1937.新エネルギーシステムの確立を



ハルマゲドンから立ち直るのは、新エネルギーシステムの確立だけ。

米・国連大使にネオコンのボルトン。どうやら、アメリカはシリア
攻撃を決めたようだ。前の国連大使メグロポンテは、イラク総督(
大使)になった。ボルトンにシリア批判をやらせて、国連を強圧的
に押え込めという司令だろう。ボルトンが、次のシリア総督なのだ
ろうか?もちろん、ライスにボルトンを押える力などない。

一連の中東騒動で、利益(一人勝ち)を得たのは、イスラエルだけ
であろう。しかし、禍福はあざなえる縄のごとし、あまり調子に乗
って侵略戦略をすすめると、本当にハルマゲドンに突入してしまい
かねない。(実際に、そういうプログラムを書く奴が権力を握って
いるから恐い)

米国政権は、石油支配と軍需産業の実入りにつられておるようだが
、国家の命運を掛けているのも事実だろう。おそらく、そこに住む
人の権利など、目にも入らないだろう。米国、国民はともかく、そ
こを支配しているグループはそういう人達だ。

こう、急ぐところをみると、うわさにのぼる、米国本土の原油採掘
可能期限(埋蔵量とは違う)が2015〜20年頃というのが信憑
性がでてくるが、、、。
ブッシュは、テロとの戦争を謳いあげたとき、20年戦争になると
言った。そこから、中東支配のタイムスケジュールが組まれている
のだろうか。

ネオコンの戦略は、最初から中東支配、各個撃破であった。その為
の大義名分が、民主化である。
アフガンを落とし、パキスタンの核(イスラムの核)をコントロー
ル下に置き、イラクを押え、、、レバノンを米国中心(おそらく、
仏が代理を務める)の影響力下に置きシリア(スンニ派=民衆レベ
ルで、イラクのスンニ派と繋がっている。スンニ派は、イスラムの
多数派であるが、まず、イラクにおいて、シーア派に仮に力を与え
ておいて、イラク内を押えておく)を、イラクと地中海上から侵攻
制圧する。制圧には、日数的にはイラクよりかからないだろう。
これで、アフガニスタン・イラク・シリア・クェート・イスラエル
によってイラン包囲網が完成する。また、エジプト・サウジは、抗
議をするとしても動けないだろう。

イランへは、猛烈な圧力をかけて、屈せばよし、屈さなければ体制
変換を模索するであろう。こうして、ネオコンの描く中東支配=石
油支配(価格形成力も含めて)が完成する。
そうすれば、中国もまた他の国(ロシアを除き)も、石油、エネル
ギーを通じて完全に支配下に置くことができる。

しかも、これは、一見アメリカ支配にみえるが、実質は、<一部の
民間企業グループ>による世界支配になるであろう。
ラムズフェルドが、一年以内に退任し、アーミテージが後任になる
という話がある。しかし、これは、グランドデザインが確定し、シ
リア侵攻のミッションが開始されてからになるであろう。軍人上が
りのアーミテージに与えられるのは、軍時遂行スケジュールの管理
だけになる。ミッションが開始してからはそれが、過ちであろうと
、止められないことを知っている。後は、現実的に勝利し、後片付
けをうまくやることしかない。

逆にラムズフェルドは、<企業グループ>に戻り、そこから、企業
支配の指揮をとることになるであろう。また、それによって、イラ
クと、シリア2ヶ国、両方の戦端を開い国防長官の名前を避けられ
る。

注目すべきは、ラムズフェルド退任後に役員につく企業グループが
、「世界支配」をするということだ。

しかし、原油の価格は、米国原油が枯渇した時点で、とてつもなく
高騰するだろう。これによって、他国の経済は急ブレーキが掛けら
れる。庶民の生活は困窮するだろう。
米国は、自国の石油を確保できると考えているようだが、広大な陸
地輸送(生活を破壊されて、憤懣を持つ人達が終結する地域)や、
積み出し場所の安全を確保できるのだろうか。
遊撃戦に対して、石油関連施設(パイプラインとか)は、本当に守
り得るのだろうか?

