1958.読者の声



初めまして。僕は現在、イタリアのローマに住む高校3年生です。
海外に住み、外国人の友人と国際情勢を論じる中で、「国際戦略コ
ラム」は、非常に参考になる教科書で、メルマガを読むのを楽しみ
にしています。

 さて、先日、新たに中学校で採用される社会科の教科書の問題に
関する記事を新聞で読みました。太平洋戦争中に旧日本軍が中国人
、そして韓国人に対して行った残虐非道な行為は、確かに我々日本
人が忘れてはならない大切な日本史の一部だと思います。

 しかし、中韓で燃え上がる反日感情の高まりに関して、日本人と
して彼らに対し強い憤りを感じると共に、何ら具体的な対応策を示
すことの出来ない日本政府を、大変情けないと思います。確かに、
大使館に石を投げられたからミサイルで報復するという感情論は捨
てなければなりませんが、ただ単純に問題をうやむやにし、見過ご
すのではなく、断固たる反発の姿勢を、激しい怒りと共にぶつける
のも、本当は必要な行動なのではないでしょうか。

 僕が通うインターナショナル・スクールでは、日本人は「成績は
優秀だし勤勉だが、感情を表に出さない羊のような存在」として認
識されています。確かに、感情を押し殺し、他との共存を最優先す
る日本の文化は、極めて紳士的であり、敬意を払うべきだと思いま
すが、その日本人的な道徳観は、グローバリゼーションが加速し、
地域文化の尊重より生存を懸けた競争が激化する今日の世界に於い
て、日本の戦闘力を奪う足枷にもなっている気がします。

 今日、ここローマのサン・ピエトロ寺院では、ローマ法王ヨハネ
・パウロ二世の葬儀が執り行われました。彼は四半世紀以上に及ぶ
在位期間中、「世界平和」を説いて約130ヶ国を飛び回り、今日
の葬儀には米国のブッシュ大統領を始め世界各国から多くの国家元
首が参列しました。

 しかし、僕はどうしても、この状況に大いなる矛盾を禁じて止み
ません。あのブッシュこそ、法王の唱える「世界平和」を政治的・
経済的な利益のために破壊する張本人ではないですか。世界各国の
元首が一同に顔を揃え、声高に「世界平和」を叫んでも、所詮この
世の中は「競争」に於いて如何に勝ち抜くか、という問題一つに収
束するのではないでしょうか。

 その際、我々日本人は旧来からの伝統的な価値観を捨て去り、米
国的な「勝利」を最優先する戦略に文化を転換する必要があると思
います。ならば、歴史教科書問題に話を戻しますが、「バランスの
取れた視点」よりもむしろ、「日本人としての誇りを鼓舞し、日本
を敵対視する中韓を敵と捉える思想」を持つことの方が、余程将来
の「競争」に勝つ人材を誕生させられるのではないでしょうか。

 以上、結論は多少右翼的な意味を持ってしまいましたが、三年間
海外で暮らし、日本を外から見る経験をした僕の個人的な意見を書
かせていただきました。ありがとうございました。
Norihix
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公共の電波について熱弁をする人の実体
ななです。

人権擁護法なるとんでも法が国会で審議されるかいなかをめぐって各分野で攻
防が起こっています。
この法事態論外ではありますが、国籍条項を棚上げにして議論に入ろうという
動きまであります。
以下は、参考までに「公共の電波」を保守することに情熱を燃やす田原氏?の
番組で起こった出来事です。

「政治家の圧力なんてなんのその」などと見得を切る御仁のあわれな姿。
もし、人権擁護法があればこの面々は調査委員会で聴取を受けることになるの
でしょうね。
わが国の閉塞感の一因を作っている薄気味の悪い集団には死んだふりをしてみ
せる。
これが「公共の電波」についてご高説?を吠えてるマスゴミの姿であります。
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日本人の課題          田口まこと 

 割礼を要求するヤハウェイは悪魔の可能性。
そう解釈することに無理があるか?検証中。

解明企画「なぞとき工房」・・検証の結果レポート
http://www3.to/nazotoki 

日本人の課題と生きる意味を探る大切な真理探究室

ポイント 

聖書中の血の犠牲を要求する主の正体は悪魔かも・・・
イスラエルはヤハウェイの魔神に騙された悪魔民族かも
なぜなら紛争と略奪の国、嘘の祝福 激怒殺戮命令‥ 
悪魔ヤハウェイが神を偽って神のように現れたものか・・ 
割礼儀式には実はイエスを危険にさらそうとする悪魔
の意図が隠されていた。殺意を持つ民族の訓練をする
用意周到計画で選ばれた。こんな危ない信仰は捨てるべき
かも。イスラエル民族よ、ヤハウェイの魔神に騙されて実践
してきた悪魔の民族よ!そろそろこの仕組みにめざめてもいい
頃。自分たちが、神ではなく悪魔の選民だったということに・・

