1786.戦後民主主義純愛派世代と木村コラム



・ 戦後民主主義純愛派世代
                                     十返舎玉九
  以下にお目にかけるのは、何人かの方のご意見を不肖・得丸がまとめたも
のです。もし誰かに作者を聞かれたら、昭和35年前後にうまれた「戦後民主主
義純愛派」が何人か集まって話し合った結果をまとめた、とでもご説明くださ
い。

  昭和35年前後にうまれたわれわれの世代は、高度成長期の安定した経済状
態だけど、バブルの浮かれた気分が世にはびこる前に育ちました。マイクロソ
フトのOSにたとえるならば、戦後民主主義のヴァージョン3.1で、実に安定し
た戦後民主主義世代です。

  さて、7月のアーミテージ発言、8月のパウエル発言は、日本が民主的な手
続きで憲法第9条を改正するよう求めるものでした。アメリカ国務省の助言あ
るいは要請に対して、誠実で迅速な対応をとるのが日本の民主主義であるはず
なのに、憲法第9条を守ろうという立場での意見しか論壇では目立ちません。

  国民の大多数は、日本の憲法は一番すばらしい、平和憲法が大切だと、子
供の頃から刷り込まれているのだから、憲法擁護以外に思いつかないのはわか
ります。

  でも、学者や政治家など専門家はもう少し議論の材料を提供してもよいの
ではないでしょうか。憲法改正は難しいからどうせ無理だ、そのうちアメリカ
も忘れてうやむやに終わるとでも考えているのでしょうか。アメリカが押し付
けた憲法なのだから、その不都合に文句をいっても自業自得だ、日本人からは
改正しないぞと思っているのでしょうか。わざわざ自分が猫の首に鈴をつけ
る、憲法論議の先鋒をつとめるのは嫌だと思っているのでしょうか。それとも
日本を代表するエリートたちですら、もはや論理的な思考のできない思考不能
状況にあるのでしょうか。

  小泉首相が国連常任理事国入りを希望する演説を空しくおこなったのは、
そのための布石だったのかもしれませんが、憲法第9条はそのような小細工で
改正できるものではないと思います。

・ 現行憲法第9条を最大限尊重した改憲

 そもそもどのように改正を行うのがベストかについて、議論が十分行われて
いません。これまでの多くの議論は、憲法全面改正でしたが、今となっては、
アメリカの意向を尊重して、第9条にかぎった改正が必要だと思います。

  いろいろな準備が水面下で行われているかもしれませんが、この際、ズバ
リ、憲法改正法案のたたき台をつくってみて、それを参考に具体的な改正案に
たどりつくのが、一番の早道ではないでしょうか。憲法全体を議論するのは、
たいへんな作業ですので、アメリカの求める第9条だけの改正にかぎって、現
在の条文を最大限尊重した形での改正案にしたつもりです。

 以下は序文と条文の二部構成になっています。序文は説明資料であり、現行
憲法のように序文条文をセットにする必要はありません。

 ただ、戦後の日本がおかれた特種植民地的な状況、第二次世界大戦のとき、
ナチスドイツに協力する政府として中部フランスのヴィシーにおかれた政権の
ような政権が60年近くも続いている状況を、国民が理解する必要はあります。
それなしには、憲法第9条、自衛隊、両者の矛盾を理解し、改善していくこと
なるできないでしょう。

 憲法第9条は、原爆投下に対する日本の報復を恐れたアメリカが押し付けま
した。一方、警察予備隊(=今の自衛隊の前身)は、朝鮮戦争時にアメリカの
極東防衛の下働きをさせるために創設され、今もそのような装備と運用状況で
す。
また、さまざまな規制緩和が行われてきたこの10年というもの、日本は、アメ
リカの属国としていいなりになっています。

 これらの冷徹な現実を広く国民が認識することはたやすいことではありませ
んが、必ずそれを理解する必要があります。そして精神の独立、さらには国家
の独立を回復する必要があります。

 憲法9条を守れといいつつ、一国平和主義にしがみついているだけでした
ら。自国の安全保障について何も考えない奴隷の立場に満足しているのと同じ
です。

  憲法第9条改正問題は、国民を二分する争点にしてはならないと思うので
す。自衛隊が合憲か違憲かという議論は、不毛な水かけ論でした。

  戦後日本を生きた日本人は、すべて同じ時代をいきてきました。きちんと
背景を説明すれば、きっと共通の歴史認識、共通の愛国心が生まれる余地があ
るでしょう。そのための憲法改正案を条文にまとめてみました。

