2055.郵政民営化の最大の問題点



遠い目標と、実現のための着実ない歩一歩の現実的な過程が共に必
要なんじゃ。       虚風老
 
 郵政民営化の最大の問題点は、
<拙速>であろう。制限速度70kのカーブを120kで突っ込もう
としているようなもんじゃ。
なんやかや言いながら、日本は金融危機をソフトランディングや、
米国への割譲によって乗り切った。
同時にそのツケは、国公債の大量残高という形で、未来の時間=未
来の税金=未来の所得利益を食うことでしのいでいるんじゃがね。
後は、バクチを打つより計画的に返済するんじゃね。
うまい儲け話(リスクを取る)は、時に大損をかくしている。
失敗した投資をデリバチブのギャンブル的運用にあせって、社その
ものを危殆に瀕させた実例がいかにあったことか。

まあ、これが、金融支配の仕上げかもしれぬがね。(老婆心ながら
十年で株を売りきると法律に書いたら足元を見られるんじゃないか
の。ありゃ、わしゃ、爺じゃった。。。)
社会においては、急激な変化は、安定を損ない生活に負担が生じる
が、金融においては、急膨張、急収縮は利益を荒稼ぎするチャンス
になるの。(ただし、金融(情報)強者にとってじゃがの)
他国の戦争は最もいい例じゃろう。国が借金(未来の税を担保にし
て)生産の急拡大をやり、武器・爆弾を使うことによって、急損耗
(消費)し、破壊によって、社会施設を減価させる。しかもその後
でまた、借金による急復興の為の「生産」への資本投下がされる。

このサイクルでとてつもなく大きくなったのがロスチャイルド財閥
なんじゃね。
結局は国民ひとりひとりの税(未来分も含めて)が、戦争資金の借
入として、金融資本に移転される。

この急拡大、急収縮のサイクルは大きいほど利幅が多いい。
昔、風と共に去りぬで、レッドバトラーが、「巨額な利益は文明が
建設される時と、崩壊する時に生まれる。そして、もっとも短時間
に利益を手にできるのは、文明が壊れるときだ」と言ったのは名言
じゃね。(わしも、若い頃は、レッドバトラー=クラークゲーブル
張りのええ男じゃったんじゃがのう。。。^^;)

まあ、金融循環というのが、必然的にあるものにしろ、大恐慌や各
種金融危機というようなモノは、誘導により創り出されるという陰
謀説もあるくらいじゃしね。
それで儲けるはしっこい奴はいるわけじゃ。社会や他人の生活の破
壊がそのまま利益になる場合があるわけじゃな。

確かに世界にはゆらぎが存在し、社会もそれを映しておる。
問題は、揺らぎがゆっくりとしたものなら心地が良いが(社会・生
活者にとって)、急激で振幅の激しいものは大変なこと(苦痛を強
いられ、生活基盤の崩壊)が起こるということじゃ。

危機的状況では、事態はジャンプによってしか越えられない場合が
ある。
しかし、ジャンプをする場合は、助走をつけて、どの地点で踏み切
るという見極めと準備が必要である。
それ以外は、激しく走る場合より確実に歩くほうが、身体の健康に
もええわけじゃ。

郵政の問題は、どういう着地点(民営化)という問題ではなく、そ
の進め方が拙速であると言う点であろう。システムの問題や、名寄
せの問題、異業種参入(コンビニをやるとか言ってるがホントか?
そんな片手間にできる業態とは思えないし、それについての設備シ
ステム開発も必要じゃろうもん)運用の能力開発などを、公社で、
民営化の為の助走としてやるのはええじゃろう。しかし、ハイ民営
化に看板掛け替えましたと言って、すぐにできるほど実業は甘くな
いじゃろう。