「なぞとき工房」からのご案内
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【内容】日本人の課題と生きる意味を探る大切な真理探究室
神の民の日本人がまず真っ先に知っておくべき最重要課題
【一言】昔話に込められた日本民族への警告と裁きの予言
イスラエルの見失った宝が日本より現れる必然の仕組を解明
封印歴史のなぞを解明、絵を見てひらめくやさしい講座
悪の洗脳、心の歪みを正す講座など 犠牲者家族は必見です
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久しぶりの投稿宜しくご観察お願いします。

 『日韓関係・日中関係の現状はきわめて残念』
(4月5日 岡田克也代表 定例記者会見より冒頭発言・質疑応答要
旨)

との書き出しを拝見比の件は全て過去の日本の責任です
「北朝鮮問題」となんら変わりません如何に戦争の責任であっても
言うべき事と戦争の「他国にたいする」
責任を長年にわたって放置したのが今回の騒動である、
 
中国が海底掘索の事業はもう何年になるのか当時の外務省内閣は当
然知り得たはず
韓国の竹島問題も当然同じ事今回の日本政府の行動は自らの責任を
果たさず
中国・韓国・に無理難題を言っているのと同じとおもう全ての責任
は過去の日本政府の外務省内閣総理大臣の責任である、
 
特に近隣諸国に対して小泉総理の靖国神社参拝は止めるべきだ同じ
戦争で犠牲なった
「原爆・空襲・等での犠牲者」は小泉が固執している靖国の戦争犠
牲者とどう違うのか
小泉総理が近隣諸国に正しく説明するべきだ
 
     04.07. ks_kiyo4   s_kiyoc@ybb.ne.jp
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人権擁護法案に待った!「人権侵害」解釈問題、国籍条項欠落など
警鐘を鳴らす産経の新視点   
   
 廃案にすべきと主張
 人権擁護法案が物議を呼んでいる。同法案は差別や虐待の被害者の人権を救済すること
 を目的に三年前にも法制化の動きがあったが、このときは「報道被害」も人権侵害の対
 象にされたことでマスコミが猛反発、結局、廃案になった。そこで今回、政府はメディ
 ア規制条項を凍結して再提出を目指している。ところが、三月以降、論議は思わぬ方向
 に展開してきた。

 産経が論議に一石を投じたからだ。三月十日主張で「問題多く廃案にすべきだ」と廃案
 を打ち出したのだ。新聞協会や民放連はメディア規制凍結削除による修正成立を求めて
 いるが、産経はただ一紙、これとは別の視点で批判した。

 それによると、第一に人権侵害の定義があいまいで「恣意的な拡大解釈がまかり通る恐
 れがある」。法案は「人権侵害は不当な差別、虐待、その他の人権を侵害する行為」と
 するが、この定義は人権を侵害する行為を人権侵害としただけだ。また「人権侵害を助
 長、誘発する行為」も禁止するが、「助長」「誘発」は何とでも解釈できる。

 第二に人権委員会は事情聴取や立ち入り検査などの権限が付与され、拒否には罰金(三
 十万円以下)を科す一種の「権力」を保持する。にもかかわらず人権擁護委員に国籍条
 項がなく、外国人も委員となって「権力行使」ができる。これは公権力行使や国家意思
 の形成に参画する公務員は日本国籍を有するとの政府解釈にも抵触し違憲の疑いがある
 と、産経は主張する。

危険性指摘する産経

 これはまったく新たな問題提起だった。同じ十日に朝日は「再提出迫る人権擁護法案/
 迅速な救済目的」との記事で争点を「人権委員会の独立性への疑問」と「メディア規制
 への危惧」の二点しか挙げていない。このことからも産経の視点の新しさが分かる。

 この日を皮切りに産経は『正論』や主張で反人権擁護法キャンペーンを張り、これで法
 案論議は一変、自民党内に法案批判が噴出した。十八日の自民党会合では東京弁護士会
 が都教委に「人権侵害」と警告した内容が報告されたが、それによると過激性教育を行
 った教員の処分、音楽教諭に国歌の伴奏の「強制」のほか、公立中学校長が卒業式で国
 歌斉唱を「強制しない」と事前に生徒に説明しなかった行為、朝鮮中級学校の卒業生に
 中学校卒業程度認定試験(中検)を受験させる行為などがいずれも「人権侵害」とされ
 ている(産経十九日)。

 これらが人権侵害とすれば、安倍晋三自民党幹事長代理が「(朝鮮総連関係者が)委員
 になれば私は真っ先に人権侵害を行っていることにされる危険性がある」と言うのもむ
 べなるかな、だろう(毎日二十八日)。

男女参画の二の舞に

 にわかに巻き起こった法案批判に驚いたのか、朝日が思わず“本音”を書いている。朝
 日十七日は、国連総会が一九九三年に決議した「国内の人権機関の地位に関する原則
 (パリ原則)」は「社会の多元性を保障」するため、人権機関の構成員に「人権に取り
 組み、人権差別と闘うNGO(非政府組織)、労働組合、弁護士、ジャーナリストなど」
 を入れるように提言しているとし「定住外国人を入れることは必要」(山崎公士・新潟
 大教授)と強調、法案を擁護した。

