1705.自然に生きる



十牛図に表現されているように、修行で高みに上っても、もう1度
この世に普通の人として生活し、使命を達成することが必要だ。
              Fより

私は職業を持っているために、修行としての高みには行っていない
が、修行して獲得した能力を普段の生活で使ってはいけないと思っ
てきた。普段の生活を普通人として送ることが必要であると、祖母
と話したことを覚えている。

祖母は私より霊的能力が上で、来た信者さんの過去や未来を相当程
度見ることができる。このため、よくお客が自分の将来を見てもら
いにお坊さんと一緒に家に来ていた。このとき、祖母はその客にと
って良い話はするが、悪い話はしないようにしていた。お客が帰っ
た後に、私にあの人はガンになるが、そのことを話さなかったとい
った。

私は祖母に、なぜ話さないのかを問うと、そのことを話して、その
人が安穏な生活が送れれば話すが、予防もできないことを話して、
どうするのと言っていた。

人間はこの世で人間としての品格と正しい行動をしていれば、何べ
んも生まれ変わって、この世に生活できると見ている。このため、
今の人生しかないという刹那的な考え方をしない。話せばガン予防
のためのお金を稼ぐために、この人生で無理をする可能性がある。
これは必要がないと思っている。人生を真っ当に生きればいいと考
えている。

欲が大きいとその欲が大きい分、奪い合いになり、人を傷つけるこ
とになる。人間としての品格を失うことになる。そうすると、来世
は動物になる可能性が出てくる。それはバカである。そして、その
人がこの世に生まれてきた目的がある。自分を高めるための目標が
生まれてくる前に言われているはずなのだ。

これは使命とも言うが、これを実行することが必要なのです。しか
し、この人生に執着するとその使命が果たせないことになる。私は
子供の時から自分の人生が、ある程度見えているような気がした。
そして自分の使命は、ハルマゲドンの防止とハルマゲドン後の建て
直しであると見ている。

人間が自然と共に生きて、その自然と共に死んでいくことが、定め
であり、そのことを防止できない。この自然に生きる神道的な世界
を石油が無くなった後に世界に広めることが、私だけでなく日本人
全員の使命でしょうね。このような使命を日本人の多くが与えられ
て、この日本に生まれてきたようですよ。

若い人は自分の内的世界で確認してほしいものである。内的世界に
入るには、自分の部屋や静かな自然に包まれた場所で座って沈黙の
時間を1時間程度持てばいいだけですので、実行してみてはいかが
でしょうかね。1年程度1週間に1度ぐらい継続して実行すること
を強くお勧めします。バロック風の軽い音楽が背景音としてあって
もいいです。

どうか、日本人の総力で森林崇拝、自然崇拝、肉食?禁止、家畜?
禁止の世界をハルマゲドン後に作ろうではありませんか??
その前に多くの生物に災難を起こすハルマゲドンを起こさないよう
にする必要があると思いますね。これがまず基本。

どうもその役割を共同で担う人たちが、YSさんの調査で明らかに
なったが、戦後日本を作ってくれたクエーカーや聖公会やカトリッ
クの人たちのようです。そして、その後に日本の神道(アミニズム
)の復活でしょうね。インディアンの人たちと共同で復活するよう
な気がする。

この使命を達成するためにも日本の霊的レベルを引き上げるために
、学校教育の場で沈黙の時間を設けて欲しいですね。特に大学の教
養課程には必須のように感じる。社会に出て、ストレスを感じた時
に、その解消策としては一番いい解決であると思う。今の時代は小
乗仏教に戻り、全員が霊的レベルを上げる必要にあると思う。それ
だけ、現代は大変な時代になっているのです。
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ごぶさたしてます。
暑く乾燥した日々が続きますが、お元気のご様子でなによりです。

西洋文明は、自然を征服する人間の行為であるのに対して、日本の
文明は自然崇拝、森林崇拝、肉食禁止・家畜禁止であった。これは
太田龍の主張でもありますね。

太田龍の週刊日本新聞、実におもしろい。

6月に綾部の大本本部を訪ね、その後池之端にある大本東京本部も
訪ねました。大本の教えは、日本の神道そのものです。むしろ国家
神道こそが、偽神道だった。だから弾圧されたのだなと思います。

