1918.山岡コラム



アメリカよ!奢るなかれ   
   
 酒井さんからのメールを転送します。
----------ここから原文----------
今日こんなニュースが入っていた。
◆米議員ら「牛肉輸入再開遅れれば報復も」・日本に警告。
  超党派20人の米上院議員らが24日までに、日本に
    「米国産牛肉の輸入再開が遅れれば報復も」と警告の
   書簡を送付した。

世界の平和を乱す人=汝の名はアメリカなり!!
民主主義・自由主義が、人類にとっての絶対的正・正義であるとアメリカは信
じ、それを全世界・全人類に布教しようとしている。

そのためには、世界の各国々が独自に有史以来築いてきた「歴史、文化、慣
習」などについては、アメリカは全く理解出来ない。
様々な人類が、有史以来蓄え、培ってきた「歴史、文化、慣習」等は、アメリ
カ独立200年の民主主義・自由主義に到底及ばず、すべてアメリカの主義主
張に従うべきだということになる。ことほど左様にアメリカは僭越な国と断言
出来る。
アメリカはこの民主主義・自由主義でしか国内を統一し、統治するしか方法を
持たない。正に「思想」で統治している国であり、これは共産主義という「思
想」の統治・政治と同じことになり、「思想統治」の政治は何れ失敗すると言
うのが歴史のはず。
2050年の世界人口91億人(現在比+26億人)になると、世界は食糧争
奪戦争になろう。
よって人口がますます減少する日本は、今から食糧確保、食糧鎖国に邁進すべ
く、国を閉ざし保護貿易国にならないと、アメリカに言いようにされてしま
う。

と言うのも、「分断されるアメリカ」(ハンチントン著)という本をみると、
アメリカが内包する「二国化への分裂」要因がますます高揚し、その国内の騒
擾を外へ向けて拡散する以外に、アメリカの世界君臨の道がなくなる。そして
君臨出来なくなれば「アメリカの分裂」という、今では考えられない危惧・危
険さえ抱えている国でもあるような気もするからでもある。
お節介な国:アメリカよ! 
汝も自己矛盾に陥る道を辿ることを銘記せよ!!
と言うことに21世紀はなるかも知れない。

一転今日は寒い。ご自愛を。
それではまた。
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 酒 井 信 和    H17年2月25日   
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     Kenzo Yamaoka
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未だに感謝されているとは!   
   
 酒井さんからのメールを転送します。
----------ここから原文----------
今日、20年前の高崎時代のお客さんだった方から、山芋が届いた。
この話は前に、自ら釣って作った「鰺の開き」を送ってくれると言う話を書い
たことがある。
しかし齢70歳も後半戦に入った最近は、海釣りの体力に自信がなくなったと
言うことで、「海がダメらら山さ!」の方向転換で、最近自ら山へ出かけて
行って掘ってきた「山芋」なのだそうです。

それにしても20年も前の、単なる取引の関係(私の叔母と同じ村ではありま
すが)だけで、今日まで心にかけて頂いていること自体、何事にも代え難い感
謝・感謝です。
繰り返しになりますが、当時の「時代の変調」と本人自らの「独特の商売観」
に基づいて、廃業する是非について相談を受けた。いろいろな背景はありまし
たが、私はその場で「廃業」に賛成した。人間誰でも人生最大の決断をする時
は迷うものであるが、その迷いに私が背中を押してあげた形になった。
その結果が、工場や事務所の跡地が、バブル絶頂期の値段で売却出来、老後の
生活資金を十分に手にすることが出来、やがて年金も得てそれこそ悠々自適
で、趣味のゴルフと釣り三昧の生活に入った。
片やそれまで同業であり一緒に苦労してきた商売仲間や友人、知人達は、バブ
ル崩壊で借金の山に埋もれ、廃業するにも廃業出来ず、先の宛もない泥沼の商
売人生に嵌り込んでしまった。
その悲惨であり困苦を歩んでいる人達を日夜周囲に見ていると、あの時の廃業
の決断が、未だ心から離れないようです。
別に私の力が寄与した等とは毛頭思いもよりませんが、今日の幸福な人生の岐
路を選択する「ある人の決断の時」に遭遇し得た喜びは、何事にも代え難い私
の職業人生ではあります。

ともかく感謝出来る人生は、何事にも代え難い至福の人生なのかも知れませ
ん。
以上繰り返しの昔話でした。
それではまた。
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 酒 井 信 和    H17年2月23日   
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     Kenzo Yamaoka
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ピンチヒッター   
   