もし、世界を救う方法があるとするならば、新しいエネルギーシス
テムの確立しかない。

それは、太陽電池を含めた、<水素エネルギー>システムであろう。
その水素を何をもって、生産、運搬、貯蔵するかは、科学技術的に
実現可能性のあるものから、より高度、効率のよいモノへ、移行し
ていくべきであろう。天然ガスから取出すとか、エタノール改質(
運搬、貯蔵に優れる)とか。

また、核融合も模索されるだろう。これは、SF的だが、例えば、
二重螺旋に編んだカーボンナノチューブに、三重水素を吸蔵させ、
8方向レーザーで点火した熱プラズマを、磁界だけでなく、流体制
御(引き渦)などを利用することによって、安定させ、核融合反応
する時間を保たせえないだろうか?

そして、あらゆる、化石燃料に頼らないエネルギーをかき集めるこ
とは、たんに環境というだけではなく、死活問題になるであろう。
また、そのシステムを世界に普及させることが、日本に可能な、世
界の救い方だと思うのだ。
                       まとり
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(Fのコメント)
燃料電池より水素を燃料させて発電機を動かすというBMWのやり
方も良い方法であると思う。水素の作る方法であるが、これは風力
発電や太陽光発電を日本国最南端の東京都沖ノ鳥島で行い、有人島
にして日本の領土にする必要がある。

そうしないと、中国は岩礁でありと主張して日本領土として承認し
ないということですので、日本としては竹島を占拠している韓国と
同様な処置が必要である。ここで発電して水素を製造して、水素タ
ンカーで本土に運び、水素火力発電所で電気にする。タンカーが定
期的に運行するので、それで食糧と水を運べば良い。岩礁に基盤を
作り、海上ホテルやヘリポートなどを作り、観光客を呼ぶのもいい
と思う。

燃料電池は構造が難しいために、内燃機関に比べて安くならない。
それなら、効率より安くすることの方を選んだ方が良い。

もう1つがロシアからの石油輸入を加速する必要がある。
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稲作を大切に、お米を頂こう
                  平成17年(2005)3月13日
         地球に謙虚に」運動代表     仲津
 
 今日はお米の話をさせて下さい。平成15年(2003)7月末以来台湾に
家族3人で住んでおり、毎日の主食はお米です。

 台湾は稲作文化圏に属し、古くから稲作を行なっており、日本時
代(1895-1945)に水田開発(華南地区など)、米の品種改良(服部
米など)が積極的に行なわれ、今もおいしいご飯を頂けます。暖か
いので全国的に2期作が行なわれており、お米に関しては自給可能
な国です。米粉など日本にはない加工食品もあります。

 話は変りますが、台湾には、原住民(先住民、日本時代は高砂族
と呼称した)が、漢民族より以前の数万年前から住んでいて、
2004年3月末の総人口は約44.7万人で、台湾の総人口の2%弱です
(戸籍登記)。

 原住民としては今11族が政府から認定されており、その内阿美
族(アミ族)の人口が約15万人(1998内政部統計)と最多数で、
原住民の33%強を占めています。

 続く部族が泰雅族(タイヤル族)で9万人強の人口です。原住民
の人口統計は日本時代に初めて取られ始め、1905年の阿美族の人口
は25,400人でした。当時どの部族の人口も大差が無かったようで、
その後阿美族が特に大幅な人口増加を実現できたのは、稲作に積
極的に取り組んだからなのです。この記述を私は台湾国立博物館
で発見しました。

 阿美族は台湾東部の花蓮地区から台東地区に主に住んでいます。花蓮
に旅行したとき、多くの水田を見かけました。南の台東地区でも南北に
峡谷のようではありますが、やや長めの川が流れており、稲作に適して
います。そこには池上米という台湾一のブランド米を産出するところが
あります。

 他の部族は、後から来た漢民族に追われる中、主に山岳地帯に居住し、
でんぷん類としては粟、黍、芋を栽培し、他は採取&狩猟生活に拘った
か、あるいはそれらに依存せざるを得ない生活を続けた結果、阿美族の
ような人口増には至らなかったのでしょう。

