1734.生命の原点を生きる



生命の原点を生きる−映画「誰も知らない」のとてつもない明るさ

 スーパーマーケットの駐車場や道路の片隅のわずかなコンクリー
トやアスファルトの隙間や割れ目のわずかな土に、ネコジャラシや
ブタクサが生えている姿は、希望である。都会の大地を覆い尽して
いるコンクリート文明が、いつかやすやすと消え去っていくであろ
うことを、草たちは予言しているようだ。

 映画「誰も知らない」に登場する4人の子供たちの生き様は、都
会のコンクリートの隙間に生える雑草のようだ。誰も気にとめない
。誰も面倒をみない。一生懸命、自分たちだけで生きていく。

 彼ら4兄弟は、母親は同じだがそれぞれ違った父親をもつ。12歳
の長男のほかは、戸籍すら持たず、アパートの部屋から出ることを
禁じられている。ベランダにすら出てはいけない。長男も含めて、
誰一人として学校に通っていない。

 ある日突然、母は新しい男のもとに去っていく。男には、4人の
ことはもちろん内緒だ。したがって4人が新しい父親のもとに引き
取られることはない。自分の腹を痛めた子供たちを平気で置き去り
にするこの母は、エライ。自立心の強いたくましい子供たちが育つ。

 その日から、子供たちだけの生活が始まる。はじめは母親が置い
ていった金があるが、家賃、光熱費、水道代、食費でみるみるお金
はなくなっていく。長男は、小さな弟や妹の父親を仕事場(タクシ
ー会社とパチンコ屋)に訪ねるが、事情を説明しても何の助けもも
らえないことがわかる。

 家賃を滞納し、電気・ガス・水道が止められ、孤立無援になって
も、もう誰にも頼らない。公園の水道で水を汲み、トイレの用を足
し、洗濯し、体を洗い、コンビニで賞味期限切れのおにぎりをもら
って食べる。福祉事務所に行くと4人でいっしょに住めなくなるの
で、行かない。生活は大変だが、うらみやつらみはない。欲しいの
は友達、遊び仲間。

 ちょっとやそっと不幸なことがあっても、けっして泣かない。
すぐに忘れて、前に向かって歩き出す。まるで野生動物のようだ。
過去の思い出を懐かしむこともなく、未来を憂えることもない。

 そんな彼らのベランダには、カップラーメンの器を植木鉢にして
、いろんな野草の種をまいて、丹精こめて育てた庭園がある。誰に
教わったわけでもないのに、子供たちは植物に愛情を注ぐ。

 彼らの生活は、普通の消費社会の生活からはかけ離れているかも
しれない。だけど消費文明だって、石油供給が途絶えたり、食料輸
入が止まれば、あっという間に消えてなくなるのだ。みんな彼らの
生活と板子一枚のところに生きているのだ。

 何も恨まず、誰にも頼らず、自分たちだけでひたすら明るくまっ
すぐに生きる子供たちは、都市文明の隙間を雑草のように生きる。
人間という罪深い存在から脱して、生命の原点の近くを生きている。

 その姿には、文明を超越する底力、とても力強い、明るい希望を
感じた。文明が亡びたら、野良犬のように、雑草のように生きれば
いい。(2004年8月22日)

PS事前に映画の紹介だけ読んだときに、小説家で連続ライフル強盗
犯人として死刑を執行された故・永山則夫を思い出した。彼も小さ
いときに親に捨てられ、兄弟だけで生きていた過去をもっていた。
 しかし、永山の人生がひたすら暗いものであったのに対して、「
誰も知らない」の主人公たちは前向きで明るい。少なくとも永山則
夫の小説との共通点はまったく見出せなかった。どこでこれほど正
反対になるのだろう。日本が豊かになったという時代の違いか、は
たまた北海道・青森と東京という場所の違いか、わからない。
得丸
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(Fのコメント)
「ジャーニー・トゥ・フォーエバー」の都市菜園: 街が食糧を育て
始めたを思い出す物語のような気がする。現在、キューバや南米の
諸国では都市菜園で、地域住民の食糧を地域住民で育てて自活でき
るレベルにあるという。鉢植で十分な野菜が取れるために、それを
元に生活している都市住民が現にいる。

また、ホームレス達がコンビニやマクドナルドなどのファーストフ
ードで期限切れになって捨てられた食糧にありついているために、
子供達だけで生活できる可能性が、東京という都会に備わっている
のでしょうね。

自立した生活はいいが、将来はどうするのでしょうね。人間は将来
を見ている動物で、希望がないと生活できない。狼少年も、人間界
に戻したら、数年で死んでしまったようです。この子達の希望が見
えない。

ジャーニー・トゥ・フォーエバーhttp://journeytoforever.org/jp/
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サマーワに派遣されている日本の自衛隊を狙っているのは誰なのだ
ろう。

地元の人たちは、日本の自衛隊を歓迎しているのだから、地元の利
益を無視する勢力なのだろう。
それが誰であるかはひとまずおいておいて、とにかく自衛官が攻撃
されないように、なんらかの手を打ってもらいたい。

たとえば、地元の人たちといっしょに自警団を組織して、迫撃砲の
発射地点にすみやかに乗り込み、敵を生け捕りにする体制を作る。
あるいは地元の人といっしょにパトロールする。とにかく敵が迫撃
砲を打ち込む隙を与えないことだ。

イラクにいる自衛隊の隊員の皆様に神のご加護がありますように。
得丸
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陸自攻撃はサマワに不利益 ムサンナ州知事