この拙速が、小泉のただの思い入れと、アメリカの思惑との合算な
らば、破壊的じゃろう。(アメリカの要求は、今のところ保険分野
を狙っておるわけじゃが、一石三鳥ぐらいの効果を採れそうなので
喜んでおる。しかもアメリカにとってはリスクがまったくない。笑
いは止まらんじゃろう)
まあ、自分達の社会以外の破綻は、甘い蜜の味というのは、金融の
手段なんじゃがね。
ツケは、日本の国民が払うことになるんじゃろうな。


現在の経済システムというのは拡大しないとうまく機能しないよう
になっておる。
もちろんその経済システムの上に乗っている社会システムもそうな
らざるを得ない。

しかし、指摘されているように、世界は無限の世界ではなく、「限
界」の世界である。
この場合、経済支配者が取る方策は、限界の分有(みんなで、分か
ち合いましょう)ではなく、自分達の拡大を維持するために、世界
を幾つかの部分に分け、一方を縮退させたり拡大させたりするよう
にコントロールするようにして、その変動をポンプにしながら(全
部が縮退すると、自分達にも影響が及ぶ)
自分の利益の確保を図るという戦略じゃろうな。

計画的なスクラップ・アンド・ビルちゅうわけじゃが、その中で支
配権を拡大するという手法じゃ。謀略は、単に地政学的条件だけで
はなく、こういう形で進められる
まあ、そのコントロールの手品の種がドル(金融)・石油、核(エ
ネルギー)・軍事(緊張と離反)というわけじゃね。
これらは、世界支配のトライアングルなんじゃ。

アメリカの戦略の大枠は、現在三つであるといえよう。
一つは石油支配であり、その為に原油の遍在するイスラムと衝突か
ら抜けられない。
もう一つが、ヨーロッパを、米国の覇権の対抗勢力にならせないこ
とである。
アフリカ資源戦略でアメリカが乗り出すのもここにある。
最後に日中離反であり、米国が中国での市場競争力を確保しながら
、日本の排除、太平洋への中国の進出の牽制封じ込めを日本に肩代
わりさせることによる緊張の創出。
それによって、まさに米国の利益がうまく得られる。(どうやら、
ガキの中国と日本は、どちらも、うまく嵌まってしまっておる。ジ
ャパンハンドラーと、日本のエージェント(無意識な国粋意識肥大
主義者も)は踊っておる。)

ペルシャ湾、カスピ海支配は、この中核じゃから、米国中間選挙が
終わったあたりで、また無理やりの戦争を起こすじゃろう。相手が
挑発に乗りやすい反米保守イスラム原理主義となれば願ったりじゃ
ろう。

北朝鮮は、米国がその気になればいつでもオシャカにしてしまう自
信があるわけじゃし、米軍の南下が2007〜2008に完遂する
ことを考えて、今は現状維持作戦に徹するようじゃ。戦争資源は中
東に集中させたいからであろう。
だから、5万トンの支援にしても、冷徹なスケジュールの賜物であ
ろうの。
日本は、自国の周りだけみて、やれどうなったのすっぺったのと評
論するが、米国は常に世界全体での戦略スケジュールの中で行動し
ておる。

ただし、正確に言えば、それが初手はうまく行きそうに見えて、そ
の戦略は、アメリカにとっては、かなり失敗に終わっておる。(一
部無国籍=多国籍化した=利益をオフショアにしこたま隠し込むよ
うな、、企業の収支からみればそれでもええのじゃろうがね)
それを巧みに人間の心情(宗教、国民・民族感情)に絡めて誘導し
ていくわけじゃな。
すぐかっとなる、あちこちの国の右翼も扱いやすい対象じゃろうな。
冷厳な利益戦略をとりきらんからねぇ。

まあ、アメリカの民主党(金融グローバリスト)・共和党(ネオコ
ン+軍産複合)、ヨーロッパの影(***)は、その利益の「流路
」の争いに過ぎんという見方はあるわな。根っ子じゃ流れ込んで行
く先は同じかもしれんがの。

