1964.「人間の本質と歴史の行方」



「人間の本質と歴史の行方」

今後の歴史は何処へ向かうのか。
歴史を動かす主体である人間の性質から演繹し、考察してみたい。

◆ 人間の本質
人間を動かすのは、欲望である。
また、筆者は、人間の心には発展原理と調和原理が内在し、それが人間存在の中核で
あると考える。
その観点から、次の各説は概ね的を得たものと考えられる。
以降、これらを基に考察を進める。

◇人間は、優越願望と対等願望を持ち、他人からの承認を求める。(G.W.F.ヘー
ゲル/F.フクヤマ)
人間は、自分が他人より優れていると他人から認められたい、そのためには命を掛け
ても惜しくないという願望を持つ。
一方、人間は他人と対等であると認められたいという願望も持つ。

◇人間の欲望は、段階的である。(A.H.マズロー)
人間の欲求はピラミッドのようになっていて、欲求は底辺から始まり、1段階目の欲
求が満たされると、1つ上の欲求を目指す。その内容は、次のようなものである。

1.生理的欲求:生理的体系としての自己を維持しようとする欲求
2.安全・安定性欲求:安全な状況を希求したり、不確実な状況を回避する欲求
3.所属・愛情欲求:集団への所属を希求したり、友情や愛情を希求する欲求
4.尊敬欲求:他人からの尊敬や責任ある地位の希求や、自律に対する欲求
5.自己実現欲求:自己の成長や発展の機会の希求や、独自能力の利用の欲求
6.共同体発展欲求:地域社会や国家、地球全体等、所属共同体の発展を望む欲求

なお、マズローの言う欲求の段階説は個々の人間の成長過程について述べられたもの
だが、筆者はこれらは鳥瞰的に見た人類の歴史の発展過程にもある程度当てはまると
見る。
もちろん、歴史は人間の集団が織り成すものであり、社会の内部は複雑に分かれてお
り、各欲求は各層に分有され、かつ混在する。
また、全体で見ても各欲求は前の時代に先祖帰りする事も頻繁で、個々の人間の成長
過程と重ねるのはかなりの無理な部分もある。

これらの事を踏まえながら、以下に先ず原始から現代に到るまでの人類の歴史を考察
する。

◆ 産業と国家の変遷
狩猟採集社会の段階においては、国家は必要とされず集落の中での役割分担があるだ
けであった。
その社会では、前掲したマズローのいう各段階の欲求はそれぞれに起こりある程度満
たされたが、主なものは「1.生理的欲求」であった。
「2.安全・安定性欲求」は収穫が不安定と意味で、「3.所属・愛情欲求」は共同
体が小規模で限られているという意味で、「4.尊敬欲求」は平等原理が強いと言う
意味で、「5.自己実現欲求」は多様性に乏しいと言う意味で、「6.共同体発展欲
求」は生産に縛られ限定的であるという意味で、中核的なものではなかった。

次の農耕社会の段階で、国家が初めて必要とされるようになる。
即ち軍隊を含む官僚機構を持った政府、領土、国民が、農地の保全、農耕の継続、灌
漑等の土木施設の構築・維持管理、それらの費用を賄うための徴税のために必要とさ
れた。
その社会では収穫の安定と政府の出現により、「2.安全・安定性欲求」が主に満た
されるようになった。

更に工業化社会の段階で、社会の中に高度の技術力、管理能力、言語等の統一性が必
要となる。西ヨーロッパでは、強大な権力を持つ中央政府を頂き、確固たる国境、ア
イデンティティを持った国民を有する近代国家が出現する。
この近代国家が市民革命を経て、ネーション(民族)を基本的単位にしたネーション・
ステート(国民国家)に再編成される。
その社会では、国民としてのアイデンティティにより、主に「3.所属・愛情欲求」
の範囲が拡大した。

◆民主化と自由経済
西ヨーロッパでは、近代国家が市民革命を経て国民国家になる過程で、政治体制は絶
対王制から民主制へ移行した。
また、経済活動は、封建的拘束から解放され自由経済へ向かって行った。
なお、西ヨーロッパ諸国は、帝国主義としてアジア、アフリカなどの非ヨーロッパ世
界に対して植民地化を進めた。
これに対する防衛から日本を代表とする諸国は防衛的な近代化に向かい、上からの急
速な近代国家の形成が図られた。
一旦、植民地化された諸国では、主に第2次世界大戦後の独立戦争により、近代化に
向かった。