毎日、祝詞を唱え、自然に感謝していきる生き方こそ、人類が21
世紀以降も行き続けるための前提ではないかと思います。

ShinRai(得)

>このような経験から、私たちは地球の神と繋がっていると思ってい
>る。地球上の生きと生きるものが繋がっている。このため、動物な
>どを無残に殺すと、日本では昔から、それが大きな祟りを引き起こ
>すと考えられたのです。自分の食べ物にも感謝して食べなさいと言
>うのです。
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(Fのコメント)
T君がガンと疑われて、聖路加国際病院に10日間入院して出てき
て、1ケ月程度、家で静養したようです。しかし、診断の結果ガン
ではなかったので、安心しています。

日本に現在住んでいる人たちは、どうも日本の神道を復活するため
にあの世から送られてきたように感じる。そろそろ、日本人がこの
ことを覚醒する時期に近づいているようだ。そのように予感する。
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F さん へ
この度の魂の成長についてを大変興味深く読ませて頂きました。

私は30年前から霊界通信の大御所の近藤 千雄 先生著書の「古
代霊は語る」が縁で懇意にさせてもらい霊界の真実を出来るだけ多
くの人々に知ってもらう努力をして来ました。

小さい頃より霊感が強く今も宇宙から地球を見る事が日課になって
居ります。人間は無から何も創れないのです、在る物を利用して発
展して来たのです。

人間は在る物に感謝しもっと謙虚に生きなければならないと思いま
すが現在の人類は水も空気も自分で創つた様な錯覚に陥って居りま
す。

まして本物の宗教は皆無と云っても過言ではないと思います。
宇宙には地球より発展している星が多数有ります。地球に住む人間
の有り様が将来の希望です。

現在の地球に住む人類の我が儘勝手の許容量がどれ程あるかは地球
の未来を考える人々の頭痛の種となって居ります。

Fさんにも潮文社発行のシルバーバーチ「古代霊は語る」を是非お
読み下さる様に切にお願い致します。
鈴木 麗加
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(Fのコメント)
麗加さん、お久しぶりですね。霊界との交信ができる人がいるよう
ですが、イタコの状態になればできるので、そんなに修行のレベル
は高くないと見ている。問題は誰と交信するかですね。

今、死んだ祖母と交信できないようです。もう祖母はこの世に生ま
れ変わってきている。それも私の近くにいるのです。私の子供とし
て生まれ変わってきたようです。このため、まだ霊的なレベルも低
くて、自分の欲に引きづられて生きているように感じている。そし
て修行もしていないために何も見えないようです。いつ自分の能力
に気が着くのでしょうね。
このようにハイレベルな状態にないと霊界に居られない。

古代霊は語るということは、この霊が神に近いレベルであるという
ことになる。
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件名:死を通して生を考える教育  

日本女子大学教授 中村博志氏に聞く
生死を自然の摂理として
重度心身障害児とともに20年/学生に診療体験語る

死をタブー視する親たち/一緒に考え家庭機能回復を

 死を忌まわしいものとして遠ざけてきた結果、子供たちは実感として死を受け止めるこ
 とができなくなっている。それが、悲惨な少年犯罪が多発する背景の一つではないか、
 と考えた小児科医の中村博志・日本女子大学教授は、学生や子供たちを対象に「死を通
 して生を考える教育」に取り組んでいる。

 (聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

 ――小学六年生の女児が同級生を殺害した佐世保事件では、弁護士が「加害女児は殺意
 を持っていたが、死ぬということの実感がなかったのでは」と述べている。

 私たちのグループが都内の二つの小学校の生徒を対象に行ったアンケート調査では、
 「死んだ人が生き返ることがあると思うか」の問いに対して、「あると思う」が34%、
 「あると思わない」が同じく34%、「分からない」が32%という驚くべき結果だっ
 た。小学校の高学年でも死を正しく認識していないものが多い。

 調査した人数が少ないので性急な結論は避けたいが、少なくとも子供たちに「いのちを
 大切に」と語り掛けるだけでは足りない。まず「死とは」「いのちとは」というところ
 から伝えなければ言葉は届かないのではないか。

