1884.中露国境確定交渉の謎&木村コラム



ロシア各地のデモに見るプーチン政権の行き詰まり。 CHOCO 

 ここ数週間、ロシア国内では年金生活者や身体障害者に対して
交通費を有料化する法案に対する大規模なデモが、各地で起こり、
モスクワでは法案廃止したものの、クラスノヤルスクなど
地方都市では財政難を理由に、その他、電気料金までも
個人負担を増額させようとしており、年寄り中心に数千人規模の
デモが行われている。また、ベスラン(去年9月の小学校が
テロリストに占拠され多数の死傷者を出した町)では、交通網の
主要箇所を住民が座り込みでふさぎ、この地方の政治家の退陣と
事件の徹底解明を求めている模様。

詳細は以下のHPで、日を追って書いているので参考まで。

http://blog.melma.com/00010124/

これだけを考えても、プーチン政権の国内評価ガタ落ちは
目に見えて明らかであり、また、今年はロシア経済も
去年ほどは上り調子にいかない可能性もあるために、
かなり厳しいものになりそうである。

また、そのように年寄りを締め付け、地方からの優秀な学生に
対する奨学金や無償で学べるといった共産主義時代の良い制度を
改悪してまで、数倍の軍事費をつぎ込むやり方や、スターリンの
銅像をたて、いかにもヤルタ会談メンバーと並べて、戦勝国の
ふりをして、威厳を保とうなどというあくどい考えが
まさにKGB出身プーチンと魑魅魍魎としたロシア政治の
いかさま的側面に思えてくる。

こういう相手をよく見計らわなければ、お人好し日本人は
巻き込まれ、騙され、身包み剥がされかねないと危惧する
ところである。

CHOCO 
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中露国境確定交渉の謎:何故強者中国が譲歩したのか? 
                       小牧勇次郎 
   
 曹長青評論邦訳集  正気歌(せいきのうた)
江沢民は売国奴なのか  原題:「江沢民到底是不是“売国”?」 
『曹長青網站』2004年5月25日掲載 (邦訳2004年6月3日) 
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/y-kanatani/minerva/QCao/QCao/cao53.htm
より一部抜粋・引用


 清朝が滅んでからの近代中国における、主要な政治的指導者の中
ロ間の「不平等条約」に対する態度には、それぞれ差がある。

1.蒋介石  
 1924年に中国とソ連があらためて締結しようとした新条約の重要
な条項として、「中国政府と先のロシア帝国政府が交わしたすべて
の公約、条約、協定、議定書および契約等については、すべて廃止
する」があった。ソ連側代表が交渉の途中で帰国したのでこの条約
は成立しなかった。だが史料からわかることは、中華民国政府は清
朝がロシアと結んだ不平等条約をすべて撤廃しようと試みたという
ことである。こののち中華民国総統となる蒋介石もやはりソ連に対
し中国に対する不平等条約は認められないという強硬な申し入れを
行っている。

2.毛沢東  
 中国は、ソ連に援助を仰ぐ状況下であったにもかかわらず、1950
年代に条約を締結する際に、ソ連側が両国の国境問題について言及
しようとするのを極力回避しようとした。毛沢東は共産主義者であ
ると同時に民族主義者でもあったからである。「新中国」は「旧政
府」が外国と締結したいかなる不平等条約も認めないと、毛は語っ
ている。1972年にニクソン米大統領と会見した時にも毛は、「ソ連
は膨大な私たちの領土を奪った。その中にはロシア帝国によるもの
もあるし、ソ連が奪ったものもある」と発言している。しかしロシ
ア人と交渉する際の毛は、実力の不足のため、この問題を“棚上げ
”する措置を取った。  
 毛沢東はロシアとの過去の不平等条約を承認することを望まなか
った。しかし彼の樹立した“新中国”で出版された地図ではロシア
が奪取した144万平方キロメートルは中国の領土の外になっていた
(これは現在でもそうである)。しかも未確定もしくは紛争中の国
境を表示する際に国際的に慣用となっている点線ではない。ただ、
ロシアに占領されている領域の地名を中国語名のまま表記している
。例えば海参そう(やまかんむりに蔵)、伯力、庫頁島、海蘭泡、
尼布楚、双城子、外興安嶺などで、ロシア人が後からつけた名称を
用いていない。                               
3.ケ小平  
『ケ小平文選』によれば、ケは1989年5月に北京でゴルバチョフと
会見した際、「今後我々は中ソ間の国境問題交渉において、ロシア
帝国と清朝のあいだで結ばれた条約が不平等条約であること、ロシ
ア帝国が不平等条約によって中国を侵害した歴史事実を認めるよう
、ソ連に対して要求する」と述べた。この発言から、ケ小平指導下
でのソ連との領土交渉において、中国政府の主要な目的がソ連に従
来の条約が不平等なそれであることを承認させるところにあったこ
と、この点においては譲歩しない姿勢であったことが明らかになる。 
                  
