2000.帆船日本丸 元船長が見た世界の経済格差



相互研修会での講和の要約です。    Tより

帆船日本丸の船長N先生の講和
私は、昭和39年に商船大学を卒業したが、卒業時に練習船で米国
のポートランドに行った。1ドル=360円の時代で、かつ45ド
ルしか航海全体で使えなかった。当時米国ではコーヒーが0.5ド
ルで、ケーキが5ドルでした。このため、米国では何もできなかっ
た。米女性学生との懇親会があったが、彼女の週間アルバイト収入
で、日本でも高給取りの看護婦長の1ケ月の給与より多いことが分
かって、愕然とした。

卒業して、原子力船「むつ」の一等航海士になって赴任したが、非
常に豪華な船であったが、一度も航海しなかった。しかし日常、い
つでも航海できるように整備していた。原子力を下ろして、ディー
ゼルエンジンで、現在もミライという船で活躍している。このむつ
に社会党の20名の国会議員が見学に来られたが、いろいろな質問
に答える練習をして身構えていたが、非常に温和で個人的には反対
していないと言われたので、ビックリした。

1989年から3年間、インドネシアに赴任したが、日本大使館の
要員が250名もいた。当時の外交優先順位が米国ー国連ーインド
ネシアの順番で、各省4名程度の駐在員を置き、ODAをインドネ
シアに供与していた。このODAで作ったジャカルタのスカルノ空
港は成田の4倍以上ある。

独立戦争で、残留日本軍人が活躍して対日感情が良かった。そして
石油があるということで、日本の外交優先順位が上がったようだ。
また当時でも、市内を走る自動車は日本車がほとんどであったこと
を覚えている。

このインドネシア駐在時、女中を3人使っていたが、料理女中には
7万ルピア/月、掃除女中には5万ルピア/月を支払っていた。
5万リピアとは日本円で3500円程度。ホテルの英語ができる案
内係でも5万ルピアであり、女中に給与を挙げ過ぎと言われた。
しかし、ここインドネシアでは、イスラム教圏であるために、この
女中たちから感謝されたことがない。

そこが儒教文化と違い、アラーの神に自分の幸福を感謝してしまう
ために、感謝の見返りを期待できない。そして、イスラム教圏では
、絶対にイスラムの悪口を言ってはいけない。何が起こるかわから
ない。郷に入らば、郷に従えでしょうね。

現在、日本は年間2億キロリットルの石油を使っている。スーパー
タンカーの大きさは、50M*20Mで約30万トンで27万トン
の原油を運んでいる。一日に約2隻の船が日本の港に入港している。
このため、中東と日本の間のシーレーンにタンカーが列を成してい
る。これが日本の生命線である。昭和48年当時は一日3隻のタン
カーの入港が必要であった。この3隻が2隻に減っている。これが
京都議定書の意味でしょうね。

地球の1分が60マイル、20ノットで3時間航海すると60マイ
ルというように、マイルとノットは、今でも船での航海では重要で
ある。それは便利であるから。もう1つ、英語ではライン、チャネ
ル、レーン、ゾーンの順で幅が広がる。海上のレーンというのは、
タンカーが通れる広さということになる。このスーパータンカーの
大きさを決めているのが、マラッカ海峡である。このマラッカ海峡
で海賊が出ている。

戦時国際法が船乗りには重要である。海賊船を沈めることは正当行
為である。同様にドレイ船を沈めることも正当行為である。このた
め、船には国旗を掲げて、かつ誰何がその地域の軍艦からあった場
合は、的確に国名を応える必要がある。そうしないと砲撃される。

マラッカ海峡の海賊対策で一番厄介なのは、日本女子学生を乗せて
いたときで、この防護が一番必要、海賊船が近くに来たとき、機関
の奥に隠していた。日本女性は高価で取引されるようだ。この女性
を隠せば、100万円の日本札を挙げておけば、海賊は大人しく金
を受け取って帰る。貨幣価値が著しく違うために、村全体がその金
で一生涯、遊んで暮らせる。

日本の船員の給与と、インドネシア人の船員の給与が15倍違う。
そして、日本人船員が激減している。その訳がある。
昔は、船長がシケにあって、その操縦を指揮していたが、そもそも
そのようなシケに合わなくなっている。それは気象情報提供会社か
らシケの情報を買い、事前に航路を変更する。船はGPSで位置が
分かり、昔のように星で位置を測定する必要もない。このため、操
船の技術がいらなくなっている。このため、外国人船員と船長で十
分という状態にある。

