1725.再び憲法第9条を押し付けられるのか?



再び憲法第9条を押し付けられるのか?

・憲法第9条改正はアメリカの願い
 7月21日、訪米中の中川秀直・自民党国会対策委員長らと会談
したアーミテージ米国務副長官は、「憲法9条の存在が日米同盟関
係の妨げの一つになっている」と述べ、憲法9条改正への米政府の
強い意思を示した上で、「国連安保理常任理事国は、国際的利益の
ために軍事力を展開しなければならない。それができないならば常
任委理事国入りは難しい」との態度を表明したという。

 このアーミテージ発言に続いて、パウエル米国務長官は8月12
日に、日本の記者団との会見において、日本の国連安全保障理事会
常任理事国入りに関連し、憲法改正は日本国民の問題との見解を強
調しながらも「9条は吟味されなくてはならない」と言明、国際的
責務が伴う常任理事国になるには憲法改正が極めて重要な要素にな
るとの認識を示したという。

 これらの発言は、日本国内の改憲推進派の依頼によるものとは思
われない。外圧を使って憲法改正を促進しようというのなら、何か
呼応する発言があるはずだ。日本の政治家もマスコミも、あまりに
静かだ。

アーミテージ発言とパウエル発言は、アメリカの本心、本音なのだ
。日本を国連常任理事国に入れたいという親心だろうか。いや、違
う。常任理事国入りのための具体的なロードマップがどこにも見え
ない。常任理事国入りは、日本国憲法改正問題にアメリカが口出し
するための単なる口実に過ぎない。

 アメリカは前線に送る兵隊が足りないのだ。アメリカでは、昨年
1月7日に「Universal National Service Act of 2003」という法律
ができ、女性を含む18−26歳のアメリカ市民および米国内居住者に
対して2年間の兵役義務を課すことになった。この法律は来年6月に
発効するという。

 アメリカはおそらく、日本の自衛隊にもっと前線に出て戦ってほ
しいと思っている。安全なサマーワで、水を浄化したり、歯磨きを
教えたりして、地元民のご機嫌を取って喜んでいるんじゃない。
それで武士道とは笑わせる。何がご近所作戦だ。そんなことで自己
満足するのではなく、危険な前線でいっしょに戦ってくれ。体を張
ってくれ。われわれアメリカは、すでに1000人以上の兵士を失って
いるのだ。命がけで戦ってくれと思っているのだ。

・日本人の甘く無責任な考え
 仮に日本の政治家が外圧を利用したわけではないにしても、いや
しくも一主権国家の憲法改正に他国が発言したのだ。賛成か反対か
といった反応、あるいは発言の背景や国際常識を疑う意見が、もっ
とマスコミや政治家や政治学者からなされてもよかった。新聞もテ
レビも続報しない。それぞれの発言に対する日本国内の反応はあま
りに鈍い。ほとんど完全無視だ。オリンピック開幕や高校野球期間
中は言いわけにならない。無責任もはなはだしい。

 日本の指導者たちは腹の中で、日本は歴史上一度も憲法を改正し
たことがない、日本国憲法は改正手続きがやっかいな剛性憲法であ
る、いかに左派政党が形骸化し弱体化しようとも日本の世論は最後
の最後まで憲法第9条を死守するだろうということを知っている。

さらにホンネをいえば、日本の政治は憲法にのっとって動いている
わけではないということもわかっている。憲法を甘く見ているのだ
。それに憲法改正は議論としては成り立つが、実現はしないだろう
と思っている。アメリカが国際社会上理不尽な発言をしても、この
ままのんびりぐうたらしていても何も起きないだろうと、たかをく
くっているから、完全無視していられるのだ。

 しかし昨年のイラク派兵のときに、アメリカは学んだ。

 もし日本に前線での戦闘を要求すれば、小泉首相であろうと、安
部幹事長であろうと、はたまた民主党の岡田党首であろうと、言う
ことはひとつだ。「日本には憲法第9条があり、国民が絶対に納得
しません」と言い逃れるに決まっている。

