2033.対ロシア外交を組み立てる



対ロシア外交を組み立てる上でプーチン大統領の政策を検討する。

 
 最近、プーチン大統領の政策が西側から非難されている。
1.チェチェン紛争の武力解決。2.旧ソ連内の独立国への干渉。
3.石油等の資源会社の国有化。4.地方自治体の長の任命制。
5.プーチン親衛隊の編成などだ。強いロシアの再興を訴えて大統領
になったプーチン大統領にとって、ロシア内の分離独立は選択肢に
はない。1.、2.はその外交政策上の結果だろう。3.、4.、5.から内
政上の政策は独裁へ舵を切ったように見受けられる。西側はロシア
の内政を批判した。それに対してプーチン大統領は弁明をしている。
以上が最近の出来事だ。これは外交的に手詰まり状態といえる。

 どうもステレオタイプの解説に見える。現在のロシアの内政は、
一気に行った自由な民主主義への移行に失敗した後をプーチン大統
領が立て直し中と考えた方が合理的に見える。説明すると、内政上
の見えない問題がマフィアだ。少数の個人たちが暴力・買収を使用
し、かつ巧み振る舞い国家・国民の財産を独占している。その国家
サイズがユーコスに代表される資源会社であり、地方にあっては密
輸など不正な商売で莫大な利益をあげ暴力・買収などで選挙を操り
地方自治体の長におさまっている地方ボスたちだ。なぜ、このよう
な状態になったかは明らかだ。自由な民主主義が機能するには、
治安の安定が確保され、法律による統治が実行されている状態でな
ければならない。つまり、治安部隊が正常に働いて初めて民主主義
が機能する。ところが、いきなり民主選挙を実行し、新政府は仇敵
とばかりに治安部隊を弱体化させ過ぎてしまった。民主主義にも資
本主義にも馴染んでいないロシアでは、治安部隊が機能しなくなっ
てから行った選挙や国有企業の民営化はマフィアの台頭を許してし
まった。

 この状態を解決する政策が4.、5.と思える。中央政府内のマフィ
ア関係者を追放するのが3.の政策。地方政治からマフィアを閉め出
すのが4.の政策。マフィアに染まらない人材を集める組織が5.の政
策。そして、もう一度国内治安を回復させた後に徐々に自由な民主
主義へ移行させるスケジュールがプーチン大統領の政策ではないだ
ろうか。なぜなら、トヨタ自動車の工場進出に自ら動いたプーチン
大統領が、ロシアを共産主義に戻そうとするなら政策が一致しない。

 今、冷戦に勝利した米国は米国基準の民主主義普及に邁進してい
る。しかし、それは米国基準には程遠い国に対し、いきなり米国基
準を強要しても社会の安定装置(つまり軍隊まで含んだ治安部隊の
正常な機能)のバランスを崩してしまい無理がある。

 プーチン大統領が本年中に来日する。北方領土問題の無条件返還
だけを要求しても何の利益も得ない。中国の台頭に危機感を抱いて
いるの日本以上にロシアだろう。最近、中国の譲歩で領土問題が解
決したロシア・中国間だが、中国の経済力はロシアを完全に凌駕し
ている。ロシア領内には大量の中国人が進出し始めている現状は
将来、今回の領土問題解決を無意味にする中国一流の戦略とロシア
は見ているだろう。強いロシアの再興が目標のプーチン大統領にと
って、ロシアと敵対する事がない現在の日本(自衛隊の主力を北か
ら南に振り返る決定はその証明)との関係改善は、経済復興を図る
上で有効な政策だ。

 そこで資本主義・民主主義を皮膚感覚でロシアに浸透させる上で
も、北方領土の共同統治は推し進めるべきだ。日本社会は資本主義
でありながら最も社会主義に近い部分を持っている。インフラ整備
(ソフト/ハード)を通じ、ロシアとの政治・経済の緊密度を深める
ことは日本の安全保障にどれほど有効かは、世界地図を見れば直に
理解できる。

佐藤 俊二
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トヨタ進出/ロシア特有のリスク踏まえよ   
   
 トヨタ自動車はロシアのサンクトペテルブルク郊外のシュシャリ
産業地区で車両生産工場の起工式を行ったが、これにはロシア側か
らプーチン大統領らが出席した。同地がプーチン大統領の出身地で
あるとはいえ、大統領がこの種の外国民間企業の工場起工式に出席
するのは異例である。
政治的問題はタナ上げ   世界日報掲載許可

