1853.「東アジア共同体」の青写真



国際戦略コラム 御中

先日のnemu化石老人氏のご意見に大賛成です。
色々な会合で私も原、水爆を日本の要として必要論を論じて居りま
す。今日本の総理を始めとして国会議員の歴史感覚のずれは嘆かわ
しい状況です。

近隣諸国の思いの儘の土下座外交ばかりで日本国民として本当に憤
激して居ります。軍事力が無いと言う事は近隣諸国に舐められて
領海侵犯等、多々あり日本の存在を脅かす行為にも話し合いしか
出来ず、他国の強行な行動にも泣きを見ているさまは情けない限り
です。

今日本人としての誇りも、伝統も、文化も、精神、も失ってその場
限りの言動しか出来ない日本の総理をはじめ国会議員の諸君早く目
覚めて日本人の誠の魂の叫びを挙げて欲しい。

最近「日本を貶める人々」や「日本の敵は日本人」等の他、黄文雄
氏の著書を多数読ませてもらいましたが、私の感想は読めば読む程
に感慨無量でその通り、とあいずちをうってしまいます。
まだこの様な日本人や台湾人が居られる事を誇りに思って居ります。

政治家に何もきたい出来ない日本はどの様になるのか日本人一人一
人が真剣に考えないと未来は無いと切に思います。

鈴木 麗加
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「「東アジア共同体」の青写真 −中国とアメリカをどう考えるべきか−」

先月末のビエンチャンでのASEANプラス3首脳会議の合意を切っ掛けとして東ア
ジア共同体が本格的な注目を浴びつつある。
<参照>
■東アジア首脳会議初開催へ 来年クアラルンプールで■
 【ビエンチャン29日共同】東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国は29
日、ビエンチャンで開いた首脳会議で、来年中にクアラルンプールで初めての「東ア
ジア首脳会議」を開催することで合意した。ASEANと日中韓の13カ国を軸とし
た自由貿易地域創設を含む将来の「東アジア共同体」創設に向けた大きな一歩とな
る。
ASEANに日中韓を加えたプラス3首脳会議も同日開かれ、東アジア首脳会議開催
について協議した。
プラス3首脳会議の議長声明案は、域内の関税を原則撤廃する東アジア自由貿易地域
創設について「可能性を調査する専門家グループの設置を歓迎する」として、前向き
な検討を表明。東アジア共同体創設を長期的目標として確認した。
日本は東アジア首脳会議の共同議長国となることを提案している。開催時期や会議の
在り方など詳細は、来年初めにフィリピンで行われるASEAN非公式外相会議など
を通じ調整する。(2004年11月29日(月) 共同通信)
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/kokusai/20041129/20041129a3340.html

米国からは、早くも東アジアサミット開催が決まった翌日に、「米国外しではない
か」(米国務省のリース政策企画局長)と不快感が表明された。
これらの動きを念頭に、以下に「東アジア共同体」について我が国の取るべきスタン
スと戦略について考察してみたい。

◆ ◆ 取り巻く情況 ◆◆
「東アジア共同体」を取り巻く情況を整理すると、概ね以下のようになる。

(1) EU、NAFTA等の先進
自由貿易協定(FTA)が世界的に拡大している。
FTAは、2国間や特定域内での物品の関税その他の制限的通商規則やサービス貿易
の障壁等の撤廃、進んでは人的交流や通関や知的所有権の手続き、投資環境の整備等
の幅広い分野を内容とするものである。
既に欧米では、特定域内自由化のEUやNAFTA等が推進され、国際的大競争時代
に備える態勢となっている。
日本は2国間FTAでも中国に大きく遅れを取っているが、今後の自由貿易体制の徹
底により大きな利益が見込まれ、自ら積極的に推進していくべき情況にある。