 稲は高温多湿の気候に合った作物です。今や6大陸にまたがって栽培
されており、世界人口の半分はお米に支えられているといいます。中
でも南アジアから北東アジアにかけての人口稠密地帯を可能にしてい
るのは稲作の成果だと言われています。

 三大穀物(米、小麦、トウモロコシ)中で小麦と比べ、稲とお米の特徴
を挙げてみましょう。

 ●まず、収穫量において効率的です。一粒のモミから300粒のモミが
取れます。小麦と異なり茎が分けつしてそれぞれの穂先にたくさんの
実を付けます。

 ●夏に雨の多い、日本列島など東アジアの気候に適しています。これ
は自然環境との調和に繋がります。
 アメリカのカリフォルニア米がおいしいと言われますが、雨量の少
ないカリフォルニアでは遠くの湖川から水を引いたりして水田耕作
しています。結果枯れてしまった湖もあるとか。機械力を使った効
率的な農業を行なってはいますが、自然破壊を伴っており、到底長
続きしないでしょう。

 ●水田の保水力はかなりのものです。雪解けの水、梅雨、さらには夏の
大雨を貯める水田は、広く浅く水を保水してくれます。日本にある治水ダ
ムの3.4倍の保水量があるとの事です。雨の多い国土に適した農法です。

 ●水田には多くの微生物、昆虫、淡水系魚介類が生息します。彼等を
餌にする鳥類もやって来ます。命の原点である水のあるところは生態
系が豊かになります。

 ●お米は籾殻を脱穀して玄米の状態でも炊飯できますし、精米工程を
入れても2回の加工で済んでいます。後は炊飯すれば御飯になります。
加工過程が少なくて済む、つまり省エネ食品なのです。
 小麦はその点、脱穀して製粉工程があり、パンにするときはさらに
加水して練ってイースト菌を加え、焼き上げて出来上がり。トース
トなどはさらに焼く方がおられます。口に入るまでの加工工程がお
米に比べ多いのです。エネルギー消費食品ではないでしょうか。

 ●お米のように加工工程が少ないと、胃腸の消化力の維持発展に繋が
るそうですね。つまり健康を維持できる訳です。パンのように加工工程
の多い食品はそれだけ、消化が早く胃腸に優しいとか。しかしその分長
い眼で見て消化力を下げて行き、体力低下、短命に繋がると伺いました。

 日本では、敗戦後食料難のおり、アメリカから食糧援助を受けました。
私も小学校の給食のおり、主食はパンでありました。脱脂粉乳の匂いを
今でも覚えています。牛肉も供給されたようです。

 結果多くの日本人はパンと牛乳そして牛肉を嗜好するようになりました。
お米離れが起こり、米不足から米余り時代になりました。かつて年間平均
150kgのお米を食べていた日本人は今や60kgしか摂取しません。その分パ
ン食の人が増え、牛肉好きの人が増えたのです。

 アメリカから小麦粉が、牛肉が大量に輸入されるようになりました。ア
メリカという国と国民は援助するときもちゃんと戦略を持っていたこと
がよく判ります。日本人の食事嗜好まで変えてしまったのです。

 しかし前述の通り、小麦はアジアの気候にあった農作物ではありません。
エネルギーをお米以上に消費していると思われます。牛肉はもっとひどい
です。人間一人を養うのに必要なトウモロコシを1とすれば、同じ牛肉を
得るのに実に11倍のトウモロコシを必要とします。それだけ膨大な面積の
農地が要るのです。

皆さん、如何思われますか?

                             以上

 仲津

「地球に謙虚に」運動ホームページ No.1
http://www.hpmix.com/home/ise/kenkyoni/

「地球に謙虚に」運動ホームページ No.2
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kenkyoni/
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戦いにおける思考法の違い。 虚風老
   
 戦闘的思考、戦術的思考、戦略的思考そして、政治的思考。

戦闘的思考においては、具体的な目標(眼前の敵を打ち倒すとか、
丘の奪取とか)については、一歩も退かず、攻撃または守備を完遂
することが望ましいじゃろう。
そこで重要なのは、多くを考えることではなく、志気を維持し、闘
志を持つことであるの。いわば、引かないことが美点になるんじゃ
。その特質は、「一所懸命」や「責任感」というのがふさわしかろ
うの。