 それだけに日本企業に対するロシア政府の期待は大きいだろうが
、日本政府は不当に奪われた北方領土の四島一括返還という基本原
則を崩さず慎重な外交姿勢を貫くべきである。
 同起工式には、日ロ首脳の諮問機関「日ロ賢人会議」の日本側座
長森喜朗前首相ほか、奥田碩(ひろし)トヨタ会長(日本経団連会
長)、ジャン・ルミエール欧州復興開発銀行(EBRD)総裁らも
出席した。

 プーチン大統領は「日ロのビジネス協力には大きな可能性がある
」と語った。一方、森前首相は「これは拡大する日ロ関係を象徴す
る出来事である」と述べた。

 今年四月にトヨタとサンクトペテルブルク市およびロシア政府と
の間で調印された建設合意書によると、約二百二十fの敷地に建設
される工場の初期投資額は百五十億円(全額トヨタが出資)で、後
にEBRDも千五百万j(約十六億二千万円)出資する予定だ。

 初めの二年間の投資額は二億五千万j(約二百七十億円)だが、
将来は合計十億j(約千八十億円)を超える投資が見込まれるとい
う。新工場は二〇〇七年十二月に稼働を開始し、中型車を当初二万
台生産し、一、二年後には五万台に拡大するという。

 奥田会長は「欧州への輸出を視野に入れて将来は年産二十万台を
目指す」と語った。また、工場建設で当初五百人、将来は三千人の
新規雇用を見込んでいるという。

 起工式後、プーチン大統領と森前首相は約二時間会談した。席上
、大統領は自身の訪日時期について、十一月十八、十九の両日、韓
国・釜山で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会
議の前後にしたい意向を初めて明らかにした。

 また、北方領土問題を含む平和条約締結交渉に関して「訪日時に
小泉首相と真剣に話し合いたい」と語った。日本の国連安保理事会
常任理事国入りについては「完全に賛成する」と強調したが、安保
理拡大のための枠組み決議案への対応では「しっかり検討する」と
述べるにとどまった。

 日ロ関係は政治面では、北方領土問題への基本的な取り組みで真
っ向から対立し、双方の歩み寄りは全く見られない。プーチン大統
領の訪日日程が「〇五年初め」「〇五年前半」「年内」と引き延ば
されたのもそのためだ。

 今回のトヨタに続いて、日産自動車、ホンダ、富士重工業なども
ロシアでの工場建設を検討中といわれる。

 最近の欧米や中国の自動車メーカーによるロシア進出ブームを見
ていると、政治的問題はタナ上げにして、日本からの投資受け入れ
だけにロシア側の意図があるのは間違いない。

過去に巨額の追加徴税も
 巨額の追加徴税といった日本企業を含めロシア進出外国企業に対
する租税上の理解しがたい政策が話題となり、米国と繋(つな)が
りの深い大手石油会社ユコスへの弾圧事件も加わって、日本からロ
シアへの企業進出を躊躇(ちゅうちょ)させる材料となった。

 強い需要は見込まれるものの、ロシア特有の長期的なリスク対策
に万全を期したい。
    Kenzo Yamaoka
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利潤なき経済社会5−「近代的競争」とは何か あっしら

■ 「近代経済システム」における競争
競争原理こそが歴史の進歩や経済社会の活力を支えるものであると
主張する論も後を絶たない。

私的所有を基礎とした社会的分業が「近代的市場原理」であるとし
たら、その交換過程を通じて利潤をより多く獲得する仕組みが「近
代的競争原理」である。

「近代的競争原理」に対する“原理的”批判は、利潤が得られない
経済社会では「近代的競争原理」がその機能を果たすことはできな
いという一言になる。
自分(自社)がより多くの利潤を得るということを動機とした競争
である限り、利潤が得られない経済社会において「競争原理」が
有効に機能しないのは自明であろう。

競争原理重視者の主張をこれまでの歴史過程における国民経済発展
の説明として認めるとしても、利潤が得られなくなった経済社会(
歴史段階)になりながら「近代的競争原理」に固執するなら、歴史
の進歩が滞り経済社会の活力が喪失することになるという逆説が成
立する。

そして、「近代的競争原理」が有効なものであるとの主張を続けた
いのなら、それが有効に機能する唯一の条件である“利潤獲得可能
性”が、今後も国民経済の疲弊や沈滞を生じさせないかたちで存続
することを論理的に説明しなければならない。