一方で、人的交流の活発化に伴う移民問題、経済統合、通貨統合に伴い各国の経済政
策の自由度が制約される等のマイナス面も指摘されている。

(2) そもそも「東アジア共同体」が必要なのかという疑問と米国の懸念
経済的な枠組みについては、米州やオセアニアを包括したAPEC(アジア太平洋経
済協力会議)という枠組みが既にあり、新たに「東アジア共同体」を作ろうという動
きに対し、米国側に前述した「米国外しではないか」との懸念がある。

「東アジア共同体」という言葉は、90年にマレーシアのマハティール首相(当時)
が提唱した経済圏構想が出発点とされる。この構想は米国の強い反対で発展しなかっ
た。
また、97年のアジア金融危機のさなか、影響を受けた諸国の復興を助けることを意
図して、日本が提唱したアジア通貨基金構想もIMF(実際には米国)の反対で潰え
た。
米国は代りにAPECを強化することで、東アジアへの関与強化の装置としたという
経緯がある。
なお、安全保障についても、ロシアや北朝鮮を含めたARF(ASEAN地域フォー
ラム)という枠組みがある。

(3) 「東アジア共同体」の範囲
前項と関連して、東アジア共同体といっても、地図上の明確な範囲があるわけではな
く、EUのような文化的、言語的、宗教的、人種的同一性の低いこの地域の特性から
その範囲は思い描く者により大きく異なる。
概ね、ASEAN加盟国(タイ、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガ
ポール、ブルネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジアの10カ国)に日
本、韓国、中国を加えた「ASEAN+3」が「東アジア共同体」のコア部分として
語られるが、台湾や香港を加えた「10+3+2」やインドを加えた「10+3+
1」といったアイデアもある。

また、これらに豪州を加えようという動きとそれに真っ向から反対するマレーシアの
マハティール前首相を筆頭とした「豪州人はアジア人になりえない」の意見や、国際
政治学者フランシス・フクヤマ氏のように、「東アジア共同体」のかわりに北朝鮮核
問題への対処を論じる六カ国協議から北朝鮮を除いての五カ国の協議をアジアの地域
安全保障の恒常的な制度にすべきとの提案もある。

(4) 「東アジア共同体」の内容
その内容として、単に自由貿易協定(FTA)を結んで自由貿易圏にするという経済
的なものだけでなく、前項フクヤマ氏の提案とも部分的に重なるが、安全保障も考え
た政治的な枠組みを目指すべきだという見方もある。

(5) 中国の影響力の強まりへのASEAN諸国の警戒
報道によれば、初の東アジア首脳会議についてマレーシアで来年開く方向でまとまり
かけたが、ビエンチャンで行われたASEAN外相会議で妥協点を見い出せず、中国
の影響力の強まりを警戒するインドネシアやベトナムなどが「時期尚早」と反対し、
暗礁に乗り上げていた。
その結果、開催時期や会議の在り方など詳細は、来年2月か3月にフィリピンで行わ
れるASEAN非公式外相会議などを通じ調整するとして先送りになった。
また、当然ながら日本、米国にも中国がアジア地域での経済的、政治的な影響力をさ
らに強めることに対し警戒感がある。

◆◆ 我が国の取るべきスタンスと戦略 ◆◆
これらを踏まえ、筆者の考える「東アジア共同体」への我が国の取るべき基本的なス
タンスと戦略を以下に列記してみたい。

◆域内の関税を原則撤廃する東アジア自由貿易地域創設等については、我が国の利益
に適い積極的に推進すべきである。
また、どこまで有効なものとなるかは別として、地域紛争の緩和、テロ対策、核兵器
配備の縮小、その他突発的事態の防止のためにも、信頼醸成と安全保障の枠組作りに
も取り組むべきである。

◆外国人労働力の受け入れや移民は、単純労働者は避け、高度な知識・技能保有者に
限定すべきである。
単純労働者の受け入れは、ドイツのトルコ移民の例が端的に示すように、国内労働人
口減少の中でも社会的な摩擦を避けられず、たとえ企業コストの削減になっても、社
会的コストは増大する。