 しかも、憲法第9条という言葉には、言外に「あなた方アメリカ
が押し付けた」といったなかば非難めいたなかば責任逃れのニュア
ンスが含まれていて、日本の指導者たちは、実にケロリとした表情
で、なんの後ろめたさもなくアメリカの懇願を断るのだ。

 だが、日本人は肝心なことを忘れている。憲法といっても人間が
つくった法律だ。人間がそれを改正できないことがあろうか。それ
に、日本人にとっては、不磨の大典である日本国憲法も、アメリカ
にとっては下級官僚が1週間で作り上げて敗戦国国民に押し付けた
荒削りな文章、子供の作文程度のものにすぎないのだ。

・自主憲法はアリエナイ
 日本人でも、もとから自主憲法を作るべきだと考えていた人もい
る。日米安保条約や駐留米軍の存在と同様に、アメリカに押し付け
られた憲法を護持していては、主権国家として体をなさない。自主
憲法論者や改憲論者の立場は、アメリカの憲法第9条改正要求と表
面的には一致する。

 だが、おそらくアメリカが要求するのは、できるだけ迅速な改憲
であり、憲法第9条に限った改正であろう。21世紀の主権国家にふ
さわしい憲法を考えたり、わずか一週間で作り上げた現行憲法の欠
陥や矛盾について考えるゆとりは与えられない。

 そもそも戦後の日本の憲法学会は、まるで宗教の教義のように日
本国憲法を崇め奉ってきた。8月革命説のような荒唐無稽な理論ま
ででっちあげて、日本国憲法を無理矢理に正当化することに明け暮
れてきた。

 したがって憲法のそれぞれの条文を冷静に読み解き、どこにどの
ような問題があるか、どのような改正が可能かといった研究や著作
はほとんどない。そのようなことを考えた学者は、学会で完全無視
され、爪弾きにされ、冷や飯を食わされた。(故・中川剛広島大学
教授の「憲法を読む」(講談社現代新書)は、日本国憲法について冷
静な考察を行った実に珍しい著作であるが、ずいぶん前から絶版で
ある。)

 その結果、国民的支持を得ることができ、立法論的にもバランス
のとれた憲法改正案など、どこにもない。

 このまま行けば日本は、アメリカの望む前線にどしどし自衛隊員
を派遣できる憲法第9条に限定した憲法改正案を、アメリカに押し
付けられることになるかもしれない。イラクへの自衛隊派遣を押し
切られたように、憲法改正もまた、アメリカに押し切られるのだろ
う。なんともやるせない気がする。

 憲法が改正されれば、自衛隊に入りたい人は減るに違いない。
そのときは、民主主義の本家アメリカにならって徴兵制度が復活す
るだけのことだろう。

(得丸久文、2004年8月15日,19日)
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(Fのコメント)
自主憲法を日本自体が、真剣に考えることは必要であるが、米国の
中東戦争に参加させられるような軍事政策ができるような条項を作
るべきではない。

集団安保はできるようにするべきである。しかし、その範囲を自国
領土に対するもので侵略を防ぐことに限り、他国への侵略戦争に加
担することは禁止するとかを必ず入れることが必要である。

米国の戦争政策には不順な動機が隠されている。1つには石油の確
保であり、もう1つがハルマゲドンの完成である。このような特殊
な事態を今までは想定できなかったが、今は違う。

あきらかに米国は大変異常な状態にあり、正常な判断ができない人
が多く、この多くの民衆が選挙戦では大きな力を発揮するために国
の政策もそれに引きづられている。この異常な民衆はキリスト教福
音派の人たちであるが、米国は今、2つの国民に割れている。
1つが一生金に困らない裕福な層と、もう1つがどう頑張っても金
がない層に二分化している。

中産階級の崩壊が始まっている。このような経済的な問題を抱えて
いるために、民衆はその救いを宗教に求めている。それもその救い
を求める層は中級階層であり、劇的な救いを齎す福音派の教えは非
常な共感を得ている。