戦術的思考においては、
目標の獲得に対しての、臨機応変な現場対応と、思考の柔軟さ、相
手との強弱や、こちらの、隙を回避し、相手の虚をつくための陽動
や、罠等を仕掛ける知力が求められるの。場所と時における、比に
おける優位性の確保等、いわゆる兵法・作戦が重要になるんじゃ。

戦略的思考では、全体での<利>を考える。ここからは、マクロ的
になると言っていいじゃろう。
個々の戦闘・戦術レベルでの、優位や、劣敗の動きをみながら、全
体としての<利>がとれることを目指すわけじゃ。勝負は時の綾で
あるから、常に勝ちを拾えるこは限らないからの。
しかし、ある負けも、敵の利を減じることによって、次の優位性の
確保や、全体の利を出すために、利用することはできるじゃろう。

また、戦略においては、直接相対していない、第三の勢力に対して
の、実勢上の配慮や心理的な判断も、重要になるんじゃ。勢力の均
衡が崩れることは、その後の力関係に影響を及ぼすから、中立的で
あった、もしくは味方だと思われている勢力が、バランスを崩す、
一方の勝利を喜ぶとは限らんからの。干渉という手段は、よくつか
われるじゃろう。また、内的な(身内)勢力動向の問題も考慮され
なければならないじゃろうね。

だから、現場的に行われた戦術と違った、複雑で、目に見えないモ
ノに対しての判断が下される必要が生じるわけじゃ。

また、それらを貫いているものこそが、<情報>であるんじゃ。
それが、戦術・戦略の上で、最大の重要性を持っておることはいう
までもない。また、その解釈もね。

そして、戦闘レベルの結果は、戦術レベルにフィードバックされて
、変更させ、戦術レベルの結果が、戦略レベルにフィードバックさ
れることによって、一体の作戦を成すというわけじゃ。

戦略レベルで、望まれることでも、戦術レベルの具体策で不可能な
場合は、戦略レベルの変更が求められるじゃろう。当然すべてに優
先する前提条件は「現実」であるわけじゃ。。

ミクロレベルでは、優位性の確保(これが競争である)が常に目指
されるの。そして、戦略レベル以上のマクロ的視点では、各優位性
の変動から利を導き出し、そのことによって、次の目的を達成する
お膳立てを整え、戦略を更新するというふうにすすむわけじゃ。

政治的思考においては、実は「調和点」を導き出すことが重要にな
るんじゃ。「調和点」は、常に持続してなされる優位性の競争のた
め変動しておる。また、自分から、調和点(秩序体制)を求めて、
戦略的に働きかけ、新しい秩序(権力構造)を確立するため、作用
を及ぼそうと模索する作業も含まれるんじゃがね。受動、能動一体
というわけじゃね。また、そのためには、取り引きも行われるじゃ
ろう。

その調和点を、一つのアトラクターとして、その周囲に「平常時=
比較的安定時」が一時的に確保されるというわけじゃ。
しかし、多くの競争のため、調和点は常に変動しているため、政治
的調整も常に流動性があるし、大きな変動は、調和点の位置を根本
的に変えてしまうため、アトラクター(秩序、体制)が定まるまで
、不安定になる。それが、どこに落ち着くのか見分ける、またどこ
に誘導するのか、そのために、どういう動きを発動すればよいかを
考えるのが、政治的戦略眼といえようの。
そして、政治戦略の底には、当然ながら哲学が潜んでいなければな
らないじゃろう。

例えば、相手にある特定の条件を飲ませる(屈服させる)という、
政治的目標があるとするじゃろう。
そのための選択肢の一つとして、軍事行動を発動するとする。その
場合、勝てるかどうか。また、それに要するコスト(彼我の損耗)
はどれくらいまで認められるか。
それで得られる総体としての益、不利益(間接的なモノを含めて)
は何か。というのは、政治的戦略上の判断になるの。

また、戦略では、彼我の強弱、配置などの具体的な分析しながら、
この部分を陥落させるとか、その為に補給路を断つといった、かな
り抽象的な選択がなされる。
戦術レベルでは、戦略によって、定められた目標についての、攻略
の具体案の策定をする。ほとんどの、作戦は、このレベルに集中す
るといえるじゃろう。