◆EUのような経済的、政治的に1つの国のようになるのを目指すべきではない。
当面は、所得格差、政治体制が違い過ぎ元々不可能な事であるが、遠い将来的な画と
しても、EUの壮大な実験の成否を見極めてから考えるべき問題である。

◆ 中国の影響力増大の道具とさせる事無く、牽制の道具とすべきである。
中国封じ込めと言っては言葉が過ぎるが、中国囲い込みを図るべきである。
そのためには、台湾や香港、インド等加盟国は多いほど良く、決定事項は全会一致方
式を取るのが望ましい。
また、米国の代理人として豪州を正式加盟させるか、もしくはより直接的に米国を顧
問格として関与させて、「米国はずし」の懸念に対処しつつ中国を牽制させるべきで
ある。
米国は、石油の出る中東では非理性的とも言える恣意的行動様式が目立つが、東アジ
アでは少なくとも安全保障面では今後も比較的現実的な対応を取ると予想される。

◆通貨統合は不要だが、何らかの形での「アジア通貨基金」は必要である。
前述したように、97年のアジア金融危機のさなか、影響を受けた諸国の復興を助け
ることを意図して、日本が提唱したアジア通貨基金構想はIMF(実際には米国)の
反対で潰えた。
しかし、ヘッジファンドの冒険心やアジア金融危機の再来、中国のバブル崩壊等を防
ぐ意味でも、通貨バスケット・ペッグ制を使う等の何らかの通貨安定策は必要であ
り、ドルの機軸通貨からの退位を何よりも恐れる米国の懸念を説得と調整により解消
させつつ、粘り強くこの実現を図るべきである。

◆共同体の共通理念、共通価値は、自由と民主主義にアジア的調和が加味されたもの
とすべきである。
東アジアは、EU等と違い、文化的、言語的、宗教的、人種的同一性が低く、共同体
形成のための求心力が低い。
ここに、何らかの共通理念、共通価値を見出すとすれば、世界史的流れとしての「自
由と民主主義」を掲げるのが適当である。
これにより、長期的に中国等の民主化を促し、安全保障上の脅威を削減するべきであ
る。
また、それだけでは他の地域との差別化を図れず、ノッペラボウのようになってしま
う。この地域に特徴的な共通項としては、比較的温暖で多雨な気候や仏教、儒教によ
り醸成されたアジア的調和と言う事になろう。

◆◆ 西洋思想と東洋思想 ◆◆
アジア的調和に言及したので、ここで西洋思想と東洋思想について述べて見たい。
両者にはそれぞれの特徴と、これに由来するメリットとデメリットがある。
難しく細分化された思想研究は他に譲るとして、筆者の考える概略を示すと以下のよ
うになる。

まず、西洋思想は、ギリシャ哲学、キリスト教、ヘーゲル、マルクスのように、演繹
性、または実証性、弁証法的理論展開、直線史観等を特徴とする。
これらは、社会を動的に改革し科学を発展させる一方、植民地主義、ナチズムの様な
自己中心的なものも生み出す。

一方、東洋思想は、仏教の八正道、儒教の仁義礼智信の様に、事象を多面的に捉えた
上でこれらを並列し、包括的に把握する所や循環的史観に特徴がある。
これらは、社会の調和安定を指向する一方、停滞、腐敗を生み出す。

なお、日本の思想的特徴は、赤き清き心、穢れと祓い、恨みと鎮め、神州不滅、平和
主義、集団主義のように単一価値観、単線的思考にある。
これらは、短期間の富国強兵や戦後復興等をもたらす一方、戦前の拡張主義の破綻、
バブル崩壊と今日の停滞等を生み出している。

筆者は、アジア的調和を共通価値とすべきと考えるが、それを思想の見取り図の中に
位置付けてメリットとデメリットを踏まえて置く事で、初めて地に足が着き現実的な
政策に演繹出来るツールとなると考える。

◆◆ 今後の展望 ◆◆
話を元に戻して、そもそも「東アジア共同体」のような地域共同体は、域内の共存共
栄を図ると共に、理念としては戦前のブロック経済のような閉じられたものでなく、
世界の貿易の自由化促進のために開かれたもので無ければならない。

