1881.不思議な事 民営化って何でしょう



不思議な事 民営化って何でしょう      化石老人  
  
 いま小泉内閣は郵政民営化で踊りくるっていますが、一体民営化
するとどういうメリットがあるんでしょうか?

決まっているじゃないか、改革なくして成長なし、合理化によって
能率を上げ、郵政事業を黒字事業にする為さ、という答えが返って
くるのは判りきっていますが、一寸待ってほしい、なんで民営にす
るとそうなるのかがこの化石老人にはどうも合点がいかないのです
。かって安易な民活という体裁の良い言葉で始めた第三セクターも
いまや見るも無残な姿になっているのは何故でしょう。

官営では駄目なものが民営にすれば良くなる、これは裏をかえせば
民間人に比べて官僚が無能で労働密度において劣っていることなの
じゃあないですか?

官営のものを民営に経営形態を変える、これだけでも膨大なコスト
とリスクを抱えることになるのにその最終図も決まらず、プロセス
さえハッキリさせずに唯お題目だけでこの財政赤字大国がつつ走っ
ていっていいものでしょうか?

私のような無知な老人からみれば、今のシステムの中で働いている
公務員を民間人と同じように知恵を出させ、働かせればそれで済む
ことではないかと思うのですが。

そうすればなにも議会あげての大騒ぎをしなくても、体制転換の膨
大な経費を使わなくても済むのです。
では何故、官ではそれができないのか?理由はいたって簡単、民間
にあって官にないものを探せばよいのです。

つまり、民間では自分の立場で決定、実行したことには結果責任が
必ずとわれ、それによって評価が決まり、マイナスの場合は昇給ス
トップ、減俸、降格、場合によっては退職という厳しい現実が待っ
ているのです。

それが会社経営者の場合は更に個人保証に伴う責任によって倒産の
場合は家族をも巻き込む悲劇につながるのです。
だからこそバブル崩壊以来、経済的行き詰りを原因とする場合が多
い自殺者が年間3万人もでるのです。
毎日人身事故による電車の遅れに会うたびに暗澹たる気持ちに襲わ
れるのは私ばかりではないと思います。

そうしてある意味では命がけで働いている民間人だからこそ絶対失
敗しないよう仕事をするから能率が上がるのです。
私はこの際、郵政民営化論議を好機に公務員の就業形態全般を見直
さなければいけないと思います。
総額80兆円ほどの国家予算の中で約30兆円を占める公務員の人
件費の抜本的分析、見直しをしない限りこの国の未来はないものと
思います。
まずあらゆる職種の内容分析を行い不要なものは職務体系からはず
し、その他の業務についても結果責任を問える評価制度を導入すべ
きであります。
事業立ち上げ等予算の実行に伴うような案件については誰が起案し
、誰がかかわり誰が承認したのかをいつでも外部から見られるデー
ターベース化し、それを外部の公的機関で公平に評価し人事に反映
させるようなシステム等も必要かと思います。
要は公務員も権力集団として保身することなく、むしろ能力がある
と自負する分だけ民間企業よりも優れた仕事をする公僕集団に変身
させることが必要と思います。
そうでなければこんごも社会保険庁で露呈したごとき国民にたいす
る公務員の小判鮫的体質は直らないと思います。
ノーブリスオブリッジ、優れたものはそれだけ国家にたいして奉仕
すべきが本筋ではないでしょうか。
何故官を民にすると良いのか、その判断の根底には何があるのか。
私はこの事こそ根本問題として国民的議論を展開すべきと思います
が、老人のことゆえ頑迷固陋で思い込みも激しいことをよく承知し
ておりますので間違えがあれば諭して頂きたいと思っております。 
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不思議な事 民営化って何でしょう  虚風老

実を言うとじゃな、この問題は、「郵政民営化」と、字面は簡単な
んじゃけど、とても大きなて、複雑な問題を、ギュッとゴミ袋につ
めこんだようなものだと思うんじゃ。

まず、この問題は郵政事業(郵便を配るやつ)から問題が起こった
ことじゃないってことなんじゃね。しかしながら、最終的には、そ
の部門も踏み込まれ、関連することにはなる。