もう1つが、この層は生活をするために軍隊に入るしかない。そう
すれば、ある程度の生活が保障される。しかし、軍隊の規模が大き
くなると、国家財政は逼迫するために、その財源を求めることにな
る。そうすると、中産階級から下の税金を上げることになる。富裕
階級からは政治家に選挙資金やワイロが流れているために、課税し
にくい。もともと法律を策定するのは議員であるから、そのような
資金を得るためにも富裕階級を怒らすことはない。労働組合の力は
非常に弱くなり、この動きを止めることができない。

このため、一層中産階級から下は益々苦しくなる。このため、企業
もいろいろな課税を受ける従業員を米国内から税金の安いインドな
どの国に移すことになる。このため、米国での労働者は少なくなる。
大企業から大量の人がリストラされて、就職できないために、自立
して中小企業が多くなる。ここでも税金が高いことを経営者は知る
ことになる。

このため、このような中小企業の税金を安くする政党に投票するこ
とになり、下層階級支援の社会保障費や鉄道などの公共投資が削ら
れることになる。そして、軍事費だけが伸びていく。ベトナム戦争
時は米国の工業力は、日本を仰臥していたために、その工業から生
み出される利益で、軍事予算をカバーできたが、今の米国にそのよ
うな余裕はない。

米国は赤字財政で軍事予算を組みことになるが、ドルが基軸通貨で
あるために、直ぐには、ドル暴落とならない。軍事経費を取り返す
ために、石油を狙うしかない。しかし、どちらにしても米国は戦争
を志向して、日本の支援を求めてくる可能性が高く、この支援を邪
魔する憲法9条を改正したのであろう。
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http://www.state.gov/secretary/rm/35204.htm

QUESTION: I understand the U.S., the United States, has supported Japan's
membership in the UN Security Council as a permanent member. In the case,
what is your view about the Article 9 of the Japanese constitution says 
that
there are obstacles that, you know, (inaudible) that Japan's participation
when it comes to (inaudible).

SECRETARY POWELL: Well, as you know, Secretary General Annan has a group
studying the United Nations now, a group of very distinguished individuals,
Mr. Brent Scowcroft is the American who is on this group, and I hope that
they will come up with ideas that would allow all of us to examine the 
right
composition for the Security Council. Is this current form, the right form,
or should it be expanded? Should it have different tiers of membership
within the Security Council? But we certainly have been supportive of
Japan's interest in becoming a member of this major body within the
general -- within the United Nations, the Security Council.

Article 9, of course, is something that the Japanese people feel very, very
strongly about, and it really comes out of the World War II experience. And
it is something that I think was encouraged by the Americans at that time.
And so, we understand the importance of Article 9 to the Japanese people 
and
why it's in your constitution. But at the same time, if Japan is going to
play a full role on the world stage and become a full active participating
member of the Security Council and have the kinds of obligations that it
would pick up as a member of the Security Council, then Article 9 would 
have
to be examined in that light.

But whether or not Article 9 should be modified or changed is absolutely,
entirely up to the Japanese people to decide because it is in your
constitution, and the United States would never presume to offer an 
opinion.
The only opinion that counts in this regard is the opinion of the Japanese
people, as they express their collective will, as to whether they wish 
their
constitution changed or not.

Our security obligations with Japan are well known because it's documented
in our mutual defense agreements.
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MSN-Mainichi INTERACTIVE」から転載します。
記者の目:日本の常任理事国入り=吉富裕倫(西部報道部)
 ◇米政策誘導、利用されるな−−他国との連携が重要

 パウエル米国務長官は12日、日本の報道機関との会見で、日本
が国連安保理常任理事国入りをめざすなら憲法9条を吟味する必要
があると述べ、改憲への期待感を表明した。だが、いっこうに安保
理改革の具体案を示さない米国は、どこまで真剣に改革を望んでい
るのか。むしろ、日本の政策を誘導するため、折に触れて常任理事
国問題を利用しているようにも見える。日本が本当に常任理事国に
なりたいのなら、米国の支持をあてにするより、改革を求める国々
との連携を重視すべきではないか。

