1719.「脳内現象」と「ダライ・ラマ ゾクチェン入門」



件名:「脳内現象」と「ダライ・ラマ ゾクチェン入門」 S子  

▼「脳内現象」
「近代以降の科学では、まず、客観的な世界が存在することを前提
にして、その上で、その客観的な世界で成り立つ法則を考える。」
(「脳内現象」p29)と述べられているように、科学とは「私」
という主観を離れて、より客観的立場に基づいた法則を考える知性
の拡充である。また、科学は「実験や観察に基づく経験的実証性と
論理的推論に基づく体系的整合性をその特徴とする。」(goo国語
辞典より)

この科学の発達により、今日私たちの生活はより安定的なものにな
り、私たちはある程度未来を展望することができるようになった。
客観性を重視した科学が、不確実な世情を生きる私たちひとりひと
りに幸せをもたらしたと言っても過言ではないだろう。

主観を離れて客観性を重視するという意味において、科学は仏教の
教えである利他心にとてもよく似ている。「私」を脇に置いて、ま
ずは他者をどれだけ思いやることができるのか、世界についてどれ
だけ考えることができるのかと考察を重ねることが、科学の発達に
寄与した部分は大きい。

知性拡充に伴って科学が今日到達し得た問題が、私たち人間の「意
識」だというのは何とも皮肉である。が、科学の客観性がランダム
に取り上げた主観性に基づく体系的整合性のデータであれば、いつ
かは帰結する問題だということがわかる。

「脳内現象」では科学が長い間不問にしてきた人間の「意識」の謎
を解明するために、有限的物質的存在である脳から「意識」がどの
ようにして生れるのか、そこから「私」がいかにして立ち上がるの
か、そして「意識」の場所とは一体どこなのかと貪欲にメタ認知を
働かせ、どこまでも「意識」の問題に著者は切り込んでいる。

メタ認知とは「自分がそのような形で世界を認識していること自体
を、いわば外側から認識し直す心の働き」(「脳内現象」p68)
を言う。つまり自分を見ている冷静な第三者の目が自己に内在して
いる状態を指している。もっとわかりやすく言えば、「メタ認知=
気づき」だとも言える。

「メタ認知は、世界についての新しい知識を獲得したり、他人や自
分の心の状態を認識したり、あるいは言語を通してコミュニケーシ
ョンするといった、高次のプロセスに深く関わっていると推定され
る。」(「脳内現象」p168)

著者は結局このメタ認知こそが意識そのものであり、意識の本質な
のではないかと述べている。脳は有限的物質的存在であるがゆえに
、その領域において高次の複数機能を備えている。高次の複数機能
を備えた脳のシステムを構成しているのは個物の神経細胞であり、
この神経細胞同士の活動の関係性に基づいて属性が生まれ、意識が
成立する。

つまり神経細胞活動の関係性の相互作用によってはじめて意識が生
れるのであって、個々の神経細胞それ自体に固有の性質や特徴をも
った意識が存在するのではないと著者は述べている。

結論として「意識の場所」は現代科学では解明困難であり、「意識
」は存在論ではなく認識論ではないかと著者は推論して終えている
。長い間科学が不問としてきた問題であるだけに「意識」の謎の解
明は困難を極めているが、著者はそれでも科学は少しずつ前進して
いるのは事実だとしている。

この果敢な勇気ある著者の知力と「私」を抜きにして挑む著者の知
性の拡充と、更にひとりの人間としての計り知れない知性の奥深さ
を「脳内現象」では、これでもかこれでもかと私たちに見せてくれ
ている。

▼ 「ダライ・ラマ ゾクチェン入門」
これはチベット仏教を西洋世界に広めるために、1982年〜1989年
に渡って、ダライ・ラマ自身がパリやサンノゼ等の聴衆を前にゾク
チェンの説法を行なった内容を収録したものである。ゾクチェンと
はチベット仏教最古のニンマ派の最高奥義であり、人間の本質であ
る「心の清浄な光明」を厳しい修行の果てに体得、実体験するもの
である。

私たち人間の真の心はリクパと呼ばれる純粋意識であり、日常の心
とは完全に区別されなければならない。リクパ(純粋意識)に到達
するためには私たちが自ら解脱を成し遂げる必要があるが、そのた
めには、まず私たちがものごとに対して確実な認識をもち、錯誤を
見抜く洞察力を高め身につけなければならない。