実際にEUやNAFTAが今後どう展開して行くかは予断を許さないが、そういった
理念、大義を掲げて「東アジア共同体」を進展させて行くことは、 EUやNAFT
A陣営との交渉材料ともなり得る。

また、我が国が域内で中国を牽制してASEAN諸国等を味方に付けるには、「大東
亜共栄圏」での功罪、即ち欧米の植民地からのアジア解放、日本自らによる植民地支
配と敗北、その後戻ってきた旧宗主国とのアジア諸国の独立戦争と勝利等について、
単なる表面的な反省に止めず、近代世界史の大きな鳥瞰図の中に位置付け総括された
歴史観を持ち表明するべきだろう。
筆者は、それが日本が東アジアのリーダーシップを握るために必須と考える。

前述したように、APEC やASEAN地域フォーラムが現存する中で、「東アジ
ア共同体」不要論がある。
しかし、もう日本政府と中国を含めた各国はその実現のために走り始めている。
もし不要なら、「共同体」と呼ぶかどうかは別として、単に緩く弱いものとして作っ
ておけば良いだけの事である。
問題なのは、日本国民が無関心でいて、限定された関心と狭窄した視野しか持たない
官僚及び族議員とそれに乗っているだけの現政府に任せて置く間に、中国等各国の思
うままにデザインされた「東アジア共同体」が作り上げられてしまう事である。

筆者はその懸念の下に、乏しい知識と能力を搾って拙案を示した。
たとえ1つ1つは当たり前で掘り下げの浅いものでも、集めて並べて見なければ戦略
にはなり得ない。
まだ、ビエンチャンの首脳会議から日が経っておらず、それを受けての「東アジア共
同体」についての我が国のスタンスと戦略についての全体的な画を示した言説は現れ
ていない。

筆者の見るところ現在の日本でその見識を持つ政治家、言論人は数少ないが、各方面
から今後積極的な発言が必要である。
戦略とシナリオなしに今後の世界に臨む程、我が国にとって危険な事はないだろう。

                                   以上
佐藤 鴻全
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国際戦略コラム 御中

みなさまお久しぶりです。やまなかです。
投稿させていただくのは約1年半ぶりになります。

1年半前に長男を出産し、3ヶ月の産休後「職場復帰=国際戦略コラム
購読再開」をしましたが、以前に増して忙しく、内容をチェックする
だけが精一杯の毎日でした。
相変わらずのみなさまの問題意識の高さに、日々感心しつつ母の立
場で将来の日本を愁いております。

長男が満2ヵ月になり、私が職場へ復帰すると同時に、夫は今流行の
(?)『ニート』になってしまいました。
最近でこそ少しは「家事手伝い」と呼べるようになりましたが、それ
までの1年間は、とりあえず私の留守中最低限の子供の世話をする、
という程度でした。

少々鬱気味で、絶えず自殺願望を口にするので、とにかく丸ごと受
容してあげるのが大切と信じ、特に厳しいことも言わず、心が癒さ
れ再び仕事に就いてくれることを願いつつ過ごしてきたのですが、
先日ふと、この対応は根本的に間違っているかもしれないと思うよ
うになりました。

日本人は何かにつけて「がんばって」と声をかけます。
競技に臨むスポーツ選手にも、結婚して新生活を始めようとする二
人にも。言葉につまると何でもすぐに「がんばって」「がんばりま
しょう」です。

これを英語で言うとどうなりますか、という質問を学生時代したこ
とがあります。担当の英語教師は
「試合直前のスポーツ選手などに声をかける場合、英語ではプレッ
シャーをかけるような言葉は避け、
 Relax ! : リラックスして、落ち着いて、と言いますよ」
と教えてくれました。
あれから約20年、テレビでも雑誌でも
「日本人は頑張りすぎてきた。これからは頑張らない生き方をしよ
う。自然に、しなやかに」
という宣伝が続けられてきました。

