1795.戦略の難しさについて



戦略の難しさについて  コーリン グレイ 
                    SUMMER1999
http://www.dtic.mil/doctrine/jel/jfq_pubs/0422.pdf
の省訳をお届けする。コーリン・グレイは奥山さんが師従している
先生のようだ。日本には戦争学、軍事戦略等を教える大学がない。

このため、奥山さんも英国に渡った。軍事戦略学が日本では疎かに
なっているし、世界状況を観察する視点もこの戦略学がないために
狂っている。隣の台湾情勢についても不安なことになっている。あ
まりにも政治的すぎる見方に偏っている。軍事的な考察が無い。
この点で、軍人のパウエル国務長官は冷静な判断で見ている。もう
少し、日本も軍事戦略学を構築する必要があると思う。日本のサイ
トで、軍事学をまともに取り上げて、それなりの質があるのは、こ
こでも引用した消印所沢さんのサイトだけである。   Fより

戦略学の性格上芸術的な要素を持ち、かつ21世紀の未知の状況を
勘案する能力が必要であるとこの論文で述べる。
そして、戦略達成のために傲慢さを感じることは、実戦経験のない
机上戦略家とハンニバルとの打合せの逸話として、もっともよく伝
えられている。

今世紀のドイツが戦闘に勝って戦争に負けると同じことで、ハンニ
バルは苦しんだ。第2次ポエニ戦争の全ての戦闘に勝ったが、悲し
いかなカルタゴは彼を評価せず、BC202のザマでのスキピオ・
アフリカヌスとの最後の戦いで敗れる。

この論文のテーマは、昔の戦略の格言「人が何もできないなら、全
ては不可能である」に現されている。1980年代に防衛ガイダン
ス誌に寄稿した時、「どこにでも行け、だれとで戦え、かつ勝つ」
なら、軍事的な基本資源は削減できるということを記述した。

私の主張を繰り返すと、柔軟に限界を乗り越え、戦術目標を捕まえ
、鮮やかに戦略組み立てられる人がいれば軍事的な基礎資源を削減
できるということだ。

戦略学の本当の賢人は、戦略自体が現実的な対象であるために実用
主義的である。知恵と見えるが難しい理論に実に慎重である資質は
、作戦上でも戦術上でも戦略上でも現実的には妨げとなる。このこ
とを示す2つの古典的な例がある。

クラゼウィッツによると、勝利を掴むには相対的な強い場所を無く
しても最高の場所を捕まえたときであるという。
1941年6月から1942年8月の間、ドイツをイメージすると
、最高の場所としてミンスクやスモレンスクなどの場所があるはず。
もう1つがベストな戦略が一番強いということ。ドイツは1941
年に赤軍を撤退的にモスクワへの道で叩くことに集中するべきであ
ったようだ。
そして、1965年東南アジアでの米軍、ウエストモアランド将軍
は、軍事的な目的を明確にする必要があったようだ。

20世紀には3つの戦争があった。2つがホットで、1つがコール
ドであり、2つはドイツがらみで、1つがソ連であった。正しい方
がどの戦争でも勝ったのは良かったが。

良い戦略が難しい理由は3つ:
@.それは非常に天性の物である。全て状況や時間に耐え抜く性格
  が重要である。
A.抵抗の根本の多様性と真の取り合わせを知ること
B.起こるかどうか分からない状況を計画すること。将来はまだ起
  こっていないこと。

戦略議論は楽観的になる。しかし、高い質の戦略パーフォマンスは
その複雑性だけではなく、現実に起こる事実よっていつも検証され
る。

中国の軍事研究家であるグリフィスは正しかった。1961年に「
非機械的な万能薬がある」とニューズウィークに報告した。ゲリラ
戦である。同時期に米国とドイツは機械的な万能薬として、高熱爆
弾を提唱しているが、これは間違っていた。このような機械万能の
間違えが往々にある。無線の利用、計算機の利用でも、戦争の霧は
晴れない。この不確実さがある限り、機械化で確実ということは無
い。

電子的機械的な兵器ができても、1世紀前の戦略家より今日の戦略
家の方が、勝利の効率を良くしたとは簡単に言えない。霧や状況の
地図は、探検家さえ失望させるような変化をする生きた地図なので
す。

モルトゲは「戦略は戦争行為における一般的な感覚の応用であり、
難しさはその実行面に存在する。」と言った。クラウゼウィッツは
「戦略のすべては非常に単純であるが、すべてのことが簡単を意味
しない。」と。なぜそうなのか??5つの理由がある。