 最大公約数的な条文を求めたため、自衛隊を正式な軍隊として認める文言は
取り入れていませんが、今までの条文で問題がなかったのだから大丈夫でしょ
う。自衛隊の皆さんに許していただけるでしょうか。ちょっと心残りです。い
い文言があったら教えてください。

・ ふたたび人柱を立てないために

 昨年11月末の2人の日本人外交官惨殺は、イラクへの自衛隊派遣の閣議決定
を導きだすための人柱の役割を果たしました。もしかするとアメリカの仕業で
あり、もしかすると日本の外務省も事前了解していたかもしれません。

 今のまま、ずるずると何もしないでいて、あせったアメリカ国務省や日本の
官僚が、サマーワで新たな人柱を建てようなどと考えては困ります。そのため
にも、国民の大多数に受け入れられる憲法改正が、あるいはそのための議論が
必要です。

 この法案をたたき台にして、きちんと法制的な検討を行って、20人の議員の
賛同を得て、議員立法にかけることはできないでしょうか。少しでも議論が深
まることを期待します。


***** 日本国憲法第9条停止法案(憲法改正案)について *****

 1945年8月から1952年4月までのアメリカ合衆国による軍事占領下で日本国憲
法は定められた。その第9条には、戦争放棄、戦力不保持がうたわれている。

 日本国憲法第9条■ 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実
に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛
争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
■ 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
  
 軍事占領終結と同時に日米安全保障条約が締結され国内にアメリカ軍が駐留
したため、日本は完全に主権を回復しているとはいえない。しかしながら、形
式的とはいえ主権を回復した日本が、軍事占領下で制定された日本国憲法を廃
止あるいは改正することなく今日まで保持しつづけてきたのは、日本人が憲法
第9条を自らの基本法として受け入れたからであり、それはそもそも日本人が
平和を希求する国民だからである。

 日本は、有史以来平和な国であり、日本人は、平和を愛する国民であった。

 国外への軍事進出および領土獲得を行った記録としては、4世紀から6世紀
まで朝鮮半島におかれた任那日本府、16世紀の朝鮮出兵、19世紀末の日清戦争
(と条約による台湾割譲)、20世紀初頭の日露戦争、1910年の朝鮮併合、1932
年の満州国建国への関与、その後の大東亜戦争しかなく、また、外国勢力によ
る本土攻撃は、失敗に終わった13世紀の元寇と20世紀のアメリカ合衆国の航空
攻撃による沖縄占領作戦、本土焼夷作戦と広島・長崎への原爆投下以外にな
かった。また、国内で長期にわたる戦争が行われたのは、16世紀の戦国時代を
おいてほかにはない。江戸徳川時代から、明治新政府に移行する際に、江戸で
幕府軍と新政府軍の間の戦闘が起きることも考えられましたが、西郷隆盛と勝
海舟の話し合いによって、無血開城がなされたのでした。

 日本人は今もなお平和を愛する国民であることに、変りはありません。

 しかしながら、21世紀の世界は、大量破壊兵器の存在や大規模破壊活動に
よって、一国だけの平和を享受できないのです。平和を愛好する日本人は、世
界の平和と安定のために貢献しなければなりません。そのために、日本国憲法
第9条を一定の条件のもとで停止すること必要があるのです。

 これまで日本において用いられた憲法は、聖徳太子の17条憲法にはじまり、
鎌倉・室町・江戸時代におよぶ700年にわたって北条泰時の御成敗式目、明治
時代に制定された大日本国憲法にいたるまで、一度として改正手続きが行われ
たことはありません。

 このたび、第9条を一定の条件のもとで停止することを日本国憲法の改正手
続きにしたがって定めますが、これにより、多くの国民が日本の今日おかれた
立場をただしく理解し、よりよい未来のためにますますの努力と精進を行うこ
とを期待します。


日本国憲法第9条停止法案

第1条 日本国憲法第9条の戦争放棄と武力不保持は、以下の場合に限って、停
止できるものとする。

■  わが国が、大量破壊兵器や大規模破壊活動による攻撃を受けた場合、兵
器を使用した国や大規模破壊活動を行った集団が拠点とする国に対して、わが
国の武力を派遣し、新たなる兵器の使用または新たなる破壊活動を予防するこ
とができる。

