1936.見直される「足の文化」



見直される「足の文化」   S子   
   
 人間が人間としての歴史を歩み始めたのは、直立二足歩行という「
足の文化」に起因し、それに大きく依存しながら人間は今日まで生
き延びることができた。直立二足歩行という不自然な「足の文化」
の優位性が、他のどのような動物をも圧倒し、今日の人間の繁栄を
築き上げてきた。

そして、直立二足歩行をすることにより出現した「自由な手」で人
間は道具を作るという創造性を見い出し、そのことが人間の脳の進
化に大きく影響してきたとこれまで言われてきた。が、最近ではこ
の説はだいぶ疑問視されるようになり、急激な環境の変化に人間が
適応するために、突然変異的に人間の脳の進化が偶然生じたのでは
ないかと考えられている。

更に、この脳の進化によって高度な知性を備えることができたのは
、人間の創造性とコミュニケーション力にあるのではないかと言わ
れており、今日の脳研究においてはこのふたつが重要なキーワード
になっているようだ。

人間の創造性とコミュニケーション力には、言語という普遍的存在
が重要な役目を果たし、この言語のおかげで私たち人間は想像を形
あるものに創造し、異質な他者ともコミュニケーションを図ること
ができるようになった。

直立二足歩行という「足の文化」の発見が人間を未知の世界へと歩
ませ、創造性を豊かなものにし、異質な他者とのコミュニケーショ
ンを図ることで脳を活性化させてきた。そうして高度な知性を身に
つけ、変化してゆく環境に適応しながらあらゆる可能性を切り開き
、より快適により人間らしく生きてゆくために、人間は「足の文化
」を受け入れ続けてきた。

「足の文化」は口伝えの文化でもあり伝統や先祖の地と深く結びつ
き、メディアも重く(石板、粘土板等)耐久性があり移動しにくい
。だから時間も非常にゆっくりと流れるスローな文化でもある。そ
して、全方位自由に行動することもできるし、立ち止まることも人
間の意思ひとつでできるという柔軟性もある。

更に、直立二足歩行という「足の文化」は人間の始まりであり基本
であるがゆえに、「足の文化」においては全ての人間は平等でいる
ことができる。「足の文化」では人間は差別されないという点は非
常に重要な指摘であるが、今日ではあまりにもこのことが当たり前
すぎて、現代人は「足の文化」をおろそかにしており、時代が「足
の文化」を忘れつつあり、捨て去ろうとしているかのように感じら
れる。

人間の長い歴史の上で「足の文化」に変化の兆しが現れたのは、1
5世紀に世界で初めて活字本として登場したグーテンベルグ聖書に
端を発している。口伝えの文化である言語が音声から文字へと変わ
ったことで、「足の文化」から「視覚文化」へと人間の意識が移っ
ていった。

16世紀にはカメラが登場し、本格的な「視覚文化」の開幕となり
、やがてこれが19世紀の映画の誕生へと繋がってゆく。が、「足
の文化」にとって何より脅威的であったのは、産業革命により鉄道
や自動車が登場したことだった。人間の足を大地から引き離すこと
で急速に「足の文化」は衰退してゆき、入れ替わるようにして「視
覚文化」は飛躍的に発展してゆく。

テレビの登場やそのカラー化への進化、飛行機の登場、コンピュー
ターや携帯電話の登場とその小型化への進化、そして時代はアナロ
グからデジタルへと向かっている。こうして「視覚文化」は留まる
ことを知らず、「足の文化」を抑圧して今や時代は「視覚帝国」と
化している。

「視覚文化」は目の文化であり、空間に偏向した社会である。メデ
ィアも紙のように軽く持ち運びもできる。インターネットは空間的
でありながら瞬時にたくさんの情報を得ることができるという点で
、時間の流れを加速させた。「足の文化」がスローな文化であれば
、「視覚文化」はファーストな文化だと言える。

私たちは世界を全て見ることはできないが、「視覚文化」では世界
を空間化することで区切りをつけ、世界の一部分を私たちは見るこ
とができる。そこでは製作側の意図やメッセージが含まれており、
私たちはそれらを見ているように思っても、製作側から実は見せら
れているのである。写真やテレビや映画を見ている私たちを、更に
その外側から私たちを見ているもうひとつの目があるということは
、「視覚文化」の監視的要素だと言えるかもしれない。

そして、この監視的要素がメディア化された大がかりな「のぞき文
化」へと向かい、それは現代社会を読むための重要なキーワードに
なってきているようだ。直立二足歩行という「足の文化」では人間
は差別されないが、「視覚文化」の上方的、間接的、区別的要素で
は、人間は自然と差別されてしまい、二元論的な思考を作り出して
しまうということだろう。