 酒井さんからのメールを転送します。
----------ここから原文----------
16日(水)同窓会から帰宅すると、珍しく女房から電話。
娘が風邪でダウンし、女房も疲れで限界になってしまったので、とにかく救援
に来て欲しいと。
そこでやむなく、17日朝食も早々に出かける。帰ってきたのが19日
(土)。
どうやら娘も熱が下がり何とか主婦・母親業が出来そうと言うことで、取り敢
えずはホット!!
昨今母親の子供虐待が横行しているが、娘or旦那の両親に万一の時に手助けし
て貰えないような環境下での子育てと言うことになると、今時の若い人達の生
い立ちの苦労知らずから、思わず子供に当たり散らし虐待に走ってしまう可能
性について、ヒョットして我が娘にもありそう? と心配性ながら思ってしま
う気がしないでもない。
娘には、親の「子育て協力」に感謝するならば、そのお返しは、自分の子供が
子育てする時に、今の親と同様に子育てに協力してやることで、その恩返しが
出来るのだと言い置いてきた次第です。
−−−−−−−−−−−−
ところで、区主催の健康講座にご出席の由。
問題は「言うは安く行うは難し」。あとは実践あるのみですね。
健康問題で常に言われること、それは生活習慣・食生活。
しかしこれは最も難しい。
この世に生を受けてから今日まで続けてきた、「生活習慣・食生活」はそう
易々とは変えられない。よしんば変え得たにしても、60年掛かって作ってき
たこの身体を変えるには、早くても60年の半分、即ち30年は掛かると覚悟
をしないと、身体などは変わらない。その覚悟が先ず大事。
などと昔、ある医者に聞いた記憶がある。果たして真なりや?!
何だか健康講座に水を差してしまった気がしますが??

それではまた。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
 酒 井 信 和    H17年2月20日   
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
     Kenzo Yamaoka
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大都市横浜の大地震にどう備えるか   
   
 重森さんからのメールを転送します。
----------ここから原文----------
先日、緊急講演会「大都市横浜の大地震にどう備えるか」を
ご案内頂きましてありがとうございました。
大変参考になりましたので、記憶に残ったことをまとめてみました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
緊急講演会「大都市横浜の大地震にどう備えるか」より
(平成17年2月17日・主催NPO建物長寿命化ネットワーク)

1.横浜市の地震に対する取り組みが積極的である。
例えばREADYという我国初のリアルタイム地震防災
システムの構築、350万人1週間分の飲料水の確保を
目指す循環式地価貯水槽の設置、耐震改修促進事業の推進
(家の耐震改修に対する最大450万円の補助)、
防災に市民の関心を持たせるための施策(市民が作る
「わいわい防災マップ」の作成等)等

2.矢野克己(NPO法人耐震総合安全機構)氏の基調講演
@)東京都23区災害比較を例にとり、中野区は死亡率1位の区で
あるが地震動が少なく、全壊率は21/23、出火率は
22/23位、焼失面積率と焼失棟率は高く、消火と避難が
困難な区である。
全壊率が高い区は死亡率が高いとは言えない。
出火原因は「ゆれ」が大きなため家具等の転倒・下落が起こり、
電気系統が出火の主原因である。

A)耐震性能には倒壊防止レベルと機能保持レベルがあり、例えば
超高層住宅(120m以上)では、倒壊防止レベルは震度7、
機能保持レベルは震度3である。これは最近ブームの
超高層マンションへの一つの貴重な警鐘であり、上層階の揺れが
大きく(震度で0.5〜1上)、避難が困難(狭い階段)、
機能復帰が遅れる(2週間〜1ヶ月)ということである。

B)火災・救難は平時の約50倍に対して消防署は全てに対処しきれない。
   避難所・通信も同様の可能性があり、十分留意する必要がある。
                                    
以上   重森一郎
       Kenzo Yamaoka
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独首相の選挙向けNATO改革論   
   
 イラク攻撃の米国批判世論に便乗/大西洋間の「過去の関係」と批判
日本大学教授 小林 宏晨  (世界日報)掲載許可
多数占めるイラク戦争違法論

 ブッシュ米大統領が二月二十三日に(筆者が滞在する)当地マインツ市を訪問し、シュ
 ロェダー・ドイツ連邦首相と会談する予定だ。周知の如く、シュロェダーは、二〇〇二
 年に、予めシラク・フランス大統領とともにアメリカの対イラク戦争に反対し、選挙を
 有利に展開し、再選された。

 その後、アメリカは、イラクの攻撃を開始し、占領を続けたが、サダム・フセインを支
 援するイスラム・スンニ派を中心とする人脈を徹底的に排除したことがたたり、自爆テ
 ロが止まず、選挙には成功したが、現在も続いている。アメリカは、戦闘中以上に、戦
 闘員を失って現在に至っている。

 ドイツは、アフガニスタンには戦闘員を送っているが、イラクへの派遣は執拗に拒否し
 続けている。その点でドイツは、ことイラクに関しては、フランスと協調行動をとり続
 けている。イラク警察の教育の任務は引き受けたが、その訓練場所は、イラク以外の地
 で行うことにしている。

 ドイツ国民の圧倒的多数は、アメリカの対イラク戦争に反対したし、イラクへの戦闘員
 の派遣も過半数が反対している。ドイツでは、国際法学者の圧倒的多数がアメリカの対
 イラク戦争を国際法違反と見なしている。連邦議会の選挙が来年の二〇〇六年に迫って
 いるので、シュロェダー首相はこの事実を考慮しているようだ。