頑張ることは格好悪いこと、いけないことのように思い込まされ
肩の力を抜いた楽な生き方が良い、とされました。まさに英語的な
思考です。
でもこのような生き方は日本人に幸せをもたらしはしなかった。
これも影の勢力のマインドコントロールかもしれません。

元来日本人は、頑張ることで生きがいを見出し、頑張ることで満足
感を得、幸せになれたのではないでしょうか。
自分自身の人生の大半をとことん頑張って生きてきた人が、「今ま
であれだけ頑張ったのだから」とのんびりするのはよいとして
「これまでの日本人が頑張りすぎたのだから休め」と言われる世代
は、結局自分では何一つ頑張ってやったことがないのです。

日本人は常にお互いにプレッシャーをかけあい、肩に力を入れて歩
み続ける生き方の方が向いているのかもしれません。
度を越して頑張りすぎることは、また違った問題を引き起こします
が過去の日本人の頑張りにあぐらをかくような生き方はいけない。
夫への対応を模索しつつ、我が子にはまず自分で頑張ってみること
を教えていきたいと思うこのごろです。

やまなか
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東アジア共同体をめざして   
   
 韓国漢陽大学名誉教授 金 容雲氏の講演(要旨)
母の愛の心を復権させよう
北朝鮮を変えるカギに/兄弟関係では和解できず

半島の永世中立国化が理想/日本には大きな経済的効果

 京都でこのほど「平和を創(つく)るオモニ(母親)大会」(主催・アジアの子ども達
 を育む母親の会)が開かれ、韓日文化交流会議の韓国側座長で漢陽大学名誉教授の金容
 雲氏が「東アジア共同体をめざして−女性・母親の役割」のテーマで講演した。以下は
 その要旨である。

 〇――〇

 日本と韓国はエビとカニのような似通った間柄だ。どちらがエビでどちらがカニでも構
 わないが、昔は同じ民族であり、同じ言語と文化を共有していた。いつしかそれが違う
 言葉を使うようになり、文化も違ってきた。しかし、韓国語で母親のことをオモニとい
 うが、日本でも、天皇家が明治維新で京都から東京へ移るまでは宮中で母上のことをオ
 モオ様と呼んでいた。母屋(おもや)という日本語も残っている。

 韓国語では愛のことをサラン、人間のことはサラムと言い、よく似ている。初めは同じ
 意味から生まれたのだろう。今私たちが生きていく上で何が一番必要か。あえて先に結
 論を申すならば、オモニという愛の心を日本でも復権させよう、サランという言葉の意
 味を考え直してみようということだ。

 私たちは今、人類史的な大変な時代に生きている。次代を担う子どもたちがどうなるか
 分からないような非常に危険な時代だ。一つは中東のパレスチナ問題であり、もう一つ
 は北朝鮮の核の問題。両者は人類の命運を左右する重大な問題であり、根源においては
 深くかかわっている。

 中東で生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教は根っこは兄弟関係だ。同じアブラ
 ハムの子孫であり、同じ神を信じている。なのに、人間のあさましさで紛争が絶えない。
 この問題を解決するには、もはや宗派であるとか、教会とかに固執している場合ではな
 い。母という存在、その分け隔てない愛の姿を通じて、私たちは兄弟同士、仲良くでき、
 互いを理解し合うことができる。

 結局、問題解決のカギは母の心になることだ。彼の言うことも我の言うことも全部総合
 して、より高い次元から愛をもってお互いを見ることから和解が可能になる。その愛こ
 そはオモニの愛、母親の愛である。

 愛は時には非常に醜い形をとる。美しい言葉だから、そこには毒もある。韓国動乱の時
 も、北と南は同族同士がお互いに愛国心で戦った。偏狭なナショナリズムに陥りやすい
 愛国心ではなく、そういう愛を超越したオモニの愛であったならば、兄弟同士で戦うこ
 とはなかったと思う。

