1867.思想的ニヒリズムの国日本



Re: 国際戦略コラムno.1857.2005年以後の予想 への感想

思想的ニヒリズムの国日本 = 何も考えない、何も信じない日本人

        十返舎玉九

 Fさん、Tさん、皆さん、あけましておめでとうございます。
 FさんもTさんも、2005年がけっして明るいといえない予測をたてておられま
すね。
 残念ながら、僕も同感です。昨年以上にひどい年になるかもしれない。どう
してそう思うか、整理しようと思いました。まず、どうして日本人は何もまと
もに考えられないのかについての試論です。

*** 明治維新から137年、大東亜戦争敗戦から60年 − 日本人は思考能力を
失った ***

 テレビに限らず週刊誌、一般紙を含めたマスコミを見ても、いわゆる論壇誌
の記事をパラパラと読んでも、日本人はものごとをまともに考える能力を失っ
たというふうにしか思えない。

 どうして、日本人は思考能力を失ったか。それは、これまで我々が学校教育
で習ってきた明治維新や戦後民主主義というものが、はっきりいってデタラメ
の、イカサマだったから。おかげで、我々はものごとを正しく見ることができ
なくなった。

 現代日本人の思考基盤がしっかりしていないから、そもそも議論が成り立た
ない。みんな好き勝手なことをいって、それでよしとしている。

 そもそもこの国の人間は、信じるべきものを持たない。思想的ニヒリズムの
世界を生きている。なぜか。

1)  明治維新のイカサマ性

 まず明治維新がインチキだった。

 明治維新は、江戸期の自然と調和していた文明を捨て去って、西欧の自然か
ら略奪する文明に切り替えた。

 欧米列強によって、無理やり開国させられたという不幸な革命だった。それ
なりに国を護ろうと努力が行われたが、政権をとった長州藩の人たちがずいぶ
んひどいことをやっている。

 たとえば長州藩は孝明天皇の息子を密かに暗殺して、長州出身の大室寅之助
とすりかえたという説がある。

 この陰謀によって天皇家の家系が途絶えたことよりも、政府中枢が天皇を心
から尊敬しなくなり、あやつり人形のように軽んじて考えるようになったこと
に問題がある。

 純粋な天皇への忠心がバカにされ、226事件のような悲劇(天皇を神だと
信じ、神による親政を求めて決起した将校たちが、天皇の命によって問答無用
で銃殺刑に処せられた)が起きた。

 天皇は神だと大衆に教えていた宮内庁自身が、実は昭和天皇は神でないどこ
ろか万世一系でもなく、本当の明治天皇を暗殺して長州藩がすり替えた替え玉
だったという秘密を知っていたのだから、天皇を大切にするわけがない。

 信じるべきものが実は腐っていた。226事件で死刑となった将校たちや、
神風特攻で若い命を国のために捧げた兵士たちを、天皇みずからが裏切った。
そこに明治国家日本の決定的な矛盾と悲劇がある。

 天皇の人間宣言以降、日本人は何を信じていいのかわからない状況におかれ
ている。だから、(最近はあまり使われないが)エコノミック・アニマルなど
と蔑まれることにもなったのだ。

2) 戦後民主主義のイカサマ性

 第二の問題は、大東亜戦争で戦勝したアメリカが日本で行った思想教育が、
実に巧妙であったこと。
アメリカは、日本の戦前を暗黒時代として全否定した。明治国家が江戸時代を
否定したように。

 アメリカは、神風特攻のような無私の行為が二度と起こらないように、徹底
的に日本人の精神を軟弱にし、エリート層が育たないようにした。

 終戦直後にまず行ったのが、教育改革。旧制高校を潰し、教科書を黒塗りさ
せて自虐史観の教育を押し付けた。

 それから軍隊を禁止して、祈ることで平和になるという平和憲法を押し付け
た。おまけに、朝鮮戦争が勃発するや、アメリカの極東戦略の下働きをさせる
警察予備隊、後の防衛庁を作らせた。

3) 憲法の矛盾による思考停止の押し付け

 極めつけは、憲法第9条と自衛隊という矛盾したものを押し付けて、思考不能
な状態に日本人を追い込んだことだ。

 すなわち、占領国アメリカは、平和憲法で軍隊を禁止する条項を押し付けて
おきながら、アメリカ軍を支援するために憲法条文と矛盾する軍備を作らせ
た。

 そのため、日本国内では、自衛隊の存在を認めないとする護憲派と、自衛隊
を軍隊として認めて現実に合わせて憲法を改正しようとする改憲派と、自衛隊
は憲法で禁止している軍隊にはあたらないので合憲であるとするもっとももの
ぐさな単なる現実追認の合憲派が生まれた。

 この合憲派は、ものごとを深くまじめに考えると大変であるから、なるべく
深く考えないようにしようとする政治的無関心層とまったく同じ政治的立場で
ある。現在の政治的無関心を生んだ大きな要因が、憲法第9条条文と自衛隊存
在の矛盾と、それへの対応であるということができるだろう。

 護憲派は、憲法条文を金科玉条として自衛隊存在を否定し続けたが、自衛隊
をなくすことはできなかった。1993年に成立した自・社・さ連立の村山内閣に
おいて、ついに社会党が自衛隊存在を合憲と認めて、合憲派の立場をとったと
き、さほど大きな議論が生まれなかったことから考えると、この違憲派も合憲
派と同じように形だけ自衛隊に反対していた(労働組合の命令などによって)
だけで、実は何も真剣に考えてなかった。憲法すら信じていなかった。

 改憲派も、何をどう改憲するかというところで具体策を打ち出せないでき
た。人々を説得することができないできた。なぜなら、明治国家の矛盾や、天
皇が信じるに値しないということを、歴史的事件に学んでいないからだ。

 本来であれば、敗戦と戦後の占領政策をきちんと研究して、アメリカの押し
付けた罠の正体を明らかにして、立ち直りのための努力が必要だった。しか
し、敗戦の事実は、日本人のトラウマ(心の傷)となってしまったために、誰
もきちんと癒して治すことができなかったのだった。

 こうして、何も信じない、何も考えない、現代の日本人が形成された。食べ
ることと、金儲けにしか興味がないゾンビのような民族となってしまった。

 この状況から立ち直るのは、なかなか大変なことである。まずは、明治維
新、そして占領政策を冷静に評価して、自分たちの置かれた状況を理解する必
要があるだろう。
(2005.1.2)
==============================
Re: 国際戦略コラムno.1857.2005年以後の予想 への感想(その2)

> F:日本経済は、このままであると長期に下り坂になる。

Fさん、Tさん、

*** グローバル化の行き詰まり、人類文明の行き詰まり *** 十返舎
玉九

僕は経済の専門家じゃないので、あくまで素人意見ですが、世界的に経済が行
き詰まっているんじゃないかなあ。日本もそうだけど、世界的、地球的に下り
坂にいる気がします。