日本の今後であるが、愛国心が必要であるとともに、貴族意識(武
士意識)が必要であると感じる。日本の高級官僚を見ていると、気
高くない。この日本に気高さが必要であると感じる。明治の気骨あ
る日本人が必要になっていると感じる。公としての船長は、会社利
益とは別の価値観を持つことを要求されている。このため、海外で
は、非常に尊敬を持った扱いをされる。気高さも要求される。
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人生の絶頂期?      S子

 「愛媛新聞  2005年5月22日(日曜日) 月動説より

人生の絶頂期を占う  霊媒師・三世相  池上 永一
僕が生まれた1970年5月24日、沖縄はまだアメリカだった。そ
んな暗い時代に生まれた僕の身を案じてか、両親は僕の運命を三世
相(サンジンソウ)に占ってもらった。

沖縄の霊媒師はユタが広く知られているが、三世相も霊的世界とコ
ンタクトを取る職能者である。三世相は前世・現世・来世の三つの
生を読むという意味だ。なぜか占いの金額だけを両親は覚えていた
。二十ドルである。当時、公務員の給料が十五ドルだった時代であ
る。しかし肝心な占いの内容をすっかり忘れてしまったようだ。僕
の耳に残ったのは二十ドルという破格の金額だけだった。

時は移り僕が作家デビューを果たした二十四歳のとき、実家の押入
れから古びた紙が出てきた。三世相に占ってもらった結果である。
そこにはこう書かれていた。「二十四歳文昌貴人の相あり」どんぴ
しゃりだ。僕は興奮して自分の一生を記した紙を読みあさった。
もしかして大作家になると書かれていないだろうか。「その後苦難
の相あり」こんなもん当たるか、と夢多き青年だった僕は怒った。
しかし当たっているのである。直木賞に落ちるわ、日本SF大賞に落
ちるわ、ちっともいいことなんてない。

最近になってまた三世相の書いた紙を開いてみた。そろそろ厄も終
わったかしらん?「三十五歳道未だ暗し」このジジイ生きてたら締
め上げているところだ。僕の人生の絶頂はいつなんだ?「七十八歳
、花開く」こんちきしょう!
そんなわけで今日も匍匐(ほふく)前進の日々である。二十ドル返
せ。(作家)」

今朝の新聞を読んで思わず私は笑ってしまった。人生七十八歳で花
開き、その絶頂期を迎えたところで、何がおもしろかろうかと思う
のは私だけではないだろう。七十八歳と言えばその先に見えるもの
は「死」の一文字だけだ。肉体的にも衰え、気力も若いころのよう
な勢いもなく、生エネルギーも溢れているわけでもない。この作家
がこんちきしょう!と叫んだのも至極納得できる。

しかしである。ものは考えようだ。七十八歳、人生の苦楽を味わい
、若いころには見えなかった「己」も見えている。何ができ何がで
きないか、できることがあるならそのできることを一生懸命自分な
りにやればいい。無理はしない。欲も限られる。「死」に向かって
生きることで「自己」を捨てることができるようになる。こだわり
がなくなる。「自己」へのこだわりをなくし、欲を捨てることで余
計な力が削がれ、自然にまかせてラクに生きられるようになる。
この若い作家には申し訳ないが、「七十八歳、花開く」は案外当た
っているかもしれないのである。 
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日本近代化の成功と武士道   
  
 柔軟にして現実を直視/アジアで運命分けた思考法
国際日本文化研究センター教授 笠谷 和比古
現代世界に文明論的問題提起 (世界日報)掲載許可  ’

 昨年は日米和親条約締結から数えてちょうど百五十年であった。
ペリー来航以降、日本の社会はさまざまな政治的葛藤を経て明治維
新を迎え、明治政府の文明開化政策のもと、欧米文化が導入されて
日本社会は近代化されていったと、多くの人はそのように認識して
いる。日本社会の近代化を、なるべくしてなった当たり前のプロセ
スであるかのように受け止めているようだ。

 しかし果たして、そうであったろうか。日本が幕末開国から明治
維新を迎えようとしていたのと同じ時期、隣国の中国ではアヘン戦
争、ついでアロー号事件(第二次アヘン戦争)によって英仏両国の
軍事攻撃を受け、敗北と領土の割譲を余儀なくされ、半植民地化の
状況が進行していた。ちなみにアジア地域の諸国のうち、インドは
すでに大英帝国の版図に編入されて植民地となり、インドシナも
これより少し後の時期にフランスの植民地とされ、そしてインドネ
シアは古くよりオランダ領という状態であった。

