1895.米国の自由の拡大と宇宙支配



米国の自由の拡大と宇宙支配   S子   

 私はノーム・チョムスキー著作の「覇権か、生存か」を読んだ。こ
れを読むとブッシュ政権二期目の外交方針の中核である「圧政の終
焉と自由の拡大」の意味するところが、「あぶりだし」のように明
らかに見えてくる。

9・11事件の報復劇となった米国のアフガニスタン侵攻とそれに
続くイラク戦争に始まる米国の中東支配戦略は、石油というエネル
ギー確保の確立とドル基軸通貨体制維持という米国戦略上の要であ
る両輪を確固たるものにすることである。

つまり、米国にとって石油とお金はこのうえない宝物だということ
だ。そこから米国の軍需、ハイテク産業の経済活動が、世界におい
てできる限り自由に拡大できるように米国型資本主義を世界に浸透
させることであり、それによって極端な貧富の差を生じさせ、世界
の対立構造を更に煽ってゆく。

米国への憎しみを煽りながら米国は対テロ戦争という構図に世界を
導き、「力」の抑止力に向けて持たざる国に「核」を保有させるこ
とにある。「核」の保有が世界に拡大してゆくことで「核」の敷居
は低くなり、「力」の抑止力という意味では人々にひとまずの安心
感を与えこそすれど、世界に「核」の脅威は更に広まる。そこから
弾道ミサイル防衛構想が生まれるのだが、この弾道ミサイル防衛こ
そが米国の狙っていることであり、米国の本意である。

『弾道ミサイル防衛の本題は「宇宙を兵器化するためのトロイの木
馬」と広く認識されており、高度に攻撃的な兵器が宇宙に配備され
るか、宇宙から誘導されることになっている。・・・弾道ミサイル
防衛は・・・「アメリカとNATOの行動の自由を保持すること」が
目的だとされている。

・・・ミサイル防衛は、本当はアメリカを守るためのものではない
。地球支配の道具なのだ。・・・弾道ミサイル防衛は「防衛ではな
く、攻撃に関わるものだ。だからこそ、我々はそれを必要としてい
るのである」。弾道ミサイル防衛は「国際関係の中で力を用いるか
、力を用いると威嚇する完全な自由」をアメリカに与えるだろう。
』(「覇権か、生存か」p323〜p325ノーム・チョムスキー
著 集英社新書より)

更に、圧政の終焉とは何も他国の国内体制のことを指し示している
のではなく、この地球上から圧政をなくし、米国一国支配体制とい
う新たな圧政の始まりを指しているのであり、米国が自由にこの地
球上で生存し続けることができるようにすることを言っている。

また、米国の戦略の要となっている中東支配には、イスラエルの存
在は欠かせない。ブッシュ大統領の精神的導師はイスラエルのナタ
ン・シャランスキーというロシア出身のユダヤ人右派論客であり、
米国ネオコンとも深い繋がりがあるようだ。そして、ナタン・シャ
ランスキーがイスラエルのシャロン首相に与える影響も大きく、そ
の政策はシャロン首相よりも更に強硬だと言われている。

現在イスラエルの総人口は約678万人であり、その内訳はユダヤ
系81%、アラブ系19%となっている。04年度の移民2・1万人
の半数強が旧ソ連となっていることや、イスラエルにおける貧富の
格差拡大が米国に次いで多いというのも、米国とイスラエル二国間
の深い繋がりを見る上では大変に興味深いところである。

そのイスラエルにとっての自由の拡大とは入植地の更なる拡大であ
り、中東におけるイスラエルの生存権を米国の後押しで確固たるも
のにすることである。つまりブッシュ大統領の言う「圧政の終焉と
自由の拡大」とは米国とイスラエルの二国家ビジョンを指している
と見たほうがいいだろう。

おもしろいことに、米国はこうして米国の外交政策や戦略を世界に
向けて発信し、その手の内を明らかにしているにも関わらず、世界
のどの国もそれを止めることはできない、ということである。それ
だけこの世界が石油とお金に強く依存し生存しているということで
あり、石油とお金なしでは国家としての生存が弱体化するシステム
になってきている。というか、そのように米国が世界を誘導してい
る。

結局米国は国家としてただ生存するというだけでは満足できず、「
歴史的な指導者」として超然とこの世界に君臨したいのである。そ
のためには米国は世界のあらゆるシステムを解体し、米国独自のシ
ステムに世界を変容させてゆく。