資本主義という貪欲な経済システムは、これまで幾度となく行き詰まって、そ
れからブレークスルーして生き延びてきたと思います。1929年の大恐慌が、そ
の後世界大戦を起こすことによって、新たな地平を開いたように。

* 1985-6年の経済的行き詰まりが東西経済体制を融合させた

同じくらい深刻な行き詰まりが、1985-6年に起きていたと思う。これは、ロー
マクラブのいった「成長の限界」であったのでは。世界人口が50億人になり、
資本主義社会はこれ以上人口を養えないところまで開発を推し進めてしまった。

1986年は、ニューヨーク株式市場のブラックマンデー、スペースシャトル・
チャレンジャー号の爆発、チェルノブイリ(チェルノブイリとは、ヨハネ黙示
録に登場する「ニガヨモギ」のこと)原発の爆発、などなどの人類文明への暗
雲を示唆する事件が起きた。バブル経済だって、成長する分野がないから起き
たんじゃないかな。

この年から東西対話が本格化するんですね。ソ連とフランスの首脳会談、ソ連
とイギリスの首脳会談、中国がアジア開発銀行に参加、、、、。ベルリンの壁
が崩壊する5年前から、東西融合の機運はこのあたりにすでにあった。

だから、東側の政治体制が共産主義の失敗とか、社会主義体制の内部崩壊とい
うのは、おそらく間違いじゃないか。むしろ、行き詰まった資本主義が、個人
のやる気を尊重しない社会主義体制に残ったフロンティアを使って、さらなる
開発・自然搾取を行おうとしたと見るほうが妥当では。実際に、共産主義政権
はちっともスターリン体制・収容所体制の反省をしていないしね。ペレストロ
イカってのは、加速化って意味だったんでしょ。

* 経済のグローバル化とは社会主義諸国に残った自然資源を搾取したこと
だった

東西冷戦の終焉は、西側資本主義による東側社会主義体制の強姦だった。東側
の未開の資源を新たなフロンティアとして、世界資本主義に取り込んだわけ。
それにうまく呼応したのが、ソ連のニュー・リッチや、中国の新興企業家たち
だった。中国なんて、「10億人の市場」という呼び声で資本を引き寄せ、実際
には「10億人の工場」へと脱皮したんだから立派なもんです。

この東西両経済体制の融合こそが、いわゆるグローバル化の物質的側面だっ
た。

1986年のチャレンジャー事故から2003年のコロンビア号事故までの17年間は、
ある意味、未開だった社会主義陣営の資本主義化だった。社会主義的なルール
無視の体質のあるところで、資本主義的な欲望を認めたらどんなことが起きる
か。恐ろしいですね。地球上で残されていた、およそ開発できるところはすべ
て開発しつくしたのが、この時代。

おそらく、シベリアの寒帯林やブラジルの熱帯雨林は、この17年間で相当減っ
ただろう。統計をみていないから、わからないけど。古い人工衛星写真と現在
の写真を比べてみると、すぐわかるだろうけどね。

インドも中国も、有毒物質を垂れ流ししながら、工業発展してきた。もっとも
有毒物質が出る産業のひとつである船舶の解撤作業をやっているのは、インド
やバングラディッシュなど南アジア諸国や中国ですからね。先進国では、有毒
物質が多く出すぎて船の解体作業はできない。でも、インドも中国も、その有
毒物質を海に垂れ流しているからねえ。結局、地球の水循環の中に有毒物質を
撒き散らして、世界中の人類のみならず、あらゆる生き物に迷惑をかけてい
る。

今回のインド洋の津波は、人類が行っている海洋汚染への自然界の怒りの発露
かもしれない。

だからBRICとしてひとまとめにされる、ブラジル、ロシア、インド、中国の4
カ国が著しい工業発展をしているのは、単に人件費が安いからではなく、野放
図な自然搾取・開発、持続可能性を無視した開発、法規制もないところで有害
物質のばら撒きを行ってきたからということも大きいと思います。

究極的には、経済発展=自然破壊(地球環境危機)=人口増加という等式が成
り立つ。

* 東側に残っていた自然資源もそろそろ使い果たすころ

でも、これだっていつまでも続けられるわけじゃない。中国では3億人が飲ん
でいる飲み水が、毒性物質が混ざって飲用に適さないと政府が発表したそうで
すし。

これからの時代は、どこにも開発する自然が残っていない。グローバル化に
よってひとつの地球経済になった資本主義経済は、どこからも搾取を行うこと
ができない。アメリカが無理やりイラクに戦争をしかけたのも、おおかたこの
ように時代を読んだからでは?

大恐慌のようなことがいつ起きてもおかしくない。そんな時代を生きているの
だと思います。化石燃料が手に入らなくなる、食料が買えなくなる、なんてこ
とも覚悟しておいたほうがいいかも。

根本的には、増えすぎた人類全体の問題だと思います。他の動物や植物は、す
べて、環境に自分を適合させていきのびてきたのに、人類だけが、環境を改変
して生きのびるすべを知った。その結果、ますます自然を改変し、自然から搾
取し、自分たちは文明の中でしか生きることのできないわがままなお座敷犬の
ようになってしまった。

この1-2世紀、化石燃料を使うようになってからは、とくにひどい。世界規模
の船舶による大量輸送、自然を跡形もなく変えてしまう大規模な土木工事や森
林伐採、自動車の利用などなど、ますます増長して、人口増加率も大きくなっ
た。

いつかこのつけを払わないといけない状態だったんだけど、今がその時代なん
だと思います。60数億人が、現代の文明生活を送ると、それだけで、地球はパ
ンクします。もうどこからも資源をもってくることはできない。

人類は、自分たちが進化の劣等性であることを自覚して、自然を搾取すること
をやめて、自然に生かしてもらうよう心を入れ替えなければならない。江戸時
代の日本人にはそんな心があったはず。これからの時代を生き延びるために
は、自然観、文明観を正すことが必要じゃないかと思います。

ご意見があったらお願いします。
(2005.1.2)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(Fのコメント)
十返舎さんの言うとおりですね。米国は戦後、日本という投資先で
大儲けした。株価が100倍以上になったのです。そして、中国や
ロシアでも大儲けしたのですが、そろそろ株価が下がり始めている。

次の投資先として石油があるイラクに目をつけて民主化して、国営
企業を民営化させて、そこに投資しようとしたのですが、これが
うまくいかない。イスラム・ゲリラに大損をさせられている。

このため、イスラムでは抵抗が強いために、共産主義の中国を民主
化して、そこの優良企業を開放しようとしている。米国は金融大国
であり、投資先を確保する必要があるのです。今はBRICSです
が、次の候補としてグルシアやウクライナ、ベトナムを民主化して
、投資先にしようとしている。その意味では欧州資本も同じですね。

