が同条約に署名すれば、核保有国として初参加となり、ベトナムなどAS
 EAN内部で中国を警戒する国も、その矛先が鈍る可能性もある。

 年末にはASEAN十カ国と日韓中三カ国による第一回東アジア首脳会議(サミット)
 がマレーシアで開催される。東アジアサミット開催に熱心に動いたのはマレーシアと中
 国で、将来の東アジア共同体を視野に入れたものといえる。

 しかし、共同体というからには部分的であれ地域内で社会の一体化が求められることか
 ら、各国で共通する価値観がなければ画餅(がべい)に帰すのは目に見えている。その
 点からすると中国は経済こそ市場経済が主導しているとはいえ、政治的には共産党一党
 独裁政権だ。

覇権的な駆け引きを慎め

 東アジア共同体構想は、ASEANプラス三が中核となって東アジア地域の協力強化を
 目指すものだが、米国を合従連衡策で突き放そうという中国の戦略的意図があることを
 懸念する。一大経済圏構築に向けダイナミズムを持ち始めたアジアを、覇権的な駆け引
 きの場にしてはならないし、米国が関与し続けることが重要である。
    Kenzo Yamaoka
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国家の“基質”忘れたG4案の甘さ   
  
 身分関係の変化に露出する本能    ≪なぜ「奇跡」は起こらぬか≫
 その答えはまだ出されていない。だから、いまの段階でこの一文を草するのは時期尚早
 との謗(そし)りがあるかもしれない。努力を傾注している関係者の背後から引き金を
 引くのはよせ、との忠告もあろう。それを承知の上で書く。

 ことは国連安保理改革、日本政府の希望に即して言えば常任理事国ポストの獲得という
 問題である。過去一年間、常任理事国の一員となるべく、わが国政府はさまざまな手法、
 さまざまなレベル、さまざまな方向に向けて国連加盟国からの支持を取り付けるべく汗
 を流してきた。

 もっとも基本的な方策は、自他ともに有力と認める日本、ドイツ、インド、ブラジルの
 四カ国のセットで常任理事国ポストを目指すG4方式であり、これで国連加盟国総数の
 三分の二の賛成の獲得が難しい場合の次善策として、論理的にはG4案をも包含するこ
 とのできるアフリカ連合(AU)案との調整的一本化が模索されている。

 私は国連通常予算の分担率の高さと国連活動への参加実績とを重要な論拠として、わが
 国が新たな常任理事国たるべきだとする政府の主張は、筋が通っている、と考える。そ
 の「夢」の実現に向けて、これまで外交当局が重ねてきた努力も、おおむね真摯(しん
 し)なものだったと評価する。その労をねぎらう点で人後に落ちないつもりだ。

 だから、昨年秋のある座談会で、「もちろん千載一遇の好機を利用し、奇跡が起こって
 (常任)理事国入りできたら、私は提灯(ちょうちん)行列でお祝いします」と述べた
 (『諸君』二〇〇四年十二月号)。

 ただ右の「奇跡が起こって」の一句からも想像がつくだろうが、当時から私は、奇跡は
 起こらず、「駄目だろうと見込んで」いた。いま、その気配が強い。だから、この問題
 でなぜ「奇跡」が起こらないのかを改めて考えたい。

 右の座談会で私は、その理由をこう説明した。「有力候補国(つまりG4)がいずれも
 難しい問題を抱えているだけではなく、現在の常任理事国が既得権を簡単に他国に与え
 るとは思えません」。この診断は今日でも変わらない。この前半部分は当時広く知られ
 ていたわけではないが、今日では日本の場合は中韓、ドイツはイタリア、インドはパキ
 スタン、ブラジルはアルゼンチン、メキシコの反対が「難しい問題」であることは、天
 下承知となった。なぜ近隣から反対国がでるのか。

 また、現在の五大国が拒否権という特権付きの常任理事国数を増やすのを、なぜ渋るの
 か。この二つの問いに、共通の一つの答えが出せる。すなわち、たがいに競うのが国家
 行動の基質だから、というのがそれである。「基質」という言葉に注意されたい。