急激な自由経済・資本主義による経済格差に伴う失業や貧困等の社会問題が発生し、
これらを解決するものとして、資本主義に対抗する形でマルクスとエンゲルスによっ
て共産主義思想が体系化された。
20世紀初頭にロシアに共産主義革命が起こり、第2次世界大戦後には東ヨーロッ
パ、アジア、アフリカ諸国に社会主義体制が広まった。

資本主義陣営は、福祉政策に社会主義的要素を取り入れる事により、自国に社会主義
政権が生まれる事を防ぎ、開発途上国に経済的・軍事的援助をする事により、社会主
義陣営が広がる事を防いだ。

政治体制においては、民主主義は人々にヘーゲル=フクヤマの言う「対等願望」を満
たすものであった。
経済体制においては、自由経済は人々に「優越願望」を満たす機会を与え、共産主義
・社会主義は人々に「対等願望」を満たす事を目指すものであった。

1990年代に、経済的・軍事的に西側陣営が圧倒的な優位を実現させて勝利し、共
産主義が敗北した事により、冷戦は終了した。
この原因は、根源的には、民主主義と自由経済体制が共産主義・社会主義よりもシス
テムとして優れていた事を意味する。
また、発展原理・競争原理を社会に内在させていた陣営が、社会に調和原理・平等原
理のみを内包していた陣営より生存に適していたと言える。

東西ドイツは統一され、米国は軍事力で一人勝ちとなり、東西対立の終了によって今
まで押さえられてきた米国とイスラムの対立が表舞台に浮上し、湾岸戦争、9・11
米国同時多発テロ、イラク戦争が起きた。
産業では、より高次の欲求を満たすべく、サービス産業、情報産業の比率が一層進ん
だ。
ロシア、東欧、中国等が市場経済を導入し、インド、ブラジル、アジア諸国を含め、
今日その経済成長は著しい。
経済統合と政治統合を進めるEUの台頭により、ユーロは現実的なレベルでドル基軸
通貨体制を脅かすまでになった。

◆ 歴史の行方
最後に、今後の歴史の方向性を、冒頭に掲げここまでの歴史の考察に用いた人間の本
質の観点から予想して見たい。

◇世界で民主化は進むが、ロシア、中国等は開発独裁により経済発展を優先する。
人間の持つ自然の性である「対等願望」「所属・愛情欲求」により、民主化要求はど
の国民間にも必ず噴出する。
しかし、同時に生活レベルを先進国並に引き上げたいという「対等願望」が満たされ
るまでは、ロシア、中国等の非経済先進国政府は、民主制を犠牲にして開発独裁的体
制を続けようとし、国民もある程度はそれを甘受する。

◇先進国では、国内に「優越願望」「対等願望」両立させる国が持続的に繁栄する。
「優越願望」「対等願望」は人間の根源的な願望である以上、この両者を満たさなけ
れば社会の持続的な繁栄は無い。
経済の更なる自由化等により「優越願望」の機会を増やすと同時に、「対等願望」
「安全・安定性欲求」を満たす社会保障等のナショナルミニマムを両立するシステム
を適切かつ構造的に組み上げる国が持続的に繁栄する。
言い換えれば、社会を存立せしめる競争原理と調和原理を同時実現させる国が繁栄す
る。

◇経済での国際競争が激しくなる。また米国等の戦略的な大国は軍事力に頼る。
経済・通商の自由化により、優勝劣敗による生存を掛けた「生理的欲求」「安全・安
定性欲求」、他国と同等の生活レベルを求める「対等願望」、他国より豊かで優れて
いると認められたいという「優越願望」や「尊敬欲求」により、各国間の経済での国
際競争は当然に激しくなる。