 ここでついでに、最近のヨン様ブームについて考えてみたい。なぜ多くの日本女性、特
 に年配の女性の心を捉(とら)えたのか。一つには、その世代の女性は結婚の時に男性
 から、あまりストレートな愛の言葉を受けていないようだ。日本には古来、「目は口ほ
 どに物を言い」とか「偲(しの)ぶ恋」という表現があるように、胸中の思いをはっき
 り伝えないのが美徳とされてきた。

 そこへあのヨン様のような美男が現れて、サランヘヨ(愛してるよ)を連発するものだ
 から、そういう雰囲気を知らずに来た女性たちがコロッと参ってしまった。ただ、この
 ブームがいつまで続くかは疑問だ。人間は飽きっぽいし、ヨン様だって年をとる。私が
 願うのは、日本人と韓国人との間でサランという言葉の本質への理解が広まることだ。
 ただ、ドラマの上での話ではなく、この危機的な現実の国際情勢を打開する上でサラン
 というものがどういう意味を持つのか、その可能性について考えなければいけない。

 日本はどうして今まで韓国にサランの思いを持てなかったのか。サランの反対は憎しみ
 だ。これは人を害し、歴史をゆがめ、物事を否定的に展開させる要素だ。いつから日本
 は韓半島に憎しみを抱くようになったのか。

 飛鳥時代の六六三年、日本は百済を助けるため、国を挙げて大軍を派遣したが、唐と新
 羅の連合軍に大敗した。その時のうらみ、つらみは大変なものだった。そもそもどうし
 て新羅(しらぎ)と呼ぶのか。一般的な法則として、韓国語が日本語に変わる時は言葉
 が短くなった。たとえばクルム(雲)がクモに、シルムが相撲になった。

 新羅もシルラからルが抜けてシラと言うはずなのに、シラギと言うようになった。韓国
 語では憎らしい場合、語尾にギをつける。シラギというようになったのは、それほど憎
 んでいるということだ。一方で、なぜ百済(くだら)と呼ぶのか。最初に奈良で国造り
 をした人が、自分の本国のことを偲んでクンナラと言った。それが、なまってクダラに
 なった。だから、百済、新羅という言い方の中に、百済愛(いと)おし、新羅憎しとい
 う思いがこもっている。その思いが日本歴史に連綿と流れてきた。

 憎しみというものは個人の場合もさりながら、民族同士で伝わっていくと、相手との絶
 え間ない攻撃、抑圧が繰り返される。イスラエルとパレスチナの問題も、もともとは兄
 弟関係なのだが、憎しみの連鎖になってしまった。

 〇――〇

 韓半島の問題は単に北と南の問題ではない。周辺諸国の利害があの地域に複雑に絡んで
 いる。ユーラシア大陸の端にあるあの半島が平和にならなかったら、東アジアは平和に
 ならない。これは韓半島の宿命でもある。

 韓半島を統一するには、それが誰のマイナスにもならず、必ずいい結果をもたらす、利
 益になると認めさせるしかない。だから韓半島から核が除去され、統一されるのは当然
 だけれども、統一し核をなくした後を誰が保障するのか。今ちょうど北朝鮮の核をめぐ
 って六カ国協議をしているが、もっと高い次元から考えていかないとこの問題の真の解
 決は図れない。

 日本が真珠湾攻撃に踏み切った時のことが一つの教訓になる。あの当時、日本列島はい
 わゆるABCD包囲網で追い詰められ、石油も鉄も入ってこなくなった。事態を打開す
 るため、日本は武力に打って出た。座して死を待つより、暴れ回ってやろうと。

 その事情は、現在の北朝鮮が置かれた状況にも通じる。北は日本の軍部と同じようなこ
 とをやりかねない。物理的な圧力だとか政治的、外交的な圧力をかけるより、もっと重
 要なことがある。人間同士としての愛・サランだ。彼らが私たちの愛を信じることがで
 きるならば、彼らだって譲歩するだろう。