 長期連載「平和立国の試練」の取材で、4月から5月にかけてニ
ューヨークに滞在、各国の国連代表部関係者と会った。国連は第二
次大戦の戦勝国である5常任理事国(米英仏中露)が拒否権を持ち
、一国でも「ノー」と言えば何事も通らない。この5カ国が国連を
牛耳る現実に対し、今年になって「友の会」を旗揚げしたメキシコ
など、多くの国々から改革を求める声が上がっていた。

 改革を通じて日本が常任理事国になるには、加盟国の3分の2以
上が賛成し、5常任理事国も同意して国連憲章を改正しなければな
らない。国連に最も影響力のある米国が本気になって取り組めば、
それも現実味を帯びる。だが、米国は果たして本気なのか−−。

 ブッシュ政権はこれまでも、日本の常任理事国入りに関連して、
外交政策を誘導するような発言をしてきた。例えばアーミテージ国
務副長官は、米国がイラク戦争の準備を進めていた02年9月、毎
日新聞などとの会見で、「常任理事国になることを望んでいる日本
は、イラクのような国の影響を注意深く考えるべきだ」と述べ、米
国への積極的な協力を暗に求めた。

 副長官は7月21日、訪米した中川秀直・自民党国会対策委員長
に「軍事力の展開ができないなら、常任理入りは難しい」とも述べ
、パウエル長官に先立って改憲への期待感を示している。

 しかし、安保理改革の具体的な課題、例えば現在15カ国のメン
バーを何カ国に増やすかという問題について、米国の国連代表部筋
は「ワシントン(ブッシュ政権)が公にした政策は承知していない
」と答えた。外務省も米国の具体案は把握していないのだ。

 米国のシンクタンク「ヘリテージ財団」のナイル・ガーディナー
研究員は「日本が常任理事国になろうとすれば、他の国もなりたが
る。ブッシュ政権は当面、現状維持を望むだろう」と米国の本音を
分析。さらに「米国にとって、重要な同盟国のドイツを無視して日
本だけ常任理事国にする選択肢はない。ドイツがイラク戦争に反対
したことで(ドイツの常任理事国入りは遠のき)、日本の加入も遠
くなった」との見方を示した。

 日本は国連安保理決議なしでイラク戦争を始めた米英を支持し、
終戦後は憲法に背伸びをさせてまでイラクに自衛隊を派遣した。だ
が、国連NGO「グローバル・ポリシー・フォーラム」のジェーム
ズ・ポール代表は言う。「米国は『常任理事国になりたいなら、日
本は我々に反対しない方がいい』と言うだろうが、その一方で米国
の本音が安保理改革に反対なのは皆知っている。日本政府と国民は
ばかにされているのだ。目の前にニンジンをつるされて」と。

 日本は米国に次ぐ規模の国連分担金を拠出しているが、5常任理
事国のような政治力はなく、憲法前文がうたう「名誉ある地位」を
占めているかどうかも疑問だ。イラクの主権移譲を安保理で議論し
ていた時、ある国連職員は「日本は主権移譲後も自衛隊駐留を正当
化できるよう、国内法に見合った文言を決議に入れてもらうことに
腐心している。『まず自衛隊派遣ありき』で、対米協力を優先して
いる」と話した。

 安保理改革の議論は、現在の常任5、非常任10の枠を増やし、
二十数カ国にする方向で進められてきた。新たな常任理事国として
有力視されているのは、日本、ドイツ、インド、ブラジルなどだ。
だが、常任理事国を増やすことは、現行5カ国の力を相対的に低下
させることになり、反発は必至だ。これを実現するには、日本など
が中心になって、改革を求める国々の声を結集していくしかない。

 この際、日本は旧戦勝5カ国の仲間入りをする形で常任理事国を
目指すのではなく、拒否権を含めた常任理事国の権限、構成を見直
す抜本的な改革を提唱してはどうか。「対米協調」には限界がある
。ニューヨークの若き国連外交官は「今の日本に必要なのは、地球
儀を回して世界を見る発想だ」と熱っぽく語った。広い視野で目標
に向かってほしい。
毎日新聞 2004年8月18日 東京朝刊
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件名:なぜイラク戦争が理解できないか  

