1823.ユダヤ人と日本人について



ユダヤ人の分裂は次の世界を作ると感じている。昨日に続き、ユダ
ヤ人の次の動きを考察する。  Fより

ユダヤ人と総称しているが、2つの系列がある。アシュケナジーと
スファラッドのユダヤ人である。

「870.世界の見方について」でヘキサゴンさんは、次のような
見解を示している。
カソリックはアシュケナージのユダヤと仲がよい。
プロテスタントの右派は、スファラッドのユダヤと仲よい。
聖書に出てくる、キリストを殺したユダヤはスファラッドですから
、当然、ローマのカソリックは、スファラッド・ユダヤのシャロン
に反対する。アメリカのプロテスタントの右派はシャロンを応援す
る.

フランスやドイツにいるユダヤ人はアシュケナージが多い。国際派
と言われる人たちもアシュケナージですね。ソロスがいい例である。
このアシュケナージの出自は6世紀から9世紀まで栄えたハザール
王国のハザール人のこと。9世紀にユダヤ教に改宗して、ロシアに
流れ込んだ。その後、ポーランドから欧州全域に広がったようだ。

スファラッドはセム系であるから、白人のような背が高いスラット
した人ではない。欧州にも広がっていない。アジア、アフリカに広
がった。このスファラッドたちが、あの旧約聖書のユダヤ人である。

私達の祖先が日本から2万年前、大陸に渡ってインダス文明を作り
、ユダヤ人と改名され、かつ秦氏が2千年前に日本に帰還してきた。
そして、預言書は、2万年後の今、ユダヤ人の日本への帰還を言っ
ている。

この対象がスファラッドのユダヤ人である。イスラエルにいるシャ
ロンたちである。リクードを支援する厳格な正統派ユダヤ教徒たち
である。米国でブッシュを支援している人たちである。イスラエル
でイスラムと戦っている人たちである。または米国のニューヨーク
で小さな貿易商やダイヤモンド商を営み、黒いハットを被っている
色のあさ黒い小さなユダヤ人たちである。

アシュケナージたちは厳格なユダヤ教徒ではない。どちらかという
と無宗教に近い。フリーメイソンなどにいるユダヤ教徒もアシュケ
ナージたちが多い。欧州に同化している。民主党大統領候補ケリー
と同様、キリスト教に改宗している人も多い。

しかし、スファラッドのユダヤ人たちはそういう訳にはいかない。
ユダヤ教自体が民族の契約と救済をセットにしているために、この
ユダヤ教から離脱できない。そこに生きるしかないのだ。

そして、イラク戦争、拡大中東戦争でスファラッドのユダヤ人たち
は米軍と共に負ける。預言書が言っている。米国福音派は中東で、
最終戦争をするべく、このユダヤ人たちを神への生贄にしようとし
ている。最後の審判で敬虔なキリスト教徒だけしか生き残らないと
信じている。

このためにユダヤ人たちは、行き場がない。中東のイスラエルを追
われると、どこにいけばいいかを問われる。日本がこのユダヤ人た
ちを引き取る方向で、今からイスラエル・シャロンと交渉したほう
がいい。

現在、イスラエルのロシア系アシュケナージ・ユダヤ人たちは、危
機感を感じて米国やロシア、ウクライナに逃げ出している。この逃
げ場をソロスは、東欧に準備している。このため、東欧では民主化
という政治劇を演じている。この演じる金をソロスが援助している。

日本が米国のイラク侵略戦争にしぶしぶでも参加している意味は、
スファラッドのユダヤ人たちの逃げ場を日本にすることである。
小泉首相は意識していないが、この意味をしっかり認識してほしい
。米国ブッシュ政権にシッポを振っているわけではない。2万年前
の同胞を助けるためである。

そして、このユダヤ人たちを引き取ると日本が質的な意味で増強さ
れる。戦いのない日本は戦略性がないが、日常的に戦いに巻き込ま
れているユダヤ人達は戦略的な視点がないと生きていけないし、国
際派ユダヤ人たちとも関係緊密化ができる。この人たちと付き合い
ことで世界の情勢が手に取るように分かる。