≪同格にしたくない五大国≫

 国家はいつもいつも、たがいに競うわけではない。深い協調も、理性的な提携もある。
 逆に、競うのではなく、戦争をすることさえある。だが、それらの行動は、競うという
 基質のうえに友好、打算、憎悪といった衣が着せられたときに採られる。多くの場合、
 G4との関係で五大国も、またG4の隣国も何らかを着衣しており、基質を露出してい
 ない。ところが今回の安保理改革、新常任理事国創出の問題では、五大国、G4諸隣国
 がいっせいに「競う」という基質に立ち返った。なぜなら、事と次第で各国の身分関係
 が変わるからである。着衣の場合ではない。

 五大国はそれぞれ、G4の特定国に対し、理解ある言葉をかけている。だが五大国の統
 一見解を出す気はさらさらない。ばらばらに発言することで、予定調和的にG4案はつ
 ぶせる。さすれば、五大国の特権は安泰。五大国間で身分関係を競う必要はもとからな
 い。特定国に理解の言葉をかけたけれども、その国を本気で自らと同格身分に取り立て
 る必要はどこにあるというのか。こうして五大国はG4に競い勝つだろう。

≪格差は甘受できぬ諸隣国≫

 G4諸隣国はG4に競い負けしない国家行動に出ている。競い負けしたら、従来はなか
 った身分格差を甘受しなければならない。同格状態の維持は考えようによっては競い勝
 ちである。いずれにせよ、競うことこそが国家の真実の生地なのだ。

 こう考えると、「競う」という国家行動は「国家の本能」だと言い換えてもよい。安保
 理改革論議の一年間に、五大国もG4諸隣国も段階的に本能をむき出しにしてきた。他
 方、G4は本能むき出しにできない。先掲の比喩(ひゆ)で言えば、G4は五大国や諸
 隣国の「着衣」に期待して、自らも「着衣」で接した。だが、他に方法があっただろう
 か。
 (【正論】拓殖大学海外事情研究所教授 佐瀬昌盛)産経新聞
       Kenzo Yamaoka
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日本の安保理常任理事国入り   
  
   国会では郵政関連法案で票読みし、国連でも外務大臣や副大臣が票読みするという、
  何とも忙しい状態の日本。

  国連安保理改革を巡って、安保理常任理事国入りを目指す日本、ドイツ、ブラジル、
  インドの4カ国グループ(G4)の改革案と、53カ国が参加するアフリカ連合(AU)
  の改革案の一本化を実現するため行われた外相会議が不調に終わり、作業部会を設け
  て協議が続けられることになった。

  日本人は、国連というと世界政府に近い存在のように考えている人が多いように思わ
  れるが、ここで一般的な知識として頭に入れておいていただきたいのは、日本語で国
  際連合、英語でUnited Nationsといわれるこの組織は、もともと第2次大戦中の戦勝
  国グループが使っていた名称であり、日本、ドイツ、イタリアの三国は枢軸国(Axis)
  という言葉が使われていたように、いまでも安保理の主要なメンバーは戦勝国である。

  しかしながら戦争が終わって60年。60年間も、戦争に負けた連中はまともなポス
  トにも就けず、それどころか、いまだに死文化したとはいえ「敵国条項」は削られて
  いない。つまり、かたちのうえでは日本やドイツはいまだに国連の敵にされているの
  だ。そのうえ、日本は国連通常予算の分担金の20%近くを負担し、ドイツも6%前
  後負担している。世界の国々が本当に平和と共存を願っているのならば、もう60年
  も経っているのだから、そろそろ戦勝国だの、敗戦国だのといった色分けから脱却す
  べきだと私は思うのだ。
  そうして、やはりアフリカの存在は大きい。日本のマスコミには出なかったが、以前、
  アジア・アフリカ会議において小泉総理が100カ国近い元首・主席の前で中国をは
  じめとするアジア諸国に対する謝罪の言葉を述べたとき、多くのアフリカ諸国の人々
  が「そういえば、われわれも謝ってもらったことがない」と言った、という話を聞い
  ている。アフリカ諸国が、第2次大戦のもっと前の話を持ち出し、中国や韓国が日本
  に対してするように、執拗に欧米に反発するようになったときのことを考えると、空
  恐ろしい気持ちがある。したがって、アフリカ諸国がその気になれば、P5といわれる
  5カ国も容易に反対できないとの考えもあながち嘘ではない。