 私は、アメリカが対イラク戦闘を開始する以前から、その合法性を主張していたが、こ
 のような見解は、ヨーロッパでは少数派にとどまっている。私は、ウイーン大学、トリ
 エール大学、チュービンゲン大学、ケルン大学で講演した際に、合法論を展開してきて
 いるが、学生の本格的反論は聞かれなかった。私は、アフガニスタン戦争、そしてそれ
 以前のコソボ戦争を合法と見なす場合における、イラク戦争を違法とする矛盾を突いて
 いる。

域外安保でEUの分裂を無視

 日本と同様に、国際法学者の中で、戦時法を本格的に研究している学者は、ドイツでも
 少数で、どうもこの事実がイラク戦争の違法性主張の原因となっているようである。先
 日、恒例の第四十一回「安全保障研究会議」がミュンヘンで開催された。この会議は、
 経済中心のダフォス会議に対し、安全保障中心の会議として定着している。

 シュロェダー首相は、風邪を理由に、この会議には参加せず、しかし自己の見解を連邦
 国防大臣に代読させた。結論として、シュロェダーは、グランド・デザインとしてNA
 TO(北大西洋条約機構)の改革を提案した。曰く、NATOは、時代に相応していな
 い。NATOは、大西洋間のパートナー諸国がその戦略的考えを協議し、調整する優先
 的場であり、同様に、欧州連合とアメリカの間で対話が行われる場でもある。しかし、
 この今日的形体は、欧州連合(EU)の比重の増大にも大西洋間協力の必要にも合致し
 ていない。アメリカとヨーロッパの結び付きは、大西洋間的忠実の如き過去の関係であ
 ってはならない。

 NATO改革のために、シュロェダーは、独立的高官によって構成される大西洋間パネ
 ルの設立を提案した。このパネルについて、二〇〇六年初めごろまでに、NATOと欧
 州連合の首脳たちに、その改革を提案すべきとした。同年はドイツ連邦議会選挙の年で
 ある。シュロェダーのパフォーマンスが見え見えである。

 シュロェダーのNATO批判の中で欠落している事項は、欧州連合自体が、いわゆる
 「共同体外安保政策」そのものに成功していない事実である。イラク戦争では、欧州連
 合自体が、賛成組と反対組の二つの派に分かれ、統一見解には成功しなかった。この事
 実を無視することは、シュロェダーの論拠を弱めることになる。

反論呼ぶ独首相NATO批判

 当然のことに、シュロェダーのNATO批判は、アメリカ国防長官ラムズフェルドの反
 論に遭遇した。曰く、NATOは、人類の歴史の中で最も印象深い軍事同盟である。我
 々はこれまで何時でも最も困難な諸問題を解決してきた。何故なら、多くの事項が我々
 を結び付けてきたからだ。それは、共同の諸価値、共通の歴史、民主主義への確固たる
 確信である。

 「安全保障会議」参加者の中には、シュロェダーがNATOの埋葬を意図しているので
 はないかと訝(いぶか)る者さえ出る始末である。代読したシュトルック連邦国防大臣
 は、この提案は、改革すべきNATOの現状記述であって、目標批判を行っているわけ
 ではないと防戦に努めていた。

 野党党首メルケル夫人曰く、我々は、強いNATOを望んでいる。NATOは、安全保
 障政策、討論および軍事行動の場でなければならない。交替する有意連合は、強固な同
 盟の枠内における信頼できる安全保障政策の代替とはなりえない。

 これに対し、ラムズフェルド長官は、使命が連合を規定するとして、対イラク有意連合
 を正当化した。ブッシュ大統領出席のNATO会議の落とし所が興味津々である。シュ
 ロェダー提案は、恐らく日の目を見ないだろう。議論は続く。
     Kenzo Yamaoka
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北朝鮮の狙いは核製造の時間稼ぎ   
   
 例がない実験前の核兵器保有宣言/制裁は国際共同行動時の切り札に
外交評論家 村岡 邦男
介入恐れ外務省声明で宣言か

 二月十日、北朝鮮は六カ国協議参加の無期限中断と核兵器の製造・増産を発表した。

 同国は本年初め訪朝したウェルドン米下院議員一行に数週間以内に六カ国協議が再開さ
 れるとの印象を与え、またこれを受けてブッシュ大統領も一般教書演説で北朝鮮非難を
 自制した。中国も春節の休日明けに要人を派遣して北朝鮮を説得する準備を進め、協議
 再開に向け各方面で期待が高まっていた。それだけに今回の発表の衝撃は大きい。

 他方、核兵器の製造については、九〇年代中期から米情報機関は「北は一ないし二個の
 爆発装置を製造」と見積もっていた。〇三年春に北が使用済み燃料棒からプルトニウム
 を抽出した後は、これに五〜六個が上積みされた。北側が核兵器保有を明言した事例も、
 同年四月米中朝三カ国協議で北代表がケリー米代表に耳打ちしたのに始まり、ウェルド
 ン議員に対する金桂官第一外務次官の発言に至るまで枚挙にいとまがない。昨年九月に
 は労働新聞が論評で「日本国土を核戦争の火の海とする」と、あからさまな核脅迫さえ
 行った。

