1974.イスタンブール事情2



29日、イスタンブールは朝から雨である。今日は昨日見れなかっ
たトプカプ宮殿を見に10時にホテルを出た。朝、車が多く渋滞で
日本と同じようなことになっている。このため、18YLと昨日よ
り料金が少し高いように思う。

トプカプ宮殿は、朝11時で券の売り場は長い列である。20分並
んでやっと券を買えた。トルコの学生が大量に見に来ている。この
ため、宮殿の中も混んでいる。この宮殿を造ったのは1460年代
オスマン・トルコのメフメット2世である。1856年にドルマバ
フチェ宮殿ができるまで、ここがオスマン朝の中心地であった。

トプカプ宮殿については広いし、ガイドブックで言われているため
にそれ以上にあまり言うべきことはない。特記することは、オスマ
ン・トルコの紋章は12花弁の菊の紋章である。そう日本の天皇家
と同じである。これは英語のガイドも言っていた。それと日本や中
国の陶磁器が多い。好んでスルタンは使っていたようである。
これはオスマン・トルコがシルクロードで大きな儲けを得ていたこ
とも関係しているようだ。

昨日の民族舞踊を見ても、中央アジアと同じ文化であることが分か
る。これはトルコと同じ民族がシルクロードのほとんどの地域にい
るのでそうなるのでしょうね。そして、トルコ人も元は遊牧民族で
ある。

そして、欧州はこのオスマン・トルコの攻撃を再三受けて、ウィー
ンを包囲されるなど欧州の危機が何度もあった。そして、第1次世
界大戦でドイツに着いたことで敗戦国になり、1922年にケマル
がトルコ共和国を成立させるまで続いた。しかし植民地になったこ
とがないために、オスマン・トルコの夥しい財宝がそのまま残って
いる。このため、このトプカプ宮殿はトルコ軍が守っている。とい
うよりボスボラス海峡を監視するのに、この宮殿は非常にいい位置
にあることも関係しているのでしょうかね??

そして、シルクロードの終点であるイスタンブールは、地政学的に
も非常に重要な地点である。ソ連の黒海にいる戦艦は、このイスタ
ンブールのボスボラス海峡を通らないと、地中海に出られない。
このボスボラス海峡を越えた地中海のキプロスに英国が持つ海外基
地として最大の海軍基地がある。冷戦時には、英国はソ連に対して
睨みを効かしていた。

このため、ソ連は西洋との戦争になった時には直ぐにイスタンブー
ルを占領することになったのでしょうね。このため、首都にするに
は危ないので、トルコの地理的に中心にあるアンカラに首都を移し
たのでしょうね。

このため、第2次大戦後ソ連との冷戦になり、トルコ自体が重要な
地政学的に重要な地点になったことで、トルコはNATOにも加入
しているし、ドイツが同盟国ということでトルコ人の移民を受け入
れたのですが、冷戦後トルコの地政学的な地位は欧州からすると大
きく落ちたが、中東の石油を狙う米国は引き続き重要な地点になっ
ている。

トルコに米軍の基地がある。しかし、この基地をイラク侵攻時使え
なかったために、米国とトルコは危機的な状態になったが、米国が
折れている。基盤にあるのが、トルコ人からも米国は嫌われている
ことである。

トルコは普通選挙をする民主主義である。イスラム教ではあるが、
女性がはだか同然で踊るベルーダンスや水を入れると白く濁るラク
という酒などがあり、純粋なイスラム教国家ではない。女性の多く
が顔を出している。スカーフをしている女性が多いが、中東では、
一番宗教的ではない。このため、米国もトルコと同じような国家に
イラクなどをしようとしている。勿論、親米の民主主義国家にして
、石油を支配しようとしている。

トプカプ宮殿を見た後、アヤソフィアを見たが、ビザンチン帝国の
建物で360年に完成している。ミラノのドーモに比べても巨大で
ある。大きなドームは圧巻である。エジプトのピラミッドと比べて
も雄大であると英語のガイドは言っている。このアヤソフィアはキ
リスト正教の本部であった建物でもある。

ビザンチン帝国は、政教が一致した国家であり、皇帝が正教トップ
でもあるから、皇帝の権力を表していることでもある。国力を掛け
て作ったのでしょうね。これほどの高さができるのは、天井部分に
軽い石を使っているためでもある。

ブルーモスクと見えるスルタンアフメット・ジャミーも凄い建物で
ある。このブルーモスクとアヤソフィアが前後に見える真ん中にあ
る公園で少し休んだ。もちろん、ブルーモスクも見たが、アヤソフ
ィアを見ると、ここのドームも凄いが、レベル的にはアヤソフィア
に比べて低い。それと、現役のモスクであるために、礼拝中は入れ
ない。

グランドバザールにも入ったが、迷路のような通路であり、迷子に
なりそうである。そして、アジア的である。売っている物は絨毯が
多い。

今日は街中を歩いたが、いろいろな所で日本人、韓国人、タイ人か
と会話が周辺で聞こえる。私が何人かわからないようである。それ
だけ日本人が珍しいのでしょうね。今日1日歩いてみても、会った
日本人は3人であった。しかし、絨毯の呼び込み屋は日本語で話し
かけてくる。昔は日本人がカモであったことがあるのでしょうね。

韓国語では話かけられない。近々、韓国人や中国人が増えてきたの
でしょうね。このため、呼び込み屋さんはこの2ケ国語の勉強をし
ていないのだと思う。もしかすると、連休中はこの地も日本人が溢
れるのかもしれないが、今日のイスタンブールには日本人がいない。

とうとう今回の出張が終わった。ホテルのロビーにいるが、ハープ
シコード演奏が心地よい。明日の飛行機で日本に戻る。

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