1874.交換できない価値



「ナンバの身体論」にみるこれからの生き方    S子   

 最近、時おり私が目にする言葉に「ナンバ」というのがある。「ナン
バ」は「難場」であり、「「難場」とは、外的には足元が不安定であ
ったり暗闇の中にいるような状況、内的には身体に痛みがあったり疲
れているような状況のことを指す。そんな「難場」を切り抜けるには
、できるだけ「捻らず」「うならず」「踏ん張らない」古武術の身体
の動きー西洋式の運動理論とは正反対の動きーが最適である。」(「
ナンバの身体論」p4 矢野龍彦 金田伸夫 長谷川智 古谷一郎 
光文社新書より)

私たちが普段歩いている時、両手と両足を交互前後に出し、その反動
を利用しながら歩いている。何を当たり前のことを言っているのかと
読者は思うかもしれないが、実はこの当たり前の歩きかたは、明治政
府の富国強兵策という軍隊を短期間で大量生産的に生み出すために生
まれたものであり、これは言わば西洋式の歩きかたであって、日本人
本来の歩きかたではない。

江戸時代まで日本人は右手右足、左手左足を同時に出すという「ナン
バ歩き」だった。江戸時代では特殊な職業(例えば飛脚)を除き、日
常生活において人は走る必要がなかったために、「ナンバ歩き」で充
分だったのである。

「右足が前に出る時右腕を前に出し、右半身全体が前に出ていくよう
な動きに加えて、身体内部を器用に使い、全身を前傾することで連続
的に重心を前に崩して(「重心を前に崩す」とは、立っている状態で
腰を折らずに身体を前に倒していき、自然に前に足が出るところで足
を出すということ)進んでいく。」(「ナンバの身体論」p16 矢
野龍彦 金田伸夫 長谷川智 古谷一郎 光文社新書より)

この「ナンバ歩き」の効用は、着物が着崩れないという日本の着物文
化や、長時間労働という「難場」を切り抜けるための農作業に適した
動きであるということだ。明治維新以降の西洋化による洋服文化は、
どんな動きをしても洋服が着崩れない、という利点があるために「ナ
ンバ歩き」の効用が薄れていったと思われる。また、西洋化に伴いそ
れまでの農業中心の生活から都市型生活へ移行してゆく過程において
も、「ナンバ的な動き」が失われていったと言っていいだろう。

「現在、ナンバ的動きの要素が継承されていると思われるのは、能や
狂言、歌舞伎、民族(俗)舞踊などの文化的、芸術的なものと、相撲
や柔道、空手、剣道といった日本の伝統的な武道や武術である。」(
「ナンバの身体論」p19矢野龍彦 金田伸夫 長谷川智 古谷一郎
 光文社新書より)

このように私たちは今現在、日本の伝統的文化や芸術、武道や武術に
「ナンバ的な動き」を見ることができるだけで、私たちの日常生活で
はまったくそれは皆無の動きとなってしまった。が、身体の合理性や
効率性を求めて、無理や無駄のない「ナンバ的な動き」がまた新たに
注目されるようになり、昨年のアテネオリンピックでは陸上の末次選
手がこの「ナンバ走法」を取り入れて話題になったのは、記憶に新し
い。

では、この「ナンバ的な動き」とはどのようなものなのかを、「ナン
バの身体論」を通して私なりに簡単に説明してみたい。従来、私たち
の身体の動きは筋肉という局所的な部分を意識して動かしていたため
に、ほんのわずかな意識のずれでその動きに誤差を生じさせていた。

「ナンバ的な動き」ではその意識を骨に置き、骨をどのように動かす
かという意識の集中で身体全体を使うようになり、そのことで局所的
な身体の緊張や弛緩が取り除かれて、動きが一斉にバランスを保つよ
うになる。骨に意識を向け身体全体を使うことで筋肉のバランスも自
然と取れ、その動きの誤差も縮小され、または誤差がなくなり、それ
に伴いケガや故障も随分と軽減されるようだ。