■  わが国が軍事的な同盟を結んでいる国が、前条に掲げる大量破壊兵器に
よる攻撃や大規模破壊活動を受けた場合には、同盟国の求めがあれば、わが国
の武力を国外に派遣し攻撃の予防任務につかすことができる。

第2条 本法案は、各議員の総議員の3分の2以上の賛成で、国会がこれを発議
し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国
民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を
必要とする。

第3条 前条の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、日本国憲法と一体を成
すものとして直ちにこれを公布する。

以上
==============================
ひさしぶりにおもしろい本を読みました。



きまぐれ読書案内 関岡英之著「拒否できない日本 − アメリカの日本改造
が進んでいる」(文春新書、2004年)

1 ハマコーの教えてくれたこと

・ なんだか暗い話題ばかりの秋

 10月になって半月が過ぎたのに、晴れた日は3日しかなかったそうな。去年
は8月が雨ばかりだったけど、今年は10月が雨の月。異常気象だ。
 しかし異常気象、温暖化と、人は口にするけど、誰も生活を改めない。改め
たくても簡単には改めることができないほど、がんじがらめに現代消費文明に
からめとられていきているのだ。
 原油価格も、55ドルを越えた。今年あたりが石油産出量のピークであるとい
うことは、かなり前から言われたいたことだけど、とうとう石油枯渇が現実の
ものになってきた。石油文明、自動車文明、大量輸送文明、グローバル化は、
風前の灯し火かもしれない。
 各地で起きる殺人事件や強盗事件、若い人たちの集団自殺、幼児虐待や家庭
崩壊。暗いなあ。
そして次々と外資系になっているサラ金や銀行や保険会社。ダイエーよお前も
か。
 そんな暗い話、夢のない話はなるべく考えないようにして、スポーツや芸能
の話をつかの間の明るい話題としてうつつを抜かそうよ、という生き方もあ
る。テレビはそう教えている。戦後日本ではそれが特に世知に長けた生き方と
して根付いてしまったようだ。
 だからこんな植民地国家になっても、みんな平然としていられるのだろう。

・ ハマコーの教えしみ入る秋の雨

 10月8日、新宿でハマコーさん、政治活動家浜田幸一さんの講演会に出席し
た。
講演はいきなり、「皆さん、この国は国家ですか。国家と思う人、手を挙げ
て」と始まった。「国家ですよ、だってあなたは国会議員だったじゃないです
か」などという不真面目な回答には食ってかかって、「マジメに答えろ。私は
今の日本は本当に国家と言えるかと聞いてるんだ。アメリカの植民地、属国
じゃないか。いいですか、これから関岡英之という人が書いた記事を読みます
よ。誰か読んだことある人、手を挙げて」
 関岡は、郵貯民営化や産業再生機構、各種規制緩和など現在日本で行われて
いるさまざまな改革や仕組みが、ことごとくアメリカの「年次改革要望書」と
いう公式文書によって指示されたものであり、アメリカの利益のための改革で
あるといっているそうだ。
 建築、金融、保険、法曹、通信、建設など、ありとあらゆる分野で、アメリ
カ企業が日本で利益を得るための仕組みを作るのが、小泉改革をはじめとする
この10年の改革の実体であり、それらはすべてアメリカの外交文書「年次改
革要望書」によって、1994年以来、毎年アメリカ政府によって日本政府に示さ
れ、二国間でその進捗状況について定期的に確認作業が行われているというこ
とを関岡は報告している。

 不勉強な私は、関岡英之を知らなかった。
 さっそく、関岡英之著「拒否できない日本 − アメリカの日本改造が進ん
でいる」(文春新書、2004年)を買って読んだ。

・ アメリカの属国たる日本

 この本を書いた関岡英之さんは、昭和36年生まれ。私より2年若いが、ほぼ
同世代といえる。東京銀行に14年間勤めた経験をもつ脱サラ経験者だ。
 この人の文章は明快で、段落も短くそれぞれに小見出しがついており、実に
読みやすい。文春新書(735円)を買ってぜひ読んでいただきたい。評論家の大
森実も、この本を絶賛している。
 現代日本は、アメリカの植民地だ。
 自分勝手でご都合主義の不良アメリカ人たちがのさばり、働かずして日本の
資産をむさぼり、汗を流さずして不当な利益を得る空間となっている。アメリ
カ政府は、臆面もなく身勝手で理不尽な要求を次から次へとつきつけてくる。
そして、日本の官僚も政治家も、唯々諾々とそれに従っている。
 読んでいて辛くなる。ハマコーさんが、嘆き悲しむのももっともである。