しかし、このようなことをしても資源問題が差し迫っている。この
争奪戦が始まろうとしている。その先兵が中国資源外交なのでしょ
うね。

それと廃棄物で地球破壊もどんどん進んでいる。このためにそろそ
ろ限界に来ていると思う。環境問題、特に資源循環などの仕組みを
確立する必要があるのです。この資源循環という仕組みを作るのは
日本しかないと思う。自然崇拝の神道を信仰する日本の使命でもあ
る。

欧米型資本主義、自然からの資源奪取という資本主義はもう古いの
ですが、次の自然循環型市場経済主義の概観が見えていない。
この自然循環型市場経済主義とは何かをこのコラムで読者の皆様と
研究していく必要があると考えています。十返舎さんもアイデアを
くださいね。
==============================
文明が滅びるとき、芸術と助け合いの文化が必要になる
                         十返舎玉九

* 人類文明の行き詰まり状態

 人類史の問題は、人類がどんどん技術を身につけ、化石燃料や内燃
機関を使用するようになって、地球の自然環境を文明化し続けたことに
ある。いったん文明化すると、後戻り不能で、野生生物は住むことがで
きないし、人間に都合のよい植物や生物しか住むことを許されなくなる。

 21世紀、人類文明は行き着くところまで行き着いてしまった。もうこれ
以上残された未開の地はないし、もうこれ以上ゴミを捨てる場所もない。
石油資源も、生産のピークを過ぎて、だんだん先が見えてきた。

 この星からどこか他の星に移住することは、まだできない。地球の
サイズで、環境は決定されている。これまでは、インダス文明、メソポ
タミア文明、エジプト文明、ギリシャ文明と、地域ごとに文明が形成さ
れ、それぞれが環境破壊などによって自滅していった。今は、地球丸
ごとひとつの経済圏を構成していて、地球まるごと文明が滅びようと
している時代である。

* 消費社会=消費という行動様式が文化に置き換わった

 文化とは、人間が生後獲得する生存のための知恵や技術の総称で
ある。人類は、食べること、生殖すること、眠ることという自己保全の
本能を、文明社会の中で実現していくために、文化を生み出した。

 かつて「手に職をつけなさい。そうしたらどこへ行っても食べていける
から」と言われたが、手につけた職は文化である。食べ物の調理法、
保存食品の作り方、食べ合わせなどの知恵も世代を越えて伝えられ
る文化である。

 家の建築方法、衣服の作り方、礼儀作法などなど、文化である。

 20世紀後半、工場で自動化がすすみ、手に職をつけた職人技術者が
職を失うことになった。食べ物も、工場で作られて流通経路にのって身近
なスーパーやコンビニまで運搬されるものが増えて、自ら調理をしなくて
もよくなった。

 消費社会である。金さえ出せば、食べるものも、着るものも、住むところ
も買うことができる。

 消費社会は、作る側・売る側が、販売を通じて利益をあげる仕組みに
なっている。マスコミを通じてのコマーシャル、流通と運搬のシステム、
POSなどによる販売管理手法などを通じて、消費者の販売意欲をかき
たてながら、消費者の意識に迎合しつつ、ありとあらゆる手で、販売し
ようとする。

 近くに田んぼも畑もなくても、山も川も海もなくても、スーパーマー
ケットさえあれば、人間は生きていけるようになった。これは、安い化石
燃料を利用して、大量運搬・大量消費社会が実現したからである。

* 消費社会の脆弱性

 しかし、この買い手市場の消費社会は、いったいいつまで続くだろうか。
資源や食糧が不足するようになれば、買い手市場の消費社会は必ず
終焉を迎えるだろう。

 いくら札束を積んでも、米一合を分けてもらえない時代。そんな時代
は石油が輸入できなくなったり、食糧が輸入できなくなれば、すぐにも
くる。一転して売り手市場の世の中になる。

 これがポスト消費社会である。それに備えるのが、21世紀の文化の
役割ではないだろうか。

 その時の選択肢は、
1 田舎で農業に従事する
2 都会で飢え苦しみ死んでいく
のどちらかになるだろう。

 田舎でひとりだけたらふく食べる生活を送ることは実質的には難しい。
きっと誰かに食糧や命を狙われるだろうから。

 少ない食料をみんなで分け合って、共同防衛をしつつ生きていける人
だけが生き残るだろう。

 戦国時代再びということになろうか。

 そのとき、自分たちが、どのように考え、どのように行動するか。どん
な文化を構築するか。

* 非常時の文化:文芸と相互扶助

 非常事態における文化はどうあるべきか。これについては、さまざまな
収容所文学を読んでみるといい。

 面白いことに、シベリアに抑留された日本兵の心を、芸術がなぐさめた
という。俳句や短歌や詩という文芸、あるいは絵画。とことん心身が傷つき、
痛めつけられたときに、芸術が心をなごませるということは知っておくべき
だ。

 人間が招いた災厄を乗り切るときに、人間ならではの文芸が力を与えて
くれる。なぜならば、詩や絵画は、直接心にはたらきかけて、励ましてくれ
るからだ。

 よくできたことに、575や57577の詩を作るのに、お金も資源もまっ
たく
不要だ。心ひとつあれば、詩は生まれるし、それが心に響けば紙がなくて
も、心から心へと伝わるのだ。

 そして助け合うこと。とにかくお互いが助け合うこと。

 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように、助け合っているかぎり、自分は助か
るのだと信じること。自分だけ助かろうと思った段階で、糸は切れて地獄に
落ちる。

 自分は死んでも、誰かが助かればいいじゃないか、と思えること。
それが大切である。日本の昔話の世界につながるかもしれない。
(2995.1.3)
==============================
Tさん、
今回の津波が人工地震によるものであるという噂を馬鹿にしていま
したが、意外とインドネシアの石油利権を狙ったアメリカの陰謀か
もしれないと思うようになりました

十返舎玉九
==============================
Re:EMを国政へ ご協力のお願い MY   

> > 「EMを国政へ 百万人署名運動」御協力のお願い
> > 
> > http://www.em-community.com/topics/shomei.html
> 
署名をお願いにお寺を皮切りに5,6軒あるきました。いやはや面
白いものです。大義名分があるので普段でないシチュエーションで
お話できました。あるお宅で八島義郎という名前をおききしました。
Fさん、このかたの解説をできましたらお願いします。 
> 
Fさん、コメントをありがとうございます。 
あるお宅のひとが、日月神示、秦氏のお話、神道、古神道、シュメ
ール人等の話題を次から次にはなされ、当コラムで聞きかじったの
をおもいだしました。EMで波動に興味があり、このひとも波動のお
話をされましたので、八島義郎というひとに興味をもちました。
新興であれ旧興であれ、わたくしはどちらでもいいと思います。
宗教でなく、ひとつの考え方として。最近、近回りの図書館から本
を借りていますといったら、本は買って手元に置いて読んでいると
の”頑なさ”も気に入りました。 