日本人に欠けた「自由の哲学」/神が与えた人間の価値の源泉
評論家 井上 茂信
「自由」のために闘うアメリカ

 ブッシュ政権のイラク政策が日本で理解されない原因の一つは「自由の哲学」が乏しく、
 認識ギャップがあることだ。ブッシュ大統領はアフガニスタンやイラクでの戦いについ
 て「米国は自国の安全を守り、他国に自由をもたらすために尽くし、犠牲を払ってきた」
 と述べ、米国の目的が自由の拡大であることを強調した(ウェストバージニア州チャー
 ルストンでの独立記念日演説)。同大統領は「自由こそが中東の未来である」として中
 東民主化構想を提唱した。

 また「あらゆる民主主義は独自の形態を持っている」と述べ、米国型の民主主義を押し
 つけることはしないと約束したうえで、世界共通の価値として「自由」を挙げ、中東諸
 国にもそれが受け入れられると強調した(6・29イスタンブール演説)。

 9・11同時多発テロの爆心地グラウンド・ゼロに再開発の目玉として建設中の世界最
 高層ビルはフリーダム・タワー(自由の塔)と名付けられ、礎石には「犠牲者を追悼し、
 自由の精神を守り抜くために」と刻まれている。

 では、イラク戦争と自由追求の関係はどうか。ジョセフ・リーバーマン米上院議員は
 「ワシントン・タイムズ」への寄稿文の中で「イラクや世界各地でわれわれが戦ってい
 るのは自由のためだ。前世紀にわれわれが直面して打倒したファシストや共産主義全体
 主義と同様に、イスラム全体主義運動は自由への直接の脅威だ。イスラム・テロリスト
 の価値観はわれわれのとは正反対である。彼らは人々の自由を抑圧する新しい悪の帝国
 なのだ」と、イラク戦争の意義を的確に述べている。

 それでは自由はなぜそのように尊く、普遍的価値なのか。

 キリスト教世界では、自由は神から与えられた人格的価値の源泉とみなされている。ア
 リやハチと人間との相違は、前者が「類的存在」として本能によって動かされているだ
 けで、自我の自由がないことだ。自由意思のないアリやハチには、善悪も信仰もなく、
 人間だけが持つ尊厳性はない。

キリスト教世界の人間の尊厳

 「なぜ神は人間を堕落しないように創造しなかったのか」がよく問われる。だが、神が
 善のみを行う人間を創造したとするなら、これは「善のロボット」に過ぎず、善は善で
 なくなる。「強制された悪」が悪でないように、「強制された善」も善でなくなる。

 新約聖書で理解しにくいことの一つは、なぜ死者をも甦らせる力を持ち、裏切りを前も
 って知っていた「神の子」イエスがユダをとめなかったかである。理由はユダの自由を
 尊重したからだ。イエスは三年間、ユダを使徒と呼んで愛し、教えた末、ユダの自由選
 択を許した。人間を自動機械的な必然の宿命の奴隷とはしなかった。神の意志を尊重し
 たためだ。神の子は人間精神の自由の重要性に目を注いだ。

 旧約聖書の創世記では神は人間以外の生物と人間の創造を別にした。神は人間について
 は、神のかたちに創造し、他の生物を治めさせることにしたた。さらに「とって食べる
 な」と人間のみに神は命じた。人間には他の動物と違って「とって食べる」選択の自由
 が与えられたからだ。本能のままに行動する他の動物には何の命令も神は下さなかった。

 ロシアの作家ドストエフスキーは小説「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官物語」のな
 かで、自由は最高の被造物である人間のみに与えられた「神性」であり、神の最大の祝
 福であることを見事に描き出している。