問題は、日本は、流路にうまく組み込まれることで利益を保つとい
う戦略なのか、限界の世界での生き方を提示するかという選択が一
つある。

「国際」という言葉にはいくつもの違った意味がある。
一つは戦略としての国際であり利益確保の<場>としての意味。
一つは、多くの日本人が感じているような<世間>=付き合いの和
      、というような感覚。
一つは、民族主義が裏返った形での国際である。例えばユダヤ人に
とっては、自分達はどの国の内部でも少数派であり、しかも力があ
る場合、その国がその国固有の(多数派の)民族主義に陥ることは
危険な環境になる、故に「国際主義」を唱導・主導するという傾向
があるわけじゃ。だからイスラエルにはむき出しの民族主義しか存
在しない。(欧米的素養文化としての「国際」というのは引きずっ
ておる場合もあるがね)
そして、国境が「意味を持たない」という事柄を扱うためにもある
し、また、どうしても国という枠組みを越えなければ解決できない
問題が多くなったいうこともある。

地球が狭くなったというのは、権力の伸びる腕の長さも「国際」し
ておるというわけじゃ。
日本の権力が、極めてローカルな内向きの分配権だけしかもってお
らない為、国際戦略では、シロウトより始末が悪いわけじゃ。
だから判断停止的に、米国にくっついていくしか能がなく、眼も枠
組つくりも曇りおる。

どちらにしろ、権力というものは自分から権力を投げ出したりはし
ないしの。
その権力の運営が生活を脅かすとき造反が起こるわけじゃ。
だからアメリカは外に対してはとてつもなく強権的であり、一方国
内では民主的なわけじゃ。
この意味では、注意深い権力者は、生活者の不満がたまらぬように
、あるいはそれを逸らすように方策をとるもんなんじゃね。
まあ、日本の場合は、政府の上に政府があり、自分で政策のハンド
リングができなくなっておる。
それでアメリカにお使えるための日本化(不在地主=領主?に税金
を移転する小作民)してていくんじゃろうね。昔は、日本国内の歪
み(既得権益の固定・官支配の構造)であったモノが、今や、アメ
リカに押し付けられた歪みになっておる。

今のシステムが「限界」という断崖に向って走る列車なのはみんな
知っている。
だが、生活というのは走っている電車であるから中々降りられるモ
ノではない。
利潤を求めないことは難しいが、縮退あるいは現状を維持するよう
な低成長の中で生活ができるシステムと精神性(社会雰囲気)は必
要になるじゃろう。
<環境>という言葉は、その意味でキーになっておる。
もともと自然と共に生きるを宗としてきた国民なんじゃから、これ
は素直に受け入れられる素地がある。(近代以降かなり西洋思考に
なったとはいえ、体に染み込んだ感覚ちゅうもんがあるからの。思
想の根幹には、直感というものが大きくハタラク)
出家ならば降りたといえるかもしれないが、それとて、今の職業宗
教家=金集めの宗教とは無縁な話しにみえるの。
二分対立して、自然やあらゆることを「征服」するという西洋的思
考の限界が今ある。

確かに自分達には「自分のことをする」しか力はないが、
ゆっくり歩くように減速しながら、やり方を考えるべきじゃろう。
急に止まるのも身体に悪いというからの。
遅いことは、悪いことばかりじゃあない。
近代の効率化は競争という名において<早さ>が価値になってしも
うた。子供のころから、「はやく、はやく」と育てられるしの。

足元を見よ。そうすれば、早く走ることだけの愚かさも見えるじゃ
ろう。子供の運動会では、お父さんの駆けっこで、転倒者が続出す
るの。あれは、頭は早く走ろうとし、足がついていかないわけじゃ
けど、足を叱るわけにはいかん。
頭が、自分の現状を把握していないことに問題があるんじゃ。

目は、遠くにある目標を見てすすむべきじゃろう。
しかし、足元は、確実な次の一歩が必要じゃ。途中に崖や川があっ
たとしても、真っ直ぐ突入しろでは、目的も果たされんし、危険で
もあるな。
時には、方向としてはあらぬ方へ進みながら、渡ることのできると
ころを捜す。
逆に目が、現実の足元だけしか見なければ、ぐるぐると同じ処で踏
み惑う。