特に日本の小泉政権は同盟国としてその旗色を鮮明にしているから
、日本における変容は、今後様々なところで見られるのは日常的に
なるだろう。

当然のことながら、これから私たちに求められるのは、その変容さ
に対応できる柔軟で自由な思考とそこから生じる知覚を鋭敏にする
ことで、現実認識をより豊かなものにしなければならない、という
ことである。そのためには私たちは、繊細かつ微細な心を身に付け
た大人にならなければならない。

また、今日世界はグローバル化により国家概念が希薄になり、相互
依存体質がより強まることで個人が強化され、その生き方が大きく
問われるようになった。人々の視点が大きいものから小さいものへ
と向かい始めたのだ。

だからこそ相互依存とは言っても、互いのないものを頼りあい助け
合うと言うような弱い依存関係ではなく、何があっても共倒れにな
らないように、互いに持つ潜在能力を引き出し合うことができるよ
うな強い自立した依存関係が、これからは必要になると私は思って
いる。互いの持つ「力」を引き出し、それを活かしながら生きてゆ
くことが大切になり、結局はそれが私たちの生きる力を一層育むこ
とになる。

米国のブッシュ大統領は「圧政の終焉と自由の拡大」を声高々に謳
ったが、現実というものが個人の思考や知覚という枠内で認識され
るものであるのなら、私たちはより自由な思考と鋭敏な知覚を培う
ことである。

それこそがまさに私たちが圧政からの終焉を見ることであり、現実
認識を自由に拡大できることである。それと共に、私たちは現実世
界を心豊かなものに自ら変容させることができる。

参考文献  「覇権か、生存か」 ノーム・チョムスキー著
                      集英社新書
       毎日新聞 国際ニュース
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/chuto/
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         少子化             とら丸   

日本は少子化と少子化がもたらす経済停滞に苦慮している。さまざ
まな手をうつがうまくいかない。

なぜか。

それは少子化の原因が国の仕組み、すなわち役人天国にあるからだ。

 老後は国が面倒を見るとの今の社会保険制度や、一時的に国を潤
すが人間の生活基盤を揺るがす相続税制。目には見えないが膨大な
教育費。これらの精度が役人天国をささえ、そして国民の生活基盤
を脅かす。

子どもはお荷物である。これでは子どもをたくさん作ろうとしない
し、作れない。対策はいかに。

子どもを作れば得になる世の中を作ればいい。名実ともに子宝を実
感できる社会にすべきである。親の老後は子どもたち連帯でみれば
いい。
子どもが居ない場合は、若いころから養老保険(民間)入る。医療
保険も民間がいい。国の社会保険庁・厚生労働省を一掃する。

 国がやる教育は効率が悪い。子どものまわりの大人が育てる。お
そらく適切な時点でも大人の適切なたった一つの言葉で子どもはそ
だつ。これこそが質の高い教育だ。学校の黒板に書いてないことが
である。その気になれば水を吸うスポンジのように子どもは成長す
るだろう。

中学校だけでもかなりの質の高い教育が可能である。これで教育の
効率は高まり、国の経費・親の経費は安くなる。国がキャリア制を
強いているのが癌だ。これをやめれば本当に知恵のある人間が指導
する本当に効率のよい社会ができる。

このような仕組みだと、金を掛けて馬○息子を大学にやろうとなど
思わないし、馬○息子もできようがない。親たちは安心して子ども
を作る。 
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少子化についての別の側面からの考察      S子   
 
少子化というと「人口減=国力の衰退」に繋がり、国家の繁栄から
遠ざかるというマイナスのイメージが強く、それだからこそ、少子
化にならぬようにその対策を喫急になされなければいけない、とい
うように解釈されることの方が多い。

が、視点を変えてみると少子化はマイナスのイメージだけではなく
、日本の将来を考えた場合に、少子化の進行に伴う日本の人口減は
、むしろ日本という国家にとって自然な方向に向かい、安定した状
態に向かっているのではないか、というふうにも解釈できる、と私
は思っている。

近年の日本の食糧自給率の低さにも見られるように、日本は国民全
てを養ってゆけるほど食料事情に関しては自立できておりません。
食料を他国からの輸入に依存して初めて1億2千万人が生き延びる
ことができている、というのが現状です。

農業を生業としていた社会からサラリーマン社会への移行に伴い、
日本の農業人口は大幅に減少した。それに伴い日本社会の構造が大
きく変わった。機械化の進んでいない農業では家族総出、または隣
近所の助けを借りながらでも農業をやってゆかないことには困難な
状況だった。それほど自然相手の農業は厳しいものだったのです。

