1855.ロシアはバルト三国を属国化



ロシアはバルト三国に朝貢させる気か?! CHOCO 
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 あんまり暇やったから、最近は仕事中にロシアのネットニュース
を片っ端からよんどった。

すると、どっかのサイト(バルト三国関係のとこ)で
プーチンが来年は、ナチスドイツからバルトを開放した
記念の年だからといって、戦勝パレードにバルト三国の
大統領を招待したらしい。

バルトというと、日本ではあまりなじみがないかもしれんけど、
フィンランドの南側の海を渡って、北からエストニア、
ラトビア、リトアニアという小国で、ソ連体制下で散々な
苦難の時代をすごし、彼らの反露感情はいまだに相当なもので
ラトビアなどに至っては、ロシア人率がかなり高いにも
関わらず、ロシア語で教える学校を閉鎖か禁止かするという
ことで、かなりロシア側から外圧をかけられていたり、
最近でも、恐ろしく険悪な雰囲気。

なのに、わざわざプーチン大統領は、これらの国にソビエトの
時代から続く赤の広場の軍事パレードに参加しろって、
あたかも、スターリン時代みたいやないの??

もう、本心ではものすごく行きたくないバルト三国側ながら、
いくらEU圏内に入ってるとはいえ、ロシアとあまりに敵対して
しまった日には、自分たちの弱小国家の安全は確保できまいと
返事はまだしていないにしても、結果的には参加するしか
ないという話らしい。

もちろん、国民感情は逆撫でされるに決まっており、
国内の世論は賛成するわけもないが、それでも、
安全パイは必要というのが、彼らの苦しい立場らしい。

しかし・・・
そこまでして、軍事力を見せつけ、いまや宇宙産業でも
アメリカを超えたと豪語するロシアの脅威。

ほんまに、まるでソ連の復活みたいに思うのは
関西人だけやろうか??
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シベリア少数民族の動向に要注意! 小牧勇次郎 

 ソ連崩壊後のロシアではシベリア・極東地区を中心に急激な人口減少が起きている
事が知られている。
下記リンクの推定によれば、極東シベリアでは2002−2004の2年で急激に
人口が減っている。原油価格上昇でロシア経済が潤い、辺境のロシア系住民にも
本土への移住を行うだけのゆとりが出てきたのであろう。
一方、ヤクート人は人口が急増中であり、他のツングース系やモンゴル系の少数民族
も人口が横這いないしやや増加中だから、このままいけば2020年までにいくつか
の少数民族の住む共和国や自治管区でアジア系少数民族の人口が過半数になり、分離
独立運動やモンゴルへの統合運動が起きる可能性がある。

2002年のロシアの国勢調査では、自治体別の人口、民族別の人口は発表されて
いるのだが、自治体ごとの民族別人口統計は発表されていないようだ。これは、ロシア人
が少数派に転落した自治体の存在を隠すためではないだろうか?(もしデータをご存じの
人は是非教えて欲しい)
特に、面積が広大なサハ共和国では1989年にロシア人・ヤクート人の比率がそれぞれ
50.3%と33.4%であったのが1996年の時点で46.8%と38.9%と差が
急速に縮まっており、2002年の国勢調査の時点で拮抗ないし逆転している可能性が高い。
ウクライナ人・ベラルーシ人・ツングース系少数民族なども存在するため、全欧州系と
全アジア系の逆転がこの時点で起きているかどうかは微妙だが、2004年にはこれも逆転
しているのではないだろうか?最近プーチン大統領はロシアの地方自治体首長の選挙を中止
して大統領の任命制に切り替えたのもこのあたりが原因ではないかと思われる。ウクライナ
で欧米勢力が暗躍してロシアからウクライナを引き離しつつあるように、サハ共和国で欧米
勢力が独立運動を煽れば、人口比で過半数を割ったロシアは困難な事態に陥ることであろう。

更に大きな問題になるのは、シベリア鉄道とバム鉄道の二本の大動脈が通過するブリヤート
共和国である。この国では1989年時点ではブリヤート人の人口は25%程度であったが、
ロシア人の人口減少が継続していること、ブリヤート人の総人口が増加していることから、
徐々に人口比率が接近していると思われる。ブリヤート語はモンゴル語と非常に類似しており、
モンゴルではブリヤートがロシアに奪われた領土であるとして統一を目指す動きがある。
仮にブリヤート共和国でロシア人とブリヤート人の人口が逆転すれば、コソボの様に独立と
外国への統合を目指す動きが強まることは避けられない。そして仮にブリヤートがロシアから
分離すれば、シベリア鉄道とバム鉄道の二本の大動脈が共にモンゴル人に支配される事になる。
現状のロシア人減少が続けば、その時期は2020年前後ではないかと思われる。

その他、帝政ロシアに割譲させられたトゥバ共和国は既に人口の大部分がモンゴル・トルコ系
であり、モンゴルへの求心力が働く可能性は否定できないが、この国にはシベリア鉄道は通過
していないため領土的な重要性は乏しい。。この国はそのアジア系人口比率の高さ故に、
シベリア少数民族の分離独立運動のきっかけになる可能性が考えられる。