目標と到達地点への想いはいいが、現実の過程が重要だということ
じゃよ。
社会は、そうそう一気に跳びゃあせん。しっかりと、確実に目標へ
歩くことじゃ。
そうすれば、周りの風景も楽しめるじゃろう。過程で新たな環境の
違いが起きれば、それにもあらたな対応もできるじゃろう。

風景は所有することもできんし、腹も膨れぬが、「魂」は豊かさを
取り戻すじゃろうな。
そして、そうすることが、身には安全でもあるわけじゃ。
                      
                          虚風老
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きまぐれ読書案内 木村元彦著「終わらぬ『民族浄化』 セルビア・モンテネ
グロ」
(集英社新書、2005年、700円)

* 現代芸術並みに難解な旧ユーゴスラビアの今

 宮嶋茂樹著「空爆されたらサヨウナラ 戦場コソボ、決死の撮影記」(クレ
スト新社、1999年、1600円)は、1年ちょっと前に、近所のブックオフの105円
コーナーで偶然見つけて読んだ。(宮嶋さん、ごめんね、印税の足しにならな
くて)当時、私は、宮嶋の名前を知らなかったので、まったく無名のジャーナ
リストの文章として宮嶋の文章を読んだ。(ごめんね、宮嶋さん、僕が無知
だっただけですから気にしないでください)

 この週刊文春で鳴らした突撃カメラマンは、1999年3月末から、NATO軍の
F-117ステルス爆撃機やトマホーク巡航ミサイルによってセルビア国内の各都
市が空爆されたときちょうど現地に潜入して滞在しており、街の地獄図や町の
様子を写真とルポに残した。

 彼のルポは、自分の見たこと、聞いたこと、したこと、そこにあるもの、そ
して自分が考えたことを淡々と(かつおもしろおかしく自他の失敗談を交えて)
綴っている。これはアゴタ・クリストフの小説「悪童日記」にある真実のルー
ルに従っている。

 宮嶋のルポを読むと、NATO軍によるコソボ空爆が「コソボのアルバニア系住
民を、セルビア治安部隊から救う」ためだったという宣伝が、嘘に思えてく
る。コソボ自治州を独立させようとしているコソボ解放軍(KLA)と、それを支
援しているNATOこそが、あえてセルビアの平和を乱しているように思えた。

 かつて私は「現代芸術より難解な現代世界」などという表現を使ったことが
ある。(国境のない惑星、World Plaza No.47, 1996.8-9) そのときも旧
ユーゴ紛争を例にして、「連邦の分裂とそれに続く戦火が『民族の違いを原因
とする紛争』だという説明は疑わしい」。「真因は、経済的に自立可能だった
スロベニアとクロアチアが、他の貧しい連邦共和国への富の配分を渋って連邦
離脱したこと」、「ドイツが性急に両国を国家承認」したことにあるのではな
いかと、私なりに見聞きしたことをまとめて解釈を行った。

 おそらく、テレビや新聞がまことしやかに報道する、善悪や白黒のはっきり
したわかりやすい説明のほうが嘘で、あるがままを素直な目で見ることのでき
るジャーナリストが、七転八倒しながら現地で実体験し見聞きしたことが真実
なのだ。彼らの行動を追体験することで、我々もじわじわと真実の理解を共有
できるのではないだろうか。

 高度情報化社会といえども、いや情報があふれる社会だからこそ、ネタモト
のネタが本当か嘘かを見破る眼力が大切である。

* 国連管理下のコソボで、セルビア人の民族浄化が行われている

 宮嶋カメラマンが脱出した後、1999年6月に、セルビアは和平案を受諾し、
セルビア治安部隊をコソボから撤退させ、大量に発生していたアルバニア難民
がコソボに帰還する。そしてコソボは、国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)の統
治下に入った。