 このデータからいえるのは、少なくとも昔に比べて子供たちが死について分からなくな
 ってきているということだ。背景には、テレビゲームなどの氾濫(はんらん)からくる
 バーチャル・リアリティー(仮想現実)の問題も大きな因子であろう。

 さらに、死んだ人が生き返ることがあると信じていた十八歳の女子大生もいた。彼女は
 以前、テレビで、ある女性が医師に死亡診断を受けた後、数時間して生き返ったという
 ニュースを見て、そう信じていた。私の講義を聞いて、その女性は「生き返った」ので
 はなく「死んでいなかった」と認識したという。

 ゼミの学生に、肉親の死に出合ったことがあるかと聞くと、多くて三分の二、少ないと
 三分の一しかいない。考えてみると当然で、二十歳前後の学生の祖父母はまだ生きてい
 る人が多い。寿命が延びたことで、若者は死から遠ざかるようになった。これは社会的、
 文化的な変化として、かなり大きなことだろう。

 ――「死を通して生を考える教育」を始めたきっかけは。

 私は小児科医として二十年以上、重度心身障害児施設に勤務したので、死は非常に身近
 なものだった。一九九五年から日本女子大で教えるようになり、そこでの診療体験を話
 すと、「心が揺り動かされた」「人生を考え直した」という感想が学生から返ってきた。
 そこで、死を考えることが生の見直しに通じることに気がついた。

 九七年には中学生による神戸事件が、九八年には黒磯市で女性教師の刺殺事件など少年
 犯罪が続発していたので、そうした事件の背景に、子供たちが死から遠ざかっているこ
 とがあるのではないかと考えるようになり、九八年に「死を通して生を考える研究会」
 を発足させた。小・中・高の先生をはじめ、心理学者、宗教家、ケースワーカー、ホス
 ピス婦長、医師、学生が参加している。

 日本でデス・エデュケーション(死の教育)をしている人の多くは宗教や哲学・倫理、
 心理学をベースとしている。私は、死を「べき論」で語るべきではないという考えから、
 宗教や哲学・倫理の立場は取らない。生も死も自然の流れの中で起こることなので、み
 んなで自然に死について話をしようという立場を大切にしている。

 ――大学ではどのように教えているのか。

 四回の講義で、第一回は、七年ほど前にNHKテレビで放映された「死を学ぶ子どもた
 ち 〜デス・エデュケーションの現場から〜」のビデオを見せ、第二回は、やはりNH
 Kスペシャルの「赤ちゃん 〜このすばらしき生命〜」と「お父さんへ 〜赤ちゃんか
 らのメッセージ〜」の二本のビデオを見せ、第三回は、私が重症心身障害児医療で経験
 してきた話をし、第四回は、みんなでディスカッションする。

 講義を受けて親孝行したくなったという学生が多い。目の前に死を提示されると、学生
 は第一に、自分自身のことを見直さざるを得なくなるのであろう。死を通して、自分の
 ことや生きがいについて考えると、当然、周りの人との関係を考えるようになる。

 講義の成果の第二は、周りの人たちとの関係性に気付くこと。最近は、その方が重要だ
 と思っている。相手は女子大生なので、彼女らが結婚し、子供を持った時に役立つだろ
 うという、かなり息の長い話だ。「今までは結婚しない、子供をつくらないと思ってい
 たが、講義を聞いて結婚して子供を産みたくなった」という学生もいた。

 〇――〇

 ――死については宗教的に語られることが多いが。

 しかし、最近の日本人は宗教的基盤が弱い。もちろん、死を考えていく上で、宗教を排
 除することは不可能だろうが、私としては一つの方向性として、生物学的視点を基盤と
 して教えるのが適切ではないかと考えている。

 遺伝子研究の発達で、「アポトーシス」という細胞の壊れ方が分かってきた。例えば、
 オタマジャクシがカエルに成長していくとき、しっぽはだんだん消えていくが、その際
 にこの機能が働く。つまり、オタマジャクシのしっぽの細胞のDNAには、最初から死
 へのプログラムが書かれている。こうした厳粛な事実を知ると、よりよく生きるにはと
 いう問題意識がわいてくる。そこからターミナルケアや脳死、植物人間、臓器移植など、
 一般的なデス・エデュケーションの内容に発展していく。