ベーリング海に面するチュコト・コリヤークの両自治管区については、人口減少こそ急激だが、
先住民族の人口が比較的少ないこと、先住民族の女性とロシア人男性の婚姻が多く先住民族が
徐々に消滅し始めていることから、先住民族の人口が過半数に達しても分離独立運動が起きうる
かどうかは微妙だと思われる。

ロシアの少子化がどこまで進むかは不明だが、シベリアのロシア人人口の減少が今後も継続する
であろうことはほぼ確実である。ブリヤート共和国とサハ共和国の二ヶ国の動向には注意を払う
必要がある。この二ヶ国の分離独立はバイカル以東のロシアを、本土との細い回廊で繋がった
不安定な領土、ほとんど飛び地に近いものに変えてしまう。それはアジアにおけるロシアの影響
力を大幅に低下させ、日本にも大きな影響を与えることであろう。それが日本の国益に繋がるか
どうかは、その時の中国の脅威の大きさ次第だと思われる。

ロシアの地方自治体の2002年と2004年の人口統計(後者は推計か?)
http://www.world-gazetteer.com/r/r_ru.htm

1989年と2002年のロシアの民族別人口統計
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/nizhniy-kobe/nationalities.htm

1989年と1996年のサハ共和国の民族別人口統計
http://www.spri.cam.ac.uk/resources/rfn/sakha.html#facts

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道徳教育を無視してきた教育のつけ CHOCO 

 それにしても、最近のニュースにあまりにも親が子を殺し、
子が親を殺すような事件が多過ぎる。
もちろん、日本だけでないのかもしれないけれど、それでも、
なぜここまでに心がすさんでしまったのか。

おそらく、原因はいくつもあるだろう。

しかし、その中でも最も憂うべきことは、おそらく、こういう事件
の当事者たちは、その事件に至るまでも、決して心豊かな生活
はしていないだろうということだ。

たとえ、物質的に世界一豊かであろうと、巷にありとあらゆる物
が溢れていても、彼らの心は飢えていて、貧困だったんだろう。
そして、目指すべき目標となるような憧れや夢もなく、ただただ
毎日暮らしていたのだろう。

こういう人の予備軍は、いくらでも今の日本にはいる。
精神の飢餓と呼びたくなるような状態。

かといって、自分探しと称して、やたらめったら無防備で何の
たいした下準備もなく、その国の文化も、簡単な日常会話すらも
できずにアホ丸出しで海外をふらつくのも、一体なんなんだか。

実際、青い鳥の話じゃないけど、幸福感や充足感を外にばかり
求めることのむなしさを教える道徳が廃れてから、こういうこと
になったんじゃないかと思いたくなる。

道徳といっても、すべて教科書に書いてあることじゃない。
多分、それの多くは生きている生身の人間から人間に伝えていく
口承の文化でもあり、また本当に生き方自体で示さなければ
納得されないという点で、非常にそのものを守っていくのが
難しいものだと思う。

でも、今こそ、ほんまもんの日本の道徳を復活させなければ、
輝かしい未来どころか、まともな人間の育つ環境は、戻っては
こないんとちゃうやろか?とそう思うとき、まず木を植える男の
ように自分という人間一人からでも、一歩一歩正しいこと、
美しいこと、人に恥ずかしくないことを真実に照らしながら
生きていかねばならないと思う。 
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(イラク自衛隊派遣)反対運動の 認識について・・
此処から 貼り付け

<自衛官の家族から
(寄せられたメール 11・17)
以下の文を反戦ネットワークの交流用BBSに投稿しましたが、
同じ文章をこちらにも送ります
(書きたい内容はたくさんありますので、BBSの方に今後続けます。)
11/24のデモにも参加します。
宜しくお願いいたします。
土曜日にイラク派兵反対のデモに参加してきました。
結婚を決め、一緒に暮らしている彼は、海上自衛官です。
同じ港からイラクに継続して船を送っていますので、いつ順番が回ってくるか
不安です。

彼の「大規模なデモが起こって派兵が取りやめになってほしい」と言う願いに
、私ができることはなんでもやろうと思い、デモに参加しました。

戦争に行きたいと思っている自衛官はいません。彼は二度と戦争を起こさない
ために、約15年間自衛官としてがんばってきたのであって、人を殺すため、
殺されるためではありません。無駄な殺戮を起こさないため、抑止の仕事を続
けてきたのです。それを誇りに思っています。けれど、今、明らかに信念と反
する任務を、命懸けでしてこいと、圧力をかけられています。

もともと、憲法9条のもとで、戦争に行く可能性を考えた上で自衛官になった
人などほとんどいないはずと思います。

戦地とは関係のない民間企業に就職したのに、会社の方針が勝手に替わり、そ
れに従 わざるを得ない状況に縛られている、そう考えてみて下さい。

心から派兵反対を願っているのは自衛官とその家族だということを忘れないで
ください。みなさんの反戦・派兵反対の運動が、自衛官の苦悩の解決となるこ
とを願います>
http://www.jca.apc.org/gi-heisi/heisihonne.html

と致しますと自衛隊員の死を望む政府・マスコミとは逆に反戦運動・集会に参
加することこそ、自衛隊員のためにもなると言えます。よって、このことを知
ってしまった以上、3月20日にある反戦集会に参加しようと思います。また、政
府広報機関のマスコミを読む、聞く、見る等でイラク戦争及び自衛隊派兵に「
自分は反対」と思いつつ、イラク侵略戦争を絶賛する小泉がブッシュのポチで
あり、小泉政権の支持率が高いことを不思議に思うだけの「行動せざる」反対
派は、支持派とあまり変わらないようです。米国及びマスコミが支持する小泉
政権にイラク侵略・占領反対・自衛隊撤退を強いるには、少なくともその程度
はしなくちゃならないということも知ってしまいました・・・