悠久の歴史は「足の文化」で始まり、「足の文化」に支えられ、時
間とともに歩み、豊かな創造性とコミュニケーション力を図りなが
ら人間の繁栄を見てきた。が、「視覚文化」の登場と発展は人間の
感覚の視覚だけを異常なほどに拡張させ、それが「監視」と「のぞ
き」へと進展し、創造性やコミュニケーション力を希薄にし、確実
に「視覚帝国」へと歴史を導いている。もはや「足の文化」は、実
用的でない娯楽性を帯びたスポーツや踊りとしての価値でしかなく
なってしまったのだろうか。

「視覚文化」において情報量の70%は目からくると言われ、まさ
に「百聞は一見に如かず」である。が、目は今現在あるものしか見
ることができないという保守性を備えている。このことはブランド
を例にとればわかりやすい。消費者はブランド商品の名前や記号と
いう表面的なものにとらわれ、商品が差別化されることで、そこに
物神性を見い出している。

それゆえにブランド商品は消費者の好みが先行し、メーカーは消費
者の既成の視覚情報をもとに商品を製作するために、過去に執着す
ることになる。そのために新製品が出にくいという状況を作り出し
てしまう。

「視覚文化」という最先端文化が保守性を内包しているという事実
は、「視覚文化」の限界を予測していると言えるかもしれない。そ
れは「視覚文化」が石油エネルギーに依存していることからも明ら
かだろう。このような「視覚文化」の危機的状況を「足の文化」が
敏感に察知したのかどうか知らないが、ここへ来て昨今のウォーキ
ングブームは一体何を示しているのだろうか。

ウォーキングは誰でもできるし、歩きながら見ることもでき、思考
をめぐらすこともできる。足が大地を踏みしめることで身体に感じ
る何かがある。鉄道や自動車、飛行機といった「視覚文化」の移動
では感じられない何かが、「足の文化」のウォーキングにはある。

「視覚文化」が与えられたものや既成枠内という保守性を備えてい
るなら、「足の文化」では、歩くことも立ち止まることも人間の意
思ひとつで自由に選択できるという自主性がある。誰にも束縛され
ないし、「足の文化」では誰もが差別されず平等でいられる。大地
を踏みしめる足裏には人間の神経が集約され、そこから得る情報は
個人の体質や体格から様々であり、体感情報から得る思考も人それ
ぞれに違うというメリットがある。

しかし、「足の文化」には注意すべき点もある。それは直立二足歩
行が実は不自然であり、機能的にはまだ未完成であるということだ
。それゆえに人間は完成を求めて歩き続け変化してゆくのである。
ウォーキングという運動によって届く脳への刺激を100とするな
ら、その4分の1は足からもたらされていると言われている。

「足の文化」を通して人間の脳はより活性化され、自然をじかに肌
で感じることから創造性やコミュニケーション力はどんどん培われ
てゆく。そこから新しい発見や現状への打開策も生まれる。そして
何よりも「足の文化」は未来への可能性を切り開いてゆく一歩とな
る。

今日の行き過ぎた「視覚文化」に警鐘を鳴らすように、「足の文化
」のウォーキングが静かなブームとなっている背景には、与えられ
た既成の概念にとらわれることなく、自分自身の頭で考え行動し、
自分なりの納得のゆく人生を送りたいと人々が考え始めたからでは
ないのか。まさに、「人間は考える足(?)である。」

参考文献  「足が未来をつくる」 海野弘著 洋泉社
      「潮」4月号 「脳を活かす」p74〜p113 潮出版社
       「縦横無尽の知的冒険 知性とは何か」
http://www.melma.com/mag/76/m00001576/a00000174.html
==============================
さらにニヤニヤ・・・      アルルの男・ヒロシ
FujiSankei Business i. から転載します。

(転載始め)
テレビ局へ外資導入、中国が今月中に認可
FujiSankei Business i. 2004/11/19
中国政府は今月中に、外国資本の中国のテレビ局への投資と合弁会
社の設立を認可する。すでに、米メディア大手のバイアコムや、メ
ディア王のルパート・マードック氏率いるニューズ・コーポレーシ
ョンなど数社が中国のテレビ局に投資することが決まっている。
これによって、外資のメディア部門の進出が初めて解禁され、外資
のテレビ局への投資が活発化することが予想される。 

 英経済紙「フィナンシャル・タイムズ」によると、中国のテレビ
局への投資解禁は中国ラジオ映画テレビ総局の朱虹・弁公庁主任が
明らかにした。 

 同主任は今月末までに、外資解禁の通達が公表されるとしたうえ
で、「中国のテレビ・ラジオ部門を成長させるには、国際的な競争
力をつけなければならない。外資に中国市場を開放することで、国
内のメディアの経営基盤を強くする」と語り、中国のテレビ局の競
争力強化には、外資の進んだ技術や経営方針などをとり入れなけれ
ばならないと強調した。 

 通達では外資が中国のテレビ局に投資し、設立する合弁企業は資
本金が200万ドル(約2億1000万円)以上で、外資側の出資
比率は49%以下とすることなどが定められている。また、合弁企
業の会社名などのロゴは、合弁会社独自のものが必要で、外資側の
名前は使えず、ニュース番組の制作は一切許可されないという条件
付きだ。 