この問題は、とても広範囲にかかわるので、いくつかに別けて考察
していきたいと思う。だだ、それは不可分じゃし連関しておるのじ
ゃがね。
ワシも、おいおい書き込もうと思うが、
なにせ、ゲートボールにもいかにゃならんしの(^^)
切り口を置いておくので、これはという切り口で、みなさんにも、
論述してもらいたいもんじゃ。
第一にこれは、<官業の肥大>=特殊法人問題から考察されるべき
じゃろう。
それは、郵政事業・郵貯、簡保で集められた巨大な資金(民間都市
銀行の合計にも匹敵する)が、旧財政投融資等の形で、予算外(つ
まり国会の承認を受ける必要なく)で、旧大蔵省の資金運用部によ
って分配・投資されたことじゃ。これは、一般に「出口問題」と
言われておる。
これによって、公共投資=主に地方への土木建築(名目が違う場合
もあるが)や、特殊法人に流れたんじゃ。また、国債の購入にも多
く割当てられ、予算を通じても、それらへ流れておるわけで、二重
にこの国に政府投資を支えてきたことになるの。
これによって、起こったことは、「“官”の肥大」というべきじゃ
ろう。(これから、“官”という場合は、純・公務員だけでなく、
特殊法人やその配下の子会社、天下り的な者を指す)
それは、地方経済へ資金を流すという側面もあって、日本の均衡あ
る発展という形は造ったけどね。その結果、金と票という権力構造
が全国に張り巡らされたわけじゃ。

これは、長野県議会のドタバタを見ておれば、浮き彫りになると思
うが、地方の権力構造が、いかに「公の金」を当てにした土建業に
よって占められている実態と不可分か分かるじゃろう。

次に<官僚の権力>−<日本の権力構造>という視点からろんざれ
るべきじゃろう。政・官・業というが、日本で、「政策立案」して
いるのも、「それを差配」しているのも、「それを、管理監督」し
ているのも官=行政であり、これは元通産官僚で・経企庁長官でも
あった、堺屋太一氏などが、いかに“官”に決定権=権力があるか
指摘しておる。
まるで、立法・行政・司法が密やかな形で集中しておるようじゃ。

以前の金融では、金融村と言われるほど、政府主導であったしの、、、。
つまり、旧・大蔵省は、政府予算、財投、民間金融(日銀・大蔵一
体)等も含め、「金の分配と流通」を完全にコントロールすること
をによって、大蔵省は日本をコントロールした。そしてそこ、金の
流れは、付随して、<票>も生むわけでの、<権力の中枢>で有り
得たわけじゃ。
こうして、政・官・財のトライアングルが生まれるが、政には官の
人事権すらなかったから(中立を保つという意味で、政治介入が難
しいことは、田中真紀子が浮き彫りにした)中心の“官”に、政と
財が寄り添っていいるというのが、本当の構図じゃろう。

まあ、天下りを含めた「官の拡大」「官の身分保証」「官の経営」
(予算とコスト意識の乖離、法と事業計画の融通、決定変更のスピ
ード)等、「官僚制度の歴史的意義」
近頃、評判が悪いんで、独立行政法人とか、道路公団民営化とか、
看板はさかんに掛けかえておるが、実態が変わらなかったり、焼け
太りだったり、、、、いやはや。。
官の問題を始めたらとてもじゃないが一つではできないので、論点
をしぼらにゃあならん。
何せ、相手は党代法学部、文面に「等」の一字を滑り込ませるだけ
で、何でもできるの。
いや、わしゃ、あまり機動的運営に文句は言わんぞ。それなら、そ
の人達の「心と志し」までしっかりして欲しいと思うだけじゃ。基
本的に法律で経営はできんと思っておるからの。