 
119 Reply Re:EMを国政へ 災害対策 MY   

> > 「EMを国政へ 百万人署名運動」御協力のお願い
> > 
> > http://www.em-community.com/topics/shomei.html
> 

EM研究機構 掲示板

http://www.emro.co.jp/interim/wforum/wforum.cgi

スマトラ島沖地震(第一報)NO.3364
スマトラ島沖地震(第二報)NO.3365
 
==============================
    F氏の日記について、、、、 虚風老   
   
「日本の強さは集団にあり」とは、昔から言われてきたことでもある。

新しい「集団の枠組み」が必要なのかもしれぬ。
金メダルの<チーム北島>みたいな。。。
縦でもなく、横でもない、ネットのようなっちゅうわけじゃ。
(はやり=趨勢じゃし)
それでいて、集団として機能しうるような。
(個の力は大事だと思うぞよ。。だが、それをこえるから組織や集
団なのだし。。。ここいらで、組織論を見直しますかな。)

それは、結節点をどういう関係で結ぶかで、決まるじゃろう。

新しい、結び方は、外的状況のせいで、求められるのかもしれんのう。

      虚風老 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(Fのコメント)
その通りですね。個人の能力も高めて、かつ組織全体に個人のノウ
ハウを伝達する仕組みが必要である。このためIT利用が企業に、
おいても個人グループにおいても、必要になっている。

この基盤は、しかし、個人を組織ががっちり押さえて、個人の辞め
させられる不安が無いことが重要なポイントのようである。
==============================
合わせて読もう アルルの男・ヒロシ   
 金融史がわかれば世界がわかる―「金融力」とは何か ちくま新書 516
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超帝国主義国家アメリカの内幕
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最近はこれが気になっています。

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==============================
グローバルスタンダード読書して考えて の未来は司法占領です。   
   
 グローバルスタンダード読書して考えて の未来は司法占領です。
正月だから 頭寒足熱で経済の本ヲ読んだ。
今の 竹中金融大臣達 政府が進めようとしてる 構造改革や規制緩和は間違って
る。

日本の経済政策は虚構理論に操られて大変な損失をし続けてると言う事です。 日本
とドイツの経済失速は「神の見えざる手」理論で規制緩和・構造改革でしたが、世銀
とIMEを手先にして来た19世紀のデビッド・リカード理論の比較優位の重視から来て
る。この理論はアフリカやその他の 発展途上国では価格が際限無く低下すると分
かってる低価格の一次産品を生産し続けなければ成らない。

一方発展途上国の消費者は海外から 価格が上昇し続ける完成品の購入し続けねばな
らなくなる。詰まりIMEや世銀の大株主から輸入しなければならない事を意味して
る。一次産品価格の低下と完成品の上昇と言う周知の長期的傾向により発展途上国が
輸入による資金は常に目減りする一方輸入に支払う資金は常に増加して彼らは豊な国
に対して債務を負うことになる。

債務が多額になるとIMEは政府に変わり食糧補助や社会厚生費の削減などさらに「有
益な」市場志向をアレンジする。その結果が第三世界における経済状況と生活水準の
悪化に他ならない。本当に先進国の経済大国は自由市場により現在の地位を築いたの
だろうか?スタートラインが同じでは無い筈です。英米が他国に自由貿易と自由化を
押し付けてるが彼らはそれで成功を収めたのだろうか?はっきり違うはずである。

彼らのどの理論も自由市場が社会厚生の最適化に繋がり政府介入が非効率なゆがみを
もたらすとは言っていない。「もし」誰もが全ての事について完全な情報を持ってい
れば)情報公開)他の厳しい条件)取引コストがゼロ。>が満たされれば自由市場は社会
厚生が最適化され政府介入は非効率なゆがみをもたらす「であろう」>と言ってる。
「であろう」と「もし」をよく考えると??が付く事になる。

*完全な情報開示の提供*
情報開示の完全モデルが存在すれば次の業種の産業は成立しない事に成る。
銀行業、投資顧問業及び証券業 (投資家が誰が資金を欲しがってるか、分かったら金
融仲介業を通さずに直接投資出来る事になる)金融セクター、不動産業(どの物件がい
くらの価格で何時市場に出るか人々が分からない事でなり立ってる)広告業(消費者に
既に知ってる事をわざわざ知らせる意味は無い)
コンサルタント’業(完全な情報が ちゃんと手に入るなら 誰もコンサルタントの
意見など聞きには行かない)
結婚相談所 紹介所(誰でもが 完全に独身者の個人情報が公開されてるなら わざ
わざ高額な金銭を払い紹介してもらう事は無い)
会計監査業(会計の正確さた不正確さが既に広く情報公開で知らされるから 改めて
知らせる必用は無い)そうすると不完全情報で成立してる産業の説明がつかない。初
めから虚構理論で積み立てられている。事実の説明に仮定が必要で有ろうとも無視出
来ない資産の根本です。まして これらのサービス業は21世紀の主流の花形企業で
ある。動く資金も大きい。

彼らエコノミストのモデル理論が重要な産業の仮定から積み上げてるのだから、辻褄
合わせの論理破綻した物であると言う事実だけが残る
益々 経済は このままでは回復しないし 混迷し 日本は疲幣する。
一流大学が教えて シンクタンクがこのマクロ経済学モデルを広範囲に使うには 現
実とは当てはまらない。

ドイツと日本は 市場メカニズムは維持したが 主な受益者としての株主を排除し
た。
少数の人々に役立つ代わりに 多数の人々(従業員と一般社会)の生活レベルを向上
させる資本主義の形態を生み出した。
ドイツと日本のシステムは互恵的な協調と連携を重視する事により 外部効果(市場
に繁栄されない費用と便益などを)内部化して情報コストを最小限に押さえて 資源
を活用し 個人の意欲を高めるように設計された。
彼らは 人々が序列の中で競争し公正で公平な組織配置を等しく望んで認識してた。
そして 彼らは 全ての参加者が公平と思える方法での協調によて 利益を生み出す
組織形態の考案に成功していた。

このような形態は中世ギルドの現代版だた。業界団体と言われる。
この公益的な性格により 結果として生じるカルテルはしばしば社会厚生を向上させ
るものとなった。
協調指向といえども 競争が無い事を意味しない。序列の中で競争は奨励された。
エコノミスト達がようやく 最近になってこのような利点を認識し始めて、理論を修
正し始めた一方でドイツと日本は 自由化 規制緩和 及び民営化を通して 英米の
新古典派経済理論モデルを取り入れつつある。

この過程が進行すれば 株主至上主義が 社会を作り変え 経済活動の中で 所有権
の転売と言うマネーゲームによる利潤追求する割合が強まる。
詰まり企業売買により 株価操作も巧妙になり 売買により架空増資株も増加するし
一時的に利益幅を操作する為には 社員のリストラによる人件費低減利益で 利益だ
しを図ることも増える。
米国型資本主義を取り入れる事により ドイツと日本はその欠点と社会問題も輸入し
ようとしている。
それは 広い範囲で中規模の企業の空洞化と社員の雇用不安と一層の経済低迷を作る
ことになる。

ドイツと日本の経済構造が魅力を失ったからである。
では何故 ドイツ経済と日本経済は此れほど 酷く落ち込んだのか?