 最近、「ぼくは生きたい…ある筋ジストロフィー症患者の思い」というビデオを制作し
 た。ここでは、死を間近に見詰めている筋ジストロフィー症患者の小島光昭さん(27)
 が生と死について語っている。彼は七歳で発症し、十歳から入院生活をしながら、音楽
 活動などして積極的に生きている。

 子供たちに対して、「難病の子供もいるので、健康で産んでもらったことを感謝してほ
 しい。決して自ら命を断つようなことはしないでほしい。自分のことを分かってくれる
 友達を持ち、閉じこもっていないで外に出て、好きなことを探してほしい」と呼び掛け
 ている。私の研究室のホームページで視聴できるので、ぜひアクセスしてほしい。

 ――死の認識は年齢差が大きいと思うが。

 年齢区分としては、高校生以上、小学校上学年から中学生、小学校低学年生、幼稚園生
 の四段階を考えている。もっとも、死の認識については個人差も大きいので、教師が個
 人的な体験や勉強したことに基づいて行うしかない。統一的なマニュアルは作らない方
 がいいと思う。

 死について真剣に語れば、響くものを子供たちは持っている。死は子供たちにとっても
 のすごく興味深いことで、死を考えたいと思っているからだ。しかし、それを大人が抑
 えているので、表に出て来ない。最大の原因は、教師と親が死をタブーにして、考える
 ことを抑制していることだ。

 学生の感想文にも「幼児期に死について母親に質問したことがある。すると、そんなこ
 と言ってはだめだと叱(しか)られた」というのがあった。

 ――大人社会が死を遠ざけているのが問題なのか。

 そういうことだ。私だって死を考えるのは嫌だが、誰でも身内を看取(みと)ったり、
 葬式に行ったりすると死を考える。そうした機会にきちんと考えられるよう、普段から
 引き出しを持っておくことが大事だ。

 親戚(しんせき)が亡くなる、友達の葬式に参列する、ペットが死ぬなどをきっかけに、
 その引き出しを開けて、子供と話し合うようにすればいい。少なくとも、飼っているカ
 ブトムシが死んだ時に、「またデパートで買ってきてあげる」と言うような母親であっ
 てはいけない。

 ――死は絶対的な壁のようなものなので、死を通して生を深く考えるようになるのでは。

 だから一方的に教えるのではなく、一緒に考える姿勢が大事だ。特に子供たちにとって
 死は、自分のことを深く考える入り口になる。私たちの研究会の合意は、「死について
 は結論のないことが大切だ」ということだ。

 ――本来、死は家庭の中で語られるものでは。

 ところが現在の社会は、「死や生」を家庭教育で教えられないほど家庭機能が崩壊寸前
 まで来ている。そこで、いや応なく学校教育の段階で教えなければならなくなっている。
 あくまで、学校は補完的立場にあるという立場だが。

 もっと言うなら、死を積極的に語り合うことで、弱くなった家庭機能を回復することが
 できるのでは、という期待もある。不登校、引きこもり、学級崩壊などの解決の糸口に
 なる可能性も考慮に入れ、このテーマが広く社会に受け入れられることを願っている。

 なかむら・ひろし 昭和11年(1936年)東京都生まれ。37年(1962年)日
 本大学医学部卒業。49年同大学医学部小児科専任講師。55年重症児施設「むらさき
 愛育園」園長。57年国立療養所足利病院院長。平成7年(1995年)日本女子大学
 家政学部児童学科教授。著書は『女子大生のための小児保健学』『死を通して生を考え
 る教育〜子供たちの健やかな未来を目指して〜』ほか。
http://momi.jwu.ac.jp/jidou/nakamura/  
(世界日報)掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
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件名:心の教育と命の教育を考える  

「問題が起きない学校」の問題/活力をもって生きる目標を
弁護士 秋山 昭八
児童の心情理解できない教師 長崎県佐世保市立大久保小六年の女児が同級生の女児にカ
ッターナイフで殺害された事件から一カ月余が過ぎた。校長は記者会見で、事件の影響で
今も教室で給食を取れない六年生の女児がいることを明らかにし、子供が受けた心の傷の
深さをうかがわせた。