このような人たちと手を組むことが世界の救済には、どうしても必
要なことになる。日本人の大らかさ、しなやかさとユダヤ人の緻密
さ、戦略性が結びつくことが世界の次にどうしても必要なことにな
っている。世界覇権も自動的に日本に移行することになる。

この視点が日本のトップに不足している。この人たちは我々の遠い
昔の同胞である。日本人はユダヤの失われた十部族とユダヤ人たち
はいうが、私の見解では逆である。ユダヤ人たちが日本から出て行
った人たちで日本に生還するのである。

日本の変革は2千年前の秦氏(ユダヤ人)の帰還と、今回のユダヤ
人たちの帰還で行われる。金融大国になるのも、世界の変革が起こ
るのも、このユダヤ人たちと日本人たちの融合によって、起こるこ
とである。

このことを伝えるために、このコラムを作ったように感じる。

とうとう、最後のときが迫っているために、子供のときから今まで
世界の救済を念じている時に、いつも感じている予言書の根本・真
理を述べねばならないことになったようだ。

1822.ユダヤ人の分裂
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/161127.htm
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絶望から再度の不死鳥へ      S子   

「一見逆説のようだが、逆説ではなくて真実である。文明の度が高
ければ高いほど、その民族の制覇は容易になり、低ければ低いほど
、その民族の制覇は困難になる。」(「ローマ人の物語 パクス・
ロマーナ 中 15」 塩野七生著)
このくだりを読んだとき、私は現在置かれている日本の状況、また
今現在米国が苦戦しているイラク戦争の実態がまっすぐに浮かび上
がってきた。

米国は軍事大国では世界を圧倒しているのは誰しもが認めるところ
であるが、その軍事力を支えてゆく経済力は消耗しつつある。今後
普通の大国として米国が生き延びてゆくとしてもあまりにも広大な
国土ゆえ、車社会構造からは米国は脱却できない。というか、その
車社会に支えられてこそ米国は成り立っている。そのために中東の
石油支配をもくろみ、ファルジャーでの戦闘行為(ほとんど意味を
もたない殺戮劇になっている)は、米国の捨て身の意地がかかって
いるように思われる。

米国による戦後の日本統治があまりにもうまくゆき過ぎたことに気
をよくし、ベトナム戦争での教訓を米国が生かしたのかどうかは定
かではないが、またもや懲りずに二匹目?のどじょうをイラクで狙
ったようだ。が、米国はここで文明というものを正しく理解してい
なかった。日本統治がうまくいったのは、何も米国流の民主主義だ
とか自由主義、個人主義がよかったからではない。それを受け入れ
る下地としての日本に精神性の高さがあったこと、文明が進んでい
たことによるものだったのである。文明が進み高かったからこそ、
米国を理解し受容することが可能だった。それを米国は誤解してお
り、戦後のめざましい日本経済の発展に米国の価値以上のものはな
いと勝手に判断した。

迫り来る石油資源の枯渇問題や双子の赤字増大による米国経済の消
耗、それに伴うドル機軸通貨体制の揺らぎから、米国は徐々に追い
つめられている。軍事力だけでは米国を支えることはもはや困難だ
と気づいた。普通の大国として生き延びるとしてもやはり石油は車
社会の米国には不可欠なのである。中東の石油支配さえできれば、
米国は世界覇権はできなくとも、それでもなんとか国家としての体
裁を保つことはできる。

しかし、イラクのように多民族であることやイスラム教であること
、そして文明が低いところでは米国を受け入れる下地ができておら
ず、反発はより強くなる。結局戦争をしてもゲリラ化、テロ化、泥
沼化してしまう事態に双方が陥る。米国はイラク戦争で経済の消耗
戦を強いられることになり、時間の経過とともに米国は徐々に衰退
してゆくように見える。