それぞれの中央銀行が誤った経済政策を取った事にある。
もう一つは’両国が ウォール街とワシントン政府に(ドイツと日本の優れた経済構
造を解体するように、そして米国推奨の自由市場経済主義モデルを採用するように 
執拗に追い立てられた事にある)

自由市場主義は 2世紀(200年間)の年月を経ても その役割を果たして世界の
経済を破壊する。
競争相手を弱体化して 支配的な産業大国の国際シエアを拡大すると言う役割を果た
し続けてる。

現代の経済学が虚構に 仮定理論組建てられた経済理論と 経済学者が知ろうとしな
い、あるいは知っていても黙認し追随するのは 長い間の彼らへの手厚い待遇の数々
であった。
戦後 第三世界は名目上は’植民地から解放されても 誤った経済学に基ずく有害な
政策提言により引き続き従属を強いられた。
自由貿易政策は最適であるとされ 地場産業の芽は全て摘み取られ 生計を主に付加
価値の低い一次産品に頼らねばならなかった。
このような政策は 支配国や大規模な多国籍企業にとっては 最適かもしれないが 
地元民にとっての
メリットは殆ど無い。
外資系の企業、銀行、法律事務所の業務内容の国内の影響力の違いとは・・・・・。

外資系の企業、銀行、法律事務所の業務内容が 自国内にどのような 破壊力を齎す
のか?
と言う話になる。これは 米国のグローバリースタンダード企業が国内に及ぼす影響
と言い換えるべきである。
先ずは 言い出したグローバーリスタンダード本家の米国内での影響を 見てみると
判り易い。

外資系企業が国内に増えるとは どういう事なのか?
1)生産自体に関心の薄い 虚栄産業家達の*証券売買業界と提携した企業転売産業
*
企業売買の悪影響である。
かっての米国は1つの業種に徹してコツコツと事業を拡大する「仕事と地域と従業員
を愛する事業家」によって支えられていた。彼らの経営する堅実な企業に勤める従業
員は、中流階級と呼ばれるにふさわしい給与を得たばかりか健康保険にも老後の年金
にも恵まれ健全な米国人であった。

ところが1970年代から企業の生産活動より’資産内容に興味を持つ「投資家」が
続出。
企業売買による利益を追求するようになった。これが80年代には巨大な規模になり
安定した企業が次々と投資家に買収され 資産ばかりか従業員の積み立て年金まで食
い荒されるようになってしまった。
これらの企業投資家の代表である有名なコグロマリットの1つ、ガルフ・&ウエスタ
ンの経営者チャールス・ブルードン氏の言葉が印象に残る。彼は貧しい移民から出発
して1967年には既に全米106位の売上を持つ企業集団を作り上げ企業投資家と
しての草分けであった。

「この事業を始めてから 3時間以上続けて眠った事がないし、此れほど一生懸命に
なる理由は3つ有る
第一は無能な経営者が無駄にしてるアメリカの資産と資源と人材を私が経営すること
によってより有効に活用が出切る事だ。
第二はアメリカが今でも無一文から富豪になることが出来る国で在る事を示す事だ。
第三はその反射効果として私が大金持ちになることだ」これが 企業売買を肯定する
理論そのものである。

おそらくブルードン氏は少なくとも主観的には’その通りに考えていたに違いない。
最初は情熱と善意に溢れた良質な人材が数多く登場する。
だが 彼らの成功を見て真似するの人達が続出し始め その経営者の最初の理念は歪
む。もっぱら自己利益だけを目的とする者が大多数を閉め始める。
特にハーバード・ビジネススクールのような学問的とは言い難い教育機関で財務と金
融だけでを学んで手っ取り早く高級を狙う若者から高い視野と大きな理想を欠いた人
物が大勢居た。
80年代になると企業の価格を吊り上げて転売利益だけ狙う「企業売買業者」が大量
に現れ、手っ取り早く
巨利を上げて世の注目を浴びた。
その結果 無謀な借り入れと急速な企業の転売や分割が繰り返された。

こうしてどんどん企業が転売され やがて無能な投資家の手に渡ると 企業の業績は
悪化して価格が下がるので転売が出来なくなる。従って その企業は無能な投資家の
経営に長く委ねれれて やがて倒産してしまう。
詰り 最終的には 転売を重ねて’企業を赤字にするような無能な投資家に行き着く
まで転売ゲームを続ける。
転売から転売する期間の間は 経営より自らを買い取る資金の借り入れ 有望な資産
は切り売りを続ける詰り資産を失い巨額の債務を背負い込む。もしその債務がジャン
ク・ボンドであれば利率も高い。
精一杯業績を向上する挙句の価格で企業を買った投資家が これだけの負債を抱えて
尚 業績を上げるのは容易な事では無い。従って並みの経営者なら破産する仕組みに
なってる。

ペーパーマネー社会が到来した、だから社会風潮が後押しした。
ここまでは誰が考えても直ぐに分かる。
一人の投資家は買収した企業の業績を上げ価格を高めるつもりだが 企業買収が流行
したら そうそう安い買い物ではなくなる。真似る人が増加すれば簡単には儲からな
い。
それなのに 企業売買が途方も無く大きな規模で続いたのは1980年代の米国の社
会全体が蓄積を尊ばないで負債を恐れない雰囲気が出来ていた。この時期の米国は政
府も企業も個人も平気で借金を増やしていた。

アメリカ政府ははかつて膨大な財政赤字を出した。1970年代までは僅かの財政赤
字でも大騒ぎをしたが、80年代にはさらに膨れ上がったし90年代にはさらに拍車
をかけてる。家計にもこの風潮は広まった。
この借金気質を作ったのは 世界の通過が金・為替本位制度から離脱して完全なペー
パーマネーになったことである。
戦後のIMF体制ではドルを金と結合されていた。このドルと固定為替ルートで結ばれ
ることにより間接的に金と関連付けれていた。この制度では実際に金ドル交換が行わ
れる事は滅多に無いが国際収支と国内景気が連動していて金本位制度と同じ効果があ
った。1972年にアメリカは国際収支が悪化して金・ドル交換の停止に追い込まれ
る。
この結果世界の通貨が何モノにも交換されない現物の裏付けの無いパーパーマネーと
なった。