 そのコソボで、空爆終結から今に至るまで、セルビア人たちが3,000人もア
ルバニア人たちによって「浄化」され続けているという。国連が統治している
のにもかかわらず。なのに、その事実を誰も伝えない。沈黙への義憤によっ
て、著者木村元彦氏は「終わらぬ『民族浄化』」を書いた。(詳しくは本書を
読んでください。)

 冷戦終結後、欧米の武器輸出や勢力拡張の思惑によって、旧ユーゴスラビア
で民族対立を演出して殺し合いがひき起こされ、共和国が解体され、大量の難
民が生み出された。何回となくユーゴスラビアを訪問して取材を続けた著者
が、自分の同時代史とシンクロナイズさせてしまった旧ユーゴの同時代史を読
んでいただきたい。難解な現代世界につきあうためには、客観的事実と著者の
考察だけで構成された一人称・同時進行のルポを読むのが一番だ。
 
 本書についての論評をウェブで探すと、木村氏のセルビアびいきを批判的に
書いているものもあった。しかし、われわれ読者のほとんどは、セルビアも、
コソボもともに行ったことがないのだ。だったら、セルビアか、コソボか、あ
るいはその両方を知っている人間が書くルポが、いくら我々の既成概念と違っ
ていたとしても、そこに書かれていることを、敬意をもって、ひとまずは素直
に受け止めるべきではないか。

 直接、著者が見て、こいつは信用できる、こいつは怪しいと思ったとした
ら、それは大切な情報だ。著者の判断を信じるべきかどうかは、著者の書きぶ
りや、既刊書をもとにして、判断すればよい。自分が大手マスコミや著名文化
人に植え付けられた既成概念だけで、現地を歩いた著者の著作を否定するなん
てことだけは避けなければならない。

* 第三次世界大戦はすでに始まっている?

 本書を読んで思ったこと、感じたこと。

 第一次世界大戦と第二次世界大戦が、ともにバルカン半島で始まったのは、
ヨーロッパにとって、そこがもっとも身近な兵器市場であり、もっとも身近な
支配可能地域であるからではないか。

 冷戦が終結後の余った兵器が、たくさんバルカン半島に持ち込まれて販売さ
れたようだが、兵器が持ち込まれたから紛争がおきた。あるいはむしろ兵器を
売るために、民族紛争が演出されたのかもしれない。

 なぜ、旧ユーゴの報道は少ないのか。それは欧米がバルカン半島で自分たち
が行っていることを隠したいから。

 どうして、人は、旧ユーゴで起きていることに興味をもたないのか。ひとつ
には、そこで行われていることが、現代芸術のように我々の既成概念を超越し
ていて理解しがたいからである。
なぜセルビアは悪者にされたのか。旧ユーゴを解体することで利益を受ける
人々にとって、一番手軽で確実な解体手段は、セルビアを貶め、それ以外の共
和国や自治州に独立をたきつけることだったから。ロシアでロシア人を貶め、
中国で漢民族を貶め、それによって少数民族共和国や自治区を独立させようと
するようなものだ。

 不幸なことに、旧ユーゴスラビアは、ロシアや中国ほど大きくもないため、
ヨーロッパの大国の思うがままに翻弄されてしまう。またヨーロッパに隣接し
ているために、密貿易でも密入国でも密約でもなんでもありの位置関係にあっ
た。だから、世界大戦は二度ともここから始まったのだろう。もしかすると三
度目も。おそらく後世の歴史家たちは、コソボ空爆をもって第三次世界大戦が
始まったと見なすであろう。

* 世界人類の運命の象徴としてのコソボ紛争

 宮嶋氏や木村氏のルポを読むことで、現代芸術のように難解な旧ユーゴの状
況に、少しずつ我々の耳目は、意識は慣れてくる。そしてはじめて、答えのな
い、解決策のない、希望のない状況を、認識できるようになる。