2 戦後の日本人が失ったもの

 読み終わって、私の一番の疑問は、どうして日本人はこのような植民地的な
状況にあっても、プロ野球のイチロー選手の活躍や球団の合併や新設の話題に
うつつを抜かしているのだろうかということだった。どうして関岡さんと同じ
思いの人がもっとたくさん現れないのだろうか。
 戦後の日本人がどうして腑抜けになったか、何を失ったかについて考えてみ
たい。

・ 憲法論議は不毛か

 実は、ハマコーの前座(?)は、西元徹也元防衛庁統合幕僚会議議長と評論
家の櫻井よしこさんだった。
 西元氏は改憲論者だと思っていたので、この夏の米国務省のアーミテージ次
官、パウエル長官による憲法第9条は改正されるべきだとする発言をどう受け
止めておられるか伺えると思っていたのだが、残念なことに何も発言されな
かった。逆に、西元氏は講演の中で、何回かにわたって「憲法論議は不毛です
から立ち入りません」という発言をされた。

 たしかに、いわゆる憲法論議は、自衛隊は違憲か合憲かという、永遠に結論
の出ない水掛け論であり、結論を出したとしてもなんら現実を変革することに
つながらない不毛な議論であった。
 しかし元防衛庁のエリートが、不毛だからと憲法論議をさけるところに日本
の悲劇がある。憲法論議を不毛でなくすればいいではないか。そうでないと憲
法の条文から逃げているとしか思えない。
 
 憲法論議はこれまで、第9条の条文と自衛隊が矛盾するのかしないかという
言葉と現実の関係性を○か×かで評価することだった。これはたしかに不毛
だ。
 だから憲法論議をやめるのではなく、不毛でない憲法論議が必要なのだ。な
ぜそのような矛盾している言葉と現実が戦後日本において、50年以上も存続し
てきたのか。その「理由」あるいは「背景」の存在論的に問うべきだった。

 そのように問うてみるときに、ズバリ、「憲法第9条も、自衛隊も、日本が
アメリカの占領下にあるときに、アメリカが一方的に日本に押し付けたもので
ある。」という答に出会えるのだ。
 矛盾しているのはアメリカの占領政策であって、日本人ではない。日本人は
その矛盾した存在を占領終了後も押し付けられて苦しんできたのだった。
 もちろん、日本人が8月15日を終戦記念日と呼んで、敗戦記念日と呼ばない
ように、日本人自身が敗戦とその後の占領政策の現実から目を背けてきたこと
も否定できない。

 今、われわれは、アメリカがずるいずるいと騒ぎたてるのではなく、これを
きっかけとして日本が戦争に敗れたことの意味について、じっくりと考えてみ
るべきなのだと思う。

・ 思考を奪われた: ものごとを真剣に考えないことが世渡り上手

 憲法第9条の条文を、仮に小学生や中学生がじっくりと読んで、自衛隊の現
実存在に目を向けたとすれば、おそらく10人中10人が自衛隊の存在は憲法に違
反していると思うのではないだろうか。
 もし、そう思わない子供がいたとしたら、よほど国語力がないか、子供の割
りによほど世知に長けているかのどちらかだろう。
 大方の成人した日本人は、憲法の条文と自衛隊の存在については、合憲と考
えるか、あえて深く考えないで、論評しない、立ち入らない道を選ぶ。
 西元氏のように、憲法論議は不毛だから避けて通るというのが大人の振る舞
いというわけだ。

 昭和天皇が戦後も天皇であり続けたことの是非にはじまり、自衛隊と憲法第
9条の矛盾、さまざまな社会の矛盾や諸悪の根源に対して、疑問をもたない精
神構造になってしまった。あるいは、責任の所在を明確にしない風潮がすっか
り出来上がってしまったようだ。
 現実の矛盾から目をそらして、深く突き詰めて考えないのが大人の振る舞い
だとばかりに思考放棄する日本人が増えたのだ。
 これはアメリカの責任もあるが、戦争に敗れてPTSD(心的外傷後ストレス障
害)の状態のまま、社会を運営してきたことのツケが回ったのだといえる。日
本をPTSD社会にとどめたのはアメリカの責任か、それとも自分たち自身の責任
か。胸に手をあててよく考えてみよう。
 われわれにも責任はある。