国際機軸通貨の発券国たるアメリカだけは 国際収支の均衡を図る必用が無い事と
なった。
1981年に登場したレーガン政権では 自国の通貨ドルさえ発行すれば 無限に輸
入も海外投資も出来ることに
気がついた。「強いアメリカ」を目指す軍備の拡張と景気振興のための需要と創造と
を同時に実行し国際収支と
財政との「双子の赤字」を膨らませた。最もレーガン大統領のこの政策は「冷戦での
勝利」と言う偉大な功績をもたらした。
だがその事が齎した借金助長という悪い副産物も生まれた。
1980年代からの企業買収は そういう雰囲気の中で流行した「賭博」だったと言
える。
同じ事は日本でその頃起きた株式や土地に対して無謀な投機買いと似ている。やはり
「賭博」だった。

そうだとすると90年代からの多くの企業買収の失敗は非常に大きな教訓と言える。
自由経済では時として
そういう異常事態が発生するもでは有るが・・・・・国民の中の中流層が破壊される
事の大きさはそれでは済まない。
しかし 日本では米国では既に結果が目に見えてる金融の自由化や規制撤廃の真の目
的が これらの世界的な
巨大な投資企業集団コングロマリットによる コングロマリットの為のグローバルス
タンダードと言える罠に嵌めれる事になる。

対外国との競争ではこのグローバルスタンダードの経営倫理では不利だ!
グローバルスタンダードは 工場の海外流失と自国内の外国企業への税制上での優
遇。>と言うジレンマ。

アメリカ(アングロサクソン的)な経営哲学では 企業は営利を目的とするするもだ
から「利益の最大極を目指す」
と言う事は当たり前の事で当然の正義となる。
従って企業は工場を儲かる’場所に移し 儲からなければ閉鎖する。それが株主に対
しての経営の倫理でもある。
従ってもし 外国の企業がアメリカ国内で子会社や支店を設けて営業すれば「儲か
る」に違いない。
しかるに 米国内の外国内企業の子会社や支店の多くが「赤字」とすれば 外国の本
社に利益を溜め込む仕組みが
有るに違いない、例えば 外国の本社から来輸入する商品の価格を高くするとか 経
費の負担を米国の子会社へ
かけてるなどの方法がとられてるのに違いない。つまり本来ならアメリカの子会社や
支店に計上されるべき利益が
外国の本社に計上されアメリカに納税するべき税金が外国に「盗まれている」と考え
て
外国企業への課税強化」や「見なし課税の追徴」などである。
工場を人件費の安い海外へ移転する。誘致先での 工場の税制優遇措置がそれを 加
速する事への
自国内の空洞化現象の影響は大きい国内の荒廃を作り出す。

ところで 日本式経営では企業の目的が利益の追求だけと思われてはいない。
日本では企業規模の拡大や雇用の安定も企業の重大な目的でありむしろそのために
株主配当を抑制して経営の拡大と安定に資する事が正義と見なされてきた。
この為に低賃金を求めて外国に企業を移すやり方は倫理を欠いた利益追求にさえ見え
ていた。
日本企業はアメリカの子会社や支店が利益の売上が無かったり赤字を出していても
や日本経営工場の雇用維持のために存続させてる当然という態度で経営倫理は何の不
思議も無い。
いずれが正しいとか論議するのは無駄な事。
倫理の問題はその人その国の思想で有り善悪を論じる事では無い。
ただ問題になるのは異なる倫理の国の間で自由貿易を行い自由な資本移動を行う場合
は
生産力の隔たりが生じるだけでは無くて競争条件にも公平が生じる事となる。

アメリカ発想なら 企業は全ての製品に対して利益が出る価格設定をしなければなら
い。のに対して
日本的発想なら 必ずしも利益が出ない製品価格でも生産販売が継続できる。
他の条件が同じなら日本製品が価格競争’上でも有利なのは当然だ。
アメリカ人にはこれが不公平に見えるが 日本人にはアメリカのやり方は強欲に見え
る。
異なる倫理の国との貿易や投資を制限するべきでは無いが 近年のアメリカでは米国
内の
外国企業の税金逃れを厳しく追求する姿勢に変わると同時に 製造業を見限り金融
サービス業
及び会計監査や契約書作成業務や各国間の 業務提携の契約書やソノリーガル・リス
クの保険、法律事務の
一体化したコングロマリットに軸足を変更している。

先進国に加わる世界的な人口圧力の影響。
海外移転に伴う 「低賃金国」の影響、
先進国の工業はかなり高度な技術と労働規律が必用だったが1970年代頃から
技術進歩の結果 製造業の生産はコンピューター制御で管理され高品質製品を製造で
きるようになった。
利益重視のアメリカがアメリカ企業が 外国=メキシコや東アジアに工場を移転し出
したのも当然で
続く日本でも活発に工場を海外へ移転し始めた。

それだけの事では左程 問題は無い。
是までも高賃金の国や地域から 低賃金の国や地域に工場を移転していた。
だが 多くの場合はそうなれば 工場が増えた国が 人手不足に陥り その国では
賃金が上昇して やがてこの移転の動きにも歯止めがかかる仕組みが合った。
しかし 今はそうならない。工場の生産が合理化されたために 生産量の割に雇用が
少ない一方
工場の出来る発展途上国の人口が 実に膨大な為に何百かの工場がその国に出来ても
その国の全体の賃金を押し上げれない。
プルトリコ・メキシコ・中国・タイ・マレーシアなどもそうであり 飽和点がなく
なってる。
そればかりか、外国企業の自国内操業で言葉の壁も消えて アメリカにはラテンアメ
リカやアジアから
膨大な数の移民が難民が流入していて自国内でも 常に低賃金の労働を供給している
事も見逃せない事態となっている。
この事情は ドイツやフランスも同様である。
今や世界の先進国には発展途上国の人口圧が加わり始めた。これは他人事では無い日
本にも同様の危険がある。
既に少子高齢化を大合唱して 外国人の移民を受け入れようとか在日外国人の参政権
付与の法案提示もされて
前哨戦の観測花火は頻繁に打ち上げれてる。

今では「日本語の壁」も日本語対応のソフトの開発でこれらの問題は現実化してい
る。
アジアの労働者との競争に晒され低賃金を強いられ日本国内も外国労働者が流入して
安価な労働を提供し始める。
一部の超巨大な世界企業のみが最大の受益を独り占めの寡占状態を示してる。何処の
先進国からも中流階層が破壊されてくる。
上下2階層だけの社会が出来上がる。

外資系法律会計事務所と企業買収投資企業の一体化した金融コングロマリットとは?
外資系投資会社や 企業買収会社や金融銀行などと 同時に海外にも移転する 法律
コングロマリット会社の実態は
内容を検討すると とても悲惨な結果を国民に齎す恐れが充分にある。
工場移転や各種サービス事業や金融証券業務も外資系海外企業と契約を締結する。
近年 米国の法律・会計事務所の超大規模化が進み このグローバルスタンダードと
共に各種の
法律調査や契約書作成で 英文契約が増加してる。
これらの米国系法律・会計事務所の開設が もっと増加すると言うのではなく 3,
4つの世界規模の企業で寡占化が行われる
恐怖のシュミレーションはしてみる価値は有る。