「ナンバの身体論」では体幹部を胸郭と骨盤というふたつのボックス
としてとらえ、そのボックスを前後、左右、上下、各面が平行四辺形
になるように潰して、身体全体を使って動くことを教えている。身体
全体を使うことで動きにバランスが生まれ、局所的な無理や無駄が削
がれて動きが滑らかになり、それは動いている本人も楽な動きであり
、見る側にはそれは美しい動きとなる。

見ていて美しい動きというのは、そこに無駄がないということでもあ
り、必要最小限の動きでもあるから、相手に先の動きを読まれないと
いうことでもある。その昔、武士が刀を使って戦うにはこの美しい動
きは欠かせなかったはずだろう、と私は察する。そして、この「ナン
バ的な動き」は呼吸とも連動しており、西洋式の動きに比べるとエネ
ルギーの消耗が少ないようだ。

「ナンバ的な動き」は、あくまでも身体の合理性と効率性という「質
」を追究することを念頭においているために、「ナンバ的な動き」が
こうだという明白な「完成」はないのである。個人個人の体格が違う
ようにそれは個人個人が自分の身体と相談しながら、自分の身体にと
って無理や無駄のない自然な動きを探り出してゆくしかない。

こうしてみてくると「ナンバ的な動き」は、一枚岩ではなく、自分の
身体を通して様々な発想や発見が生れてくるのがわかる。しかも個人
によってそれは異なる、という利点を孕んでいる。

私たちは、自分の身体にとってのより良い「ナンバ的な動き」を追究
してゆくことで、そこに自主性や柔軟性が生まれ、行動範囲も広がり
豊かな心を保持することができる。また、身体の合理性や効率性とい
う「質」を追究してゆくことで、生き方も実に無駄のないシンプルな
ものでになるのではないか。自分の身体を知ることは、より深く自分
と向き合うことでもあり、それはその人の生き方そのものに繋がる、
と私は思っている。

米国のドル基軸通貨体制は、石油と言う天然資源が存在して初めてそ
の価値を発揮している。米国の石油依存体質が米国の金権政治やビッ
グビジネスを動かしていると言っても過言ではないだろう。しかし、

やがてその石油という天然資源も枯渇するときが来る。石油エネルギ
ーの膨大な無駄遣いが天然資源の枯渇を速めている。それは石油だけ
でなく全ての生命の命の源である水にしても同様だ。

「ナンバ的な動き」は日本人本来の生き方そのものだったはずであっ
たのに、明治維新以降の西洋化に伴って「ナンバ的な動き」が失われ
、私たち日本人は随分と欧米人に利用されやすいように改良されてし
まった。が、これからの激変してゆく時代を生き抜いてゆくには、こ
の「ナンバ的な動き」に見られるような生き方がむしろ望まれるので
はないかと、私は思っている。

参考文献 「ナンバの身体論」 矢野龍彦 金田伸夫 長谷川智 
               古谷一郎
                      光文社新書
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交換できない価値

戦略や、歴史は、論理だけではうまく説明されない。力学(他者が
、自分の欲求の為に、いろんなカタチでの力を行使す)が働くから
だ。受動でありながら、なんとか流れの方向を変えながら、うまく
やるのも手のうちだった。
原理原則的な思考に凝り固まっているのと、どちらが、生き抜きや
すいだろう?
老子の教えた戦略は、水のごとくであったが。

日本は外からみると、成功した国にみられている。
だが、内側からは、なにやら、不安がふきだしている。
まあ、もちろん、それは自身ではわかる。それは<価値観>にある
のだ。

