1973.イスラエル出国とイスタンブール事情1



イスラエルからイスタンブールへ移動したが、イスラエルの出国は
非常に厳しい。日系ギリシャ人と一緒であるが、すぐに彼だけ警備
員から質問をされ、かつ彼だけはいつも別の調査をされる。日本人
的な顔をしていないため、警備員は疑うのでしょうね。しかし、彼
は、何遍もこのイスラエルに来ている。

それとイスラエルで何をしたかを、非常に厳しい質問でメンバーの
別々にしてくる。このため、IAIから我々がどのようなことをし
たかを書いた書類を事前に貰っていたのにである。事前に全員の答
え方を決めておくことが必要である。

私は、旅行用の大きなカート付きのバックが検査で引っかかって、
別の検査場で質問された。この検査場ではカバンを開けられていた
が、私は質問だけであった。イスラエルに行く時には金属製の大き
なカバンはダメであることを知った。内容が見えなかったようだ。
このため、別に調査されることになる。

イスラエルの出国が厳しいのは何遍も飛行機をハイジャックされ、
かつ飛行機を爆破されるという経験がそうさせているのであろう。

今回、優先的な待遇での扱いでもこのような状態であるから、普通
の旅行客はどうなるのであろう。このようにイスラエルへの単なる
観光旅行を日本からでも難しいようである。その理由がこのイスラ
エルからの出国だと思う。

テルアビブからイスタンブールまで、飛行機で1時間半程度である。
イスタンブールではエアポートの近くのホテルに止まったが、この
ホテルも警備を厳重にしている。車に爆弾を積みこまれたいないか
のチェックをこのホテルの相当離れた入り口で警備員が行っている。

中東にある米系ホテルや施設はイスラム・テロリストに狙われてい
ることで仕方がないのであろうが、イスラエルを出れば、警備は無
くなると思っていたが、違うようである。特に米系ホテルは気を使
う必要があるようだ。

どうもイスラム国家は勿論、イスラエルも含む中東で米国の評判は
良くない。このため、米国人もあまり見かけない。イスラエルの国
民の行動は米国が好きではないために欧州人と同じような行動をす
る。米国はこの地域を米国人にあまり行かない方がいいと言ってい
るのであろうか。

インドネシアの津波でもあまり米国人は死ななかった。このように
米国人より欧州、特にフランス人やドイツ人、スウェーデン人など
が死んでいた。それにしても、アジアでも中東でも米国人を見かけ
ない。このようにだんだん、米国の影響がなくなっているように感
じる。

ここトルコでもフランス、ドイツなどの欧州の人か中央アジアやモ
ンゴルなどからの人である。米国人を見かけない。観光では来ない
のでしょうね。欧州人は欧州より物価が安いため、観光に来るので
しょうね。しかし、アジアより随分物価が高いように感じる。

そして、以外なのはイスラエル人の観光客が多く居ることである。
このため、小さな商店ではユーロが通用するがドルは通用しない。
タクシーに乗って、トルコ通貨がなくなったのでドルで払いたいと
言ったら、円で欲しいと言われたのはビックリである。

街の雰囲気はテルアビブとは大きく違う。カリフォルニアのような
先進国から中国のような中進国に来たと感じる。海岸沿いのメイン
ルート以外の道は狭いし、家が立て込んでいる。人が混み合い、車
も混雑している。その意味ではアジアに来たことを感じる。
それとイスラエルでは英語はタクシー運転手でも通用するが、トル
コでは英語は街中では通用しない。これも違う。イスラエルは中東
にあるが欧州である。ジュウダン売りの客引きが多い。日本語も使
ってくる。これには気をつけたほうがいい。

夕方、イスタンブールの中心地であるトプカプ宮殿に行ったが、す
でにオープン時間を過ぎていた。ブルーモスクしか見れなったが、
内部は非常に広い構造になっている。装飾もイスラム的なもので、
荘厳な感じである。この後、ベリーダンスを見た。多くの国から来
ていたが、集団で来ていたのが韓国の観光客であった。韓国の観光
客は集団であるので、どこでも目立つ。それと、トプカプ宮殿では
中国人の女性が数人で話していたが、ほとんど日本人を見かけない
。どうしたことであろうか??ベリーダンスの店でも我々2人しか
いなかったようである。

日本人の旅行者はどうしたのであろうか??昔、日本人は集団で行
動していたが、そのような集団行動をしないために、分からなくな
っているのと、トルコのような中進国ビジネスに韓国と中国が進出
して、日本のビジネス規模が小さくなっているので、日本人を見か
けなくなったのであろうか??トヨタの店は見たが、日本企業の看
板をあまり見ない。

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