  江沢民が最高指導者になって以後、中国はロシアとふたつの条約
を結んでいる。ひとつは1999年末に当時のエリツィン大統領との間
で結んだ中ロ国境に関する議定書である。これはロシアが中国にた
いして強要した不平等条約に一切触れることなく、新条約の形をと
って、ロシアが過去に奪い取った144万平方キロメートルの中国領土
をロシア領土として法的に承認し確定するものに等しかった。  
 ふたつ目は2001年7月にプーチン大統領と結んだ中ロ友好条約で
ある。この条約で1999年の議定書の内容が確認された。 
 海外の華人はこの江沢民の挙を“売国行為”と呼んだ。このふた
つによって、過去ロシアが中国に押しつけた不平等条約がすべて法
律的に正当なものとして認められてしまったからで、ロシアに奪い
取られた144万平方キロメートルの領土を今後中国政府が権利を主張
する法的根拠が無くなってしまったからである。  
 客観的に見れば、ロシアが清朝に不平等条約を押しつけてすでに
長い年月(150年近い)が経過しているし、世界の国境の多くは第二
次世界大戦の終結とともに確定しているから、今になって中国がロ
シアに奪われた土地を取り返そうと思っても、可能性は極めて低い
。ロシア人がそう簡単に返還するはずはないからだ。しかし、江沢
民政府がこの二つに署名したということは、それまでの不平等条約
をすべて承認したということであり、将来の中国人がロシアと領土
返還交渉を行う法的な根拠がまったく失われたということなのであ
る。たとえ将来江沢民政府が退陣して中国に民主主義政府が出現し
たとしても、国際的な慣例に従って、その新政府はこの二条約(江
沢民が署名したところの)を継承しなければならないのである。
 蒋介石が拒絶し、毛沢東が承認せず棚上げとし、ケ小平が異議を
唱えたしたにもかかわらず、江沢民がこれらの前例に反して不平等
条約を承認したのは何故か。ソ連の解体後、ロシアは国力が後退し
た反面、中国のそれは上昇した。この状況において、江沢民は国境
問題を棚上げのままにしておくことはできただろう。それだけでは
なく、ケ小平のように積極的に反論し、ロシア側に過去の中国との
条約がすべて不平等だったと認めるよう要求することもできたはず
である。条約を受け入れる代わりにロシアに何らかの形で補償させ
ることもできたであろう。
 ロシアは現在、中国と友好条約を結んで中国から割譲された144万
平方キロメートルについて法的な承認を得ようとしている。ロシア
は中国に補償すべきである。しかし江沢民の署名した二条約を見れ
ば、中国人はいかなる種類の補償も得られない。ロシア人は黒竜江
に浮かぶ二つの小島さえ返還しないのである(これが中ロの国境紛
争で解決していない唯一の場所だった)。ロシア人はタイを返すど
ころかエビも渡さない。彼らはロシアに行くと「我が家に返ったよ
うな気がする」元ソ連留学生の江沢民エンジニアの心性を知り抜い
ているのである。  
 江沢民は『人民中国』にロシアとの条約の条文を掲載させなかっ
た。『中国通史』を編纂した歴史学者や中ロ国境問題の専門家に公
開討論を許すこともしなかった。ロシアとの領土交渉や条約の締結
は、すべて秘密裏に行われたのだった。この行動が、江沢民の後ろ
めたさを表している。江は、問題を公にして13億の中国人に自由に
議論させれば、自分の評価が決定的になると恐れているのである。
江がロシアと結んだ条約は、本質において売国的だからである。 
<抜粋・引用終わり>


上記の引用文で触れられている国境確定交渉の最大の争点であった
ハバロフスク対岸の黒瞎子島は、河川国境決定のルールからは全て
中国領になるのが当然であり、そのことが中露国境紛争の最大の問
題であったにも関わらず、中露の力関係が中国優位に大きく傾いた
現状で何故か中国の胡主席は2004年10月14日の北京での中
露首脳会談にてこの島の東部をロシア領とすることに同意して国境
を確定させてしまった。ロシア政府当局者は黒瞎子島東部をロシア
領として確保した上で国境を確定させたことで「外交的勝利」と自
画自賛しているらしい。しかし、これは妙な話である。