 あの政権はまともな政権ではない。数百万人を餓死に追い込んだ。政治的な力学、単純
 な経済的な対応ではなく、愛の心によらなければ、あの国は変わらないと思う。現在、
 継続されている六カ国協議も、単に核を放棄させるだけの会議ではなく、核をなくした
 あと、韓半島のあり方をどうすべきかを考えていかないと絶対に北の問題は解決しない。
 双方の互いの理解を求めていく作業がもっと必要だ。

 韓半島の今までの過酷な歴史を振り返り、日本が新羅を憎み、その延長線上に韓半島を
 憎み、自分の生命線だと信じてきた場所に共存共栄の地域をつくり出すような発想にな
 らなければいけない。貿易や安保の問題がかかわってくることはもちろんだが、基本的
 に私たちが信じ合える間柄になることが先決だ。

 もっと具体的に申し上げると、韓半島の問題は核をなくすよりも、なくしたあとをどう
 するかという理想が目の前に描かれていなかったら、核はなくせない。その理想をあえ
 て言うならば、韓半島は永世中立国になるべきだということ。さらに私たちが望むのは、
 東アジア共同体という構想だ。

 韓半島が統一され、南北がお互いに共存共栄の関係になれば、日本にとっても大きな利
 益になる。例えば、日韓を隔てる海峡の下に海底トンネルを通し、半島を経由してユー
 ラシア大陸に直結されれば、その経済的な利益はどれほど大きなものになるだろうか。

 日韓における文化の開放政策が今日のヨン様ブームを巻き起こした。それを考えれば、
 韓半島が中立国になって、周辺諸国がそれを祝してくれた時、どれほど大きな文化的、
 経済的効果が生まれることか想像するに余りある。

 だから、私は南北の統一、永世中立化、東アジア共同体の確立、そしてそれが世界平和
 につながると考えている。今の休戦ラインも平和ラインにして、過去の人間の愚行を展
 示して、世界平和を発信する特別の地域にすればいい。

 さらに、今後の日韓関係を考える上で思い起こしたいことがある。それは、二〇〇一年
 における天皇陛下のご発言だ。天皇は「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、
 続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」とおっしゃられた。
 そのオモニを思いながら、韓国にある武寧王のお墓に参っていただきたい。そのことに
 よって本当に韓国人と日本人は一つになれるだろう。

 結局、今私たちが信じられることは何か。それは難しい哲学ではない。経済的理論でも、
 国際的力学でもない。オモニサラン、母の愛の偉大さである。

 キム・ヨンウン 1927年、東京生まれ。47年、早稲田大学を中退し、解放後の韓
 国に帰国。58年、渡米。カナダのアルバータ大学から位相数学で博士号を受ける。6
 9年、帰国し、漢陽大学で教鞭を執る。韓国の著名な数学者、文明評論家でもあり、国
 際日本文化研究センターなどで客員教授を務めるなど、たびたび来日。前韓国MBC放
 送文化振興会理事長。著書に『韓国人と日本人』『「かしこ型」日本人と「かちき型」
 韓国人』など。(世界日報)掲載許可
       Kenzo Yamaoka
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不安定化する東アジア   
   
 新「大綱」―中国への懸念を前面に
まだ「中国の脅威」で腰がふらつく官邸
 日本の新たな「防衛計画の大綱」が発表された。久しぶりに同国の安全保障政策を抜本
 的に再検討したものだが、中国と北朝鮮を潜在的脅威と見なすべきだという、自明のこ
 とをあえて言明したものとして注目される。

 日本にとって北朝鮮の核開発やサイル実験は心配のタネだし、中国の軍拡は日本のみな
 らずアジア諸国を神経質にしている。にもかかわらず日本政府は、こうした懸念を明言
 したのは勇み足だったのではないかと心配し、米国と安保上の連帯を強める戦略上の決
 定をしたことに一層思い悩んでいるように見える。

 大野防衛庁長官は国内にある異論を制して、中国への懸念を大綱の中に盛り込ませた。
 外務省と閣僚の多くは、中国を名指しすることに消極的だった。ブッシュ政権は、日本
 が半世紀以上の自己否定と平和主義の建前から脱却し、米国との本格的な軍事同盟国を
 自任してきたことに満足している。