・ マスコミは信用できない

 新聞報道もテレビ報道も、社会派ぶった報道の直後に、野球やサッカーの話
題に興じて平気である。どんな悲惨なニュースも、国民に問題を投げかける
ニュースも、直後に明るいスポーツの話題が出されて、思考停止となる。戦後
日本においては、憲法や教育改革によって思考停止状態が生まれたが、テレビ
という装置がますます人間から思考を奪いとっている。
 新聞を読んで、テレビのニュースを見て、真実がよりわからなくなるのが、
現代日本である。

 関岡氏の本によれば、新聞やテレビが騒ぎたてるのは、たいていアメリカが
騒ぐように誘導したり指示したときである。つまり、アメリカのための世論誘
導をしているのが日本のマスコミということだ。
 靖国問題や教科書問題、大東亜戦争の評価をめぐる政治家の発言に目くじら
をたててさわぎまくってきたのは、マスコミもPTSDにかかっていたということ
もあろうが、それ以上にアメリカのいいなりに動くようにしつけられているの
が戦後日本のマスコミなのだ。

・ 歴史も文化も祭りも奪われて

 GHQの占領改革は、旧制高校のエリート教育をつぶし、漢字を排して国語
教育を骨抜きにし、神社や町内会を目のかたきにして祭りや地域共同体を破壊
し、そして厳しい検閲を行うことで表現の自由を奪い、教科書を黒塗りするこ
とでわれわれの歴史を奪ったのだった。

 こうして、われわれは、歴史も、文字も、祭りも、エリートも、誇りも、歴
史の記憶も奪われて、アメリカの植民地で奴隷のように生きてきた。

3 「菊と刀」の忘れ物

 アメリカの日本占領政策の参考とされたのが、ルース・ベネディクト著「菊
と刀」であることはよく知られている。
 生涯を通じて一度も日本にきたことのなかった文化人類学者ベネディクト
は、日本人強制収容所に収容された日本人たちからの聞き取りを通じて、西欧
の価値観とはまったく逆の価値観をもつ日本社会に独特のルールを明らかにし
た。
 今、この本を読むと、戦前の日本社会が、いかに生き生きとして、子供も大
人も楽しそうにしていたかということが思い浮かぶ。
 ベネディクト自身、日本社会を大変気に入っていたようだ。もちろん彼女の
研究成果は、彼女の愛した日本社会を破壊するのに役立てられたのだが。
 
 ベネディクトが描いた日本は、日経移民への聞き取りにもとづいた庶民の生
活や文化が中心で、日本の商慣習や政治慣習は含まれていなかった。そのため
アメリカは、日本を占領して、日本社会を骨抜きにしたのだが、肝心の政治や
経済の仕組みを手中におさめるのに、思ったよりも時間がかかってしまった。

・ バブル期のアメリカの土地買占めは、第二の真珠湾攻撃

 だから、戦後アメリカの軍事的属国となり、独立国とは呼べないような状況
にあった日本は、経済的成長をとげ、世界の富を手中に納めることができたの
だった。
 世界の富を手にした日本人は何をしたか。アメリカの土地やビルや会社を買
収したのだった。日本の土地の値段を高騰させ、アメリカ合衆国の土地と日本
列島の土地は、同じ値段であるといって、豪語していたのだった。
 おそらく、敗戦のPTSDから抜けきれていなかったために、心の奥底で、いつ
かアメリカを見返してやりたいという気持ちがくすぶっていたのだろう。自分
たちの生活とはまったく無縁の国の土地や建物を買い占めて、何になるのだろ
う。相手方の国民の反感を煽るだけではないか。
 そもそも日本人が大量にアメリカの不動産を買ったのは、アメリカに誘導さ
れたのかもしれない。真珠湾のときと同様に、日本人はうまく騙されたのだ。
そしてアメリカ世論の反感を勝った。もちろん、騙されたほうも十分悪い。