1.戦略は政治でも戦闘でもない。むしろ、2つを結ぶ橋である。
  政治の専門家も軍事専門家も戦略の専門性を必要としていない。
  戦略家は軍事力と政治目的を関係づけなければならない。
2.戦略は、その性格上から危険なほど複雑さがある。すべての次
  元と要素が他の全てに影響する。戦略の考え方はその歴史の中
  にあり、このため、技術的に優れたために勝利を得たというこ
  とが言えない。
3.戦略家を訓練することは並外れた難しさがある。たぶん不可能
  かもしれない。戦略家は政治目的で軍事力を使うか脅しを掛け
  る専門家でなければならない。しかし、その政治目的を練り
  上げることもせず、戦闘を考えることもなしにである。
4.戦略で全てがうまくいくことは無い。実際的にうまくいかない
  時の方法を考えておくことが必要である。
5.認識下の抵抗、意志、スキル、知能的な手段や抵抗する敵が衰
  えたことが臨界点となる。アンドリュー・ビューフレが戦略を
  軍事の芸術としたこと、もう少しはっきりと言うと、2つの勢
  力が軍事的に問題を解決するための芸術としたことです。この
  ときに新しい戦略手段ができて、敵が襲い掛かってくる可能性
  がある。

この記述は元からやり直すことを意味する。戦略を難しいと認識す
ると、うまく達成できない。実際的な戦略は不確かさの中で、決定
されねばならない。

実際の戦闘の前に、だれも軍事力をどう使うと効果的かを知ること
はできない。軍事行動後に独創的であったと分かるのみである。
3つの関係の潜在的な緊張を認識することが重要である。1つが政
治家と指揮官、もう1つが現地指揮官と軍事計画者、最後が指揮官
と理論家である。それどれの役割があり、その役割がぶつかる。

戦略が難しい理由の多くは3つ関係者の要求を包含することが難し
いことによる。戦略を成功させるために
1.軍事力行使が、有能な各機関の意見を集約した論理的な帰結で
  なければならない。
2.軍事的な量の確保と高い政治性を持った戦略的な効果を備えた
  軍事力行使であること。
3.政治目的と結びついた軍事対象を絞って、強力に使用すること
  が必要である。

将来は予測できないが、我々は信頼できる軍事関連組織を持たなけ
ればならない。戦略を磨くには、歴史を読むことが常識的な感覚を
育成できることである。この常識力が重要である。それしかできな
い。そして敵を倒す効果的な方法はない。優雅に勝とうとしないこ
とが勝つことになる。            (了)

米国、英国など欧州では軍事学が大学教育に入れられている。しか
し、日本ではこのような学問分野がない。軍事技術は防衛大学で教
えればいいが、戦略学は政治家にも必要である。一般の大学でも教
えるべきである。
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軍事板常見問題http://mltr.e-city.tv/index02.html
軍事学とは何なのですか?  (転載)
 どうして軍事は趣味のカテゴリーにあるのですか?
http://mltr.e-city.tv/faq12.html#military-science

「軍事は,外交・経済・運輸・教育などと並ぶ国家行政機能として
の要素を持ち,軍隊(軍事力)を維持・管理し,戦争に際しては,
政治が命ずる使命に対してその保有する力をどのように行使するか
という作戦・用兵機能としての要素を持っている.
 単純にいえば,軍事学とは,これらの要素(分野・機能)を持つ
軍事に関する学問と言う事になる.」(防衛大学校・防衛学研究会
『軍事学入門』かや書房)

 つまり軍事学とは,軍事にかかわる学問の総称であり,また,
狭義の意味では上の軍事力の運用(戦略・戦術)の研究であるとい
うことになります.

   ┏哲学━軍事(戦争)哲学
学問━┫
   ┗科学┳経験科学━┳自然科学的軍事学━軍事地理・気象学,兵器学....
       ┃       ┃
       ┗先験科学 ┗社会科学的軍事学┳普遍的
                      ┃軍政学,用兵学,リーダーシップ...
                      ┃
                      ┗個別化的 軍事史(戦史) 

 日本では趣味に分類別けされやすいのは,学問的教養・専門的職
業として軍事をやっている人間が,ごくごく少数だから.
そこで,例えば

第二次世界大戦時の軍艦の性能に関する知識は「実用」じゃない⇒
「実用」でないなら「趣味」だという扱いにされがちなのだと思わ
れる.