もう一つ、経済と経済学とは別モノで、今までの経済学(近代経済
学・マル経済学ともに)には根底的な問題がある。

本来経済は、<価値>と<交換>少し広げて<分配>を扱うもので
なのである。

しかし、科学的という言葉(手法)は、数値的(計測・計量可能な
モノ)のみを扱う。しかし、その最初、その抽象化は、全体を扱う
ものではないとの認識はあった。
そして、科学万能(という宗教のようなものは、)の世界では。計
測できないものを<無>とみなす傾向がある。
ここに、おかしなことがおきる。
自然(環境や資源)の扱いや、経済の外部化とされたものが、実は
、生命にも経済にも、非常に重要なファクターでありながら、なお
ざりにされている。しかも、破壊的な影響さえ受け始めているのだ。

それは<価値>の問題に起因する。
経済が今取り扱う<価値>は即<交換価値>=貨幣価値だけなので
ある。で、市場万能主義がはびこる。ここに、価値の脱落がおこる。

共同体は、生命や、文化、安全という計測不能な価値から成りたっ
ている。
<交換価値>だけ=金だけが、価値であるという、論理に覆われ、
欲望が、無制限に引っ張られると、共同体を壊わす因子としても働
くのだ。

<交換できない価値>これが、今問われている。
            まとり
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論議には論議できる環境がひつようじゃ。 虚風老   

啓示と、シャーマニズム
表現としての神の御告げ。スピリチュアル(考えの方式としての)
な捉え方じゃ。

西洋的宗教の伝統に、預言と言うものがあって、古代的には、世界
には広く巫女というものが存在した。道鏡を排除した、宇佐八幡の
神託だって、そうじゃしの。もちろん今もあるがね。教派神道も、
多くはそこを基底にしておるわけじゃし。
まあ、科学がでてきたあとで、整合性を持ちつづけるために、スピ
リチュアルと呼ばれる形式に衣更えをし、移行したといえるじゃろ
う。

まあ、問題点があるのは、いわば、一方通行なんじゃね。
自分が啓示と捉えるば、それは絶対化されてしまうじゃろう。
そうすると、リアリズムに基づいた議論にならなくなる。
「神がそうおしゃった。」それで、おしまい。

しかし、「神の声や規定」は、今も世界中で猛威を振るっておる。
アメリカで権力を握った「キリスト教根本主義」「イスラム」「カ
トリック」「ユダヤ」、、、聖書として、コーランとして、、、。
道徳や、倫理の基底にもそれは入り込み、西洋近代法や、経済思考
の淵源でもある。システムの中核にあるブラックボックスといって
もいいくらいじゃの。

神の声、あるいは、上位の霊の声を聴く。この形式は古い。人の歴
史と不可分といってもいいくらいじゃ。
つまり、ここには二つの違った問題が隠されておる。
一つは、絶対性=無謬性と「自分達が信じる」、あるいはそう「人
に信じさせる装置」として働くことじゃ。それが権威と認められれ
ば、人を無批判で動かすことができる。内容の当否より出所が重要
になってしまうしの。

一つは、その内容である。宗教として成り立つためには、多くの共
感・共鳴を必要とするしの。自身の心もまた、声をあげるし、直感
、肌合いというのは馬鹿にできないんじゃ。
間違った前提にたった論理より、全体性を見渡す力を保持している
場合があるんじゃ。(論理は、措提された前提からもたらされる系
に対してのみ有効であるし、その判断には、客観的に見えながら、
多くは感情が基盤になっているわけじゃ)
だから、論理より本質に肉薄していることもあるんじゃね。

それが、文化的土壌において、いろんな神性がかぶさった形式をと
る(自覚的か、無自覚かは別として)場合があるわけじゃ。宇宙の
意志とかね。

しかし、近頃は、商売にもなるし、それが胡散臭さを一層増幅させ
ておることも事実じゃ。

人は、だれも、こころに「声」を聴く。
その言葉の出所をどう規定するかじゃね。
日本人が、一神教の言葉を胡散臭く思い、巫女的なものには耳を傾
けるのは、絶対性があるかないかじゃろうな。
日本には、審神者(さにわ)というのがあって、降りてくる神の種
類を見るということも行われた。これは多神教じゃからじゃね。
それに悪霊・獣霊も降りてくるとされているしの。