 しかし、同紙によると、すでに米メディア大手のバイアコムが、
北京市に本拠を置く放送局、北京テレビと番組の共同制作で合意し
、米ウォルト・ディズニーなども番組放映を始める方針を決定。両
社ともまず娯楽、子供向け番組を手掛ける。また、バイアコムは上
海文広新聞メディア集団と子供向け番組を共同制作することも決め
ている。 

 バイアコムは世界最大のメディア・エンターティメント企業グル
ープで、映画、テレビ、出版、その他娯楽関連事業など手がけてい
る。 

 一方、ニューズ・コーポレーションも中国各地のテレビ局と合弁
協議を進めており、数カ月以内に、それらの概要を明らかにすると
伝えられる。同社は香港のスターテレビを傘下に入れるなど、中国
内でも多様な活動を展開しており、今回の通達を機に、メディア部
門の事業展開を拡大する。 

 このほか、豪テレビ局のセブン・ネットワークが北京移動テレビ
局と合弁企業を設立して、番組の共同制作や供給を行う。北京移動
テレビ局はタクシーやバスなどに搭載したテレビ向けに番組を供給
しており、移動テレビとしては中国最大手。 

 米国や香港のテレビ局の対中進出計画も伝えられており、今後は
日本のテレビ局の中国進出も予想される。 
http://www.business-i.jp/news/china-page/news/art-20041118200934-RGMCRSEQMH.nwc
(転載終わり)
==============================
Reply 今度はベルギーあたりに「パートナーズ」? アルルの男・ヒロシ
   
 YSさんの記事を興味深く読みました。

私なりの現時点での読みを書きます。
問題は、フジテレビをどこが押さえるかということでしょう。
古森・ネオコン路線のルパート・マードックか?

それとも
アメリカケーブルテレビの覇者、デヴィッド・マローンか?
人脈的には、今回のフジテレビ買収作戦班は、ボスが宮内オリック
ス会長ということで、チェイス・マンハッタンのロックフェラーに
も近い、マイクロソフト系のリバティ・メディア系(マローン。最
近、ケーブルテレビのジュピターテレコムの大株主になった)に近
いと思われますが、一方で孫正義がマードックにラブレターを送っ
ている。

オリックスは、1967年にチェイス・マンハッタンに100万ド
ルを支援して貰っているので、典型的なロックフェラー・モルガン
系のようです。(オリックス公式サイトから)

宮内・孫・堀江の神戸・佐賀・福岡のトライアングル、そこに和歌
山の竹中さんが加わっている。野中さんは自分の利権を荒らされた
気分でしょう。オリックス宮内のエンロン(現地法人のイーパワー
。当然、アンバンドリング=垂直分離の日米投資イニシアチブ)絡
みの不祥事を暴いているのだそう。敵の敵は味方の理屈で言えば、
反竹中の外資排除派はこの問題では野中・青木を応援するべきでし
ょうね。

ただ、しかし、野中・青木しか頼りにならないなんて、日本も情け
ない国になってしまった。

フジテレビはネオコン系(裏でイギリス系が糸を引いている)とロ
ックフェラー系の利権が極東のど真ん中でどうしてもかち合ってし
まいますね。鹿内一家は、恨み骨髄で今回は宮内に付いた。だから
、ロックフェラー(の周辺のインナーサークルのお仲間)の勝ちか
と思いましたが、事態はどうもそう単純ではないようです。

となると、やはり今度はベルギーあたりに「フジテレビ・サーベラ
ス・リップルウッド・スカイ・パートナーズ」などを作って「相乗
り」でやるしかないんじゃないでしょうか?コンテンツが増えて喜
べるかどうかは、「強力右派連合」(ザ・リーグ)の行方次第かな。
==============================
Reply ハンク・グリーンバーグもクビ? アルルの男・ヒロシ
   
 AIG's Greenberg
Plans to Depart
As Woes Mount
Chief's Exit Could Come
As Early as This Week
Amid Regulatory Inquiries

http://online.wsj.com/article_print/0,,SB111077096158878414,00.html

このニュース、結構根が深そう。
エリオット・スピッツァーは、NY市長選挙を狙っている民主党のホ
ープですが、なんというか往年のフランク・チャーチみたいなもの
なのでしょうかね?