その米国に資金援助を惜しまず愛?をふりまく日本であるが、それ
を国際金融資本はうまく利用し、日本を解体、崩壊へと導いている
ように思える。ますます厳しい状況が見え、小沢氏が以前に言って
いたように「日本人は地獄をみる」のかもしれない。しかし、中途
半端に生ぬるい状況下で生きているのか、死んでいるのかもわから
ないより、地獄まで落ちて人は絶望したほうが真に覚醒するのかも
しれない。そこまでにならないと日本人は覚醒できないところまで
きており、絶望したからこそ初めて見えるものもある。再度の不死
鳥に返り咲くにはここまでの覚悟が必要だということかもしれない
。。。。。
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(Fのコメント)
今の日本は、1000兆円の国債があり、かつ国家経費の削減をし
ようとしている分かるが、できない状況になっている。1000兆
円で金利2%になると、20兆円の予算が金利の支払いで取らる。
国家予算80兆円で、20兆円の利子の払いとすると、60兆円で
国家予算を組む必要があるが、現在毎年、新しく国債を発行してい
る状況で、国債が減る方向ではない。

地方と国の費用分担もあいまいであり、このままの状態でいつまで
国家財政が持つか心配な状況になっている。この上に、国民の貯蓄
が減額方向になり始めている。そして、米国ドル暴落などの世界的
な動乱の様相を呈してきている。世界的な財政の破綻を引き起こす
可能性もある。

ODAは減少させているが、国連で常任理事国に中国の反対でなれ
ないなら、中国の国連供出額より少なくすることを、日本は宣言す
るべきである。「権利なくれば、負担もなし」の米国建国と同様な
ことができるはずだ。負担面と予算面から国連を見捨てることも必
要である。日本に権限がないものには、金も出さないことを徹底
するべきである。

国内でも、選別をすることが必要である。日本の国道の整備、河川
の整備などももう新たには必要がない。保守だけにする。それも、
最低限にする必要がある。都市空間の道路は整備が必要であるが、
これは利用者が多いためと世界からの投資を入れるため魅力度を上
げる必要があるためでだ。軍事費もロケットなど攻撃防御兵器への
シフトなど選択的にする必要がある。国会も一院制にするなど

このような大胆な予算の見直しがないと、日本の国家予算の破綻が
迫っている。

もう1つが財投であるが、こちらもどうしようもない。投資効率を
考えるべきである。エマージング国家投資で得た利益で国家財政を
賄いような大胆な案を取るしかないが、そのような案を取るような
官僚組織ではない。このように国家財政破綻が迫っている時に、世
界情勢もさし迫っている。

米国のドル崩壊に引きずられて、円も崩壊する危険性があるという
ことでしょうね。

しかし、日本国民は平和ですね。何も心配していない。これが私か
らすると不思議なのですが、日本人は日常の生活に充足感を持てる
環境にあるでしょうね。そして、円の危機も、日本人は危機の場に
ならないと気が付かないのでしょうね。それも危機を一過性と思っ
ている。ああー、それが心配ですがね。しかし、何事もなく、日本
では過ぎ去るのかもしてないですね。
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日本的な平和とは何かを読んで S子   

日本的な平和とは何だろうかと私たちが考える場合、島国、単一民
族、農耕民族、神道、多神教、仏教、そして四季があるという下地
がまず根底にあり、これが重要な要素を占めているように私は思っ
ている。

島国であるがゆえに他国が侵略して来さえしなければ、孤立した状
態が平和を存続させる。単一民族であるからお互いの思考や認識に
たいした相違は見られないから、相互理解しやすい。農耕民族であ
るから自給自足ができ、農耕してゆく中で自然の脅威を実感するこ
とで、人間の無力さを知り忍耐力、持久力も培われる。神道である
から全てのものに神を見い出し敬うことができる。鎮守の森の聖域
も自然保護の観点から人間の手が及ばないように配慮し、後世に伝
え残している。多神教であるからあらゆるものを受容できる寛容さ
がある。仏教による教えが日常生活に自然に取り込まれ、わざわざ
教えを請うことなくして身についている。そして、四季があるから
極端に言えば、北極の極寒も理解でき、アフリカの灼熱の暑さも
それとなく理解できる。わざわざ海外へ出向いて行かなくとも、
世界の気候は日本で体験できるメリットはある。