正しい認識をもち心を常に安定させ穏やかでいることにより、私た
ちは幸せを手に入れることができる。ものごとへの誤った認識や理
解は私たちの根本的な無知からくるものである。この無知をなくす
ためには私たちは知恵や知性の拡充を計らなければならない。その
ためには、常日頃より自らを精査し心の訓練を怠らないことがもの
ごとへの執着心を捨てさせることになり、私たちは心の苦しみから
解放される。

ここで地道な努力の積み重ねと切磋琢磨を繰り返す厳しい現実を、
私たちは乗り越えてゆかなければならない。自我と我欲の闘いが人
間にとっては一番辛い。この辛い現実を乗り越え瞑想を実践し続け
ることは大変重要であり、必然である。

「ゾクチェンにおいて、リクパ(純粋意識)に直接に手引きしても
らうには、それをすでに会得している真正の師への信頼が不可欠と
なります。この直接の手引きが身を結ぶのは、師が加持する言葉が
弟子の心の流れを満たすときです。ただし、これは容易なプロセス
ではありません。旧訳派の伝統に属するニンマ派のゾクチェンの教
えでは、したがって指導者の役割がきわめて重要とされていました
。」(「ダライ・ラマ ゾクチェン入門」p26)

結局、私たちが「心の清浄な光明」を体得するには、自らが尊敬す
る師と仰ぐ人物に帰依し、その師弟関係における揺るぎない信頼関
係を構築するしかないのである。だからなお更師は真正であり有資
格者でなければならない。

実は私は「心の清浄な光明」である「光体験」を過去に一度体験し
、私なりの理解をしている。太陽の光でもあるようだが太陽の光と
は質が違ったように感じた。白っぽく輝ける光。私にはその光がし
っかりと見えたように思ったが、もしかしたら私がそのように感じ
たのかもしれない。

その光に包まれた瞬間私は深い安らぎを得た。生れてこのかた感じ
たこともない心の平安とぬくもり、暖かさ。。。苦しみ、憎しみ、
恐れ、不安等の全ての負の感情が私から一瞬にして消え去った。そ
こにあるのはただ、ただ溢れんばかりの愛だけだった。

人間の真の心であるリクパ(純粋意識)とはおそらくこのような意
識を指すのだろう、と私は思っている。そして、このリクパ(純粋
意識)を私たち人間は皆等しく備えている。ゾクチェンはこの「心
の清浄な光明」を直接体験することで、自らの厳しい修行を通して
人間の本質に出会うのである。

▼ 科学と仏教
「脳内現象」において、科学は人間の「意識」という問題に取り組
みはじめ、「私」を追究している。「ダライ・ラマ ゾクチェン入
門」においては、チベット仏教の最高奥義により人間の本質を実体
験することで「私」を追究している。今日科学も仏教も「私」とい
う主観性に立ちかえり、人間の本質に迫ろうとしている。

「私」の意識はどこからやってくるのか、「私」はどこに存在する
のかと「私」の意識が「私」を求めてやまない。科学も仏教も「私
」を抜きにしては考えられなくなっている。

仏教における根本的な無知からの脱却を目指す知性の拡充は、科学
における脳から「私」が脱出するための志向性に他ならず、仏教に
おける悟りは、科学におけるメタ認知=気づきに他ならない。科学
における客観性は、仏教の利他心に他ならず、共に高い洞察力と集
中力、直観力を必要とする。

つまり科学が仏教し、仏教が科学しているのである。それら全てを
目に見えない「意識」が生み出している。「脳内現象」の著者は「
意識」は存在論ではなく、認識論ではないかと推論しているが、私
はこれは確かだろうという気がしている。私たち人間の「意識」が
認識論であるならば、私たちひとりひとりの「意識」の奥深いとこ
ろでは、私たち人間は全て繋がっているのではないか。

そうして「私」を知るということは、結局全てを知ることになるの
ではないかと私は推論する。相対性理論で有名なアインシュタイン
の言葉を「脳内現象」では紹介しているが、私にはこの言葉がとて
も印象的に残っている。