まあ、あまり問題にならないのは、よろしくなければ、いつでも否
定できる可能性があるからじゃ。(信じてことばを下された人には
、問題じゃが)

同じように「非国民」なんてのも。言論を一方的に封じるわけじゃ。
同じ国に生まれ、国のあり方を考えても、手段・手法が違うことを
して、レッテル張りをするのは、自分等を裁く側の高みに置いて、
価値の絶対化をするからじゃね。
これは、価値の硬直化でしかないじゃろう。
<絶対・無謬>これらは、戦略思考には有害じゃ。
必要なのは、価値を説明して、その達成の道筋を示し、共感を得る
ことじゃろう。

言論が自由でないところに、真の強さは形成されん。
そこにあるのは、当面の「硬性な、みせかけだけの強さ」じゃ。
真の強さは、柔軟性にある。
それぞれに、違った意見はある。その出所・背景も違うじゃろう。
だから、感情的なモノ言いで、議論、対話を難しくするのは、この
サイトでは避けて欲しいもんじゃね。(どこでも、匿名でそれが溢
れかえっていればこそ、戦略を考える場所では避けて欲しいんじゃ
。)
               虚風老
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Re:解体          とら丸   

>これからはこの解体の名に相応しい状況がグローバルに生まれるの
>ではないかと私は思っています。

>そして、何よりも人類が長年築き上げてきた「男社会」の解体が始
>まり、その終焉を迎えつつあるのではないか、とも思っています。
>戦い、奪い、破壊しながら歴史を形成してきた「男社会」もそろそ
>ろ限界にきたということではないのか。

男社会とは弱肉強食の力の世界であり、この方向に相反する力の方
向が受容と調和社会だと思う。これらの2方向の力は互いにバラン
スしていなければならず、飛行機の左右の翼のうように上反角をと
って安定して飛行できる。

あらゆる組織・社会が存立するためには、このような組織的構造が
必要なのだ。横風か強いとどちらかの翼を大きくしなければいけな
いが、風が変わると、またバランスをとる必要がある。

現代のグローバル化した国際社会は、弱肉教職=男社会でありバラ
ンスを欠いており、近い将来人間同士による戦争や人間の自然破壊
で、地球生物は危機に陥るとS子さんは言っているのだろうと思う。

そしてこのような概念は私たち不通の人も潜在的な危機意識として
共有しているように思う。このような潜在的な共通意識は直観力の
鋭いひとに最初に掲示としてもたらされるのではないだろうか。
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初めまして。haruと申します。

メルマガで、読ませて頂いています。睡眠時間と戦いながらの、ご
健闘にエールを送ります。お体にご留意下さい。

今回、リンクを張らせてもらいましたので、ご連絡いたします。

Haru
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http://www.iraq-war.ru/tiki-read_article.php?articleId=36127

要するに日本人が今自分たちの置かれている状況をちっとも理解し
ていないことが問題なのでは?
政府も外務省も防衛庁も、サマーワの自衛隊員たちを見殺しにする
のか?
神風トヨタ
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国を守る領域保全の法整備を急げ   
   
 原潜、軍用機等の領域侵犯の教訓/警察行為では限界、政治的決断を
軍事評論家 竹田 五郎
繰り返される主権侵害の問題

 領域とは領土、領海(領土沿岸十二カイリの海域)およびそれらの上空である領空の総
 称である。独立国は主権尊重の証として領域保全を尊重、厳守する。平時、この業務は
 治安維持を目的とした警察的行為と類似している。そのためか、わが国では、「漁業法
 違反」「入国管理法違反」等の軽犯罪対処の感覚で、主権の侵害とみた強い認識はなく、
 領土は警察、領海は海上保安庁が担当している。

 領空については、能力上、自衛隊が担当しており、航空自衛隊は長官の命を受け、昭和
 三十三年以来、昼夜二十四時間の厳戒態勢を堅持し、領空保全に対し適切に対応してき
 た。昭和五十九年度にはスクランブル延べ機数は年間千八百八十八機にも達した。