 甦ったキリストが大審問官(悪魔の代身)から荒野での三つの誘惑について告げられる
 物語だ。

 第一の誘惑はパンだ。大審問官は「石をパンに変えさえすれば全人類はお前に従ったの
 ではないか」と尋ねる。キリストの答えは「人はパンのみにて生きるにあらず」だった。
 第二の誘惑は奇蹟だ。大審問官は「城の頂から飛びおり奇蹟を示せば、人々は従ったの
 ではないか」と聞く。答えは「人々を奇蹟の奴隷にしたくなかったから」だ。第三の誘
 惑は権威だ。「剣によって人々を服従させたら」と勧める。キリストの答えは「ノー」
 だ。剣によって人間をアリ塚のアリのようにして自由が失われることを望まなかったか
 らだ。キリストは自由の尊厳性故に「神を信ぜよ」と強制しなかった。

 人間を含めた生物の個体(身体)は遺伝子が自分のコピーを増やすために作った乗り物
 にすぎない、とするイギリスの動物学者リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子説」
 が一部でもてはやされている。

 だが、この説の致命的欠陥は人間の「自由性」を無視していることだ。この説は生命は
 遺伝子本体であるDNAの設計通りに動かされる精密な機械のようなものという生命機
 械説(決定説)の立場に立っている。しかし、個々の人生が単なるモノ(化学物質)に
 過ぎない遺伝子に完全にコントロールされるわけではない。人間は他の生物と違って、
 自由意思によって行動を制御しうるし、時にはアカの他人のために命を投げ出すことも
 可能だ。「人間らしさ」とは自由意思の存在であり、本能あるいはDNAにより操られ
 た他の生物と決定的に異なる。自由により人間は初めて人間たりうる。人間始祖の堕落
 を神が阻止しなかったのは自ら与えた人間の自由を尊重したためだ。

善と悪の自由と人の責任分担

 宇宙に生命が発生し、低位の生命から自由意思をもった高位の生命である人間へと進化
 したのは、人間を超えた何か遠大な存在による生命を「引き上げる力」があったからだ
 ろう。人間精神の自由こそ神の存在の証である。キリスト教社会は自由は「神から人間
 のみに与えられた最大の思恵」とみなされ、生命をかけて守るべきものとされている。

 米国の独立宣言の起草者ジェファーソンは、自由は神から与えられたもの故に、神への
 責任を伴うことを強調した。その責任とは人間に内在する神が定めた精神的法則(道徳
 律)に従うことだ。自由は「神の高みに至る自由」とともに「悪魔の深淵に落ちる自由」
 を内包する。その戦場が人間の心であり、そこに人間の責任分担が生じる。

 ブッシュ大統領が師と仰ぐ故レーガン大統領は「自由の大義は神の大義」(人々の自由
 のために尽くすことは神に尽くすことだ)と説いた。自由をわがまま勝手としか理解せ
 ず、集団思考や拘束好きの人の多いわが国ではイラク戦争の根底にある「自由の戦い」
 は理解困難だ。 (世界日報)掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
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件名:戦後憲法「3大原則」に異議あり  

偏向教育界が先導した解釈改憲/人権・平和・国民主権のみ原則化
大月短期大学教授 小山 常実
国民の暴走のチェックに瑕疵

 八月十五日、終戦の日から五十九年経過する。米軍による占領中
に作られた「日本国憲法」も、ようやく改正の声が高くなっている
が、民主党は勿論のこと、自民党さえも「日本国憲法」三大原則な
るものを堅持するとしている。「日本国憲法」改正方式の是非はと
もかくとして、三大原則堅持で本当にいいのだろうか。

 そもそも、「日本国憲法」は、前文に即して言うと、第一に間接
民主主義、第二に国際協調主義、第三に人権尊重主義、第四に戦争
放棄主義、第五に国民主権主義の五原則を掲げている。筆者なりに
、条文本体も含めて総合的にとらえれば、「日本国憲法」は、五原
則に象徴天皇制と三権分立を加えた七原則を掲げていると言えよう。

 七原則のうち、国民主権の原則は、直接民主主義と結び付いて国
民の暴走を生み出しやすく、ともすれば、共産主義等の全体主義を
生みだしかねないものである。これに対して、間接民主主義の原則
、三権分立と象徴天皇制は、国民主権の暴走をチェックするための
ものである。つまり、七原則から国民主権などの三原則だけをこと
さらに取り出すということは、「日本国憲法」を全体主義的に解釈
しなおそうとする試みなのである。