国際的な“通貨の移転”のみが国民経済すなわち経済主体の“真の
利潤”になり得るものであり、閉じた国民経済内の“通貨の移転”
で生じる利潤は、再投資ないし消費で資本化されない限り、国民経
済を縮小させるという自説を覆さなければならない。

利潤が得られない条件で「近代的競争原理」の貫徹を認めれば、資
本化されない“通貨の移転”がはびこり、国民経済を疲弊させるだ
けである。

進歩史観を否定し経済活力も超歴史的に重視しているわけではない
が、「競争原理」が近代すなわち現代の発展及び国民生活向上の原
動力であると思念する人たちは、無自覚でありながら、経済社会の
活力を劣化させ、国民生活の悪化をさせることに手を貸しているの
である。

歴史の発展や経済社会の活力を善と考える立場なら、「近代的競争
原理」がそのような役割を担えないという現実をこそ認識すべきで
ある。

■ 現代の市場と競争
現代の市場は、経済主体の寡占化のなかで、需要予測が正しかった
かどうかを問う“場”へと変容している。
主体が国家官僚機構ではなく個々の経済主体が抱える“官僚”であ
るという違いはあるが、大半は「計画経営」(計画経済)の可否が
問われていると言っても過言ではないだろう。

固定資本(設備投資)が巨大化した現代における競争原理は、一般
的には極めて緩やかにしか機能しておらず、既存巨大経済主体が成
長商品のシェアを巡って争う携帯電話事業などにしかも期間限定で
激しく行われるだけである。(その結果は、日本でも間もなく現出
すると予測しているが、欧州で顕著に見られる過剰債務問題である)

競争原理は、「労働価値」(=生産性)を上昇させる原動力ではあ
るが、市場原理と同じく、それ自体が利潤を生むわけではない。
生産財や汎用財であれば「労働価値」が相対的に高い経済主体は、
他の経済主体よりも多く通貨移転的利潤を得ることができるだけで
あり、それが国際的なものであれば、国民経済を疲弊させない真の
利潤となる。

「近代的競争原理」は、利潤獲得の勝ち負けを競うものだから、財
や用役の価格を下げる効果はあるとしても歴史的には寡占化を推し
進める働きをし、価格も寡占的レベルで硬直化するようになる。
(利潤獲得競争であれば、できるだけ価格を上げることが最良の手
段である)
そして、厖大な設備投資と全国や世界といった市場を基礎的な条件
として競争するのであれば、設備投資を既に済ませ市場認知力も獲
得している先行経済主体が有利であるのは自明である。
財の品質や機能よりも提供する経済主体に対するイメージやデザイ
ンが購買決定に占める割合が高まった消費財市場も、後発経済主体
の競争条件を苦しいものにしている。

さらに、競争原理のメリットである「労働価値」(=生産性)の上
昇は、必要な活動力の減少を意味するから、需要が期待できる新し
い財や用役の供給が生まれなければ、失業者の増加要因となり、
供給=需要の原理から国民経済は縮小再生産に陥っていく。

「計画経営」は、拡大とは言わないまでも単純再生産が可能な国民
経済状況でなければ通用しない。
「デフレ不況」という縮小再生産を強いる経済状況は、「計画経営
」を危うくする。
それは、生産設備として固定化される資本比率の高度化が、供給量
変更の即応性を妨げているからである。(賃金・給与の下方硬直性
は解消できるとしても、この問題は解消できない)
生産従事者や原材料は調整できるとしても、長期固定資本である生
産設備を調整することは容易ではない。
債務で購入された生産設備であれば、債務の履行のためにはなんと
か一定水準を保って稼働させなければならない。そして、それが不
能になれば、破綻することになる。
また、極めて緩やかとはいえ競争条件にあれば、供給量変更(生産
調整)はシェア減少のきっかけになる可能性がある。(そのために
、企業合同やカルテルによる設備廃棄が志向される)
90年代中盤の半導体メモリの生産調整がどのような末路につなが
ったかを思い返せばわかる。半導体メモリの国際競争力低下は、現
在の「デフレ不況」の一因でもある。

市場原理が前述した内容で有効に機能しているとしても、「デフレ
不況」であれば、多くの経済主体が市場原理に痛みつけられること
になる。
そして、その痛みをもろに受けるのは生身の人間で、さらに言えば
、資本どころか預貯金もさして持たず自己の活動力しか保有してい
ない人々や国家的サポートを受けられない中小企業の経営者である。