ハンクは、どうもチェアマンとしては居残るみたいですが、CEOとし
てはクビと云うことですか。

どうも辞任のきっかけになった粉飾行為が、バークシャー・ハザウ
ェイがらみというのも気に掛かります。

(引用開始)

Currently, New York Attorney General Eliot Spitzer, federal 
prosecutors and the Securities and Exchange Commission are 
probing a transaction between AIG and Berkshire Hathaway Inc.'s 
General Reinsurance unit four years ago, a deal that has drawn 
scrutiny partly because Mr. Greenberg personally initiated it. 
Over the weekend, a Berkshire Hathaway executive declined to 
comment.

http://online.wsj.com/article_print/0,,SB111077096158878414,00.html
(引用終わり)

これもまた、「代替わり」の一環なのではあるまいか。堤義明が失
脚したことと、ハンクに対して今攻撃が仕掛けられていることには
共通する何かがあるのかもしれませんね。モーリスは、地経学セン
ターを持っているくせに、足下が見えていなかった?

世界的な組み替え(ガラガラポン)の渦中から離れているのは、
どうもロスチャイルド卿(70歳代)のような気がする。

1970年代にロックフェラーを中心に形成された「インナーサー
クル」の主導権を未だにロックフェラー氏本人が押さえているのか。
何しろ彼はもう90歳ですから。

彼は世界貿易センタービルに突入する二機の飛行機を自分のロック
フェラープラザのビルから眺めていたそうですが、果たしてその時
彼は「やったぜ」と思ったのか「これは俺は聞いていない」と思っ
たのか。フジテレビの特番で安藤優子に対してロック氏は「反省の
弁」を述べたらしい(筆者はこの番組を見ていない)。

むろん、投資家として、その後の国際情勢の展開でこういった旧世
代の人たちは、投資を実行して、ガッチリ金儲けはしたでしょう。

ただ、アメリカの勢力組み替えで、誰がインナーサークルの長の地
位にあるのか。こればっかりは何とも言えません。CFR系のハン
クがこれでチェアマンも失脚して、息子に禅譲でもできないとなる
と・・・。

アメリカのインナーサークルの日本における「代貸し」が、宮内氏
や竹中氏であることは間違いないですが。

今この時期に一体どういう事態が進行していたかが詳しく判るまで
は後10年はかかるのかもしれません。

追記:最近、ユシームの「インナーサークル」を読み直しました。
良い本ですね。これは。YS氏に感謝。 
==============================
Reply Re:ニヤニヤ・・・ YS

 ある場所(内緒)でこんな発言をしたっけな。
中国五輪に向けて世界的な再編になると思いますよ。
その最前線が今の日本だろうね。

以下私の書き込み・・・・

怪しい動き 投稿者:YS 投稿日:2005/02/22(Tue) 12:37

どうも米英と日米の関係がぎくしゃくしてるのかも。
豪国民を納得させるためにそれなりのおみやげ話も用意したんだろうな。
日本企業の誘致、あるいはマードックの日本受け入れかな。
そうなると今話題のニッポン放送がターゲット?
フジサンケイグループとマードックの組み合わせで強力右派連合になるな。

2005年02月22日(火) 
サマワの治安維持で増派 豪が日本の要請受け
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/kokusai/20050222/20050222a3790.html

2005年02月22日(火) 
「自衛隊の安全確保のため」 豪がイラクに450人増派
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20050222/K2005022201480.html

豪軍がサマワで治安維持活動、450人増派へ
http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/kokusai/20050222/20050222i203-yol.html 
==============================
Reply ニヤニヤ・・・     アルルの男・ヒロシ
   
 (貼り付け開始)

2005年2月18日

孫オーナー、米メディア王とタッグ 

クラブチーム世界一実現へFOX社会長マードック氏に直談判

ソフトバンクの孫正義オーナー(47)が18日、ワールドシリー
ズ王者と世界一を争う「クラブチーム世界一決定戦」の実現のため
豪州のメディア王、ルパート・マードック(73)=FOX社会長
=に直談判する秘策を明かした。米大リーグ(MLB)機構を初訪
問し、この日、帰国。東京・港区のホテルオークラで報告会見を開
き、3月16日に都内で行われる臨時オーナー会議で各球団に提案
する考えも同時に示した。マードックの賛同を得られれば、夢は実
現に近づく。

 成田空港から会見場に直行した孫オーナーは長旅の疲れも見せず
、MLB機構訪問と世界一決定戦提案の成果を雄弁に語った。「日
本球界の代表としてではなく、一球団のオーナーとして行った。雑
談として意見を語り合った」機構関係者の反応は「少なくとも検討
に値する」にとどまったが、手応えは感じた。

 ワールドシリーズ覇者とクラブチーム世界一を争う夢のイベント
。過去にも実現を望む声はあったが、Wシリーズの商品価値が下が
ることを嫌うメジャー側は無関心だった。

 ひるまない孫オーナーは、仰天の秘策を温めていた。「アメリカ
でWシリーズの放映権を持っているのはマードックさんのFOX。
5年とか6年の複数年契約で合計700億円(実際は2600億円
)払っている。私は大変親しい知人でもあるし、話そうと思ってい
る。アメリカの中だけの価値よりも、本当の世界一決定戦に持って
いけば、さらにコンテンツとしての価値が出る。そう思わないか、
と」96年に合弁会社を設立し、一時的にテレビ朝日の筆頭株主と
なった間柄。敏腕経営者らしく、ビジネスの側面から実現にアプロ
ーチする。