戦後は米国の価値が流入し日本的価値よりも優位とされたが、石油
エネルギーに保障された米国価値では今後の世界を生きてゆくこと
はできない。日本的価値が今日見直されているのも、それに不安を
抱く人々が増えたからではないのか。その要因は小泉政権の米国盲
従政策からきている。小泉政権の構造改革は日本式システムの解体
にあり、日本を米国の金庫と化すことにある。世界のグローバル化
は結局国家の相互依存体質をより密接にし、それをより強化させた
にすぎず、米国流の価値へと世界を引きずり込み、米国主導でます
ます世界経済を牛耳るような感がする。

少し話しがずれたが、こういった世界情勢の中で、平和とは何かを
考えるとやはり私たちが日常生活を当たり前に送る、過ごすことだ
と私は最近痛感している。要するに食しセックスし寝る。これが全
ての生き物の単純な基本である。ところが貨幣経済システムに人々
が生きるようになってから、この基本が崩れてきた。お金が目的化
してしまい、もはや手段ではなくなったことから、お金を得るため
に全てをこの貨幣経済システムに組み入れてしまった。

これにより食すこともお金を払いさえすれば出来合いの惣菜や弁当
、インスタント食品ですますことができる。味覚よりも満腹感が得
られたらそれでいいと納得する。だから食事に時間をかけることも
ない。会話も減る。コミュニケーションも希薄になる。弧食に繋が
る。食の素材も見えない。

長引く不況からもっとお金を稼がねばラクになれない、会社や企業
として生き残れないからもっと労働時間を増やさねばならないとい
う脅迫観念から24時間労働が参入される。労働者はパートやアル
バイト等の不安定雇用となり、不規則な労働時間を強制される。
これも不景気だから仕方がないと諦める。昼夜逆転の生活になり、
身体がおかしくなる。人が寝ている時間に働く不条理?からまとも
にセックスできない。夫婦間のコミュニケーションが徐々に阻害さ
れ、夫婦間の亀裂から家庭の崩壊に繋がる可能性も捨てきれない。

要するに何かに追われ、とりつかれて私たちはゆとりのない世界に
放り込まれている。精神的にも時間的にも金銭的にも余裕のない生
活を貨幣経済システムが生み出してしまった。貨幣経済システムは
人が生きる基本を排除させ、非人間的な生活を強いている。

そうして情報化社会やグローバル社会で、世界は短縮され、溢れる
情報とともに、私たちは生きる基本を粗末にしてもそれ以上に楽し
いことは世界にはたくさんあるのだと知らされてきた。私たちは
洗脳教育により疑いをもつことなく今日まできたが、地球環境問題
や石油資源枯渇問題の表出、9・11事件以降の世界の不穏な動き
、更には度々訪れる自然災害の脅威から危機感を抱き始めた。

そして、確かに生きる基本を粗末にしても楽しめるものはこの世に
たくさんあることも事実だが、私たちがそこで真に充足感を得てい
るかというとそうでもなさそうだ。次々と目新しいものに娯楽を私
たちが移しているのはなぜなのだろうか、ということである。そこ
では表面的な充足感はあっても心底からの充足感を得てはいないの
ではないか。ただ単に私たちが勘違いをしているだけではないのか。

これに対する明快な答えを阿修羅掲示板で以前にあっしら氏が述べ
ていた。「雨露しのげる住まいとうまい飯と「快」があればそれで
いい。」というような内容だったと思うが、これは非常に的を得た
発言だと私は思った。これさえ充足していれば何も人間は問題はな
いし、私たちの行動半径も小さくなる。所詮人間が死ぬまでの間に
生きてやれることは非常に限られており、この生きる基本の食しセ
ックスし寝ることで心底充足していれば、他に何も求めるものはな
いだろう、と私は思うわけ。

ところが現在のような貨幣経済システムの中ではこの基本がおろそ
かにされ、私たちは真の充足感を味わえないでいる。だからそれを
他に求めるのである。しかし、生きる基本さえ満足できないでおい
て、私たちは一体他に何に満足することがあるのだろうか。これが
重要な点である。