以下URLに情報が掲載されています。
http://www.worldpeacenow.jp/

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー貼り付け終わり

こういう記事が平和主義 反戦主義として 長い間認識と
言うか刷り込まされてきた。
憲法9条に書いてある。曰く 国連至上主義から反してるからとか 世界中の人々は
戦争が嫌いなのが当然で結論は 非核3原則(持たず 作らず、行使させない)と
一心不乱に唱和しましょう。
戦争は絶対の最大の悪である。
だから 戦争には反対を宣言しましょう。
しかし 幾らそう思い、阻止しようとしても避けれる戦争 空爆も 警告を無視して
自己の嫌疑を晴らす努力を怠り 期限にも解答を無視し続けたイラクの態度から
始まった。

2003年3月から米国により開戦は開始された。
2003年5月に米国大統領ブッシュ氏が空母リンカーンに対戦哨戒機から降り立ち
「勝利宣言」したが反戦テロ行為を止めていない。
そういう状況から昨年から今年2004年12月14日期限終了予告で日本はイラク
へ派兵を決めたし
又新たに 延長を決定した。

日本がイラク派兵を決断し実行したのは大正解だと言うのが歴史的な解答だと思う。
1991年のイラク戦争=湾岸紛争では日本は130億ドル(日本国民1億25百万
人全員
赤ん坊を含めて一人1万円以上の金銭支援をしたにも拘わらず 還って世界中から感
謝されず
白眼視された記憶を日本人は味わった。
国連費用だけでも 世界で20%も負担してるのに・・・
イラク派遣の1年前にインド洋にイージス艦を出している。これも正解です。

イラクは国連安全保障理事会(安保理)の決議687に背き 与えられた最後のチャ
ンス1441条にも
つまり大量破壊兵器保持疑惑の解決の為の国際核査察を拒否した。
必ずしもアメリカが国連決議を待たず暴走したのでは無く 国連決議に基づき行動し
たのです。
忘れて困るのは 日本はこの国連からイラク以上に 手酷い怖い爆弾を抱えさせられ
てるのです。

国連憲章文(第53条と第107条で) 日本はかつての敵国と明記されてる。
日本政府はこの言葉を何度も削除して欲しいと申し込みしてても無視されてる60年
間もこの状態が続いてる。
未だに国連がドイツや日本を「国連の敵国」と見なしてるので安保理の審議無しに 
米国かロシアか中国かが
日本に対して軍事制裁をしても良い事になる。
いかなる理由を因縁をつくつけられる恐怖の爆弾を あの中国(1071年に台湾か
ら大陸の共産党中国に変わってる)
なので 何時も中国政府に恐喝されても 内政干渉されても 震えてるのでしょう
ねー。

イラクのフセインが悪いのです、避けれる戦争を避ける努力をしなかったのです。
大量破壊兵器が存在して無くても 米国はイラク打倒の理由が有ったのです。
フセインが石油の決済を (ドル$)を止めて (ユーロー)シフトする変更しよう
として
画策したからです。
石油利権だけが目的では無い。
基軸通貨の(ドル$)の崩壊は世界秩序が急激に激変しますし米国は沈没します。
米国の生存権が焼失する辞退が引き起こされるのです。
これまで世界中の石油の取引決済はドル$決済です。
だから米国は印刷輪転機を回しつづけるだけで 赤字垂れ流しで世界の何処の国でも
通用して
世界中の人々が欲しがっている通貨なのです。
ユーロ決済になる事を米国が我慢出来ないのは当たり前なのです。

国際石油資本も承知していますが 独仏露などの反対を押し切っても米国はイラクを
潰します。
安保常任理事国でアメリカを支持したのはイギリスだけでした。常任理事国では無
かったドイツも
反対に廻っていました。それは欧州連合(ユーローの中心国だからです)
あの時に英・米連合(アングロサクソン) 対; 国連(ずるい賢い弱小貧乏・物貰
い強請り集団国家群)の
対立が生まれたのです。
しかし実際には 米英に30数カ国が味方に応援団に着きました。
ドイツとロシアに挟まれ長い間苦しめれれたポーランドも派兵しました。
やっと自由陣営の一翼を担えるのですから嬉しいし名誉挽回でしょう。
スペインもそうでしたが国内テロの被害で撤退しました。
日本の参戦は米国にとっては一番嬉しい出来事だたと思います。
イギリス、フランス、ドイツの3カ国を足しても 日本のGNPの方が大きいのです。
勿論国連分担金が雲ダントツなのです。貿易黒字もこれら3カ国合わせるより多いの
です。
しかもアジアの国です。
小泉総理が米国訪問でブッシュ氏のクロフォード牧場に招かれ大統領の定例インテリ
ジエンス・ブリーフィング
(米中央情報局幹部が大統領に与える極秘報告会)にも招かれ参加しました。
英語の# HE is IN  (IN)と言う中間に入れたのです。
かってのアイゼンハウアーと岸 信介  レーガンと中曽根 康弘以上の厚遇なので
す。