 このように核兵器製造の発表自体は驚くに当たらないが、問題は今なぜ外務省声明とい
 う最も重い形で核保有を公にしたかである。核保有は核実験で明らかになるのが通例で、
 実験前に宣言した例は未だかつてない。それは核兵器開発中の期間が軍事的に脆弱で、
 外部の介入を招きやすいからである。北の核保有宣言は、前記のプルトニウム型核兵器
 に加えウラン濃縮についても進展があり、最脆弱期を越えたとの自信の表れと見ること
 ができる。

 今までの六カ国協議で、米国はパキスタンの濃縮技術が北に流れた事実をつかみその廃
 棄を迫ったが、北は頑強に濃縮計画の存在を否定してきた。米側の見積もりには幅があ
 るが、年間核兵器二〜六個分の濃縮ウラン製造能力を持つと言われる。現在運転中の黒
 鉛実験炉からは年間核兵器二個分のプルトニウムが抽出可能といわれるから、双方で年
 間四〜八個の核兵器が現有の六〜八個の在庫に加わることになる。

6カ国協議に戻らない可能性

 北朝鮮が瀬戸際政策を遂行しようとすれば、核およびミサイル実験の可能性も現実性を
 帯びてくる。十個を超す核兵器を保有し核実験も行えば、ひとかどの核保有国であり、
 交渉でも強い立場に立つ。核を放棄させることはますます難しくなろう。

 こう考えると、交渉中断は核兵器製造の時間を稼ぐため、との推論に到達する。もしこ
 の推理が正しければ、北側は少なくとも一年、恐らく二年ほどは交渉のテーブルに戻ろ
 うとはしないだろう。外務省声明で第二期ブッシュ政権は対朝鮮孤立圧殺政策を強化し
 て北の「制度転覆」を狙っていると口を極めて攻撃しており、日本についても偽遺骨問
 題をでっち上げ平壌宣言を白紙化したとして、同席拒否の意向を示している。他国につ
 いての言及はなく、日米と他の三国との分断を狙っていることは明らかで、ここからも
 六カ国協議を継続しようとする意思は汲み取れない。確かに外務省声明文は、対話と交
 渉による解決の原則と朝鮮半島非核化の最終目標は不変、と結んでいる。だがそれは外
 交的修辞にすぎないだろう。

 今後の展開の鍵を握るのは、北朝鮮経済の生殺与奪権を握る中国の動きである。中国は
 北の核保有が日本等へ波及することを真剣に懸念し、今回の北朝鮮の行動に不快感を隠
 していない、と米国紙は報じている。しかし中国の出方はまだ一つ明瞭でなく、ここ数
 週間の動きを注目したい。

 また韓国の鄭東泳統一相は十四日の国会答弁で北朝鮮の声明について、「これは核保有
 の公式主張にすぎず、北を核保有国と認めるのは早急」と述べ、北から要請された肥料
 五十万トンを予定通り供与する意向を示した。一国の安全を司る政府当事者は、常に最
 悪の事態を想定して対策を立てるべきであるのに、いたずらに楽観論を流布するのは無
 責任というほかない。果たせるかな米国は韓国に対して、対北協力には慎重であるよう
 に求めたという。

「癌」として中韓は認識共有を

 他方わが国では、拉致問題に関連し単独でも制裁を行えとの議論が強い。しかし、日本
 だけが制裁に進めば北にミサイル実験等、瀬戸際に突き進む口実を与えかねない。折し
 も三月一日から「改正船舶油濁損害賠償保障法」が施行され、船主責任保険に未加入の
 百トン以上の船舶の入港が規制され、ほとんどの北朝鮮籍船がこの規制にかかる。現行
 法の執行適正化により、北への圧力手段となる余地も少なくない。今は制裁の名にこだ
 わらず、無理なくできることを実行することが適当であろう。制裁は国際共同行動を取
 る時の切り札に取っておきたい。

 北朝鮮の核保有は東北アジア安保の癌である。早期にとり除かないと取り返しのつかな
 いことになる。外科手術にせよ、癌に対する栄養補給の遮断術にせよ、患者には痛みが
 伴う。しかし、これは長期的なアジアの安定のために必要な処置である。中韓両国の指
 導者がこの認識を共有し、責任ある行動を取ることを期待したい。世界日報 掲載許可
 
      Kenzo Yamaoka
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北朝鮮貨物船など16隻、来月以降も入港可能に   
   
 改正油濁損賠法で政府、証明書交付
NZ社と保険契約
 政府は二十五日、三月一日から施行される改正船舶油濁損害賠償保障法に関し、北朝鮮
 船十六隻から、日本に入港する際必要となる一般船舶保障契約証明書の交付申請があり、
 要件を満たしているとして、全隻に同証明書を交付した。これにより、十六隻は三月以
 降も日本への入港が可能となる。北側一雄国土交通相が閣議後の記者会見で発表した。

 改正油濁損賠法では、自民党内に実質的な北朝鮮への制裁効果を見込む考えがあった。
 しかし北朝鮮船の一部が要件をクリアしたことで、一段と特定船舶入港禁止特別措置法
 などに基づく経済制裁の発動を求める意見が強まりそうだ。