 過去、領空侵犯事件は三十二回であるが、それらのほとんどは辺境の離島領海を一過し
 た程度であり、そのつど外務省は当該国に抗議してきた。実害があったのは、昭和五十
 一年、旧ソ連軍ミグ25戦闘機の亡命のための函館空港強行着陸、および六十二年、同
 国軍バジャー偵察機による沖縄本島横断の二件のみである。

 昨年十一月十日、中国原子力潜水艦が、沖縄県宮古列島の多良間島周辺領海を、国際法
 に違反し、潜航したまま二時間余にわたり航行した。新聞情報によれば、海上自衛隊の
 対潜哨戒機は、九日夜明け前から、情報を得て、電波機器を使って追尾、調査を続けて
 きた。翌十日八時四十五分、長官は総理の認可を得て、海上警備行動を発令した。これ
 に基づき、海上自衛隊は艦船をも動員し、十二日十五時五十分まで追跡し、予め定めら
 れた準拠に基づき、浮上を強制するための手段はとらず、ただ発音弾を投下して浮上を
 要求するにとどめた。

 艦船、哨戒機は初期探知から約六十時間も長時間連続して行動した。しかし、潜水艦は
 これを無視して潜航を続け、自国領海内に逃避した。一部のマスコミは追跡の限界を防
 空識圏内にとどめたと報じているが、その事実はない。このような誤報は他国に誤った
 判断を与えかねないであろう。外務省は国籍判明後直ちに抗議したが、中国は十六日に
 なって、ようやくこれを自国潜水艦と認めて遺憾の意を表明し、侵犯の原因は技術的過
 誤によると、いとも簡単に釈明した。

領域保全は法的にいまだ不備

 平成十四年、政府は北朝鮮工作船の領海侵犯事件頻発にかんがみ、領海保全に対応する
 ため海上保安庁法を改め、船体への射撃を認め、乗員を傷つけても刑事責任を問わない
 とする「危害射撃」を認めた。また、海上自衛隊も、海上警備行動を発令されればこれ
 に準じて武器の使用を認めるように自衛隊法が改正された。しかし、今回の事件はこの
 改正でも潜航する潜水艦への対応は不可能であることを実証した。

 平成九年二月、鹿児島県下甑島に中国人二十名の不法入国事件が生起した。同島に駐在
 する警察官が余りにも少数のため、町長は直接、同島に駐屯する航空自衛隊の部隊に支
 援を要請した。部隊長は、調査のため野外訓練を兼ねて、隊員三十名を急遽派遣した。
 マスコミは独断出動として批判的に報道し、防衛庁は手続き上の不備を認めた。幸いに
 これが単なる不法入国であり大事に至らなかったが、もしも、武装ゲリラ等が混在潜入
 していれば重大な事態になったであろう。この場合、当然、所在部隊に対し治安出動発
 令となるが、その手続きは煩雑で、急変する事態に適応できまい。

 平成八年九月、北朝鮮潜水艦が韓国東海岸に漂着し兵員二十六名が上陸、潜入した。韓
 国軍は四十九日間、兵員述べ百六十万人を動員して対処したと聞く。将来、テロやゲリ
 ラが潜入し、特に離島、僻地海岸地域においては、警察力で対応できない事態の生起は
 十分予測できる。

領域保全任務は自衛隊が負え

 前述のように、領空侵犯対処については自衛隊法によって自衛隊に任務を与えられてい
 る。しかし、領土、領海侵犯については治安維持の範疇として、治安出動、海上警備行
 動発動による警察力の支援、補足に止まっている。したがって、武器使用についても、
 「警職法」の準用に制約され、正当防衛、緊急避難の場合に限定されている。過去の重
 大な領空侵犯についても同じである。ミグ25戦闘機事件は機上レーダーの不備による
 もので、その装備の改善は終えているが、バジャー機の沖縄侵犯は要撃機の武器使用に
 関する法的不備であり、再発防止には政治的判断を待つほかない。