 【サマワ23日共同】陸上自衛隊が活動するイラク南部サマワを
州都とするムサンナ州のハッサン知事は23日、同市内での講演で
、陸自宿営地への攻撃は「サマワの利益にならない」などと述べ、
地元有力者らに攻撃阻止への協力を呼び掛けた。
 ハッサン知事は、今年1月に陸自先遣隊がサマワ入りした時「わ
れわれは町を変えてくれると期待した」と指摘。だが、ようやく大
きなプロジェクトが始まろうとしている矢先に「悪意を持つ人たち
」が宿営地を攻撃し始めたと批判した。
 また、治安維持に当たるオランダ軍と違い、陸自は「1発も(市
民に向けて)発砲していない」と評価。「サマワの支援者を守らな
ければ、町の再建は実現できない」とし、出席者に治安維持への協
力を呼び掛けた。
(共同通信) - 8月24日6時20分更新
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君が代よ、永遠なれ。

 君が代は我が国の国歌である。しかし、国歌の歌詞が、古今和歌
集の賀歌の筆頭歌(第1首)に載っている事を知っている人は少な
い。恐らく、国歌を制定するにあたって作詞されたものと思ってい
る人が多いのだろう。

 書籍「わたくしの国の旗と歌」
(ISBN4−88320−180−5)によれば、この和歌にそっ
くりな初二句のみが異なる歌が二首あるのだという。その和歌で
は、「我が君は千代にましませ...」、「我が君は千代に八千代
に...」で始まる。

 我が国の歴史においては、君という言葉が必ず君主、天皇を意味
した言葉であったとは考えづらい。ひらがなには1字1字にそれぞ
れの意味を持つのだという。不勉強ゆえ、「き」という言葉と
「み」という言葉のそれぞれが持つ意味を明確に述べることはでき
ないが、ある程度の憶測と主観を許していただけるならば、恐らく
「き」という言葉は、貴に代表されるように”大切な”という意味で
はないだろうか。また、「み」とは、身という語のように、本質を
表すのだろう。とすると、”きみ”とは、自分の大切なもの、本質と
いう意味に行き着くのではないのだろうか。

 あなたの大切なものは何ですか。
 あなたが守りたいものは何ですか。
 その大切な、守りたいものがずーっと続いていてほしいとは思い
ませんか。

 私は、君が代の和歌を詠んだ詠み人の動機はそこに在ったように
思う。人それぞれ、その大切な、守りたいものは違っていても、そ
れが永く在ってほしいと願う心は同じはず。その心がこの和歌に込
められていると私は信じる。

 在る人は言う。君が代の「君」とは戦時中の天皇を意味し、天皇
のために命を捧げるための道具になったから、国歌を変えるべきだと。

 しかし、古今和歌集が勅撰されてより、今年で1099年、来年
は1100年を数える。国旗でも述べたが、数年間の戦役のために
永くこの国で又我らが祖先が口ずみ、慈しんできた、この和歌を否
定してよいものだろうか。


 先の戦役に敗戦し、我が国古来の文化は否定されて久しい。今や
我が国は、経済的にも、また文化的にも、米国に乗っ取られようと
している。私は、私の祖国であるこの国が、千代に八千代に幾世代
にも渡って栄えて欲しいと切に願う。さざれ石が巌となるように、
我が国の愛する人々の心が、それがさざれ石のごとくに小さい物で
あっても、それが集まって巌となって、苔むすほどに永くこの国を
見据えてほしいと願う。

 例え、髪を染めても、肌を日焼けさせても、身なりを似せても、
私たちは日本人であって、白人にも黒人にも成れない。成れないも
のに憧れて自分のアイデンティティを捨てることは、奴隷になるこ
とに他ならない。私は、今この国に覆いつつあるものに深く憂慮し
ている。

 学校で習った国語の一節で、今も忘れられない話がある。「最後
の授業」という話だ。フランスのアルザス/ロレーヌ地方は資源豊
富な地域あり、かつドイツの国境に面していたため、フランスとド
イツが戦争を行なうたびに、焦点の1つとなっていた地方である。
フランスがドイツに負け、この地方でフランス語の授業が禁止さ
れ、最後となった授業を話にまとめてある。授業の最後に、教師は
生徒に「この授業が最後の授業になりますが、決してフランス語を
忘れないでください。フランス語を捨てない限り、われわれはフラ
ンス人です。」と語り、黒板に大きく”フランス万歳”と書き記し
て、泣き崩れたという。

 我が国においては日本語ということとなるが、日本語の心はむし
ろ、日本語よりも和歌に込められているのではないのだろうか。先
祖が「決して忘れるな」と、30文字余1文字に込めた思いを私た
ちは捨ててしまってよいものだろうか。

 私は、我が国でこのようなことが決して起きてほしいとは思わな
いが、自分たちの歴史を直視し、糺すべき点は糺しても毅然として
未来に目を向けない昨今の風潮を憂う。そんな中で君が代こそは、
日本人のDNAに受け継がれている我が国固有の文化を呼び起こす
大切な鍵があるような気がしてならない。

 君が代の「君」が天皇を意味するかどうかは、この歌を言挙げす
る一人一人の心持ちに寄ると思う。別に述べた自分自身と天皇との
関係を自らが認めるならば、大切なものの中に天皇が含まれる訳で
あり、数々ある大切なものと共に天皇に対する賀歌となるだろうけ
れど、それはあくまで一人一人に依存するものであって、君が代の
和歌自身に君=天皇という意味を、私は見いだすことはできない。


 君が代よ、永遠なれ。
 和歌よ、永遠なれ。

 千代に八千代にその文字を、
 この世に現す言の葉の、
 その言霊により我が国を、
 千代に八千代に守り給え。
 異国の者が踏むにじる、
 その時々に至りても、
 決して忘る事無きよう、
 我らの心を示し給え。

 古今の和歌の選び人、
 紀貫之なるその方の
「いまはあすかがわのせになるうらみもきこえず、
 さざれいしのいわおをなるよろこびのみぞあるべき」と、
 願う思いがこの国を、
 千代に八千代に守りますように。
へのへの419
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雪の少ない島