たとえば、軍事要衝があるとしようかの。
その重要度の認定し、方針を打ち立て、大枠の条件を整えるのが、
戦略思考であり、その要衝を押さえる為のさまざまな具体的方法が
、戦術思考であり、戦術上必要な場所を、一心に攻撃あるいは守備
するのが、戦闘思考になるわけじゃ。

例えば要衝を押えるために、必要な、前面の丘のトーチカを抜く為
に、努力するのが、戦闘思考だといえるじゃろう。(この段階で、
回避を意識することは、戦闘力を殺ぐことになってしまうこともあ
るから、思慮より闘志が求められるの)
しかし、実際、戦闘上うまく結果がでないときは、作戦上は、その
トーチカ押えることが目的ではなく、を無力化して、要地を取るこ
とができればいいわけだから、迂回や、保留兵糧攻め(相手の影響
力を事実上減殺する。)なども、可能になるわけじゃ。

また、常に、要地の戦略上の重要度も、まわりの状況によって、変
動しておる。情報によって、戦略も不断に動的であることがもとめ
られるじゃね。たとえば、その要衝が、敵の撤退の為に必要だった
為、重要であったとされたものが、敵の退却後は、別の意味と価値
を付されることになるじゃろう。

これは、軍事だけでなく、作戦を必要とする、争い、、。経済や、
政治、論争、などでも言えることじゃな。

戦闘とは、やや、固定的な目標(眼前の敵の打倒とか)に対する、
固定的である方がいい思考法であり、
戦術とは、具体的な目標を獲得するための変動的な思考方法であり、
戦略とは、変動的な利にたいして、全体の得失から変動的に対応す
る思考法のなんじゃろな。

抽象的に言い換えれば、
戦闘とは、接した点と点の戦いを支える思考であり、
戦術とは、相手の線に対して、どういう近接線を描きながら交差す
べきかという思考のことであり、
戦略とは、面を巡る思考であるとも言えるじゃろう。(空白も含めての)

戦術が、具体的な情況の枠の中での、変幻自在さによってなされる
戦う術ならば、
戦略とは、情況という枠そのものの、設定、構築、変更ということ
での、戦いであるといえるじゃろう。

そして、政治戦略というのは、戦闘以外の背景状況など、すべての
状態(複雑系)勘案して選択される調整点(調和点)を見つけると
いう戦略のことであるんじゃ。

「戦いにおける思考」とは、これらの総和であると言えるじゃろう。

                       虚風老
==============================
郵政の金が、どう運用されるかが、問題じゃ。 虚風老 
   
 M&Aと、郵政民営化。

まあ、ライブドア騒動を見てて、思ったんじゃけど、
ホリエモンの思考論理は、ユダヤ系に近いのかなと思ったの。
やはり、金儲けには、彼等の方法が、うまいわいな。

共同社会の価値を守るとか、どうかということは別にしての。

彼は、ITで得た金額(株式評価額=未来期待値)を梃子にして、
また、プロ球団買収問題で得た、バブル的人気が株価に反映したと
ころで、それを、実物の力に、換金しようとした戦略だと思われる
んじゃ。つまり、フジ買収を仕掛ける前のライブドア株価が、バブ
ルであることを、一番知り抜いていたのは、堀江氏本人じゃろうの。
アメリカでは、前にITバブルは潰れたしの。
そこで、安定した実入りである、ファイナンス、メディアという、
情報のコングリマケットを狙っておるわけじゃが。
やはり、フャイナンス(金融)というのは、やりようを間違えなけ
れば、一番儲かるのじゃ。
ただ、日本の金融機関はヘタをうって、米国の前に敗北し、今は立
て直しで、傷を治すのに精一杯の状況があるわけじゃ。また、投資
家もあつものに懲りて、なますを吹くという状態じゃ。

ところで、米国では、いわば内側にデリバブルバブルというものを
抱えておる。実体はないが、複雑な契約の網目を維持することによ
って、レバレッジの効いた、虚構のマネーが、「額」としては、天
文学的数字にのぼるんじゃ。
彼等も、何処かでそれを実体化し、利益の確定をしようと、するじ
ゃろう。それが、最近の日本企業へ対する買収の激増と考えられる
の。