日本が戦前こういう状況に米国となっていたら 大東亜戦争=第二次世界大戦 は起
こらなかったと思います。

(反戦論)は亡国論理なのです!
昔 第一次世界大戦が勃発した時に  欧州ヨーロパ戦線に日本陸軍を派遣していた
ら
日英同盟を破棄(アメリカとカナダ両国に 無理やりイギリスは破棄させられた)
そして「 火事場泥棒」の汚名も 被せられて 世界から白眼視されて日英同盟破棄
米国の締め出し 英国連邦からの締め出し ブロック化が進み 市場が狭めらて
おまけに 満州から ロシア=ソ連が南下して来て抜けれなくなって来たところへ
中国の濾溝橋事件が起きて (鉄橋工事中の日本軍工兵部隊が 中国の過激な
農民集団から発砲されて 怪我人が出てからも発砲応戦する相手を中華民国政府軍
(蒋介石=台湾)として衝突が始まった。最初の発砲が匪賊と言われる農民強盗集団
で国民党軍では
無かったのです。共産党大陸中国政府とは関係無いのです。
戦後の東京裁判でも=濾溝橋事件は詰まりシナ事変は裁く事が出来なかったのです。
間違えない事。現在の大陸中国は関係無い。

毛沢東の政府は日本の敗戦後
1951年に中国の内戦で勝利したから中華人民共和国と 中華民国の二つの中国が
出来た。
国連常任理事国は現在の中華人民共和国では無かった1971年ニクソン訪中で変更
された。
従って 戦勝国と書かれてる中国は共産党政府では無いし 国民党軍とも敗けてはい
ないし
日ソ不可侵条約破棄して卑怯な参戦したロシアとアメリカに負けて ソ連の捕虜が多
数出て
戦後長い間 捕虜達は帰国出来なかった。

台湾 朝鮮半島 中国本土からは 引き揚げ船で多数の原日本人は帰国した。=大和
民族です。
朝鮮半島や台湾で日本人が捕虜として抑留された事実は有りません。
朝鮮半島や台湾領土は日本の国土だったのですから 戦争などしていません。
戦前は北朝鮮も韓国も 日本領土で日本国民だったのです。
朝鮮半島の人間も 台湾の人間も1945年8月15日までは日本人だったしこれら
は日本の国土
だったのですから 台湾人も朝鮮半島人も戦勝国民では有りませんよ。敗戦国民で
す。
だから朝鮮半島は'南北が分裂して休戦状態の内戦中の紛争国家ですし 台湾と大陸
中国も
二つに分裂してる休戦中の戦争中の 紛争国家です 平和統一された民主主義国家と
は無縁です。
もう終戦から60年も経ち現在の白髪の小泉総理も大概の国会議員の先生は平和憲法
9条と
学校給食と日教組の洗脳とで 丸々どっぷり浸かって成長しています。
古い戦前の教科書とか 黒い墨を塗ったとか言う教科書使用者は70歳以上の人々で
す。
完全にボケ老人が多いと思います。平和ボケと飽食と肥満とに悩んでるし更なる老後
の
タカリ介護福祉で頭が一杯でしょう。
おまけに教科書はゆとりの穴ダラケ 、日教組教師の反戦思想で歴史認識が可笑しい
間違えて
各種の報道機関により 上記の」勘違いが多いようです。
中国本土を植民地にはしてません。漢民族の居る大陸部分はドイツ、フランス、イギ
リス植民地でした。
日本人が主に侵略していた場所と言われてるのは満州と言う地域で現在の黒龍江省で
 民族は
漢民族と違う 満州族の住んでる地域です。

この蒋介石の国民党軍と長い間 決着がつかなかったのは 紹介赤軍が重慶の山奥に
逃げ込み
英米軍が ビルマ=中国ルート、  フランス駐留軍がインドシナ半島から雲南ウイ
グル族ルートなどの
トラック輸送で 支援しててゲリラ。テロ状態になった。日英同盟が生きていたら 
日本は勝てたと断言できます。


何故(火事場泥棒)と第一次大戦後に言われたか?

先刻の1991年の湾岸戦争と 似たような状況の立場に日本は立たされたのです。
金は出しても 世界から白眼視されたし感謝されなかった。

第一次大戦はドイツが始めたのか? 連合国が始めたのか? 実はこれも最初が不明
の戦争なのです。
きっかけは 1914年 セルビアの1人の不良青年が
オーストリアの帝位継承者 皇太子夫妻フランツ・フエルディナンド・を暗殺したの
が始まり。
この事件を受けて 7月末に オースロリアがせセルビアに宣戦布告した。
(オーストリアは はなからセルビアがこの戦争を受けて立つと思わなかった。賠償
金と謝罪せ終ると見た)
ところが 局地戦争が始まると ヨーロッパ各地に将棋倒しの連鎖反応が起きた。

セルビアを支援するロシアがオーストリアとドイツをけん制して後押しして 参戦す
る。
更に是はこれが自動的に「ロシア・フランス同盟締結」からフランスの参戦が加わ
る。
するとドイツは フランスに侵攻するために ベルギーの中立条約を破棄して蹂躙し
て巻き込む。
イギリスはベルギーと同盟を結んでるので ドイツに宣戦布告して加わる。
そうしてイアタリアも巻き込み全面的なヨーロッパ戦争が始まった。