 平時、領空侵犯する航空機に対し退去、着陸を強制するため、また、潜航する潜水艦に
 浮上を強制するため、さらに潜入武装ゲリラ制圧のためには適正な武器の使用は重要で
 ある。特に、武力攻撃発生以前の予測事態(防衛出動待機命令時)においては不可欠で
 あり、「武力攻撃対処法」の改正が必要である。

 自衛隊に領域保全、警備の任務を付与するとともに、武器使用についても任務遂行に支
 障を生じないように自衛隊法を改正すべきである。また、部隊の運用は基本的に三自衛
 隊を統合すべきであり、警察、海上保安庁等がこれに協力すべきは言うまでもない。
  世界日報 掲載許可
  
       Kenzo Yamaoka
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米国近隣諸国における中国   
   
  中南米諸国は、同地域における中国の経済的政治的役割が大きくなっている関係で、正
 に活気づいてきている。スペイン国営通信(EFE)は昨年末、「中国はチリでのAP
 EC(アジア太平洋経済協力会議)サミットの『星』である」と見出しを付けて、大々
 的な報道をした。別のメディアは「中国は中南米にとって魅惑的である」と書いた。中
 国の胡錦濤国家主席による11月の中南米旅行の少し前、アルゼンチンのメディアは、
 同国に対する中国の何十億jという投資についてエキサイティングな予測をしたが、そ
 れは、かなり正確だったことが分かった。ブッシュ政権にはこういった展開を冷静に眺
 めてほしいし、そして、ウラジーミル・プーチン・ロシア大統領のような誇大妄想的な
 勢力圏の防衛を始めることは控えてほしい。しかし、やはり、ホワイトハウスは、この
 地域で拡大する北京の影響力に対して無関心であってはならない。
 中南米は北京が関心を寄せている重要な天然資源を持っている。米国のエネルギーの必
 要性について考える際、市場に精通した人たちは、グローバルな需要と供給しか見ない
 傾向がある。しかし、大抵のエネルギー会社が国有で、ビジネスや外交上の関係が最も
 重要で、また、相互に絡み合っている中南米においては、いろいろな政府に取り入って
 エネルギーの供給を受けようとする中国の試みは、最終的には、米国への輸出量の削減
 をもたらす可能性がある。中国が中南米に手を伸ばすことは、また、米国の味方、台湾
 に影響を及ぼすこともあり得る。

 明らかに、中国政府は中南米との関係を重要視している。胡氏の訪問中、中国の会社は、
 ブラジルのエネルギー会社、ペトロブラスに11億7000万jを石油パイプライン用
 に融資するための同意書に署名した。アルゼンチンもまた、同意書に署名した。それは、
 10年にわたって、主にエネルギーに対してではあるが、実に興味深いことに、鉄道網
 のようなエネルギー資源の移動を可能にする輸送の基盤に対しても、中国が200億j
 の投資を行うためのものであった。その投資には若干の外交的ひもが付いているように
 見える。胡氏もネストル・キルチネル・アルゼンチン大統領も、明らかに台湾を意識し
 て、互いの国家の主権と領土の保全に対する支持について語った。

 同地域と中国との間の貿易は急成長しており、中国の報告によると、貿易は1993〜
 2003年に600%上昇し、2000〜2003年には倍増した。同地域は2003
 年に、中国に対して33億jの貿易黒字を出した。しかしながら、現在までのところ、
 中国は、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、そしてパラグアイが加盟するメルコス
 ル(南米南部共同市場)関税同盟と自由貿易協定を結ぶには至っていない。パラグアイ
 は中国の主権は認めておらず、台湾と歴史的同盟関係を維持している。台湾の方はパラ
 グアイに相当量の援助を行っている。しかし、中国の中南米に対する支出を考えると、
 台湾の中南米との同盟関係の一部が危機にさらされる可能性がある。