 この希望のなさ、解決策のなさも、われわれの意識を旧ユーゴから遠ざける
一因である。 だが、現実から目を背けてはならない。旧ユーゴスラビアで起
きている様々な紛争や悲惨な状況は、地球規模で人類が直面している閉塞状況
の象徴であると私には思える。

 石油の生産もピークを過ぎ、干ばつや砂漠化によって食糧生産も不安定にな
ると、人口を間引くという選択肢が現実のものとなる。分子が少なくなったな
ら、分母を減らすまで。旧ユーゴにおいては、その正当化理由として、民族と
いう記号が利用されているだけではなかろうか。

 アメリカが2001年に行ったアフガニスタン侵攻や、2003年に行った対イラク
戦争とその後の占領は、名目は違うものの、かげりのみえてきた資源をアメリ
カが抑えるための戦争である。これらはすべてまとめて合わさって、人類史の
ひとつの大きな時代の区切りとなる「第三次世界大戦」として呼ばれるように
なるのかもしれない。

 人類は増えすぎた。人類は資源を大量に消費しすぎる。本能や記憶を失った
ハダカの猿にすぎない人類の文明は、まもなく終わりを迎えようとしている。
旧ユーゴの救いのない惨状は、これから何十年のうちに、すべての人類がひと
しく迎えるカタストロフィーの前奏曲である。

 それから、自動車文明も、植民地も、世界大戦も、原爆投下も、民族浄化
も、環境破壊も、すべてことごとく20世紀の人類が体験した時代のエピソード
であったと、わずか数行か数ページの歴史教科書に書き記される時代がくるの
だろうか。あるいは、それすら行われないままに、人類は地球の歴史から姿を
消すのかもしれない。
(2005.7.11, 得丸久文)
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皆様方へ
 今日は、台北市で行なわれているゴミ収集についてお知らせ
したいと思います。 

 台北市でのゴミの分別収集

            平成17年(2005)7月17日
           「地球に謙虚に」運動 代表 仲津 英治

台北市に住んで約2年、住居は22階建ての150戸もある大きなマン
ションです。守衛さんが24時間ガードしてくれています。

環境問題にとって重要なリサイクルはどうなっているのか、住み
始めたころから関心がありました。全般的には台湾は日本より市
民の関心も少し希薄な感じで、職場などでは、2種類くらいにしか
ゴミは分けられていません。

しかし市のゴミ収集車は中々なマメでして、夜遅くまで「エリー
ゼのためか乙女の祈り」のオルゴールを鳴らしてゴミ回収に当た
ってくれています。

我々マンションでは、ビルの地下4階に駐車場と一緒にゴミ集積所
が2箇所あり、別途回収しています。一つは、資源回収区
(Recyclable Garbage Storage Room)と記述され、リサイク
ル用のゴミ集積所です。もう一つは生ゴミ用の冷蔵集積庫です。

資源回収区では、次の11種類に分別されるようになっています。
発泡スチロール類(保麗龍類)、古着(旧衣服)、プラスチック
類(塑膠類)、ガラス類(玻璃類)メタル、カン 金属類(金属類)、
乾電池、電球類(廃電池、燈管類)、医療廃棄物(醫療廃棄物)、
一般紙、新聞紙&雑誌類、段ボール、その他。表記は漢字と一部英
語で書かれていいます。

 これだけ丁寧に分けておくと資源になりうるようで、街中でもほ
ぼ同程度の分別集積している業者の倉庫などを見かけたことがあり
ます。
 住民の人もかなり丁寧に分けてプラスチック容器の中に資源ごみ
を入れています。