これも用意周到に 既に法律家 弁護士の増員育成の根回しは終わり ロースクール
の設立。学生募集も完了した。
ロースクルによる弁護士育成と 陪審員制度の導入で 裁判を早期に結審して効率化
を計る。事が検討されている。
陪審制度と 弁護士数の充溢とがセットになり 外資系巨大な法律事務所の国内受け
入れは三位一体のセッティング
となてる。
このデメリットは大変な被害を齎す。
英文契約書の作成が 国内の商業ビジネスでも商習慣化されるという可能性が起きて
くる。
日本企業と海外の欧米やアジア企業との商取引から始まり やがて各種の企業でも特
定法律企業会社の
信用ステータスが上昇して 国内の企業間まで 英文契約書添付が通常状態となる。
純然たる日本企業間の土地貸借にも英文契約書が用いれてさらに その契約内容が日
本法を無視して作られ
アメリカ・ニューヨク州法を準拠するとか アメリカ・オレゴン州法を準拠するとか
都合良く書き換えられてくる場合も起きる。
自分に有利なような法解釈する弁護士事務所が繁栄する。

刑事事件ではなく軽く考えられる民事などでも陪審員制度など取り込むと
一般家庭の主婦まで動員されて会計専門用語で財務表 などを使い金流れをわかり易
く図表に示して説明をしても
犯罪を実証しようとする検察の詳細な説明も 巧みな帳簿の操作の正しい把握など 
素人陪審員には無理である。
明かに犯罪を犯してもいても こういう離れしてて多数の経験やノウハウのある法律
事務所で駆け込み高額な金額で
依頼すると 無罪が簡単に獲得される場面’が続出するのは間違い無い。
弁護士側の帳簿の詳細な主張と 証人尋問で裏付け作りもして演出すると一般人には
複雑な会計帳簿のカラクリなど
理解など出来ないから 感情的な同情証言などの違う演出で心象を替えれる。
この手の証拠書類の数字ばかりなどは 次から次と隣へ証拠書類が意味も無く手渡さ
れて行くのに過ぎ無い。

さて日本の弁護士は1990年度までは年間500人程度が司法試験に合格した。
これが裁判の簡素化スピドー化でロースクールを設立して 法曹界人員の増員を図っ
ている。
大学も少子化の影響で大学間競争も激しくなるし差別化 特別化の掛け声の元 学生
募集も始まってる。
アメリカの現地法人が向こうの弁護士に滅茶苦茶な言いがかりをつけられて訴訟が急
激に増加いていた。
トンでも無い巨額の賠償請求も頻繁と起きているので 日本にもこういうアメリカ社
会の訴訟社会が到来の予想が
あると思われて来たので 産業界からの強い要請で作られ始めた。
此処で 又アメリカのような 安い費用で弁護士を大量生産する方法は 社会に訴訟
濫用社会の到来も招く。
濫訴する人間は 当然金のある企業を主なターゲットにする。
多くの企業は 会社内に弁護士を増やして 社員法務スタッフの増員で 身内で「予
防法務」や「リーガル・リスク・マネジメント」
法律調査(リーガル・リサーチ)不法行為法、財産法 契約法、ビジネス法など 商
習慣に伴う民事法や商法の研究対策を考える。

日本では一般市民の間でも「弁護士を増やしてくれ」とかの運動や世論が沸き上がっ
てる様子は無いが
むしろ 今のようにサラリーマン緊急や取り込み詐欺が横行してる世相でも 弁護士
増員が選挙の争点にはなっていない。
一般市民は裁判や弁護士など一生関らない生活を送ってる。
企業サイドがここまで 弁護士の増員を願うのは理解出来るが 若手の獲得に暫時増
員は良いが大量増員は賛成できない。
まして アメリカが狙ってる世界司法戦略は簡単には同意してはならない。
法律事務所と会計事務所が合体した巨大ファームを幾つも日本に進出してくるが 資
金力にモノを言わせて寡占状態を作る。
そうなれば日本の企業は否応無く これらの外資系巨大法律ファームに依頼するより
方法が無くなる。

巨大なファームと大量の弁護士を世界中に送り込みアメリカ法ヲグローバリ化して世
界で行われる主要な取引を
アメリカ流のビジネスの土俵に乗せてコンサルティングを通して外貨を荒稼ぎする。
さらにこのファームを進出拠点としてアメリカの製品やサービスを世界中に送り込
む。
今や弁護士や会計士ビジネスはアメリカの基幹産業となっている。
アメリカ巨大ファームの年間売上は何百億ドル 何兆円の規模になっている。
これは国家規模の資金力だ。アメリカの弁護士数は20世紀末で百万人を突破してい
る。
その後も21世紀に入っても毎年3万人から4万人ずつ増えている。
学歴が高学歴化してより良い職業選択の熾烈な争いとも思えない。
日本の2倍の人口2億5千万人でこの普及率は何を意味するか?

アメリカにとて日本語の壁は何より高い障壁だったが(法律事務には高度の言語能力
が必要)
アメリカ人弁護士にとってその補助者としてネイティブな日本人弁護士を安く雇用す
るには
日本国内での若い弁護士の増員が必要となる。大量の補助者としての日本人弁護士と
して
雇用する。米国に比べて日本の弁護士が少ない。これからは銀行、証券だけの分野に
留まらず
弁護士の外資系勤務も増加するかもしれない。
次なる対日規制撤廃要求の狙いが日本の法曹界の自由化となる陰謀は既に起動してい
る。

日本人にビジネスの主導権を与える事は絶対にしない。
日本語の契約書を日本語で作成する事は無い。
日本の優秀な頭脳を青田刈して アメリカ流に洗脳する。就職難になるほど優秀な頭
脳は外資に流れる。
アメリカ流ビジネスの浸透をさせれば高級での雇用も充分にペイする。
彼らは必ず自ら交渉の前面に出て流暢な英語で相手に口を挟ませ無いで得意な英語で
交渉して契約書を作る。
日本弁護士は補助仕事だけで 契約書の翻訳機械になりかねない。
当然彼らは自分達のアメリカ法を準拠法にする、得意でも有ればそれしか知らないか
ら・・
今度その仕事でトラブルが発生しても契約がアメリカ法なので又アメリカの専門家に
依頼しなければならなくなる。
こうやって 日本の弁護士は仕事を失いビジネスはアメリカ人主導のグローバルスタ
ンダードに移行して行く。