 十六隻の内訳は、一般貨物船九隻と水産物を運んでいる冷凍物運搬船七隻。北朝鮮の元
 山港と新潟港を行き交う貨客船「万景峰号92」は含まれていない。

 政府は、十六隻が保険契約を交わしたニュージーランドの保険会社の証書について、外
 交ルートを通じて照会した結果、真正に発行されたものであることを確認。証明書を交
 付した。

 細田博之官房長官は二十五日午前の記者会見で、今回の対応について「法令に照らして
 申請が適法であると判断した」と強調。拉致問題をめぐる今後の交渉や、六カ国協議へ
 の北朝鮮の復帰を呼び掛けている問題への影響などについては「まだ分からない」と述
 べるにとどめた。
外国機関に密入国情報を提供
入管法・刑法の改正案決定−政府
 政府は二十五日午前の閣議で、テロリストの密入国阻止を目的とする出入国管理・難民
 認定法(入管法)の改正案と、人身売買罪を新設した刑法改正案を決定した。入管法改
 正案では国際犯罪に対処するため、法相が密入国者に関する情報を外国の入国管理機関
 に提供できるようにする。
 今回の入管法と刑法の改正は、国連の国際組織犯罪防止条約に付属する「密入国議定書」
 と「人身取引議定書」を批准するための国内法整備の一環。入管法改正案では、出入国
 管理や難民認定行政に関する情報について、法相が外国政府の入管機関からの要請に応
 じて、相手国に提供することを認める。法相は、相手国が提供情報を捜査や裁判に使用
 することにも同意できる。

 また、偽造された旅券の授受や所持を罰する「不正受交付罪」を新設し、三年以下の懲
 役または三百万円以下の罰金を科す。有効な旅券やビザを持っていなくても、人身売買
 の被害者であれば国外退去処分とはせずに、国内滞在を特別に認める。

 刑法改正案は「人を売り渡した者」を「一年以上十年以下の懲役」とする条項を設けた。
 「人を買い受けた者」は「三カ月以上五年以下」の懲役とし、営利やわいせつ目的の場
 合は「一年以上十年以下の懲役」とした。(世界日報)掲載許可
 
     Kenzo Yamaoka
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独裁主義国家に進むチャベス政権   
   
 南米産油国で後退した民主政治/ならず者国家は世界平和の脅威
在米外交評論家 那須 聖
民主化に逆行するベネズエラ(世界日報)掲載許可

 第二次世界大戦が終わると、英、仏、スペイン、ポルトガルなどは植民地を手放して独
 立させた。日本も満州、台湾、朝鮮半島などを返還したり、独立させた。こうして植民
 地国家時代は終わり、植民地争奪戦争の可能性はなくなった。また二十世紀終わり近く
 になると、四十五年続いていた冷戦がソ連帝国の敗北に終わり、東欧の衛星諸国だけで
 なく、ソ連邦十五の共和国も独立し、その一部は民主主義国家になった。さらに二十一
 世紀に入ると、アフガニスタン、イラクも民主主義諸国の仲間入りした。こうして独裁
 国家ないし全体主義国家は減って、民主主義国家が増えたが、これはグローバリゼーシ
 ョン進行中の世界の平和という観点から重要な意義をもっている。

 世界史を見ると、戦争を始めるのはだいたい独裁国家、全体主義国家の指導者である。
 ナポレオン、ヒットラー、東條然り、冷戦を起こしたスターリン然りであった。民主主
 義国家の指導者は民意に沿った政策を実施しなければ、次の選挙で政権を手離さなけれ
 ばならなくなる。国民大衆は戦争で人命などを犠牲にするのは反対で、常に平和裏に生
 活したい。従って民主主義国家の指導者は、原則として戦争を起こさない。ところが独
 裁者の中には野心家が多い。彼らは世界の平和、地域の平和などは念頭になく戦争を始
 めることが比較的多い。従って民主主義国家が増えたことは、それだけ戦争の可能性が
 減ったことを意味する。また、国民大衆は自分たちの意志が通る政治をしてもらいたい
 から、独裁主義より民主主義を望むのが常だ。

 一方、現在では世界的に民度が高くなり、独裁主義国家が民主主義国家になるケースは
 多くても、民主主義になった国家が独裁主義に戻るケースはほとんどない。しかし例外
 もある。南米大陸の東北端に位置する石油の主要産出国べネズエラがそれで、今後国際
 紛争の焦点の一つになるであろう。

カーター監視団は節穴も同然

 同国のチャベス氏は民主主義的な方法で選出された大統領だった。が、拙劣な経済政策
 のため石油輸出国でありながら国民生活は苦しく、その上キューバのカストロのような
 独裁政権を打ち立てようとしたために、産業界、労働組合が反対してゼネストを行い、
 リコール選挙を要求した。昨年このリコール選挙が行われた。