 「メジャーリーグとしても放映権収入が入るから、価値が下がる
とは言えない。抽象論で話してもしようがない。数字で(価値を)
示した方がいい」まだ受話器は取っていないが「来週か再来週に電
話してみようかな」と本気だ。

 壮大な構想の背景には、選手の流出が止まらない日本球界への危
機感がある。「こっちが世界一だ!となれば、メジャーに行くばか
りが選択肢じゃないと選手は言える。行くな!と足を引っ張るより
、行かなくなるような魅力ある環境を作ればいい」

 目標は来年11月の開催。国内の調整にはプロ野球の実行委員会
、構造改革協議会など実務レベルで提案する方法もあるが、孫オー
ナーは「少しずつ積み上げていく話じゃない。オーナーの皆さんに
話す。方向性を決めるのが最初」。あえて3月16日の臨時オーナ
ー会議でぶち上げ、賛同を得られれば具体的に動き出す。「日本の
サッカーが世界一になるのは時間がかかるが、野球は今でも可能性
がある」野望はホークスを世界一軍団に育てることだ。

◆ルパート・マードック(Rupert・Murdoch)
1931年3月11日、豪州生まれ。73歳。52年、家業の「ア
デレード・ニュース」の経営を引き継いで以来、豪州、英国、米国
などで数多くの新聞、雑誌を発行し、テレビ会社を持つマードック
・ファミリーを組織。92年、米FOX社会長兼CEO就任。国内
外の新聞、テレビ放送局を買収し、メディア王の異名を取る。 

報知新聞(2005年2月18日)
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/feb/o20050218_20.htm
(貼り付け終わり) 
==============================
武士道から学ぶ文化と精神   
   
 国際日本文化研究センター教授 笠谷和比古氏に聞く

忠義は服従ではなく能動的
 ハリウッド映画「ラスト・サムライ」の大ヒットで、世界的に武士道への関心が高まっ
 ている。国や時代を超えて、サムライ精神から学ぶべきことは多い。特に、あらゆる分
 野でタガがはずれ、無責任な風潮がまん延する今の日本では、伝統的な価値観の見直し
 によるモラル再建が急務だ。そこで、武士道の本質や武士道が注目される今日的意義な
 どについて、国際日本文化研究センター(文部科学省直属、国立大学共同利用機関)の
 笠谷和比古教授に聞いた。
(聞き手・池田年男・世界日報) 掲載許可

自立した「個」が前提/主君への「諫言」も家臣の務め

○――――○

 かさや・かずひこ 昭和24(1949)年神戸市生まれ。同48(1973)年、京
 都大文学部史学科卒。同53年、同大大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。平成
 元(1989)年、国際日本文化研究センター助教授。同8(1996)年4月から同
 センター研究部教授。専門は歴史学(武家社会論)。この間、ドイツ・チュービンゲン
 大、ベルリン大、中国・北京外国語学院、フランス・パリ大の各客員教授。著書に『主
 君「押込」の構造』『近世武家社会の政治構造』『関ケ原合戦』『徳川吉宗』『武士道
  その名誉の掟』『武士道と現代』など。  

 ――まず、この映画がヒットした背景をどう考えるか。

 一九八〇年代に米国で宮本武蔵の「五輪書」がベストセラーになったが、その背景には、
 日米貿易摩擦をめぐる日本脅威論があった。「五輪書」はいかに勝つかのノウハウを説
 いた内容だから、アメリカのビジネスマンたちは日本があれほどアグレッシブな経済大
 国になった原因を五輪書から探ろうとした。

 そのころと比べると、「ラスト・サムライ」に拍手喝采(かっさい)を送る多くの米国
 民には、もはやそういう脅威論はない。むしろ、滅び行く“サムライ文化”をいとおし
 むような感情が見られる。同時に、今の日本はどうなってしまったのか、すっかり元気
 をなくして、と危惧(きぐ)する思いも働いているのだろう。

 日本には、茶の湯、生け花、能、歌舞伎、染色工芸など世界に発信すべき文化芸術上の
 資産が数多くある。しかし、単に古典文化の保存という形でとどまっているという感は
 否めない。それらを現代に活用できる価値にして、もっと世界全体に貢献してしかるべ
 きじゃないかと、外国人もある種のもどかしさを感じてきた。

 二十一世紀をより豊かで平和な世界にするためにも、日本はもっと独自の文化を発信し
 てほしいという期待感が、アメリカだけでなく、ヨーロッパにもある。情けないことに
 日本はずっと沈滞している。そんな時に、当の日本がやらないからアメリカの映画人が
 手探りでサムライ精神をつかみ出し、映画で表現したということだろう。日本よ、サム
 ライ精神を思い起こせと、日本文化の核心にスポットを当てることで日本の奮起を促す、
 勇気づけのメッセージだと肯定的に受け止めればいいと思う。