 中南米の中国との通商その他の面での関係は、プラグマティックなものである。中国は
 都市化によって耕地が減少しているので、中南米の食料その他の輸出品を必要としてい
 る。中南米の指導者は米国や欧州連合(EU)の農業の補助金にフラストレーションを
 感じていて、中国市場をより開放的な代替市場と見ている。私たちは、共産中国が米国
 の市場よりもオープンな市場を持っていると見られている事実を恥ずかしく思うべきで
 ある。

 さらに、急成長している中国との関係については、中南米にやや気に掛かることがある。
 なぜなら、中国は貿易で同地域とグローバルな競争をしているからである。中国は中南
 米から大部分原料を輸入しているが、工業製品その他の商品を同地域に輸出しているの
 である。

 理解はできるが、ブッシュ政権は、対テロ政策や核拡散といった別の緊急な外交問題に
 集中している。しかし、米国は、わが国の近隣諸国への中国の関与を注意深くフォロー
 し、この地域とのより幅の広い通商関係を固める努力を強化しなければならない。(1
 月6日付)世界日報 掲載許可
       Kenzo Yamaoka
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ソ連解体いまだ悔いるロシア国民   
   
 プーチン政権でも不満増す世論/ドルよりルーブルやユーロへ信頼
長岡大学教授 中澤 孝之
重大事件首位にベスラン事件

 世論調査の結果は、ある程度その国の世相を反映している。年始にあたって、旧蝋(き
 ゅうろう)、ロシアで実施された興味ある世論調査を紹介したい。まずは有力調査機関
 レバダ・センター(LC)の調査結果である。

 第一は、「ロシアにとって二〇〇四年は前年に比べてどんな年だったか?」という質問
 に、「より困難な年」との回答者は34%(〇三年調査では21%)、「より楽な年」
 は18%(同25%)。高年齢層、極東、シベリア、ウラル地方の住民および共産党や
 民主派野党の支持者たちの回答は比較的悲観的だった。「あなたと家族にとってどんな
 年だったか?」には、「より困難な年」が40%(同24%)、「より楽な年」は19
 %(27%)で、全般的に前年に比べて庶民の生活が苦しくなったことを示唆している。
 「何が悪かったのか」との問いには 収入減がトップ(20%)、以下、自分の病気、
 近親者の病気と死亡、職場の問題、休息不足、失業などの順だ。

 第二に、「〇四年の重大事件は何であったか?」との問いの回答は、九月初めの北オセ
 チア・ベスラン学校占拠事件が断然トップの52%。以下、プーチン大統領の再選(2
 9%)、八月末のモスクワでのテロ事件、航空機爆破事件(26%)、二月のモスクワ
 屋内プール屋根崩壊事件(23%)、国際原油価格の高騰(22%)、社会保障特典の
 現金化(21%)、アテネ五輪(20%)、ウクライナ大統領選挙と政治危機(18%)
 などの順で、ロシア国民の関心事がうかがえる。

 第三は、ロシアとウクライナの双方で同じ調査を行った結果である。まず「九一年ソ連
 解体をどう思うか?」に対して「悔いている」との回答者がロシアで67%、ウクライ
 ナでは50%と、ソ連消滅十三年後を経てもなお、ロシアでは過半数以上がソ連解体を
 後悔していることが明らかになった。「悔いていない」はロシアで26%、ウクライナ
 では39%だった。次に、ロシアで対ウクライナ関係を、ウクライナでは対ロシア関係
 を聞いたところ、ロシアでの回答で「極めてよい」は13%、「基本的には良好」が6
 6%、「基本的に悪い」14%、「極めて悪い」は3%。一方、ウクライナでの回答を
 見ると、「極めて良好」は37%、「基本的に良好」は46%と八割以上の回答者がロ
 シアとの関係を肯定的に観測している。