 そのような状況の中で、なにゆえに日本だけが国家としての独立
を堅持し、そして近代化に成功しえたのであろうか。アジアのみな
らず世界を見渡しても、非白人国で十九世紀中に近代化を達成しえ
た国は日本が唯一なのである。そして日本の近代化の問題は、ただ
日本の問題であるだけではなく、もし日本もまた他の諸国と同様に
国家分裂と植民地化の途をたどっていたならば、果たしてアジアに
おいて近代化は生起しえたのだろうかという根本的な疑問を呼び起
こすことによって、現代世界の全体に関わる文明論的問題となって
いるのである。

敵の長所を学び自己改造する

 もちろんこの問題はさまざまな要因の複合によるものではあるけ
れども、その中の重要な因子として、当時の社会における武士たち
の思想と行動があったことを指摘したい。
 武士特有の独立自尊の気概が有効に働いたことは言うまでもない
ことであるが、むしろ興味深いのは、一般的には偏狭な排外主義ナ
ショナリズムと見なされている、日本の尊王攘夷運動の役割につい
てなのである。

 尊攘運動家たちのバイブルとして尊重されたのが、アヘン戦争に
先立つこと二十年の一八二五年に、水戸学の代表的思想家会沢安(
正志斎)によって著わされた『新論』であった。会沢は言う。世界
の五大洲をながめ渡すに、すでにその四大洲までがヨーロッパ勢力
の支配下におかれており、アジアもまた彼らによる侵略の危機を迎
えるのは必至である。かくも「洋夷」が強力なのは何故か。それは
ひとえに万里の波濤を越えて世界をかけめぐる巨艦と、着弾炸裂し
て大ダメージを敵に与える大砲のゆえである。

 このような強力な夷狄(いてき)に対して国家を防衛するにはど
うするか。すみやかに夷狄の「長技」(すぐれた技術)を学習、導
入し、海軍を組織し水兵を訓練して夷狄に備えるべきである、と。
いまわしい夷狄に対して国家の独立を堅持するためには、夷狄の長
所を学習・導入し、それで徹底的に自己改造して夷狄に備えるべき
であるという。
 何という矛盾した、しかし跳躍的な発想であろう!

 ここに武士的思考法の真骨頂がある。たとえ敵であれ夷狄であれ
、その長所は積極的に受け入れて自己改造していくという柔軟にし
て、現実主義的な態度である。日本の武士道には、原理原則もさる
ことながら、現実を直視し、最終的な結果に対して責任を負うとい
う思想と行動が脈々と流れていたのである。

外国文明受容した尊攘運動家

 これは同時代の中国、韓国の欧米列強に対する態度と比較すると
、その違いが際立つ。
 中国、韓国的な思考法では、夷狄は文明の力の前にはいずれ滅び
るものであって、文明国の人間が夷狄に学ぶなどはありうべからざ
ることとする。どこまでも頑なな原則主義の態度である。中国にも
、実はアヘン戦争の敗北後に魏源という人物が現れ、その著『海国
図志』の中で、夷狄の長技を師として夷狄に備えるべきことを説い
た。会沢の議論とまさに軌を一にしている。しかし魏源の議論は孤
立して中国社会の受け入れるところとならず、むしろ同書は日本に
輸入されて一躍ベストセラーとなったのである。

ここに両国がそれからたどることになる運命の差が、歴然と示され
ている。日本の明治維新と、その後の文明開化政策を推進した伊藤
博文、井上馨、木戸孝允たちが、かつて尊攘運動に奔走した人々で
あったのは、故なきことではないのである。彼らの独立自尊の気概
とともに、現実を直視し、外国文明を偏見なく受容しようとした態
度こそ、日本の近代化を達成した根元的な力なのであった。
    Kenzo Yamaoka
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中小企業やベンチャー育成へ−ベトナム   
   
 ハノイ証取オープン ホーチミンに続き2番目
 ベトナムで今春、同国でホーチミン証券取引所に次ぎ二番目となる証券取引所が首都ハ
 ノイにオープンした。ハノイ証取では中規模以下の国営企業の民営化を円滑に進めるこ
 とを主な狙いとしており、ホーチミン証取を東証一部とすればハノイ証取はジャスダッ
 クといった役割分担だ。またベトナム政府が証券市場育成を急いでいるのは、だぶつい
 てきた余剰資金を吸収するマーケットをつくり上げることで、土地投機に一極集中しが
 ちな経済構造の弱点を克服したいという思惑もある。 
(ホーチミン・池永達夫、世界日報) 掲載許可