そこでの子育ても同居の祖父母や隣近所の協力や援助でなされ、子
育てが地域で行なわれていた。それほど皆が農業の厳しさを実感し
ていたからであり、お互い様の心があり、それぞれの家庭事情が自
ずと把握できていたからでもあった。

ところが、サラリーマン社会という核家族化が進むと家族も孤立、
子育ても孤立、互いの家庭事情は外見から把握されるだけで、その
内情となるともう憶測でしかなくなった。一見すると幸せそうに見
える家庭も、家庭内でかかえる問題がおおやけに明らかになるまで
はその内情は誰にもわからない。

横の繋がりもたての繋がりもどんどん希薄になる。子育ても母親ひ
とりに一任されることで、母親にかかる負担はかなり増し、そうい
う子育ての中でバランス感覚に欠け思考の薄っぺらな子供が増えて
も不思議ではないだろう。

更に女性の社会進出に伴い、女性は子育てと仕事の両立を強いられ
るようになる。いくら充実した保育施設が完備されようと、子供が
幼少の頃は突然の病気に襲われることも多い。急な保育所からの呼
び出しや何日も続く高熱で会社を休むことも余儀なくされる。女性
の心は子育てと仕事の間で大きく揺れるだろう。

最近は男性も子育てに参加、協力する人も増えたようだが、それで
もやはり女性にかかる家庭内での負担は相変わらず大きい。子育て
や仕事に加えて家事もこなさなければいけないからだ。

このような状況下において、子供を産む、産まないという選択権が
女性に任されてしまえば、少子化になってしまうのは当然なことか
もしれない。また、長引く不況からの自殺率の高さにおいても日本
は先進国では異常に高い数字を示しており、そのことも人口減に拍
車をかけている。

昨年の日本列島における台風上陸の多さとそれによる土砂災害や中
越地震に見られるような自然の脅威が近年頻発し、暮れ前のインド
ネシア、スマトラ地震では最終的に30万人ほどの死者、行方不明
者が出ている。

日本や世界各地で起きる温暖化による自然破壊とそれに伴う異常気
象で私が思うことは、地球もこの宇宙という存在の中で生き延びよ
うとその自浄力が働き、世界規模で人口淘汰が始まっているのでは
ないか、ということだ。

爆発的に増えすぎた人口を地球自体が支えきれなくなっている。生
き延びてゆくために必至なのは何も人間だけに限らず、この地球と
いう水の惑星もまた同様なのである。そして、地球という惑星の中
で生きる日本という小さな島国もまた同様にして、生き延びるため
にはあらゆる自然の脅威を利用し、人口淘汰や自然破壊をくいとめ
るように自浄作用が働き始めたのではないかと私は思っている。

「少子化=人口減=国力の衰退」、だからよくないという連想は、
今の生活レベルを落としたくない、貧しくなりたくない、最低でも
今の経済成長レベルが維持されればよい、という人間の傲慢な欲で
もあり、高度物質文明を体感、知ってしまったがゆえの発想かもし
れない。

人間の欲は限りがなく、その欲望を満たすために生きていると思え
ば、至極納得できるようにも思うが、私たちは人類の歴史において
、そろそろ「引き算」をしなければいけないような段階にきてしま
ったのではないだろうか。

人が生きるあらゆる面において「足し算」するような生き方は容易
になすことができるが、案外「引き算」ということになると、人は
おそらく躊躇するのではないだろうか。「ナンバの身体論」的な無
駄のない生きるに最低限必要なものだけで、しかもそれを有効に活
かしながら生きてゆく、というのは頭で理解することは簡単でも、
それをいざ実行に移すということはなかなか難しい。それだけ人は
楽な生き方を常に選択してきたとも言える。

しかし、人間がこの地球を支配して生きているのではなく、この地
球があって、生存してこそ人間が日々生きてゆけることを忘れては
ならない。それほど私たち人間の力は弱々しいものでしかない。

小泉政権の米国盲従による国内での冷酷非情な政策と景気回復に本
腰で取り組まない姿勢も、ある意味非常に乱暴ではあるが、日本が
生き延びるために働いた自浄力によって誕生した政権だとも言えな
くもない。

地球が生き延びるために人口淘汰という「引き算」が始まったのな
ら、これはもう私たち人間の及ばないところで大きな力が働いてい
るのだから、私たち人間の関与できないことだ。少子化という問題
もいろいろな考察の仕方もあるだろうが、こういう側面もある、と
いうことを知っていただけるとまた、違った見方もできるというこ
とです。
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少子化自体が問題ではなく        とら丸 