 ここで注目したいのは、人権を錦の御旗に、国連が決めた、だから国内で法制化し、人
 権差別と闘う人々(恐らくくその大半は左翼系)を機関に入れよ、というパターンであ
 る。これは「男女共同参画」の場合とうり二つだ。男女平等を錦の御旗に、国連が決め
 た、国内法を作れ、地方には監視機関や苦情処理機関を、と言って法制化に成功した。
 その結果、この機関などを拠点にジェンダーフリーの徘徊(はいかい)を許した。

 朝日の十八日社説「人権忘れた擁護法論議」は「三年前に国会でも、こんな意見は出な
 かった」とし「人権をないがしろにするような論議は恥ずかしい」と、新たな論議を頭
 から否定している。男女共同参画法のときには「こんな意見」が出されなかった結果、
 後でさまざまな弊害が出てきたことは周知の通りだ。だからこそ人権擁護法案では禍根
 を残さぬように今のうちに「こんな意見」を出しておくべきではないのか。それを認め
 ぬ朝日の“言論狩り”はいただけない。(増 記代司)世界日報 掲載許可
 
     Kenzo Yamaoka
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花見の民俗学 大衆・娯楽化で儀礼後退 民俗学者・神崎宣武   
   
  また、サクラの季節がやってきた。何となく気もちが浮きたってくる。それは、日本人
 ならではのこと、といわなくてはならない。その証拠に、この時期、外国の新聞やテレ
 ビの取材が増える。相撲に神輿(みこし)、それに花見が大衆文化の格別の対象となるら
 しい。
 なぜ、私たち日本人は、こうもサクラに浮かれるのか。花を愛でるのは、世界中の誰も
 が同じこと。日本人が、とくべつに花好きなわけではない。そして、花見のなかでもサ
 クラにかぎってそうなるのである。花見と称して、宴を催す。飲食を楽しみ、歌舞に興
 じる。その習慣を広く共有する。たしかに、日本には「花見文化」なるものが存在する
 のである。
                 ◆◇◆

 花見の起源については、いくとおりかの説がある。ひとつは、都の貴人たちの雅遊説。
 「百敷(ももしき)の大宮人は暇あれや桜かざして今日も謡ひつ」とうたわれたように、
 平安朝の貴族たちも花を見て歌を詠み、そぞろに遊びたわむれていた。宮中でも花見の
 宴があった、と古文献に伝わる。

 もうひとつは、武家の野宴説。「花は桜木、人は武士」というがごとくに、武士たちは、
 サクラを尊んだ。散りぎわの潔さが武士道にそぐうたから、という。

 こうした特権階級の花見が、やがて庶民社会に伝播(でんぱ)した、とみるのはたやすい。
 とくに、江戸の町で花見が盛んになり、江戸後期には、上野、飛鳥山、向島などが花見
 の名所となった。今日、私どもが催すところの花見行楽の源流はここにある、といって
 よい。

 「ソメイヨシノ」も、江戸でつくられたサクラである。もとより、江戸にサクラが群生
 していたわけではない。すべて、苗木を植えて栽培したものである。吉野(奈良県)のサ
 クラを移植したり交配したわけではないが、サクラの群生地として世に知られたその名
 前にあやかった。染井(東京都豊島区)の植木職人たちが苗木を広めたところから、ソメ
 イヨシノ。以来、ソメイヨシノは、日本のサクラを代表するようになった。

                 ◆◇◆

 しかし、花見の歴史的な展開をそう簡単に聞き流すわけにもいくまい。一方に、農村社
 会における農作の予祝儀礼がある。

 農村でのそれは、「山遊び」とか「山登り」といわれた。たとえば、西日本の各地、と
 くに近畿地方の山地から中国地方の山地にかけては、旧暦の三月三日か四日が花見日で
 あった。その日は、老若男女が連れ立って見晴らしのよい山や丘に登り、酒肴を楽しん
 で遊んだ。東北地方では、四月八日を花見日とした例が多かった。

 ちょうど花が咲くころ、酒肴を携えて山に登り、ある種の神まつりを行なう。それは、
 まさに農作業が忙しくなる直前の行事なのである。山のサクラは、山のカミがそこに依
 りついたしるしとなる。その下で神人が共食し、豊作を約することに本義があったのだ。
 たとえば、サクラの一枝や柴木の一枝を手折って持ち帰り、家の庭や苗代田に立てると
 いう習慣を伝えてきたのは、まさにその本義にもとづく伝統なのである。

 しかし、現在は、農村社会においても、そうした儀礼的な花見がすっかり後退した。そ
 して、娯楽的な花見が日本全国で定番化した。その限りなき大衆化。大阪で聞いた話で
 は、携帯電話で酒や肴の注文をとり、花見の現場まで配達をする業者も登場しているら
 しい。東京では、この二、三年来、墓地に陣取って花見に興じる輩(やから)も増えてい
 る。

 我が先、花も恥らう乱痴気(らんちき)かな、だ。

                  ◇

 かんざき・のりたけ 昭和19年、岡山県生まれ。武蔵野美術大学在学中から国内外の
 民俗研究に従事。「旅の文化研究所」所長。著書に『盛り場の民俗史』(岩波新書)など。

    Kenzo Yamaoka


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