私たち日本人はよく繊細であると言われるが、この繊細さは一体
どこからくるのかというと、やはり精神性の高さ、それだけ大人で
あるということの証左でもある。では大人になるとはどういうこと
かと言うと、どれだけ他者を思いやることができるのかという度量
である。器の大きさはすなわち繊細さで決まる。より繊細で微細で
あるものが大人であり、それだからこそ他者を理解することができ
る。そしてこの繊細さや微細を得たものが生きる基本である食しセ
ックスし寝ることに充足し、そこに留まることができる。

要するに「足るを知る」である。しかしこれを理解できるのはおそ
らく日本人だけではないのかな、と私は思う。野蛮な文明の西欧人
には理解しがたいものかもしれない。日本人だからこそ理解できる
平和観かもしれないと私は思っている。
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「円」で、実物を買うというのはどうじゃろう? 虚風老  

 また、円高ドル安が仕掛けられようとしとるみたいじゃが、
もう、あほらしくなって、きたぞい。
90円を越すことを見越して、こんなんはどうじゃい。

10兆程の国債を出す。そして、直ちに全額を日銀が引き受ける。
これだけでも、相当インパクトがあって、円安に振れるじゃろう。
(金融規律を破壊するわけじゃからね)

そして、その10兆を、為替市場や、米国債ではなく、<実物>買
いに回るんじゃ。
実物は、レアメタルや、希少資源の権利、または、それの所有権と
することじゃね。
もちろん、基軸通貨はドルだけど、相対でなら、「円での支払」が
可能かもしれんじゃろう?円で買うところがミソなんじゃけどね。

当然、先方は、市場でドル等に替えるから、ドル買い円売りも起こ
る。やはりここでも、円は下落する方へ動く。

日本は、自国国債を発行して、日銀の輪転機を回し、絶対に値下が
りしないレア資源を確保できるしの。バランスシート上の問題も起
こらないというわけじゃ。
ここで、しないことは、支配権が確立できない株式は避けるという
ことじゃね。散々、対外投資では失敗しておるからの。たいてい巨
額の損金ばかりじゃ。

まあ、虚仮老の夢想じゃから、 金融の専門家からみた、問題点を
指摘してもらえればありがたいがの。
                        虚風老
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言霊の幸う国・失われた言霊思想   
   
 戦後の西洋化と奈良時代の中国化/大切な日本の価値観や伝承を消失
日本画家 鳥居 礼
言霊と陰陽の気が神話に共通

 アフリカのマリのドゴン族の創成神話には、上半身が人で下半身が蛇体のノンモという
 一対の生物が出てくる。これは始原神が自分の体に似せて創造したものという。ノンモ
 たちは始原神に、一対の完全なものとしてこの世に出現したという言葉を授かる。そし
 てこの言葉は八によって象徴された。これによって大地は言葉を持ち、その言葉は世界
 を秩序づけるべき役割を担っていたという。まことにすばらしい言霊(ことだま)思想
 が、言霊の幸(さきわ)う日本から遠く離れたアフリカの地に存在していたのだった。

 極めて中国化していた奈良時代にできた『古事記』『日本書紀』には、このようなすば
 らしい言霊伝承は存在しない。そのことを神道関係者は一考する必要があるだろう。じ
 つはドゴン族の伝承には、世界的な共通性が存在し、もともと日本にも記紀以前にはそ
 れらに共通する、いやそれ以上の言霊伝承が存在していた可能性がある。

 ノンモの体は半人半蛇であるが、中国における原初神の伏犠(ふっき)と女★(★=禍
 のネの部分を女)(じょか)という兄妹も同じく半人半蛇であり、インドにおけるナー
 ガとナーギニの二神も全く同様である。元来世界における蛇の図像は陰陽の気の回転運
 動を象徴する。下丹田にいてチャクラが覚醒すると回転上昇するという、インドヨーガ
 におけるクンダリーニの二匹の蛇も同類である。