 台湾は、北回帰線上に位置し、島の南半分は熱帯性気候と言えます。
雪はほとんど降らず、積もらない島です。そして島全体の年間平均雨量は、
2500mmと日本の2000mmより多いです。

 島の面積は3.6万平方M、九州くらいの大きさですが、山は急峻で3000m
を越える高山は、100山以上あります。多量に降る雨は、滝の如く流れます。
水の循環量の多い島と言えましょう。

 ところが、昨年縁夏赴任してきて水資源の豊かな国のはずと思っていまし
たが、実態は水不足の国なのです。理由は高山が多いが、山による保水力
が小さく、地形上湖が少なく、湧き水も少ないからです。そして雪が少な
いのです。日本の有難さは、冬場に日本海側に大量の積雪があり、それが
天然のダムとなって水を貯えておいてくれることです。

 結局台湾では、高山があっても積雪が、極めて少ないので人工ダムによる
貯水で対応するしか無いのです。例を挙げれば、台北市の水源は、翡翠
水庫(新店渓)、石門水庫(大漢渓)等です。それでも昨年新聞、テレビ
を賑わしていたのは、取水、給水制限のニュースでありました。
昨夏は台風が少なかったからです。

 今年は、7月に台風7号の通過後、これらのダムの貯水量は満杯となりま
した。これで年末まで給水制限の心配は無く、お米の二期作も可能となった
と報道されていました。
 
 しかし台風7号で水源湖は満水になりましたが、道路寸断、斜面崩壊、橋梁
流失など被害は全国に残っています。南の国台湾では台風により給水され、
同時に台風による被害も覚悟しなければならないのです。しかも台湾への
台風の来襲数は日本より多いのです。今も台風17号による各地の被害がTVで
放送されています。

 ここで真剣に考えて見ました。この夏の猛暑を顧みますと、今日本列島の
台湾化が始まっているのではないか、ということです。実は日本も台風が来
ないと水不足になる国です。その傾向がさらに強くなることが心配されましょう。
 
 地球上の水の98%が海水であり、残り2%の淡水のうち、90%は南極の氷で
す。それが今地球温暖化で本格的に溶け出しています。今まで雪か氷の形
で固定されていた淡水が、流動体となれば、循環量が増加します。また地球
温暖化で蒸発が促進され、地球を循環する水流がさらに増加するでしょう。
となれば台湾ほどではないにしても、地形の急峻な日本列島は降雨が多くな
り、流水が速くなり、風水害のさらに多い島に変貌することになりませんか。

 また地球温暖化が進行すれば、冬の雪が雨となり、流れてしまう列島に変る
でしょう。となると暴風雪も暴風雨に変ります。雪害も大きいですが、まずは
流体の水を雪の形で固定しておいてくれることによって冬場の水害は免れてい
るのです。そうなると日本は水不足、水災害のオールシーズン化する列島にな
ってしまうでしょう。
   
 地球温暖化にブレーキを掛けないと、将来日本は雪の積もらない国となり、
水資源を台風にさらに依存する、風水害の多い国になることを覚悟する必要が
あるように私には思えました。

 お付き合い有難うございました。

仲津
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国際戦略コラム殿  04.08.24.
久しぶりに細かく3点ほど愚痴をお読み下さい ks_kiyo4

1.沖縄米軍ヘリコプター事故問題
小泉は休暇とか最近は携帯電話とかインターネットのメールとか
色々方法が有るはず。何をして居るのかブッシュがそんなに大事な
のか、小泉は国民よりブッシュのほうが可愛いのだろう。日本の国
民は遠い沖縄での事件と余り関心がないのでは、今回は新聞マスコ
ミが盛んに取り上げている。もういい加減に小泉よ日本国を無くし
て米国の国民に日本全体がなったら、今後比の様な事は無関心で居
れる。そうなれば日本の総理大臣は不要米国の日本州とでもなるか
小泉よ そのほうが長生き出来るぞ。

2.これは小泉ぬきでよいと思う「イランの核開発問題」が色々起
きている様だが困った事と思う世界中での考えは同じはず。「以前
に問題提起」したと思うがシロウトの考えと一蹴するかも?現在核
を保有している国が全て核を放棄する国際監視団が見届ける。其れ
成れば「北朝鮮」も従うかも・勿論先進国を名乗っている「核保有
国すべて」が従う事が一番。 核・問題で「抑止力」とよく言うが
持ってない国はどうなるのか。米国の言う先進国はむやみに核は使
わない「先進国以外は信用出来ない」との傲慢さが「イラク問題」
を引き起こし罪も無いイラクの国民特に幼児子供女性等が悲しい
日々を過ごしている。「ブッシュ」は何の為の戦争か「核」其の物
を言い訳にして暴力を行っておる先進国以外は信用出来ない。 其
れそのものが・ニューヨークの事件・米国から見れば「なぜ?」先
進国以外はとの見下ろした行動が「アルカイダ」もどき行動が世界
を駄目にする・まず人間てあるからに・動植物・全てが比の地球上
で住む権利があるはず一国だけの利益を考えず地球上の生き物の事
を考えよ。

3.これはオリンピックのもので女子レスリングは浜口京子さんは
残念と思う父のレスリングの指導は適切と思うが、なぜ準決勝の中
国選手との一戦で最初3ポイント取られ直ぐに取り返した。さすが
浜口と感心した其の後の開始からなぜ力一杯の攻撃をしなかったの
か不自然と思うプロレスでは力を貯めて無駄な攻撃を避ける様な指
導をしていたのか
父が審判の行いを世界中が見ている前で大声でがなりたて会場役員
が困ったものと言ったとか言わないとか、日本として実に恥ずかし
い事だそれにしても京子さんは父思い3位決定戦で大きな怪我「目
」をしても銅メダルを手にした父が指導するならなぜ3位決定戦の
力を中国戦で出せなかったのか。それが一番京子さんは残念だろう
父の指導不足を嘆く。

阪本 潔 今後とも宜しく
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国際戦略コラム今日2回目の投稿です宜しく

今日8月24日夕刊に小泉総理が国連総会で常任入り意思表明への
演説とかしかも現行憲法下でとの事とか小泉はなにを考えているの
か。まったく?