・ 歴史修正主義者(リヴィジョニスト)たちの活躍

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などの本が出されると、日本人はますます
その気になって、傲慢になっていった。これも敗戦のPTSDのなせるわざかもし
れない。
 日本が世界経済のトップランナーとなったころ、日本にはたくさんの外国人
ジャーナリストや研究者がいて、なぜ日本企業は競争力をもっているのか、見
かけ上開放されている日本市場に参入できないのはなぜか、どうすれば日本経
済を混乱させ骨抜きにすることができるか、などについて研究していた。
 リヴィジョニストの代表格が、カレル・ヴァン・ウォルフレンであり、1989
年に出版された「日本/権力構造の謎」がその代表的著作である。
 ウォルフレンは、1941年生まれのオランダ人。1962年以来日本に住み着き、
ジャーナリストとして日本のことを取材し続けてきたので、日本社会の見えに
くい権力構造まで可視化することができたのだ。

 リヴィジョニストたちの研究の成果として、大蔵省の護送船団方式、大手製
造企業の系列、旧財閥企業グループの株式持合いなどの、成文化していない日
本的な慣行や制度が白日のもとにさらされ、それらが直接アメリカの対日政策
のターゲットにされて、「年次改革要望書」とその実行過程でずたずたに破壊
されたのだった。
 敗戦国日本は、リヴィジョニストたちのおかげで、とうとう身ぐるみはがさ
れるところまで追い詰められたのだ。

4 取り戻すべきは心と頭

 著者関岡英之氏が、悲憤慷慨する気持ちはわかる。著書を読んでいて、暗澹
とした気持ちになって、読み進められなくなることもあった。
 しかし、今日の日本のていたらくは、けっして一朝一夕に起きたことではな
い。大東亜戦争に敗れて、アメリカの占領革命を受け、その後敗戦の責任を誰
も取らず、敗戦の事実から目をそらし続けて金儲けのみに没頭してきたことの
ツケが回ってきたのだ。

 尚武の精神が否定され、民族の教育が否定され、地域の祭りが否定され、宗
教が否定され、ありとあらゆる日本的な生活慣習や文化が否定されたあげく、
1990年代以降は、日本的な政治経済システムも否定されて今日に至った。
 だから今の完全奴隷状態から逃れ出すためには、まず、日本の歩んだ歴史を
冷静に受け止め、自分自身の中に日本的な心や身体を取り戻すことから始める
ほかはない。
 金は天下の回り物だ。日本人が稼いだお金をアメリカに取られても、命がと
られるわけではない。気に病むな。
 むしろ、自分たちが日本の祭りや、宗教や、その他さまざまな日々のささや
かな楽しみや喜びを失ってしまったことを嘆くことだ。そして、それさえ取り
戻したら、日本の未来は明るくなること間違いない。

 今ここに日本人の目標は明らかとなった。
 この惨憺たる国のありさまを直視して、日本がアメリカの植民地になったと
いう事実を受け入れろ。
 日本人よ、大東亜戦争のPTSDから立ち直れ。アメリカ進駐軍の占領革命で奪
われたものを自覚し、取り戻せ。
 これこそが21世紀を生きる日本人の目標ではないだろうか。

(2004/10/16 ,十返舎玉九 )
==============================
■村岡でなく野中か!日歯連事件逆転のシナリオ

よく分からない日歯連不正献金事件。
橋本は政治資金報告書作成当時入院中だった上、元々単なる飾り物だから良いとし
て、東京地検に引張られた当の村岡は徹底抗戦の構えだ。

対する野中は、橋本・青木の「嫌疑不十分で不起訴」とは扱いが違い、地検は事件
への関与を認定した上で「積極的なものではなかった」として起訴猶予とした。
加えて、野中は立場上は派閥の経理全般を仕切るはずの事務総長だった。

既に村岡は、「知っているとしたら野中さんでしょう」と発言し始めている。

検察の本当の狙いは、村岡を在宅で押さえ、引き出した証言を使っての野中逮捕起
訴にあるのではないか。

昨年の総裁選で、橋本派は小泉再選支持と不支持に真っ二つに別れた。
小泉が本気で橋本派を壊そうとするなら、丸ごと攻撃するのではなく、徹底して分
断してから潰して行こうとするだろう。

即ち、野中・藤井らの反小泉勢力を狙い撃ちして力を削ぎ、青木・村岡らに連なるグ
ル
ープに対しては「寸止め」にとどめて牽制し恩を売り分断する。
それにより、郵政民営化でも言う事を聞かす。
正に政局の天才児。

官邸に篭り、今日も一人策を練る小泉。
小泉の真意は元より確認する術はないが、筆者には善し悪しを越えてその魔性の剣
は最早芸術の域に達したように映る。

(敬称略)