 ただし,日本の大学における<学部・学科制>の枠組みと似たよ
うな形式での「戦争学部」や「軍事学科」は,米国には存在しない.
米国の大学における「軍事教育」は目的や内容,組織の面において
非常に多様である.もちろん米国には,外交官として,国防政策の
専門家として,安全保障の研究者として,軍事史学者として,ある
いは単に軍事に興味のある一学生として軍事を学ぶのに必要な場は
提供されている.
米国の大学では「(広義の)軍事学」は3つに区分されて,それぞれ
の学科等で学ぶことになる.
(1)士官養成を目的としたROTCの「(狭義の)軍事学=military science」
(2)政治学科で開講される,国際政治学の一部としての「安全保障論=security studies」
(3)歴史学科で開講される「軍事史=military history」
http://tokyo_univ_whr_club.tripod.co.jp/NO38.doc

 軍事学は職業教育としての側面と,教養教育(即ち人文学・社会
科学)としての側面の2つがあります.
 一般大学で軍事学を教えるという仮定なので,必然的に教養教育
としての軍事学ということになるんでしょうが,この場合,他の伝
統的な学問分野の基礎なしに軍事という複雑な分野を学生に教授で
きるのかという疑問を私はもっています.
 つまり,歴史や政治などに関する深い理解なしにいきなり軍事を
学生に詰め込んだとしても軍事偏重型のアンバランスな学生を育て
る結果になってしまうということです.
 これは誰が見ても望ましいことではありませんよね.

次に,仮に軍事学科を設けたとしても卒業生が就職できないようじ
ゃせっかく独立した学科を開設した意味がありません.自衛隊に行
くといっても,軍事学科生は職業教育ではなく教養教育としての軍
事しか学習していないわけですし,防衛産業だってそんな学生より
は工学部出の人間を採りたがるでしょう.
 アメリカのROTCは独立した学科じゃないのか?と思う人がいるか
もしれませんが,あれは日本の教職課程と同じで正規の課程ではあ
りません.ROTCとは別に正式の専攻が必要とされてます.
 これはただの笑い話のように聞こえるかもしれませんが,実を言
うとかなり重要な示唆を含んでいることなのです.というのも,就
職先がないということは,一般大学で職業教育でもない,伝統的な
学問分野の一部でもない軍事学を講ずる意味があるのか?という問
題を反映しているからなのです.

 私が思うに,シビリアンが軍事を学ぶ意義というのは,歴史や政
治を軍事の視点から見られるようになるため,別の言い方をすれば
歴史的・政治的な文脈の中で軍事を捉えられるようになるためでは
ないでしょうか.
 軍事に専従するのはそれが自らの職業である軍人だけですからね.
 シビリアンはむしろより大きな視点から軍事を見るべきであって
,その方が市民として国家や政治のあり方を考える際に有益でしょ
う.
 というわけで私は軍事は歴史学・政治学などの一部として教授さ
れるべきだと思ってます.

 ロンドン大学キングスカレッジには「戦争学部Department of War 
Studies」なるものがあるようです.
 なんでも,創設者はあの戦略家リデル・ハートで,「平和を欲せ
ば戦争を知れ」とのモットーから生まれたとか.
http://www.kcl.ac.uk/depsta/warstu/index.html
 ただ,イギリスの制度に関しては無知なので具体的な話はできま
せんが,HPを見て思ったのは,Dept. of War Studiesは「戦争学部
」ではなく,「人文学部・戦争研究学科」と訳すべきではないのか
,ということです.

U. of London>King's C.>School of Humanities>D. of War Studies
という組織構成なので,決して独立の学部ではないと思うのですが.

人文学部にあることから分かるように,軍事学と言っても人文学系
のカリキュラム(軍事史・思想・哲学)を取っているようです.
 ただ,範囲はアメリカの歴史学科にある軍事史講座より広いよう
で,歴史学・国際関係論から社会学・心理学,更には哲学まで動員
して,戦争と言う現象を学際的に教授・研究すると書いてありまし
た.人文学を軸にした総合的な軍事学ですね.

 この学科と,イギリスの外交・国防当局とのつながり自体はある
ようです.授与する学位を見てみると,BA/学士(戦争研究)の他に
,実学系のMA/修士(戦争研究,国際安全保障論,国防研究)と,学
問研究系のM.Phil./修士とPh.D./博士(共に戦争研究)があるので
,専門家養成と学問研究の両方に対応した体制と取っているようです.
 ただ,学士レベルのカリキュラムを見てみたのですが,人文学部
なのでアメリカのプロフェッショナル・スクールのような現代の喫
緊の課題を扱った科目は少なかったです.完全な実学系だとは言い
切れませんね.