「ドイツの失礼だが独裁者」の様相が見えるなにもブッシュのご機
嫌を取る事はないと思う。もし其れ成れば日本も民主主義を謳って
いるのだから、独裁でなく国民の声を聞くべきと思う。国民が全て
憲法に関係なく、小泉の意思に同意したのであれば民社主義の多数
決を認めよう。
小泉よ独裁行為は絶対許せない「小泉はあほか」馬鹿にされたと思
ったなら「私」阪本潔と法廷で争う事を進める・
私は民主主義は間違っていると思う多数で何事も決まるのは絶対間
違いと信ずるなるほど、選挙で選挙民の意思が多数で決まる事もさ
もあらん事は認めるだが「国の行く末を」選挙の多数で自民党の総
理がだからと暴力的行為は絶対認められない「国際戦略コラムの諸
先生」のご意見是非お聞かせ下さい。

今ひとつ「党の郵政民営化議論は1週送れ」は首相・決着済みとか
これも独裁と思う郵政の民営化は賛成するが、自民党の党員議員も
反対が有るとか其れ成れば会議を公にして国民に分りやすく新聞テ
レビをつかって公にするべきで小泉の独裁は絶対許せない。

   04.08.24.pm7.30. 阪本 潔
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(Fのコメント)
日本の景気が回復して、日本の構造改革が不十分で終わることが心
配である。官が偉く民が愚かという制度で明治時代以降今まで日本
は政治経済を行ってきた。しかい、残念ながら官の滅私奉公という
感覚がなくなり、戦後官が日本の庶民が貯めている金を自由に使い
、今その金を無くなっている状況を知るに及んでいる。この対策が
必要とこのコラムでも盛んに訴えてきたのです。投資した金が生き
ていない。無駄な投資をして死んだ金の使い方になっていた。官僚
だけではなく政治家も同様であると思う。

やっと、その出口が見えてきたのですから、最後まで日本の構造改
革をやり遂げるのが、小泉首相の使命であろうと思う。その面で、
小泉さんに最後まで頑張ってほしい。しかし、次の日本の使命は、
世界の救出であると見ている。米国崩壊、ハルマゲドンは間近に迫
っている。米国からどのように間を保つかが問われている。これは
難しい。親米ではあるがハルマゲドンには反対する。
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08.27.コラム誌の意見・問うks_kiyo4

イラク・シーア派最高権威・シスターニ師 
 聖地「ナジャフ入り」

27日の紙面テレビ等でいよいよ「イラク解放」の時が来る待ちに待
ったニュースだ。サルド師もシスターニ師との会合を受け入れ「サ
ルド師信奉イラク人」も歓迎ムード。
これでイラクは新しい政府にイラク統治を全面的に「新大統領が決
るまで」全国民が委任をする事をシスターニ師とサルド師と共に、
今後のイラクを見守ってほしい。

さてこれが実現するなれば現在の「米国主導の統治連合国軍隊は全
て」イラクからの撤退をすること、全てを新イラク国民に委任する
事、

比の戦争で米国の莫大な損失は目を見張る物が有る・人員・物量・
特に「死傷者」

勿論イギリス・始め米国に賛同して軍隊を出していた国々も損失は
莫大と想像する

だがイラク戦争は初めから間違いであって途中米国イギリスが認め
なかった失敗が今日に至っている今回のイラク開放につながれば比
のイラクに尽力した国は「報酬」が無くとも未来永劫イラクの復興
とイラク国民の民主主義獲得に貢献した事は歴史に燦と輝く事と思
う、

万一イラク開放が頓挫した時は今度は米国主導でなく今度こそ全世
界が国連を通じ国連の力で武力なしでイラクの復興を支援する事を
考えて貰いたい、

先に今回の戦闘で米国に追従してイラクで莫大な損失
「死傷者」を出した国々も今回の戦争で罪もないイラク国民特に「
幼児・子供・女性」等の死傷者は参戦国の損害以上であることを肝
に銘じて欲しい・

比の考えが有る成ればキット・イラク国民は民主主義を感受するだ
ろう。

全文偉そうな文でまとめましたが私の今日の心意気ですご一読下さ
い。

   04.08.27.pm5.20. 阪本 潔
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件名:『ナショナリズムの危険性』ほか−編集委員 黒木 正博  

ナショナリズムの危険性
政府は常に中立の立場を/中国の反日教育に教訓
 ふだん領土問題にはよく言えばクール、実際は国家意識の欠如といった印象が拭えない
 わが国だが、金メダル・ラッシュで沸くアテネ五輪、さらに先のサッカー・アジア杯で
 は久々に“国威発揚”の雰囲気が充ち満ちていた。

 たかがスポーツ、されどスポーツ――。こうしたナショナリズムは自然の感情発露だが、
 行き過ぎたり扱い方を間違えるとスポーツの次元にとどまらない悪しき副産物を生み出
 す。「中央公論」九月号で岡崎久彦氏が近代外交史からの教訓を引き出している(「政
 府主導のナショナリズムほど危険な存在はない」)。

 岡崎氏は、日本の近代史外交でナショナリズムをプラスに使うことができた例外的な外
 交として日清戦争、一昨年来の北朝鮮交渉を挙げている。とくに前者は「強硬世論に迎
 合せずに、ただ冷静にそれを利用した」ことが大きい。

 ナショナリズムが日本外交に決定的な悪影響を及ぼした最初の事例としては満州事変だ
 った。関東軍の軍事的成功が重なるにつれ、国民のほとんどが積極主義、拡張主義に染
 まり、世論は国際協調の立場を崩さない幣原外相に非難を集中した。若槻内閣はこうし
 た事態をコントロールできなかったのである。

