1829.評論家の分類と縄文人



日本の評論家を分類・整理して、その動向を考察しよう。 Fより

YSさんによると、米国系日本人(親米)、国家神道人(反米)、
弥生人(不人気^^;)、縄文人(中道)の今の日本思想を4分類
できるという。

今後の鍵になる集団はこれになったりしてね。(YS)
米国系日本人(一神教現実主義、海派)
国家神道人(一神教理想主義、孤立派)、弥生人
縄文人(多神教理想主義、両生類)
とのこと。

どうも、戦後世代の岡崎さんやサンケイの古森さんは、米国の絶対
的な強さを思い知った人たちである。この人たちは米国系日本人に
なりやすいが、米国と共にあれば、日本は安泰との立場で、米国の
衰退を全然考えないようです。米国派は今の共和党ブッシュ政権を
支持するために、ネオコンの主張を日本に紹介している。
イラク戦争をテロ撲滅戦争であるという立場で、イラク民衆のゲリ
ラ活動という視点も否定している。ブッシュ政権、ネオコンの代弁
者。米国が絶対の善で、米国の敵は悪と。

次の国家神道人は、当初米国のイラク侵略戦争支持で米国系日本人
と共闘していたが、米軍のイラクでの行動にだんだん批判的になり
、反米になっている。しかし、同時に反中でもあり、反米反中と太
平洋の両大国と戦う姿勢であり、日本だけで生きていけると唯我独
尊的な視点でモノを考えている人たちである。

この人たちは、国際情勢、特にアジアでの中国の外交活動を見よう
ともしないで、反日的な言動をする韓国も中国もただただ嫌いとい
う単純な言動に終始している。日本国家としての損得を考えられな
いようである。国家戦略は単純な感情だけではいけないという基本
ができていない。戦前の強国日本を夢見ているようだ。

それに比べて、縄文人は根っからの右翼縄文人と左翼からの転向組
の2種類がいる。縄文時代は日本に戦争がない。平和共存していた。
縄文時代は、鏃に使う黒曜石の商人がいて、それなりに文化活動も
あり、我々が考えるより社会の仕組みが複雑であったことが分かっ
てきている。それと2万年前に日本からアジアに脱出した人たちが
インダス文明を作ったというし、日本の縄文土器がペルーで発見さ
れて、縄文人はペルーまで行っていたことが分かっている。

この感覚から世界を見ると、もう少し違う視点が作れるように感じ
ている。その感じをこのコラムではYSさんやいろいろな人の助け
も借りて、構築したいと思っている。

この到達点が、秦氏の存在、謎も神代文字、九鬼文書、竹内文書、
ツガル三郡誌(三内丸山遺跡)などの研究や吉田ペトログラフの研
究を知り、古代日本が世界的な繋がりを持っていたことが分かる。

また、シルクロードで日本と中央アジアが結ばれていることが分か
る。そこを中央アジアから日本に来る天孫・秦氏の集団を見付ける
ことができる。

このようなことを見てくると、日本の神道・アミニズムは世界の中
に確立するべき基本があると思えてくる。真の縄文日本の平和な文
化が見えてくる。そして、日本は戦前まで、その平和な生活をして
いたのですが、戦後の発展で、その生活を日本は捨ててしまったの
です。

このために、現在のような欧米社会と同様な問題を生み出し、かつ
世界的な紛争を起こすことになると感じている。世界の多くの人が
唐心になってしまった。これを、かんながら(自然な心)の生活に
戻す必要がある。

そして、世界の戦いの中心は、ユダヤ人がイスラム圏の真ん中にい
ることで、この人たちは2万年前に日本から出て行った人たちであ
るから、日本が引き取ることで、世界的にも平和が訪れることにな
る。日本は多神教の世界でユダヤ人を特殊な宗教とは見ないし、日
本の天皇家にユダヤの印があり、近い存在である。唐心をかんなが
らに変化するのは、日本のような自然にあふれた状態でないとでき
ない。