ウクライナより民主的と45%

 第四は、通貨の信頼度で、「預貯金の場合、どの通貨が有利で安全と思うか?」との問
 いに、ルーブルとの回答者は39%(〇三年は29%、〇二年は29%)、ユーロ29
 %(同25%、18%)、ドル11%(同27%、33%)と、ルーブルへの信頼度が
 高まり、逆にドルに対する不信感が強まっていることがうかがえる。内訳を見ると、年
 金生活者、五十五歳以上の高齢者、低学歴者、低・中所得者(所帯月三千ルーブル〜五
 千ルーブル)および中部ロシア住民、中小都市住民にルーブルへの信頼度が高い。ユー
 ロ信奉者は、学生、四十歳以下の住民、中程度学歴者、比較的高所得者(九千ルーブル
 以上)、中西部、南部およびモスクワなど大都会住民に多い。そして、企業家、会社幹
 部、二十五−四十歳のグループ、高額所得者、極東住民が一般的にドルを信頼している。

 第五に、「今、ロシアの一番の脅威は何だと思うか?」との問いに対する答えで一番多
 いのは「物価高騰、広範な住民の貧困化」(42%)だった(〇三年も37%でトップ)
 。次いで「一層の経済不振」「犯罪の増加」「失業の増加」「外国によるロシア資源の
 窃取」「明日への信頼性の欠如」「統一国家としてのロシア崩壊」「無政府状態」「西
 側依存の強化と三流国への転落」「チェチェン戦争の拡大」「内戦」などの順となって
 いる。

 第六は、ウクライナ大統領決選投票直後の世論調査で、「ウクライナに対してどう思う
 か?」との質問に、「よい」が79%、「悪い」は13%、回答困難が8%だった。ま
 た、ウクライナ情勢への注目度については、「非常に注目」が11%、「かなり注目」
 は31%、「特別に注目していない」は42%、「全く注目していない」が15%。
 「ロシアとウクライナはどちらがより民主的と思うか?」には、「ロシア」が45%、
 「ウクライナ」12%、「どちらも同じ程度非民主的」が25%、回答困難が18%だ
 った。「ユーシェンコとヤヌコビッチのどちらの勝利がロシアにとって有益か?」との
 問いには、前者との答え10%に対して、51%が後者と答えた。

 また、「ウクライナでの与野党対立の主因は何だと思うか?」という質問に、「ウクラ
 イナ経済派閥の権力闘争」との回答が34%でトップ。以下「外国勢力の陰謀」22%、
 「ウクライナ政権の長年の腐敗に対する国民の不満」16%、「大統領選挙戦での不正
 への大衆的憤り」12%などとなっている。さらに、「ウクライナの危機に関連したロ
 シア政府の言動をどう思うか?」に対しては、「全く適切かつ有益」が27%、「ウク
 ライナとの関係を悪化させる内政干渉」が26%、「不十分、全く弱い」が23%で、
 ほぼ均等に意見が分かれている。また「決選投票後のウクライナ野党の行動(オレンジ
 革命)をどう思うか?」について、「感嘆、称賛」はわずか2%、「肯定する」は7%、
 「驚き、ためらい」18%、「苛立(いらだ)ち」13%、「憤り」18%、「特別の
 感情なし」29%、回答困難13%という結果だった。

北方領土解決先延ばしが大半

 最後に、「ロシアの世論と市場調査(ROMIR)」の日露関係に関する調査結果(1
 1月)を引用する。「どのような北方領土問題の解決方法がロシアにとって有利と思う
 か?」との質問に、「平和条約調印と引き換えに四島を日本に引き渡す」はわずか6%
 で、「二島を引き渡して平和条約調印」13%、回答困難21%で、「将来の解決に延
 ばす」が62%と最も多かった。「今後十年の日露関係は?」との問いに、「改善する」
 が38%、「従来通り」は50%、「悪化する」は3%、回答困難9%と比較的楽観的
 な見通しが目立った。世界日報  掲載許可
 
      Kenzo Yamaoka


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