 ――「なぜ今、武士道か」という声も出ている。

 背景は複雑だし、人によって思いはさまざまだろうが、私は次のような事情があると考
 えている。

 まず、日本の伝統的文化・精神に対する再評価の動きだ。一九九〇年代のポスト・バブ
 ル期には「リストラ」現象が世間にあふれ、欧米型の個人主義的・契約主義的な生き方
 が大いにもてはやされた。従来の日本型組織と決別して、こういう欧米型のシステムに
 転換すべきことが声高に論じられた。しかし、その結果、大量の失業者が発生し、企業
 の倒産が相次いだ。デフレも深刻化するばかり。日本はかつての活力を失い、未来への
 展望を開けないままに漂流しているかのような現状だ。

 そういう中で、日本人が伝統社会と伝統文化に目を向けて、自らのアイデンティティー
 を問い直し、現在陥っている苦境の原因と、克服するための方法をその中に探り求めて
 いこうとするのは、自然な流れと思われる。

 武士道が注目される二つ目の理由として、強い個人、強靭(きょうじん)な精神を備え
 た人間像に対する渇望やあこがれが見て取れる。それは、現代における個人のあり方、
 自立した個人像をどのように構想していけばいいのかという問題であり、個人の自己責
 任という言葉で表現され、欧米型の個人主義インディヴィジュアリズムの導入という形
 でもっぱら議論されてきた。

 けれども、日本人にはどうしても欧米社会のように契約万能で、ドライに物事を割り切
 って対処するという感覚にはなじめないものがある。もっと日本社会に即した個人の自
 立ということがあり得ないものだろうか。人と人、個人と組織が深い信頼で結ばれ、そ
 れらが両立・調和するような自立した個人の像を求めることができないかという思いは、
 無意識のうちにも存在していたと思う。武士道はこの要請に見事に応えている。日本の
 文化伝統の脈絡において構想し得る、自立した個人像としての武士道ということだ。

 第三の理由として挙げなければいけないのは、武士道に見られる精神的な気高さだ。今
 の日本は、もはやモラルとか倫理という言葉を口にするのも気恥ずかしくなるくらい道
 徳が地に落ち、精神的な荒廃がひどい。自己に誇りを持って生き、志を高く掲げて正々
 堂々と行動し、恥を知って潔く、けじめと責任をわきまえ、死をも恐れぬ勇気をもって
 困難に立ち向かっていくサムライの思想と行動を目の当たりにする時、現代日本人はそ
 の失ったもののあまりに大きいことを今さらながら実感することだろう。

伝統文化を経済に活用/日本再生、繁栄への切り札
○――――○
 ――武士道というと、忠義のイメージが強く、若い世代には拒否反応があると思うが。

 確かに武士道といえば、己を犠牲にして、主君に絶対服従する忠義や滅私奉公の道徳律
 と思われがちだが、そこには大きな誤解がある。例えば、徳川時代を代表する武士道書
 として有名な、佐賀藩士の山本常朝が著した「葉隠」では、主君の命令に対する恭順を
 説いているけれども、他方では「さて気にかなわざる事は、どこまでも訴訟すべし」と
 も主張している。

 つまり、「諫言」(かんげん)という言葉もあるように、たとえそれが主君の命令であ
 ろうと、どうにも納得できない悪しき命令だった場合は、主君に再考してもらえるよう
 繰り返し諌(いさ)め訴えかけるのが家臣たる者の務めであるとする。さらには、「主
 君の御心入(おこころい)れを直し」「御国家(おんこっか)を固め申すが大忠節」と
 述べてもいる。主君の間違った性根をたたき直し、藩と御家を堅固に鍛え上げていくよ
 う奮闘努力することこそが大忠節だと断言する。

 武士道における忠義とは、主君の言いなりになる奴隷の服従ではない。あくまでも個と
 しての自立性、主体性に満ちあふれた武士の、能動的で意志的な組織への関与を意味し
 たのだ。主君・上位者の命令であっても、疑問のあることに対しては容易に服従せず、
 自己の意見を堂々と主張する。私はそれを“剛直の精神”と名付けているが、決して周
 囲の情勢に押し流されることのない自立の信念に立った人物こそ、真に忠義を貫くこと
 ができる人間と見なされていた。そもそも忠義という概念は、個々人の自立性を前提と
 しなければ成り立たない。これは武士道と忠義の関係を考える上で大事なことだ。

 ――武士道に代表される伝統的価値観を現代に生かすには、どうすべきか。

 日本は戦後、ひたすら経済一辺倒でやってきた。諸外国からエコノミック・アニマルと
 軽蔑(けいべつ)されながらも、汗水流し、世界第二位という経済大国にまで発展した。
 その陰で、文化や芸術は二の次で、余暇の時間にすることとされてきた。しかし、今や
 日本の経済的な優位性は揺らいでいる。日本の大きな強みだった物づくりの伝統が傾き、
 生産コストの安い中国などの海外に生産拠点を移していく動きとなって表れている。こ
 のまま推移すれば、日本社会の空洞化はさらに深刻化するだろう。