また同時に、軍事力において他国に勝る米国・ロシア・中国等の大国意識が強い戦略
的国家には、上記の経済での競争の基礎条件を高めるため、軍事的圧力または軍事力
の行使により資源の確保、自国に有利な通貨体制や貿易圏の維持・実現・拡大を図る
誘惑が強く働く。
即ち、勝てる戦争をする能力があり、勝てる情況が生まれ、例えば民主化の錦の御旗
により国際的非難による倫理的な「尊敬欲求」の毀損も致命的でない程度に押さえら
れるなら、軍事力で優位な戦略的大国はその行使を選択肢に入れる可能性が高い。

◇世界は多極化する。新たなる秩序が必要である。
経済での国際競争が激しくなると、米国が経済面で普通の国になり、即ち相対的に衰
退する事は避けられない。
米国は軍事力の中東等での行使や軍事力を背景にした米国スタンダードルールの押し
付けによりこれに歯止めを掛ける事を図る可能性が高いが、経費面・テロ等の安全保
障面で持続的なシステムとは成り難く、冷戦後続いた米国の一極支配に代って世界は
次第に多極化して行くと見るのが自然である。
筆者は、15年ないし25年の間に米国のヘゲモニーは大きく損なわれていると見
る。

多極化後の世界は、通貨体制・核を含む軍事バランス・安全保障体制等について、新
秩序を必要とする。

各国間の国益についての調整は一層難しくなり、民族・宗教間の対立は激しさを増
し、人間の本質に由来する諸々の願望と欲求が交錯し、新秩序の構築までには曲折が
予想され、場合によれば大量の流血を伴う可能性も高い。
多極化後、新秩序が国家を超えた共同体発展のインフラとして形を得るまで、これら
は産みの苦しみとして不可避であり、世界にとっては諸問題に対しての統合的・思想
的な整理位置付けと地球規模の大義に報いる志が不可欠となると思われる。

                                   以上
佐藤 鴻全
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自由人権を生んだ「上昇する力」   
   
 究極の目的は霊的存在への向上/人はどこから来てどこへ行くのか
外交評論家 井上 茂信
偶然で説明つかぬ宇宙と生命  (世界日報)掲載許可

 「我々はどこから来てどこへ行くのか」――残虐な青少年犯罪に象徴される現代社会の
 混乱の原因の一つは、人間存在の根本的な意味合いを問うこのような問題を考えること
 が少なくなったためではないだろうか。生きる目的が分からないのだ。一九〇三年(明
 治三十六年)五月二十三日、「萬有の眞相は唯一言にして悉(つく)す、曰く『不可解』
 」との「巌頭の感」を残して一高生・藤村操が華厳の滝へ投身した。あれから幾星霜を
 経て、戦時中の若者たちもかさにかかった軍人たちの怒号の中で「宇宙とは何か」「人
 は何のために生きるのか」と考えた。

 だが、その後の学問の発達により、これらの疑問を解く多くの貴重な手掛かりが与えら
 れた。とくに重要なのは、長い間理性と科学の権化のように考えられていた唯物論が、
 天文学、物理学、量子力学などの発達により科学的根拠を失いつつあることだ。宇宙の
 誕生や生命の上昇傾向を偶然と考えることが無理となったのだ。

 現代物理学によると、何十億もの惑星、太陽、銀河そして人体を構成するあらゆる物質
 はピンの先の何十億分の一という想像を絶する小宇宙のなかに凝縮されていた。時間は
 ゼロであり、空間もなかった。それがある時ビッグバンと呼ばれる大爆発で短時間で現
 在の宇宙が誕生し、ついに人間が生まれた。宇宙の年齢を百五十億年とすると、人間が
 地上に姿を現したのは僅か数百年前だ。全宇宙史を一年に圧縮して考えると人類史はせ
 いぜい三時間にしかならない。唯物論では宇宙は偶然に発生した機械仕掛けの単なる物
 質であり、盲目の自然力が働いているに過ぎないと考える。しかし、これでは生きるこ
 と自体も無意味だ。近代科学の計算によると、生命が偶然に発生する確率は印刷工場の
 爆発で大英百科事典ができる確率以上にあり得ないという。それに生命誕生の大前提は
 生命が存続し得るような厳密な調和の存在だ。宇宙の膨張速度やその密度、重力や太陽
 と地球の諸関係などのさまざまな物理定数が、その一つでも、その起源でほんの僅かで
 も違っていたら、宇宙に生命や知性を持ったものが存在し得るいかなる確率もあり得な
 かった。