<金融の側面>が、これはこれで、とてつもなく大きな流れの話じゃ。
国内的な事象としては、もはや語れなくなるじゃろうの。
それは、「市場」もからんでくるし、民間との融資競合や、アメリ
カとの国際経済や政治、国際金融も引っ掛かってくるの。そのへん
は、先のバブルの発生とマネー戦略のなどの検証からわかることも
あるじゃろう。
手ごろなところでは、文春新書の「マネー敗戦」吉川元忠氏などを
読んでおくのもええじゃろうな。なにせ、660円と安いし、ブッ
クオフじゃ、100円で見つけたぞい。
金のない老人にはありがたいことじゃ、、なんまいだぶ。。。

それと、国債問題もあるじゃろうし、株式への直接投資や、日本の
大衆の株式・債権の購入知識もきになるなぉ。これだけ、詐欺に遭
い易い国民もおらんのじゃなかろうか、、、?
そういえば、自主運営になれば、「運用」の問題があるの

まあ、公務員の業務形態にいたっては、これで別の議論を立てねば
ならぬし、郵政本体の付随して生じる様々な問題が、別にあるじゃ
ろう。
特定郵便局とか、グローバルサービスと経営とか、民業圧迫とか、。

            ああ、疲れた、もう一回寝とこうかの。
まあ、老―老同士で、ゆっくり時間を掛けて考えてみますかな 。
                  虚風老
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解があるかもしれんが、、、        虚風老 
   
 論点を整理してみようかの。
まず、神の存在は信じるが、それは個人的なもので、
「神」という名のもとに、結論を一方的に決め付けないでほしい。
神との出会いなど、世界にすべて一様にあてはまるとは思えない。
でどころのわからない「しんれい」や、それを持ち出す議論には振
り回されたくはない。

実に「信教の自由」や、「政教分離」に即した話じゃな。

次にフェミニズムの問題じゃね。
田○陽子氏のテレビの影響じゃろうか、いい加減にしろという声は
おおいいようじゃ。

ところで、フェミニズムとはまた別の話として、
男社会・男性社会という言い方は、一般にされるわな。
この、「男社会」という言葉で、表象されるモノの内実はいったい
なんなのじゃろう?

とら丸さんは、これを、S子さんの「戦い、奪い、破壊しながら歴
史を形成してきた「男社会」」という言葉を受けて、「男社会とは
弱肉強食の力の世界」と理解してみた。

ところでね、Sさんの投稿には2004年、7月21にこういうの
がある。
これをふまえるとどう思うかね?
これは、男に罪をなすりつけた、被害者意識の文章なのじゃろうか。
まあ、女性には、自分の中から見る主観というのは、一般的に男性
より強いかもしれんが、、、。

_____引用_______
21世紀の男と女 =互いの魂の成長を目指して=  S子 
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/160721.htm
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何が、解体され、何が、後を継ぐのか。。。 虚風老
   
 !!、、、うむ、あまり大声で、話してくれんでも、ええど。
わしゃ、頭は半惚けじゃけれど、ありがたいことに、補聴器はまだ
必要ない。(^^)

ところで、<男>と<女>という言葉じゃが、これは実際の性を指
すこともあるし、<男性原理><女性原理>を表象することもある
の。
いわゆる、シンボルとしての概念じゃ。
<男>=<陽>−剛・天・日・昼・外・表・動・起・前、等を表象
し、戦争をあらわし、   
<女>=<陰>−柔・地・月・夜・内・裏・止・伏・後と、対応す
る。また、生産をしめす。

社会的・精神分析的には、父性・父権もあらわし、母性・母権も示
されるじゃろう。イエの構造解析=国家の仕組みの説明に使われる
ことがある。

なお、脳科学の立場は、脳に明らかな男と女の差違があって、その
生命戦略による、特徴分けが存在するであろうことを示唆しておる。
つまり<生>を繋ぐモノとして、付与された女性の特質と、その外
延活動体として、守り手としての<男>が、生物的特質から、文化
的社会的なものの中に埋め込まれていく。
また、文化社会的にできた関係は、今度はさらにそれを展開しなが
ら、役割をそれぞれに、付与(構築)していくというわけじゃ。