ヨーロッパ中が不意の事で慌てて疑心暗鬼になり奇妙な玉突きが起きた。
そうするとドイツが物凄く強くて英仏は たちまち危機に陥る。
イギリスは最初は 日本を西欧の戦争に加える事に警戒していた、
ドイツに圧倒されると日本に参戦を求めた。

此処からが 日本の決断が歯切れの悪い処なのです。
日本の守備範囲は日英同盟では インド洋から'東のアジアだたし そう条約に書い
ていた。
日本は中国にドイツ租借地 こうしゅう湾のチンタオ=青島や太平洋上のドイツ領有
の太平洋の南洋諸島
カロリン諸島 マーシャル諸島 マリワナ湾フィリピン 太平洋上で ドイツ艦隊も
追いまわし蹴散らした。
そして地中海までも海軍を出した、これは少ない艦艇でした。−これが悪い。
これで連合軍の太平洋上の艦隊は守ったのですが・・・
陸軍は 1兵卒も出兵させなかった。 これが悪い。
当時は 陸上は 白兵戦で生きてる兵士が肉体毎斬り合う戦いが主でした。
ヨーロッパに1兵卒も出さないし 血も流してないのです。
そう目立つ働きには見えなかった。

当然比較する アメリカと比べて・・・
アメリカはイギリスと何の条約も結んで無い立ち場で 駆逐艦だけでも日本の数倍以
上を地中海へ派遣し
資金や食物をや支援武器を送り  陸軍も膨大な数の人数をヨーロッパ戦線に送り大
変な数の
戦死者を出して犠牲を払って助けたのです。
漸くドイツをねじ伏せたのは4年3ヶ月の年月がかかたのです。
1918年 戦死者850万人以上をだして終った。イギリスはアメリカのお陰だと
心から感謝した。

第一次大戦はヨーロッパの国土を破壊したし 1917年ロシアは革命が起きた。共
産党が生まれた。皇帝は廃棄。
勿論 ドイツ・ハンガリー二重帝国は滅亡 解体。ドイツ皇帝’も廃棄。
戦勝国は イギリス、アメリカ 日本、フランス、括弧つきのイタリア 今の'括弧
つきのロシアと中国の常任理事国と同じ
この第一次世界大戦の終戦処理は いかなる国々もアメリカの言い分に「ノー」は言
えなかった。
此処で国際連盟で日本は 牧野伸顕 、西園寺公望で「人種の平等」を唱えた。
(国際連盟に加盟するあらゆる国は  人間の皮膚の色によって差別を行わない)と
言う提案ですが否訣された。
アメリカが 特別に強硬に反対をしたし自国に奴隷制度が残っていた。
 他国も有色人種を奴隷にしたり 国民扱いしない奴との植民地を所有していたし持
たない国は皆無の戦勝国揃い。
奴隷には選挙権は無い。売り買いできる家畜化’人間で搾取の対象です。 日本のよ
うな政策とは違う。
台湾人も朝鮮半島人も 本国の日本の官営の大学へ 実力で進学・入学出来るし 気
味教育を実施していた。奴隷では無い。
奴隷には 国民扱いはしないし 学問教育は無縁の世界で 人間では無い人権無しの
売買自由な家畜人間を言います。


自国が戦場にならなっかた国は アメリカと日本だった。

日本は日英同盟の条約通り インドから東までしか兵士を出さなかった。
日本が’陸軍をヨーロッパに出さない理由は十分に正当化されますが 中国でのドイ
ツが保持していた'利権など
太平洋上のドイツの権益を貰ったのがアメリカには気にいらなかった。
連合国側から頼まれて参戦したが妬みを買い 1918年シベリア出兵が引継ぎ(ロ
シア革命が起きて
ソ連の社会主義政権打倒を 目指して連合国側から頼まれて 兵を出したがこの時に
 居続ける事になり
日本は領土拡張の野心があるとアメリカが嫌疑をかけて ブロック経済を推進し イ
ギリスを無理遣りカナダと組んで
日英同盟を破棄させた。
シバリア出兵が長くなったのは シベリアのアジア系の複数小民族の保護が出てき
た。
ロシアの内戦で 樺太やシバリア地域まで 食糧が輸送されなくなり毛皮と交換して
た。=これが途絶えた。
穀物は現在もこの地域は植栽収穫出来ない地域なのです。
あらぬ疑いを掛けれた。革命の内戦のドサクサで シベリアも領有しようという野心
があると思われた。
以前の日露戦争での勝利で 権益が日本は少なかったから・・・
又 北海道や満州から近くて 食糧支援が容易だったから'多国は妬んだ。当時はロ
シアに地下資源が豊富にあるなど
想像出来て無いし 極北など不用で御荷物しかならない。
ヨーロッパ諸国は戦争で復興に忙しいし食糧支援など する国は皆無でした。
もしこの時にブルガリアかルーマニアに陸軍を2,3個師団だして措けば 火事場泥
棒とは言われなかったし
シバリアにもウロウロと 居て少数民族の保護世話など無視すれば良かったんだと思
います。飢え死にさせとけば
日本の第二次大戦時代にシバリアに抑留された捕虜達は 全員飢え死にさせれたと思
います。
本当に不思議で 神様が'見てるようです、ソ連婦人を結婚した捕虜も居たし 親切
にされた捕虜も出てるのです。
第二次大戦中 中国で日本は回教徒は保護をした。
少数民族の回教徒、騎馬民族系の回教徒は満州に逃げ込んで来ていた。これが大地の
子を 生み出した。
日本の残留孤児を育てくれた民族は 回教徒が大部分だった。ユダヤ人保護など日本
軍は 優しい将候が大方だた。
と言われても居る。欧米の兵士のように人種差別はしないから今の新聞に見る悪口一
辺党は 事実を捻じ曲げてる。
回教徒を保護した 軍人は 茂川秀和(特務機関長) で戦後毛沢東に招かれ握手し
た写真がある。日本イスラーム史」」に出てる。
共産主義が回教イスラムに梃子摺って 対策を教示して貰う必用からだと思う。