ところで、日本の金融の最大の問題は、運用能力にあろう。
国内での運用フロンティアが、狭隘になっておる。
さりとて、国際金融については、ユダヤ系がガッチリ押えておる。
単独で首を突っ込むと、あらゆる手で、追い落とされるわけじゃ。

そこで、郵政民営化の問題になる。
政府に運用能力のないのは分かっておる。また、民営化したとして
、市場で自主運用する能力もノウハウももたんじゃろう。また、急
激に整えられるとは思わん。
そうすると、一番ありそうなのは、リターン金利(それも低額で、、、
なにせ、他の金融機関救済のために、超低金利から、日本はぬけら
れない)だけは確保して、運用は、他の民間企業に預託、信託する
方法が選ばれるかもしれん。

もちろん、この場合、預託先に、外資を完全に排除することは不可
能じゃろう。
だとすれば、数兆ぐらいは、外資のファンドに回る可能性がある。
外資のファンドは右手から左手のファンドに資金を移して、右手は
、民営化された郵政金融会社に低利の確定利子を支払う。と同時に
、左手は日本国内の上場企業に買収を仕掛ける。つまり、日本国民
の貯金で、低利の利子と引き換えに、企業の所有権と、株式収益を
手に入れられるという構図じゃ。(しかも、資金調達リスクがなく
、小額の運用権=金利を払えばすむ。そうなれば笑いがとまらんじ
ゃろう。  蟻はただ働くのみで、蜜=企業収益は得られないとい
うわけじゃ)
今も、外資のファンドのかなりな部分をしめているのは、ジャパン
マネーであるともいわれていおる。こうして企業収益が、日本で分
配されずに、外国の収益として流れていく。
日本企業が、黒字を出しても、日本という共同体としての儲けは減
っていくのじゃろうかねえ?

                     虚風老
==============================
 「マルクスの復讐が始まる」にみる梅原猛氏の予言   
   
  哲学者の梅原猛は、一九九三年に書いたエッセー「マルクスの復讐が始まる」で、マル
 クス主義の生命は終了していないと興味深いことを述べている。
 「マルクス主義の問題は決してまだ終わっていない。(略)おそらく今後、マルクスの
 怨霊が資本主義社会を呪い、社会主義とともに資本主義社会を崩壊せしめるのではない
 かと私は予言したが、この予言も、資本主義を担う最大の政党、自民党の底知れぬ腐敗
 という日本の現状をみれば決して間違っていないと思う。マルクスの復讐は今既に始ま
 っているのである」(『自然と人生』文春文庫)

 梅原氏は、マルクス主義の人間観の欠陥をどこにみるかというと、その顔であるとして
 いる。要するにマルクスの顔には人間や自己に対する深い憎悪があると述べている。こ
 の意見を学園紛争華やかなりし時に披露したときは、満場の失笑を買ったという。

 「もしも人が、マルクス、レーニンであると知らずに、この顔はどういう人間の顔であ
 るかと尋ねられれば、それは凶悪犯罪者の顔であると答えるであろう。明らかに釈迦や
 イエス=キリストの顔とは違うのである」(同右)

 理想的な世界や幸福を語る思想は多いが、しかし、それを実践していくと憎悪や対立、
 破壊の結果を生むことがままある。その意味で、思想が正しいかどうかをどのように判
 断するか、という問題ははなかなか難しい。

 その点で、あまりにもシンプルな見方であるけれど、梅原氏の観相による判断は、それ
 なりに根拠がありそうだ。思想には、その思想家自身の生き方や感情が投影されている
 からである。

 しかし、梅原氏らしい慧眼(けいがん)と言えるのは、日本の共産主義の怨霊が生き残
 って跳梁(ちょうりょう)するのは、日本であるという指摘である。

 「しかしおそらくこの恐竜(マルクス主義=引用者)は、世界の中において日本でいち
 ばん長生きするのではないかと思う。というのは、仏教の宗派でも、かつて栄え他では
 すでに滅んだいかなるものも、日本では生き続け、現在においても細々ながら存続して
 いるからである」(同右)