 しかし、それを上回る最悪の例は、盧溝橋事件直後の近衛内閣だ。違うのは、国民のナ
 ショナリズムに押されてでもなく、乗ってでもなく、近衛は自らナショナリズムを煽動
 して時局を運営しようとしたことだ。その後の政局が一気に開戦―敗戦という国家の命
 運まで決めてしまったのはいうまでもない。

 「ナショナリズムというものは、人間の本性にあるものだから、放っておいても対外硬
 の形で発露される。政府が先に立って対外硬を煽ったら、もはや政治的なバランスはな
 くなってしまう。世論やメディアが暴走しても、政府は踏みとどまらなければならない。
 政府は常にナショナリズムに対して中立でなければならない」

 その伝で言えば、この教訓が端的にあてはまるのが現在の中国といっていい。サッカー
 ・アジア杯のすさまじい反日言動の背景に、「愛国主義教育」と称される、ナショナリ
 ズムを意図的に煽る中国政府(共産党)の政策がある。改革開放政策以降、共産主義支
 配の揺らぎに危機感を抱いたためだ。

 だが、こうした手法は対台湾強硬世論と相まって、中国外交に何ら益することはない。
 「中国政府は、まず煽るのをやめて、ナショナリズムに中立にならなければならない。
 そうなってはじめて、妥協が可能になり、国益の保持も図ることができる」と岡崎氏は
 強調する。同感だ。

 ただ、戦前における「メディアの暴走」を反省してと称して朝日新聞が健全なナショナ
 リズムまでも、“あつものに懲りてナマスを吹く”かのごとく冷水を浴びせる方向も問
 題と言わねばなるまい。


対岸の火事でない在韓米軍撤退
在日米軍の比重高まる 

 米国は六月、来年末までに在韓米軍三万七千五百人のうち、三分の一にあたる一万二千
 五百人を削減させると韓国政府に通知した。事実上の一方的通告といえる。

 この米軍再編とくに在韓米軍の削減は、東アジア安全保障に大きなインパクトを与えよ
 う。そのあたりを的確に分析したのが、「諸君!」九月号の村田晃嗣、木村幹両氏の対
 談「『米軍撤退』は対岸の火事ではない」だ。

 今回の米軍再編は、効率的な軍事力を追求するラムズフェルド国防長官による、世界全
 体での軍の再配置という流れの一環だ。9・11テロ以降、テロや“ならず者国家”へ
 の新たな脅威に対応するとすれば、「本土防衛こそが大前提」であり「海外に展開する
 兵力のありようも考えていかないといけなくなった」(村田氏)というわけだ。

 だが、在韓米軍削減に対する受け止め方はどうか。相反する見方を両氏は提示する。木
 村氏は、北にとってこの撤退(削減)は米国が朝鮮半島問題を軽視し、自分たち(北)
 を深刻な脅威と考えていないというメッセージと捉えているとし、「米国がイラクで手
 一杯の今こそ自分たちに外交的チャンスがある」と金正日が考えても不思議ではないと
 いう。

 一方、村田氏は「北からすれば危険で高圧的、イラクでも乱暴に事を運ぶ(米)政府が、
 三十八度線付近から米軍を撤退させるということは、米軍の犠牲を出さずに先制攻撃を
 かけるのではという不安が逆に出てくる」との見方だ。

 米国の削減の動きを弱気と見るか、“人質”状態を解消させて軍事的オプションを取り
 やすく、むしろ攻撃的と見るか。金総書記の受け止め方一つにかかっているともいえる。
 さらに言えば、彼にこうした疑心暗鬼を起こさせるという狙いもあろう。

 さて、日本への影響だが、こうした事態はむしろ在日米軍の重要性が増すことは必然だ。
 まず政治家がなすべきは「在日米軍がなぜ必要なのか」という説明責任である。

 沖縄県宜野湾市で起きた米軍ヘリ墜落事故問題で首相官邸を訪れた稲嶺県知事に対し、
 小泉首相が夏休み中を理由に面会に応じない態度は、そうした感覚が欠如していると言
 わざるを得ない。

政権党のアイデンティティー
深刻な自民の“依存症” 

 七月の参院選結果をみると、政権党たる自民党の深刻な危機的状況がうかがえる。「中
 央公論」九月号の「自公連立のなかで失われた政権党のアイデンティティー」で、岩見
 隆夫氏がメスを入れている。

 今回の参院選に限れば自民党は、議席、得票数とも第一党の座を新興の民主党に譲り、
 長期低落傾向に歯止めがかからなくなってしまった。岩見氏の指摘するように、往年の
 王者の風格はなく、党勢にもはずみがない。支持基盤の空洞化も急速に進んでいる。

 そうした衰退傾向を端的に印象づけたのが、公明党・創価学会に対する「依存症の重症
 化」だと言うのである。例えば、六年前の九八年参院選では惨敗の責任をとって橋本龍
 太郎首相は辞任したが、当時はまだ自公連立の前で公明党支援はなかった。それを考え
 れば小泉首相の敗北は実に深刻なのである。

 中曽根元首相が昨年「自公の選挙協力はいまが限度だ。これ以上深くなると、両党とも
 墜落する」と警告したのもうなずける。自民党にとっては足腰がもろくなり、公明党に
 とっては平和・福祉政党としての曖昧さ、宗教政党としての純粋性が問われる事態だ。

 政権という“接着剤”でそのままむすびつくのか、互いの政治理念と組織力といった独
 自性をどこまで生かせるのか。今後の政局の大きな焦点の一つである。
 (世界日報)掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
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件名:国連常任理事国/加入を阻む条件は減少したか  

 小泉首相は九月下旬に開かれる国連総会の一般討論演説で、日本が安全保障理事会の常
 任理事国入りを目指す方針を表明する。
 小泉首相は、これまで日本が常任理事国になることに消極的だった。それは、憲法九条
 を持つゆえに、海外での武力行使が禁じられ、普通の国のような軍事行動ができないと
 の理由からである。