 そこで、生命や意識を生み出すように目も眩むばかりの正確さで、宇宙の原初の諸条件
 は予め緻密に計算され、調整されていたと考えざるを得ない。

宇宙の根源に「創造主」との説

 いま一つ唯物論で説明できないのは生命の上昇傾向だ。宇宙万物は進化し続けている。
 とくに人間は鉱物、植物、動物など過去の進化レベルを肉体的に内包しながら、本能に
 支配されたままの他の動物にはない理性と自由性を持ったレベルへと上昇した。ヒトと
 チンパンジーとでは遺伝子全体の違いは2%にも満たない。しかし、ヒトはモーツァル
 トの音楽に絶対的な神の調和と美の世界を感じることができる。さらに霊的レベルに達
 したものは、人間を超えたものの存在を直観し、宇宙を貫く真理の覚醒に至ることもで
 きる。この「引き上げる力」はどこからきたのか。そこで究極的な問題は、当初の無の
 世界に存在した初めも終わりもない無限のエネルギーは何なのか、そして誰が何のため
 にビッグバンを起こしたかだ。フランスの哲学者ジャン・ギトンは大爆発を起こした無
 限のエネルギーを「創造者」としており、「途方もないある一瞬、創造者は自らの存在
 を映す鏡を作ろうと決意した」と述べている。そして宇宙の根底に一つの知性(創造主)
 があるため、生命は物質に最も近い形態の生物、たとえば微生物から知性と霊性をもつ
 人間といった高等なものへと引き上げられていったという。

 宇宙創造と進化の目的が、人間を通じての創造主の自己認識だとすれば、人間存在の究
 極的な目的は、創造主が定めた「上昇方向」に沿って、自己を高め精神的、霊的成長へ
 とひたすら向かうことだといえよう。

 考えてみると人類は政治的にもこの「引き上げる力」によって上昇傾向を辿ってきた。
 原始の人類は他の動物と同じように自己の生命維持や種族の生存のために盲目的に他の
 種族との闘争に明け暮れてきた。その後の文明の発達とともに、世界史は圧制からの人
 間解放の歴史へと移っていった。「歴史の終わり」を書いた米国の歴史学者フランシス
 ・フクヤマは「自由と民主主義」を人類の思想上の終着点だと分析した。終着点かどう
 かについては異論もあるが、そこへの進化の過程で、二十一世紀に入ってから人類は絶
 対専制主義や共産主義、ファシズムを経てイデオロギーは進化し、西側の自由民主主義
 が普遍化してきた。自由と人権が人類の「上昇方向」だ。

自由は人間尊厳の最大の根拠

 人類にとっての「自由」の重みはそれが人間の尊厳の最大の根拠であることだ。アリや
 ハチは「類的存在」に終始し、精神的自由も霊性もない。人間のみに善悪がありうるの
 は、人間には選択の自由があるからだ。その自由には『神の高みに至る自由』と『悪魔
 の深淵に落ちる自由』があり、その選択で人間のみに創造主から責任分担が与えられて
 いる。自由こそは、人間をして人間たらしめ、宗教と道徳の問題そして神と人間とを関
 わらせる根源である。ロシアの思想家ベルジャーエフは「人間精神の自由を否定し、強
 制的に善であるような世界は無神の世界だ」とまで言い切っている。

 ソ連を崩壊させたレーガン米大統領はフクヤマ氏の「進歩史観」に共鳴し、自由の前進
 こそ人類史の流れだと指摘した。最高のテロ対策は自由の世界的拡大により、テロに優
 る思想の存在を人々に知らせることだという「自由ドクトリン」を打ち出したブッシュ
 大統領は「自由は人間の本性である」という旧ソ連の反体制運動家シャランスキー氏か
 ら強い影響を受けた。同大統領が世界における圧政の終結を究極的な目標としている背
 景には、創造主は人類に「上昇傾向」を与えたという深い宗教信念があると忘れてはな
 らない。
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「眠り学」のすすめ   
   