中東で日本が信頼されるのは 大正年間から ロシア革命で日本に亡命してきた ソ
連人は白ロシアだけではなっかた。
イスラム教徒タジク トルメキスタンなど東ヨーロッパ・ロシアからが多かった。
「東京回教団」が作られモスクも作られていた。日本は戦前からキリスト教も イス
ラム教も混在していた信教は自由のの国です
誤解してる人が居るようですが 神道を強制してる国家ではなっかたし 戦争中も教
会は存続していた。
仏壇も各家庭に有り神棚完備の家など 全体統一などして無い。
昔のテレビのクイズ番組の司会のロイ・ジエームス氏の父上がこの時のロシア亡命者
で回教徒です。
東京モスクの「アザーンを発声する役目をする人」だったから有名である。美声でよ
く遠くまで透る声。
回教徒を弾圧しない保護してくれた国で 白人の国’ロシアに戦勝した国だから 中
東のイスラム国家からは尊敬されてる。
イスラエルのユダヤ人を保護して逃したのも 大使館員だけでは無い、 大使館付き
武官 日本の軍人も数人居る
戦後 彼らが松方美術館のコレクションを フランス政府が故人所蔵でも没収したが
 一部分は 持ち帰った。
ロシアや 中国のイスラム教徒は 日本軍人’には保護を受けて救助されてる人々が
多い。

後で日本の戦前の軍人の隠れてた人道支援は列記してみるが 殆どは宗教がらみの民
族闘争や内戦に巻き込まれた
アジア西欧地域の民族救助が多数です。素晴らしい人格者が大方だったようです。各
国から隠れた美談が掘り起されてる。

次に 自衛隊の身分での海外派兵が何故 駄目か? 違憲の問題では無い。
今回 イラク支援で自衛隊派遣には多少の犠牲者は出る可能性はゼロでは無いが
将来日本の地位の立場が'イギリス並に向上したらそれは 軍隊とするのは重要な意
味を持ちます。
国益の為に軍隊は有るのです。国民の命や財産を守り国益のために権限確保に有るの
です。
自衛隊は名誉を持って送り出さねばいけない。
第一軍隊という 身分を証明が無いまま 交戦中の敵方に捕まると 正式な捕虜とし
て扱われない。
現在のイラクに置ける イラクのテロゲリラまがいは軍隊では無いから  正式な捕
虜として米国が
扱わなくても文句は国際法上は’言えない。

軍隊で無くて'武器を持ち人を襲うのは 夜盗 強盗 海賊の類と見なされる。
捕虜としての待遇を受けれないし要求できません。
今回の場合は 交戦相手は軍隊ではなくてゲリラ・です。(国際法上ではそうなって
るのです。)
しかし 万が一 死亡などと言う不測の出来事が起きたら 先の日本外交官の死亡の
ように
公務員の階級を上げる位牌の戒名では話になりません。「名誉の戦死」で無いと・・
・
勲章も 一般の勲章とは別に設ける必用がある。
戦前の軍人だけの 金鵄勲章です。 軍人の武功のある人だけ 金鵄勲章の功一級か
ら功7級
の7種類を新しく設ける。

日本の勲章制度は 余りにも 判り易いというか世俗的。 ふざけてる。長生きが勝
利っする、大企業の社長 国会議員25年勤めると貰えるし
北朝鮮の拉致を無視した社民党の土居たかこさんも勲1等賞を授与された?やがて勲
一等桐花大授賞が貰えるでしょう。
こんな馬鹿な話は無い。
世界の何処にも 自分命を犠牲にして 国民のために尽くした人も同列は有り得な
い。

アメリカでは 大統領だろうと勲章はもらえない。
選挙に好きで出て その地位に就きやって来た人と 望まない戦場で戦い散ったり武
功を上げた人は別です。

アメリカにも勲章は’あるのです。 軍人と消防士に関しては有るのです。
これは非常に貴重な勲章です。人命救助、人道支援、国益を守り国民の財産と命を身
を挺して
守った人に送られる。
自衛隊は軍隊ではないと言うのは 偽善で国民を騙してる。>と言うことです。
一体 どうしてこういう複雑な言論操作をして 国民の常識を幻惑させる過剰な親切
が何時までも続けるのでしょうか?