憲章への対応に法制不備

 しかし、同時多発テロの後、米軍がアフガニスタンに進攻したとき、日本はテロ対策特
 別措置法を制定し、米軍の後方支援のためインド洋に自衛艦を派遣した。また、イラク
 戦争に際し、イラク復興支援特措法を制定し、イラクに陸上自衛隊を派遣、現在も活動
 を続けている。いずれも日米同盟の誼(よしみ)から決断したものだ。

 こうした実績のもとに、首相は憲法を改正しなくても、国連のお墨付きがあれば海外で
 の武力行使はある程度可能と見たようだ。

 原則的には、日本が常任理事国になることには賛成である。日本は国連分担金の支出に
 おいて一国だけで全体の約20%を負担している。米国を除く他の常任理事国(ロ、中、
 英、仏)の合計約15%よりも多いのだ。これだけの負担をしながら、国連における日本
 の発言権は極めて小さい。時折、非常任理事国に選出されても、再選できない仕組みの
 ため、影響は極めて小範囲にとどまっている。

 こういう現状を見るにつけ、また最近のわが国の海外での自衛隊の派遣実績などから、
 常任理事国入りを阻む条件は減少したと小泉首相は判断したのであろう。だが、それは
 国連の現状に対する無知からきている。

 まず国連安保理の任務について指摘したい。安保理は、国際的な紛争が発生したとき、
 兵力を使用せずどのような措置が可能かを決める(憲章四一条)。だが、それでは不十
 分と認めた場合は、陸、海、空軍の使用を認める(同四二条)。すべての加盟国は安保
 理の要請に基づき、必要な兵力、援助、便益を提供する(同四三条)。兵力使用、指揮
 などすべての問題について、常任理事国の参謀総長またはその代表者で軍事参謀委員会
 を設置し、兵力の戦略的指導の責任を負う(同四七条)。

 このように、常任理事国になると、つねに有事(兵力の使用)を想定して、軍事参謀委
 員会のメンバーとして、あらゆる軍事行為の戦略的指導の責任を負わねばならない。残
 念ながら、わが国にはこの憲章四一―四七条に対応する国内法規一つ満足に整備されて
 いないのである。

 この問題では、日米同盟の一方の当事者である米国の関心も深い。先に、アーミテージ
 国務副長官が「安保理常任理事国を目指すのなら、憲法九条は検討(examine)
 されるべきだ」と問題提起した。パウエル国務長官も同様、九条に言及した。いずれも、
 常任理事国には国際紛争のためには軍事力の行使が必要とされる場合があることを強調
 したもので、日本一国が「わが国は平和的解決の方法しか採らない」というのでは国際
 的に孤立するだけだということを示唆している。

“宿営地攻撃”が試金石に

 わが国は現在、イラクのサマワ地区に陸上自衛隊を派遣している。「戦闘行為は行わな
 い」「復興支援活動だけ」が名目だが、最近、自衛隊の宿営地の近くに爆弾が撃ち込ま
 れるなどの危険な情報も届いている。もし宿営地が攻撃された場合、自衛隊はどう対応
 するのか。その対応の仕方いかんで、常任理事国になぜ入りたいかの日本の真意が問わ
 れることになろう。(世界日報)掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
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件名:信仰が息づく折渡地蔵尊−秋田県大内町  

病気や事故が軽減 
千体の地蔵に毎年腹掛け 

 住人の呼び掛けによって千体のお地蔵さんが建てられ、今も大切に祀(まつ)られてい
 る場所がある。秋田県大内町の折渡(おりわたり)地蔵尊だ。病気のとき助けてもらっ
 た、事故に遭ってもひどいけがをしなかった、イボが取れたなどの御利益が話題に上り、
 大勢の人でにぎわっている。 

 千体地蔵があるのは、秋田市を南下し内陸部の大内町に抜ける道の傍ら。大型車も通り
 交通量は多い。樹木に覆われた山々にはヒグラシ、別名カンカンゼミの声がまさにせみ
 時雨として響き渡っていた。 

※ ※ ※ 

 記録によると、安永元年(一七七二年)名僧・是山(ぜざん)泰覚禅師が作ったとされ
 る地蔵尊が安置されており、その背後から、高さ八十bの山頂に至る道々の数カ所に千
 体の地蔵がずらりと並んでいる。高さ四、五十aの地蔵さんが赤い腹巻きと帽子を着け
 て並ぶ様子は圧巻だ。 

 千体地蔵の手前を見ていくと、一体目から天、地、玄、黄…と中国のお経の文字が順番
 に彫られたプレートが置いている。境内の一角には、お経の文字と寄進者の札が掲げら
 れていて、遠くは札幌、埼玉、長野などの住所が散見できた。 

 ちなみに、この一七七二年前後は、世界的にも大変革の時期。ワットの蒸気機関の改良
 (六五)、アメリカ十三州の独立宣言(七六)、フランス革命(八九)と続く。国内で
 はこの年、田沼意次が老中となり、七四年には杉田玄白が『解体新書』を刊行している。
  

 もともとこの山は、是山禅師によって開かれた霊地だが、同師は千体の地蔵を建てる夢
 がかなわず他界した。その遺志を受け継いだのが、地元の高橋喜一郎さんら約十人の発
 起人。「永久に灯明を絶やさぬ新たな信仰の場を作る」ため昭和六十三年に発願し平成
 元年に折渡千体地蔵建立実行委員会を設立。 

 中国の白御影石の手彫りの地蔵千体は、民間有志多数の寄進によって三年足らずで満願
 がかなった。その後、梵鐘(ぼんしょう)を建立。記者が訪れた日も参拝に来た家族連
 れなどが願いを込め鐘の音を響かせていた。 