少子化自体が問題はなく、少子化経済縮小へとつながる過度の少子
化が問題である。

それは少子化による経済の交代がさらなる少子化現象を生むことだ
。経済の縮小と少子化とが切り離された状態ではまったく問題がな
い。

すなわち現在の少子化が経済の縮小に大きく原因しているのだ。
まさにこの部分にメスをいれないかぎり、日本の将来は暗いといわ
ざるを得ない。 
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http://riverbendblog.blogspot.com/
message=バグダッドの水の供給が止まっているみたい。あの地で水
が出ないことの意味は大きい。
name=十返舎玉九
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日本のブッシュ批判に疑問あり   
   
 自由の戦略を欠いた安手の価値論/背景に国益無視した反米思想
外交評論家 井上 茂信
価値相対論的なリベラリズム
    (世界日報)掲載許可
 ブッシュ大統領は二期目に入ったが、日本のマスコミのブッシュ叩きは大流行だ。レー
 ガン米政権が誕生した時も同じだった。日本のマスコミのブッシュ批判の最大の原因は、
 米国のリベラル派のマスコミ(ニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙)の
 強い影響下にあることだ。また、マスコミ人自身の間に“米国の戦争に巻き込まれるな
 ”という六〇年安保以来の反米意識が根強いことだ。

 彼らのブッシュ批判の問題点を考えてみよう。

 まず、彼らはイラク問題で米国の価値観を押しつけようとしていると批判する。同大統
 領は二期目の就任演説で、自由の理念を世界に広げることを目指す「自由戦略」を宣言
 した。批判論者はイスラム世界にはイスラム世界の価値観があり、米国の価値観の押し
 つけは横暴だと主張する。

 確かに、各国、各民族の価値の多様性は尊重されなければならない。文化や価値の多様
 性を認め合ってこそ、この世界は百花繚乱の楽しさが実現する。だが、そうかといって、
 すべての価値が平等だとすれば、われわれがヒトラーのアウシュビッツ、スターリンや
 ポルポトの大虐殺、北朝鮮の人権抑圧や拉致犯罪を批判する根拠はなくなる。ブッシュ
 大統領の「自由戦略」の批判者の根底にあるのは「全ての価値観は平等であり、ある価
 値観がほかの価値観より優れていることはない」「絶対的な道徳基準など存在しない」
 という価値相対論だ。この発想では「何をやってもその国や個人の勝手」ということに
 なりかねない。これでは弱肉強食の世界だ。

 この発想の対極にあるのが「価値のヒエラルキー(階層制)」という考え方だ。価値観
 に優劣を認める発想である。この発想の優れた点は、個々文化や個人の次元を超えた価
 値基準を認めることで人類は共通の道徳や理想へと進むことができることだ。

 われわれがユダヤ人大虐殺をよしとするナチスの価値観、あるいは「将軍さま」のため
 に日本人を拉致することをよしとする北朝鮮の価値観よりも、万人の自由と人権を尊重
 しようとする価値観の方が優位にあるとみるのは、他者を犠牲にしないこと、積極的に
 は愛が普遍的な最高位の価値基準とみるからだ。

「宗」忘れ己の「教」で争う過ち

 ブッシュ大統領は就任演説で「自由選択の結果、浮かび上がる制度は、われわれとは異
 なる慣習や伝統を反映したものになるかも知れない。米国はわれわれのやり方を押しつ
 けたりはしない」と述べた。自由と人権は基本だが、その上に「日本的民主主義」のよ
 うに「イスラム的自由社会」の花を咲かせたらよいということだ。米国式民主主義の押
 しつけではない。

 イスラム・テロリストのビンラディンはハンチントン教授の「文明の衝突論」を愛し、
 イスラムの政治は民主主義とは共存できぬとして反米「聖戦」を主張している。宗教紛
 争の最大の原因は「己だけを正義」として他を否定する姿勢だ。「宗」とは「大もと」
 の意であり、言語表現や文化を超えた根元的なもの。すなわち「愛」とか「仁」とか
 「慈悲」とかの言葉で表現されるもののルーツだ。このルーツを言葉で説くとき「教」
 となる。絶対的なものを言葉で言い表すから、民族、文化、伝統、風土差によって表現
 が違ってくる。宗教紛争は宗教が「教宗」となり、「教」つまり己の教義にへばりつい
 て「宗」を忘れたところにある。神の名において戦うことほど、神を悲しませることは
 ない。オウム真理教にしろ、イスラム過激派にしろ「宗」を忘れて「教」のために抑圧
 や大量殺人に走るが故に、「自由戦略」と衝突する。