 この予言的な言辞は、日本の混乱した現代社会を顧みれば当たっているのではないかと
 いう気がする。(鷹)世界日報 掲載許可
     Kenzo Yamaoka
==============================
普遍性ない国民主権概念   
   
  ルソー理論を革命に利用
仮説にすぎず
 中曽根康弘元首相が主宰している世界平和研究所が憲法改正試案をまとめたが、新たに
 国民主権規定を第一章に盛り込んだことがその特徴となっている。これは日本の国柄に
 対する重大な革命である。

 この国民主権については、現行憲法前文で「人類普遍の原理」としている。このためも
 あって、改憲論議ではアンタッチャブルなものとされている。だが、国民主権概念は十
 六世紀から十八世紀にかけての“特定の時代”に、欧州という“特定の地域”で、“特
 定の政治的思惑”を持った者が、それぞれの政治的主張を説明するために使った「説明
 的仮説」ないしは「擬制(フィクション)」にすぎない。

 仮説が歴史的考察によって実証されたことはなく、真理と言えるものではない。いわん
 や普遍性などは皆無だ。近代フランスを代表する法学者レオン・デュギーが、この国民
 主権論について「行動と進歩の原理として創造的な価値を持っていた時代は既に去った」
 と強調しているのはこのためだ。

 国民主権概念は、近代初期、欧州で国王の権力の強化に対抗してローマ法王庁が退勢挽
 回策としてつくり上げた説明的仮説である。ローマ法王の欧州諸国民への支配権はエホ
 バから与えられたものだが、欧州諸国の国王の権力は国民から与えられたものにすぎな
 い。だから、単に国民から委ねられた権力を有するにすぎない欧州諸国の国王は、全知
 全能の神から与えられた権限を有するローマ法王の支配に服すべきということになる。

 この国民主権の背景には、「古代ローマでは国王が市民の選挙で選出されていた」との
 神話的伝承が存在する。しかし、ローマ法王のこの企ては成功せず、国王の権力は強化
 の一歩をたどる。もっとも、この国王の権力もその後、勃興するブルジョアジーの挑戦
 を受けることになる。その際にブルジョアジーが政治参加の主張の論拠として利用した
 のが、この国民主権概念である。ルソーはこれを『社会契約論』として集大成したこと
 で知られる。

 成文憲法の第一章はその国の国柄を規定する章である。

 試案では、日本を歴史的、文化的存在とし、「独自の文化と固有の民族生活」を強調し
 てはいる。それなのに、何故、日本人が長い歴史、独自文化の中で育んできた法規範意
 識を踏まえた「皇室を中心とする国柄」ではなく、その役割を終えた欧州の国民主権概
 念を第一章に据えるのであろうか。

独裁もたらす

 「単なる説明的仮説だから、目くじらをたてる必要はないではないか」との見方もある
 かもしれない。だが、ルソーの所論、国民主権論は十九世紀から二十世紀にかけて世界
 に吹き荒れた革命理論として利用されてきた。そこでは人民の自由を旗印に掲げながら、
 現実には大量虐殺、独裁政治、恐怖政治(テロ)、侵略をもたらした。

 それだけではない。我々は英国の歴史学者アーノルド・トインビーが長年の世界歴史の
 研究を踏まえて達した結論、つまり「ある国で成功した政治原理も、それが他国に移さ
 れると悪意と破壊の鬼に早変わりする」ということに留意する必要がある。

 試案は、故意か偶然か、共産主義者が中心となっていた公法研究会の「憲法改正意見」
 (昭和二十四年)の結論、天皇制を廃止し共和制にすべきだが、それは将来の課題とし
 当面は「天皇制を承認した上で国民主権を明確にし…主権在民の条文を新設する」と瓜
 二つである。

 森清・元代議士がいみじくも指摘している通り、試案は「天皇と国民を分断し、その国
 民に主権があることを強調することによって、結果として國體を破壊し、歴史伝統を断
 絶させている」と言わねばならない。

(拓殖大学教授<吉原恒雄>)世界日報 掲載許可

     Kenzo Yamaoka


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