 ただ医療廃棄物は一般家庭からあまり出るものではなく、金属とプ
ラスチックが一緒になったもの、洗濯ハンガーなどが入れられてい
ました。

生ゴミ用には冷蔵集積庫があり、悪臭防止のため、温度は8度℃以
下に保たれています。住み始めて1年ほどしてから各家庭に生ゴミ
用バケツが配布されました。EMぼかしなどを使う発酵バケツでは
なく、ただのバケツです。妻によると回収業者は、ほぼ毎日回収に
来てくれているそうです。生ゴミはその後、同処理しているのか、
照会しようと思いながら、言葉の壁で伺っていません。

 我々のマンションから西方に大きなゴミ焼却処理場の煙突が見えて
います。廃熱を利用したプールもあり、煙突の途中には回転式展望レ
ストランがあり、台北の名所になっています。

 日本では色んな部門で、欧米先進国でと言って、米英独仏等の事例
を比較参考にすることが多いですが、この国台湾では、それらに日本
が加わります。しかし結構ゴミ処理問題でも台湾では進んでいる一面
があるように思えた2年間でした。
                            以上

仲津 英治
「地球に謙虚に」運動ホームページ No.1
http://www.hpmix.com/home/ise/kenkyoni/

「地球に謙虚に」運動ホームページ No.2
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kenkyoni/


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政治家の公約   
   
  自民党から造反議員が何人出るか、といった興味本位な話題ばかりが先行した、郵政民
 営化法案の衆議院での採決。
  腹立たしいのは、こうしたことがまかり通るのならば「選挙公約」は何のために存在
  するのか、という基本的な問題から考え直さなければならないのに、誰もそれについ
  ては語ろうともしないことだ。
  この場で郵政民営化についての善悪について語るつもりは毛頭ないが、ただし、小泉
  総理を選んだのは自民党の国会議員であるし、その小泉総理を担いだ自民党を選択し
  たのは日本国民である。その小泉総理は、ずっと郵政民営化を政策理念の筆頭に掲げ
  てきた。しかも、その公約を口にして何度も自民党総裁選に立候補した人物である。
  数年前、衆議院選挙でマニフェストなる言葉がブームになったとき、各党、各候補者
  とも、マニフェストと称する政策を語ったはずだが、マニフェストという言葉だけが
  独り歩きして、国会議員を含めて誰も中身についてはきちんと考えなかったから、こ
  うした体たらくになるのである。

  これまで自民党の総理総裁というのは、周りに配慮ばかりしてきた。派閥政治だった
  のだから、それもそのはずである。しかしながら、私は橋本龍太郎氏が総理に選ばれ
  た8年ほど前に、このかたちが「変わりつつある」と、この場でも皆さんに申し上げ
  たが、いまははっきりと「変わった」と言い切ることができる。

  派閥の領袖ではない人物が自民党の総理総裁に、なぜなったのか。橋本総理誕生のと
  きもそうだったが、小泉総理誕生のときも同じ理由である。自民党の地盤沈下が叫ば
  れたときである。人気のある総理大臣のおかげで、自民党は政権党として安定した。
  小泉総理が、自民党政治家の計算外れだったのは、大変な頑固者だったことだ。その
  証拠に、自分の政策を通したいのならば自民党の実力者を内閣に入れて使ったほうが
  よい、との中曽根元総理の助言を、しかも中曽根元総理には実績というバックがあっ
  ての助言だったにもかかわらず、それすら聞かなかった。

  再度申し上げるが、小泉総理は「公約」を口にして選挙に勝ってきた。その小泉総理
  を選んだのは他ならぬ自民党である。いまになって、この「公約」を頑固にも貫こう
  とした小泉総理に反対するならば、「公約」というものを政治家自身が軽く考えてい
  る証拠にもなる。

  これは日本国民にも強く意識していただきたいが、本来「公約」は成し遂げるべきも
  のである。いままでがいままでだったから、国民のなかには、口で言うだけ、と思っ
  ていたところがあるのかもしれないが、これが本当の姿なのだ。そして、このかたち
  は恐らく、多少の変化はあっても大筋は変わらないだろうと私は思っている。
 政界にも、静かに構造改革は訪れているのである。 
       Kenzo Yamaoka

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