 校長は「一緒に勉強していた子供が二人突然いなくなった子供たちのショックは大きく、
 時間をかけてケアを図っていかなければならない」と話した。

 日本教育新聞社が全国の小学校校長、教諭千五百人を対象にアンケート調査を行ったと
 ころ、その八割近くが自分の勤務する学校で「心の教育」「命の教育」の充実が必要と
 考えていることが分かった。しかしながら、73・1%もの教諭が児童同士や教師との日
 常の会話の中などで、最近の高学年の児童の心情を理解できないと感じていることは、
 学校の危機と言わざるを得ない。

 にもかかわらず、事件への対策として、@「心の教育」「命の教育」Aインターネット
 のモラルや安全性指導B児童理解を深めるカウンセリング研修―というのではあまりに
 もパターン化してはいないだろうか。

 上から押し付けるような姿勢で、いくら「心の教育」「命の大切さ」を説いてもむなし
 いという他はなく、それらが逆に子どもたちにストレス源となり、自分のダーティな内
 面をありのままに出しづらくさせる。心や命の大切さを頭では分かっていても、日常生
 活における著しい場面では発揮できない。

監視でなく子供の長所伸ばせ

 「起こるはずのないことが、起こるはずのないところで、起こった」。これこそが、今
 回の事件に対する衝撃の本質と言える。その意味で、特に、子どもたちの教育に携わっ
 ておられる現場の先生の苦悩は計り知れないものがある。

 今回のアンケート調査の結果もそうした先生の苦悩をそのまま映し出している。

 一番気掛かりなのは、学校が一層「問題が起こらない」教育の方向に進むことである。
 そうするうちに、学校はチャレンジ精神を失い、校内で問題が起きないように行動する
 ことになる。「問題が起きない学校」を教育目標にすれば、学校全体を徹底した監視社
 会にするしかない。そうすれば、教員も子どもも、のびのびと長所を伸ばすことはでき
 なくなる。

 教育とは、一種の賭けでありチャレンジでもある。学校や子どもの創意工夫、発想の幅
 を広げられるように、保護者の支援が望まれる。

 アンケートではまた、「心の教育」「命の教育」の重要性を指摘する意見が多かった。
 それは必要なことだが、先生が行う「心の教育」は「言って聞かせる」説諭型のものが
 多くはないだろうか。

 むしろ、食教育、体験活動などを通して、命とは何なのかを考え、実感を持って考えさ
 せることが重要である。言葉だけの命の教育では、子どもが、「命豊かな」実りを得る
 ことは難しい。

 こうした問題が起こるとすぐに「命の大切さを教えよ」「思いやりの大切さを教えよ」
 という類の声が上がる。これらのことを教えれば済むほど人間は平板ではない。それで
 済むならこれまでにこのような問題は生じていない。問題行動の防止にも、心を育てる
 ことによって自分の生きがいある生き方を見いださせ、生きる活力や自分の人生を大切
 に生きる態度を育てることこそ重要である。

道徳教育で活力生む心育てよ

 活力のもとになる心、つまり価値観ないし道徳性を育てることこそ重要なのである。子
 どもにやる気のもとで生きがいを見いだす能力を育て、活力をもって生きるようにし、
 全体として子どもの能力を最大限に引き出すようにしなければ、どのように制度を変え
 てもそれだけでは優れた教育は生まれない。

 活力をもって生きる目標となる生きがいを見いだす能力を育てることこそ、教育の根底
 に置かなくてはならない重要な教育なのである。中学校や高校では、道徳教育や特別活
 動の時間をないがしろにして入試にかかわる教科指導にのみ力を注いでいる学校が、む
 しろ進学成績など学力面で後れをとっている場合が少なくない。

 全国小、中学校長会で重点項目として掲げる創意ある教育課程の編成では、自ら学び、
 自ら考える教育へ基調の転換を図り、基礎的・基本的な内容の確実な定着と、個性を生
 かす教育を展開する中で、主体的にたくましく生きる力の育成を目指す教育課程を編成
 することが望まれる。(世界日報)掲載許可済み
Kenzo Yamaoka


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