 このとき二十世紀を通じてアメリカで最もお粗末な大統領であったカーター氏が選挙監
 視を買って出て、監視団の団長として同国へ赴いた。しかし、ベネズエラ政府当局者は
 カーターの監視団に自由に行動させず、チャベス支持者の多い、全体の1%以下の選挙
 区だけを指定して監視を認めた。一方、マスコミその他の独立機関は選挙当日投票所で
 出口調査を行ったが、その結果によると、59%対41%の大差でチャベス氏敗北と出
 た。

 ところがチャベス氏の管理下にあった選挙委員会は、逆にチャベス氏が59%の支持を
 得たと発表し、カーター監視団は選挙委員会の発表を鵜呑みにして、同氏の勝利を認め
 た。このため同氏は大統領の職にとどまることができたのである。しかし、ハーバード
 大学などの専門家らは、このリコール選挙は少なく見積もっても99%まではインチキ
 であったと言っている。

 十余年前に北朝鮮の核開発が問題になった時も、カーター氏はクリントン大統領に頼ん
 で交渉のために北朝鮮へ出してもらった。その時も彼が杜撰な協定を結んだために、北
 朝鮮は密かに開発を続け、現在ではさらに大きな問題になっているわけだ。

 一方チャベス氏は、さらに独裁体制を強化して言論統制を行い、軍部の中にいた批判的
 勢力を追放し、最高裁に都合のいい判決を打ち出させている。また国際的にはキューバ
 との外交的、経済的、軍事的協力関係を密にし、コロンビア政府が麻薬テロリストを逮
 捕したのを非難し、ことさらアメリカに反対する政策を打ち出している。アメリカのラ
 イス国務長官はチャベス氏をベネズエラにとってだけでなく、多くのラテン・アメリカ
 諸国にとっても危険な人物だと公言している。

 ブッシュ大統領は三年前に、独裁国家で、核兵器を開発していた上に、テロリストの温
 床になっていたイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだが、この中でイラクは
 民主主義国家に衣替えしようとしている。またイランの若年層の間では、現在の独裁政
 権に反対する空気が濃厚になりつつあるのに対して、北朝鮮ではそのような勢力は少な
 くとも表面には出ていない。従って両国に対するアメリカ政府の対応は違う。

シリア暗躍かハリリ氏の暗殺

 ところで二月中旬、レバノンの親米派で、シリアのレバノンに対する政策に反対してい
 たハリリ前首相がテロによる爆弾事件で暗殺された。これにはレバノンに駐留している
 シリア軍が手を貸した可能性が多分にあると見たアメリカ政府は、シリア駐在大使を召
 喚した。シリアもテロリストの温床で、パレスチナ・テロリストらが深く根を下ろして
 いる。このためにハリリ氏暗殺を契機に国際的な制裁を受けるのではないかと恐れ、突
 如イランと共同戦線を張ることを宣言した。

 一方、北朝鮮は核兵器開発に関する六カ国協議に応じるかどうか、態度を決めかねてい
 る。国際的に通用する主義、主張を持たないからだ。

 少し長期的な眼で見ると、独裁国家、その中でもならず者国家は衰退しつつある。とこ
 ろが、一部では最後のあがきであるかのように、懸命に無駄な生き残りを策しつつある
 ともいえよう。

     Kenzo Yamaoka
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 「祈る平和」から「つくる平和」へ   
   
 無人ヘリで地雷除去 ベテラン教員派遣も
カンボジアで広島県
 被爆者を追悼し、核廃絶を訴えるだけで平和は訪れるのか――。広島県は戦後六十年と
 なる二○○五年度、「『祈る平和』から『つくり出す平和』へ」を理念に掲げ、内戦で
 荒廃したカンボジアで地雷除去や教員養成の事業に乗り出す。県国際企画室は「自治体
 が行う平和貢献のモデルにしたい」と意気込んでいる。

 貢献の柱の一つ、地雷除去事業では、無人ヘリコプターで地雷を探知、その場で破壊す
 るシステムの実用化を目指す。野波健蔵千葉大教授らと同県府中市の無線操縦ヘリメー
 カー、ヒロボーのシステム開発を全面支援する形で、現地調査を実施。○六年度にも実
 証実用化につなげる計画だ。

 現地では内戦終結から十年以上たった今も、六百万個以上の地雷が埋設されたまま。足
 を失うなど犠牲者が一日当たり六十五人に上るといい、「地雷による『見えない恐怖』
 から人々を救いたい」としている。

 同教授らは、最新の制御技術を使い、自力飛行できるヘリを開発し、山間部の送電線点
 検で飛行精度を試験中。今後の課題は、草木のある所でも正確に地雷探知できるセンサ
 ーの確立だ。

 同教授は「原爆放射能の『見えない恐怖』に苦しんだ広島が取り組む意義は大きい」と
 話す。県新産業振興室は「センサーや画像処理など先端技術を持つ企業の集積につなが
 れば」と、経済活性化にも期待を示す。

 一方の教員養成事業では、四十歳ぐらいの指導経験豊かな教員を、首都プノンペンから
 北西へ約三百キロにあるシエムレアプ州に派遣する計画。算数の効果的な教え方や研修
 のノウハウなどを伝授したいとしている。