是は国民にとっても 自衛隊員についても大変不幸な事なのです。
もう、 何時までも国家の根源の姿勢 有り方を好い加減に糊塗して 繕い継ぎ接ぎ
だらけの ボロ服を着てる
日本国憲法は 「裸の王様」より 悪い。
ボロ服王様が 世界中の貧乏寄り集まり タカリ国家群に遠慮して 多額の寄付をさ
せれら、何時までも省みられず
近隣国からは 軍事大国と言われたり 内政干渉され放し状態で 自国民が白昼 自
国の領土から袋を被せて連れ去られても
特別部隊を出して救出すらせず 何年も暖簾の腕押しで相手にされない状態が続いて
も放置されてる。
国民からは気概、 ケジメ、手ごたえ無しのクラゲ魂しか持てなくしています。

広島の原子爆弾 長崎の水素爆弾の投下 東京大空襲 沖縄の集団自決 海外引き上
げ者の離散悲劇 シベリア抑留
と敗戦国民には 余りにも酷い悲惨な状態が現出したから 少々の今の地震や水害に
被害どころでは無かった。
世界中の何処からも支援など望んでも叶えてくれなっかた。
しかし その後のアメリカの援助は日本国民には干天の慈雨だったのです。
ソ連や 戦勝勝利したと言われてる 蒋介石の国民党軍が日本を占領してたら 今頃
そうなったか?
想像するのも恐ろしい事です。

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書評】『多謝、台湾  白色テロ見聞体験記』

小林正成著『多謝、台湾  白色テロ見聞体験記』

宗像隆幸    

 酒と女あり、冒険あり、まるで娯楽小説のように面白く読める本である。しかし、
これは著者自身が自分の経験を綴った実録なのだ。1967年、著者の小林は知人に
誘われて、初めての海外旅行として台湾の地を踏んだ。さっそく、酒と女の日々。

 当時の日本は、海外観光旅行はまだ盛んになりはじめた時代だった。旅行社が募集
する台湾旅行の客は殆ど男ばかりで、団体売春ツアーの観を呈していた。彼等は美味
しい物を食べて飲み、女と寝ることで満足して、台湾社会の悲惨な実情に気づくこと
なく日本に帰ってきた。日本が大戦に敗れた後、占領軍として中国から台湾に渡って
きた蒋介石政権は、恐怖政治(テロリズム)で台湾人を支配し、少しでも反政府的な
態度を見せた者はただちに逮捕投獄し、銃殺に処せられる者さえ少なくなかった。し
かし、台湾人がそのような実情を見知らぬ日本人に話すことはなかった。それが警察
や特務機関に知られたら、たちまち逮捕されるからである。がだ、小林を台湾に誘っ
た人は、台湾生まれで台湾の中学校の同窓会に出席するために訪台したのであった。
日本統治時代以来の台湾人と日本の友人たちは、厚い友情と固い信頼で結ばれてい
る。戦後60年もたった現在も、当時の台湾の中学や高校の同窓会が台湾と日本で開
かれているほどである。そのような知人に同行しての台湾旅行だったことから、小林
も次第に信用されて、台湾の実情を彼に話す人も出てきた。

 まったく法治観念のない中国人は、汚職はやり放題で、支配者の立場を利用して台
湾人を脅し金品を巻き上げる。台湾中がそうだったから、台湾人の不満が高まるのは
当然である。1947年にはそのような台湾人の不満が爆発して2・28事件が起こ
り、3万人もの台湾人が殺された。そのような集団抵抗が起こることを何よりも恐れ
る蒋介石政権は、

 戒厳令を敷いて台湾人を徹底的に監視弾圧した。戒厳令が解除されたのは、蒋介石
を継いで独裁者となった息子の蒋経国が死ぬ半年前の1987年のことである。正義
感の強い小林は、このような実情を知って大いに憤慨する。

 小林の人生の転機になったのは、台湾で親しくなった人から東大の大学院に留学し
ていた学者を紹介されたことである。彼はその学者と友人になり、その縁で日本の台
湾人留学生が組織した台湾独立運動に参加した。冒険好きの小林は、自分の発案で台
湾の民主化を要求するビラを気球に積んで台北市の上空からばらまき、特務機関に逮
捕される。彼は4カ月投獄された後、強制撤去になって帰国するが、そのとき獄中で
知り合った台湾では有名な台湾自救宣言事件で逮捕された政治犯の手紙を持ち出した
ことから、国際的な反響を招く。この事件でヒーローとなった小林は、現在も台湾の
独立建国運動に尽くしている。
ーーーーーーーーーーーーーーー貼り付け終わ
りーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本国民は もう戦後の長い 甘い揺り篭から 目を覚まさねば いけません。
地球上は 人口が 爆発増加しています。
地球ノ資源にも 環境にも 限界があるのです。
流浪の民や 国が多国に飲み込まれて消え去った国々や民族の歴史も リストラで暇
な人も
海外へ暇つぶしに行くのが趣味の方も 真剣に 歴史を勉強したりする時期が来てい
ます。
平和集会とか 環境問題集会とか お出かけばかりしてると 自分自身を見失いま
す。
じっと座して思考し 今後を 考えてみましょう。
日本は言論の自由が保障されています。自分の考えを視点を変えて 検討してみる機
会にしてくださいね。
(^o^)♪またメールします・・☆★☆
 
ようちゃん(^0^)/~~bye
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実力経営者らの凋落と若手の台頭   
   