余剰資金の受け皿づくり、インフレ防止も
 ホーチミン証券取引所付近は、証券会社が集積している  
 当初は昨年秋にハノイ証取の取引を開始する予定だったが、計画倒れに終わった経緯が
 ある。上場申請に意欲を示す企業が数社程度しかなく、証券市場そのものを発進させる
 ことが難しかったからだ。
 それでも何とか今年三月にハノイ証取開設にこぎつけた。ハノイ証取は国営企業の民営
 化促進を主な目的としたものだ。そのため上場基準をホーチミン証取よりも低くした上
 で、中小企業の株式売買を中心とする役割を担っている。また、情報技術(IT)企業
 など優先的に上場させ、ベンチャー企業の育成にも一役買うことが期待されている。

 ただ、社会主義国ベトナムの証券市場は、まだ産声を上げたばかりでマーケットそのも
 のが未成熟だ。

 ベトナムでは二〇〇〇年に南部商業都市ホーチミンに初めて証券取引所がオープンした
 ものの、四年以上経て上場企業数はわずか二十六社にとどまっている。一般投資家の株
 式投資に対する関心もまだまだ低い。また、企業としても資金調達手段として証券取引
 所を活用しようという発想そのものが乏しいのが実情だ。

 元来、ベトナムでの証取発足そのものが、マーケットの自発的なニーズから出てきたも
 のではなく、社会主義経済を資本主義的経済にスムーズにシフトさせるため、国家主導
 で進められた経緯がある。

 ホーチミンの証券会社の社内風景  
 証取をオープンすることで、国内外から経済発展に必要な中長期の資金調達がしやすく
 なるし、国営企業の株式会社化を進める推進力になるほか、企業の経営能力を高め国際
 競争力の強化につながる。

 ベトナム政府はこのほど、株式不正取引防止を目的とした政令を公布した。株式を発行
 する際の虚偽申請は最高で二千万ド  ン(約十四万円)の罰金が科せられるほか、内
 部情報を利用して顧客に不正に株式の売買をさせるインサイダー取引が発覚した場合、
 証券会社は最高七千万ド  ン(約四十九万円)の罰金が科せられる。

 ベトナム政府が証取の健全な発展に躍起となっているのは、国有企業の株式化を果たし
 て経済活性化に拍車を掛けようという国内事情だけではない。ベトナムは二〇〇五年の
 世界貿易機関(WTO)加盟を国家目標に設定しているほか、二〇〇六年には東南アジ
 ア諸国連合(ASEAN)間の主要製品の関税が5%以下になる。企業の競争力強化を
 市場から促す証券市場を活用しきれるかどうか、これからのベトナム経済を占う上で欠
 かせないポイントとなるからだ。

 また投資資金の流入や越僑(海外ベトナム人)の送金額の急増で、資金のだぶつきが高
 インフレ要因となりかねない状況も証券市場育成に拍車を掛ける一因となっている。と
 いうのも余剰資金を吸収する金融マーケットが乏しいことから、旧態依然の投資対象で
 ある不動産投機に一極集中しがちで、これがハノイやホーチミンの土地急騰を招く最大
 要因となっているからだ。ベトナム政府とすれば、こうした余剰資金を吸収できる健全
 な証券市場の育成が差し迫った急務という思いがあるわけだ。

 なお、ベトナムでは外国人投資家は業種を問わず、上場株式は発行済み株式数の30%
 を超えて保有してはならないという規制がある。しかし、すでに多くの銘柄がこの上限
 に達しており、外国人の売買は全体の三割程度を占めるに至っている。この保有規制が
 株式相場停滞の大きな要因となっている側面もあり、市場参加者からは改善要求が出さ
 れている。

 外国人投資家はいったん投資したら資金を一年間は引き揚げることができない規制が掛
 かっており、これが保有規制とともに値動きにブレーキを掛けている大きな要因となっ
 ているからだ。なお外国人投資家の中で目立つのは中国の投資家で日本や韓国の個人投
 資家も参加している。日本人や韓国人向けベトナム証券投資ツアーも開催され、口座の
 開設から取引業務の詳細まで手ほどきする専門家がつく。