 では、三原則はいつ成立したか。筆者は、昭和二十年代以来の中
学校公民教科書及び歴史教科書と憲法解釈書を検討してみた。する
と、ともかく驚いた。昭和二十年代の公民教科書には、三原則は登
場しない。東京書籍は国民主権と平和主義の二原則だけを掲げてお
り、日本書籍や清水書院は特に原則や原理といったまとめ方をして
いない。そして、たとえば学校図書は、国民主権、平和国家、基本
的人権尊重、国会中心主義、三権分立、地方自治の六原則を掲げて
いる。

公民教育が鼓吹した3大原則

 ところが、昭和三十(一九五五)年度になると、中教出版や帝国書
院などが三原則を唱え始める。そして、昭和三十七年度には、三原
則を掲げる教科書が完全に多数を占め、四十四年度以降には全社が
三原則を記すようになるのである。

 だが、昭和三十七年度以降の時期においても、歴史教科書の半数
程度は、例えば、三原則に国会最高機関、象徴天皇制を加えた五原
則を挙げたりしている。歴史教科書が三原則に統一されるのは、よ
うやく昭和五十六(一九八一)年度からのことにすぎない。

 筆者が一番びっくりしたことに、なんと、憲法解釈学では一九七〇
年代まで三原則説が完全な少数派であった。戦後憲法学の基礎を築
いた美濃部達吉(以下敬称略)は国民主権主義、永久平和主義、人権
尊重主義、国会中心主義の四原則を挙げている。また、一九六〇年
までの司法試験委員を務めた代表的な憲法学者には、宮沢俊義、清
宮四郎、田上穣治、大石義雄の四人がいるが、いずれも三原則を唱
えていない。たとえば、宮沢は個人の尊厳、国民主権、社会国家、
平和国家の四原則を挙げ、清宮は民主主義、自由主義(権力分立と自
由権)、平等主義、福祉主義、平和主義の五原則を挙げているのであ
る。

 一九六〇年代、七〇年代の司法試験委員で代表的な学者には、佐
藤功、鵜飼信成、小嶋和司、水木惣太郎、俵静夫、覚道豊治、川添
利幸の七人がいる。覚道と川添は未検討であるが、他の五人のうち
三原則を唱えているのは鵜飼と俵だけである。最も長く司法試験委
員を務め、最も権威の高い学者である佐藤は、三原則に「法の支配
」を加えた四原則を唱えている。また、司法試験委員こそ務めてい
ないが、著名な憲法学者であった橋本公亘は、国民主権主義、人権
尊重主義、権力分立主義、平和主義の四原則を掲げている。

 ところが、一九八〇年代の司法試験委員を見ると、芦部信喜、樋
口陽一、清水睦等多数の憲法学者が三大原則を唱えるようになる。
しかし、一九八〇年代以降の憲法学界の第一人者とも言われる佐藤
幸治は、国民主権と代表制、自由主義、国際協和主義・平和主義の
三原則を掲げ、さらに自由主義を基本的人権、権力分立、「法の支
配」の三者に区分している。間接民主主義と権力分立が重視されて
いることに留意されたい。

全体主義的原則は白紙に戻せ

 実は、今日でも、三大原則なるものは、憲法学界で定説になって
いない。たとえば、一九九九年度から二〇〇一年度までの司法試験
委員六名のうち三原則を明言するのは、吉田善明、大沢秀介、辻村
みよ子の三名だけである。長尾一紘と高橋和之は、佐藤功と同じく
、三原則に「法の支配」を加えた四原則を掲げているのである。

 以上見てきたように、三大原則説とは、日教組が牛耳ってきた教
育界でまず作り上げられ、これに影響された憲法学界で相対的多数
説になったものにすぎない。自民党や民主党の諸氏には、このよう
な全体主義的な原則など白紙に戻して憲法改正問題に取り組んでい
ただきたいと願う次第である。世界日報  掲載許可済み
Kenzo Yamaoka


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