※なお、当拙文は具体的な事実の取材に基づくものでは無く、主に筆者の想像力に
 よる仮説である事をお断りいたします。

                                   以上
佐藤 鴻全
==============================
『亜空間通信』872号(2004/10/11)
【ホロコーストの嘘も911謀略も逃げ腰の旧ソ連系JCJ会員の微温的メディア批判が阿
修羅に出現す】
 
 JCJは、工業製品の規格のJIS(Japanese Industrial Standards)と似ているが、そ
れと同様に、戦後日本の亡国植民地根性片仮名語混じりでしか物が言えない連中の組
織、日本ジャーナリスト会議の英語のローマ字綴りの頭文字である。
 
 しかも、実におかしなことには、このJCJは、英語を公用語とするアメリカの帝国
主義には反対だったはずの旧ソ連を盟主とする組織だった。
 
 だから、この倒錯、錯誤の歴史を引きずる過去の残存物は、最早、廃屋に出没する
幽霊に等しい無力、無価値、空しい追憶に浸る老人会のようなものである。
 
 このあたりが、末路であろう。もともとが欧米崇拝、日本の出版の大手、戦前から
の「偽の友」代表の岩波書店発行の看板、今や発行部数も凋落、赤字でも無理して出
しているとの噂がしきりの総合雑誌、『世界』の編集長、偉っそうな名前の吉野源三
郎が初代議長だった。
 
 これが、その種の戦後の「民主主義」「平和」看板担ぎの仕事の象徴の成れの果て、
である。
 
 どだい、亡国植民地根性片仮名語で、嬉っしそうに、ジャーナリストなどと自称す
る連中は、ほとんどが、ろくでなしである。私は、彼らを、ジャーラジャラなあ、砂
利スットコドッコイと呼んでいる。語源的にはラテン語の日刊の官報、だから、「そ
の日」主義者、とからかう向きもある。刹那的、一時的、表面的、間違いばかりにな
るのは、当然の帰結である。
 
私は、この組織で、湾岸戦争直後の一時期、乞われて、企画委員、運営委員をしてい
たこともある。

ところが、会員の出版物を集会で売る場所を用意するのが日頃からの習わしなのに、
事務局次長が、拙著、『アウシュヴィッツの争点』の販売に、会員(当然、ガス室神
話の狂信者)から苦情が出ていると言って、売るなと言うから、私は、「君らには言
論の自由を語る資格無し」、と宣言して、半年分の前納をしていた会費を3ヶ月分、3
千円を取り戻し、ぽいと退会した。

 事務局次長は、事務局会議の決定などと称していたが、この手続きも、決定権など
もなしで、しかも、嘘であった。
 
 その後、この事務局次長は、中国に行ったとかで、姿を見掛けなくなった。ある旧
知の会員は、「木村さんが恐くて逃げたのじゃないですか」と言っている。情けない
奴じゃ。学生時代から日本共産党員で、全共闘の「トロッキストの暴力分子と実力で
戦った」などと自慢しちょったがのう。
 
 私は、わが流儀で、いまだにこの老人会にしがみついている連中にも、気軽に声を
掛ける。つい先日も、その一人に、「商業放送局のテレビ朝日で、疑惑特集をしたと
いうのに、まだ、911自作自演の謀略説が分からないのかねえ」と、聞いたのである。
 
 だが、反応はない。困った顔をするだけである。日本共産党と同じである。いや、
日本共産党員だから、同じ反応になるのは、当然である。この反応の仕方の画一性は、
創価学会員と同じで、最早、自分の頭で考えることができなくなっているのである。

 で、その偽の友の典型の組織の名、JCJが出たからには、覗いて、批判してやらね
ばならぬか、と思って、以下を覗いた。
------------------------------------------------------------
日本政府の救いがたいほどのお粗末 マスメディアはなぜ「自衛隊撤退」を語らない
のか[JCJ]
http://www.asyura2.com/0411/war61/msg/256.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 10 月 10 日 17:53:33:dfhdU2/i2Qkk2

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◇┃C│O│L│U│M│N┃ ◇ 日本政府の救いがたいほどのお粗末
         ―――――マスメディアはなぜ「自衛隊撤退」を語らないのか
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 田悟 恒雄
 [中略]
 りゃ、りゃ、うんにゃ、こりゃあ、拙著、『アウシュヴィッツの争点』の出版社の
社長じゃあないか。もっとも、社長と言っても「一人社長」の典型である。まだ、日
本ジャーナリスト会議、JCJに、いるのかい(怪)。
 