 現地学校を調査した県教育委員会指導第一課の米谷剛指導主事によると、ポル・ポト政
 権時代に教員の八割以上が弾圧された影響で、現在は急いで養成された二十−三十代の
 若手が中心。月給が安いため、夜に別の仕事をしている人もいる。教科書はヨーロッパ
 からの物で質が高いが、教員が内容を十分に理解できていないケースがあったという。

 同指導主事は「筆記用具すら満足にそろわない環境だが、教員は熱心で、子供は一人も
 よそ見をしなかった」と振り返り、「派遣される教員にとって、教育の原点を見詰め直
 す貴重な経験になるはずだ」と話している。世界日報 掲載許可
 
      Kenzo Yamaoka
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教育に競争原理導入   
  
 改革のため「篩にかけた」
郁文館学園 渡邉美樹新校長に聞く
 東証一部上場企業「ワタミフードサービス」の渡邉美樹社長がこのほど、私立中高一貫
 校「郁文館学園」(東京都文京区)の校長に就任した。前校長の小林節・慶応大教授が
 任期半ばで突然辞任したため、兼務する形となった。本業との兼ね合いから、週に一、
 二日しか学校に行かないという同氏に、教育目標や現在進めている改革の進捗状況など
 について聞いた。(聞き手・吉原正夫・世界日報)掲載許可

 ――三学期の始業式で「改革が二期目に突入した」と挨拶(あいさつ)された。第一期
 目にどんな改革を行い、今後どう展開するのか、伺いたい。

 だめになる学校にはだめになる理由がある。先生が先生としての仕事をせず、生徒にし
 っかりとしたかかわりを持っていない。人格否定もいとわず徹底的にあるべき姿を伝え
 たのが第一期だった。

 第二期は先生が自ら考えて自ら行動していく時期になる。第一期は、時間だけ過ぎれば、
 給料をもらえるという考え方、生徒のことよりも自分のことを考えるという悪い文化を
 破壊した時期。篩(ふるい)が必要だった。改革が達成できたのは、小林先生のおかげ
 だと思っている。

 ――小林氏は二学期の終業式の前日に突然辞任した。これから受験シーズンに突入する
 という大切な時期に、しかも、生徒や保護者に挨拶もなく辞められた。

 体の具合が悪いから仕方がない。心臓に明らかに異常が出ていた。体の具合が良くなれ
 ば、小林校長に復活してもらうという考えもあったので、一月八日になって、生徒や保
 護者に説明した。

 ――小林氏に不愉快な思いをさせられたとして、保護者会活動から身を引き、子供を転
 校させた母親がいる。小林氏が校長室で飲酒していたという話もあるが。

 聞いている。それは辞任とは関係ない。飲酒しても仕事中ではなかったと信じている。
 転校した件については、実際にそのご父兄とも会ったが、具体的には何もおっしゃらな
 かった。小林先生は「私に一切非はない。どこに出てもいい。事実があるのなら、訴え
 てもらいたい」と言っていた。だから、私にはそれ以上何も分からない。

 ――小林氏との間に教育観上の温度差はなかったのか。

 温度差はなかった。やり方が違った。私は先生にどんどん仕事を任せようとした。小林
 先生は「まだ任せられる段階ではない」と自分の中に仕事を取り上げようとする。何回
 も議論したが、最後には必ず私に従ってくれた。私と小林先生がぶつかって、それゆえ
 に突然の辞任があったということではない。

 ――後任は考えなかったのか。

 考えなかった。いまも考えていない。実際、私は上場企業の社長だから、週に一回、も
 しくは二回しか学校に出てこられない。教頭と事務局長の二人の力を借りて、いまは校
 長がやれているという状況。改革二期目は私が校長だが、三期目には新しい校長を迎え
 るかもしれない。

 ――「夢教育」を教育目標に掲げている。著書には「将来の具体的な職業などを意識し
 た夢を生徒たちに設定させ、その達成のための方法を教える」とあるが。

 それも一つ。ベースは「何のために勉強するか」という動機付けをすること。いまの大
 学生がなぜニートになるか。それは目的が常に中学は高校、高校は大学にあったから。
 これからの教育に一番大切なことは、子供たちに勉強する目的を持たせることだ。大学
 は目標ではなく手段であると教えることが、その子の人格形成に非常に大きな影響を与
 える。

 ――子供たちが社会や社会人に夢を抱いているとは思えないが。

 抱いていない。子供たちは世の中がどうなっているか分からないから、自分が活躍する
 場をイメージできない。また、どういう人が活躍しているかを知らない。だから、世の
 中はこうなっていると教えてやり、夢を持ってぎらぎら生きている大人を彼らに順番に
 紹介している。たとえば、横浜の最年少の政治家に来てもらって、市会議員はこういう
 仕事をするところだ、と話してもらった。

 ――いまの日本の教育に何が必要と考えるか。

 競争原理がない。私立にも公立にもない。だめな学校はつぶれろ、といっているわけで
 はない。努力をしない学校がつぶれていくというメカニズムがこの日本には必要だと言
 っている。