 こうした外国人投資家を域内マーケットに引き付け、地域内の取引を活性化させるため、
 ASEANは二〇一〇年までに域内の証券取引ルールを統一、市場を一体化する基本方
 針を打ち出している。二〇二〇年のASEAN経済共同体実現に向けた資本市場統合策
 の一つだ。年内にも域内有力企業百社で構成する新指数「ASEAN一〇〇」を導入し、
 国境を越えた域内取引促進に動きだす。中国の上海や深セン証券取引所が急成長する中
 で、比較的小規模の東南アジア各国の証券市場同士が連携を深め投資しやすいようにす
 る環境整備の一環だ。
    Kenzo Yamaoka
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日本の常任理入りは当然   
   
 ブルキナファソ外務・地域協力相 ウエドラオゴ氏に聞く
 九月の国連総会を前に国連改革は、大きなヤマ場を迎えている。特に、安保理拡大で日
 本、ドイツ、ブラジル、インドに加え、「アフリカ大陸からも常任理事国を出すべきだ」
 との声も高まりをみせている。本紙は、ウィーンを公式訪問中のアフリカ・ブルキナフ
 ァソのユスフ・ウエドラオゴ外務・地域協力相と会見し、国連改革問題について質問し
 た。同相は「アフリカの声を反映するためにもアフリカ大陸から一国を常任理事国入り
 させるべきだ」と主張、日本の常任理事国入りについては「当然だ」と支持を表明した。
(聞き手・ウィーン・小川 敏・世界日報) 掲載許可

アフリカ代表も必要、国連はもっと開発に力を
  
 ――アナン事務総長は先日、国連改革案を提示したが、その核ともなる安保理の拡大に
 ついて、ブルキナファソの立場はどうか。
 国連は今日、改革を実施すべき時を迎えている。現在の国連機構は第二次世界大戦の戦
 勝国により構築されたものであり、軍事的側面が色濃い。世界は、多方面で大きく変化
 し、グロバリゼーションが叫ばれる時代に入った。世界は豊かな国と貧困な国に分割さ
 れ、貧困との戦い、テロやエイズなど地球規模の問題に直面している。国連がそれらの
 難問と取り組むためには抜本的な改革が必要だ。特に、安保理改革は重要となる。改革
 の方向としては常任理事国の拡大がある。例えば、アフリカは常任理事国を有さない地
 域だ。地域代表が常任理事国に入るべきだ。われわれアフリカは拒否権を有する常任理
 事国入りを要求する。新常任理事国には、日本が当然含まれるべきだ。日本は既に世界
 で大きな役割を果たしている。九月の総会では、アナン事務総長の提案を受け、国連改
 革が前進されることを期待している。国連は今後、単に紛争解決だけに集中するのでは
 なく、開発にもっと力を注ぐべきだ。

 ――今回の協議で国連改革は成果を達成できるか。

 決着できれば幸いだ。しかし、最終結論が見送られたとしても、改革案が具体化し、安
 保理の拡大問題でコンセンサスが構築される見通しが立てば、継続審議となっても問題
 ないだろう。

 ――日本の常任理事国入りには中国など隣国から強い反対がある。

 国際社会は世界的に重要な二カ国間が対話を重ねることで歴史的なシコリを克服する努
 力を支持している。ジャカルタで開催されたアジア・アフリカ閣僚会議で、小泉首相は、
 戦時中のアジアへの行為について謝罪したが、それはグット・シグナルだ。隣国同士と
 いうものは時として問題を抱えるものだ。隣国が相互に忌憚(きたん)なく対話してい
 くならば、解決できない問題はないと信じている。

 ――日本外交の焦点の一つはアフリカ支援に向けられている。日本外交をどのように評
 価しているか。

 日本はアフリカ諸国に多くの経済支援をしてくれている。特に、債務免除はアフリカ諸
 国にとってありがたい。日本の支援はアフリカ諸国との協議に基づき、具体的な人道支
 援や技術支援が多いことも特徴だ。その意味で日本のアフリカ外交は高く評価できる。
 ちなみに、わが国と日本との関係は非常に良好だ。私自身、何度も日本を訪問した。両
 国関係が今後とも発展していくことを願っている。

 ――ところで、国連憲章では高尚な理想が記述されているが、国連の現実は国益間の闘
 争の場となっている。国連を活性化させるためには何が課題か。

 世界各地域には、それぞれ独自の紛争解決メカニズム、機構が創設されている。例えば、
 アフリカではアフリカ連合(AU)や西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)があ
 る。国連安保理は地域機構の役割を評価、支援、連帯して問題解決に取り組むべきだ。
 国連だけでは世界のすべての問題を解決できないからだ。その意味で、国連と地域機構
 との密接な連携が課題だ。 
    Kenzo Yamaoka


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