 アメリカの例にしろイギリスの例にしろ,改革のモデルとして参
考にする場合は日本の大学制度との違いを考慮しないといけません.
アメリカの場合,プロフェッショナル・スクールという専門家・実務
家を養成する制度が確立されており,なおかつ需要があるからこそ
,安全保障論の分野での軍事教育が盛んなのです.
 また,学部・学科制ではなく,専攻制という柔軟な制度があるお
かげで,(職業的需要のない)教養教育として軍事史や安全保障論
を開講しても,歴史学・政治学専攻の学生と他専攻の学生を掻き集
めることができるわけです.
 ROTCの特殊性については言うまでもありませんよね.

 イギリスについては自信を持って言えないのですが,1つ注意しな
くてはならないのが,イギリスの大学には一般教育課程が無くいき
なり専門課程に入ってしまうということです.
 それは,高校までの段階で人文学を中心とした教養教育が行われ
ているために,大学ではいきなり専門を教授するのです.
 だから「戦争研究学科」という軍事学に特化された学科があって
も,学生は既に様々な分野に関する幅広い教養を有しているので,
いわゆる軍事偏重型の「専門バカ」にならずに済むわけです.
 実学よりも人文学を重視したカリキュラムになっているのも,「
専門バカ」を養成しないための工夫かもしれません.
 それに,イギリスの場合,需要がないせいなのかKing's College
以外で軍事学を教授している大学というのがないのでは?
ということはKing's Collegeの例をもって「イギリスはこうだ!」
と考えてしまうのは,例外的な事実を以て一般論を述べているよう
であまり日本における軍事教育の参考にはならないと思います.
(Private 3rd Class Nanashi)

 KCL(King's College, London)に行ってた知り合い(現在LSEにい
ます),から聞いていた話は,講義の組み合わせという点では,「な
ぜ兵士は敵を殺すのか」といったことを哲学的に議論・考察する授
業が必修のような感じであるそうで,そうした哲学的な考察を軍事
研究に際しても加えるのは英国の伝統だそうです.
その辺りは人文的教養を重視する英国らしさみたいなものを感じま
すね.

 英国における人文教養の重視というのは,専門馬鹿の回避という
目的でなされてるという風にも言えますが,多分底流としてあるの
はあの国特有のアマチュアリズムの様なものだと思います.その一
つが将来的な専門とは全く異なる,中世史とか哲学とかを深く研究
することによって視野とか判断力を涵養するという伝統で有るよう
に聞いています.

ただ,最近は英国でもそうした伝統はかなり失われてきているのか
,KCLでも歴史研究より,現代的な軍備管理とかのテーマの方に人気
が集中しているようだとその知り合いの人は言っていましたが.

 カレッジに関しては私も詳しく知っているわけではないです.イ
ギリスの大学制度はややこしく,特にオックスブリッジはかなり特
殊なようですので(典型的にはすべての教官・学生は大学に中心の
教会から,3マイルとか5マイル以内への居住が義務づけられている
とか,カレッジと学部の教育の分担とか)一般化しにくいのですが
,ロンドン大とかウェールズ大などのカレッジ構成を見ていると,
UCLA,UCSD,UCB などのカルフォルニア大学群のあり方と似ている
感じはしますね.(某古都)

 当たり前のことなんですが,イギリスの事例を見るに,アメリカ
以外にも個性的な大学教育のモデルは幾らでも存在するのだなと感
じます.
 これから,日本の大学でも(時代の流れで)安全保障や軍事史な
どを教育・研究することが増えるのでしょうが,その際どのような
在り方を目指すのか―実践的な専門教育か,教養としての人文教育
か,など―が必ず問われるでしょう.
 その時,日本の大学はどんな理念を示せるのか,仮に外国の例を
参考にするとしたら,どのような目的の下どの国を参考にするのか
,といった課題に対し日本の大学が答えを見つけられるのか,気に
なるところです.

 今(2001年現在),日本で国際政治を学ぶのに一番いい大学は,
青学の国際政経らしいです.
一昔前までは東大国関を定年退官した大物研究者(永井教授とか渡
辺教授とか)を集めている感じでしたが,最近は若手研究者を自前
で揃えているようで,「実績のある重鎮も気鋭の若手も」という姿
勢で覇気があっていいですね.(Private 3rd Class Nanashi)

 拙の卒業した某国立大学では,生産工学の授業で,経営の成功例
としてB-29を,失敗例としてB-36を挙げていた.
「先生,B-24の方が・・・」とつっこみたかったが,言えなかった.


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