率直に言って、人々が知恵を絞り活動力を傾けて生産した生産設備
が過剰になったり、それによって生産される財を欲している人たち
がいるのにそれを生産する人たちが失業したり、これまでそして現
在も経済活動に従事している人たちが自分のリタイア後に不安を抱
いたりしている状況を見ていながら、「市場原理こそが救済の道で
ある」と語る統治者や専門家の精神は、正常な思考力を失っている
か、狂気に犯されているかだと断じざるを得ない。
そのような状況自体、市場原理が生み出したものであり、共産主義
など他の原理や論理が生み出したわけではないのだから...。

百歩譲って、これまでは、景気循環で起きたものであり、解消もさ
れてきたではないかという主張を認めよう。
(そのような主張に対しても、そのような景気循環が起きる経済シ
ステムを善とする判断力を疑わざるを得ないのだが...)

90年のバブル崩壊後の日本を「失われた10年」と呼ぶそうだが
、その間ずっと市場原理を唱え続けてきたのである。
郵政事業を民営化し、道路公団を民営化し、福祉・医療事業への参
入も自由に認め、タクシー事業も自由化し、農業の株式会社経営を
認め、酒屋もたばこ屋も自由に開業できるなど、巷間言われている
民営化と規制緩和を全てやったとしても、「失われた時代」が終わ
るわけではない。

くどくどと説明しなくとも、福祉・医療関連事業を除けば、供給が
不足しているわけではないからの一言で終わる。
(福祉・医療事業は社会政策が絡むものであり、社会政策の国庫負
担を軽減しようとしているなかでは、需要があるとしても、現実の
需要拡大は望めない)

高速道路も、新規路線は採算が合わないと言われているくらいだか
ら、市場原理に従えば、供給不足ではない。料金値下げというアイ
デアもあるそうだが、意地悪く言えば、現状でそれをやっても、デ
フレを悪化させるだけである。
(私は、市場原理主義者ではないから、交通体系や財政との見合い
で必要と思われる高速道路は建設していけばよいと考えているし、
しかるべき条件になれば、通行料を無料にすべきだと思っている)

供給が不足していない財や用役を追加的に供給する新たな経済主体
が現れたら、市場原理によって、どのような経済状況になるかは自
明である。

既に存在する財や用役を新たな供給する経済主体は価格を下げなけ
れば参入ができない、そうであれば、受けて立つ旧来の供給主体も
、シェアを落とさないよう価格競争で対応することになる。
価格が下がって需要量が拡大したとしても、単価×需要量で算出さ
れる需要が、従来の供需要(=供給)を上回らない限り、経済を拡
大させることはない。
新規参入で価格を下げなければならなくなった旧来の供給主体は、
利益もしくは経費を削ることになる。設備的経費は下げにくいから
、人件費が対象となるだろう。
供給が拡散しただけで終わればいいが、売上が分散する結果、需要
が少々拡大しても、借り入れをしている経済主体が破綻することも
ある。そして、それが、さらなる不良債権の増加につながる。
(このような推移は、今後の携帯電話事業を眺めていればわかるこ
とになる)
規制緩和による新規参入が、一時的な供給=需要の増加にはなった
り、金融活動を利するとしても、長期的な供給=需要にはならない
ことや価格下落事象も短期的で終わることは、米国の航空規制緩和
の顛末を見ればわかるはずである。
(新規参入企業の株式をはやされているなかで売却した人は儲け、
購入した人は売り時を逃すと紙切れ同然の株式を保有することにな
る。“直接金融”は特定層が利益を上げられる様々な詐欺的仕掛け
を行いやすいものである)

民営化や株式会社参入による効率化も、需要(財の物理的需要量で
はなく通貨量)が増加しないのであれば、供給の減少によってしか
実現されない。
これまで100人でやってきた仕事を90人でこなすという手法に
なるであろう。(存在意義をはるかに超えた報酬をカットすること
であれば問題ないが、多くの場合、受取人が変わるとしてもそのよ
うなことは行われないものだ)

このようなかたちでの供給削減は、国民経済的に見れば、需要の減
少となる。この需要減少を補うためには、効率化を果たした企業が
利益として得た分を使うか(投資・消費はたまた配当を得た株主や
税収を増やした政府部門が使うことでも可)、国家が効率化の大義
で減らした供給分をその経済主体から吸い上げて使わなければなら
ない。

市場原理だからこそ、民営化や規制緩和といった政策は、「デフレ
不況」を悪化させるだけで、「デフレ不況」を解消することはない
のである。


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