このような視点は、実を言うと出口王仁三郎の思想にも、岡本天明
の月日神示にもある思想で、この本当の神道の思想を復活すること
が重要と考えている。この思想では反米も反中もない。日本の心を
どうすれば広められるのかが重要なポイントになる。

この神道・アミニズムは日本だけではなく、ケルトやアメリカ・イ
ンディアンや多神教の拝火教なども同様な趣旨であり、日本が特殊
ではない。世界的な広がりがあり、平和と共存をどうすればできる
かを示している。

800年周期で一神教的な世界と多神教的世界が交代するという理
論があるが、そのまさに転換期に現在はあると見える。この観点か
ら冷静に世界の動向を見ていく必要があると主張しているのです。
日本の使命を自覚してほしいですね。
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ファルージャ攻撃報道にみる偏向   
   
 相変わらずの反米・反戦の視点/イラク民主化への意義を伝えず
外交評論家 井上茂信
テレビ時代の視聴率稼ぎ報道

 戦争報道をどのようにして正しく読むかは極めて難しい仕事だ。テレビや新聞で報道さ
 れるニュースはテレビ局や新聞社に集まった膨大な数のニュースのごく一部であり、ど
 のニュースを“報道に価するもの”として選択するかはデスクの判断次第だ。さらに現
 地で入手した情報からどれを本社に送るに価するニュースとして選択するかは記者の判
 断による。

 その際、デスクひいては現地記者の選択の判断基準となるのは一般の視聴者や読者が
 「これはニュースだ」と飛びついてくれるかどうかだ。ところで視聴者や読者は専門家
 ではないので、大半が情緒的な反戦論者であり、戦争で苦しむ現地の民衆の姿や残虐な
 被害の報道に引きつけられる。だからこれらが売れるニュースとなり、戦争報道はこの
 ようなニュースが中心となる。これが偏向報道の原因だ。

 テレビの場合はさらにこのような傾向は強い。朝鮮戦争とベトナム戦争報道の違いにつ
 いて、メディアのあり方についての国際会議で、かつてマッカーサー駐日大使は次のよ
 うに分析した。朝鮮戦争は活字メディアの時代の戦争であり、当事のベテランの記者た
 ちは「同盟国との防衛誓約を守り、自由と人権のために侵略を阻止することが平和確保
 の道だという」米国の認識と決意を示すために必要という同戦争の意義を正しく報道し
 た。一方、ベトナム戦争はテレビ時代の戦争であった。四角いテレビの画面は一種の劇
 場であり、テレビ各局は視聴率を稼ぐために、ベトコンの地雷で吹き飛ばされた米兵の
 死体や米軍の攻撃で逃げまどう現地民の痛々しい姿などを“劇的なニュース”として集
 中的に放映した。

 同戦争は北から仕掛けた侵略戦争であり、南ベトナム政府に対する三代にわたる米大統
 領の防衛誓約を果たさないと日米同盟を含む各国との防衛条約の信頼性は失われるとい
 う“理屈”や、祖国再建のため黙々と働く南ベトナムの農民や労働者の姿は“絵”にな
 らないとして取材も放映もされなかった。こうして、ベトナム戦争は“間違った戦争”
 というイメージが広がり、米国は戦場で勝利したが国内の宣伝戦で敗れ、敗退を余儀な
 くされた。同じことはイラク戦争でも起こる可能性がある。戦争報道の偏向がイラクで
 も起こっているからだ。