 山頂の二体には、特に世界平和と安寧(あんねい)を祈願するため広島長崎の原爆被災
 地の遺品と沖縄の霊石を埋め供養している。 

※ ※ ※ 

 道路脇の鳥居をくぐると右側に「延命水」の泉があり、階段を上ると正面に、巨岩をく
 りぬいて作った石のほこらに本尊地蔵尊が祀られている。左脇には年代を経た六地蔵が
 あった。 

 千体地蔵の赤い腹掛けと帽子は毎年一回掛け替えられる。今年は七月十八日に六十人ほ
 どが掛け替えた。 

 腹掛けと帽子を作っているのは南外村に住む遠藤ミヤさん(71)。 

 「雨の日も風の日も、みんなの願いを聞いてあげたいというお地蔵さんに何かをしてあ
 げたいと思ったら、自分が子供のとき夏になると赤い着物と白い前掛け、下駄を買って
 もらえるのがうれしかったのを思い出して、一年に一回、してあげようと始めました。
 もう十五年になります」 

 これほど地蔵さんに尽くしたからなのか、遠藤さんは平成十三年、秋田市の脳研で頭の
 良性腫瘍(しゅよう)を取る難しい手術を受けた。そのとき、不思議な体験をした。千
 体の地蔵が上から引っ張ってくれたのだという。 

 手術は終わったが、意識は回復しない。「何かを食べたい」と遠藤さんが意識を取り戻
 したのは手術後二十一日たってからだった。大曲の病院に移って二週間過ごし、退院し
 て三日後には前の職場に戻った。 

※ ※ ※ 

 関係者は、地蔵さんは御利益があると口々に語る。本地蔵尊には、身代わり地蔵、イボ
 取り地蔵、子育て地蔵などさまざまな名前が付いている。 

 「朝四時ごろ、娘が交通事故に遭った。駆け付けると車はメチャメチャ。でも、命に別
 条はなかった。娘は身代わり地蔵のお守りをしっかり握り締めていた」 

 「高校生の娘の顔に大きなイボができた。病院をいくら回っても取れない。ここのこと
 を聞いて石を持ち帰り血が出るくらいなでたが取れない。『真心を込めてなでたら…』
 と言われてそうしたら、一週間ほどしてポロっと取れた。父親は『イヤー、びっくりし
 た』と言っていた」 

 本地蔵尊の祠(ほこら)の周りには直径二、三aほどのつるつるした小石がたくさん積
 まれている。持って行った人は倍の石を返す決まりだ。 

 この地域は、是山禅師の時代、大内町から亀田藩に行く近道だった。当時はけもの道の
 ような山道で真っ暗、山賊が出て人殺しなどもあったが、同禅師が地蔵尊を建てたらい
 なくなったと伝えられる。 

 また、舗装はされているが今でも急勾配の七曲がりの道で、暴走族が車を乗り回したタ
 イヤの跡が見られるが「二、三度、道路の下に車が落ちたが、不思議と大きなけがはし
 ない」と住民は言う。 

(秋田支局・伊藤志郎・世界日報) 掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
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件名:虚無僧に関心示す中高年  

京都・明暗寺で「吹禅」修行
 京都市東山区にある名刹・東福寺。禅宗らしい凛(りん)とした空気の張り詰めた広い
 境内を歩いていると、普化(ふけ)正宗総本山・明暗(みょうあん)寺という地味な寺
 に出合う。門をくぐった左手に、「吹禅」と大書された石碑。実はこの寺、虚無僧(こ
 むそう)たちの集う拠点なのである。
 虚無僧とは、深編み笠の天蓋(てんがい)に袈裟(けさ)掛け姿で、尺八を吹きながら
 托鉢するあのいささか不気味な人々のことだ。時代劇ではおなじみだが、実際に現存し、
 彼らの吹く尺八は演奏会で披露される尺八とは違って、「宗教尺八」と呼ばれる。尺八
 を吹くことを「吹禅(すいぜん)」と呼び、座禅と同じ精神修行ととらえているからだ。

 虚無僧は、半僧半俗で、禅宗の一派である普化宗に属していた。その起源は、寺を持た
 ず、鐸(たく)を打ち鳴らして市中を托鉢して歩いた唐の普化禅師の修行とされ、日本
 には鎌倉時代に伝わったらしい。

 江戸時代、幕府の保護の下、武士層に属する教団として発達し、最盛期には全国に十八
 派百四十カ寺の虚無僧寺があった。だが、浪人集団だけに剣に物を言わせて金品を要求
 する不祥事も絶えず、明治四年(一八七一)に廃宗となった。

 以後、ほとんど顧みられることはなかったが、「日本の尺八の源流を伝えたい」と考え
 る尺八奏者たちによって、昭和二十五年(一九五〇)に明暗寺が復興された。

 その明暗寺の本堂では現在、年に数回程度ながら、吹禅会が開かれる。会では尺八は楽
 器ではなく、法器とされる。参加者は姿勢を正し、尺八をささげ持って本堂に安置され
 た開祖・虚竹禅師像に一礼した後、静かに吹き始める。こぶしやうねりが一切ない素朴
 な音色は、僧侶の読経の声のように響く。

 普化尺八の教えの真髄こそ、「吹禅一如」「一音成仏」。吹くこと自体が禅の修行で、
 音によって人々を救うというものだ。こうした精神性の深さに引かれて虚無僧の道を志
 願する中高年が最近、増えているという。同寺を中心に活動する明暗導主会によると、
 三十年前、約三十人だった会員が今では二百人を超えた。医師、公務員、警察官、タク
 シー運転手など、現代の虚無僧の“表の顔”はさまざまだ。

 普化尺八は本来、演奏会とは無縁のものなので、修行の場は寺での吹禅会と虚無僧姿で
 の托鉢となる。会員の一人で兵庫県西宮市に住む谷林幸雄さん(68)は、約二十年前
 から虚無僧姿で全国の霊場を回っている。