日本が軍事的に劣勢でありながら北方領土問題を主張し続けている
のと同様に、中国が軍事的に劣勢だった時代から領有権を強く主張
し続け、珍宝島事件の発端にもなったと言われる黒瞎子島の領有権
を胡主席はなぜ譲歩したのだろうか?中国は自国の優勢を武器にし
て島全体の割譲を強硬に主張することも出来たはずである。かつて
の香港回収や現在の台湾政策ではあれほど強硬な中国がなぜ急にロ
シアに柔軟になったのだろう?以下のような理由が考えられる。

1.胡主席は江沢民の命令通りに動いており、売国奴の江沢民がロ
シアへの親近感故に譲歩するよう命じた。

2.現在の中国の最も重要な政治目標は台湾回収であり、それを円
滑に施行する為には黒瞎子島問題でロシアに譲歩して対ロ関係を改
善するのは(売国奴と呼ばれようとも)中国の国益に合致する。

3.ロシアの弱体化と極東の人口激減が今後も継続することは確実
であり、将来ロシアを恫喝して再度領土を割譲させるのは容易であ
ると予測されるので、将来領土問題を再燃させる為の火種としてわ
ざと黒瞎子島の東部をロシア領として残した状態で暫定的に国境を
確定させた。ロシアはこの国境が永遠のものであると安心している
が、中国はそうは考えていない。

上記3つの理由のうちいったいどれが真実だろうか?自分は3番目
ではないかと考える。約150年前にロシアが弱体化した清に対し
て行った様に、中国は弱体化したロシアを恫喝して、ロシアから領
土を再割譲させるつもりなのではないだろうか?割譲のきっかけと
しては、ロシア領土に駐留する中国人がロシア人に迫害される事件
が望ましい。そして、黒瞎子島東部という分かり易い争点をロシア
に突きつけて、最終的には19世紀半ばに失った領土全部を回復す
るつもりなのではないだろうか?ロシアが「外交的勝利」と自画自
賛したのは実は痛恨の過ちであったということになるのではないだ
ろうか?

もし私の予測が正しいなら、将来中国は樺太や千島、カムチャッカ
、マガダンなどの地域の領有をも主張してくる可能性がある。樺太
はかつて清朝と江戸幕府の両方が勢力を及ぼしていた地域であり、
日中の力関係次第では中国領になりかねない。まsた、その時点ま
でに北方領土が返還されないならば、中国人が実力で千島を占拠し
、国後島に中国人が数万人も居住して日本を脅かすということも考
えられないことではない。北方領土問題については、北方四島だけ
でなく、ロシアが将来も沿海州やアムール州、樺太を維持可能かど
うかという視点からも検討し続ける必要があると思われる。 
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中露国境確定交渉の謎:何故強者中国が譲歩したのか?を読んでみる。 
                     虚風老 
   
 これは、中国の海洋シフトの一貫との関連じゃろう。

日本は島国で、固有の領土という感覚が、ある程度ある。
しかし
大陸国家というものの国境線は、ある程度、自然要害などに線引き
されるとはいえ、歴史的には、取ったり取られたりするもんじゃっ
た。
で、何が決定するかといえば、実行支配。歴史的支配関係。民族的
つながりなどにおいてであるといえよう。ヨーロッパをみてみい。
ころころ変わっておる。

で、隣国とはたいてい仲が悪く(紛争地を抱えるからじゃね)敵の
敵は味方の論理で、自国が接していない遠方国と友誼を結ぶ傾向に
あるの。
日本は海洋に囲まれていたので、江戸期まで国境を巡る紛争が軽微
だったわけじゃ。
大軍を輸送できないしの。(当時、世界最強の世界帝国、元軍が、
試みたがあっけなく失敗した)おそらく、上陸していたとしても、
補給線がもったかどうか怪しいの。(現地調達にしてもじゃ)「軍
事の要諦は補給にあり」という格言は正しいじゃろう。
ちなみに、米国黒船の襲来まで、日本には、海軍というものが無か
った。(江戸幕府の意向であったが、竜骨を持った船はなく、和船
は外洋航海向けではなく、沿岸航海に限られた。)

この点では、日本が海洋民族と認知されるのは、明治以降であろう
。明治政府は何と、国家予算の40%ともを艦船購入にあて、海軍
を創設し(薩摩閥=南海貿易の歴史あり)海洋国家への急変を行っ
たんじゃ。
しかし、メンタリティにおいて、<農・武>を中心とする日本は、
陸軍的な思考(長州閥)の強い国であり、それが後に満州国の経営
(入植)へと傾斜していくわけじゃな。