 以下、続けて、この投稿を読む。
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 先日、ラムズフェルド米国防長官がイラクに大量破壊兵器がなかったことをしぶし
ぶ認めたばかりだが、こんどはチェイニー副大統領も同じくしぶしぶ、これを認めた
よう。おまけに、「フセインとアルカイダは関係を確立していた」と言ったかと思う
と、そのすぐあとで「私はイラクと同時多発テロとの関係を示唆したことはない」と
弁解する。まあ、何とも往生際の悪いお方だ。

 最初は思いきりでっかいウソをついておいて、分が悪くなると、最後は「言った/
言わない」の泥仕合に持ち込む―。これって、洋の東西を問わず昔からよくある、ウ
ソつきの典型的な行動様式だと思う。私にゃ、どうにもこれが許せない。

 ラムズフェルドやチェイニーが兜を脱がざるをえなくなったのも無理はない。彼ら
が選んだ米調査団までもが、「生物・化学兵器の備蓄はいっさいなく、核兵器開発計
画も91年以降、頓挫していた」「9・11事件と旧フセイン政権との関係の証拠は
ない」との結論を出したのだから。

 これに対する日本政府のコメントは、もはや救いがたいほどのお粗末―。「そうい
うもの(大量破壊兵器)がないということは非常に結構…戦争を支持した日本政府の
判断に誤りはない」だって!? 嗚呼!

 では、マスメディアはどうか? 8日の朝日新聞社説は「大量破壊兵器―なかった
からには」とあったので、「すわっ」とばかり真っ先に読ませてもらったが、またし
ても肩透かし―。「国際協調の下でイラクに安定を取り戻させることが先決」と言う
ばかりで、相変わらず自衛隊撤退問題には言及しない。これって、ほとんど意地になっ
てるんじゃないのか? 「撤退はよくない」と考えているなら、その理由の説明責任
がある。
                   (でんご つねお/リベルタ出版・代表)
[後略]
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まあ、まあ、じゃないか。ん、まあ、日本の大手メディアでも報道し出したから、安
心して言えるのじゃろうがなあ。続けて、以下の案内を叩くと、拙著が出てくる。
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リベルタ出版HP
http://homepage3.nifty.com/pub-liberta/
http://homepage3.nifty.com/pub-liberta/kaigai.html
http://homepage3.nifty.com/pub-liberta/411.html
■アウシュヴィッツの争点
 木村 愛二 著

ナチス収容所のガス室の存否をめぐる論争の争点はどこにあるか。『マルコポーロ』
廃刊事件とは何だったのか。その論点は明らかにされていない。本書は、言論・出版
の自由の立場から、この問題についての欧米での論争をフォローし、問題の所在を明
らかにする。

目次 
[中略]
■・ 疑惑の旅立ち
■・ 解放50周年式典が分裂した背景
■・ 冷戦構造のはざまで
■・ 隠れていた核心的争点
■・ マスメディア報道の裏側
■・ 核心的真実
摘要 
購入案内
amazon.co.jp
リベルタ出版
摘要■・ ¥2500(税込2625円)/46判/上製/352頁/95年06月刊
/ISBN4-947637-33-1
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株式会社リベルタ出版 〒101-0064 東京都千代田区猿楽町2-2-5 興新ビル401...地
図
Tel.03-3293-2923 Fax.03-3293-3723 E-mail.YIE00336@nifty.ne.jp
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 さあてと、拙著の出版をしており、電網宝庫から抹殺しないでいるのだから、まあ、
大目に見るが、問題は、こういう微温的な「平和主義」で、間に合うか、ということ
である。
 
 911事件の謀略性までは恐くて言えないにしても、足元のJCJとやらの欺瞞性を暴く
のが先じゃないのかな。と、まあ、大体が、今のところ、この程度の言論状況への批
判である。
 
 根源の過ち断つためには、目下、準備中の『カール。マルクスの大罪』の完成を急
がなくてはならない。
  しかし、その前に、わが電網宝庫に掲載中の裁判の日程が、以下の3つも、入っ
ている。お陰で、世間では3連休などと浮かれているのに、休めない。ああ、疲れる。
 
以上。
木村愛二:国際電網空間総合雑誌『憎まれ愚痴』編集長


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