 谷林さんは、初めは足がすくんだという。「天蓋をかぶると、もはや誰とも話ができず、
 山や野原では、尺八の音が風にかき消される。孤独感、無力感が募る中、弱い自己との
 闘いの連続だった」。それがある時、自然・宇宙との不思議な一体感を得て、「本当の
 尺八を感得するには、虚無僧の経験が欠かせない」と痛感したという。

 明暗寺の児島抱庵看首(76)は、普化尺八の極意を「竹の真音を吹く」と説く。禅と
 同様、呼吸を整え、無心になって吹くことなのだという。尺八の音に心の安息を求めて
 いるようでもある。

 虚無僧になるのに、これといった決まりはない。だれでも普化尺八を習うことができる。
 だが、門戸の広さとは反対に極める道は険しく、真摯(しんし)な姿勢が問われる点で、
 まさに禅の修行にほかならない。

(京都支局・池田年男・世界日報)掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
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件名:科学者等から現れた科学革命運動  

科学界の唯物論「帝国主義」を批判/禁じ手あってならぬ真理探究の道
京都大学名誉教授 渡辺 久義
唯物論的前提への批判の反動

 科学あるいは学問一般の世界で、久しく当然のこととされ、批判を受け付けなかった唯
 物論的前提に対する批判的議論が、このところますます盛んになるに及んで、守勢に立
 つ「正統派」はかなり依怙地(いこじ)になっているようにみえる。根本に立ち返って
 自分たちの立っている足場を吟味してみようと言われて、いきり立つというのでは、学
 問する資格がないと言わねばならない。十年ほど前の私の身近な体験がある。

 かつて私のいた大学で、大学の出版局から公開講座の講義をまとめた論文集を出したこ
 とがあり、私の論文も含まれていた。私はその中で、ダーウィン進化論を指して言った
 「浅はかな進化についての考え方」というT・S・エリオットの言葉を引用して私の立
 場を述べた。すると審査委員会の誰かが強硬にこう主張したそうである(もちろんこれ
 は取次ぎの事務職員から聞いたのである)。「ダーウィン進化論を“浅はか”とは何だ。
 これは公共の機関から公共の金を使って出す本なのだから、こういう科学を否定する言
 辞は許されない。撤回せよ」

 これは科学の世界の唯物論「帝国主義」(これも私の言葉ではない、インテリジェント
 ・デザイン派の人たちの言葉である)を典型的に言い表すものであろう。さらにもう一
 つ要求があり、私の使った「下等動物」という言葉もついでに撤回せよ、ということで
 あったらしい。これには首をかしげる人も多いと思うが、私には想像がつく。おそらく
 それは、人間もミミズのような動物も、遺伝子DNAという観点からみれば、同じ物質
 でできた、配列が違うだけで長さもあまり変わらないヒモに還元できるのだから、高等
 下等の区別などない、ということであろう。もしそうなら、これなどまさに唯物論的
 「浅はかさ」というべきものではないか。

意味大きいデザイン論の登場

 結局、私はこれらの要求を退けた形になったが、この科学の世界の体制的「帝国主義」
 はむろんわが国だけのことではない。戦闘的ダーウィニストとして有名なオックスフォ
 ードの生物学者リチャード・ドーキンズの、好んで引用される言葉がある。「進化とい
 うことを信じないという人間がいたら、その人は間違いなく無知か、愚鈍か、狂気かの
 いずれかである(邪悪と言いたいところだが、そこまでは言わないでおこう)」――こ
 うまで言わなければならないのはなぜであろうか、その意味を考えてみるとよい。

 大自然の中で働いているのは盲目の物理的力だけであり、これによってすべてを説明し
 なければならず、またできるはずだという前提があまりにも強力に支配してきたために、
 長いことこれを批判することができなかったのである。それが恨みを晴らすように堰を
 切って、さまざまの分野のアメリカを中心とする科学者・哲学者の間から一種の科学革
 命運動として現れてきたのが、一九九六年「インテリジェント・デザイン・セオリー」
 という呼称のもとに展開されるようになった理論である。

 誰がどう考えても、生命とか進化とか心(意識)の問題を物理力だけで説明できるとは
 思えない。この宇宙の本質は創造であって無目的の機械作用ではないことは直観でわか
 る。しかし、そう思えてもそれは間違った考え方だというようなことを、我々一般人が
 立ち入ることもできぬ専門分野の学者が主張すれば、我々は引き下がるよりほかなくな
 る。科学者の間でさえそれに対する批判は封じられてきた。その批判運動がほかならぬ
 科学者の間から始まったということには、どれだけ大きな意味があるかわからない。

専門家が犯しがちな2つの悪

 自然界にデザイン(構想、計画、目的)などというものはありえない、と自信をもって
 主張する人の自信はどこからくるのだろうか。それは科学というものが宇宙の物理的側
 面を研究するものだという出発点の了解をいつしか勘違いして、宇宙には物理的側面し
 かないと思い込むところからくるのである。

 もし科学をゲームと割り切って、手を使うことを禁じた上でどこまでやれるかを競うサ
 ッカーのようなものであるとすれば、それはそれなりにかなり面白いゲームであるだろ
 う。しかし、いやしくも科学が無条件に真理を探究する道であるならば、そこに禁じ手
 があってはならないだろう。

 専門家というものの犯しがちな大きな悪が二つあると、米国の哲学者ジョン・サールが
 言っている。一つは、一般大衆に対して、彼らの理解できないことを自分たちは理解し
 ているというような印象を与えること。もう一つは、実際はそんなことはないのに、あ
 る理論が真理として確立されているかのような印象を与えること――。これを聞いて心
 の動揺しない専門家は幸いである。ある意味で、こういったことは現代の最もタチの悪
 い犯罪行為だと言ってよいのである。(世界日報)掲載許可済み
Kenzo Yamaoka


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