だから、国境線を直接接しなかった日本は、それまで
それまで近隣諸国と、感情的な敵対関係を持たずにすんだわけじゃ
。しかし、これ以降、国境問題に巻き込まれ、現在の海洋テクノロ
ジーの発達のあとでは、海上に隣接する利害線があり、衝突するの
であるんじゃ。

ところで、近年、中国の軍事強化の配分を見れば、あきらかに海洋
シフトしておる。
内陸と海岸部の大きな発達の差違が見られるが、海岸部の隆盛をみ
れば、資源・交易という視点での、目の前の重要性が、内陸奥地の
無資源の土地と天秤に掛けられるじゃろう。

中国は、歴史的には軍事的思考より、商人的思考を好んだんじゃ。
投下する戦力資源や、財を考えるならば、係争地を2正面に抱える
より、重点投入した方がいいことは、戦略の基本じゃ。(その前に
は、インドとも和解しておる。)
歴史的に150年実行支配もせず、民族や、資源に未練をのこすお
うなモノがないとすれば、切り捨ててロシアとの係争を無くし、交
易にシフトしたほうが、利は大きい。
交易には、紛争はあきらかにマイナスじゃからね。

だから、逆に海洋部、台湾・尖閣諸島・日中経済線という場所では
、支配圏確率のために、力を入れてくる可能性が高いじゃろうね。
日本の場合、資源探査などで、遅れをとっておる。北朝鮮問題が解
決したとしても、それ以降、今後も大きな係争地になることは充分
考えられるので、ここでの戦略を練り、早めに中国と粘り強い対話
と交渉をすることが、重要になるであるじゃろうな。そのときは、
<商>取り引き感覚を必要とするじゃろうね。

思考は相手の性格を見て行うのがよろしかろう。自己を基準にする
と、読み間違えるぞよ。
米・共和党なら、軍事、米国内陸部の価値観的に、米民主党が金融
・情報関連リベラル的に、、、中国なら、商的と権威主義的にじゃ
ろうな。

                       虚風老
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『亜空間通信』946号(2005/01/23)
【イラクでアメリカと同じく二重国籍イスラエル人13万の投票権の議論が有力英字紙
ハアレツに出現】
 
 アメリカの歴史に見直し論者から、イラクで、アメリカと同じく、二重国籍のイス
ラエル人、13万の投票権の議論の情報が届いた。
 
 イラクからイスラエル建国後、イスラエルに行ったユダヤ人の問題に関しては、拙
訳・解説、『偽イスラエル政治神話』の該当箇所を末尾に抜粋する。
 
 アメリカの歴史に見直し論者の通信の情報源は、以下の英文の末尾に記されている。
イスラエルの有力英字紙、ハアレツである。
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http://www.khilafah.com/home/category.php?DocumentID=10653&TagID=2

Hundreds of thousands of Israelis can vote in Iraqi elections
uploaded 16 Jan 2005

''All Israelis who can prove they or their fathers were born in iraq will be
eligible to vote in the upcoming elections"

Registration will begin in four days, and anyone who is or once was an Iraqi
citizen, even if he was deprived of the citizenship, is eligible to vote,
Sarah Tosh, spokesperson for Iraq's out-of-country-voting (OCV) central
headquarters, said Wednesday.

"There are no restrictions on Iraqis on the basis of religion, race or sex,"
said Tosh. "This definitely includes those who are Israeli citizens today."

Anyone who has an original Iraqi birth certificate may take part in the
vote. Other required certificates are an Iraqi passport, an identity card,
or a form from the Iraqi population registrar testifying that the holder is
or was an Iraqi citizen.

A wedding registration from Iraq, a university graduation certificate or
land registry ownership certificates will also be accepted. Those whose
father is Iraqi may also vote, even if they were born in another country, as
long as they have a certificate proving it. However, children to mothers of
Iraqi descent may not vote, because the Iraqi law from 1957 grants
citizenship only to children with Iraqi fathers.

Registration will take place from January 17-23, and polling from January
28-30. Eligible voters will have to produce their registration receipt and
ID to cast their ballot. More details may be found on www.ccicoa.org.

"I call on everyone who lives in the free states to come and vote, to
provide a counter balance to the voters from other countries," said Mithal
al-Alousi, the Iraqi politician who visited Israel last year and is today
the secretary general of the Democratic Party of the Iraqi nation. He was
referring to hundreds of thousands of votes that will come from ballots
posted in Iran. 