その過程は民間大企業から始まり各種日本ビジネスも模倣して広がり国や地方自治体
までアメリカ法に変わることになる
危惧は充分覚悟するべきだ。
アメリカが戦略を立てて競争に勝とうとするのは資本主義経済を是としてる以上は当
然の事なのです。
「グローバル・スタンダード」などと言って規制緩和、 構造改革と浮かれてる日本
人のお人よしぶりは
能天気としか思えない。

他国の司法が 勝手に米国法で裁けるとなると 世界の諸国家は最早 意味をなさな
い。
米国が世界中の国家に 口を挟み 自国に有利なような法の適用が出来て
戦争も無くて無血で他国を侵略できる。
これは新しい植民地化と言う図式が見えてくる。

金融証券サービス業がインターネット経済で21世紀の基幹産業に据えてる欧米
 
この金融証券サービス業務には法律と会計部門が付随しているし 国家の死活問題で
す。
読解力は 英語を器用に愛嬌で片言 駅前観光英語力では太刀打ち出来ない。
日本人は 愚かだったと後世に笑い者にならないには {教育が国の根幹}です。
(ゆとり)教育で (ゆらぎ)が出来て 目的が絶えず動き (ゆうよ)とか焦らず
待つ事の甘やかしで
(ゆるみ)が出来てパンツがすり落ちてる教育は
目に余る。異常性欲の変態者の幼児 児童誘拐・拉致殺害事件が起きたり、ニート族
と言う(猶予期間延長者)
は明かに(ゆとり) 教育の失敗です。
開発途上国の人口膨脹は 21世紀はさらに深刻化します。
限られた地球ノ環境と資源配分の利用は 凄絶な競争を撒き起きます。

教育の改革を図り 国の将来目標をよく考えて走り出したグロバル・スタンダードの
運用を
国民の意見を汲み上げて暫時 取り入れて行かざるを得無いがあらゆる意味で 一番
この制度での実施されてる言われてるアメリカ社会の様子は 情報開示が間違い無く
行われてるか 検討してみたい。
又 
近いうちにかいてみます。

書いてしまいますね。
情報開示などしたら 下記の重要な21世紀型の未来サービス企業は成り立たなくな
るから
真っ赤な嘘だと判る。
世界中の善良な人を騙してる詭弁に過ぎ無い。
では 情報開示がされると 成立しない企業群とは何でしょうか?
最初に書いた儲かる未来型のインターネットをふんだんに使用する企業です。

*完全な情報開示の提供*情報を完全に密室化してるから 成立して儲けが多いので
す。
情報開示の完全モデルが存在すれば次の業種の産業は成立しない事に成る。
銀行業、投資顧問業及び証券業 (投資家が誰が資金を欲しがってるか、分かったら金
融仲介業を通さずに直接投資出来る事になる)金融セクター、不動産業(どの物件がい
くらの価格で何時市場に出るか人々が分からない事でなり立ってる)広告業(消費者に
既に知ってる事をわざわざ知らせる意味は無い)
コンサルタント’業(完全な情報が ちゃんと手に入るなら 誰もコンサルタントの
意見など聞きには行かない)
結婚相談所 紹介所(誰でもが 完全に独身者の個人情報が公開されてるなら わざ
わざ高額な金銭を払い紹介してもらう事は無い)
会計監査業(会計の正確さた不正確さが既に広く情報公開で知らされるから 改めて
知らせる必用は無い)そうすると不完全情報で成立してる産業の説明がつかない。初
めから虚構理論で積み立てられている。事実の説明に仮定が必要で有ろうとも無視出
来ない資産の根本です。まして これらのサービス業は21世紀の主流の花形企業で
ある。動く資金も大きい。

彼らエコノミストのモデル理論が重要な産業の仮定から積み上げてるのだから、辻褄
合わせの論理破綻した物であると言う事実だけが残る
益々 経済は このままでは回復しないし 混迷し 日本は疲幣する。

私もあんまり頭が良くなかったので コロリと騙されていたのです・・・

(^o^)♪またメールします・・☆★☆
 
ようちゃん(^0^)/~~bye




追加
外国人子弟が 多くて授業崩壊が 起きてる話。

ただでさえ クラスの静寂が保っていて授業を進められないのに
全く 日本が分からない子供が数人単位で混合になるだけで
子供の勉強する 権利は守れなくなります。
既に 移民の進んでいるドイツや フランスでは自国語の授業すら出来ない状態で
壊滅的になっている。
金持ちの子弟は私立があるが’普通の子供は外国人子弟の犠牲になる。
仲良く友達ごこで片言で遊ぶばかりでは 授業は成立しません。
「クラインたかこさん」のメルマガで嘆いておりました。
簡単に 移民は薦めるべきでは無いのです。
日本の隣国は世界でも稀な人口莫大巨大人口国家がインド、中国と インドネシアも
多人口なのです。比率も違うし 漢字というのも略字で全然違えば 習慣も違い過ぎ
るのです。
欧米への 移民は かつての宗主国で 植民地政策をとっていたつけが廻って来たの
です。
奴隷だったから 本国のご主人様の言葉がわかるグループが煽動して移民して占有を
始め
現在は言語が喋れなくても来るのです。
馬鹿な移民礼賛をしてる外国信奉者の言葉を間に受けると大変な事になります、
日本人は飲まれて消え去りますよ、1億2千万と16億にんですから 頭を冷やして
考えると良い。
これも 口の上手い人間が文化の多様性からも 日本は取り残されるとか・・・
ふざけるのも好い加減にして欲しいです。
既に 太古から大陸とは往来してきて帰化人も渡来して日本人は混血’民族です。
第二次大戦以後は欧米や南米や東南アジアや混血してる日本人が既に大勢混合してい
ます。

都心に近い藤沢市は外国人だらけのクラスも存在しています、中国や韓国や北朝鮮人
では無い
南米からの移民が普通の公立学校へ通学していますよ。
大ピラに宣伝して 騒がないでも密かにもう 異民族との混血が進んでいます。
地方の山の中には少ないでしょうね。
自分の考えを正当化して 国家の進路を間違えさせる選択をさせるのは犯罪ですよ。
移民は個人の重大な選択肢と成っています。
国際結婚や外国人との間で子供が出来たりして 公に発表できない個人のプライバ
シー問題を
含んでいるのです。法律で推進できるような事柄では無い。
中国人は 大多数が’日本へ’来たがっていますよ。無秩序に歓迎などは勝手に言わ
ないで欲しいですね。
外国人子弟が公立の学校へ入るためには 語学支援とか バックアップ費用も膨大に
掛かりますよ。
国家予算が縮小に向かってる時に自国民の教育を放り出して 帰化もしないし生活保
護費だけはしっかり受け取る
外国人など歓迎する日本国民は皆無と思いますよ。
今から大寒も控えていますし 冷静に頭を冷やして炬燵に入り 種種の本ヲ数多く読
み
各種の立場に立った意見を吟味してみましょう。
(^o^)♪またメールします・・☆★☆
 
ようちゃん(^0^)/~~bye

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