 転落組と浮上組で明暗分けた一年/若手、日本経済牽引力には力不足
経営評論家 梶原 一明
無常観抱かせる実力者の転落

 二〇〇四年の日本の大企業を総括すれば明暗二つの現象がきわだって露出されたことだ。

 かつて破竹の勢いだった企業、そして一世を風靡した名物経営者たちの惨めな転落とプ
 ロ野球改革で登場した若きスター経営者との対比である。

 とくに転落組の旧実力経営者たちの姿は一種の無常観すら抱かせる。たとえば西武王国
 に君臨した帝王の堤義明は、常識では考えられないでたらめ経営を露呈し、ろくすっぽ
 説明責任を果たせないまま退陣に追い込まれた。

 なにせ七年間も取締役会を開かず、独裁経営で西武鉄道株の上場廃止という屈辱的な結
 果をもたらした。またダイエーは一代で流通王にのし上がった中内★(★=功の力を刀
 に)が老残の哀れな姿をさらした。揚げ句の果て金融機関に六千億円もの巨額な負債を
 踏み倒し、その上、税金を注ぎ込んだ産業再生機構の手を借り、まさに生体解剖されよ
 うとしている。

 その昔、日本一の大企業で名門中の名門のカネボウの末路も考えられないほど悲惨なも
 のだった。そして一時は関西を代表する財界人でJAL日本航空の会長まで引き受けた
 “中興の祖”の伊藤淳二は、未練がましく株主総会に一株主として出席し、犬の遠吠え
 にも似た異議をとなえた。

 その意味では建設業界の革命児といわれたミサワホームの三沢千代治も似たようなもの
 だった。トップの座を追放されたにもかかわらず、産業再生機構が頼んだトヨタ自動車
 の出資に対して敵意をむき出した。関係者への手紙作戦をはじめ「住宅産業にド素人の
 トヨタに何が分かるか」と公言して世の同情を集めようとした。

 小佐野賢治一族の国際興業も見る影もないほどの凋落(ちょうらく)ぶりだ。もちろん
 小佐野一族も根こそぎ経営から追放され、劇的な企業規模の縮小を余儀なくされている。

球団買収で知名度得た浮上組

 こうした具体例は枚挙にいとまがないほど数多いが、プロ野球改革のドサクサに乗じて
 大いに知名度を上げた青年経営者群がいる。

 ソフトバンクの孫正義の知名度は一部で高かったがダイエーホークス球団の買収で国民
 的知名度を獲得した。孫正義の市場からの資金調達やら瀕死の旧日本長期信用銀行を買
 収して、外資に売り預けた手法には多くの批判が集中した。

 また楽天ゴールデンイーグルス球団を新設して、パ・リーグに参入した三木谷浩史もエ
 ロサイトの運営をはじめ、アラを探せば限りなく浮上する。

 とどめはライブドアの三十二歳の堀江貴文だ。まったく無名といえた堀江は近鉄バッフ
 ァローズ売却話の中途で介入し、一躍、宣伝費を数百億円を費やしても不可能なぐらい
 の知名度を上げた。まさにテレビのワイドショー型の経営者である。これらの浮上組の
 若い経営者たちのインパクトはきわめて大きい。ただし、限りなくうさんくさい面も否
 定できない面々だ。

 また彼らが従来の大企業中心の日本経済の改革者になるのもいまだ力不足だ。アメリカ
 の一九二〇年代の大不況時に登場して世界企業に成長したコカ・コーラ、ウォルトディ
 ズニー、ジレット、そしてIBMなどという企業はアメリカ経済を改革し、担い手にな
 った。

 日本でもホンダ、ソニー、京セラ、キヤノン、サンヨーをはじめ数多くの企業が日本経
 済の高度成長の原動力になった。

若い経営者の力量はこれから

 ところが堤義明、中内★(★=功の力を刀に)らの旧名物経営者と交代して登場した若
 き新経営者たちはいまだ日本経済を動かすだけの力量ははっきり言ってない。

 その証拠は回復した企業業績にくっきりと現れている。上場企業の二〇〇五年三月期の
 予測は、連結経常利益は約20%増えて、二期連続で過去最高益を記録する。

 ところがこの原動力になったのは、歴史の古い既成の大企業であるからだ。トヨタ、松
 下電器などは高額ボーナスを支給し、新日鉄はじめ鉄鋼、化学などの素材産業も軒並み
 好調である。

 相変わらず日本は産業構造の変革が進まず日本経済全体からみれば、不況を脱出した実
 感はわいてこない。だが、世界の潮流は大きく変化している。その象徴は中国の急成長
 企業の聯想集団(レボノグループ)によるIBMのパソコン事業の買収だろう。

 このパソコン事業売却でIBMは事業内容の一新を目指す。一方、レボノは一躍世界三
 位の巨大パソコンメーカーに化ける。

 こうした思い切った事業転換や買収は世界的レベルで進み、ヨーロッパ(EU)の各国
 の大企業も想像以上に変化してきている。

 その意味で日本は遅れ気味だ。新しい企業や若い経営者たちはプロ野球経営レベルで名
 を上げるのではなく、名実ともに育って欲しい。二〇〇五年は新陳代謝元年になっても
 らいたいものだ。(敬称略)世界日報 掲載許可
       Kenzo Yamaoka

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