 「夜型化」で増える睡眠障害
根本 和雄= 
成長や記憶に影響 

 “春眠暁を覚えず”とは、孟浩然(六八九―七四〇)の『春暁』と題する五言絶句の一
 節で、古来よく知られています。確かに、春の朝の快い眠りは、ついうっかりして夜の
 明けたのにも気づかないでいることがあります。しかし、現代社会は、生活リズムが
 「夜型化」し不眠症で悩む人が増えつつあるのではないでしょうか。 

 例えば、「全国総合病院における睡眠障害の実態調査」によれば、総合病院を受診する
 五人に一人が長期の不眠で悩んでいることが明らかになっています(一九九六年・研究
 報告)。また、最近の調査では、「不眠で困っている人」の割合は21・4%と報告さ
 れています。(厚生労働省・「睡眠指針検討会」)

 厚生労働省は平成十二年からの「健康日本21」のなかで、睡眠不足を感じている人の
 割合を減らすことを目標に挙げています。

 睡眠時間は個人によって違い、年齢によっても異なります。古くより“寝る子は育つ”
 といわれていますが、子どもの睡眠時間の長いのは、睡眠が成長と関係し、深い眠りに
 秘められた成長ホルモンが放出されるからです。生後六カ月で一日十二時間は眠ってい
 ます。

 また、この「眠り」という生理現象が記憶や学習効果に対し、非常に重要な役割を果た
 していることも確かです。最近の大脳生理学の研究によると、記憶力と睡眠とは密接な
 関連があり、脳の記憶の倉庫の扉は睡眠中に開くというのです。起きている時に、感動
 したこと、興味深かったこと、熱中したこと、繰り返し学習したことなどが記憶として
 倉庫に蓄えられるのです。

 従って、能率よく効果的に活動するには十分な睡眠(七〜八時間位)が大切であります。
 厚生労働省の調査によると、中学・高校生の約三割が不眠や睡眠障害を訴えていること
 が明らかになっています。

 不眠や睡眠障害の要因は、実にさまざまでありますが、偏食などの食生活の乱れが、便
 秘や不眠の原因になることも少なくないので「食」の在り方を見直すことも大切なこと
 です。それには、朝食をしっかりと食べることが「快眠」につながります。即ち、規則
 正しく楽しい食生活のリズムが「睡眠のリズム」を自然に整えることになるのです。

ストレス解消必要

 次に「ストレス」を上手に解消することも「安眠」になります。ベルグソン(フランス
 の哲学者)は、“眠ること、それは無関心になることだ”と語っていますが、それには、
 煩雑な世事を厭(いと)わないで、上手に乗り越えることが必要ではないでしょうか。

 ストレスは、脳細胞を疲労させます。従って、ストレスが続くと睡眠要求が高まり、い
 くら眠っても寝足りないと寝不足を感じます。

 さらに、適度な疲労は「熟眠」になります。

 “疲労は最善の枕である”と述べたのは、アメリカのベンジャミン・フランクリンです。

 例えば、ウオーキングの睡眠効果。歩くことは単純作業ですから、歩けば脳細胞は反応
 を停止し、それによってイライラ状態も解消し、脳はリラックスして熟眠状態になりま
 す。

 さて、最後に「眠り学」のすすめとして特に大事なことを要約してみましょう。

 まず、力(りき)まないで自然にまかせることです。眠ろうと焦せると逆に眠れなくな
 ります。ストレスも、「本来の自分ではない何者かになろうとするところから、ストレ
 スが生ずる」と、H・セリエは述べています。

 東洋の知恵として、「知足安分」という言葉があります。“分に安んじて、足るを知る
 ”ということ、解り易く言うと、無理をしないで“あるがままに生きる”ということで
 す。ストレス社会の昨今、「快眠」・「安眠」・「熟眠」を心掛け実行したいものです。

 医学の父・ヒポクラテスはこう語っています。“眠れない病気は致命的であるが、十分
 眠れるものは回復が可能である”と。

(メンタルヘルス・カウンセラー)世界日報 掲載許可
    Kenzo Yamaoka


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