 いま一つの日本でのブッシュ批判は国連や仏独を無視した「単独行動」だ。さらにそれ
 を推進する米政府内のネオコン(新保守主義派)をやり玉に挙げる。だが、ポスト冷戦
 の世界に核やミサイルといった大量破壊兵器がテロリスト国家や同グループに拡散し、
 自由世界を脅かしている無秩序の時代だ。万が一にも米国がイラク戦争やテロリストと
 の戦いに飽いて孤立主義に向かった場合、国際秩序や日本の安全はどうなるかを批判論
 者は考えたことがあるだろうか。ネオコンは得体の知れない狂信集団のように日本では
 報じられているが、彼らは米国の力が卓越している今日こそ、米国の世界的責任として
 世界秩序の構築を目指すシンクタンクの理論家たちである。

圧制から人民解放する使命感

 ネオコンをはじめとする米保守政治の原体験はナチズムとスターリニズムによる欧州の
 荒廃と自由と人権の抑圧であった。共和党保守派には米国は世界から撤退し、国内再建
 に専念することを主張する孤立主義の伝統も強い。それを阻止しているのが、ネオコン
 だ。混迷する国際情勢のもと、世界の平和と安定に米国の介入は不可欠である。「世界
 の警察官気どり」とブッシュ政権を批判する向きもあるが、中、ロはもとより仏独が危
 機対応力を持たない現状では「世界の警官」は必要であり、その資格を持つのは米国だ
 けだ。

 日本でブッシュ政権がキリスト教右派の影響を受けていることに嫌悪感を抱くものが多
 い。しかし、米国の自由と人権への戦いを支えているのは、「人権は神から与えられた
 もの。世界の人々の自由と人権のために尽くすのが神の召命」という宗教的信念だ。こ
 の信念がなければ米国は孤立主義に向かうだろう。米国のリベラル派は人間を神とする
 「人神様」あるいは世俗的ヒューマニズム、保守派は「神に近づくのが人間の使命」と
 する「神人論」を土台にしている。日本のマスコミのブッシュ批判は米国のリベラリズ
 ムの安手の亜流だといえよう。

 ブッシュ政権の「自由戦略」の背景は、世界史は圧制からの人民解放の歴史であり、自
 由と人権の拡大こそは人類史の正しい方向性に沿っているとの進歩史観とそれに基づく
 米国の使命感であることを忘れてはならない。善悪の基準は人類史の正しい方向性に沿
 っているか否かである。日本のマスコミの価値論は余りにも貧困だ。
       Kenzo Yamaoka
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世界に類例見ない日本の言霊思想   
   
 音を神と祀る近江西岸の古伝承/江戸時代の宮司小笠原通當が研究
日本画家 鳥居 礼
秘かに伝えられた古来の伝統

 応神天皇の時代、儒学流入に伴い純和風文化を維持していた我が国の祭政に、変化の兆
 しが見えはじめた。同じころ近江西岸の地では、国政の難を逃れ日本の伝統を後世に受
 け継ぐために、古伝承が秘かに伝えられていた。その古伝承には大陸化し、中央集権化
 した時代に成立した『古事記』『日本書紀』には載せられなかった、我が国固有の言霊
 思想、宇宙観、教え、あるいは関東・東北に関する貴重な伝承が豊富に含まれている。
 記紀に日本の中心である富士山のことや古い伝統を持つ東北のことが全く載らないのは、
 政治的な深い意図がある。江戸時代に近江を旅していた京都天道宮の宮司小笠原通當
 (みちまさ)が、この古伝承を発見し研究を深めたが、その内容は世界に類例を見ない
 ものである。

 ――始原神アメミヲヤの言霊の発動により、宇宙息が回転を始め、万物を生み出す宇宙
 大の子宮ができた。その息の回転の中から回転する天御柱(あめのみはしら)が生まれ、
 さらにその中から左右に回転するメヲ(陰陽)が分離した。ヲとメの核はそれぞれ日と
 月となり、ヲから天(あめ)が生じ、メからは地球(くにたま)ができた。空(うつぼ)
 (大壺)風火水埴の五元素も生まれ、それらが交わって地上に人が誕生した。この神は
 アメミヲヤの転生であるアメノミナカヌシであり、さらに転生してタニトコタチとなっ
 た。