男=闘争的、女=親和的というのも、それらの性差が社会構造の性
格に影響することはあたりまえであろうの。

おそらく、先の文章(S子氏の元文)は、
アリストファネスの書いた、ギリシア喜劇「女の平和」が念頭にあ
ったと思われる。
―――その昔、アテネでは、男達は戦争に明け暮れていて、平和が
なかなかこなかった。業を煮やした、女達は一致協力して、セック
スストライキに入る。つまり、戦争を止めるまで、夫ともセックス
しないと決め、神殿に篭ってしまう。で、それはたまらんと、男達
は戦争を止めるというファルス(笑劇)じゃ。―――

そこで、この話の始まりになった、<解体>あるいは、<壊れる>
といった意味の言葉は、新聞や、テレビ、雑誌等の中で、今、事象
を説明するのに、頻繁に使われている言葉なのじゃろう。
それが、イメージとして、脳の記憶に累積し、誰もが<夢>をみる
ように、ポンと顕在化してきたものやもしれない。つまり一つの事
象を説明する言葉としてではなく、皮膚感覚として、ラッシュシャ
ワーのように降り注ぐ情報から、言葉が選び取られるわけじゃ。

問題は、何が解体されている=壊れているかではなく、総体として
、<解体>されているモノが多いいということじゃ。
イラク戦争においては、国連=国際法=国際合意というものが解体
され、米国と欧州という大西洋同盟が解体され、イラクそのものも
解体され、郵政が解体され、プロ野球のオーナーグループが解体さ
れ、、、、、という具合じゃ。
   (ついでに、北朝鮮の金政権も解体されて欲しいぞ。。。)

何が解体されつつあるか、手のあいた人は例を上げてみるとええ。

それは、去年の暮れに、どこぞの坊さんが、その年を表わす一字を
<災>と書いたようなものかもしれんのう。ただ、この場合、その
範囲が、<潮流>のようなものを示すのかもしれんがね。

つまり過去のシステムの崩壊と、次にくるものに対しての予感であ
ろう。ただ、それが、実は、実体として何であるか、明らかではな
いがね、つまり、陰陽交代的なリズムの視点をもてば、父性(男性
原理)から母性(女性原理)が導だされるのであろうな。

特に、米国の現政権が、父性的なモノのシンボル(米軍とか、父な
る神とかね)をかかえこんでいる以上、それは、<男性原理>を容
易に連想するんじゃ。

今日グローバリズムという潮流に対抗して、ネーション的なものの
勃興があるじゃろう。イスラム原理主義もそうじゃし、ヨーロッパ
も、拡大につれて(域内グローバリズムみたいなもんじゃし、その
対抗として、各国の文化的アイデンテティは、より強く希求されて
おる。)
たとえば、キリスト教根本主義は、宗教的なものもあるが、社会精
神構造分析的な視点でみれば、いわば、漂流する価値観にたいする
、WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)や、米ポピュ
ラーである独立自営農民の大地的(母的)なモノへのしがみつきに
もみえるわけじゃ。
グローバリズムは、アメリカ化と普通理解されるが、それはアメリ
カ内部にも向うのであろう。アイデンテティは、大地的なモノだか
ら、根無し草の金融システムと衝突するんじゃね。
それを、母権的と表現することは、シンボルの世界では可能じゃ。

実は、米国との関係をみれば、日本は<女性原理>として動いてい
る国なんじゃよ。つまり、敗戦で、男性なるモノが(密やかに)去
勢されているといえるじゃろう。そのことの苛立ちが、逆の反応(
回復させたいという願い)を今生起させている。
石原氏の反応などには、「父権の回復」というものがあり、それが
見てとれるわけじゃ。

しかし、男性原理は、拡張・争いを内包しておる。
つまり、「戦うことのできる国」になりたいというのは、政治・物
理的な意味以上のモノを潜ませていようじゃ。
だが、生命科学はいう。<いのちを継ぐ力>は、
「女性原理」の、したたかに、しなやかにのほうがあると。。。
日本は選択するだろうが、<力と拡張>で生き残るのか、<変化へ
のしたたかな対応>で生き残るのであろうかの?

                         虚風老


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