テロ攻撃の発進基地を無くす

 最近の例がファルージャでの戦闘だ。米軍一万五千人とイラク治安部隊を投入して十一
 月七日から始まった米軍のファルージャ作戦はほぼ終了し、約千二百人の武装勢力が殺
 害され、約千人が拘束された。作戦は治安確保の点でイラクの民主化と再建にとって大
 きな前進だが、そのことは報じられていない。日本のマスコミの大半は住民の犠牲者や
 破壊された街の様子を中心に報道した。特にイスラム教徒にとり生命よりも大切とされ
 るモスク(寺院)の破壊などを指摘して、同作戦を批判的に報道した。米軍兵士が負傷
 して身動きできないでいる敵を射殺するというニュースも米軍の残忍さを示すものとし
 て放映された。ベトナム戦争と同じスタイルだ。マスコミの一部は「総攻撃を深く憂慮
 する」として、武装勢力やテロ集団の指導者がすでに他の都市に移動した可能性を作戦
 の失敗を示すものとして指摘するとともに、イラク国民の反米感情を一層あおったこと
 を強調した。相変わらずの反米、反戦視点の報道だ。

 本当にそうなのか。この点、多様なメディアが混在するアメリカの報道機関の一部は全
 く別の視点から同作戦を分析している。その一つが「ワシントン・タイムズ」紙である。

 同紙は米軍が同作戦に踏み切った理由の一つとして、同地がイラク民主主義の前進の節
 目となる来年一月の総選挙を妨害しようとする反米武装勢力の抵抗のシンボルになって
 いたことを挙げている。同地はフセイン政権を支えた約三十万人のスンニ派の根拠地だ
 が、反米そして反イラク暫定政権の武装勢力の“聖域”となっていた。今年四月米海兵
 隊が攻撃を開始したが、イラク暫定評議会員たちの反対で中止したからだ。それ以来、
 同地はバグダッドやその周辺地域へのテロ攻撃の発進基地となっていた。米軍の作戦中
 止に勇気づけられた武装勢力は同地を拠点にして、イラク暫定政府要員の脅迫や家族の
 拉致、外国人人質の殺害を行った。(米軍は人質殺害現場となった民家約二十軒を発見
 した。拉致殺害された香田証生さんのパスポートも同地で発見された)。狙いは治安を
 悪化させて総選挙を妨害することだった。

 アラブ諸国のメディアを通じて抵抗勢力は四月の作戦中止は“米軍の敗北”を意味する
 と宣伝した。同地の陥落はそれがウソであることを実証したわけで、抵抗勢力に与えた
 心理的打撃は計り知れない。

“聖域”失われテロ勢力は分散

 ファルージャで多数の抵抗勢力の兵士が殺されたことでテロリストの戦力は大きく低下
 した。指導者の多くは攻撃前に市外に逃げたようだが、手足となる兵士を多数失ったこ
 との打撃は大きい。

 最も重要なのはファルージャがイラクの反民主勢力の兵站、通信の拠点となっていたこ
 とだ。同地は北西方面ではユーフラテス川沿いにシリア国境に至る線をつなぎ、北東方
 面ではティクリット、バラド、サマラに至る線をつなぐ拠点となっていた。これら川沿
 いの線はシリアとイランからの昔からの密輸ルートであった。

 ファルージャの陥落で武装勢力は兵站、通信ルートを失い、沿線でのテロ活動基地の確
 保が困難となった。毛沢東が「戦略論」で述べているように、後背地を持たないゲリラ
 にとり不可欠なのは兵站と通信ラインの確保であり、これらなくしてはテロ活動だけで
 なく、兵士の訓練そして生存そのものも不可能となる。

 武装勢力は“細胞”として生き続けるので、各地での抵抗は続くが、確実な基地として
 残っているのはシリアとイランだけとなり、戦力低下は不可避だ。ファルージャの陥落
 で、兵器、地方政治勢力の支援、指揮命令系統の“聖域”が失われたことで、テロリス
 トは上部の指揮命令系統から遮断されて、バラバラの戦闘を強いられることになった。

 香田さんをはじめ多数の外国人拉致被害者殺害の拠点の陥落を日本人は喜ぶべきだが、
 そうならなかったのは“イラク戦争は間違った戦争”というマスコミが植え付けた先入
 感や反戦平和論ならびに六〇年安保以来の反米ムードが依然として多くの日本人を支配
 しているためだろう。世界日報  掲載許可
       Kenzo Yamaoka


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