 ◇

 わたなべ・みき 昭和三十四(一九五九)年生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。
 「ワタミフードサービス」社長。特定非営利活動法人「スクール・エイド・ジャパン」
 理事長。著書に「さあ、学校をはじめよう」など。

 ◇

 郁文館学園の沿革

 明治二十二(一八八九)年創立。毎年、有名国立・私立大に多数の合格者を輩出する中
 高一貫の私立男子校。生徒数約千六百人。平成十四年ころ、経営をめぐり内紛が起こり、
 かねてから学校設立を希望していた渡邉美樹氏が一部理事の招きで理事長に就任。顧問
 弁護士の小林節氏を校長に起用したが、昨年十二月、任期(三年)半ばで突然辞任。今
 年一月渡邉氏が兼務する形で校長に就任した。
     Kenzo Yamaoka
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知識超越し「悟り」の世界   
   
 澤木老師と出会い坐禅深める
日本綜合医学会永世名誉会長 沼田 勇氏

 私が北里研究所で生化学の研究に没頭していたころ、芝の増上寺の椎尾弁匡(べんぎょ
 う)大僧正から「あなたは化学の研究をしているようだが、それで死ぬとき、楽に死ね
 ますか」と聞かれた。

 「いや益々、死にたくなくなるでしょう」と答えると、「それはおかしい。死なない人
 がいますか」と言われた。それで化学の研究だけでなく、仏教についても勉強しようと
 思いました。夜店で、澤木興道老師の『禅談』を手に入れて熟読したが、面白かったで
 すね。

 その澤木老師が戦後、開業した静岡県大仁の福巌院(後専門道場)に疎開していたので
 す。私より三十三歳、年上でした。彼は胃潰瘍(かいよう)だという。彼の食事の世話
 などをしていた人も、胃潰瘍になって私の病院に担ぎ込まれたので、玄米食で治してあ
 げた。その玄米食を澤木老師も食べるようになって、元気になられたのです。

 総持寺後堂、駒沢大学名誉教授などを歴任し、後に「真の坐禅を現代に蘇らせた昭和の
 名僧」と高く評価される彼の話は本物でした。

 澤木老師という人は、幼くして両親を亡くし、苦労した人です。常に逆風の中に生きて
 きた。ですから常に誰も自分の味方はいない、ゆえに一切人には頼らないという生き方
 でした。しかし、その風貌(ふうぼう)はいかにも昔来の禅僧らしく、その気迫に満ち、
 かつユーモアとさわやかな語り口は多くの人々を魅了しました。彼の講演を聞き、出家
 して尼さんになる女性が後を絶たず、老師の講演が近くで開催されるとなると、自分の
 娘を隠したといううわさが立つほどだったのです。

 その澤木老師から最初に私が頂いた色紙が、「不染汚」(ふぜんな)。これは「ほめら
 れても何ともない。けなされても何ともない。仏行は不染汚の行と言ってもよいぐらい
 だ」という解釈をしています。これが師からいただいた最初の法益(ほうやく)でした。

 これは私の生涯のテーマともなりました。

 道元禅師(一二〇〇−五三)が十五歳の時、山川草木悉皆(しっかい=ことごとくの意
 味)成仏というが、なぜ人間だけが修行して改めて悟らなければならないのか悩み、中
 国へ修行の旅に出掛ける。その結論は、知識があるから死の恐怖がある。死のあること
 を知っているのは人間だけです。死に対する恐怖、それをカットできれば怖いものなし
 です。知識のメリットで生活し、知識のデメリットで死の恐怖がある、ということです。
 澤木老師も、知識で判断すれば一八〇度間違うと常々言っていました。

 老師の遺言状は、私が書きました。師から、誰にも迷惑をかけない死に方はあるか、と
 尋ねたのです。彼には家族がいない。どこで野たれ死ぬかわからないので、そのように
 聞いてきたのです。

 私のアドバイスは、遺言状を書き、電話賃十円を用意し、戸籍謄本を一緒にしておくよ
 うに、ということでした。遺言状の文面は、簡潔です。

 「私が死亡の際は、私の身骸を最寄りの大学の解剖学研究室に提供する」

 どこか外で倒れた際、遺体を発見した人がこの遺言状を見て、近くの大学に連絡を入れ
 てもらうよう十円玉を同封したのです。澤木老師は昭和四十年十二月末の寒い日、京都
 で息を引き取りました。私も行こうとしましたが、脳溢血の患者がいて駆けつけること
 ができませんでした。

 澤木老師の最後の言葉は、「どうもおれは死ぬという実感がでないのじゃがのう」とい
 うものでした。つまり未だ死んでいないから死の実感が出ないのは当たり前で、妄想し
 ていない証拠です。八十六歳でした。

 老師亡き後、大仁の地元で坐禅会を私が主宰しています。かれこれ五十年を超えますが、
 坐禅を自分のために行う人はあっても、民衆のため、と考えて坐禅を組む人が少なくな
 ったのは残念です。

(聞き手=鴨野 守)世界日報 掲載許可


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