 これらの宇宙創成は、すべて四十八音の言霊の神々の力によるものだった。宇宙が生み
 出され、地上にも人々が増えると、四十八音の神々は天界のサゴクシロの宮に帰還して
 いった。サゴクシロの宮の中心には、アメミヲヤ(別名アウワ)が鎮座し、その周囲に
 はトホカミヱヒタメの八神が使者として位している。この九神は元の位という。さらに
 トホカミヱヒタメの周囲には、アイフヘモヲスシの八神が位置しているが、これを中の
 位という。その周囲には三十二音の三十二(みそふ)神が取り巻いている。これは末の
 位である。

 人が生まれる時、トホカミヱヒタメの神々は、神の種を降し物と魂(たま)と魄(しい)
 を結び和す。その内のヱト(兄弟)の神は、暦の神であり寿命を司る。後世このヱトに
 「干支」の字が当てられた。アイフヘモヲスシの八神は人の声を授け臓器を守り、三十
 二(みそふ)神は人の容貌を決定する。

 アメミヲヤの左目は日、右目は月であり、日からはウルという粒子の光が地上に注がれ、
 月からはナミという波形の光が注がれている。日ウルは水田の稲を、月ナミは畑の作物
 を育てる。禊のときに両目をすすぐのは、アメミヲヤの両眼の日と月の恵を受けるため
 である。

人の出産や宇宙創成に触れる

 目の垢をすすぎ朝日に祈り、夜の月に祈ってウル・ナミを頂き、男は地に向かい女は天
 に向かって交わる。父の精子(しじなみ)と母の卵子(にち)が交わることをニチのチ
 とシジナミのナミをとってチナミ合うという。精子は白い骨となり、卵子は赤い血肉と
 なる。

 受精卵は、昼は日の性質の卵子が上となり、夜は月の性質の精子が上となって一回転す
 る。日々回転数が増し、六十四日目にして回転が終了する。

 精子(しじなみ)が馳せ出でる月をシハス(十二月)といい、精子・卵子が睦まじく合
 体する月をムツキ(一月)という。妊娠二カ月目になると、胎児は羊膜と絨毛膜の二重
 の袋に蓄えられた羊水の中に浸るようになる。膜をさらに着るのでキサラギ(二月)と
 称し、母は慎みが必要である。三カ月目には胎児が八夜(やよ)勇むのでその月をヤヨ
 イ(三月)といい、その間も慎まなくてはならない。四カ月目には胎児の身が潤うので
 ウツキ(四月)とよび、ここでも慎む。五カ月目は特に慎みが必要で、邪気から子を守
 るために、サツサツヅ歌という歌をこめた腹帯を腹に巻く。サツサの月なのでサツキ
 (五月)という。六カ月目には水が尽き乾くので、臍(へそ)の緒(お)に血が通い出
 す。水(みな)が尽きるのでミナツキ(六月)という。七カ月目には胎児が足踏みをす
 るので慎みが大切である。足踏みをするのでフミツキ(七月)という。八カ月目には歯
 が形成されるのでハツキ(八月)という。

 母の胞衣(えな)から皮の車のように回転して臍の緒が形成される。これはちょうど、
 宇宙創成のときの天御柱(あめのみはしら)と同じである。

日本文化の奥深さを知らせる

 天(あめ)は宇宙の胞衣である。日月や地球上の人々は、この天の胞衣の中に身ごもっ
 た胎児なのだ。ゆえに地上の人々を同じ宇宙の腹の中から生まれたハラカラ(同胞)と
 いう。

 天の外は高天原(たかまのはら)(腹)といい、サゴクシロの宮にはアメミヲヤと四十
 八音の神々が鎮座まします。その外はトコシナエといい、八隅に八色の和幣(にぎて)
 が立っている。サゴクシロと地をつなぐ柱は透き通っていて、中心の管からはアメミヲ
 ヤの恵の息が地上に注がれ、それが人の呼吸数や海のさざ波の数となっている。地上の
 垢はアメミヲヤの周囲のトホカミヱヒタメとつながる八本の柱から、天界へと吸い上げ
 られるのである。この天上の高天原の神々を、地上に遷し祀る清浄な地も高天原という
 ――

 このように一音一音を神として祀る明確な形の言霊信仰と宇宙創成、人の誕生、そして
 天地との交流と伝える伝承は、世界に類を見ない。日本文化の奥深さを知る上で、極め
 て重要なものと言えるのではないか。世界日報  掲載許可
 
      Kenzo Yamaoka


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