「ある人間の価値は、まず何よりも彼が自分自身からどれくらい解
放されているかで決まる。」

参考文献  「脳内現象」   茂木健一郎著   NHKブックス
     「ダライ・ラマ ゾクチェン入門」
              ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ
                  訳 宮坂宥洪   春秋社
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(Fのコメント)
科学的な心の解明は、まだその入り口にあり、まだまだ解明されな
いことが多い。ここではクンダーニ・ヨガから来ているチャクラに
ついて、今回は述べよう。

人間の体の中は微弱な電気信号が流れて、神経間をつないでいる。
この電気信号を強くしたり、弱くしたりできる。そして外界にその
電気信号が生み出す電磁気や電波を発信したり、外界の信号を受信
したりできる構造が体に備わっている。

このような振舞いが気でしょうね。この気を自由に制御して自分の
意識をコントロールできないかというのが、気功です。

気を制御して分かることは、意識が集まる点があり、その気が集ま
る点をチャクラとすると、その点は重要な部分である。
チャクラに神経を集中すると、そのチャクラである神経集中点の内
臓が活発化して、この内臓機能を増加させて、自分の状態を変化さ
せることができる。勿論、気分も変わる。

・ムラダーラ・チャクラ(尾てい骨の先端部分)
・スワディスター・チャクラ(丹田:ヘソの下4〜5cm)
 このチャクラに気を集中させると、安定した気持ちになり、力が
 沸いてくる。力の源。
・マニプラ・チャクラ(ミゾオチとヘソの中間)
・アナハタ・チャクラ(心臓の部分)
 このチャクラに気を集中させると、信念を持てる。
・ビシュダ・チャクラ(ノド)
 このチャクラに気を集中させると、免疫系を強化されて病気を治
 すことができる。
・アジナ・チャクラ(眉間)
 このチャクラに気を集中させると、将来の姿や透視して物が見え
 る。
・サハスラー・チャクラ(頭頂部)
 このチャクラに気を集中させると、宇宙意志や神を連絡が取れる。
 私はこのチャクラを利用したことがないため、このチャクラの能
 力がない。

このチャクラに気を集中するためには、その前に心に浮かぶ雑念を
取ってからでないと、神経的な疾患に陥るので、止めてください。
いい指導者について、座禅が3時間程度できるようになってから、
このチャクラの開発をしてくださいね。
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件  名 : 桃井和馬・新刊「もう、死なせない!」

 桃井和馬です。さて、またまた、新しい本を出版しました。
 タイトルは「もう、死なせない! 子どもたちの成?きる権利」
                                          (フレーベル館)。

 1989年、国連総会において採択された「子どもの権利条約」
を基に、私がこれまで訪れた場所で出会った子どもたちの写真、
それに散文をつけました。
  心に残る子どもたちとの、一枚の写真の中の出会い。それに平易
な文章(総ルビ)をつけたこの本は、世界の子どもたちのことを「
見て」「読んで」「知って」、「子どもと大人が話し合い」、「考
える」きっかけになる本です。
 書店などで是非、手にとってください。

「もう、死なせない! 子どもたちの成?きる権利」(フレーベル館)
 1500円+消費成?・サイズ(cm): 21 x 20  72ページ

以下は、ネット書店で販売されているものです。
アマゾン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4577028662/kokusaisenrya-22

 また近著の「破壊される大地」(岩波書店・1800円)も、「世界
の成場からシリーズ」の一冊として好評発売中。現在、全国25カ
所の有名書店
にて、ブックフェアーが開催されています。また8月21日(土)
〜30日(月)まで、東京都美術館にて、私も写真を出展した写真
展が開催されます。

 日時 8月21日(土)〜30日(月)
 場所 東京都美術館 第34回現代アーチストセンター展内 第一彫塑室
 (JR「上野駅」公園口より徒歩7分)
 開館時間 9:00〜14:00(入場は13:30まで)
 休館日 期間中無休
 主催 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会 連絡成? 090-6101-6113
 
 その他、今年初めに出版しました「観光コースでないアフリカ大
陸西海岸」(高文研・1800円)も、「臓腑を掻き乱しながら、必死
に成き抜く、アフリカの成を描ききった一冊」との評価を受けるこ
とができました。ぜひ、こちらも手にとって、見てください。

 また、8月中旬には、私が原案をつくり、文章を担当した絵本「
好きなのに」(東海大学出版会)が出版されます。書店に並びまし
たら、また改めてこの本のお知らせを出させて頂きます。
 暑さが厳しい季節です。お身体には充分に気をつけてください。
                                 桃井和馬


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