 従来型の経済体質を一変しなければならない。今までは文化・芸術と経済は別物ととら
 えてきたが、それらを統合すべき時に来ている。日本の伝統社会が蓄積してきた、日本
 ならではの文化・芸術の財産を今こそ活用すべきだと私は提言している。

 眠れる古典的な文化・芸術資産を現代の価値として再生し、鍛え上げ、これらを卓越し
 た製造業、ハイテク技術と合体させることによって、他の国々の追随を許さない超高付
 加価値型の新しい経済体質をつくり上げる。それこそが、日本が力強く復活するための、
 そして永続的に繁栄していくための切り札だと確信している。日本が取り得る最も素直
 でオーソドックスな生き方ではないか。これなら他国に脅威を与えることもない。

 日本の固有のもの、ユニークな要素を生かすことが真のグローバリズムにつながる。こ
 れは他国にも当てはまることだが、かけがえのない固有のものを生かすことがグローバ
 リズムの精神にかなう。グローバリゼーションとか国際化というのは、外にあるものを
 受け入れ順応していく過程のことだと思って、伝統的なやり方を捨て去ったりしてきた
 が、その思い込みと安易な同調が日本社会を弱くした最大の要因と言ってもいい。

 ユニークなものの中にむしろ非常に深い普遍性がある。日本の中から、日本の文化伝統
 を踏まえて世界へ向けてグローバル・スタンダードを発信していくという気概と戦略的
 姿勢が必要であり、武士道こそはその代表的な普遍的モデルとして世界に誇るべき日本
 固有の資産にほかならない。
       Kenzo Yamaoka
==============================
森林環境税、06年度は13県で   
   
 温暖化防止や水源養う財源に
県民税均等割に上乗せ・時事通信社調べ
 都道府県の間で、地球温暖化防止や水源涵養(かんよう)といった森林の機能を維持す
 る対策の財源として、「森林環境税」などの名称で新たな税負担を求める団体が増え、
 二○○六年度には十三県に達することが十二日、時事通信社の調査で分かった。いずれ
 も課税自主権を活用し、県民税均等割に一定額を上乗せして徴収する。

 調査は、二月末から三月初めに四十七都道府県を対象に実施。それによると、既に課税
 している岡山、高知に加え、鳥取、島根、愛媛、山口、熊本、鹿児島が○五年度から、
 福島、神奈川、兵庫、奈良、大分が○六年度からの実施を目指している。

 十三県は、幅広く公平に負担を求める観点から、県民税均等割(年千円)の超過課税方
 式を採用。神奈川を除く十二県が個人、法人を納税者とし、個人は均等割に三百−千円、
 法人は均等割額の3−10%相当額をそれぞれ加算する。神奈川は個人のみが課税対象
 で、均等割に五百円、所得割の課税総所得が「七百万円以下」の部分に0・07%の上
 乗せを予定している。

 また、実施は決まっていないが、岩手、埼玉、新潟、石川、山梨、長野、岐阜、静岡、
 滋賀、和歌山、香川、宮崎の十二県が税制も含め森林保全の財源確保策を具体的に検討
 している。石川の場合、有識者も参加する「いしかわの森づくり検討委員会」が税制検
 討部会を設置。岐阜は「県民協働で森林環境を考える研究会」で、県民税均等割の超過
 課税方式などを議論していく。
 厳しい財政事情も背景に、森林環境税を導入する動きは全国レベルで拡大しそうだ。
 (世界日報)掲載許可
 
      Kenzo Yamaoka
==============================
英語の早期教育には問題多し   
   
 まず「読み書き算盤」の学習を/正確な国語で内容を身につけよ
外交評論家 太田 正利
英語に苦労しないという幻想
   (世界日報)掲載許可

 「語学の勉強は早い時期に始めた方がよい」というのは一面真理ではあるが、それには
 条件がある。一体何故語学を学ぶのかの認識。真の国際交流には日本語・日本文化に対
 する深い理解・認識が前提だ。それには「読み、書き、算盤(そろばん)」に代表され
 る日本人としての基礎教育が不可欠である。外国語は単にピジン英語のような片言では
 なく、「しっかり」した語学力が必須。また、語学教育には欠かせない環境もある。在
 外生活のように当該言語にひたっているわけではなし、週に数時間で足りるような甘い
 ものではない。帰国子女の外国語が「まがりなりにも」何とかなっているのは、そうし
 た環境の下にあったからだし、文明国での初期訓育は徹底しており、日本人のように甘
 やかさない。