 日本の姿勢転換は、イラクでの自衛隊駐留や、アフガニスタンの米軍に対する兵站(へ
 いたん)支援がすでに雄弁に物語っている。それをさらに裏書きするように、新大綱で
 は武器輸出三原則を緩和し、ミサイル防衛関連の部品等を米国に供与できることになっ
 た。しかも安全保障上の課題に関する戦略対話では、積極的な姿勢を採ることを言明し
 た。

 やっと“黒を黒”と言い切るハラを示した感じだが、これには日本の政府高官たち自ら
 も戸惑っているようだ。細田官房長官は防衛計画が閣議決定された直後の記者会見で、
 日本は中国を脅威と見なしているわけではないと釈明した。町村外相も、防衛計画は中
 国の軍事支出に注意を要すると指摘しただけだと断っている。

 確かに新防衛計画では、中国の軍備増強の狙いについて、台湾海峡近海での米空母の航
 行を阻止しようとしているとか、米国をアジア安保の勢力図から漸次、しかし確実に排
 除するものだとは直言していない。しかし、中国は空母を待ち伏せできる静粛性の高い
 潜水艦や、対艦長距離ミサイル、それを発射できるSu-30戦闘爆撃機を購入している。
 他に目的が考えられるだろうか。

 小泉首相は、中国が域内の超大国として振る舞っていたり、米国の軍事的プレゼンスが
 均衡勢力として存在しないようなアジアでは、日本の将来の安全保障はおぼつかないこ
 とを宣言したようなものだ。

 ところで日本の年間防衛予算は約五百億jになり、これは米国に次ぐ軍事的影響力を誇
 示する英仏に迫る。海上自衛隊は英国海軍より規模が大きい。日本が米国とミサイル防
 衛計画で技術協力をすることは、安全保障の将来を対米同盟にしっかり固定するものだ。

 中国外交部の章啓月・報道官は「日本の軍事防衛戦略とその影響について深刻な懸念」
 を表明した。しかし、日本側は中国が自ら招いた結果だと考えている。

 中国の防衛予算は過去十五年連続して二ケタ台の伸び率を示し、中国側の数字でも年間
 二百六十億jに達した。しかし米国の推計では、中国の二〇〇四年度の軍事支出は五百
 五十億jに達し、宇宙・衛星計画や、国営石油会社のための「海洋学調査」「安全用経
 費」まで含めれば七百億jになる。

 台湾の再武装と韓国の軍事予算、それにこの地域に振り向けられる米国の軍事費をすべ
 て計算すれば、東アジアの軍事支出は優に二千億jを超える。恐らく世界の軍事支出に
 占めるこの地域の割合は、朝鮮戦争(韓国動乱)以来、最大ではないか。

 それぞれが他国を非難している。日本は北朝鮮を、北は日本を、台湾は中国を、中国は
 日本を非難している。北朝鮮の国営通信は日本が「地域情勢を極度に緊張させている」
 と批判し、「日本が軍事大国になるのを座視しない」と報じた。

 「根本的に言えば、中国の軍備増強は台湾が独立志向を強め、それを米国と日本が間接
 的に支持しているためだ」と、国際問題研究所の中国の★旦大学(★は、復の行人偏が
 ない)の沈丁立氏は指摘、中国が域内不安定の原因だとする日本側の主張は当たらない
 としている。

 こうした状況は危険だ。世界はかつて、この種の地域的な異常心理が定着していくのを
 目撃した。関係各国が緊張の高まりを非難し合い、好戦的なレトリックと軍事予算が徐
 々に高まり、軍事技術の競争に没頭していった。第一次世界大戦に至る数年間の欧州は
 こうした道をたどり、その結末はだれもが知るところだ。今、東アジアは非常に厄介な
 地域になりつつある。世界日報  掲載許可
       Kenzo Yamaoka


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