Some 130,000 Jews emigrated from Iraq to Israel after it's establishment,
decimating one of the oldest Jewish communities in the Arab world. The Jews
left considerable property behind, as the Iraqi government forbade them to
take it out of the country or sell it.

Shlomo Hillel, former Knesset speaker and winner of the Israel Prize for his
activity on behalf of Iraq's Jews, said Wednesday that if former Iraqis
living in Israel may vote in the elections "it would be a very significant
step signaling Iraq's willingness to change direction."

However, Hillel said he finds it difficult to believe that anyone who
announces that he is an Israeli citizen would be allowed to vote.

Former defense minister Benjamin Ben-Eliezer, who immigrated to Israel from
Iraq at 12, does not believe Israelis will vote "because anyone who sees
Israel as his country will not vote in the Iraqi elections."

By Yoav Stern 

Source:   Haaretz
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 以下が、拙訳・解説、『偽イスラエル政治神話』の該当箇所の抜粋である。
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http://www.jca.apc.org/?altmedka/nise-11.html
急Web無料公開『偽イスラエル政治神話』
 2章:二〇世紀の諸神話(その2)
1節:シオニストによる反ナチズム運動の神話(その2)
[パレスチナ移住を強制してユダヤ人をテロで殺害]

 一九四八年五月二日には、“難民”問題を担当するクラウスナー法師が、ユダヤ人
アメリカ協議会に、つぎのような報告書を提出した。

《私は、彼らをパレスチナに行くよう強制すべきだと確信する。……彼らにとって、
アメリカの1ドルは最上の目標である。“強制力”という言葉で、私は、一つの計画
を提案する。……それはすでに役立っている。しかも、つい最近にもである。それは
ポーランドのユダヤ人の集団移動にも、歴史的な“出エジプト”にも役立ったのだ。
……

 この計画を実現するためには、“難民”に便宜を図る代わりに、可能な限り不便な
思いをさせなければならない。

 ……つぎの段階の手続きとしては、ユダヤ人をハガナ[ベン=グリオン指揮下のテ
ロ部隊]に呼び出して痛め付け、出て行けがしに扱うことだ》(『イスラエルの値段
』)

 このような誘導や、さらには強制の方法は、手を変え品を変え、様々に工夫された。

 一九四〇年一二年二五日には、“ハガナ”(司令官はベン=グリオン)のシオニス
ト指導者たちが、ヒトラーの脅迫を受けたユダヤ人を救出してモーリシャス島に運ぶ
というイギリスの決定に抗議し、イギリス当局に対しての憤激をかき立てるために、
その輸送に当たるフランスの貨物船、パトリア号がハイファ港に停泊した際、ためら
いもなく爆破し、その結果、乗組員のイギリス人と一緒にユダヤ人二五二人が死んだ
(『ジューイッシュ・ニューズレター』58・12)。

 イェフーダ・バウアーは、彼の著書、『ユダヤ人は売られたのか?』の中で、この
ハガナによる“破壊活動”の真相を確認し、被害者の名前を記した。

 もう一つの実例を挙げると、たとえばイラクの場合、ユダヤ人の共同体(一九四八
年の人口は一一万人)は、この国に根付いていた。イラクの大法師、ケドゥーリ・サッ
スンは、つぎのように断言する。

《ユダヤ人とアラブ人は、千年にわたって同じ法的権利と特権を享受してきた。お互
いに、この国の中での別々の集団だなどと考えたことはなかった》

 ところが、一九五〇年になるとバグダッドで、イスラエルのテロリストの暗躍が始
まった。イスラエルへの移住手続き書類への署名を面従腹背で逃れようとするイラク
のユダヤ人に対して、イスラエルの秘密情報機関は、そういうユダヤ人に自分が危険
な立場にいるということを納得させるために、ためらうことなく爆弾を投げ込んだ。
……シェム・トヴのシナゴグへの攻撃の際には、三名の死者と一二名の負傷者が出た。
これが、“アリ・ババ作戦”という別名が付けられた集団移住の始まりだった(『ハ
オラム・ハゼー』66・4・20&6・1、『イディオット・アハロノート』77・11・8)
。
[後略]
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 別途、イラク国籍のクルド人の中には、相当数のユダヤ人(ユダヤ教徒)がいる。
人口総数に対する比率は少なくても、ユダヤ人が強い支配力を持つことは、アメリカ、
イギリス、フランスの実例を見れば、明らかである。
 
 イラクも、アメリカのネオコン支配と同様に、ユダヤ人主流の支配下に入るのであ
る。
 
 以上。
木村愛二:国際電網空間総合雑誌『憎まれ愚痴』編集長


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