  スタート時は51カ国だった国連も、現在の加盟国は191カ国。戦争で被害を受け
  た、あるいは全く関係のなかった国のほうが多い状態となっているいま、いつまでも
  戦勝国だけに発言権があり、敗戦国はカネだけ出していればいいとする、現在のかた
  ちは望ましくない。したがって早めにAUとの一本化をし、決議案を提出するために、
  日本は努力しなければならない。

  国際社会が変化するのと同じように、国連も変化しなければいけない。そうでなけれ
  ば組織は崩壊への道を歩むとは、歴史が教えてくれている。

 ▼日本はいまだ国連の「敵」である
 産経新聞と日経新聞の社説は、イラク派兵に関連して国連決議を取り上げていた。産経
 は小林よしのりがいうところのポチ保守路線。日経の社説「今こそ『弱い国連』の安保
 機能見直しを」が、凡庸とも言えるが読み応えがあった。
 日本人は国連に甘い幻想を抱いているが、国連は機能しない。いろいろ問題があるが、
 根幹にあるのは、私は常任理事国の存在だと考える。そして少し暴論めくが、常任理事
 国があるというのは、国連(United Nations)というのは連合国(United Nations)だから
 だ。もともと日独伊の枢軸国と戦うためのリーグなのだ。洒落ではない証拠に、日本は
 国連の敵国だと敵国条項(国連憲章第53、107条)で定められている。
 そんな話をすれば、知識人なら鼻でせせら笑うだろう、「あれは死文であり、削除は
 1995年の国連総会で採択され、スケジュールに乗っている」と。確かに、数年前までは
 そうだった。ところが、そのスケジュールはどうなったのか?と問い返してみればいい。
 進歩派知識人は「死文だから気にしなくてもいい」と答えるだろうか。では、「いくら
 死文でも、日本の戦後の努力を踏みにじる不名誉な条項は死文であれ即刻削除されるべ
 きではないか?」とさらに問えばいい。その先はなんにもない。ちなみに、1995年3月
 憲章特別委員会は旧敵国条項の削除、改正を総会に勧告、12月国連総会で国連憲章から
 旧敵国条項を削除する決議を行い、賛成155棄権3で採択した。この際、棄権3は朝日新
 聞の友好国である北朝鮮、キューバ、リビアである。
 だが、ようやく日経がその先を少し言及しだした。まずはアッパレと言っておく。

 国連改革といえば、日本にとって座視できない問題として国連憲章の中の旧敵国条項の
 存在がある。
 すでに死文化しているともいわれるが、この条項は連合国の敵国であった日本などが再
 び侵略行為を行った場合、ほかの国は安保理の承認なしに武力行使できると規定してあ
 り、一種の差別条項である。それが厳然として残っている。

 よく考えよう。この数年の流れを見れば、日本への敵国条項は死文ではない。連合国は
 先日のカンクン会議のG21のようなリーグの筆頭に日本が立てば、連合国側は日本を攻
 撃するだろう。妄想? もちろん、その前提に日米安保の解消がある。なにしろ、日米
 安保というのはこの敵国条項の安全弁のようなものだからだ。米軍が日本に駐留してい
 る理由の一つは日本を軍事的に支配下に置くことだ。首都を取り巻くように米軍が駐留
 している様は普通の外人ならバカでも日本が未だ占領下にあることがわかる。
 そんなことを言えば右寄り? ポチ保守賛同? なんだか現実感がないような気もする。
 国連と日本の関係を正常化させることは難しいのだろうか? 意外なソリューションを
 私は小沢一郎の主張から啓発された。常備の国連軍を作り、日本が兵を出せばいいのだ
 と。なるほど。そうすれば、死文は論理矛盾から本当に死に絶えるだろう。だが、日本
 の平和勢力、国連主義の人たちはそれを認めるだろうか。今の日本の空気を読む限りそ
 うはいかないだろう。衆院選挙でも、冷静に考えれば、新民主党は敗退する。
 そういう意味で現実というのは厳しいものだ。ナンセンスでない平和というものが難し
 いのは、血で贖うものだからだし、血で贖うためには国民のなかに国への愛がなくては
 ならない。この見解はウヨに聞こえるだろうか。だが、警察官だって消防士だって、死
 ねとは言われないものの、職務のために死なければならないことがある。その職務とい
 うものは国への愛が根幹にある。本当は官僚というものもそういう存在なのだが。


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