 それに最初の教師が重要である。発音その他日本語と外国語のクセをよく飲み込み、か
 つ発音がしっかりした日本人教師の存在が是非とも必要である。外国人教師(言葉をし
 ゃべるだけでは問題外)は余程日本通・日本語通でなければなるまい。同じ言語系の独
 仏人に英語を教えるわけではない。こうして見ると、極く例外的なケースを除いて「早
 期学習開始」然るべしなどという単純な考えは取り除いた方がいい。遊びの中で言葉を
 学ぶ…聞き放しだけで、また、苦労せずに英語が身に付くという「幻想」…に浸らない
 方がいい。下手な外国語勉強より、先ずすべての基礎になる正確な日本語の学習をと叫
 びたい。そして、さらに外国語を深く習得した上で初めて外国人と堂々渡り合える人材
 が育つ。

国語こそ外国語に通じる一歩

 自分で言うのは気恥ずかしいが、筆者は、外国人としての極限まで外国語に接近する実
 験の上、確固たる信念から本稿を楽しみに書いている。「国漢」の家に生まれ、外国経
 験なしの生粋の江戸っ子だった筆者は、最初の英語教師(戦時中)に恵まれ、その後五
 十嵐新次郎(その素晴らしさに魅了され、自分でも出来る…日本人として限界まで英語
 を極めようと決心する契機となった)、トーマス・ライエル(特にシェークスピアー)
 両教授などの個人指導を受け、フランス語では前田陽一、ドイツ語では竹山道夫等々の
 超一流の先生方の指導を受けたことはまことに幸福であった。

 基礎の文法、文体等及び文学を徹底的にたたきこまれ、発音については特にやかましく、
 日本語とは全く異なる、いわば新しいシステムの「音」についての認識を深めさせられ
 た。それに、言葉の裏にある歴史・社会の知識を得ることも大切で、そのため古典を含
 め関係国の文学もよく読み込んで暗誦さえした。当時暗記した文章は今でも脳裏に蘇っ
 てくるし、そのため、どれだけそれらが役立っているか。今でも外国人とは言葉だけで
 なく、彼らと同じ水準の上(同じ土俵の上)に立って会話を楽しみ、必要に応じて交渉
 してきた。

 フランスでは、小学校から易しい古典(例えば、ラ・フォンテーンの寓話など)を徹底
 的に暗記させる。小さな子供たちが一心不乱に、あたかもお経のようにお題目を唱えて
 いるのを見るのは誠に可愛いものだ。日本でも漢文の素読(筆者も小学生当時)が、知
 識人の身についていた時代も極く最近まであった。日本人として先ず国語が大事。昔流
 に「読み書き算盤」がすべての知識の基礎になる。中途半端な早期英語教育は逆効果で
 すらある場合がある。英語で話すことも大事だが、内容のないことをペラペラ喋ること
 はない。戦後米軍の占領下にあった日本で、浅薄な哲学の持ち主だが、英語だけは出来
 るという日本人が如何に外国人に馬鹿にされたか。

 国語を大切にすることは外国語に通ずる第一歩である。フランス人はフランス語の保存
 と純化を守るために、一六三五年にアカデミーフランセーズという学術団体を創設して
 現在に至っている。最近では、フランス語にまぎれ込んだ外国語の使用が法律で罰則付
 きの禁止という事態に至った由である。法律でしかも罰則付きとは穏やかではないが、
 フランス人は大真面目で問題に取り組んでいるという。

国語の乱れと変な英語の氾濫

 最近日本語の乱れには目を覆うものがある。それに外国語の氾濫。それでも外国語が正
 確に使われているならまだしも、外国人にはお笑いとしか思えないものが多々ある。何
 でも横文字をつかえばハイカラとの雰囲気があるが。お菓子の「シュークリーム」は靴
 ズミのこと。「ムーディ」なカフェというのは「憂鬱な」カフェー。最悪のものを二、
 三挙げよう。

 女性用TシャツにBITCHとあるのを見て仰天した。「(盛りのついた)雌犬」という意
 味で、この語を含む三語は直接的な言及を憚ってSOBと書く(公の席でこの言葉を発
 したら侮辱罪にすらなり得る。昔だったら決闘ものだ!)。同じくTシャツだが、
 Lovestinksとあった。stinkは堪え難い悪臭を放つという意味。また、どこかで耳にし
 たyellow cab。滞米経験された向きには分かるのだろうが、キャブとはタクシーのこと。
 これが黄色である。この言葉の含意は?タクシーは誰でも「乗せる」。「日本人は黄色
 人種。日本女性は尻軽で誰でも乗せる」。とんだ差別語として使われることがある。く
 わばら、くわばら!

 横文字を使う場合、その含意を十分把握しておく必要がある。早期英語教育でピジン英
 語なら話せるようになるとしても、品格のある言葉を話せるまでには大変な努力が要る。
 特殊な例外を除き早期英語教育は問題である。それにしても、日本のことを知り、かつ、
 勉強して基礎を学ぶことが何より大切だ。
     Kenzo Yamaoka

コラム目次に戻る
トップページに戻る