 ドゴン族の別伝には

  神が言葉の力によって創造した、もっとも小さい物質(種子)の螺旋運動によって世
  界が生じた。

  世界の子宮である宇宙卵が、神の言葉によって妊(はら)んで神の子を生んだ。

という興味深い言霊思想も存在する。「もっとも小さい物質(種子)」とは、ノンモ伝承
と比較すればまさしく陰陽の気と考えられ、その気が螺旋回転運動をすることによって万
物を生み出したということができよう。それも言霊の力によって陰陽の気は生み出された。
我が国では始原神の言霊によって生み出された陰陽の二気を「メヲ」と称し、それは回転
する宇宙柱により、左右の回転をともなって生じたとされる。またそれらは★★(★=左
巻き渦巻き右巻き渦巻き)という螺旋の文様で示されるのである。なんという共通性であ
ろう。

 また原初の言葉が「八」という数によって象徴されたという伝承は、日本における原初
 世界を統治したという「ホトカミヱヒタメ」の八人の御子神の伝承と深い関係があると
 思われる。「ホトカミヱヒタメ」は後世「トーカミエミタメ」と訛伝(かでん)され、
 教派神道の唱え詞(ことば)として伝えられた。トホカミヱヒタメ八神が治めていた国
 は常世の国と称し、父の国常立(くにとこたち)が立てた世界は楽園である。常世の国
 を立てたことによって国常立とよばれる。

声名字で根源と実体説く空海

 インドでは早い時代から言霊信仰が存在し、言葉自体が神格化され女神ヴィーチとされ
 た。やがて祭式万能の時代になると、祭官の発する言霊の力が重要な意味を持ち、宇宙
 の最高原理であるブラフマンは、言葉そのものと見なされるようになった。古代バラモ
 ン教の『ウパニシャド』という教典にも「ブラフマンは叡智と見なすべきであり、叡智
 の本質は言葉である」「この世界、他の世界、そしてすべての被造物は言葉によって知
 られるのである。言葉こそ最高のブラフマンである」と説かれている。

 また古代エジプトにも、太陽神ラーの神霊をもつ秘密の神名を、魔女イーシスがうばう
 話があるが、これも言葉の中に独立した威力を見出す言霊信仰の一種であろう。

 たびたび述べるように奈良時代の日本では、すでに言霊に関する具体的な伝承はすっか
 り姿を消していたが、平安時代に至って真言宗の開祖空海が、大陸の密教の影響下にお
 いて言霊思想を語りはじめている。空海は四国の金刀比羅宮(ことひらぐう)近くで生
 まれたことにより、同宮に伝わる言霊の古伝に触れた可能性が考えられる。『声字実相
 義』の中で次のごとく述べている。

  宇宙を構成する地水火風空の五大には、みな響きがある。また地獄から仏界に至るす
  べての世界には言語がある。

  人体内部の呼吸や外部の風がわずかに発動すれば必ず響きが起こるが、これを名づけ
  て「声」という。響きは必ず声に吸因する。声はすなわち響きの本源である。声が発
  動して何も起こらないということはない。必ず物の「名」を現す。これを名付けて
  「字」という。この名は必ず物の実体を作りだす。これが万有の真相である。

 すなわち空海は宇宙の根源的な響きは声と一体であり、声によって名が生じ、その名は
 実体を生み出すというのである。

言霊の固有伝承消えた可能性

 しかし、この空海の説にしても、ドゴン族の言霊伝承や『聖書』の言霊伝承に比肩する
 ことはできない。では言霊の幸う国日本には、世界に比ぶべき言霊思想が存在しなかっ
 たのだろうか。

 周知のように戦後日本は西洋文化の極端な流入によって大切な日本の伝統的な価値観や
 伝承を失った。それよりもさらに過激な価値観消失や伝承消失が、中国化し中央集権化
 した奈良時代に起こったとしても全く不思議ではないだろう。さらに推測すれば、漢字
 ・儒学伝来、仏教伝来後に固有の伝承消失が起こった可能性が充分考えられる。
  (世界日報)掲載許可済み
Kenzo Yamaoka

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